安本美典教授 〔1〕

韓国や北朝鮮の方々には、とかく、日本の言語も、文化も、
天皇家なども、ほとんど全てが、朝鮮半島からきたはず
だという、 強い『思い込み』があるようにみえる。
しかし、 そうであって欲しいという『願望』は、必ずしも、そうで
あるという客観的事実と一致しない。
※ 『』は本文そのまま

安本美典教授 〔2〕

韓国の言語学者でも、ソウル大学の李基文教授は、
『日本語と朝鮮語との比較作業の結果、確実にいえる
ことは非常に少ない』
と述べている。

安本美典教授 〔3〕

さて、さる六月に、私の主催している「邪馬台国の会」が
開かれた。その会で、韓国出身の統韓鮮氏が、「『万葉集
論争』を論評する」というテーマで発表を行なわれた。
その発表のなかで、私の先の文章をとりあげて、統韓鮮
氏はいう。
「安本先生は、ご本のなかで、この文章のように述べて
おられますけれども、日本の古代の文物のなかで、朝鮮
半島を通じてこなかったものには、何があるのでしょう。

私が答える。
「私も、朝鮮半島の古代の文物について、非常にくわし
いというわけではないので、ご存知であれば、この機会
に、教えて頂きたいと思うのですが、ふつう、日本の神社
建築の、高床式建築法、千木、 鰹木などは南方から来た
習俗といわれています。
現在でも中国の西南部の雲南省などにすむタイ族な
どの住居には、高床式建築法、千木、鰹木などが見られる
といわれます(その写真なども、よく本にのっています)。
また、下駄なども中国の南部でみられるといいます。