現在、海外にはハワイ出雲大社(米国)、南米神宮(ブラジル)、ペリリュー神社(パラオ)など約30ヵ所の神社が設けられているが、台湾には、神職が奉仕する唯一の“生きた神社”がある。コロナ禍で神事は途絶えているが、地元民の心の拠り所としてすっかり根付いた神社は、観光スポットとしても脚光を浴びつつある。

■神職が奉仕する台湾唯一の神社

「掛(か)けまくも畏(かしこ)き高士(クスクス)神社の大前に、恐(かしこ)み恐みも白(もう)さく──」

台湾の澄み渡った青空と緑濃き峰々に抱かれた小さな神社の境内には、年数回、神主による祝詞が高らかに響き渡る。南部・屏東県にたたずむ原住民族・パイワン族の集落・牡丹郷(パイワン語でシンボゥジャン)高士(同クスクス)村に鎮座する、「高士神社(クスクス神社)」だ。

台湾で唯一、神職が奉仕する“生きた神社”として2015年に再興されてからは、降るような星空と太平洋の大海原が望める風光明媚なパワースポットとして密かな人気を集めていた。

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■日本兵として散ったパイワン族の祖先を祭りたい

クスクス神社は、日本統治時代の昭和14(1939)年に建てられた小さな鎮守社の「高士祠(クスクス祠)」が起源。だが戦後の国民党政府統治下では、親日的な言動は許されず、クスクス祠は取り壊され礎石のみが残った。

日本統治下の台湾には184ヵ所の神社、20ヵ所以上の祠や遥拝所が建立されたが、戦後ほぼすべてが破却され、わずかに残る元神社も、台湾国軍将兵を祭る霊廟・忠烈祠に改築されたり、史跡公園に変わったりと、当初の面影はない。

パイワン族の古老たちは、「太平洋戦争中、高士村の青年も日本軍の台湾原住民族部隊『高砂義勇隊』の兵卒として出征し、南方の戦地で散った。かつての鎮守社を、部族の祖先を祭る心の拠り所として復活させたい」と願うようになる。

話を伝え聞いた神奈川県在住の神職・佐藤健一氏(50)は私財を投じ、2015年に「クスクス神社」として社殿の再建を果たした。

クスクス神社は神社本庁や神道大教などの宗教団体に属さない単立神社である。

宮大工の家系に生まれた佐藤氏は千葉県や静岡県、神奈川県の神社で神職を務める傍ら、日本の各地でも衰退した神社の社殿や祭礼の復活を手掛けてきた「神社再建のプロ」でもある。

クスクス神社の社殿は高さ約2.3m、幅約1.7m、重量400kgの総ヒノキ製で、日本の宮大工が手掛けて海路はるばる搬送し、台風から守るため村民がガラスの覆いを取り付けた。2016年は鳥居が寄進され、パイワン族伝統紋様をあしらった石段も整備される。

佐藤氏は宮司として、毎年、大晦日の除夜祭〜元日の歳旦祭と、5月の例祭に合わせて訪台し、神事を取り仕切っている。また、2019年に2回、台湾人カップルの神前結婚式も采配した。

国立台湾大学の専門家はクスクス神社について、「小規模ながら神職と氏子が奉祀する台湾の戦後初の神社として唯一の存在」と、その取り組みを称賛する。

佐藤宮司や村の氏子たちは、お守りや神札、絵馬などの記念品を考案し社務所で頒布。訪台中の佐藤宮司が直筆する朱印も行列ができる人気だ。

■ゆくゆくは台湾人だけで守っていく存在に

コロナ禍が落ち着き、日台間の往来が回復したら2020年正月以来となる神事を執りおこなう予定の佐藤宮司だが、常々「台湾の神社は、台湾人の手で守り、伝えていくことが大切」と考えており、台湾人神職後継者の必要性を実感している。

2018年の例祭では養子の佐藤冬木(黃俊瑜=フアン・ジュンユー、28)くんが台湾出身者として初めて神事をつかさどり、2019年5月の例祭では、神職をめざす黄哲吾(フアン・ヂョーウー、20)くんが佐藤宮司の神事を補佐した。

台湾のキリスト教系名門私大・天主教輔仁大学の宗教学科で学ぶ黄哲吾くんは「今後もできるだけクスクス神社で奉仕をしたい」と意気込む。

パイワン族など台湾原住民族にはキリスト教が浸透しており、クスクス神社でも神事の前に、パイワン族伝統の祈祷式と台湾長老キリスト教会の牧師による祝祷がおこなわれる。ミッションスクールで学ぶ若者の神事に何ら違和感はないのだ。

佐藤宮司は「神社というのは石碑ではなく生きた存在。神職と氏子と参拝者で常に回しているコマのようなもので、回転力、ジャイロ効果がなくなると倒れ、光を放たなくなる。2017年に外見だけ復元された鹿野神社(台東県鹿野郷)は殻だけで、『精(しょう)』(霊魂)が入っていない」と手厳しい。(続きはソース)

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