>>83の続き

リットン報告書に対する日本側の反論を書いたのは、英国の国際法の権威トマス・バティ
(1916年日本国外務省の法律顧問就任、1928年より日本外務省職員)

国際連盟は日本国と満州国の反論で満州国を認めるしかなかった。
満州国の反論は建国と同時に満州国顧問に就任したジョージ・ブロンソン・レーが関わっていただろう。
(レーは清国の歴史と当時の中国のおける政治に精通しているアメリカ人)

国際連盟は日本の反論について討議せず、また満州国が出した陳述書は非公開としてしまった。
日本側は何度も満州国の陳述書を加盟国に配布するよう求めたが拒否された。
まさに「問答無用」とばかりに一方的な態度で満州国を認めなかった。
これは裁判で例えると、検察側(リットン調査団)の冒頭陳述のみで即座に判決(国連裁決)を
出すようなもの。
この不当な行為により日本は国際連盟を脱退した。

では満州国の主張とはなにか?それは満州国顧問だったレーが書いた「満州国出現の合理性」に書いてある。
それを軸にして満州国建国の正当性を明らかにしていく。

・・・続く