【NHK】細川忠興の書物の裏に、金の使い道を説く石田三成や刀を貸してと頼む古田織部らの自筆の書状が [みの★]
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戦国時代から江戸時代初期にかけての武将で、細川家が九州の有力大名となる礎を築いた細川忠興が記した書物の裏に石田三成や古田織部の自筆の書状があることが東京大学史料編纂所などの調査でわかりました。専門家は豊臣秀吉に仕えた武将たちの素顔がうかがえる貴重な史料だとしています。
細川忠興は戦国時代から江戸時代初期の武将で、豊臣秀吉などに仕え、細川家が九州の有力大名になる礎を築いたほか、茶道などにも通じた文化人としても知られています。
細川家の史料を保管している東京 文京区にある永青文庫と東京大学史料編纂所は共同で巻物になっていた忠興が記した書物を調べたところ、忠興が受け取った書状などの裏側を再利用していることがわかりました。
その中には、1586年ごろ、秀吉に一緒に仕えていた石田三成や古田織部が自筆で忠興に宛てた書状が含まれていました。
…続きはソースで(動画あり)。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210917/k10013263731000.html
2021年9月17日 6時27分 何百年経過して劣化しないんだね
写本ならわかりますけど 古い文字を読める人が裏山
読めたら面白いんだろうけど、さっぱり解らない 藤孝も忠興も良い印象がない
印象変わる作品ってありゅ? >>3
正倉院展で奈良時代の古文書が公開されてる事がある
意外と状態がいい 三成もまたくどくどと嫌われそうなことを
織部も織部らしいな。式典に出席するのに必要な刀を借りたいとか >>6
もはや特殊技術
人工知能でもまだ人間には及ばない 石田三成の書状では、秀吉から受け取った金の使いみちについて忠興に「自分たちは恵まれているのだから、金をため込むのではなく周りに配るよう」説いていて、専門家は押しつけがましいともとれるほど生真面目な三成の性格や人間性がよく表れているとしています。
石田三成って言ってる事は正しいのに後世の人にまでこのように言われてしまう何かがあるんだろうな
不幸としか言いようがない この記事をみるとへうげものの世界観はまんざら嘘ではないなと思えた
忠興も青春してたんだろうなぁ >>6
変体仮名文字覚えたらそれほどでも無い、後は誤字当て字に当惑する程度(苦笑 豊臣家の財務最高責任者らしい
伝承通り細かそうな書き置きに笑った NHKの天気予報は外れ捲り。こんな報道してて恥ずかしくないのかね?
兎に角、NHKから命を守る行動を取ってください。 >>19
キミも言ってるじゃん。三成は押し付けがましいんだよ。余計なお世話なんだよ。
チビのくせに偉そうにして、いつもつま先立ちで歩いてて、みっともないんだわ、あいつ。
女の腐ったヤツなんだよな。 この時期から既に立場も家格も上の領主に
金の使い方なんて嫌われる指示をしてたのがわかったんだな こんなんだから家康に暗殺されるんだよ三成は
こまけーんだよ 3人の中でやばい逸話の多さなら越中殿が群を抜いていると思います 古織、笑える
数寄に金使い過ぎて刀まで質に出してたか 何かの歴史ドラマで三成が、
貧乏くさい干し柿か何かをプレゼントして細川忠興を味方に引き入れようとして、
「バカにしてんのか」と呆れられるシーンがあった。ふつうそこは領地とか官職とかだろ、と。 >>1
忠興殿ケチだな
コピー裏紙再利用してるのか
まあ、紙は貴重品だが
そりゃ三成殿に説教されるくらい溜め込むわ
現代までその金残ってるからな だから原理主義の流れだったら1つあればもっとあるんじゃないか?
盛田の倅とかもボタンの力とかやってたし、最後一般が見る頃って担ぐとか盃になるだけだとか 裏側使っているということはとっておくほどの手紙ではなくかつ見るのも嫌な手紙ではなかったのかな >三成の自筆の文字は黒くはっきりと記されていて、後段にいくにつれ書きたいことを詰めこむように行の間隔が狭くなっています。
>
>また、古田織部からの書状では、忠興に対して「刀を貸してほしい」という趣旨に続いて、「あまり大きいものは困る」と細かい要望を記しています。
だからお前らそういうところ!! >>1
保管してる史料のどれくらいが未調査なのか気になる >>19
悪い人じゃないけど「要らんこと言い」なのでは
>>23だな >>21
漢字が読めねーんだよ
変体仮名まではなんとか覚えたんだが 三成は現代の銀行家ならかなり出世するが
やはり頭取にはなれないタイプだな 今は壺を作ってる元総理の細川のお殿様は
長州田布施野郎の安倍チョンや薩摩高麗町の麻生とか下世話な明治成金とは違うのだよ 日本は良くも悪くも年功序列、家格主義が古い時代からの慣例だからねえ
異端児かつ独裁志向な秀吉によって抜擢された若造はさぞうざかっただろうな周りにとって 書状の再利用しているかもしれないから、怪しい奴みんなX線調査した方がいい? >>45
分かりやすく説明しただけだよ
じゃあお前の解釈よろしくな 昭和初期でも小学校では砂に文字を書いて練習してた
練習ごときで紙を使い捨てる時代ではなかったんだね >>54
ちゃちゃ入れるだけのお前みたいな奴はウザい
だが三成ほどの能力もない 「金はため込むのではなくて使いなよ」って現代にも当てはまるね 関ヶ原で負けたせいで徳川方によって徹底的に悪い印象にされてるけども、石田三成がもしもダメ人間だったら大谷吉継や直江兼続と友だちになってないし
豊臣秀吉に言えなかった悪口だとか文句全てを石田三成が被った形 >>19
専門家のコメントが「おしつけがましいともとれるほど」ってバイアスを助長するようなもので
それに引っ張られてみんな偏見交じりで観てしまうからな。
安倍総理のトリクルダウンを300年以上前に先取りしていた
と書けば全く印象が変わる。
報道の在り方について考える良い教材になるねw >>54
石高や官位がヘボい奴が主君の威光を盾に偉そうに内政干渉してきたらウザいだろ これ表の文書と裏書きの文書
どちらのほうが価値があるのだろう >>21
文化財課に資料保存の担当部署があるんだけど、そこの人でもお手上げな文書があったわw
古文書が読める人は、インド語が読める人より少なかったりしてな >>61
東についた奴は元々謀反しようとしてたか
借金まみれのダメ人間だらけだから
家康はダメ人間の方が多いのわかってただけ >>61
東軍大名の多くが石田三成に命を助けてもらったりとりなしてもらったり世話になっていたりする >>66
w
最高権力者の直臣懐刀と臣下
役職だけじゃ語れない権力の序列だよw 三成と忠興が古くからの同僚で気のおけない仲ならともかく
秀吉の陪臣だった三成はこの頃大名になったばかり
対して細川家は織田家直属の大名だったからちょっと前まで格上の存在
官位も従四位下侍従の忠興のが上だしな
実際関ヶ原の直前に
忠興は反三成急先鋒の武断派七将の一人として三成の屋敷を襲撃してるし
こういう何気ない手紙が軋轢を生むきっかけになったんだじゃないかと >>6
ノリで推測しなきゃいけない文字とかあるからなあ
一度覚えようとしたんだけどなかなか難しい 織部正が刀貸して欲しいって頼んでる姿はなんか容易に想像出来るな >>6
最近画像からAIで翻訳するソフト発表されてたで >>61
戦乱が終わって、戦闘に秀でた軍人 よりも
内政に秀でた事務官僚が評価される時代になって、
旧臣武闘派の恨みを受けたのが石田三成だったと思う
徳川家光の時代になると時代の衰勢の方が勝ったが >>67
たぶん表の方は他にもある書物の写本で
裏の方が当時の生活を窺い知れる貴重な資料かも >>72
おさる「細川と仲良くしなきゃあかんで!」
みつなり「はいわかりました、あいつ柿好きらしいな」
みつなり「仲直りするからおいで〜」
細川「なんだよー」
みつなり「ほれ柿食えや…好きに貪れや…好きなんやろ…?」
細川「(ビキッビキッ)」
こんなんやし >>63
トリクルダウンとかなかったことにされてるんだがw >>28
まさに
へうげもの
そのものだねぇ
あれ作者にのりうつったんじゃないかと
思うくらいイキイキしてたな >>72
三成は秀吉の陪臣じゃなくて直参なんですが >>23 26 41 63 83
レスのつき方にビビったわw
みんな結構、正論が嫌いなんだね
多分、石田三成さんはそれが感覚的に理解できない人なんだわ >>87
言い方悪かったけど信長から見て陪臣という意味 >>19
三成は正し過ぎるんだよ
そういう奴はいつの時代も嫌われるだろ ゲヒ殿w
刀は後でちゃんと返したんかな?
返さなそうw 三才様は妻の事に触れなければまだまともだったから友人もいたんだな >>77
本多正純だよな
こっちは上位互換の土井利勝でてくるから
どっちみち先なかったけど >>89
正論でもそれを盾にとことん突っぱねる奴は嫌われるだろ >>91
ものは言いようなのかね
同じ事を言ってもやっても好かれる人と嫌われる人がいる
むしろ好かれる人の方がエゲツなかったりする事があるし人の好悪ってのは不可思議なものですな >>89
あと人間なんて誰もが欲とか醜い部分を持っているから
三成みたいに絶対正義的な正論をかざされると自分の汚い部分が見えてしまい三成が憎くなるってのもあると思う >>69
福島正則とかいかにもって感じだったもんね
豊臣恩顧の大名は徳川方にいいように使われた感じ
>>77
石田三成の出現は時代が早過ぎたんだろうか?
それとも菅義偉みたいにナンバー2としては最高最強なんだけど、トップには不向きな人だったのかも 細川家の資料は気になるな
光秀あたりの書状使ってないのかな 三成って戦国時代に霞が関の官僚がタイムスリップしたみたいな感じやな >>102
三成としては秀吉の意を汲んでそれを文字にしただけのつもりだったかもしれないけど
秀吉が実際に金子を渡しながら説教する姿は想像し難い。内心は三成の言った通りのことを思ってたとしても
そのへんがトップの度量があるかないかの違いではないかと >>61
実は大谷吉継と個人的に仲が良かったっていう一次資料一切残っていないんだぜ
大谷と三成が仲が良かったというのは江戸時代の歴史家たちが家康と懇意にしていた大谷がなぜ西軍についたかという考察の中で
多分三成と個人的に仲が良かったんだろうと想像したのがそのまま事実のように伝わっているだけ >>102
俺はあんたのレスと似たような感覚だわ
>>96
世渡り上手い出世タイプだな
好きにはなれん行動も多い
発言の内容より人見て判断されてるって奴だろうな >>108
恩を施しても却って憎まれる
難儀なお方だ 他人に自分の正義を押し売りする人間は、いつの世でも嫌われる 戦国チャーハンTVで言われていた
「三成は悪い人やないけど一言多い」
という人物評が当たってる気がするな。 【逆流性食道炎予防の八箇条】
食の欧米化やストレス社会により新たな国民病となりつつある逆流性食道炎をみんなで予防しましょう
其の1:食べすぎないよう腹八分目
其の2:消化のよい食事を心がける
其の3:ゆっくりよく噛んで食べる
其の4:就寝前の食事は避ける(就寝前2〜3時間)
其の5:食後すぐに横にならない(逆流を防ぐ)
其の6:逆流を起こしやすい食品(※)は控えめに
其の7:肥満に気をつける
其の8:喫煙を控える
※…アルコール、コーヒー、チョコレート、炭酸飲料、香辛料などの刺激物、高脂肪食、甘いもの、酸味の強い食品 等
「逆流性食道炎」の予防・対処法を解説 | ロート製薬: 商品情報サイト
https://jp.rohto.com/learn-more/gastrointestinal/stomach/care/
食事と生活習慣に気をつけて逆流性食道炎を予防|おとなの安心倶楽部|セコム
https://www.secom.co.jp/otona/health/no19_1409.html >>107
豊臣秀吉って老人性痴呆症のせいか、陽気で前向きだったのに晩年になって性格が陰湿で猜疑心の塊になったって研究もあるね
陽気で部下思いの時代しか知らない福島正則や加藤清正や細川忠興らと、陰湿になってしまった時も理解してる奉行衆の石田三成
冷酷な豊臣秀吉の命令を部下に伝える役割の石田三成が細川忠興らと衝突するのは必然かも どうしたってあの絵で再生される
あの漫画がないと古田織部知らなかった >>120
俺達ネトキムは戦国武将自体が嫌いだよな >>106
三成は清貧を好む人間だったし
現代日本の官僚みたいな腐敗した感じはないよ
現代の官僚は湯水の如く税金を使って天下り先を増やしたりしてるし 三成ほど欲のない忠義者はいないからな
豊臣家のためだけに戦い死んでいった >64
「足が痛いので息子に返しに行かす」みたいなオチ。 明智光秀は本当の裏切り者だったが三成は最高の武士 早く三成主人公で大河やるべき >>123
三成タイプが今の政治家にいたら
私利私欲に飢えた政治家連中は全力で潰しにかかるだろうね
結局マスコミも敵に回して世間からも評価されないで終わりそう >>3
墨のカーボン自体が劣化しない
書かれている紙自体はメンテナンス必要だけど >>1
おいw
もうこれ以上は古田織部をイジメるなよw >>81
変換後の文字列みてもちんぷんかんぷんですよ
(当時の)常識はわざわざ文面で説明しないから、、、 >>64
返ってきたとしても刀身が安物にすり替えられとるでw 三成が嫌われたのって家柄があるわけではない小姓の出の癖に偉そうにしてるみたいな僻みもあったんだろうな
高卒上司に使われる大卒みたいな >>19
正論ってのは大体マクロでみると正しい事なんだよな
社会の構成員全員が実践するならいいけど自分だけが実行すると損をするようなことなので
そこを無視して言われると激しく腹が立つんだ >>19
行政官では武士成り上がりとは肌が合わないわな
秀吉政権が独裁できたのは三成いたからなので、特に武功武将からは風当たり強い >>123
文禄の役で改易された豊後の大友吉統の跡に
自分の娘婿・福原長堯、妹婿・熊谷直盛らを押し込んだりしてるし
三成が清貧とは言えまい。それなりに私益も考えてるよ 忠興にとって三成は憎い敵だから
そいつが書いた説教くさい手紙なんて価値ゼロだったんだろ へうげものそのまんまのキャラっぽくて面白いなw
織部はちゃっかりしていて、三成は小うるさいw 秀吉が陽気だったてのも後世の創作によるものが大きいだろ
しかし醍醐の花見のエピソードやら天正大判配ったり家臣になった外様大名を厚遇したり他の天下人には観られない度量の大きさを感じられる要素は多い
同時に家臣に細かすぎる命令を出したりきついノルマを課したりする手紙も残っており細かい性格だった事も伺える
人間いろんな面を持っておりどちらに着目するかで陽気になったり陰気になったり脚色の仕方で描かれ方も変わるだけ 節約家でケチな忠興と正義マン三成
人間らしさが出てていいな >>146
大河にするには小物すぎる
戦国武将の伝記を読んだり信長の野望シリーズやってる俺でもへうげみるまで存在すら知らなかった武将だし >>149
ダヴィンチの戦車が出てくる段階で草全開だな
時代的にはギリでありだけど
芭蕉の句も出てきてとってもファンタジー 三成の佐和山城内に東軍が侵入したら城の外側は立派なのに内側は粗末な作りで全然財産を溜め込んでなくて略奪するものが無かったらしいな 恵まれてるって忠興って秀次に借金あって連座しそうになったラブユー貧乏ちゃうの? 昔は戦国武将で秀吉が一番人気あったけど
テレビによる秀吉下げの効果でかなり人気が落ちたな >>19
やっぱり性格が滲み出てるとしか言いようがないな
これは嫌われても仕方がない 三成ケチそうなイメージだけど
島左近に自分の俸禄の半分も出したりしてるところを見ると
結構使う時は躊躇無く金を使う人だったのかね >>6
頑張って古典漢文素読から始める
中学で古典得意で連綿体の百人一首やってたりするとかなりのアドバンテージになる >>152
架空の人物を主人公にしてその時代全体を描いた大河も過去にはあるし可能ではあるぞ。 >>159
へうげものの秀吉の最期は
今まで他作品で描かれたどの秀吉の最期よりも幸福だわ >>140
どちらも毛利系の武将だね。
ということは、すでに対家康を想定していたからねじ込んだんだろうね。 問題はNHKが新日本ハウスのCMソングを流せるかだな。
信長死亡のグロシーンもそのままやってほしい >>161
でも人望が致命的に無かった
優秀ではあったが周りの人間にとってすげー嫌な奴だったんだろうな >>3
和紙1000年、洋紙100年と言われているよ。 >>168
福原の方は播磨赤松氏の支族の出身で姫路時代の同僚になるが
熊谷のほうは吉川元春の重臣の安芸熊谷家とは直接関係ないと思われる。遠い一族の可能性はあるけど >>152
焼き物に興味あったら織部焼とか紫乃焼とかから、古田織部につながる
東京に住んでたら有楽町ってなんだよって所から有楽斎に至って利休七哲から織部は出てくる
ある程度歴史に興味あったら比較的簡単に織部に至ると思うんだが >>152
久坂の妻は大物なんですか?
まあアレは大河じゃないか 三成は秀吉から長崎にいる全キリシタンを処刑するように命じられたときに被害者を最小限に抑えるように奔走したエピソードが好き 昨今の創作大河が許されるのならば
是非とも大河化するべき作品
センゴク外伝 桶狭間戦記
へうげもの
ベルサイユの薔薇 >>173
福原も毛利家の重臣福原貞俊ら大江流毛利支族とは異なる。赤松の一族だから >>149
本当のわきゃねーぞ
漫画やアニメが史実だと思ってんのかよ >>130
炭のカーボンは自然分解されないからな
なんせ縄文時代の炭さえ発見されてんだから
アウトドアでも炭をそのまま放置するのは
自然破壊だと言われてるわ 「銭の力で戦国の世を駆け抜ける」で忠興幽斎親子が悪者にされてたな
豊久が贔屓されてた感じから、作者はドリフターズが好きなんだろうと思ったわ
あと、古田左介成分がゼロってのはいかんともしがたい >181
それ言ったらだいたいの大河は誇張し過ぎやんけ。 >>170
あくまで裏方に徹する事が出来れば良かったんだろうがね
豊臣家の環境がそれを許さなかった 会社で社長が臨時ボーナスくれた時に
「皆で飲みに行こうか!」「車の頭金にしようぜ!」とか盛り上がってる中
「よく考えて使えよ。まずは貯蓄や投資に回すべきだろ?」とか言い出すエリートをどう思う?
恐らくほとんどの社員からは好かれないし可愛がってた社長がいなくなったら排除される
どの時代でも同じだな 「刀を貸して」はへうげもののキャラと被ってちょっと笑ったw >>157
理由は違うけど秀次が連座になってしまった >>32
細川藤孝を子孫の総理大臣風に描いてあるし。 >>186
ドラマや漫画やアニメを史実だと勘違いしてる池沼なんていねーよw >>189
一言で言うと
「空気の読めない奴」
だな
そりゃ嫌われる
本人にそういう想像力が欠落していたんだろうな >>3
台紙として張り合わせてたのを剥がしたんやろ >>186
江が家康と一緒に伊賀越えしてもokって基準はあるからなw >>182
縄文遺跡が多く残る地域にある黒土は炭だって説があるな。 >>189
しかもそれを口頭で言ってくるんじゃなくて
後からメールで送ってくるタイプ
…申し訳ないけど絶対好きになれんわ 石田三成は江戸幕府がスタートしてから
治世のためのプロヴァカンダとして
「細かくてしつこい奴」と徳川に流布されたのかと思っていたが
本当にその通りの人物だったんだな >>123
だから腐敗しきった大名たちに嫌われたのかも
>>70
酷いねえ、東軍の武将たちは
だから誰一人大河の主役になれない
あ、伊達政宗以外ね へうげものの影響で細川元総理が資料を出してくれて古田が細川家から織田の
直参になったのがわかった 石田三成も小西行長もいい人なんだよね
民に好かれたし 他の家も大なり小なり色々あるけどガラシャは幽閉して関ヶ原前に死なせなあかんかったし、
前田が嫁の長男は徳川に睨まれん為に勘当。次男は大阪城に入っちゃったんで夏の陣で切腹
40万石ぐらいの殿様にはなれたけどかわいそうだね >>63
> 安倍総理のトリクルダウンを300年以上前に先取りしていた
どういう人生を歩むとそこまで頭が悪くなれるのか知りたいわ >>205
功名が辻も主役は嫁だしな
亭主はただのへつらいマン >>70
同じ武将が徳川家康にもとりなしたり命を救ってもらってるケースも多いし
結局豊臣政権末期の秀吉の暴走が致命傷だったんやろうな 石田三成って今なら一流のキャリア官僚だよね。
最高の事務次官クラス。
戦時下では秀吉軍団の兵站を一手に仕切り
秀吉の天下統一後も吏僚派で活躍。
この人に人望と求心力があれば最高のno.2なんだよな。
徳川家康に味方する武断派がいなくなるから
関ヶ原は起きてたとしても家康は勝ててないだろな。 >>219
まあ三成が表に出なくてもいいように
豊臣秀長が長生きしていたり
秀頼がもっと早くに生まれていればね >>217
石田も大久保も解る人は解ってくれるタイプ
特に大久保は薩摩での嫌われっぷりは酷い やっぱり武士だから戦で活躍させないとと思って水攻めさせたら失敗しちまった
どっかで武功があればまた違ったんだろうか >>221
でも>>1見ても人望なかったのは理解できるよね
最近三成再評価が行き過ぎて江戸時代に幕府が捻じ曲げたとか誹謗中傷されたって陰謀論も出がちだけど
やっぱ定説はそんなに間違って無かったんだなと やっぱり若い頃は清正とか正則とかにケンカではボコられてたんだろな。
でもちょっと頭使うことなら
こんなこともわからんのか君たちはとかバカにしてたんだろ。三成は。 >>223
人望がなかったのを否定したつもりはないw >>61
一次史料として残ってるもので三成と親交が深いことが分かってるのは真田信之だな
三成の信之宛の私信が14通も残されてる >>226
ID:aBLTndwW0とID:7UFGPFc70はチョンか池沼ってことだな >>222
水攻めが成功してたら長丸の武力は90代だったな 世間一般の歴史上の人物のイメージとか完全に創作物のキャライメージに引っ張られてるだろw
れいわしんせんぐみとかの名称なんてその際たるもんじゃね? >>26
正則、あんまり調子に乗ってると太閤様に叱られるぞ >>123
三成は公正無私で善政を敷いてたから
地元では好かれてたんだよな >>234
大谷との友情話も江戸時代の創作らしいし
何人も具体的に心の友とかっていたの? 織部を称してからの書状はかなり残ってるけど左介時代の書状ってほとんどないもんな
秀吉の書状にはちょこちょこ「古左」とか「左介」で登場するけど本人の書状は珍しいな >>13
質素倹約に努め得た金は強兵に費やした三成だからこそ福島や黒田らの猛攻を最後まで堪えれたんだよな 周りに口ばっかきれいごと言って自分ではできない奴が多いけど
三成は実際どんなだったんだろうな? 襖の中は古い紙を再利用したしたような紙で出来てたりする
何か面白いものが出たりしないのかな >>239
このちまちまとした地道な説教節がわりと現代人の感覚に近いからかな
戦後武将の間にいたらそりゃあ浮くわなw いま気づいたけど本能寺まえからの家臣は秀や吉の字がついてないね >>239
日本の軸を東に持って行った家康は関西人にとって怨敵で対抗した石田や真田は永遠の英雄なんよ
昭和期に司馬遼太郎が小説で磨き上げたお陰で中高年には信者化してる層も多いし
最近はゲームで現実と区別つかなくなった歴女とかも乗っかった 事実を捻じ曲げてまで貶める策謀に乗せられてる人っているよね
家康は主君の豊臣家を潰した狸といわれながら、
実は同じことをやった秀吉にはそれを言わない
秀吉の見事な宣伝が400年後いまだに効いてるように >>168
>>173
熊谷は近江出身だよ、浅井の旧臣だろうね 三成も朝鮮出兵以降は秀吉の書状に添えて出される添状(奉行として秀吉の命令を補足したりするための書状)
の数が激減してることから秀吉からも遠ざけられてたって言う研究者もいるな 忠興はケチ
いくら昔は紙が貴重だったといっても、手紙の裏を原稿用紙代わりはないだろう >>1
古田織部に業物を貸したらまともに帰ってくるとは思えない 「書物の裏」というか元々はそちらが表だったんだろうな
忠興にしてみればそれらの書状に「けっ」という感じで紙を再利用したんだろう >>202
しかし室町時代末期から始まり徳川の世で完成した統治システムをまとめ上げた立役者が石田三成でもある >>254
資料?史料じゃ無くて?
あっあと漫画は史料じゃ有りませんよ >>207
NHKの歴史番組にゲストで出た時に
大変なことになるから世に出せない書物があるって言ってたよ
細川総理が 古田織部と二人だけで秀吉から京都追放となった利休を見送ったり
死の前の利休から古田織部と二人だけ利休手づくりの茶杓を贈られる
へうげものでは血気盛んでちょっとおバカな若者って感じで描かれてたけど
仲良かったんだな古田織部と細川忠興 明智の正体とか本能寺襲う相談とか書き付け残ってるはずだぞ。 >>228
石田三成とも細川忠興とも親交があり井伊直政の大のお気に入りであり他にも仙台のアレや傾奇者とも仲が良い戦国のコミュ力モンスター真田信之 石田三成は渡した金の使い道をわざわざ文でよこすような細かくてウザいやつ
徳川家康ならそんな事はしない
後で貸しはきっちり返してもらうタイプだと思うけど >>189
まあ確かに正論吐いて嫌われるタイプではあるな
ただ忠興も忠興で数寄に金使いすぎのは事実だな >>186
フィクションなんだから面白ければOK
どこまでやるのかの閾値は監督と脚本家次第 >>189
逆やろ
自分のために貯め込むな、人に配れと三成は説いている。
正論だが、ウザい。
ついでに三成は、私財はたいして残ってなかったのはマメな 関ヶ原の三成見てると福島正則なんかには寝返り工作考えてるのに
細川だけは絶対滅ぼす、こいつだけは許さん状態になってるの面白い
忠興の三成嫌いは有名だけど三成の側もいろいろため込んでたんだろな 紙背文書のスレ
しかし昔、まあ奈良時代とか平安時代とかそういう昔なら
紙が貴重なんで裏紙使ってどうのこうのってあったろうけど
安土桃山から江戸初期にかけてですよ、細川の大物のレベルでさえ
反故紙ならぬ書状の裏側でどうのこうのって、あるんだねえ。
言うまでもなく細川忠興っていったら室町幕府の名家当代の戦闘者にして
茶人大名で道楽大名の文化人だからして、そういうところはアレだと思ったけどね。
いや、当時の感覚なんてわからないけど、大名が裏紙使うって
いかにもビンボっぽくてカッコ悪いじゃんw 保秘的にも防諜的にもよくないしさ。
書類一通が露見してエラいことになるってあるからねえ。
(どうでもいい余談の裏紙トークだけど、21世紀初頭の話だが仕事場でさ
先方が当方にFAXを送るってんで待ってたら全然違う内容の紙が来て
「なんですかこれ?」と電話したら「ごめんなさい、裏紙おくっちゃいました」とか
連絡があって「あっ・・・(察し)」とは思ったねw いろいろなことを。
現代では私家版なドラフト(草稿)とか以外に裏紙使っちゃダメだよ) 利休が号貰った頃の周辺やからまだ数寄大名として名を馳せる前か
1番ハマってた頃やろうから刀を質に入れて数寄に充てたんかな、織部
細川殿ならこの気持ち、わかってくれるはずくらいには考えてそうや >>266
三成の信之宛の書状を一通例に上げるとほんと仲良さそうなのが伝わってくる
内容もさることながら、形式張った感じではなく仮名文字が多く使われてる手紙で両者の親密度がよく分かるな
(年未詳)27日付真田信幸宛石田三成書状(真田家文書)
返々度々御こんししゆちやく仕候、尚これ御めにかゝり、申可承候、以上、
おほしめしより、度々の御礼、殊にさいさい御たつねに候つれ共、煩ゆへニ申不承候、
はや煩もよく候間、相つもる事共申可承候、度々忝く候、謹言、
廿七日 三成(花押)
さいつ(=真伊豆)様御返 石治少(=石田治部少輔)
【大意】
ご好意により度々の御礼をいただき、とりわけ何度もこちらにお越しいただいたようですが、
私が病気を患った故にお会いしてお話することも叶いませんでした。
既に病も回復し、積もる話など是非とも伺いたく思います。重々忝なく存じます。
追伸
重々度々の御懇意ありがたく思います。是非お目にかかりお話を伺いたく思います。 古田織部って
ガチで漫画のへうげものみたいな人だったのかい >>275
三成襲撃事件までは、三成と正則って表立った遺恨とか無かったらしいねえ(フィクションではハナから仇敵だったが)
家康と私婚しようとしたのを三成は問題視してたけど、正則のほうがそこまで自分を憎んでるとは思わなかったんだろうか?
ちなみに関ヶ原の直前に中村一氏が病で死去して堀尾吉晴が喧嘩で重傷負ったときは
味方の大名に「天罰じゃw」という手紙を出したりしていて、忠興に限らずいろんな大名たちをお嫌いになってたらしい三成(´・ω・`) >>275
三成の愚痴の固まりみたいな書状見たことあるよ
長々書いてるのに最後に「会ったらもっと話すから」とあってうわぁと思ったw >>275
まあ細川はガラシャ殺されてるしな
真田昌幸宛の三成書状にガラシャ生害の顛末が書いてあるけど
「長岡越中(忠興)の妻子(ガラシャ)は人質として扱うように命じていましたが、
留守居の者が(ガラシャに)自害するようにと聞き違いをして、大坂の屋敷に火をかけガラシャは相果てました」
と苦しい言い訳してるとこみると、人質作戦は三成もしくじったと思ってたんだろうな
関ヶ原合戦の8日後の9月23日に三成が捕縛された際も家康が真っ先に知らせたのが忠興で、書状には「三成が捕まってさぞあなたもご満足でしょう」と言ってる >>282
恐らく慶長5年8月6日付の真田昌幸宛の三成書状のことを言ってるんだと思うけど天罰だとは言ってないな
「吉事」とは言ってるけど >>275 くんと>>285 くんのカキコを見て思ったが
細川忠興はねえ、許さんとなったら絶許マンだからねえ。
ちょうど関ヶ原の話題が出ているけど
広義の関ヶ原の戦いにおけるひとつのポイント
父親の細川幽斎(無論東軍)がたてこもった京都舞鶴の田辺城の戦い
これね、幽斎の頭の中にだけある「古今伝授」が失われることを恐れた
時の帝の勅命講和によって開城され幽斎も無事に終わるという
意外異例の展開を見せているんだけどさ。
この攻め手の西軍・小野木重勝は戦後忠興に攻められて
助命もへったくれもなく、早々に自刃させられてるからね。
(一般論だが歴史を見ていて思うけど、仇敵を捕らえた場合は
早々に処断するのがデフォとしてもいいんだろうね。
時間がたつと有力者を介した助命勢力って絶対に出てくるわけでさ。
これは幕末の近藤勇の処断とかについても連想させられるね。
もっとも拙速な処断に対する返しとしてヒトラー暗殺未遂事件の際の
フリードリヒ・フロム大将の例もあるが)
いわんや、ガラシャの一件があればねえ
三成許すまじの主戦派にもなりますわねえ。
逸話を見ると、ともかく怒りっぽかったそうだしね、忠興。
書ならともかく茶はそう怒りっぽいとダメポな気もするけどw 忠興くんは、実の妹に顔を斬られちゃったんだよね。
スカーフェイスの美男だよ。 >>276
貧乏くささもあるけど、他人からもらった手紙を裏紙にするってのは、
失礼だという感覚はなかったんだろうか?
江戸時代以降に使ったんなら、三成も織部も反徳川の立場で斬首された身分だから、
問題なかったってことかな…? てか当時の人間は襖の下張りにした手紙がよもや400年も後に調べられて世界中に風評を広められるとか思わなかったよな >>6
国文、史学、仮名書道専攻なら偏差値40くらいの女子大生でも読める
博物館デートしたら目の前読んで解説してくれるよ >>64
俺の打った刀も良いものにござるよ
ゲヒヒヒヒ >>6
くずし字は読めなくても歴史好きで史料読む人なら翻刻は普通に読めるな
まあ微妙な表現とかも多々あって研究者でも解釈が異なることも結構あるけど >>38
身分の有る侍なのに刀貸してほしいとか、侍としてどうなのこの人 >>38
>三成の自筆の文字は黒くはっきりと記されていて、後段にいくにつれ書きたいことを詰めこむように行の間隔が狭くなっています。
絶対ウザいやつだwこれw 大名が裏紙使ってたくらいならシグルイとかいうキチガイ剣法漫画で
道場の部屋住みが紙は貴重だからと字を習うのに水で書いてたのもあながち嘘ではないということか? >>278
豊臣家
関ヶ原敗戦で結果的に豊臣家弱体化したけど >>301
歌仙兼定を佩いてカッコつけたかったのかもね なんで、漫画やらアニメの話をしたがるの?
知識の無さを露呈してますよ 推参なり黒田長政っー!不忠者細川忠興!今こそ天誅を加えん! >>307
漫画やらアニメでデフォルメされたイメージそのままの史料が出てきたからだよ >>146
平和のために茶器を集める織部とかあり得ない改変されてブーイングの嵐になるのがオチ 三成に過ぎたるものが二つあり
島の左近に佐和山の城 たまたま駅で拾った雑誌にへうげもの載ってて秀吉がパチもんの茶杓を明智にあげる回だった >>193
山ほどいる
半年くらい前には光秀が山崎の合戦後に落武者狩に遭わず逃げ延びたと思ってるのが大量発生したし
万が一そうだとしたら家臣身内が待っている坂本城に入らず一人トンズラした屑ということになるんだが、そこまで考えられないらしい >>22
財務担当は長束正家
秀吉が丹羽家から引き抜いたスーパー経理マン >>280
漫画そのものではないけど大枠は同じエピソードあったり
この手紙自体、遥かに身分が上の細川にカッコつけのために刀借りる手紙だしかなり変な人 >>280
島津家文書見ると古織が島津義弘に薩摩焼の肩衝茶入の指導してる書状が残ってるけど真面目に指導してるな
・形は良い
・釉薬の色が良くないから黒い釉薬を使うように。所々白い釉薬を散らしてもよい
・背の高さを今より少し高くするように
・尻がすぼまないように
・口と肩の部分はこのままでよい
あとこの書状で漫画でもおなじみの弟子・上田宗箇のことについても語ってて、
上田が良いと言っている焼物を見たが非常に悪い、散々な物だって言ってるのが面白い 自分の中では「へうげもの」が正史になってるのでリアルが凌駕してくると正直困る 【NHK】細川忠興の書物の裏に、金の使い道を説く石田三成や刀
https://youtu.be/rHROb8w-UH4 恵まれているやつらが使わないから日本はダメなんだよ
三成公はやはり正しかった 細川って三成嫌ってたんじゃないの?
書状残してるとか、単純に嫌いというだけの物でもなかったのかね
司馬の関ヶ原だと全く妥協の余地ない狭量なキャラだったけどw 美味しんぼで織部の名前しったな
>>146 作者がアニメの出来に激おこだったからまず無理だろ 細川家は長いよなあ。現代でも総理を出してんだからなw 石田三成は口うるさいから本能寺で殺された
明智光秀の逆鱗に触れた >>326 永青文庫を作って、伝来した名宝の散逸を防いだのもよかった。
この忠興の書物も、その一つであるけれども。 >>327
関ヶ原を起こした織田信長みたいな奴だなw >>139
秀吉存命時に徳川を潰せて無いんだから独裁でもなんでも無いよ 武将が刀を貸してくれとかwwwしかも厚かましく大きさまで指定とかw
そりゃそんな手紙は胸糞悪くて裏紙にされちまうわなw 三成別に悪いこと言ってないよな
自分でため込むだけじゃなくて
ある程度みんなにもふるまいなよって言ってるだけなのに
現代でも上級民やアマゾンやグーグルやアップルだけ儲かってて
庶民は先進国でも貧しいからな
なにも間違ってること言ってないのに嫌われるという 織部って最後はおならして家康に首を切られたんだろ? 松永久秀の手紙とかないのかな
平蜘蛛やるぐらいなら死んだ方がましみたいな 玉さんを捨てて羽柴につき
関ケ原では家康に付き
世渡りだけはうまかったな >>334
名門の出なのに随分と年下からそんな事言われたら頭にくるでしょう
しかも自分が貰った金なのにそんな指図されたら内心なんだこいつ?って思うわ 佐助時代なら忠興宛じゃなく幽斉宛のを取っておいたんじゃねーの?佐助時代でもギリ友好期間かぶるか? 忠興「説教臭くてムカつくわあ、そりゃあ清原も桑田嫌うわ」 >>340
京兆家ではない庶流なんで名門ではないけどね。京兆家が断絶しそうになって養子をもらう家としても下位
義輝の頃から担いだ相手を間違えなかったんで実績は凄いけどね >>343
京兆家も元々のし上がった庶流だから
あの混沌として安定していない時代は勢いを持てば関係なくなっていくような気も 3回失敗したら解雇みたいな感じの人。自分は無理。
短気だし、今で言うパワハラ上司系武将。有能な将だけど。 >>6
中高の古文真面目にやれば読める程度だけども >>347
どこもそうだろ
今ほど甘くねーよ
一度でもやらかしたら処罰されるから
木村吉清や佐々成政みたいに ちなみに古田織部に関しては、千利休の弟子の他に、隠れキリシタン灯篭の別名織部灯篭の元として
有名。織部の名前が、オリーブに由来することも漫画「へいげもの」にも書かれている。
当時宣教師がオリーブも日本に持ち込み、秀吉は桐の家紋をオリーブの形にしていた。
古田織部の名前も当時宣教師が学院で教えていた横笛、フラウトトラベルソの名前にかかっていて、
そのまま読むとオリーブの横笛という意味になる。 >>352
織部守→従五位下の格に準じた茶人としての官職名を秀吉が与えただけ
そもそも織部は「名前」じゃないからね
それと織部はキリシタンでもなんでもない。まさか高山右近の妻が織部の妹だと信じてるわけじゃあるまいな
中学生が喜びそうな与太話を作るのは結構だけどほんのちょっと歴史に通じてるレベルの人に笑われるものを作るのは感心せん >>343
いや名門だろ
庶流だろうがなんだろうが細川一門に変わりない 阿波細川家のそのまた支流だっけ?
立ち位置的には信長とそう対して変わらんな >>106
今の官僚なんて三成の足元にも及ばないゴミだと思うよ
私利私欲まみれやん >>346
天守でガトリングぶちまけて爆死したからな(混乱 最近歴女中心に三成崇拝の風潮が出てきたがこれもキモい 千利休の高弟はほとんどがキリシタンなんだよ。
つうか当時はキリスト教が茶道をキリスト教布教に有用だと積極的に推進したんだ。
これなんか歴史の常識じゃなかろうか。 >>319
うむ
オレの中での信長公の辞世の句は「愛よ」 >>363
初報以来音沙汰無しだがそれでいい
どうせロクでもないオナニー作品にしかならなかった >>364
漫画でしか表現出来ん作風を実写化するとか馬鹿極まりないわな
アニメですらそこそこ酷かったのに もともと戦国武将の人気は秀吉が圧倒的で信長なんて大した人気なかったのに
昨今の信長崇拝の傾向はウザい >>357
マトモすぎて自殺するような官僚だって居ると思いたい >>367
マトモな奴は脱落させられる
「仲間に入りたかったら○○やって共犯者になれ」
って世界ぞ 光秀のスマホ(1)「#これからは信長の時代でしょ」[字]
9/19 (日) 23:45 前川みたいな私利私欲の悪徳官僚ばかりだからな、比較したら三成さんに失礼なレベル >>140
一次史料からだと福原長堯や熊谷直盛らの加増について実は三成は蚊帳の外だったことが分かる
三成の縁戚だったから彼らは贔屓されたんだと通説ではよく言われるが、
慶長3年5月2日に秀吉の御前で行われた福原らの加増の協議の際に三成は不在で参加してない(慶長3年5月3日付石田三成宛福原長堯書状)
そして加増は増田長盛・長束正家・浅野長政・前田玄以主導で決定したことだと言ってる(慶長3年5月26日付島津義弘・忠恒宛福原長堯・垣見一直・熊谷直盛連署状)
※括弧内はソースとなる史料
史料からだと福原らの加増について三成が関与していたことは伺えない
まあ三成に近しい人の書状しかないというのも事実で、やはり三成が絡んでたと言う人もいるけどね 細川忠興ってモラハラ・パワハラの権化で好きじゃないな >>375
関ヶ原後の加増で国替の時に黒田が細川が入部する豊前の年貢持ち逃げしてるからな
元はと言えば小早川秀秋が黒田が入部する筑前の年貢持ち逃げしてるのが悪いんだけど 忠興はフロイスの手記からも性格がヤバそうなのが書いてあるが
一層の磨きがかかったきっかけは島津攻めを境にしたあたりから。 忠興の性格ヤバイのはいくつもの史料にww
少し良い所もあるなと思ったのが
敵城の守将が銀千代と知って「怖い怖い」と言いながら進軍止めた話くらい はじめまして、石田三成です
同姓同名で迷惑してます
何が質問ありますか? 裏紙に使う程度に二人を軽んじててその関係性が伺える >>257
えー、ずるーい
古墳じゃ無いんだし、出すべき >>385
明智光秀さんと間違われることはありますか? >>388
ないです
中学の時に給食の味噌汁に鼻水入れられて飲めと虐められました…石田三成なりなら飲むんだよ!と >>389
鼻水は痰に悪いといって断らなかったのか? >>385
「なぜ一成と名付けてくれなかったんだ!」と親を責めたことはありますか? >>390
朝学校に行ったら机に柿が置かれてた事があった。とりあえずもらっておいた。
味噌汁は先生に言って捨てたら学級会議になって何故か俺が泣いてみんなの前で謝るハメになった。
>>391
ない。おれは石田三成を誇りに思う。天下人徳川家康をあそこまで追い詰めた武将はいないから。徳川家康が人生で1番苦戦して死を感じたのが関ヶ原の戦いですからね。天下は取れなかったけど天下人を一番追い詰めた男なので。 >>334
正しけりゃ支持されて誰もが付いてくる正義!とは違うんだって。
「へうげもの」でも周囲から
「言い方に気を付けなされ」
「人情というものも解しなされ」
「相手の面目も立つ言い方を考えなされ」等々の忠告を受けてたのに耳を傘ズ >忠興に「自分たちは恵まれているのだから、金をため込むのではなく周りに配るよう」説いていて
経済活性化のような事を言ってたのかね
でも三成は武断派から集団暗殺されにくるほどに嫌われてたんだよな
晩年秀吉に重用されるほど有能だったんだけど
相手の気持ちの事も考えずに空気が読めなかったんだろう
アスペルガー濃厚説
アスペルガー症候群 他の人と話しているときに自分のことばかり話してしまって、
相手の人にはっきりと「もう終わりにしてください」と言われないと、止まらないことがよくあります。
周りの人から、「相手の気持ちが分からない、自分勝手でわがままな子」と言われてしまいます。 石田三成は今の時代にあってる
土方歳三と並んで腐に人気出そうだ >>1
石田三成の書状では、秀吉から受け取った金の使いみちについて忠興に「自分たちは恵まれているのだから、金をため込むのではなく周りに配るよう」説いていて 京都奉行に任じられ、秀吉の命令でキリシタン弾圧を命じられている。 ただし、三成はこの時に捕らえるキリシタンの数を極力減らしたり、秀吉の怒りを宥めて信徒たちが処刑されないように奔走したりするなどの情誼を見せたという 三成は堅物すぎたんだよ
もっと柔軟性があったら関ヶ原も違う結果だっただろうね 翌慶長4年(1599年)初頭、家康による縁組計画が発覚する。 これを文禄4年(1595年)8月に作られた「御掟」における大名間の私的婚姻の禁止条項に違反する行為であるとして、前田利家を中心とする諸大名から家康弾劾の動きが起こる。 四大老五奉行による問責使が家康に送られる一方、家康も国許から兵を呼び寄せるなど対立は先鋭化する (1599年)11月には家康暗殺計画への関与を疑われた前田利長が、父・利家から引き継いでいた大老の地位を事実上失い、浅野長政も奉行職を解かれ領国の甲斐国に蟄居となる。これによって五大老五奉行は四大老三奉行となり、以降、豊臣政権内部の主導権は家康が握る。 七月晦日付真田昌幸宛三成書状には「三成からの使者を昌幸の方から確かな警護を付けて、沼田越に会津へ送り届けて欲しい」(真田宝物館所蔵文書) >>222
水攻めは失敗ではないよ
忍城陥落するまえに小田原が降伏しちゃっただけ 浅野長政は秀次事件で失脚するまで東国諸大名に対して三成を上回る大きな影響力を有し、朝廷や京周辺の寺社との交渉は主に前田玄以が務めていた
奉行衆と家康および他の大老との間で交わされた起請文の条項によって、奉行の政治的権限は五大老、中でも家康の影響力を抑止する方向で強化されてゆく。
これに対抗する家康と、現体制を保持しようとする奉行衆との対立関係 >>335
漫画では脱糞した瞬間ヤスが刃を降ろしたところで
次の最終回へ 関わってきた人々のいまわの際に
思い出として数々現れる姿はみせぬが
それから50年後まで生きて最後は南の島まで行ったかのような
印象を与えて終わる >>332
これなー
朝鮮に徳川駆り出しとけばそれなりに国力削れたろうになんで出さなかったんだろ
旗印として諸将の拠り所になるの嫌がったんだろうか >>408
黒田如水すら朝鮮の役は「自分か徳川が行かなきゃ勝てない」と言ってたわけだから
逆に言えば徳川が行けば勝ってしまう=更に功を挙げてしまうって認識だったんだろうね 昔は紙が高価で貴重だから裏紙にして再利用してたんじゃないの? >>329
ショーグンとなったタケダ=シンゲンはキョートに幕府を開いた >>275
大河でも不忠もの細川忠興と叫んでたからな 細川忠興 役
石田信之「国盗り物語」(1973・NHK)
柴田p彦「黄金の日日」(1978・NHK)
谷岡弘規「おんな太閤記」(1981・NHK)
竹脇無我「関ヶ原」(1981・TBS)
松橋 登「魔界転生」(1981・東映)
岩下 浩「徳川家康」(1983・NHK)
信達谷圭「春日局」(1989・NHK)
今井耕二「本覚坊遺文 千利休」(1989・東宝)
中村橋之助「利休」(1989・松竹)
夏八木勲「巌流島 小次郎と武蔵」(1992・NHK)
山本 圭「豪姫」(1992・松竹)
小林秀樹「信長」(1992・NHK)
小林滋央「秀吉」(1996・NHK)
佐々木功「葵 徳川三代」(2000・NHK)
黄川田将也「利家とまつ 加賀百万石物語」(2002・NHK)
夏八木勲「武蔵 MUSASHI」(2003・NHK)
猪野 学「功名が辻」(2006・NHK)
内倉憲二「江 姫たちの戦国」(2011・NHK)
袴田吉彦「利休にたずねよ」(2013・東映)
丸 一太「軍師官兵衛」(2014・NHK)
矢柴俊博「真田丸」(2016・NHK)
関口晴雄「関ヶ原」(2017・東宝)
望月 歩「麒麟がくる」(2020・NHK) >>419 なにげにちょこちょこ出てくるんだな。(´・ω・`) 藤孝は何で明智の味方をしなかったんだろうな
裏切り者が >>422
滅びゆく者に手は貸したくなかったんだろ、頭がいいから自制も効いた >>106
忠義の臣と日本人の敵であるゴキブリ官僚を一緒にすべきではない >>422
裏切り者に付き合って一緒に裏切りをしない事を裏切りとは言いません >>422
幽斎は全ての選択を間違えずに家を残すことに成功したんだから裏切り者どころか超有能だろ
義昭から信長→光秀から秀吉→秀吉(秀頼)から家康 この時代よりも前の南北朝とかの時代のだけど漢文自体難しくて読み書きできる人も少なく
文法とか色々間違っているものも多いが紙の質や名前の大きさ位置とかで評価や重要度を
判断してたとかU字工事のローカル番組で見たな、内容そのものは口頭でも伝えられるので
問題ないとか 熊本に転封した後、
一度養子をはさんでいるから、
細川護熙とかがガラシャの血をひいていないことを知ってがっかり。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています