愛新覚羅浩「流転の王妃の昭和史」に描かれた満州国の実態
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 宮内府には、建国の初期、宮内省から選ばれて入江、加藤の両氏が来満されていました。
お二人は、天皇陛下の「皇帝に仕えることはすなわち朕に仕えるのと同じである」という
お言葉に従い、風格ある宮内府を作りあげようと尽力されましたが、ことごとく関東軍の
干渉にあって、とうとう志を遂げず帰国されました。この間、宮内府のなかで、皇帝の御
内帑金百万円が日本人の手によって紛失するという不祥事件もあったそうです。調べてみ
ると、日本政府の政治資金に流用されており、関東軍の圧力でこの調査もウヤムヤになっ
てしまいました。
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 あるとき、宮内府につとめる日本人の女性が泣きながら、私にこう訴えました。その話
では吉岡御用掛が衆人の面前で、「皇帝なんて、可哀想なもんさ。身寄りもなし、後嗣ぎ
もなし、わしが世話してやらにゃ、どうにもなりゃせん。うん、まあ早い話、わしの子供
のようなものさ」
と言い放って、笑いとばしているというのです。
「馬鹿にするにも、ほどがあります。皇帝陛下に対する、なんという侮辱でしょうか。し
かもそれを、満人の召使いたちの前で言うのですから。わたしは腹が立って、腹が立って
……。それで、閣下、お言葉が過ぎはしませんか、と言いましたら、ほう、貴様は満人び
いきか、それならいつでも首にしてやるぞ、とおどかすのです……」
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 私はよく、満人の召使いがこぼすのを耳にしました。
「どうして、日本人、満人いじめるのか?」
「日本人、満人憎いあるか? 満人、なにもしない。日本人、国とった、言葉とった、で
きるもの皆とった。それでまだ、文句あるか?」
 私は恥ずかしさのあまり、ただ黙り込むしかありませんでした。
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「われわれは宣統帝が満州で即位されるときき、私財と兵をなげうって日本軍に協力して
きた。しかし、この態はなんだ。皇帝はあってなきがごとしで、われわれは日本の奴隷同
然ではないか」
 そう言って、大臣の椅子を捨てて北京に帰られた方もありました。