>>813 > 「闕史八代」//
  そっち、及び神武は、邪馬台国とはあんまり関係ありません。

>>739
> 箸墓古墳が最初の大型前方後円墳。つまり大王と呼べるレベルの最初の人間の墳墓。
そうするとミマキイリヒコ(崇神)という推理が素直//

張政が来た時点での径100歩の墳墓は箸墓だけだったのだから、
箸墓が卑弥呼墓だったのは確定事項です。つまり、
大王と呼べるレベルの最初の人間は卑弥呼だった、という事になります。

なお私は、崇神の実在、及び彼が卑弥呼後に重要な役割を果たした事は疑いませんが、
その即位は疑問と考えています。
何故だかかけ離れてワケなんて名前の、オシロワケなる12代の景行が、初代なんだと思う。

>>814 > 神武から応神までが実は同一人物だったら//

ヤマトタケルと仲哀から仁徳までが同一人物なのでわ?
辺境進出はヤマトタケルに振り分けられ、半島政策は神功に振り分けられ、
それなりに行ったであろう内政については仁徳に振り分けら、
名前(誉田ワケ)は応神に振り分けられた。
で、彼に残されたのは、帯中日子という実体のない名前と、何だかマヌケな説話だけになった。

好太王碑文によれば、404年に日本は半島で惨敗を喫した様です。
この時の大王が仲哀だったのでは。一種のトラウマな大王だった事になる。

倭王武(雄略)の上表に出てくる「祖禰」って、
躬擐甲冑,跋涉山川,不遑寧處。東征毛人五十五國,西服眾夷六十六國,渡平海北九十五國
なんて書かれてますが、これって仲哀の事なんだと思う。
まぁ、「渡平海北九十五國」は、話を盛り過ぎですけどね。

倭五王だって、「祖禰」が仲哀で、応神と仁徳を無視すれば、
讃/履中  ・ 珍/反正 ・ 済/允恭 ・ 興/安康 ・ 武/雄略 と、スッキリするし。

景行(忍代別)、仲哀/応神/仁徳(誉田別)、履中(去来穂別)、反正(瑞歯別)のワケ系統も、
何だかスッキリだし。まぁ、成務(稚足彦)は行き場にチト困るけどね。

>>820 > 日本書記を否定しないとはじまらないのが//
  妄信する訳には遺憾だろ。