【話題】銚子の高校生が37年前に流したガラス瓶、太平洋を何周も周回か…ハワイ島で拾った少女が返信 [アルカリ性寝屋川市民★]
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千葉県立銚子高校の生徒らが37年前、海流調査のため太平洋に流したはがき入りのガラス瓶が、米ハワイ島に届いた。拾った地元の少女(9)は、「宝物を見つけた。いつか大好きなすしを食べに行きたい」と、6000キロ・メートル以上離れた日本に思いを寄せた。
ハワイ島東部プナの海岸で6月20日、アビー・グラハムさんが牛乳瓶ほどの大きさの瓶を見つけた。ふたはさび、泥だらけで異臭もする。父親(44)も母親(43)もゴミだと思った。
しかし、瓶の中からは、日本の高校生からのはがきが出てきた。「1984年7月に銚子沖で放流しました。お手数ですが、下記にご記入の上、投函(とうかん)お願い致します」。日本語、英語など4か国語で書かれていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c92936de13c3baeae17194c734e3ee6b24bf6cd8/images/001
ガラス瓶が流れついた主な場所
この出来事は、ハワイの地元紙でも「映画の筋書きのようだ」と大きく取り上げられ、話題になった。
ガラス瓶は、銚子高校の自然科学クラブ(現在は廃部)の生徒らが84、85年、銚子沖から計750本を黒潮に乗せて流した。
フィリピンやグアム、米国西海岸などで次々と見つかり、2002年に鹿児島県の喜界島で50本目が発見されたのが最後だった。
それから20年近くたって見つかった51本目が、アビーさんの拾った瓶だった。東京大の道田豊教授(海洋物理学)は、太平洋を半周あるいは何周も回ってハワイへたどり着いたと推測する。
アビーさんからの返信は今月3日、父親の「娘にとって素晴らしい経験となりました」という手紙とともに銚子高校に届いた。傷んでいた3枚のはがきは、丁寧にラミネートされていた。
50本目の発見時にクラブ顧問を務めていた教頭の林潤さん(53)は、「51本目が教頭の時に見つかるなんて奇跡。瓶を流した当時のことを知っている人は連絡をしてほしい」と興奮を隠せないでいる。
Yahoo(読売新聞) 9/7(火) 15:02
https://news.yahoo.co.jp/articles/c92936de13c3baeae17194c734e3ee6b24bf6cd8 和紙に墨汁で書いておけば数百年後でも大丈夫だったのに >>509
ヒデェ話だよなあれ
最後まで読むのが苦痛だった
てか夢野久作はそういうの多いから好きじゃない >>517
彼の作品は中高生くらいが読むと丁度いいのよな
大人になってから読むと苦痛でしかない 行方不明になった風船おじさんも
海外で発見される可能性が出てきたな 「メッセージ確かに受け取りました、望み通りあなたを魚にします」 >>2
夢の無い生活送ってんだな。たまには外に出て青空見上げてみろ
いいことあるから 昔は瓶やら風船で飛ばすやらあったね
狭い範囲で生きてて遠い土地とかロマンだったんだよね >興奮を隠せないでいる。
何に興奮していたのだろう?
ただ居合わせた教頭よりも立案者の話を聞きたい 37年前なら環境問題とか
まだ意識されてなかった頃か >587
いかにもハワイらしい雰囲気のファミリー
明るくて健康的だし、こうして単なる"漂流瓶"にもきちんと対応してくれるなんて有り難いな >>346
247見落としてた。ありがとう。
やはり、おフランス語ザマスで合ってたな。 メモ
○ フランス領ポリネシア
フランス領ポリネシアには118の島があり、うち67の島に
人が住んでいる。総面積は4,167km2(石川県とほぼ同じ)
で、250万km2の範囲の海域に多数の島が散らばっている。
フランス領ポリネシアに含まれる島はソシエテ諸島(タヒチ
島、モーレア島、テティアロア島、フアヒネ島、ライアテア
島、タハア島、ボラボラ島、マウピティ島、ツパイ島など)、
オーストラル諸島(トゥブアイ諸島、バス諸島(英語版))、トゥアモトゥ諸島(ムルロア環礁など)、ガンビエ諸島、
マルキーズ諸島(マルケサス諸島)である。かつて含まれて
いたクリッパートン島は、2007年2月22日からフランス政府
の直接統治下に入った。 メモ
家庭用パソコンの歴史 1984年発売
https://greendeepforest.com/?p=2269
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機種名:PC-9801M2
メーカー:NEC
発売日:1984年11月
価格:415,000円
CPU:μPD8086-2(Intel8086互換、動作周波数:8MHz)
前年に発売された「PC-9801F」から、シリーズに標準搭載となったFDDドライブ。
2DDの5インチドライブを容量の大きな2HDに変更し、それを2基搭載した機種が「PC-9801M」。
メモリも標準で256KB搭載し、ビジネスシーンでの活躍を想定してキャッチコピーは「ニュービジネスの象徴(ステイタス)」。
翌年1985年には、2HDの5インチFDDを一基搭載し、SASIのHDD(20MB)を内蔵した「PC-9801M3」が838,000円で発売された。
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※ 8bitパソコンはそろそろ終わりか メモ
パソコン通信の歴史
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日本のパソコン通信の歴史
1982年、在日米軍のための「CORTON-NET」が東京の山王ホテル内で開設され、またスティーブ・ベラミがアメリカ大使館内にBBSを開設した。同時期に林伸夫もApple IIをホストにしたサービス(後の「Mac Event」)を開設した。[2]
1983年8月末にはデータブレーン社が大阪に「Com Com」を開設。これはホストにPC-9801を使用し、メール、電子掲示板、チャットなどのサービスを3回線で提供していた[3]。
1985年、日本電信電話公社が日本電信電話(以下NTT)に移行するに伴い電気通信事業法などの法律が制定・改正された(通信自由化)。
その結果、モジュラージャックなどの技術基準を満たしていれば、NTTなど第1種電気通信事業者が敷設する一般加入回線への端末設備の接続が、個人でも法律的に認められるようになった。
これにより、従来は電話の受話器に音響カプラを乗せてダイヤルも手動で行い速度も300bps程度だったパソコン通信が、モデムによって手軽かつより高速に楽しめるようになった。
これを受けて、数社から技術基準を満たす非同期式300/1200bpsのモデムが発売され、パソコン通信普及のきっかけとなった。これらのモデムは旧来のモデムとは違い、網制御装置(NCU)を内蔵したものである。
1980年代半ばにアスキーネット、PC-VANなどの大手業者が商用サービスに参入、通信ソフトの普及と共に安価な2400bpsモデムが発売されるなど、1990年代にかけて大手、草の根BBSとも加入者が増加していき、『電脳辞典 1990's』によれば、1989年末頃には商用大手9社の加入者数が20万人台、草の根ネットは24時間運営局だけでも300局以上、といった規模となる[注釈 6][4]。
基本的には個々のサービスはそれぞれ独立しており、ニフティとCompuServe、朝日ネットとPeopleなど提携関係にある一部の場合を除いては、他サービスとのつながりはほとんどなかった。
電子メールのやりとりも同一サービス加入者でないと不可能であったが、1992年にPC-VANとニフティのメールが接続され、さらに各サービスでインターネットメールとの接続が開始されたため、大手商用サービスのメールに限っては障壁がなくなった[5]。 >>462
風船自体は紫外線や酸素の影響でそのうちに変質分解するけど、
種子バラマキは非常にまずいな。 スレでは>1の話題から連想発展して、これもボトルレターのように
大昔の一時期はやった「風船に種」の話題が見受けられるが、
まあスレでガイシュツなように現代の世の中では遺伝子汚染とか
外来生物の害とか言われる世の中なんで、そういうのは今は難しいかもねえ。
なんせ貨物船のバラスト水だって荷下港で載荷分の水を搭載して
また次の荷積港でその水をブロウするのも海水中の生物や藻が一緒に出てくるんで
そこから水を排出された生態系が崩れるような指摘されるくらいなんでねえ。
いわんや、タネを人為的に無差別に撒いたりとかそういう往時の流行りは
なかなか現代ではね、ムズカシいかもしれないですね。
(それにもちろん落着した先のしぼんだビニール風船のゴミ問題も、ある)
そういえば話は変わるが冷戦以来の偉大なる大韓半島の南北問題だがw
南の大韓の民間団体とかね、昔は北韓、北朝鮮にむけてさ
指導部の悪口とか南の社会の良さとか手紙に書いて1ドル札なんかとともに
風船に括り付けて北に送ったりとかなんとかありましたけど、
これも最近はあまり聞かないなw 北は勿論、南の政府もいい顔しないからねwww
(って軽く調べると昨年末に大韓でも違法化されてたか。スレは立ったかな?) >>741
おまえ素人だろ。
バラストの排出をブロウなんて言わないぞ。
恥かくから変な事言うな。 >>742
トンスルマシッソヨw
いや航海学については素人だよ素人。素人に決まってる。
水兵リーベ僕の船とかいって七曲るシップスクラークは
そこらのスレに居るネトウヨ軍オタのおっさんどもに任せたいねw
水兵服とか持ってそうだしw セーラー服www
まあ、ヨタはともかくたまさか今読んでいる本に排液を出すことを
ブロウと書いているからそう書いただけさ。
あ、ブローなジョブがどうこうとかは関係ないよw
(しかしちょっとクヤシーので書庫からン年ぶりに航海力学の本を
ペラペラめくったが(←なんでそんなもん持ってんだw)、
懐かしいなあ。復原力w 重心・浮心・横メタセンタwww) 37年前の銚子の高校生なら
地元に残ってるのも多そうだ
楽しい話題だな 750本ってさすがに多い気がするけど
大きな魚などが誤飲したら窒息しそう
今、プラごみとかも問題化してるがさ 昭和時代じゃないか?
もう年金暮らしの後期高齢者だろ >>745
教頭が興奮しながら訴えているけど名乗りでないようだ
自分が顧問していた時の生徒とかと連絡とらないのか?
人望がないのかな?? >>748
逆に37年前のボトルがそのまま見つかるとか恐ろしくないか
環境への影響面から 実験すれば廃液出たり廃材出来たり、場合によっては
動物の死骸もできる。
掘削調査すりゃ崩したり穴ほったりでいろいろ壊れる。
何かすりゃ、色んなものが出来てしまう。
計算機でのシミュレーションだって電気食うから
資源消費したり二酸化炭素出たり。
PCBだのダイオキシンだのばら撒くのはよくないが、
ガラスの小瓶はワーワー言うような事じゃないと思うよ。
全然無益だと虚しいが、いろいろ研究成果あるんだし、
生徒への教育効果もあっただろう。
友好親善に繋がった部分もあっただろう。
トータルで見ないと… >>755
興奮して教頭が言うほど名乗り出る生徒がいないのだから
生徒への教育効果はなく生徒はやらされていた感が強かったのだろう
それにしてもよくこのご時世にボトル投棄についてインタビュー受けるよな教頭 この教頭は自然科学クラブに思いれがないのか
現在は廃部になっているぞ。俺なら教頭になったら復活させるけど
やっぱり日本が衰退したのは教師の熱意と実力のなさか >>757
37年前の事を今の世情に絡めた話をしたがるのはなぜ? >>752
参考 wikipedia にあった
海に捨てられた「ゴミ」が分解されるまでに
必要な年数を表したイラストから
・新聞:6週間
・ダンボール:2ヵ月
・タバコ:1-5年
・ビニール袋:10-20年
・スチール缶:50年
・アルミ缶:200年
・ペットボトル:450年
・紙おむつ:450年
・釣り糸:600年
・ガラス瓶:わからない ←!! >>750
自分が顧問をしていたのは放流の頃ではないからね >>760
ガラス廃棄物のゆくえ
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空きびんは、砕いてびんの原料にするとき色が混ざると再利用しづらいため、「無色」と「茶色」と「その他の色」と分けています。細かく砕いたものを「カレット」と呼びます。この「カレット」は、ガラスびんの主な原料の一つで、1本のガラスびんのおよそ8割がこの「カレット」からできています。
「カレット」をたくさん使うわけは、けい砂・空きびんは、砕いてびんの原料にするとき色が混ざると再利用しづらいため、「無色」と「茶色」と「その他の色」と分けています。細かく砕いたものを「カレット」と呼びます。この「カレット」は、ガラスびんの主な原料の一つで、1本のガラスびんのおよそ8割がこの「カレット」からできています。
「カレット」をたくさん使うわけは、けい砂・石灰石・ソーダ灰など、ガラスびんの主原料となる貴重な天然資源が節約できること。「カレット」を原料に混ぜることで、他の原料が溶けやすくなるため、溶かす時間が短縮でき、重油の使用量を削減できます。天然資源を使用したときに比べ約25パーセントの省エネルギーになるという試算データ(日本ガラスびん協会資料より)が出ています。
びん以外の利用
びん以外には、住宅用断熱材(ガラス短繊維)で、全体の3割程度を占めています。他には、砂の代わりとして使われる「道路舗装材」や「埋め戻し材」などがあります。
原料が溶けやすくなるため、溶かす時間が短縮でき、重油の使用量を削減できます。天然資源を使用したときに比べ約25パーセントの省エネルギーになるという試算データ(日本ガラスびん協会資料より)が出ています。
びん以外の利用
びん以外には、住宅用断熱材(ガラス短繊維)で、全体の3割程度を占めています。他には、砂の代わりとして使われる「道路舗装材」や「埋め戻し材」などがあります。 リサイクル以外だと
道路舗装材料に使ったり、埋めたり…
要するにガラスは悪させんということ。
割れて沈めば石っころと同じ。更に砕けりゃ砂。
実験に使うにはちょうどいい。 >>762
自動車の廃ガラス屑もカレットって呼びますよ。
尼崎から出るねぇ。
鹿島の旭ガラスに持って行きます。
純カレットは汚れにうるさいですね。
色が着くと怒られます。 色が混じると透明ガラスにはならんもんな。
だから色付きガラスは道路舗装や埋め戻し材料や、
あるいは埋め立て。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています