【福岡】「倭の中にあった邪馬台国も当然、九州だった」 邪馬台国「筑紫平野連合説」三部作完結…小郡の専門家、10年かけまとめる ★3 [樽悶★]
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三部作を手に研究への意欲を見せる片岡さん
https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/02/20220201-OYTNI50031-1.jpg
邪馬台国は、福岡、佐賀両県にまたがる筑紫平野の複数のクニで形成していた――。そんな「筑紫平野連合説」を唱えて、注目を集めている小郡市埋蔵文化財調査センターの片岡宏二所長(65)が、自説をまとめた著書の三部作を完結させた。片岡さんは三部作を通じて、「近代国家の先入観にとらわれず、多くの人に邪馬台国を考えてもらいたい」と話している。
中国の歴史書「魏志倭人伝」によると、邪馬台国の女王卑弥呼は「共立」されたと表現されている。片岡さんは、この記述に基づき、「卑弥呼は、近畿地方の強大な勢力の女王ではなく、筑紫平野の複数のクニが共に擁立した」という筑紫平野連合説を提唱。最近の邪馬台国九州説の代表的論客となっている。
三部作は「邪馬台国論争の新視点」と題したシリーズで、2011年に副題「遺跡が示す九州説」、19年に同「倭人伝が語る九州説」と続編を刊行。昨年、新刊として副題「東アジアからみた九州説」を刊行し、三部作を完結させた。
新刊(194ページ)では、邪馬台国と「ヤマト王権」は、別勢力だったとする江戸時代からの説を紹介。
中国の史書に書かれた「倭」は「日本人が決めた領域ではなく、中国が認識した場所で、その範囲は当初は玄界灘周辺にとどまった」と指摘。後に熊本県の菊池平野、熊本平野まで入ったものの、近畿地方までは含まれず、「倭の中にあった邪馬台国も当然、九州だった」と考察した。
「南北朝時代にさえ、明国は、九州を制圧した南朝の懐良親王を『日本国王』と呼んだ」とし、「中国から見れば、九州の勢力を『倭の統一政権』と判断することがあり得た」と説明している。
片岡さんは、邪馬台国を特集した昨年12月のテレビ番組で、久留米市出身の歌手藤井フミヤさんを案内。朝倉市の平塚川添遺跡や卑弥呼の墓の可能性があるという久留米市内の祇園山古墳を巡るなど、九州説の紹介に力を入れている。
片岡さんは「小さなクニが協調して女王を立てた国のあり方を、現代や将来の国のあり方を考える参考にしてほしい」と期待を込める。
2022/02/02 05:00
https://www.yomiuri.co.jp/local/fukuoka/news/20220201-OYTNT50099/
★1:2022/02/03(木) 23:04:25.32
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1643949227/ こういう中東人がよく着てる詰襟のベストかっけーと思うんだけどどうよ?
http://i.imgur.com/Dgio2QW.jpg 邪馬台国九州説は、江戸時代に提唱された比較的新しい説で、
その根本には、神の子孫である天皇が、他国へ朝貢していた事実は認め難いという、
皇室に対する忖度が発端にある。 子供の頃からずっと畿内説を信じていた哀れな信者の畿内説根拠をご覧ください
※ちなみにこの人は福岡にも山門(ヤマト)という地名があるのをしりませんw
991 ニューノーマルの名無しさん [sage] 2022/02/05(土) 00:36:23.48 ID:o5c1mDTV0
YAMATAI
YAMATO
国名が似ていることなども考えても
また、実際のところ、魏志倭人伝の記述に合致するだけのもの
二世紀の巨大古墳や環濠を巡らす集落などの遺跡が発見されているのは
畿内だけであることなど考えても
邪馬台国が畿内にあったことは間違いないと思うがね
ただ、邪馬台国の政権がいまの天皇家に繋がる政権であるかどうかまでは
確認の取りようが無いな
とりあえず。崇神天皇の叔母のヤマトトモモソ姫が卑弥呼であるとの説があることは
述べておきますが ★[神武東征](〜300年)
筑前(1年) → 安芸(7年) → 吉備(8年) → 畿内
↑
豊前
↑
日向 日本という国は劣った土着民を韓半島から来た優秀な人間が支配して出来た国
だから初期の支配圏九州なのは当たり前
その支配者も韓半島から追い出された弱い氏族なんだがなw 神武天皇の正体も九州王国の当方制圧軍が土着して子孫が九州より強くなった
って可能性もあるね 日本に卑弥呼も邪馬台国も痕跡が残ってないのは何故なんだぜ ただの九州の豪族だからな
日本代表のふりをしてただけ >>973もしやあの本を書いた方?知覧の方かしら? >>3
縄文人の第一波は、"歩来人"w
氷河期に大陸から歩いて地続きの樺太北海道に入った。
本州以南には船で"渡来"。
次に氷河期が終り水没した東南亜細亜スンダランドから
船で"渡来"したのが縄文人の第二波。
この両集団が列島で混血したのが縄文人。
一方、半島で、北方言語を話していた華北系遺伝集団と
スンダランド人が混血したのが、弥生人。
この両言語の出会いで日本語が出来た。
後世、この弥生人が日本語を携え大挙して列島に"渡来"した。
てことで、日本には、北海道を除き"渡来人"しか居ない。 参問倭地、絶在海中洲㠀之上、或絶或連、周旋可五千餘里。
これ明らかに九州を指してるんよな
少なくとも聞かれた倭人は倭の地を九州だと認識してる 卑弥呼の屋敷の風よけが決め手になるんじゃないか
平坦地や内陸部ではないな
海に面した高台で台風の通り道だった地方だろう >>13
もし大和朝廷の前身が邪馬台国だったら
絶対書物に書き記すよね。
それがないということは・・・ >>17
ふりじゃなくて、漢への朝貢(配下の奴国の名で)を握り、
漢の権威を背景に列島の覇権を握ったのが邪馬台だわ。
漢末の頃には、もう列島の歴史的権威となっていた。
その邪馬台を破って列島の支配を確立したのが
奈良の大倭(ダイワ)だ。
4世紀に邪馬台(やまと)を滅ぼしその権威を継いで
"大倭(やまと)"と名乗る様になる。 お前ら本の話してやれよ
このお爺ちゃんの人生をかけた集大成やぞ >>18
前スレの>>973ですが違います
ついでに新スレにも貼って寝ようかな
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷(改)
日向国風土記逸文(713、引用は釋日本紀1275-1301、萬葉集註釋1269)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。
本当に原本にあったか?というか500年以上たって元ネタはなんだ)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) 畿内説と違って九州説の邪馬台国候補地があちこちにあって(10ヶ所以上あるよね)絞り込めないのは邪馬台国と関連付ける有力なものがないから 卑弥呼は占い師だからな
良く当ててたんだろう
九州にそういう伝統がある地域はどこだ?
そういう地域があるか? 九州説はほとんど願望
まともな学者なら九州説は唱えない >懐良親王
この件は南朝に正当性を認めていたからじゃね?
大義名分論というか。 環濠はあるよwそりゃ。
古墳はないよ、古墳時代はまだ来てない頃だから。 当時、中国から来た人の記録によれば東北地方も邪馬台国じゃないか
ただし北海道は邪馬台国に含まれない
邪馬台国各地に監督人(知事)を置いていたとあるじゃないか >>38
だが、そんなありえないはずの時代に古墳があったら……
コーフンするよね!! 人は記憶型と思考型に大別できる
今現在でも国を表す読みとして使われてる「わ」「にほん」「やまと」
なんで複数あるねん
こんな感じかな
「やまと」の者たちが、
「ひのもと」を建国し、
「わ」全域を支配した >>5
なぜ魏の後ろ盾が欲しかったのか?
を考えれば邪馬台国が九州の一部族だと言うのが筋が通るんだよね
大和朝廷が外敵が居ないのに魏の後ろ盾を欲する意味が無い訳で 九州か沖縄かパプアニューギニアしかないわ
なんで奈良にあるんだw >>31
邪馬
狗奴
隼人
熊襲
とか部族名に畜生名を入れるのは九州の特色なんだよねぇ 皇帝の下の位が王
なぜ邪馬台国は魏の皇帝に貢ぎ物を贈って倭の王に任命して貰ったのか?
つまり邪馬台国の敵対部族に対する大義名分と後ろ盾が欲しかったからだよね
大和朝廷には不要な行為 ノストラダムスの大予言同様読み手の好きなように
解釈してたらいいじゃん
そもそも伝聞(又聞き)を参考にしたフィクション 方向と距離が全く違う畿内説より九州説を支持してるけど
どっちもどっちで痛いな どうしても九州以外にしたい気持ちはわかるんだけど
九州説が一番新しいとんでも説みたいに
あからさまな嘘ついて度外視しようとするのやめような ルイスソテロとドンロドリゴの書簡が存在するのに
それが安土桃山時代とか、ちょっと勉強すれば
首を傾げる話を得意気にするのが日本史でしょ? 纏向遺跡の出土品を見れば当時の畿内の文化は相当低レベルと分かるじゃ無いか
邪馬台国畿内説とか寝言は寝て言えと言いたい それが歴史捏造どころか、ハセ○ラ家の当主まで殺されたり
諸々の殺傷事件に発展するんだから噴飯の大馬鹿だな 松田毅一はルイスソテロをホラ吹き認定したのに
肝心のその書簡は時代を偽るんだろ?
話が支離滅裂で突っ込んだら顔真っ赤だろうな。 >>49
魏志倭人伝だと畿内説も九州説もどっちも当てはまらないんだから参考にならない(ノストラダムスの大予言張りに好き勝手に解釈してここだと言う人がいるけど)
だから考古学を取り入れだした
そして考古学を元にして畿内説有力の現在に至る 知 っ て た
そもそも、対馬から奴国まで6国程度で
すでに30国のうち1/5消費してんのに
畿内だったら西日本全域で30国とか少なすぎなんすけどw 支離滅裂なのは都合悪くて二転三転した証拠だよな。
書簡の存在を公表し、それに基づく学説を提唱。
→アホウヨの都合で怒られる。
→書簡は公表済みで誤魔化し利かないため、時代だけでも捏造。
→中身についても背景を作文して作者をホラ吹き扱い。
日本史って勉強する価値あるのかな? 卑弥呼は三十余国から構成されていた邪馬台国の盟主であり三十余国の範囲を
知る事が非常に重要となる、当時の国は現在の市町村程度の面積なので
どう考えても北部九州内に完全に収まってしまう。どういう思考法をすれば
畿内説など思いつくのか頭の中をかち割って調べたい >>27
いや魏志倭人伝で書かれた物の出土は九州は
それなりに多い
奈良は鉄器から絹から何から何まで出てこない
結果、九州のどこかで寒冷な時代だったから
それでも邪馬台国は豊かだとされているから
宮崎とかでもあり得る
対馬や壱岐でも米が取れにくい寒冷さだったと
されているからもっと寒く弥生時代の鉄器の鍬
も出てこない九州以北は100%無い 九州に有力なものが出てくりゃ学会も九州説になびくだろうよ
今のところそんなものは出てこないから畿内説に傾いたまま 女王連合なんだから
畿内みたいに一国が強いみたいなワケないって
昨年の邪馬台国の正月番組で専門家言ってたよw >>61
金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡があるけど奈良の人達がインチキ扱いしようとして必死だって聞いた どこでもいいどうせ朝鮮渡来系の酋長が支配したからね 三國志の中の一節の邪馬台国の記述だろ
三國志がすべて事実真実だと思ってる
お花畑考古学者っているんかね >>22
そのへんの書物は乙巳の変で蘇我入鹿と一緒に焼けたよ 大和朝廷は日向から東征して橿原に都を築いた政権だから
邪馬台国が筑紫なら天皇家とは無関係だね。 最近の教科書は畿内説有力だけでなく
邪馬台国のふりがなに「やまとこく」と書いてあったりする
一応、畿内説にも九州説にもヤマトとの連続説と非連続説がある >>13
卑弥呼=日巫女って太陽神 天照大神ではないの?
だとしたら神武天皇の先祖として記紀に記されてる。
あと日向高千穂にいくつか天孫の史跡があるよ。
邪馬台国と同じか敵対勢力かは不明だけど。 一般人からしたらもうどうでもいいだろ
近畿だけど別に九州でもかまわんわ
これだけ割れてると、そもそも邪馬台国とはなんぞや?って話になるのに気付けよ馬鹿学者共
研究費欲しさに日本の歴史をぐちゃぐちゃにすんなよ 邪馬台国なんかどうでもいい
孝明天皇の次男のリアル祐宮睦仁親王の墓はどこにあるんだよ
ちゃんと供養しないとかわいそうだろう 真の愛国者は内紛に巻き込まれて亡くなっているだろうから真相は闇の中だよ
仕方ないね >>62
それまさに>>1の先生じゃないのか
女王国は九州の小さなクニの連合説 魏志倭人伝なんざ
ただのファンタジーだっつの
比較対象する文献がないもんを
なんで無条件で信じるの? >>65
そうなら、古事記や日本書紀にそう書いてたが
書いてないから違う >>76
中国文化では歴史は権力者が恣意的に作るもの。
邪馬台国に関する記述がある『三国志』も同じだよ。
そこを否定するのは東洋の歴史全体を否定するに等しい。 >>46
「邪馬」なんてものは中国人の考えた当て字だよ
日本人が中国語でそのように名乗った証拠などない
そもそも当時に日本人は漢字など知ってたのか? 佐賀の吉野ヶ里遺跡もかなりの規模、ああいうのが北部九州に点在してて卑弥呼は今の朝倉市に居た、という説に一票 小郡市に九州歴史資料館ってのがある、ウチの近所、素晴らしい建物だよ、皇居みたいな巨大な屋根
たぶん九州説を本決まりにして、その拠点にしたいんじゃ 邪馬壹国 (やまいちこく)がなぜ
邪馬台国( やまたいこく)になったのか
まずここからがおかしい >>79
だから否定するって言ってんだってばw
少なくともあっちとこっち
比較衡量できない時代の文献はね
極端な話
魏志倭人伝が陳寿のちょっとした息抜きの
ファンタジー小説だったらどうすんの?
まぁ百歩譲って参考にするのは良いけど
証明できない不確かなもんを全部正しいと受け入れて
そこに立脚するのは
学問じゃないよ
それは強いて言えば宗教 これ地方の振興と結びつき観光産業と結びつき
ということはいつもの間にか既得権益になってるんだよな
人間って罪深いよな >>33
>>35
卑弥呼が亡くなった後に娘が後を継いだが能力がなかったために邪馬台国は滅びたんだろ
娘と言っても実子ではなく養女だったから卑弥呼と同様な仕事は出来なかった
この当時は卑弥呼の能力が国をまとめていたんだ
卑弥呼の前は各地の豪族が覇権争いをしていたんだろ >>86
陳寿の思惑なんて関係ない。
『三国志』の裏付けは正史と認めた唐王朝の権力であり
中国において歴史を創作する権利を独占してきた儒教の権威だ。
君は馬鹿の語源を知らないのかね?
権力者が鹿の絵を馬だと言えば馬なんだよ。
鹿の絵は鹿の絵だと言った愚か者は族滅されるのが中華文明の中華たるゆえん。 >>92
中華帝国内の歴史認識なんて
どうだっていいんだってば…
噛み合わないね
魏志倭人伝の記述が事実かどうか
多方面から比較して確かめる術がない以上
それに立脚してあーだこーだ言っても
始まらないでしょって言ってるの >>1
> 新刊(194ページ)では、邪馬台国と「ヤマト王権」は、別勢力だったとする江戸時代からの説を紹介。
なぜこの人たちは「ヤマト」と「ヤマタイ」の音の酷似を無視するのだろう
しかも文字を持たない使者が発した国名を魏の役人が聞き取って表記したのが「邪馬台」なのに 邪馬台国が九州オンリーな国だったら中国から遠路はるばる来た人は気にもかけなかっただろうな
九州から東北まで1つにまとまった国だったから中国の文献に記録された
思うに女王国があったのは九州でも畿内でもなくもっと東だよ
身寄りのない婆さんに立派な墓が作られるわけがなく貢がれ物は生前に全部持ち出されているかもな >>93
邪馬台国東遷説だな
神武天皇東遷神話の元ネタになってると >>94
日本の歴史だって同じだぞ?
記紀は天皇家の正統性を補強するために
吾妻鏡は鎌倉幕府を権威づけるために作られた。
ってか君は日本が中華文化圏だという厳然たる事実を無視するのかね? 九州説は「水行十日陸行一月」の説明が苦しいね
方角や距離はともかく、さすがに日数は間違えないだろう もう学問じゃなくて
おらが地域に邪馬台国をってなってるよな
結果と願望ありきで
それを立証したいだけの学問
半島さんと何が違うの? そもそも魏史倭人伝の信憑性が無いから邪馬台国は日本に存在しなかった説を唱える。
未だに日本=倭という証明が出来る出土品が金印しかないじゃないか。 新しい証拠がでたわけでもなく、
妄想してみました、な内容に
意味なんてねーよw 千何百年も前の中国の資料に
どれだけの信憑性があるのか
現地掘るしかなくね 卑弥呼が魏に使いを送った年である景初三年の銘が入った三角縁神獣鏡が発見されてることからすると
やっぱりこの年は日本にとって特別な年なんだろう >>44,47
アホか
藤原道真の頃まで遣隋使遣唐使派遣して貢物してたわ 張政がわざわざそんなに奥地まで行くわけがないでしょう >>28
洛陽から帯方郡は5000里
で届くか?胡散臭い短里だろー >>112
霊場とか修験場 邪馬台国はそういう所
でもある。行くわけがない。
卑弥呼・壹與が共立され九州の地へ チャイナマネーで世界遺産になったんだからそこらへんで満足したまえよ 気象学で言えば邪馬台国の時代は小氷河期で気温が低かった
米の栽培に適した土地は九州以南となる >>多くの人に邪馬台国を考えてもらいたい
こういう言葉に現れてるように事実をみつけるとか発見するとかいうスタンスではない
フィクションとして邪馬台国を捉えてみんなで自由に妄想してみようというのが日本人のスタンスだ
人類史からみると邪馬台国などというのはつい最近のことだ
世界の歴史をみれば精細に記録が残ってる時代のものだ
日本はそれがない
だからみんなで想像してフィクションをみんなで創り上げようというムーブメントが邪馬台国論争だ
これ意味があるのか?
こんな世界的にも新しい時代の歴史をみんなで想像してフィクションを組み立てようなどというのはだめなんじゃないのか? 江戸時代からブームが始まったらしいよ
畿内中心の日本ではアホらしくて相手にもされないブームだね 畿内から都を移すべきでは無かったのにな。
まぁ 文化庁の移転は支持する。 そうだね
おたくらの妄想のお花畑に
邪馬台国とやらはあるな ケーケケケ 悩め悩め悩み狂え(笑)
さてと出掛けるか 大事なコンパクトを忘れないようにしなきゃ☆ 明治維新以降の日本も薩長系統だから
結局日本は九州に帰結してるのが面白い >>60
奈良は鉄器から絹から何から何まで出てこない
鉄器は、出るんだよ。古墳からね。
宗教地である。野ざらしにしないだけだな。
まあ、鉄、絹は決めてにならない。
丹、真珠も含めないとね。 そもそも本当に邪馬台国ってあったんだろうか
創作の可能性はないのか 奈良の古墳は陵墓に指定されて自由に発掘できないのが多いけど
箸墓古墳の後円部を掘ってみたら卑弥呼が魏からもらった鏡とか出てくるかもしれない 奈良県も邪馬台国の一部
近畿一帯が邪馬台国
7万戸と見積もる >>80
邪馬台国=邪魔大国=邪魔台湾国
つまり中国にとって邪馬台国は台湾 >>63
//www.nishinippon.co.jp/item/n/574905/>>63 >>103
志賀島の金印も彫り方から見ると当時のものとは思えない代物らしい 九州に出土品が多いのは日本に入荷すると直ちに略奪されて中央(女王国)まで届かなかったからかもな
財宝が相手へ確実に届きその住所に保存されていると思うな そもそも邪馬台国が日本だと
なんで勘違いした?
中国にとって邪馬台国=邪魔台国は
台湾国でしょ
こんな簡単な事なんで理解出来ないかな 九州勢力って何時まで続いたんだろうな。俺は室町時代前期辺りまでだというトンでも仮設を
考えてるんだがw アホの日本人がどう思うかに関係なく。 魏志倭人伝自体がガリバー旅行記みたいなもんでしょw >>136
近畿説では本物と見ている
返却途中で何かあったんだろう。
移動できるもんだからそこにあるだけでは
伊都国とは断定できない。
似たようなもんが出ればエセかもな。 北九州から水行30日ほどで到着するなら邪馬台って畿内あたりで間違いなくね?
陸行の1月は1日を書き間違えだろ 【張政】帯方郡太守王頎の部下。
正始8年(247年)に邪馬台国が狗奴国と紛争になった際、和睦を促すために魏から派遣された。
この時期卑弥呼の後継者争いに巻き込まれ、20年近くを邪馬台国で過ごして泰始2年(266年)に帰国したとされる
つまり狗奴国の隣が邪馬台国
狗奴国の場所が分かれば邪馬台国も分かるよね
異論は認める 糸島半島、平原古墳が卑弥呼の墓
卑弥呼は、日ノ御子ヒノミコという宗教的な尊称
太陽神信仰
近畿大和政権の天照皇大神=卑弥呼 >>143
陸行の1月
近畿周回にかかるのに一月かもな。
日数でもない里数でもない。
まあ、投馬国、邪馬台国は行っていない >>144
20年近くを邪馬台国で過ごした記載はない。 邪馬台国=大和
卑弥呼=日巫女=アマテラス
とミスリードされるように記紀を作ったのはヤマト王権側
魏志倭人伝から何百年も後にそんな創作をしたヤマト王権の当時の状況を考えろ
白村江で大陸側に大敗して攻めてこられないか必死だった当時
「私たちは何百年も前に朝貢して臣下の礼をとった邪馬台国の末裔ですよ、勘弁して」と言いたかった
記紀であえてそんな演出をするという事は逆にヤマト王権と邪馬台国とは無関係の別種の国ということ
九州説で鉄板 九州の学者は九州説じゃないと生きていけないんでしょ 九州にあったのは、女シャーマンが祭り上げられている小集落でしょ >>41 の続き
倭人とは?
東夷と縄文人のハーフだな
┌──┐┌──┐┌───┐
│東夷││倭人││縄文人│
└──┘└──┘└───┘ 結局、歴史なんてその時の権力者の都合で書かれてんだから、日本も他のアジア諸国と
同じ。抹殺されて書き換えられてんだよ。日本人は権威主義だから無防備に受け入れる
しね。 古事記で神武天皇の東征が九州から始まっているのを考えると九州から畿内に遷都ってことになるのか?
土着の人たちを征服しながら遷都できる広い平野(川が近くにある)を探していった結果畿内にゴールしたのかな >>151 の続き
大陸の東夷は滅んだと言っていいだろうな
最後は曹操
徐州の者達を虐殺しただろ
そこは東夷がいた処 >>144
狗奴国の隣が邪馬台国の記載もない。
まず、原文表示してね。
次有奴國 此女王境界所盡
其南有狗奴國 >>140
足利尊氏の行動理論は神武と応神の再生しては居るな 倭人とは独自の泳ぎや潜水に適した体型を持つ者達だろ
当時の中国人は自分たちとは違う者とはっきり区別している もう足立区にあったでいいよな
全て丸く収まり争いも絶える アマテラス=卑弥呼
アマテラスに敗れた大国主命が黄泉の国(西方)に奉られた
つまり邪馬台国は出雲の東方の大和地方 結論なぞとっくの昔に出ていた事だろ、当時大陸中華では鬼道は民間の間では禁止されていたもの、卑弥呼は鬼道を操る。鬼道=五斗米道、これはもう絶対。五斗米=老子道徳経。上善水の如し、流れる水は岩に当たればしなやかに向きを変え、丸い(円)器に入れれば丸くなり四角い(方)器に入れば四角くなる、水は円方に従う。卑弥呼は水のように生きた巫女。円と方と水。これが天地水、前方後円墳と呼ばれる物の正体。また、老子は小国寡民を説く、邪馬薹は卑弥呼の道観であって貧相であっても全然いいんですよ、しかし、統治するには力もいる弟河内王、卑弥弓呼がそれを補う。邪馬台国は邪馬薹と河内を中心とし30ヶ国を纏めた張魯が漢中に築いたような宗教国家。列島最初の大王、女王卑弥呼は五斗米道巫女、張h瑛である。 >>101
魏志倭人伝は時代も場所もバラバラないろんな資料から切り貼りされて水増しを繰り返して書かれてる
里数から日数に切り替わってる行程は本来繋がっていない別々の資料の情報をくっつけて水増しされている 畿内説の希望だった箸墓古墳も卑弥呼より後の時代だと分かってしまったし畿内説には絶望しかない
nihonkodaishi.net/info-research/ronbun-pdf/koseikyokusen.pdf
> INTCAL20 によって、箸墓築造が
> 従来通説の4世紀前半に戻ったことを意味する。 727 :名無しさん@1周年 :2020/03/27(金) 02:47:37.02 ID:wEfaFCG90
>>721
纏向を発掘した当事者である関川氏も畿内は違うと仰っている
考古学の立場からみた「邪馬台国大和説」への疑問 奈良県・纒向遺跡出土の大型建物について
http://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku335.htm
> 1.考古学の立場からみた「邪馬台国大和説」への疑問 (関川尚功先生)
> ・出土品と大陸系遺物の存在
> これまで副葬品を伴う例は古墳時代初頭の壷棺のみです。ただし中期には壷や高坏を供献した例がある。
> 大陸系の遺物はまったく出ていない。九州の弥生遺跡と比べると副葬品が少ない。
> (2)纒向遺跡の実態
> ・大陸系遺物の出土量とその比較【対外交流のあとはみられるか】
> 断面が三角形の特徴的な木鏃で、儀礼用と推定される。3・4世紀の日本ではめずらしい。朝鮮半島南部の
> 大成洞古墳群に副葬されているような骨鏃がモデルと思われる。纒向からは10本以上がみつかつている。
> 木鏃や土器から、朝鮮南部とのつながりがあったことが分かるが、楽浪郡あたりとの関係がないようだ。
> 大陸系の土器が出てこない。
> 纒向は大陸との交易が終わった邪馬台国時代以後の遺跡ではないか。
> 九州では博多湾での交易が古墳時代の前期まで続いている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E5%B7%9D%E5%B0%9A%E5%8A%9F
> 関川 尚功(せきがわ ひさよし)は日本の考古学者。橿原考古学研究所の所員として纒向遺跡の発掘調査に携わり、
> 石野博信とともに報告書『纒向』を著した。
> 概略
> 1971年(昭和46年)から奈良県立橿原考古学研究所の所員として奈良県桜井市の纒向遺跡の調査に携わった。
> 石野博信とともに報告書『纒向』(1976年)を著したが、とくに外部から搬入された土器の分析と整理は関川がおこない、
> 古墳時代の考古学的な研究において、きわめて重要で画期的な資料となった。 >153
先行して饒速日が畿内に土着してたのを追った
ただこれ自体は邪馬台国よりも以前の出来事なので関係ない 1世紀 奴国王が後漢より金印を授かる
2世紀 倭国王師升が後漢に朝貢、倭国大乱
3世紀 倭国王卑弥呼が魏より金印を授かる、邪馬台国と狗奴国が対立
4世紀 纏向遺跡の出現、崇神天皇が四道将軍を派遣 北陸出雲吉備会津を征服、仲哀天皇が九州遠征で熊襲に敗北 宇佐神宮に奉られる、神功皇后が香椎宮で神託を受ける 三韓征伐
5世紀 奈良の大和王権が任那〜熊本〜岩手を平定 雄略天皇「東征毛人五十五国、西服衆夷六十六国、渡平海北九十五国」
6世紀 継体天皇即位、大伴氏が半島にあった領土を割譲、筑紫磐井が大和王権に反乱
7世紀 聖徳太子が軍隊を半島に派遣、乙巳の変、歴史書を新たに編纂
8世紀 隼人の乱、藤原広嗣が大和朝廷に反乱
9世紀 最後の朝貢を持って隼人の名が消える、北海道と南西諸島を除く日本統一 産経新聞(2018.11.28)
最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
https://www.sankei.com/west/news/181128/wst1811280010-n1.html
〜 大陸から来た渡来人の重要施設とみられる国内最大級の 〜
建築年代は4世紀末〜5世紀初めと推定され、最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。
〜 省略
白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長(考古学)は、建物の時期についてはさらに
検討が必要としながらも、「(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが営んだ重要な
施設があったことは間違いない」とみている。
遺構は、すでに埋め戻されており、現地説明会は開かれない。
(証拠隠滅) 1世紀〜3世紀ごろは中華文明最東端のド田舎が九州で九州より東は魔界
大陸中央に漢(魏)があって
その北東に燕があって
燕の最東端が楽浪郡・帯方郡であって
その先には三韓があってその南に倭がいる
4世紀になると
帯方郡・楽浪郡が高句麗に敗れ
漢・魏を引き継ぐ晋が前秦に倒され
倭人たちは洛陽へ続く連絡路を失い
高句麗は百済・新羅・倭に対して敵対的だった(広開土王碑)
そのため百済と新羅は倭と結束し高句麗に対抗した
百済新羅との協力関係の中で本州日本海側の出雲、福井などの港町が繁栄し
その富と文明は近畿地方の平野で結実し4世紀末には
北九州の勢力をしのぐ大きな勢力が誕生するこれを大和王権という また、記紀の話かい?これが問題何だよね、受け入れる時代だよ、この時代百済はない、何で百済人の書いた話を信じて歴史を組み立てなければいけないのか?記紀は卑弥呼も卑弥呼の鬼道も前方後円墳も説明できていない、子孫ではない人達だろ 単純に、中国は
滅んだ国家の歴史書改竄が
日課になっていたんだろう。 >>7
いるよ
日美子さん
日ペンの美子ちゃんみたいな名前だなといつも思う >>13
始皇帝の証拠と🇭🇺ハンガリー人の証拠は残っているが…w 大きな声じゃあ言えないけど、タリシヒコや記紀の姿勢ってね上善若水じゃあないのよ、これだけで中華にバレてんの。ナイショだよ。 北九州の勢力が強かった理由は洛陽まで続いている
知識と鉄の連絡路を持っていたためであり
高句麗による燕の滅亡により
北九州は特権的な立場を失うことでその威信が急激に衰え
相対的に近畿の勢力が高まり九州を支配下に置く
中国北部と半島の五胡十六国の乱世の時代に合わせて
近畿勢力は急激に軍事国家化していく
信頼に足るデータだけでパズルピース繋ぐとこんな感じかな 弥生時代鉄鏃出土数(鉄鏃とは鉄製の矢じりの事)
東北**1 群馬*21 千葉*63 東京*37 長野*27 石川*55 福井*32
滋賀*13 京都112 大阪*40 兵庫*92 奈良**4 和歌山**5
岡山104 広島*79 山口*97 鳥取*46 島根*30 香川*36 愛媛*25 高知*53
福岡398 佐賀*58 長崎*29 熊本339 大分241 宮崎100 鹿児島**3
※鉄製鏃は敵と戦う為に矢の先端に取り付けて殺傷力を増やす武器
上記出土数からも判るが、邪馬台国は福岡県にあって狗奴国が熊本県にあった
から他地域とは出土数が大きく開きがある。特に奈良県はわすか4しか出土せず
これではとても戦争があったとは言える訳が無い。 卑弥呼とも倭の5王とも接点がないのが天武天皇
天武天皇は地方豪族 United States of Yamatai爆誕
USY!USY! >>13
想像以上の弱小国だったから
畿内大和等の大国に滅ぼされたので痕跡がない ミスった
大和国、日巫女の当て字で決着付いてないのか >>179
魏志倭人伝と一致する。
邪馬台国は戦争地域ではない。
副卑奴毋離ない国は投馬国と邪馬台国 >>10
チミは強弱で考えるのをやめたらどうかね?
そうゆうのを差別主義者って言うんだよ
民主主義に成れない者は チミみたいになる >>184
卑を使いたがるのは
中国系支配人の特徴の差別主義者だよ >>179
面白いことに
滋賀、奈良、和歌山、三重を守るような
配置の京都、岡山、兵庫の鉄鏃 >>187
ヤマト豪族は何度も沈むw
ユダヤは知ってるからだよ
調子に乗るな!ってことだあよ 大阪はキチ外多くて倭国福岡の植民地だったの分かるだろ 歴史なんて適当だよな。特に敗者は悪い風に改善されやすいだろうし 邪馬台国はどうでもよいが
最近古墳巡りし始めたんだが
北部九州でおススメある?
王塚、焼ノ峠、五郎山古墳は行った >>184
お伊勢さん知ってるべよ?
宗教の日の巫女さんのことだよ
飯は御稲荷さん
パクパクもぐもぐw
しつこい中国の差別ってこと >>82
というか吉野ヶ里が邪馬台国の中心都市でいいだろ
最盛期も3世紀だしなにも矛盾はない
纏向よりむしろ適合 出雲の荒神谷遺跡は西日本の武器を全部集めて邪馬台国が出雲へ国を譲る代わりに奉納し
封印したもの。
二度と戦乱の代が来ないように祈りをこめて。それで出雲大社が建てられた。
だから、奈良からは当時の鉄器は出てきにくい。 神功皇后が熊襲や朝鮮半島を征伐するために九州にいたころの話だからな
正確にはまだ仲哀天皇の後継者が決まっていなかったので日本の代表というのは疑問ではある。
しかし魏の後ろ盾のある神功皇后軍がその後後継者争いを有利に進められたことは歴史の事実である
そしてその後日本は東アジアの歴史の舞台に確固たる地位を気づくようになったのである >>162
里数は公孫氏が残した資料を魏が押収し
それを晋が引き継いで陳寿が参考にしたんだろうな
公孫氏が1里80mとする独自の里を使用していたのであろう
日数は新たに派遣された張政等の魏使の報告書からの転載だ
同じ行程を里数と日数で説明しているんだ
里数行程の狗邪韓国に対応する日数行程の国は投馬国で
里数行程の伊都国に対応する日数行程の国が邪馬台国。 >>204
何それ?金印まんじゅうみたいなの売ってるの?
志賀島からクレーム来そうだな >>179
狗奴国=熊本の先入観が強すぎるんだよ
壱岐対馬を女王が押さえてるのに狗奴国がどうやって鉄を入手するのか
邪馬台国=熊本とすれば鉄器の分布も倭人伝の地理条件も最も整合的なんだよ 神功―応神―仁徳と日本に鉄器が広まり生産力が上がり外国との往来や争うが増えていく。
この時代こそが神功の九州臨時政府邪馬台国なのである
日本書紀にもそう書いてあるし証拠は九州に一杯残ってる
近所の神社に行ってみなさい、神功皇后がいらっしゃるから、神社で一番まつられているのが日本の母神功皇后である >>208
あ福岡か
何故か佐賀だと勘違いしてたわスマソ >>167
大陸から来た渡来人とは大陸に住んで居た倭人のことだな
奈良への倭人の入植が4世紀末〜5世紀初めなんだ
それ以前の奈良地方は縄文系の人世界。 >>212
あっそっちか
金印まんじゅう見たかった 崇神に追い払われた天照大神を日本の神の頂点にしたのも神功皇后な
水戸学派と男系男子Y遺伝子原理主義者と朝鮮半島真理教のゴミどもの嘘から日本の真実を守ります 邪馬台国は九州しかありえない
畿内説を唱えている奴は池沼 >>167
飛鳥(あすか)
古代朝鮮語(扶余語)の“スカ”(「村」の意)に接頭語アが付いた。
「飛鳥は日本人の心のふるさとだと言っているが、そこに住んでいたのは朝鮮人であった。(井上光貞・山本健吉)」
【東大の最新ゲノム解析】
>奈良県が最もCHB・KOR(渡来人)に遺伝的に近い
>Our analysis indicated that, of the 47 prefectures in Japan, Nara was genetically closest to CHB・KOR. 近畿人は日本人全体からかけ離れて朝鮮人に近い。東大の埴原和郎先生は近畿人は日本人じゃないと言うんだ。
(梅原猛/京都在住の哲学者/愛知県出身)
関西人には細い目をした髭の薄いのっぺり顔が多い。
(『日本人の起源』中橋孝博/札幌医科大学教授/奈良県出身)
畿内古代人は韓国朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属し、縄文人から最も離れている。
(『日本人のきた道』池田次郎/京都大学名誉教授/山梨県出身)
近畿人の特徴は、朝鮮半島や中国大陸に現在住んでいる人々の特徴と概ね一致する。
(『日本人はるかな旅』多賀谷昭/長野県看護大学教授/広島県出身)
帰化人たちは、そのほとんど全部が奈良盆地、大阪平野、京都盆地と、その周辺地域である播磨平野、紀ノ川流域、近江盆地あたりに根をおろしたといってよい。
この点はこののちずっと古代を通じてたいしてかわらない。
(吉川弘文館『古代の帰化人』関晃/歴史学者/熊本県出身)
私どもが行った現代日本人頭骨の分析から見ても、近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近い。
(埴原和郎/東京大学名誉教授/自然人類学者/福岡県出身)
畿内人は一番胴長短足の人たちなのです。朝鮮半島の人々も畿内人と同じようだとわかりました。
(松村博文/札幌医科大学教授/自然人類学者/兵庫県出身)
大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い。
(欠田早苗/兵庫医科大学名誉教授/解剖学者)
河内国が列島随一の渡来人の集住地域であったことはよく知られている。
(熊谷公男/東北学院大学教授/日本古代史/宮城県出身)
秦氏というのは新羅を母国といたしまして、五世紀の後半に日本列島に渡来してまいります。そしてこの京都に住みつきます。
(井上満郎/京都産業大学教授/歴史学者/京都府出身)
シベリア抑留者1万人を調査した結果、近畿人は朝鮮人とほぼ同じだが、東西へ向かうに従い日本人となっていく。
(レヴィン/旧ソ連の人類学者)
畿内人と大陸人、とりわけ朝鮮人は人種的につながっている。
(岩本光雄/京都大学名誉教授/霊長類学者)
近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的要素を有することは注目に値する。
(平凡社『国民百科事典』) 狗奴国国邑推定地「東方丘陵」
3王朝交替説
これでヨカバイ食品 >>219
これも意味ないの。大阪は商業の町で北前船で瀬戸内海から日本海、北海道まで行き来し、
いろんな地方の人間が混じっていた。
また、丁稚奉公で地方の長男以外の子が出てきていた。
京都も似たようなもの。平安時代から地方の役人が入り乱れ、
商業も京都しか発達してなかった。室町からは朝廷より町衆が金をもってきたので、
商業が栄えた。
商業は色んな地方を行き来するから土着農民とは異なる。 今時、畿内とか言ってる奴は情弱か御用学者ぐらいだろう('・c_,・` )プッ 畿内説でも九州内で100里単位で国があるような
状況なんだろ?
そんな「集落」を「国」と呼んでいたのが
当時の日本なのだ
それなのにどうして九州から邪馬台国に行く間に
投馬国以外の国がないのか?
畿内説は矛盾している >>226
ちなみに中国は一つの集落(一族)を邑となし、
邑の集まりを大邑となした
これが殷の首都
これを国としたのは中国です >>223
戦後に朝鮮人が移り住んで、
再度混じったんだよ
現に応仁の乱以前に京都に住んでた人間は全員本貫地に逃げたから。
そのあと入り込んできた周辺部落民がいまの京都人
「いつから京都にいるの?」と聞くと応仁の乱後と答える
その程度の歴史しかない 100里単位というのも重要な点で
63里とか137里とかそんな記述にならないのは、
距離の情報はその程度の大雑把さで構わなかったというわけだよ
・旅程の情報はそのくらい大雑把だということ
このように書くとアスペが、大雑把なら嘘や妄想と同じかのように言ってくるけどそれは違う
大雑把だけど、嘘ではない
だいたいそのくらいという程度で信用できるという事なんだよな >>229
>大雑把だけど、嘘ではない
>だいたいそのくらいという程度で信用できるという事なんだよな
その通り! @阿波 >>230
つまり、
東や南にしか進まないのに北上することはないんだよ >>198
筑紫君磐井の岩戸山古墳を
ライバルの継体大王の今城塚古墳と梯子したぜ 卑弥呼=斎王だよ。
巫女と王の権力握ってた神功皇后が最強の卑弥呼ね >>234
>卑弥呼がいた場所はどこなの?
「卑彌呼」が隠棲していた所は、「上一宮大粟神社」 (名西郡神山町 御祭神「大宜都比売命」)の辺り。 @阿波 吉野ヶ里辺りは外敵から守る為に砦を築き今で言う自衛隊駐屯地だったと思う。邪馬台国ーどこでもいいしあったかなかったかもどちらでもいい。ただ考えることが浪漫だ 卑弥呼が日本造ったのでも無く統一したのでも無いから別にいいかな 那珂八幡古墳の様式と築造年代でだいたい決着は着くんじゃないかな
今後の研究に期待 >>236
卑弥呼は結婚してない
子供もいない
神功皇后は、皇后なのだから結婚してるだろ?
そして子供もいる
卑弥呼ではない 歴史書に書いてあることが全て正しいとか考えているやつが多くて笑えない >>241
「那珂八幡古墳」の朱は、まず間違いなく筑紫忌部が持ち込んだ「若杉山産」 だと何度言えばw @阿波 磐井の乱までは大和朝廷の勢力範囲は吉備くらいまでだったんじゃないの
継体天皇には百済の血が入ってる気がする
負けるの分かってて白村江まで百済を助けに行く羽目になったのもそれが原因じゃないの >>60
九州以北というても、奈良盆地南部なんかは、緯度は北九州と大差ないんだけどね。 >>159
天照皇大神の神話に関連する土地はほぼ全部九州にあるのにか?
小戸で産まれてスサノオの剣をかじって宗像三女神を産んで高千穂にある天の岩戸に隠れてって全部九州の話やぞ >>246
九州に影響力無かったなら
そもそも乱じゃないだろ 九州人が「九州だ!」と言い、
近畿人が「近畿だ!」と言っているうちは、
説得力ない。 神宮皇后を王権についてる卑弥呼と勘違いしたんでしょ。
熊襲と戦い三韓征伐にも征伐にいってるんだから戦略的に魏と手を結ぶ必然性がある。
これが一番史実と合致する。 >>248
中国の歴史書の邪馬台国の位置
邪馬台国と呼ばれた王朝はあっただろうけど方角や距離をまるまる信じるのはどうかと思う >>252
森浩一という考古学者は
大阪生まれ堺育ちの九州説 >>255
板野みたいな奴だな。 わははははは @阿波 卑弥呼の時代に神功皇后が九州を拠点に遠征を繰り返してたんだから、北部九州が別勢力だったとかないでしょ。 >>258
神功皇后は120年時代がさかのぼって記述されている
実際は卑弥呼より100年くらい後の時代の人だよ
日本書紀でそのように操作してる事こそ
卑弥呼は天皇家と別の勢力だったことが分かるんだよ 日本で1番一重まぶたの住民が多いのは関西地方、一重まぶたは南方系では無く
北方系民族の証拠。九州で一重まぶたの住民を見かけたら強い違和感を感じる >>248
高天ヶ原は元々葛城地方から紀伊半島を想定してるぞ?
高野山と天野で高天ヶ原だ。
その為金剛山には高天神社があるんだからな。 >>261
根拠あり
日本書紀の記述と中国や朝鮮の歴史書を比較したらそうなる
中国や朝鮮は、日本の歴史を操作する理由がないので、
年代を操作してるのは日本書紀であることが分かる >>256
単なる妄想でしかない九州説はあきれられている。 >>263
>年代を操作してるのは日本書紀であることが分かる
チョン乙 w
この時代に半島が征伐されていた事実が受け入れ難いお前の性根がわかる。 >>262
その割に天照の神話はほとんど九州の話だからおかしいって言ってんだよ
元々あったなにかに後からくっ付けて今の神話になったんだろ >>11
派遣されたか内輪の権力争いに負けて瀬戸内経由で東に逃げて行ったんじゃないかな
熊襲の先祖が皇室と同じだと記紀にわざわざ書いてあるんだから少なくとも全く無関係ということはないと思う そもそも、🇯🇵日本語の方が似ているんだぞw
中国語より >>265
そうやって
チョンだとかウヨサヨとか
政治問題やイデオロギーを混ぜ込む奴は参加すべきではない
俺は国政選挙では自民党にしか入れたことがないよwww
チョンなら民主や共産に投票するだろwww
それとも、自民党に投票したらチョンなのか? なんで始皇帝を🇯🇵日本人が祀っているの??
ねえ、なんで?
血の繋がりあるから? >>249
昔の研究者は出土品に詳しく調査しても、宗教学、鬼道や文献資料については素人に等しいからな。
特に水銀朱についても理解してないのが致命的だよ。 >>270
神功皇后 紀年
でググると何個か出てくるぞ
そのくらい有名な話
妄想ではない 宇佐神宮の比売大神は宗像三女神の事を指していると、宇佐神宮自身が
言っているのに、未だに比売大神を卑弥呼と考えているキチガイがいるのには
驚く、本当に卑弥呼なら宇佐神宮も隠す必要は無い、卑弥呼で売り出せば
参拝客は急増し賽銭も増えるじゃないか。 >>257
森浩一さんは、著名な考古学者ですよ、
徳島でも、多くの古墳などの発掘にたずさわっています。
考古学に興味のある方なら、誰でも名前を知っているような存在の方です。
私なんか、全く比べ物になりません、
森さんに失礼です。 神功皇后は征夷大将軍のような位置づけの女王だった。それを日本の王と勘違いしただけ。 卑弥呼が暮らした宮殿は楼観、城柵に囲まれ兵士が厳重に警戒していたと
記述があり、その記述と整合するのは吉野ヶ里以外には無い >>280
でw
日本にやられたことを隠したい連中の書いた歴史書とか信憑性なし。 >>266
でも国産みは淡路島からだが?
また記紀が元々九州にルーツがある狗奴国系だからだよ。だから畿内勢力の基盤である欠史八代の記述がない。
欠史は葛城地方の王だからな。卑弥呼候補であるモモソヒメも孝霊天皇の皇女で奈良盆地生まれだ。 延喜式道饗祭に高天原で事を始めたのは八衢彦八衢姫クナトとあるね >>283
古事記とか日本書紀は西暦何年ごろの書物か知ってる? >>253
238年に魏が公孫氏を倒して半島は魏の支配領域だから。倭国が手出せるような状態じゃないよ >>283
淡路島じゃなくておのごろじまな
博多湾のおろのしまとかのこのしまに通じる響きだと思うけどな
イザナギイザナミを祀る二見ケ浦も九州のほうがオリジナルじゃないかと思うが >>262
>その為金剛山には高天神社があるんだからな。
高天神社ってなんと読むんだ? たかてん? @阿波 要約すると
畿内説=その時代に畿内に大きな勢力があって箸墓古墳なんて大きな古墳があった、だから邪馬台国は畿内にあった
阿波説=魏志倭人伝の帯方郡より1万2000里、直線距離で阿波だから邪馬台国は阿波にあった
九州説=魏志倭人伝の帯方郡より1万2000里のうち九州上陸時点で全体の行程の8割を終えている
残り2割の距離では九州の外はあり得ない
オレ的は九州説がもっとも説得力があるんだよな >>281
卑弥呼が鬼道を使い、巫女100人に世話する男が一人。
吉野ケ里は単なる弥生時代の集落というだけで、記述とは全く合致しないぞ。
対して巻向なら三輪山の麓の祭祀遺跡で、記紀では各地から豪族の娘が集められている巫女の郷でもある。
モモソヒメなんて大物主と神婚した巫女王で卑弥呼像そのものだぞ。 https://translate.google.co.jp/?hl=ja&sl=ko&tl=hu&text=%E5%BC%93%E6%9C%88&op=translate
弓月王←現代朝鮮読みでクダラと読めなくもないが……閉音節 九州で起こって国譲りと言う名の戦で中国地方を平定しながら機内に出てきた
って事? >>278
>私なんか、全く比べ物になりません、
>森さんに失礼です。
当たり前だ! お前みたいな売郷奴ではない!! @阿波 >>292
卑弥呼は結婚してない
そして台与までは記録が残っていて
卑弥呼と台与の間に男の王が一時的に存在している そもそも金印ってどこにあったの?
発見された場所が邪馬台国でいいよもう >>295
あそこからは漢の光武帝から送られた
漢委奴国王の金印が発掘されたところだろ?
邪馬台国ではなくて奴国の一部だったところだろう 九州云々とか近畿云々などは数ある外交窓口(出先)のひとつに過ぎん
本拠地は別にあると考えるべきで、知られないように慎ましい痕跡しか残していないハズ
故に、記録に残ってるのは中心ではなく単なる出先機関
各地で自分とこが邪馬台国とか叫んでるけどおそく全部的外れ、
それらのポイントのちょうど中心付近に本拠地を置いていた可能性を考えると、
静かに岡山が浮上してくる
わからないように、そして知られないように祭祀を行っていたのだろう
それと、卑弥呼(単なる当て字)が女とは限らんよ
日神子なら王子だから
オオヒルメムチはオオヒルメムチ 記紀は参照するものであって根拠にするものじゃない
特に年代は全くあてにならない >>291
>オレ的は九州説がもっとも説得力があるんだよな
それに見合う遺跡が、無さ過ぎ! @阿波 >>303
邪馬台国は畿内大和に負けた国だから遺跡が無くても全く問題ないんだよ >>303
そう?
吉野ケ里遺跡なんて
この時代にすでにあんな大きな町があったんだから
あそこが邪馬台国もいいと思うが >>300
金印って偽物でショ。。
シカノシマの近くに私の別荘があるけど現地の人でさえ信じてないよ。。 >>304
負けたら遺跡が消えるのか? わははははは @阿波 >>289
最初に産まれた島が淡路島からだろう。九州は四国より後、最後に形成されるのが秋津島で本州の葛城地方なのは明白。
特に葛城の秋津には弥生時代中期の時点で最大の水田跡が最近確認されたり、
日本で唯一鏡と銅鐸が同一場所から出土したりしてる。 >>289
最初に産まれた島が淡路島からだろう。九州は四国より後、最後に形成されるのが秋津島で本州の葛城地方なのは明白。
特に葛城の秋津には弥生時代中期の時点で最大の水田跡が最近確認されたり、
日本で唯一鏡と銅鐸が同一場所から出土したりしてる。 >>306
吉野ケ里遺跡一つでか? 「邪馬臺国」が泣くぞ! @阿波 天皇家と本当に関わりのある神社には祭祀の時警護隊に守られて神官さんが何人も来る。卑弥呼と皇祖は離して考えるべきだよ。その神官さんたちが通る時は、神宮の神主や巫女もこうべを垂れたまま。先頭は皇室の警護官みたいな人。写真すら撮れない。 >>297
> >>278
> >私なんか、全く比べ物になりません、
> >森さんに失礼です。
>
> 当たり前だ! お前みたいな売郷奴ではない!! @阿波
ほんなら、なんで私の名前を出したんだよ? >>311
その他にも昔は女王塚と呼ばれていたのに
皇室に配慮して蜘蛛塚と呼ぶようになった古墳なんて
すごく邪馬台国の卑弥呼の塚っぽい >>19
アイヌはロシア系だな。写真見ても顔だちは西洋人
青森秋田あたりまでアイヌが入植して子孫は津軽美人、秋田美人
弥生人はモンゴロイドまたは朝鮮族だな
お人好しな縄文人が弥生人に駆逐されて行ったような >>308
管理する人がいなくなるからなぁ
そのうち
なんか知らんが小山があるけど、畑にするのに邪魔だから潰そう
とか当たり前 >>312
>天皇家と本当に関わりのある神社には祭祀の時警護隊に守られて神官さんが何人も来る。
忌部神社。 @阿波 >>310
それ、天皇家が作った記紀に従ってるからだろ? >>22
いや、書き記しているかもしれないから、日本書記のどの時代が邪馬台国にあたるのかみたいな研究もあるが、
そもそも日本書記も5世紀以前は眉唾だろという話もあるしな >>315
アイヌはモンゴロイドなんで、ロシア系ではないよ。 >>306
吉野ケ里級なら今は西日本各地にあるよ。
復元には実は奈良の鍵唐古からの資料も使われてるぞ。
最大級は出雲地方の妻木晩田遺跡。
高知や松山、畿内の池上曽根に鍵 唐古、東海方面にも沢山ある。 で、祭祀では、海底の倭王に天皇就任を報告するんだろう? 神宮皇后の名前からして神の使いであることがわかる。よって卑弥呼。
その妹の豊姫が卑弥呼の娘とされる臺與(台与、とよ)。
豊姫は福岡や佐賀を中心に祀られている女神。
完全一致です。 >>323
それに見合う遺跡が、無さ過ぎ! @阿波 周に滅ぼされた商の都市の遺跡だって残ってる
今まで邪馬台国九州説を有力視させる遺跡が出てこないのならそれはまだ見つかっていないかそもそも存在しなかったのどちらかだ
畿内に有力な遺跡が見つかっているけど邪馬台国がヤマト政権繋がっているよいう説もあれば滅ぼされたという説もある >>321
そこが畿内説論者のおかしいところ
邪馬台国がこの時代の最大勢力だったと決めつけている
オレが思うにこの時代は戦国時代のような諸国乱立の時代で
日本列島を統一された大きな勢力などなかった
邪馬台国は九州北部の倭国連合の盟主というだけ
距離が根拠と遺跡があれば九州で間違いない 大和朝廷の起源が九州にないと神武東征が成立せんだろう
なぜ何でもかんでも畿内にないといけないのか >>324
神宮皇后の墓は畿内なんだから九州にないのは当たり前。
熊襲征伐の真っ只中に魏志倭人伝が記された。 >>323
その神功皇后が二上山麓にある葛城地方生まれなのだが?
しかもとなりにある集落は、奈良時代まではヤマダイ郷という名前なんだけどね。 >>325
>畿内に有力な遺跡が見つかっているけど
そんなものは、無い! @阿波 畿内の遺跡は畿内大和の遺跡で
邪馬台国の遺跡ではないんだよな
なんでそんな簡単な事を理解しようとしないんだろうなwww >>326
>この時代は戦国時代のような諸国乱立の時代で
>日本列島を統一された大きな勢力などなかった
その通り!
>邪馬台国は九州北部の倭国連合の盟主というだけ
それに見合う遺跡が、無さ過ぎ! @阿波 >>332
神宮皇后が遠征軍を組んでた時代ですが。
よって実際に九州で戦っていた。 邪馬台の女王が大和の男王に乗っ取られただけの話。女王は斎王になり権力を剥奪された。 >>289
違うぞ
淤能碁呂島は国産みの儀式で作られた島ではない
その前に天の浮橋に立って、海を掻き回して作った島
淤能碁呂島に降り立ってから国産みを始めてるので、国産みの島に含めるのは誤り
淤能碁呂島の所在は仁徳天皇が歌に詠んでる
淤志弖流夜、那爾波能佐岐用、伊傳多知弖
和賀久邇美禮婆、阿波志摩、淤能碁呂志摩★
阿遲摩佐能、志麻母美由、佐氣都志摩美由
淡路島の周りの小島 >>335
話がかみ合ってないよwww
畿内で見つかる遺跡の話をしている
理解できてますか?www 有力な痕跡もないのに考古学でも歴史学でも畿内説が有力視されるわけがない
それなりのものが出ているから多くの学者が畿内説を唱えるようになった >>1
自分の妄想や空想を言ってて楽しいのか??
さっさとこんなセンター廃止しろよ >>78
捏造したんだろ今のジャップ土人の習性みたいに >>337
オノコロ島は、忌部の郷 吉野川中流域に出来た大砂洲 「粟島」だろう。
「こをろこをろとかき回し矛を持ち上げると、滴り落ちた潮が積もり重なって島となった」
吉野川の洪水で、川底が「こをろこをろ」とかき回され、砂が積もり重なって砂洲「粟島」がオノコロ島となったのだろう。
淡路の沼島では、「積り重なって」が説明できない。 @阿波 トヨは嫁に行ってるよ。敵対国へ。そもそも文献焼失の時点で故意か災いか?残したく無いか残せなかったか?聖徳太子でさえ斑鳩宮焼失でわからないし。まぁ歴史は浪漫。古事記など新羅系天皇=天武天皇の時代編纂だし。持統天皇は天智天皇の娘で天武天皇の嫁だし。歴史は塗り替えられたかもしれない。 >>343
お前は何にでも出しゃばってくるんじゃねぇwww >>99
歴史の知らない馬鹿なんだろうから放っておけよ そもそも神功皇后が生まれだ場所にある二上山はアマの二上という名前のとおり神山だからな。
二こぶの形から女性の乳房に形容される事もある点で、女性の神とされる事もな。
その麓は聖徳太子と推古天皇の墓もある、近つ飛鳥。 >>292
纏向には楼観も城柵も無い、大型建物が僅かに1棟だけ、纏向は
箸墓古墳を建設する為の作業員の飯場と言う事だ。祭祀とか無関係 >>333
東征という伝承が重要なのであって神話部分の年代は無意味 >>343
国産みの為に淤能碁呂島に降り立って、淡路島を作って、また国産みの島を作るという矛盾
お前の馬鹿さ加減には、呆れを通り越して、パフォーマー魂を感じるが
そろそろ脳の精密検査をおすすめする 吉野ヶ里とか外敵に襲われる確率が一番高いとこに人が住みたがるわけがない。強制的、業務上住まわされた人はいるだろうね。 >>345
>お前は何にでも出しゃばってくるんじゃねぇwww
「阿波」は、オールマイティ。 なんにでも関わっている。 @阿波 >>326
単なる認識不足と無知だろう。
少なくとも邪馬台国は七万戸で倭人伝の中では最大級の国だぞ?
三国志では七万戸なんてとても九州では収まる場所がない。
奴国と投馬国合わせりゃ14万戸なんだぞ?
特に北部九州説なんて資料を無視した暴論でしかない。 九州にあった邪馬台国が
畿内に我が物顔で土着し
好き勝手やってた朝鮮人どもを東征し
新たに打ち立てた新国家が大和朝廷
そういうことでいいでしょ? 卑弥呼が葬られた古墳のあるところが邪馬台国で間違いないだろ
九州のどこにあるんだ? >>327
学問というのは結論ありきではないんだよね
あるものから推測して結論を導き出してる >>339
文献に記されてる邪馬台国の痕跡は畿内の遺跡からは何も出て来ていない、むしろ邪馬台国じゃない証拠ばかり出てくる >>351
>国産みの為に淤能碁呂島に降り立って、淡路島を作って、また国産みの島を作るという矛盾
あほ! 淡路島なんぞ作っとらんわ! @阿波 >>354
何度も関連スレで指摘してやったことだけど
そのレスこそ認識不足と無知によるものだよ
「有」ではなく「可」なのだから
必ずしも七万戸存在している必要は無い
一万戸でも二万戸でも、もしかしたら500戸でもいいんだよ
その上、
白髪三千丈
怒髪天を衝くの中国だ
大げさに数字を盛る可能性は日本人が考えている以上に高いだろう
つまり、
数字を妄信してはいけないという事 >>350
東征の記述が紀元前の河内湾の地形を書いてる
これは考古学ではなく、土木や地質学の話
紀元前にその場所を見ていなければ書きようがない >>357
畿内説なんて結論ありきの最たるものだからなぁ >>355
>九州にあった邪馬台国が
それに見合う遺跡が、無さ過ぎ! @阿波 >>363
滅び去った小国なのでなくてもおかしくない >>127
古墳から出る時点でそれは弥生時代の後の古墳時代に埋めたものだってこと >>349
じゃ箸墓は必然的に三世紀半ばに確定するけどなw
三輪山の麓な時点で祭祀目的なのは確定してるよ。
そもそも巻向遺跡での最重要な場所は巻向駅の下より西と見られている。
しかも発掘調査自体がまだ一割以下なんだからな。 巻向は単なる史跡です
ヤマト王権の関連施設があったというだけ >>359
お前は別の世界線の話をしてるのか?
@阿波異世界転生説をここに提唱する >>354
七万戸を否定の根拠にするなら
畿内でも七万戸の人口を擁する巨大都市なんて
存在していないだろ
なぜ九州の遺跡だけ七万戸で否定する材料になると思うのだろうか? 卑弥呼は三十余国から構成されていた邪馬台国の盟主であり三十余国の範囲を
知る事が非常に重要となる、当時の国は現在の市町村程度の面積なので
どう考えても北部九州内に完全に収まってしまう。どういう思考法をすれば
畿内説など思いつくのか >>366
畿内大和の遺跡だよな
邪馬台国とは無関係だな >>209
隋書に阿蘇山の記述があったのは知ってるけど唐書も九州説に寄った内容なのか >>357
年代が明確な外国文献という客観的史料と、たまたま奈良で発掘された古代遺跡を無理矢理関連付ける客観的根拠がまるでないのだが >>218
漢字は中華から輸入したんだから、単に古代の漢字の読みが東アジアで似通ってるというだけ
中国人から見れば、日本の漢字の読み方は、宋や明の時代の読みが混在してる
似てるから何でも朝鮮が起源と言い張るのは無理がある >>367
>ヤマト王権の関連施設
そんなものは、無い! @阿波 >>362
それはアマチュアがよくやってるヤツ
無理やり魏志倭人伝を解釈してる
学者の少ない九州説に圧倒的に多い 小説を創作しても無駄なのにね
おらが町の街起こしw >>370
>卑弥呼は三十余国から構成されていた邪馬台国の盟主であり三十余国の範囲を
>知る事が非常に重要となる
まさにそこは、大河「四国三郎吉野川」流域集落国家群。 @阿波 >>378
そういうレッテル貼りでしか自説を主張できないから畿内説は支持されないんだよ
多くの考古学者も、上司の機嫌を損ねないために畿内説と言ってるだけだからなぁ
学者の数で比較しようとする時点で根拠が無いと自白してるようなもんだwww
畿内説を主張したいのなら、学者の数ではなく証拠を出せばいい
でも出せないよな?www
証拠がないからwww >>362
結論もなにも江戸時代までは問題ですらない。
邪馬台国とはヤマトの昔の名前だろう、という認識だから。 >>382
その屁理屈は銅矛銅鐸文化圏の事例で否定できる
昔からの説が正しいのなら
今でも銅矛銅鐸文化圏を主張してる人が多くないといけない 科学や考古学や史学なのが畿内で街起こしなのが九州w おのころ島は博多湾にある能古の島の事だ、四国や瀬戸内海とは
何1つ関係無い 倭国大乱で疲れたクニグニが、もう戦やめよう
戦やめるために公平な政治をする人をみんなで立てて連合しようと30ヵ国が
卑弥呼を共立してできたのが女王国連合
ちょっと想像してみてみ?
こんな発想で収まるのはごく狭い範囲の勢力だけだろ
卑弥呼の顔を見たこともない遠方の国が鬼道(占いか何か)で人々を惑わす女王に振幅して
治まるわけがない
九州北部の30ヵ国連合くらいが限界だろう 嘘をついてる人間って解りやすいよね、強弁したり藁人形だったり 中華民国政府は、巡警を警察の名称に変更し、首都及び各省に「警察庁」
を設置。これは、中華民国政府内の人が日本へ留学した経験があることと大きな関係が
あるという。また、「警察」には、「まず警戒をし、それから調べる」
という意味合いがあり、
警察の職務にぴったりだったため警察の単語が採用されたと論じた。 畿内説ってのは今でいうなら
1万年未来の世界で
大阪っていうところから巨大な人類の生活圏跡が発掘された
そこには全国から人々が集まってきた形跡もいくつかあるので
日本の首都であったとみて差し支えない
と言っているようなもの
東京があったことの視点がまるまる欠落している
それが畿内説 >>372
他に祭祀に特化するようは弥生時代後期遺跡は近江の伊勢遺跡位だ。九州には未だ存在しない。
伊勢遺跡も東側にある三上山が祭祀対象だろう。
まあ大物主が祭られる三輪山は本来は美倭山で、どう見ても元々倭人の象徴の山だ。 >>393
>まあ大物主が祭られる三輪山は本来は美倭山で
本来は、阿波の眉山 >>393
滅び去った小国の遺跡が、現時点ですべて発見されているという前提でないとそんなこと言えないんだよな
消滅した遺跡も、未発見な遺跡もあるはずなのにな
だから、遺跡があるかどうかで決めつける論は信用できないし、
そのような手法で主張する論は正しくないよ >>393
>まあ大物主が祭られる三輪山は本来は美倭山で
本来は、阿波の眉山 (御和山)。 @阿波 >>392
九州説は単なる空港や港、もしくは自衛隊演習場や工場地帯を都の場所と勘違いしてるだけだからなw
鬼道使いの宮なら必要なのは宗教施設だぞ、まして巫女だらけの場所が戦乱地帯なんてあり得ない。 畿内説は卑弥呼を皇族の誰かに比定したいだけの妄想だしな 糞ジャップ土人は熊本も含め嘘をつく事しかしないのだから、中国の記述の方が正しいよ >>361
織田信長の時代ですら、大阪は巨大な干潟でしたよ 阿波はミマでありマミ狸だろう
阿波の豆狸は夜の山に火を灯し翌日アメを降らす
というのが阿波の伝承 newsplus/1643309516/
827 ニューノーマルの名無しさん 2022/01/28(金) 06:08:18.11 ID:ovHMtlfB0
>>1
暴動やってるのは、創価親中のアベがここ十数年入れまくってきた中華系とか創価朝鮮系だろ、
東京の在日関東連合や創価朝鮮半グレみたいなもん
872 ニューノーマルの名無しさん 2022/01/28(金) 06:16:36.05 ID:ovHMtlfB0
>>827
もしくは、東京で創価在日半グレが警察署を襲撃したとか聞かないので、
アベ創価在日系警官が日本人に差別的・人権侵害的なことをやって、地元沖縄民がその抗議に出ているか
newsplus/1643317231/
856 ニューノーマルの名無しさん 2022/01/28(金) 07:15:00.99 ID:8EfkAetU0
警官の暴行で眼球破裂したらしい
さすが創価だらけの警察だわ しかも歴史資料を意図的に燃やして居たんだろ?国記だっけ? >>394
河内湾が埋まりきった時代を言ってるのではなく
・浪速之埼があり、流れが急だった
・白肩津の草香邑まで船でたどり着けた
この条件に合致する河内湾の状態は紀元前の頃のもの
この後の時代だと土砂の体積が進むため
・草香邑付近まで船で近づけなくなる
・浪速之埼の流れが弱くなる >>385
邪馬台と大和はヤマトの漢字が違うだけだよ
九州も国の意味でヤマトと言い、近畿も国の名前としてヤマトと言ってたんだろう
九州と本州は目の前で小舟でも行ける距離だから、あれを違う国だと感じた古代人はいないだろう
だが大陸に行くには命懸けだし、かなり違う文化だったから違う国という認識があったのは間違いない
つまり大陸の勢力に対して、こちら側がヤマト国という概念はかなり古代からあったはず また九州説の連中は日本最古の神社、鏡作神社、鉄の金山彦神社、丹の丹生神社が全てルーツとして畿内にある事を理解してるのかな?
まあ九州脳では全部九州にあったらしいが、それを証拠もない妄想と言うんだぞ。
いい加減現実をみないとな。 >>406
それは>>385のレスに対して何かしらの意味があるのかな?
無関係じゃね? >>407
畿内大和の話だから特に何の問題もないな
邪馬台国は畿内大和に滅ぼされた九州の弱小国という主張なのでwww 台与の次の代で邪馬台国の国力が弱くなって九州北部から東遷して近畿王権と合流だろう 邪馬台国というか九州北部の王権は大和王権の前身だよ
畿内にそんなものを作れる力なんてないから >>409
最終的には畿内大和に滅ぼされた九州の国なんだが
最近の研究だと7世紀まで存続してたみたい。 >>409
邪馬台国七万戸の記述で弱小国説は終わりw 邪馬台国があったのは九州で、それよりもっと大きな国がたしかに近畿にあったんだろうって先生が言ってたぞ だいたいこういうスレってマイナーな九州説をさも当たり前のように推す人に埋め尽くされるなw
Xboxユーザと同じような感じ 邪馬台国と近畿王権が合併したから共通の敵であった狗奴国をやっつけれたのよ
これがヤマタノオロチ=九州 1つの古い文献だけが頼りの推理だもんな
その文献も伝聞だからね〜のレベル
パチンコのオカルト打法特集した雑誌と対して変わらん そもそも「九州にあった」という結論ありきで資料集めても意味ないのよな(´・ω・`) >>407
>日本最古の神社、鏡作神社、鉄の金山彦神社
元社は、これだろう。
徳島市 「金山神社・立岩神社」
「八尺(やあた)の鏡はこの地で作られた」
ご存知のように日本の皇室に代々伝わる『三種の神器』とは、
『天叢雲の剣(草薙の剣)』、『八尺の鏡』、『八尺(やさか)にの勾玉』をいうが、
その神器のひとつ『八尺の鏡』の製作地はこの神社であるという伝承がある。
その背景には、銅鐸や銅鏡の出土が多く「たたら跡」と見られる史跡もあるこの地区が
「日本の治金技術発祥の地」ではないかという説がある。
見渡すと周辺にも「金谷」、「多々羅(古来、精錬所のことを『たたら』という)」、「八田(八尺)」という地名が残り、
まさにこの「金山神社・立岩神社」の鎮座地自体も『多家良(たから)』というそのまんまの地名。 @阿波 >>408
関係あるだろ、>>382さんへの補足だよ >>413
>>360
反論できないから無視して逃げるつもりだろうけど
「有」と「可」の違いがあるからそんなのはどうでもいい事だし
逆に、畿内で七万戸の一つの集落があるのかね?
そこが邪馬台国?
となると纏向じゃないよな?www
畿内説ってどこでもいいんだなwww
と言われるだけだぞwww >>226
戸数からみれば州レベルだな。
四国だな。
あくまでも5万戸は、見積もり
近畿説は矛盾はない。 >>405
5世紀くらいまでは草香の江を白肩津まで遡れた
紀元前の頃だと流れが無く遡るとの表現は可笑しいので
神武東征は5世紀頃の出来事だよ。 卑弥呼の墓は近畿にある
しかし邪馬台国は九州北部にあった
東遷して近畿王権と交配合流した後に
台与の子孫が近畿に祀ったんだろう 白村江の戦いで百済が滅ぼされるまでは
最強軍団だった
のが九州倭国 朝鮮半島に日本の前方後円墳があったんだ?
まあそういう事だね >>412
ならその後消えたという事でもいいんじゃね?
記紀が成立して、その物語に不都合な痕跡は無くしてしまおうと考えるだろうし >>407
>日本最古の神社、鏡作神社、鉄の金山彦神社
元社は、これだろう。
徳島市 「金山神社・立岩神社」
「八尺(やあた)の鏡はこの地で作られた」
ご存知のように日本の皇室に代々伝わる『三種の神器』とは、
『天叢雲の剣(草薙の剣)』、『八尺の鏡』、『八尺(やさか)にの勾玉』をいうが、
その神器のひとつ『八尺の鏡』の製作地はこの神社であるという伝承がある。
その背景には、銅鐸や銅鏡の出土が多く「たたら跡」と見られる史跡もあるこの地区が
「日本の治金技術発祥の地」ではないかという説がある。
見渡すと周辺にも「金谷」、「多々羅(古来、精錬所のことを『たたら』という)」、「八田(八尺)」という地名が残り、
まさにこの「金山神社・立岩神社」の鎮座地自体も『多家良(たから)』というそのまんまの地名。 @阿波 >>413
七万戸だと丁度3世紀の北部九州地域全体の戸数ぐらいだ。 >>414
そう、邪馬台国が東遷して近畿王権へ合流
近畿王権はそれを機に邪馬台(ヤマト)の名を借り大和王朝とした
なぜ名を借りたか?支那大陸へ名の通りがいいから 箸墓や纏向に七万戸の集落の痕跡は出てきてるのかな? >>407
>日本最古の神社、鏡作神社、鉄の金山彦神社
元社は、これだろう。
徳島市 「金山神社・立岩神社」
「八尺(やあた)の鏡はこの地で作られた」
ご存知のように日本の皇室に代々伝わる『三種の神器』とは、
『天叢雲の剣(草薙の剣)』、『八尺の鏡』、『八尺(やさか)にの勾玉』をいうが、
その神器のひとつ『八尺の鏡』の製作地はこの神社であるという伝承がある。
その背景には、銅鐸や銅鏡の出土が多く「たたら跡」と見られる史跡もあるこの地区が
「日本の治金技術発祥の地」ではないかという説がある。
見渡すと周辺にも「金谷」、「多々羅(古来、精錬所のことを『たたら』という)」、「八田(八尺)」という地名が残り、
まさにこの「金山神社・立岩神社」の鎮座地自体も『多家良(たから)』というそのまんまの地名。 @阿波 >>423
場所を誤解してると思う
草香江ではないよ
草香邑って今の東大阪市の日下町
寝屋川の南で、ちょうど大阪城の真東あたり
ほぼ生駒山の麓に当たる場所
村の痕跡も既に個人宅の建て替え時に発掘調査済み 朝鮮半島と中国には神社は一つもないが
中国由来の稲荷神社が日本にある かわらの大君 = 安倍
w腐れ自民党w
中核メンバーの顔ぶれを調べてみなさいw 九州のことを描いているから邪馬台国も九州だろ
九州のことを丁寧に書いていて、だから邪馬台国は近畿ですってなったら頭おかしい >>420
なら、>>382にアンカー付けるべきだよ
俺にアンカー付けられても意味が分からない そもそも魏志倭人伝の七万戸は大袈裟に盛っている可能性が高い
なぜ盛るのかといえば当時の魏は敵対していた呉を牽制する役割を倭に求めていたから
魏に臣従する倭という国はけっこうな軍事力があると呉に思わせておけば
呉は思い切った北伐をすることを思いとどまらせる抑止力になると踏んだのだろう 朝鮮併合して日本が建てた神社を全部壊したのが朝鮮人
台湾には神社ある >>437
鳥居に近いものは中国深南部にほんの少し残ってるし、古代エジプトにもそういう絵がある
つまり東アジアに仏教が広まる前の太陽信仰の時代のカルチャーだろう >>442
もあるが、開拓地てこと
5万戸可能です。7万戸可能です。 これって反日の学者が機内説でそれ以外が九州説なんだっけ? 和国王なりすまし藤原と日本人なりすまし長州チョン
のペテン 卑弥呼は馬韓にあった卑弥国出身
卑は日本語の発音にはない音
馬韓は後の百済、要は卑弥呼は百済人 九州人のデマにはこりごり
物部氏を九州出身ってことにしたいアホ九州訛りのユーチューバーおっさん(再生回数しょぼいw)がいるわ >>412
いや滅ぼされてないだろ、
北九州も近畿も、大陸に対してこちらの国という意味でヤマトと言ってたんだよ
そのヤマトの漢字が時代で違うだけ。
ジパングとジャポンはもちろん同じだが、ローマ字は表音文字だから音ズレが少ない
漢字は表意文字なので時代や地域で音がかなりずれる >>429
馬韓10万、54国
弁辰韓5万、24国、=投馬国
邪馬台国7万、21国、=筑紫
これが魏時の240年247年2回の遣使で魏が知り得た倭人伝、と韓伝での認識
倭人伝は、
今 使 譯 所通 三十國 從 郡至倭
で、2回の遣使の話が始まる。 邪馬台国は畿内ヤマト政権の九州国府説てのはどうなん >>93
明治維新から各都道府県の地名は作り替えているからだよ >>454
魏志倭人伝の記述からは、そういうのは全く読み取れないから無理
最低でも魏志倭人伝の記述にあってないといけない 「可」が注目されるようになるのはいいことだね
必然的に邪馬台国は倭国の中心ではないのではないかという疑念も出てくる
「都」とは遺跡の規模や数で測れるものじゃなく、人々の観念的なものじゃないのかとなる
となれば考古学で分かることって限界があるよな
ずっと後の天皇の都すら分かってない まぁ海幸山幸伝説も福岡なんだし、古代のリーダーは福岡なのだよ >>451
記紀のほとんどが九州と出雲の話だぞ?w
なんで畿内の話がトップじゃないの?(笑) >>460
でも女王国は福岡ではないと思うよ。
もっと南。
宮崎とかが有力。
北九州同士で争ってまとまらないから
田舎の女王を担ぎ上げたんだろう。 >>463
>北九州同士で争ってまとまらないから
>田舎の女王を担ぎ上げたんだろう。
なるほど、
そんな感じかもしれないよなwww
山を越えたその先に、占いをするババァの国があるとか
そんな感じだったのかもしれない >>240
ただ日本には文字もなく文献もない時代だから唯一と言っていい当時の記録だからとても貴重
記紀は少なくとも弥生時代に関する記述は当てにならんしね 魏志倭人伝を引用して正統王家という
ペテンをしたのが藤原 九州と言っても海を面してる場所によって違うんだよ
記紀にも筑紫島は4つの顔があるっしょ
北部と瀬戸内と宮崎鹿児島と有明
同じ九州でも全然違う 韓国の欲知島新石器時代個体はmt-M7aで、これは結局縄文人女性が普通に九州から半島に渡っていた傍証になる
ttps://www.kyushu-u.ac.jp/f/46087/21_11_26_02.pdf
>韓国の欲知島Yokchido遺跡出土の女性人骨のDNAが95%縄文という結果が得られた。
>年代は新石器時代中期、紀元前3500―2000年と推定される。
>九州と韓国の間、黒曜石や貝製品などの交易が縄文時代にあったことは考古学的な調査で既にわかっていたが、DNA分析で証明できたことは重要である。
>また、従来の考古学者はこの縄文時代の日韓交易は男性を中心とした漁猟集団が行ったと考える研究者が多いが、
>欲知島遺跡の縄文系人骨は女性 であったことから、男性と女性の両方がこの交流に参加したと考えられる
半島に住む縄文人と南下して来た華北との混血が初期の渡来系弥生人 >>259
朝鮮半島に何度か侵攻した記録が向こうに残ってるけどそれが卑弥呼の時代と合わないんよね >>179
具体的で納得ができる
武器と米がなくては制圧できないだろう >>469
そう
そして中国や朝鮮は年代を操作する必要も理由もないから
年代をいじってるのは日本だろうという事も分かるしね
で、そのような年代操作をしている時点で
卑弥呼は天皇家と関わりが無いか薄いかのどちらかだという事も分かるんだよな >>466
日本を主導した渡来人蘇我が藤原に変わっても方針は変わらない
当時から天皇は傀儡でしかなく、外国から先進技術を取り入れてきた国際国家だった >>471
卑弥呼の時代と合わないというだけで、どうして日本が年代をいじってるという話になるんだ? >>93
「倭人(阿波勢力)」が福岡や奈良に進出していった証拠だ。 @阿波 >>292
吉野ケ里の主祭殿と大差ないだろ
しかし残念ながら纏向は最新の年代測定でまた4世紀のものになるらしいからな >>93
「倭人(阿波勢力)」が福岡や奈良に進出していった証拠だ。 @阿波 >>473
魏志倭人伝の記述とほぼ同じ内容を、日本書紀の中で神功皇后が行ったことだと書いている
でも実際は卑弥呼だし
神功皇后の他の行動は全て120年後の話だし
そうやって考えると年代をいじくって神功皇后を卑弥呼に重ね合わせようとしているとの結論になる 阿波で考えないといけないのは、天富がどうして飯高(和邇安倍領)から阿波まで逃げて、阿波を名乗ったかだ。トビノ長髄彦、つまり出雲系列の大君大彦(倭王)の臣民と言うことだ。
裏切り者の物部、侵略者の神武との決戦の結果、散り散りになり、サカシマゴトで出自もわからなくなったのだろう。 >>463
宮崎まで行くと南がなくなるから狗奴国はどこなん?って話になってしまう
宮崎は都萬の地名が残る投馬国なんじゃないかと俺はみてる
宇佐、阿蘇、太宰府や菊池市辺りが邪馬台国なら球磨の名が残る熊本南部が狗奴国でしっくりくる
ちなみに熊の文字があるからと言って熊襲と狗奴国を繋げることはできない 官は伊支馬有り。次は弥馬升と曰う。次は弥馬獲支と曰う。次は奴佳鞮
弥馬がつく官が2つある
阿波も邪馬台国の構成に関係しているかもね
奈良は元々方形周溝墓だったが弥生時代末期に前方後円墳に先立って阿波と同じ円形周溝墓が現れる
阿波はミマであり鷲であるから、弥馬獲支かもね >>462
淡路島は九州ではないけどなw
また何故か出雲地方ではヤマトの孝霊天皇の逸話だらけなんだが。 >>435
第一次木津川の戦いで織田水軍を撃破した毛利水軍は船で、石山本願寺に兵糧を運び入れた >>475
巻向遺跡の比定は三世紀半ばで確定してるよw
その吉野ケ里の復元には鍵唐古の資料使ってるぞ。 ヤマト平定の先兵隊の一つが阿波だった可能性はあるな
色々地ならしをして卑弥呼をヤマトに引き入れたとかの可能性が考えられる
天岩戸開き? >>477
>>実際は卑弥呼だし
ってのは、あなたの推測ストーリーではないの? >>480
>弥生時代末期に前方後円墳に先立って阿波と同じ円形周溝墓が現れる
「前方後円墳」に先立つのは、突出部を持つ円墳だ。 @阿波 >>485
平定とか、そんな無骨なことではない。 拓殖にすぎん。 @阿波 近畿には纏向以前の遺跡もあるし伊勢遺跡のような特殊な遺跡もある
未発見のもあるかも知れんし纏向を否定すれば近畿全部違うって事にはならんのよ >>480
最近箸墓に先立つ類似の円墳が藤原京の下から見つかってるからな。
これは三世紀初頭と見られてる。
だから元々奈良盆地、特に葛城地方に相応の一族がいたのは確実なんだよ。 >>291
というより、そもそも250年あたりは九州北部に畿内の影響が及ぶかどうかという時期(前方後円墳から考慮する考古学的事実)
それまで畿内の影響が九州に及んでいないんだったらそれまで九州北部と中国のあいだにあった交流はいつ他に移ったのかという話になる
邪馬台国は九州で、卑弥呼の死後畿内勢力に滅ぼされたと解釈するのが妥当
その過程で中国の史書に倭国がでてこない空白の4世紀になるという話 >>110
遣隋使は特使だぞ?
聖徳太子は、中国と対等につきあいながら、中国の進んだ文化を取り入れたかったようです。
文明国として、中国と対等につきあいながら、中 文明国として、中国と対等につきあいながら、中国の文化を取り入れたかったからだよ。
国の文化を取り入れたかったからだよ。
隋の都まで往復するのに、 約1年かかったそうよ。 >>458
近畿説
とうぜん政治とかの中心国ではないよ
宗教の中心地である。証拠としてその後にバカでかい墓が
あっちこっちにできる。復興、開拓でもある。邪馬台国は近畿である。 あー、朝鮮半島どころじゃないのかー
と言うことは、この卓淳は柔然の事だろうね
↓
卓淳は上下が離れ離れで、国王自ら新羅に内応した。それで亡んだ。こう考えると 記紀によると大和朝廷って元々宮崎だから九州なんじゃないの >>479
> 宮崎まで行くと南がなくなるから狗奴国はどこなん?
南の国々は「遠絶」って書いてあるでしょ。
で、「絶」の意味は「陸続き」じゃないってこと。
倭人伝の他の箇所にも出ている
「あるいは連(陸続き)あるいは絶(陸続きじゃない)」
とかいろいろあるよ。
つまり、女王国以南の国は陸続きじゃないんだ。
二十数個という個数的に南西諸島でしょう。
最後の狗奴国は沖縄本島。
日本語と沖縄語が分離したのもこのころだという研究もある。
勢力で勝る邪馬台国が狗奴国を簡単に倒せなかったのも、
陸続きじゃないから。
女王国の東渡海先に倭人の国があり、南は「絶」なんだから、
女王国は九州の東南部で間違いない。
日本神話でも宮崎に鏡好きの女性宗教指導者がいたことになっているし。 なんで、ブダ?(ぶっだ)なんだろうな……
アヴァールが極東へ進出してきたって考えた方が辻褄合いそうだが。 >>493
畿内と北部九州、半島や大陸との交易の痕跡なんて既に弥生時代中期の時点で確認済み。
この時点で北部九州は畿内からみれば単なる渡航玄関口に過ぎないんだよ。 >>110
遣隋使や遣唐使で隋や唐は日本に対して王に任命したのか?
遣隋使の手土産と、従属国の献上を混同するなよ・・・ 奈良県は京都や大阪と違い取り残されていた場所なの
遷都以降パッとした歴史は当然なく、人口も明治時代で全国最下位だった
そんな県だから何でも偽造できるんだよ
邪馬台国もなかったら作ればいい
誰にもバレないから >>80
つまり
狗奴
隼人
熊襲
も無かったと? >>480
>弥生時代末期に前方後円墳に先立って阿波と同じ円形周溝墓が現れる
「前方後円墳」に先立つのは、突出部を持つ円墳だ。 @阿波 >>499
現実には鏡作神社自体が畿内の田原本にあり、そこはモモソヒメの出生場所なんだけどな。 新羅ってコンスタンティヌスの事でしょ?(🇭🇺ハンガリー語) >>499
狗奴国が沖縄はあり得んな
渡れないから接点がない
つまり争いすら起きない >>501
交流があることと支配関係にあることは全く違う
四隅突出型墳丘墓など各地に独自墳丘墓が存在する時代は各地にそれぞれ国があったと解釈するのが妥当だろう
それが消えて前方後円墳に変わるのが3世紀頃からの話 >>494
大業三年 其王多利思北孤遣使朝貢
対等だなんて隋書には書いてないけどな >>499
付け加えると、
福岡+大分あたり=豊(トヨ)の国
宮崎+鹿児島あたり=日向(ヒムカ)の国
という旧国名からも、
女王の所在地は分かる。
女王卑弥呼(ヒムカ)は宮崎あたり、
女王台与(トヨ)は大分あたりが本拠地。 >>510
魏志倭人伝と日本書紀で卑弥呼と神功皇后を同一視してるのはどの一文? 葛城には土蜘蛛がいた。侵略者神武が土蜘蛛を捕らえて殺した。
で、もともと葛城にいた氏族は
三輪氏、賀茂氏、安倍氏
諏訪信仰、陰陽道、各地の独立国、
金山彦の南宮大社
土蜘蛛くさいぜ。 >>13
狗奴国との戦いで滅んでその後も戦いは続いたから百年以上の暗黒時代となった
壱与が女王になった所で元々百国あって争いあってた国の連合が簡単にまとまるはずない >>508
じゃあ、「絶」という文字をどう解釈するつもり?
他の箇所ではすべて陸続きじゃないと解釈しているのに、
ここだけ、交流が絶えているとアホみたいな解釈するの?
韓国南岸は倭人の国だったようだし、
船による移動は基本かと思うけどな。
女王が変わってからは畿内方面にも進出するし。 >>506
せっせと三角縁神獣鏡を作成したわけだな >>457
魏の記録が全部合ってるとは限らない
三国志で敵地の情報とか誤算もいろいろあったでしょ >>513
日本書紀だと言ってるんだよ
神功記の部分に魏志倭人伝そっくりの記述がある
そして年代が違う
神功記の他の出来事を外国の歴史書と比較すると
120年さかのぼっていることが分かる >>518
徳島市 「金山神社・立岩神社」
「八尺(やあた)の鏡はこの地で作られた」
ご存知のように日本の皇室に代々伝わる『三種の神器』とは、
『天叢雲の剣(草薙の剣)』、『八尺の鏡』、『八尺(やさか)にの勾玉』をいうが、
その神器のひとつ『八尺の鏡』の製作地はこの神社であるという伝承がある。
その背景には、銅鐸や銅鏡の出土が多く「たたら跡」と見られる史跡もあるこの地区が
「日本の治金技術発祥の地」ではないかという説がある。
見渡すと周辺にも「金谷」、「多々羅(古来、精錬所のことを『たたら』という)」、「八田(八尺)」という地名が残り、
まさにこの「金山神社・立岩神社」の鎮座地自体も『多家良(たから)』というそのまんまの地名。 @阿波 >>475
年代捏造がバレちゃてどうすんだろうな纒向爺さんたち >>179
佐賀、長崎が少ない
ここに卑弥呼が祭祀を行う場所がある。
またそれを守るように福岡(奴国、久留米川の南)、大分、宮崎に鉄鏃が出土
邪馬台国は近畿、共立で卑弥呼は佐賀、長崎の地。
九州で壱岐以外のト骨出土はこの二カ所。
近畿一帯は奈良を初め多く出土。 >>515
魏志倭人伝の全文コピペでいいのだから自分で読めばいい
魏志倭人伝に神功皇后の真苗は出ていないだろ
そのくらいはお前でもわかるはずだ 奈良に歴史を集めるのは管理しやすいから
日本最古と自称してる神社も奈良にあるわね
なぜこの神社が選ばれたかと言うとね、渡来人の神社だからよ
3つの鳥居は渡来人だから そもそも宮崎なんて大陸からの影響である、神獣鏡が殆んど弥生時代末期に出土してないのに女王国、邪馬台国な訳がないのだが。
うたり可能性があるのは狗奴国エリアだろう。
神話に惑わされて妄想しても無駄だよ。 >>480
崇神天皇=御間城入彦=みましよ=弥馬升
じゃね? >>311
方保田東原遺跡とか整備されてない所たくさんあるやろ >>517
絶の解釈はともかく物理的にあり得ないので却下 >>526
>日本最古と自称してる神社も奈良にあるわね
「石上坐布都御魂神社」「多坐彌志理都比古神社」「鏡作坐天照御魂神社」「大和坐大国魂神社」
「村屋坐弥冨都比売神社」「高市御県坐鴨事代主神社」「飛鳥坐神社」など
奈良の神社は、「坐」が付く神社だらけ。
「坐」が付く神社は、どこかから勧請された神社。
当然、「阿波」からだろう。
片や「阿波」には、一つもそんな「坐」が付く勧請された神社など存在しない。
まあ、当たり前といえば当たり前なんだが。 わははははは @阿波 畿内説と九州説で当時の日本の政治形態が大きく異なるよなあ
畿内説なら九州から吉備、北陸、東海、関東までを勢力圏とする巨大政治勢力があったことになるし
九州説だとまだ日本列島には巨大政治勢力が誕生しておらず各地に政治勢力があったことになる
個人的には弥生後期に大きな政治勢力が日本にあったとは思えないなあ >>521
それを同一視して決めつけてるのはあなたでしょう? >>533
だから魏志倭人伝の記述をあてにするしかないわな
その上で近畿だと言っている >>519
他の文献で間違いがあったからこの文献も間違っているはず
という決めつけをやると文献学は成り立たない
順序が違う >>508
それに、接点がしっかりあったら、
なぜ邪馬台国は狗奴国を倒せないの???
疑問点だらけの解釈では?
沖縄だとするとすべてが丸く収まるが。 魏史(三国志)が倭国を重要視している背景を考えると邪馬台国が17,000里と遠方の理由が見えてくる。
三国時代に魏呉蜀で争っており不安定だった情勢もあるが、それ以上に魏内部における「魏を建国した曹操の一族」と「後に軍事クーデターにより実権を握り禅譲により魏から晋を建国した司馬懿の一族」の勢力争いに注目すべきである。
三国志が編纂されたのは晋建国後の260年以降であり、司馬一族が王位を簒奪したのでなく正当に禅譲されたと主張したいという思惑があった。
魏により「親魏〇王」の称号を受けた国は2つあり以下のようになっている。
229年 曹真 西方 大月氏国 16,370里 親魏大月氏王 10万戸
238年 司馬懿 東方 倭国 17,000里 親魏倭王 7万戸
曹真は西方諸国からの朝貢をうけており一番遠い大月氏国(クシャーナ朝)は首都から洛陽まで16,370里という遠方から来ている超大国であり親魏大月氏王の称号を贈っている(後漢書)。
一方で司馬懿は東方征伐での功績があり、呉と通じていた遼東・楽浪郡帯方郡の公孫淵を討ち東方諸国への道を開いた。
この翌年239年に卑弥呼の朝貢が訪れたのは偶然ではなく司馬懿による要請があったと思われ、
「大月氏国にも負けない規模の大国(7万戸)が大月氏国以上の遠方(17,000里)から訪れた。それは司馬懿による功績である」とする目的があり、後に三国志を編纂する時にも司馬の功績と皇帝としての正当性を表す必要があったのだろう。
〇TIPS
・三国志筆者の陳寿は皇帝曹髦殺害の経緯を隠匿し禅譲の正当化を図るなど晋のために筆を折っているとされる。
・後漢書など他の史書では東夷・北狄・西戎・南蛮の四夷それぞれの伝があるが三国志には東夷伝しか存在しない
西側(大月氏国)の功績は後漢書により確認できるが三国志では抹消されている
・魏志を読むと朝鮮半島北東部の濊については距離についての記述が一切なく、南部の韓(馬韓・辰韓・弁辰)は地域全体の大きさの記述や国名はあるが国々の方角や距離など詳細な部分は書かれておらず曖昧にされている。
また不弥国から邪馬台国までの距離も明記されず水行二十日・水行十日陸行一月と日数換算で首都までの距離を曖昧にした上で、まとめて「帯方郡から首都邪馬台国まで12,000里(∴洛陽から17,000里)」と首都までの距離を提示している。 >>534
そういう事
で、俺は倭=ヤマトだと思ってる >>534
3世紀というのは大きな転換点がある時代なんだよ
考古学的事実として、畿内圏域に存在した銅鐸が突然消え、出雲などに存在した四隅突出型墳丘墓などの特色ある弥生型墳丘墓も消え、突如として現れた前方後円墳に置き換わっていく
つまり、3世紀まで各地に独自文化を持つ国があったが、急速に畿内勢力に支配されていったという時代
では、それまでに中国と交流があったのは九州北部であり、九州邪馬台国と解釈するのが妥当だろう
畿内勢力の九州支配の過程で空白の4世紀となったと >>525
魏志倭人伝は大体記憶してるけど日本書紀は目を通したことがないんだ
なのでその文をピックアップしてくれると助かる >>543
いきなりそうなったとは思わない
共立から統一国家大和朝廷になった >>543
>急速に畿内勢力に支配されていったという時代
畿内にそんな勢力はない! @阿波 >>537
少なくとも陳寿は晋の王位簒奪を正当化するために曹真の功績(西戎伝)を書かなかったり司馬懿らの皇帝殺害を隠匿してるがな 九州の人は可哀相だけど、今後ひっくり返る事はないでしょう
九州は出すぎるのよ
だから危ないの
奈良は出ないの、だから偽造し放題
これは明治維新から続いてるわ
日本を仕切る長州は百済人を自称していたのよ >>525
言い出しておいて、自分で探せはないだろ
こんな記述がある似てるよ、と言うなら分かるが
説得力0だな >>538
意味が分からん
単純に実力が拮抗してたら倒せんだろ
ましてや当時山越えて移動するにも一苦労する時代に一県跨いで戦闘するのがどれだけ大変か >>493
魏志倭人伝(と後漢書)を見れば、漢の時代に倭で唯一
王(漢倭奴国王)に任じられた奴国は、魏志で邪馬台の配下
だとバレる。つまり漢の時代の列島覇権国は奴国の裏に居た
邪馬台だと判る。その邪馬台が明らかに倭国大乱に敗れていて、
覇権放棄の証に女王(=剣を持たぬ王)が即位している。
で、邪馬台の博多港を支配している謎の勢力「大倭(ダイワ)」が、
実は大乱の勝者で、邪馬台の名で朝貢しているのも読み取れる。
大倭とは奈良だろ? 倭全体を手中に収め「大倭」と名乗ったか。
この倭国大乱が2世紀末頃だ。考古学的に、この時期以降、
奈良の支配が九州に及んだ形跡が出始めるのは当然だわな。 >>549
で、
魏志倭人伝の年代を操作する理由は何かあるの?
年代を操作して中国に有利になることが無ければそんなことを行う理由もない >>545
これを読む限り卑弥呼と神功皇后は同一視されてないと書いてあるけど? >>534
魏史では戦乱続きのかなり不安定な国として書かれてるしどこにあったとしても連続性はないと思う 天孫降臨の神話の舞台になってることからも
九州にはかなり古くからクニと呼べる体制があったのは間違いない
だから九州説の方が説得力がある >>557
という事は、神功皇后と卑弥呼は別の人物という事でいいだろ?
それに異論がある? >>543
考古学者が幾ら発掘しても3世紀の関西には何も無かった、邪馬台国は関西に無かったと言ってるよ
何も無かったのに九州支配を支配するとかないよw >>554
3世紀以前に畿内勢力が出雲九州北部を支配したという考古学的根拠は存在しない >>553
>ましてや当時山越えて移動するにも一苦労する時代に一県跨いで戦闘するのがどれだけ大変か
それにも拘らず、九州から奈良に東征したというアホがいまだに居るという。 わははははは @阿波 >>555
年代の話なんてしてないけど急にどうした? 九州にあったのならただの地方豪族
大和朝廷の起源とは無関係な些細な出来事 >>554
>考古学的に、この時期以降、
奈良の支配が九州に及んだ形跡が出始めるのは当然だわな。
全くそんな形跡無いんだが?何を根拠に話してるの??? >>561
3世紀、畿内になにもないというなら吉備尾張連合などでもいいだろう
正直そこにこだわるのは畿内説だろうから >>560
うん?
お前は卑弥呼と神功皇后が同一視されてるから日本書紀は年代を弄ってるって主張じゃないの? >>564
年代の話じゃ重要なんだよ
神功皇后は120年さかのぼって存在したことにしてるから卑弥呼と同時代になっている
実際は卑弥呼と120年時代が違う人物である >>565
当時の倭が九州と山陰くらいまでだからな
関西とか未開の地だったんだ。 >>570
重要なところをミスタイプしてた
意味が通じないだろう
>>564
年代の話「が」重要なんだよ
神功皇后は120年さかのぼって存在したことにしてるから卑弥呼と同時代になっている
実際は卑弥呼と120年時代が違う人物である >>565
そのとおりで、奴国いらい中国と交流のあった九州の一国がたまたま史書に出ただけという話なのに、なぜ畿内説は「邪馬台国は畿内だ」と必死になるのかさっぱり理解できない >>573
そういう事
畿内大和が邪馬台国と同時期に存在していて
畿内大和の方が勢力が大きかったとしても
それが畿内説になる理由にはならないんだよな 先入観無くして色々な説読み比べたことあるけど、無かった説が一番納得出来た >>570
他の文献ではなく三国志で陳寿は筆を折ってるのは事実だし「魏史の記録にあってないといけない」は成立しない
>>540で書いてるように規模や距離とかな
時代がーとか言われても俺はそこに言及してないし全ての記述が間違ってるとも言ってないから見当外れ >>534
奈良の纏向遺跡で3世紀前半の染料に使われるエジプト原産の植物の花粉が大量に見つかっているから少なくとも倭は近畿まで広がってたと思われる もう分かってることなのに、何でこんなに議論するんだよ?
邪馬台国は、九州にあったんだよ
で、その後、東征した
で関西に移動し、大和王権となった >>482
石山本願寺の場所も全然ズレてるよ?
東大阪市日下町の位置を確認してみたら?
白肩津の草香邑に船でたどり着けたのは紀元前までだよ >>41
違う
倭人は、民族または人種。航海に長け船で漁や交易を行い沿岸部に住んでいる。中国南東部や朝鮮半島南部、日本列島の一部にいた。
邪馬壹国は、複数ある国の中から話し合いで女王に選ばれた卑弥呼がいたとされる国の名前
日本は、聖徳太子が607年に遣隋使を航海に出し、隋の皇帝へ送った手紙の中で、陽が昇る国の天子から陽が沈む国の天子へと挨拶をした。
この時の陽が昇る国とは日本という国と紹介をするまでは、日本がいつから使われているのかよくわかっていない。 >>579
>少なくとも倭は近畿まで広がってたと思われる
「倭人(阿波勢力)」だ。 @阿波 >>578
魏志倭人伝というよりも、三国史記
それから朝鮮の東国通鑑
それらの記述と比較していると、日本書紀の神功皇后の項は120年時代を遡っている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80#%E7%A5%9E%E5%8A%9F%E7%B4%80%E3%81%AE%E7%B4%80%E5%B9%B4
中国と朝鮮が日本との記録を同時に操作する意味があまりない
この場合、日本書紀の方が操作してると考える方が正しい >>579
纏向遺跡で見つかった紅花の花粉
紅花が中国のへ西方へ伝来したのが3世紀頃のこと
日本へは5世紀以後とされてるんだが
纏向遺跡は何世紀の遺跡なんでしょうね? >>581
ましてや当時山越えて移動するにも一苦労する時代に一県跨いで戦闘するのがどれだけ大変か
それにも拘らず、九州から奈良に東征したというアホがいまだに居るという。 わははははは @阿波 >>13
没落した国の王族の墓なんて後の権力者に壊されるか墓荒らしにあって埋葬品は全て持ち去られているよ
今残っている古墳がそのままなのは価値が無かったか、大和朝廷から連綿と続く天皇家の威光があるから >>573
>>575
ホントそれ
強大じゃないからこそ魏に朝貢なんぞして権威付けしようとしたわけでさ
地方の一勢力に過ぎんのよ
畿内説って邪馬台国を過大評価し過ぎてるんよね >>543
九州ヤマト、近畿ヤマトと考えたらあまり矛盾はない気がするけどね
邪馬台、大和を漢字で書くから何か途中で途切れたようにイメージしがちだけど >>592
三国史記と東国通鑑が根拠
はい論破www うーん、「『倭』が当初玄界灘周辺に留まった」というソースってあるのかな?
後漢書東夷伝と魏志倭人伝しか資料がなくて、そこにはそんなこと書いてないでしょ。
日本国王にしろ倭王にしろ使者をよこしたところがそう主張するならそれを追認することで
中華帝国の権威を示すわけで、「考察」と言うにはかなり程度が低いという印象だねえ。 魏志倭人伝にも記述があり日本書紀にも記述があり似通った逸話が多数あるのだから。
まともに考えるなら、卑弥呼=神功皇后がベース。
こんなの歴史公証には基本的なこと。 >>575
肝心な卑弥呼が鬼道使いだという観点が抜けているだろ。
鬼道とは三国志にも出てくる、初期の道教でしかないからな。
鏡と水銀朱は道教では重要なアイテムなんだし、それが三世紀畿内に多いならそごが鬼道使いの都なんだよ。
まして神獣鏡で魏の年号まであるのに、そこが邪馬台国なのはどんなバカでも判る話だ。 >>594
日本書紀よりチョンや中国の記述が正しいと盲目的に考えるチョンデスねw >>595
じゃあその前段階の倭国大乱って畿内まで巻き込んだ日本全土の争いだとでも言うわけ?
いくらなんでもそんな荒唐無稽な話はないだろw >>587
中国と朝鮮というのは現代の国の単位であって、当時は魏の記録でしかない
2国対1国ですよという説明には説得力がないね、
そして、大陸が常に上でなければならないという、あなたの観念が入ってる >>596
最初はそれをベースに考えたのかもしれない
そして年代を調べていくと、
どうやら神功皇后の記述は120年遡っていることが分かった
という事は、神功皇后と卑弥呼は別人であることが分かる
ではなぜ日本書紀は年代を操作する必要があったのかを考えると
天皇家には卑弥呼に関する記録がなかったからだろう
と予測できる
何故天皇家に卑弥呼に関する記録がないのか?
それは、卑弥呼が天皇家とは無関係だから 畿内から環濠が消えていく1世紀後半〜2世紀中頃の、巨大銅鐸が見つかった守山の伊勢遺跡
政治の中枢の誕生を示す遺跡だろう
国作りが進み平和で豊かな時代が到来したんだろう
ね
銅鐸に描かれた平和でのどかな世界。海人も山人も阿波もみな仲良く国作りに励み暮らしていた
伊勢遺跡からは中国の建築様式やレンガ、出雲や北陸の建築様式の建物など各地の特徴を持った建物跡が出土している。
おそらく多様なルーツを持つ首長たちが集い、祭祀を行い政治が行われていたと推測できる
面白いことに伊勢遺跡の全盛期に同時代の墓が周辺に認められないんだよね。政治の中枢であるが墓がない、国会のような年に1回首長たちが集う祭祀の場であった可能性がある
神無月に出雲に神々が集う言い伝えがあるが、伊勢遺跡の伝承だった可能性もある
伊勢遺跡の祭祀は夜に行われていたと言われている >>597
『名曰卑彌呼事鬼道能惑衆』 『名を「卑弥呼」といい、「鬼道」に仕えて人心を惑わしている』
大麻(麻)の繊維は、日本では古くからしめ縄、祓い具(おはらい)としての神事の大麻(おおぬさ)などに用いられてきた。
また、麻から作った大麻(マリファナ)は薬理作用があり、紀元前から古代人が嗜好品、また医薬品として用いてきた。
大麻(マリファナ)は喫煙、気化、飲食により成分を摂取する。
大麻といえば、阿波忌部。
卑弥呼は大麻(マリファナ)を利用して「鬼道」を操ったのだろう。 @阿波 >>593
断絶してないなら150年も空いたり倭の五王時に「なんか様子がおかしい」みたいなこと書かれないわな 日本書紀や古事記は成立年代が近いところ以外は歴史書として読んじゃダメでしょ。 後から創作するときに年代を変えて書くほど日本書紀の記述者は馬鹿ではない。 >>600
東国通鑑は李氏朝鮮が作った歴史書
中国が作ったものではない
大陸が常に上という考えではなく
外国の歴史書が、利害関係のない部分の年代を操作する必要性が無いというごく当たり前の理由
そして、中国と朝鮮の二か国とも違うという事 >>607
改竄だらけの中国の歴史書が正しい根拠は?
しかも離れたところほどいい加減なんですよw え、馬鹿じゃないけど都合いい時だけ中国の悪口本に頼るクソだよね >>589
はぁ?
東征伝説は中国地方のあちこちに残ってるけど?
あんた、東征って僅かな時間で、大名行列みたいな感じで行ったとでも思ってるのか?
それなら話が合わない
俺は、東征って言ってもかなりの年月をかけて徐々に近畿に移動したと見てる
中国地方各地の東征伝説を見たら分かるが、とてもとてもただの道中の出来事とは思えない
ドラマの水戸黄門みたいな珍道中を想像してる人が居るが、あんなのじゃない
じっくりと腰を置いて、そこで生活しつつ徐々に東征していったと見ている >>605
全て予測だよ
畿内説も予測でしかない
証拠なんて一切ないのだから >>599
高地集落跡から瀬戸内を中心として九州〜近畿ぐらいの規模だと言われてなかったっけ? もともと九州は土蜘蛛とクマソの支配する僻地で
大和朝廷に討伐されたのは卑弥呼よりずっと後のこと
九州=邪馬台国はありえないよ >>601
日本書紀を編纂するに当たって邪馬台国と卑弥呼の扱いに苦慮したんだろうなって思えるよね
ホントは無視して存在を抹殺したいけど外でもない中国の史書にバッチリ残ってるからそれが出来ない
だから「邪馬台国」も「卑弥呼」の名も一言も出さずに
でっち上げた胡散臭すぎる神功皇后のエピソードを挿入して
それとなく卑弥呼と同一視させるように仕向けてる
俺にはそうとしか読み取れない >>612
江戸時代に町おこしで嘘八百を言いふらしまくっただけだろ >>618
妄想。でっち上げるときに年代外す馬鹿はいないw >>354
遠くて名前しか書いてない国もたくさん書いてあるじゃん
そいつらの中に邪馬台国と同格がいてもおかしかない >>608
卑弥呼に該当する人物がいなかったから、
60年で一回りする暦である事を利用して二回り遡らせた
という事
馬鹿じゃないから、120年と区切りよく遡らせている >>614
その嘘つきと中国の歴史書を照らし合わせても
どうにも日本書紀の方がおかしいという話だよ >>374
大和が倭を併合したって書いてあるからね<旧唐書 >>1
すごい…。宮崎を始祖的に位置づける部分もあるわけだし、九州の凄味が感じられる
続
一途も血液にはなんだろうなって思うのとジパング感勝手に思われで
いずれにしても最終決戦にさっきのあのミラクルジョばりにやってきます
その展開だと一気に時間短縮も部分的に出来るし自分の課業は代替わりインスト、
なので。忠実に。そして5人は絶対週末も頑張って欲しい。これがすごい贅沢
マッスルジョも目指して行きたい。良い感じの。自分で出来続けるので 九州は地名も遺跡も発掘物も全くアテにならないのよ
戦国時代末期の大友氏と島津氏による大量破壊と、江戸時代の黒田氏と島津氏による大量捏造でめちゃくちゃになってる
少なくとも豊後、日向北部の史料は16〜17世紀に完全に断絶してる
その後、福岡藩による史跡の大幅改竄、薩摩藩による地名改変でカオスなことに
霧島連山周辺がそれっぽい地名なのは全て薩摩藩による改変で元は普通の名前 >>597
そこらへんもすでに何度も論破済みだけど
丹の産出地である必要は一切ない
よそから持ってくればいいんだよ
自分で言ってるように道教は中国から伝わったものだ
自国発祥じゃないのだから、なおさら丹の産地などどこでもいい 倭国大乱の時期はミニ氷河期に重なるんだな
寒くて食べ物がない時代
生き残る為に食国を巡って争いが始まったのかもね
九州でも南の端の投馬国が50000戸の九州一の大国
暖かいから人が集まってきていたのかもねえ >>610
魏志倭人伝を読めばわかるけど、あれ、いちいち書き起こしたものではなくて複数の出張報告書と
使者接待の報告書を要約してつなげたものなのよ。
そういう文書が残っていて作ったモノと言い伝えを何百年も経ってから文書化したモノの信憑性を比較するのはどうかと思うよ。 >>609
李氏朝鮮の記述は中華の写本プラス自分勝手な創作だろう
嘘だらけの韓国歴史ドラマみたいなもんだ >>593
ヤマト政権連続説は畿内説にも九州説にもどっちでもあるよ
畿内説の連続説は考古学に多く卑弥呼の時代の古墳とヤマト政権の古墳があまり変化がないことから連続していると考えられてる
逆に歴史学では文献から連続していないと考えられている
九州説も九州から畿内に東遷したと考える人は連続説だし >>598
日本書紀を妄信するのは馬鹿の証拠
成立当時に近い年d内ほど正確で、遡るほどあやふやで創作も多いことは歴史学者なら常識
一般人でも歴史をまじめに学んでいれば常識だよ >>620
だから60年周期の二回りで120年遡らせてる >>621
邪馬台国と同格なら普通は狗奴国をまず考えるもんだ。
七万戸の邪馬台国に対抗出来るなら当然相当な強大国だ。
しかも倭人は海人とあるなら基本的に山間部の集落はあり得ない。
だから九州に邪馬台国を比定すると、戸数的にはもうメチャクチャなるんだよw >>562
魏誌が書かれたのが3世紀。博多港では奴国を港の管理から外し、
本来周辺国に置くお目付け役「鄙守」まで置いて監視対象とし、
一方、大倭は港の入口の伊都国(糸島)に代官「(一)大率」を
置いて港とその周辺を実効支配している。これが3世紀の姿だ。
遡って、卑弥呼の死後、邪馬台の覇権復興を掛け男王が立ち
戦になり鎮圧され、また女王(壹與)に戻した。大倭による
博多港支配が強化されるのは、この事件によるとも推測でき、
まさにそれが上記3世紀の魏志に書かれた時代状況だわ。
一方、出雲が滅ぼされたのは、2世紀末の倭国大乱での事かと。
そうでないと大乱で邪馬台を覇権放棄に追い込むのは困難。 >>589
わしは陸路はあまり重視しないな
アスファルトやコンクリートや航空写真や地図の無い時代の山地や原野を長距離歩くなんて非効率だ
九州北部から日本海側の北日本沿岸ルート、大分県から瀬戸内海沿岸の中日本沿岸ルート、九州南部から高知県等の太平洋側南日本沿岸ルートの
3つの沿岸ルートで繫がりが有ったのじゃないかと思っている
そして、九州北部と九州南部で鉄の遺物が多い事から、元は同じルーツを持っていたが、別れて争っていたのではないかと
それは九州北部側が朝鮮半島南部や大陸に近く、交易で有利だったため、格差が生じ争いになったと
九州南部側が勝つためにはどこかから鉄の入手を有利に進める必要があった
その勝算のためにその後の歴史が動いたと
九州島には早くから海流の影響で大陸から漂着者または大型船での入植や
大陸文明が早くから導入があったと見ている
日本は九州から大陸文明導入が始まり、北中南の3つの沿岸ルートで発展していったと 神功皇后「クマとチョソ倒すで。卑弥呼?知らんわ」
日記はここで終わってる >>631
だが、
それらと日本書紀を照らし合わせてみたら、120年ずらせばちょうどよくなるという事は
日本書紀の年代も操作してるという結論となる
そして、
朝鮮は常に下だというお前の観念も入っている >>639
国は色々あったよ
邪馬台国って名前の国は無かった説 >>636
九州なら海人ってのもなんとなく分かるけど畿内って海人って感じがしないけどなあ >>632
まとめると、記紀は狗奴国側から見た歴史という結論になるんだよ。
邪馬台国の卑弥呼を日本の歴史からは消す理由と、孝霊天皇と卑弥呼候補でもあるモモソヒメが日本書記でするーされる理由が説明できる。
つまり崇神天皇とそのルーツ神武天皇系の狗奴国が邪馬台国、ヤマトの主権を握ったという事になる。 例えば、夷狄の征伐に活躍した大幡主に、
垂仁や倭姫命が旗を授けた事になっているが、
実際に垂仁の時代に狗奴国との戦いで、
黄幢を与えて激を飛ばしたのは、
張政だからな。
コレは記紀には書けない。 >>640
もう神功皇后の時代には一部の者しか邪馬台国の存在をしらない 教科書の記述からして邪馬台国とヤマトは繋がっているというのが今の主流なのかな>>69 >>636
北部九州地域全体が7万戸で
南部九州に狗奴国なら戸数的に何の問題もないよ。 関東 渡来系の東漢氏が土着
関西 ヤマト王朝がいて渡来系の西漢氏を受け入れ
九州 邪馬台国連合がヤマト王朝と揉めだしたり魏へ朝貢してつなぎを作ったりし始める >>579
倭国が畿内まで拡がっていたのなら
こんな地図になっていない
倭国とは倭人の住むクニグニという概念だろうから
実質本州も倭国なんだけれど
問題は倭国の概念を使っていたのは倭人ではなくて
大陸の古代中国人のほうなんだから実質よりも
古代中国人の概念のほうが重要で
古代中国人の概念では倭国には本州は属しておらず
あくまでも九州だけを指す言葉が倭国だった証拠がこれ
ps://i.imgur.com/GoAgu0c.jpg >>644
それは只の認識不足、河内湖の南部は海人の集落だよ。河内松原なんて地名はその名残だから。
また古代磯城県は河内の八尾辺りから奈良盆地桜井辺りを指す。
明治維新で奈良県が一時堺県とされたのも、実は古代復古調に合わせた物でもある。 倭国が地名なら九州説はあり得る
倭国が国号なら九州説は絶望的 九州説は税金ジャブジャブ入れてるから今さら後に引けない関係者がネットでもわめいているよね で、日本書紀の神功皇后の記述が正しくて神功皇后が卑弥呼だと主張すると
今度はモモソヒメは卑弥呼ではないという事になり箸墓古墳は卑弥呼の墓ではなくなってしまう
畿内説はこの面から見ても詰んでいるんだよな >>641
それはあくまで一説に過ぎないからな
実際には三韓征伐は200年説と320年説がある
201年だったかもしれないが忘れた 実際に日本の古代の建国期に、
外戚として力を奮っていたのは
丹波氏だった訳だが、
日本書紀等編纂したのは藤原氏だ。
先ず嘗ての外戚一族の栄華を、
記紀に書く訳にはいかんかったのだろう。 逆にモモソヒメが卑弥呼だと主張すると
神功皇后の項で卑弥呼と重ね合わせる必要がなくなる
では日本書紀はなんでそんな記述をしたんだという事になり
これもやはり畿内説は詰む >>657
卑弥呼の墓は元から大きな塚だからな
前方後円墳ではないよ
そして100人の奴婢が一緒に埋葬されている >>655
倭国とは古代中国人が使っていた概念である
倭人の国々の総称
倭国という大まかな概念の下に奴国や伊都国や邪馬台国があったってこと
それは魏志倭人伝を読めば理解できるだろ?
そして古代中国人の概念では倭国=九州のみ
本州は倭人の住む地であるが倭国に属さない地域という概念が地図にも表れている
ps://i.imgur.com/GoAgu0c.jpg >>658
三韓征伐だけじゃなくて、
朝鮮の王の即位した年と死んだ年からも
120年違っていることが分かる
一つの事例だけなら君の主張もありうるかもしれない
しかし、
一人ではなく複数の王の即位と死亡の年まで合致するのなら
それは日本書紀が年代を操作したと考えるしかないよ >>651
奴国二万に投馬国五万が消えてるぞw
それに戸数間違い説ならあり得るが、そんなご都合主義的な解釈は三国志にあり得ない。
だから九州説は根拠もない妄想ばかりと相手にされないんだよ。 学会で有力とされてる畿内説と違って九州説は候補地が各地で乱立する町おこしだし
【福岡】「畿内説と違って九州説は“おらが町の邪馬台国”的に百花繚乱」 豪族「筑紫の君」に焦点、「邪馬台国八女説」持論の高校教諭
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1543496504/ 神功皇后は客観的に見て、
大和武尊の東征後、
日本各地に丹波氏が
勢力を張ってからの話しになる。
従って4世紀中期後期の話だろう。 基本的な事として
中国は卑弥呼を邪馬台国の女王とは言ってない
卑弥呼はあくまで倭国の女王で住んでる所が邪馬台って町なだけ。 >>664
「有」と「可」の違いだよ
可七万戸なら
実際は1万戸でも70戸でも問題ないんだよ >>653
当時の位置関係がこの認識なら倭国と組んで呉の後背を脅かすという戦略構想は成立するね
一方「日本国」と組んでもあんまし意味が無い >>638
北九州から近畿までは常に海路だっただろう、関門海峡なんて対岸が目の前で、
河口のサイズだ、古代人に九州と本州が違う島とイメージすることのほうが難しかったと思う
九州と本州に地域の違いを感じてる人はいなかったはず
そして瀬戸内海は大波はない、大きな河口、湾をずっと進むと近畿の大きな経済圏に到着する、そんな
地理観だったと思う どっちにしろ
当時の中国人にとって邪馬台国とやらが九州にあるか近畿にあるかは
大した問題では無かった
楽浪郡、帯方郡を守り繁栄させるためには
実際の場所と距離がわかるのは伊都国や奴国までで十分
その先にも国があるみたいだが
行きたければ現地で聞いた方が早い
行ったところで大した物は手に入らないけど
というのが、当時の認識だろ >>617
魏志倭人伝の女王国の東が海だったこと
と男性は入れ墨していたという記述はどう説明するの?w >>666
だからなそれはお前の妄想なんだよ
神功皇后には200年説か320年説しかないわけ
誤差は1年だけ >>662
すごいいつの地図?
日本国
倭←九州だろw
大琉球(沖縄本島)
小琉球(八重山諸島)
小人国(フィリピン) >>628
>丹の産出地である必要は一切ない
>よそから持ってくればいいんだよ
「丹」も採れない所に、そんな力があるわけもなし! 却下! @阿波 >>673
「有」という確定情報ではなく
「可」という推測でしかないことが分かればそれでいいよ
これからは七万戸だからとは言わないようにねwww >>663
だから勝手に決めつけるなって
マジでな 山戸(山手のクニ、戸はクニの入口の木戸のこと)
=
ジャマタイ(邪馬台) ・・魏代の九州方言
ヤマト ・・・・・・・後世の奈良方言
と考えている・
つまり、時代と地域による発音の差だと考える。 >>665
残念だがソレは間違いだ。
畿内説の中核、
纒向学研究センターが、
纒向が邪馬台国である事を前提にして行った
クラウドファウンディングは、
58%未達で僅か98人の支持しか受けられなかった。
世の中、考古学者は何人いる?
たった2万すら、邪馬台国畿内説に
払う価値を見いだせないモノが大多数なのだよ。
補助金ゲットの為の邪馬台国畿内説に、
自分でカネを出すなど本末転倒とも言えるだろう。 >>674
紀伊半島が女王国の範囲なら何の問題もないだろw
まさに東は日本では東海地方だしな。 >>680
勝手な決めつけではない
畿内説よりも信憑性は高い説だ >>673
1800年前に7万と70の数字の数字は何も意味をなさないことをなぜわからんキチガイw >>677
これは明時代の地図
明の時代なんて、豊臣秀吉とかの時代で
九州はもちろん日本に統一されているのに
日本国と倭国が別々に描かれている
つまり中国の人たちの概念では倭国=九州というのは
当たり前の常識だったわけで
倭国が実際にあった古代からその常識が引き継がれていると見るのが妥当だろう >>629
南四国に大国「邪馬臺国」・「狗奴国」・「投馬国」
「弥生人にとって、阿波はまさに常世の国・パラダイス」
南四国は、温暖な黒潮流れる太平洋に面し、漁労・航海術が発達、内陸は高温多雨による森林資源に恵まれ、
一方、「辰砂」「青玉」など希少価値の高い鉱物にも恵まれている。
また、吉野川を始めとする、いくつもの大河が流れ、大河流域には、広範に肥沃な土壌の恵みを与えている。
南四国に大国「邪馬臺国」・「狗奴国」・「投馬国」が興るのも当然と言えば当然。 @阿波 >>683
入れ墨は?w
答えてみいキチガイ爺さんよ >>676
ソレだったら320年じゃないか?
10年20年でギャーギャー言うんじゃない。 >>676
その200年説を信じてるのは、一部の畿内説の奴だけだろ
畿内説を主張するために事実を捻じ曲げてるんだろう
だから320年説が正しいと思うよ 自分の都合のいい解釈で歴史を歪めてるのが畿内説のキチガイ爺さん達
前スレではいいこと言ってる奴がいたんだよな
994 ニューノーマルの名無しさん 2022/02/05(土) 00:38:20.87 ID:CWMMvFaB0
旧唐書に、倭は大和に滅ぼされたってある訳で…
倭の五王を歴代天皇に数えた手前
おいそれとは九州で決着できんだろ >>663
またお前かよ。せめて「〜だと思う。」ぐらいな書き方をしないと
この人また朝鮮を上にしようとしてると思われるだけ。 >>693
そう思うのは君の勝手だから敢えて否定はせんよ
ただいくつかの説があるのは覚えておくとよい
>>658
訂正
誤差は30年くらいあるかもしれない >>686
文献なんて、新事実以外は過去の記録の焼き直しなんだから
倭国があったという記録
倭国に日本という国ができましたという記録
があって
日本が倭国を滅ぼしたという記録はない
あの辺を倭国と言っても現地でも通じる
(現地民にとっちゃ倭国も日本も同じだから当然)
結局、中国人としては倭国と日本が併存しているという認識になり
その認識でも、貿易やら交渉やらなんの問題もなかった >>696
お前みたいに
朝鮮が上だ下だ、中国が上だ下だというイデオロギーありきの奴が歴史を語るのはよくない
その考え方は、韓国の歴史教科書と同じじゃないか?
俺のようにイデオロギーなしで考えないと正解にはたどり着けないぞ 古代へのロマンは、
私財を投じて発掘し、
真実を解き明かした例が非常に多い。
しかしだ、邪馬台国畿内説には、
そんな話は一切聞いた事が無いんだよ。
要するに、邪馬台国畿内説は、
誰もロマンを感じてない訳。
私財を投げ打つどころか、
2万円すら口惜しい訳よ。
まあ、考古学者も、あくまでも、
ゼニを懐に入れる為の邪馬台国畿内説であって、
そこにカネを投じるなど、
有り得ないことは分かっている訳だ。 >>690
だからお前が勝手に決めるなよ
二つの説があると覚えておくだけでよかろう >>685
じゃお前は魏志倭人伝なんて最初から無視して、邪馬台国は日本に無かった、でいいだろw 中国から来ればまずは九州に上陸するもんな。
そこからわざわざ奈良まで行くのは無理がありそう。 >>701
2つはない。
2つとか言ってる時点でおかしいんだよ。 >>702
方向も距離もある程度は信用し
戸数も「有」と「可」の違いを理解していれば
魏志倭人伝に従ったら九州だよな
という結論が出てくる
方向も距離も戸数の表記方法も無視しないと成立しないのが畿内説 🇭🇺ハンガリー語って関西弁並みに簡単なんだよなw
すんなり、喋れるようになる。
英語がこんな簡単だったらなあ…w就職楽なのに 「日本は倭国の別種なり」 旧唐書
「日本はもともとは小国だったが、倭国を併合して大きくなったともいう」 旧唐書
日本=大和政権なのは常識なんだから
この地図を見れば、卑弥呼の時代の倭国に大和政権が興る畿内は含まれていないことは理解できるだろ?
ps://i.imgur.com/GoAgu0c.jpg >>689
倭人伝だから北部九州でも四国でも瀬戸内海や紀伊半島にいても問題ないだろw
そもそも普段朱丹を用いる海人の集落なんて、紀伊半島沿岸部か四国南部しかないんだからな。
これは正確には弥生時代、九州に該当する場所はない。 >>180
そもそも神武天皇も地方豪族だし、応神天皇、継体天皇も元々の地方豪族が実力で大和に上洛しただけだな 能の三輪の通りでしょ
思えば伊勢と三輪の神。思えば伊勢と三輪の神。一体分身のおん事。今さらなにと岩倉や。その関の戸の夜も明け。かくありがたき夢の告げ。覚むるや名残.なるらん.覚むるや名残.なるらん。 >>708
宮崎や大分の南部でも該当するだろうに
嘘つくなよ
嘘をつかないと畿内説は成立しないのか?www >>708
瀬戸内海ごときで海人とか恥ずかしくて言えないだろ >>211
日本書紀なんて魏志倭人伝の何百年も後の創作だからな
むしろ倭人伝に合わせてそれっぽく話をでっち上げて創作しただけなのに 歴史上で見て、神功皇后の役割は分かるか?
大和覇権が、御間城氏→生目氏直系→生目氏傍系に切り替わっていく中で、
外戚として力を発揮した人物が居たから、
今現在の天皇の血筋が、
大和武尊の血筋になっている訳だよ。
ソレを三韓征伐200年とか言ってるのは、
歴史の必然と言うものをマルで
分かってないタコ助でしかない。 >>703
そそ
少なくとも北九州に一大率という女王国の出先統治機関があったのは確実なわけでさ
仮に邪馬台国が奈良から北九州に及ぶ勢力だとするならそこまで強大な国と争える狗奴国ってどこよ?奈良の南にそんな勢力存在できるの?って話になる >>553
意味が分からんのはあなたの方でしょう。
数十国の大連合と一国の実力が拮抗しているとか。
沖縄と戦争するのが、物理的にありえないとか。
物理的には船で移動できるし、
勢力差が大きくても島だから守りやすかったんだよ。 >>699
少なくとも俺は、〇〇と思う、というような表現だけどな、
あなたの話は全て断定、決めつけだ
事あるごとに「大陸が正しく日本が間違ってる」という見せかけストーリーばかり 九州説だと予算が取れないから研究者は畿内説にしてるって、聞いたことあるけど、
九州説に予算を振り分ければ、とっくに証拠が発掘されてるかもね…。 学者の間では畿内説でほぼ一致しているんだけど
その中でヤマト政権との関連や箸墓古墳が誰の墓かという論争が続いているからな
邪馬台国の場所は一応の決着がついても論争はまだまだ続くよ
一応の決着がついたと書いたのは今後の研究で覆る可能性もあるから >>717
小国の寄せ集めだから大国にはかなわなかったんじゃね? >>671
どうだろうね
近畿に大きな経済圏があったかはわからないな
古代人は狩猟採集生活で、沿岸部以外は古代陸稲栽培が始まるまでは
たいした人口を増やせないだろう
倭人条にも邪馬壹国の話しでは、東側にも倭人がいるがよくわからないという報告
邪馬壹国人はまだ日本列島をほとんど把握出来ていないとみるな
わしの書いた内容はせいぜい邪馬壹国があった時代までの考察
南九州側が気候的に有利なので、生活は豊かで人口も多かったのではと思ってる >>717
邪馬台国が畿内(奈良)だとすると
邪馬台国と争っていた南に接する狗奴国ってのは
和歌山県かな?w
九州から畿内までの広域連合の盟主の奈良の邪馬台国が倒せない
和歌山って強すぎる
さすが二階の地元だw >>718
じゃあお前のの脳内で「だと思う」を継ぎ足しておいてくれw
それでいいだろ
>事あるごとに「大陸が正しく日本が間違ってる」という見せかけストーリーばかり
ん?
神功皇后の県だけだと思ってるが
事あるごとと言うほど他に色々あったのか?
レッテル貼りじゃないのなら
事あるごととはどのことなのか具体的に出してみろ
逃げるなよwww >>705
自己満足的なご都合主義解釈だな。
九州説はそんな条件にまでしないとダメなのか?
まあ該当遺跡や候補者もいないのなら仕方ないが。
まず弥生時代の丹山が紀伊半島や四国にしかない時点で九州圏内の話ではない。
また中国との交易の流れは弥生時代、明白に北部九州から東側の丹波や畿内方面に向かっている。南へ向く流れなんて殆んどない。
状況証拠的にも既に九州説は成立しない。 東大寺古墳の鉄剣は卑弥呼が中国から貰った剣
それが出てきたんだから東大寺古墳の人は卑弥呼から権力の継承された人の子孫だろ >>726
>まず弥生時代の丹山が紀伊半島や四国にしかない時点で九州圏内の話ではない。
それ、
何度も教えてやってるけど
邪馬台国の様子ではなく倭人の国の様子なのだから
邪馬台国に丹が産出してなくてもいいんだよ
それから
豊後国風土記に、昔丹が出たと書かれてるのだから
風土記よりも昔に丹は出てる
そもそも中央構造線に沿って出てくるのだから、大分熊持周辺で出てきててもおかしくないし
たまたま忘れられただけの可能性もある
>また中国との交易の流れは弥生時代、明白に北部九州から東側の丹波や畿内方面に向かっている。南へ向く流れなんて殆んどない。
邪馬台国が経済の中心という記述などない
九州から畿内への物流があったという意味しか持たない
というか、このレスの時点でいつも着てる奴だと確定してるじゃん
いい加減次のステージに進めよwww >>719
何の研究者だよ?
邪馬台国の位置問題を前提に発掘作業する予算獲得は聞いた事もないw >>28
当時の中国人の地理的認識はこうだよな。実際の地形とは歪んで形で認識されてる。
当時の倭国は九州とプラスα(山口や四国は北九州から容易に見える)という認識だったわけだが九州が島ということは知ってたんだな。鹿児島まで行った中国人がいたのか? >>499
それは魏の使いの方角の記述が間違ってるんだよ、南ではなく東に瀬戸内海を渡って近畿まで行ったと思う。 東日本人だけど割とどうでもいいわ
当時は地方ごとに国があったんだし 纒向を王都とする御間城氏が、
日本各地に四道将軍を派遣して、
初国主命になったのが3世紀後期から4世紀初頭だろう。
コレは外来土器からも証明されている。
だがしかし北部九州に手出しはできなかった事も分かっている。
大和政権が三韓征伐したとなると、
要するにこの時代では無い訳だ。
となると、生目氏が御間城政権を乗っ取った後、
大和武尊が丹波氏と吉備播磨の豪族達ち東征して、
全国に根を張った後の三韓征伐しかない事が分かるのである。 >>728
丹生神社が紀伊半島に集中してる時点で、九州説の丹に関する話は全く話にもならないからな。
丹山が三輪山の背後にあるから中国人なら普通にそっち向かうだろw
辰砂は当時は鉄なんかより遥かに価値があるから、中国人は畿内方面へ向かうに決まってるぞ。
北部九州はただの港、中間点に過ぎない。
九州なんてせいぜいベンガラ位なんだから、興味対象外だ。 倭の五王の最初の王を何故か応神天皇にする水戸学派の謎
朝鮮の最初の歴史書は鎌倉時代頃に初めてできたのにそれを絶対視する朝鮮真理教の異常さ
日本書紀に神功皇后は卑弥呼だと言っているのにかたくなに架空の人物というy遺伝子原理主義者
おさらい
仲哀死後熊襲平定朝鮮征伐のため九州在住中の神功皇后=卑弥呼、外国人からみたら祈祷師で独身子なし、
魏の後ろ楯を得て九での仕事がひと段落した神功軍団が後継争いのため近畿に帰っていた。
この時応神以降の大古墳群に見られるように神功の朝鮮征伐で得た鉄器の影響で生産力が格段に上がった。
神功皇后は日本の歴史のキーパーソンであることは間違いない。
秀吉以上に現代日本のイデオロギーの犠牲者である神功皇后に正当な評価ができる日がいつかきますように 九州説は税金で飲み食い生活している在野()の暇人が各自治体に寄生してるからな〜 >>735
だからさぁ
倭人の様子でしかないから、九州で産出されてなくてもいいんだよ
理解できましたか?
お前が毎日言い続けてる事は無意味だよ そんな後進地域に邪馬台国なんてあるわけねぇだろ。お前ら、脳みそついてんのか? >>705
古代でも目で見た村や人の記述を間違えるというのは起きにくいと思うが、距離と方角の
特に方角に関しては間違える可能性は大いにある。
何千キロ航行しても正確に位置や方角が計測できるようになる大航海時代は、魏から千年以上未来のこと
魏の記述は少なからずミスがあると思うけどな >>734
古事記では瀬戸内海への兵の派遣は崇神ではなく孝霊天皇の代だぞ。
つまりこれからも日本書記は崇神天皇挙げをする目的なのが判る。
孝霊天皇の代で瀬戸内海が平定され、皇女のモモソヒメが淡路島や瀬戸内海で若い頃過ごすというのが、畿内や瀬戸内海周辺での伝承だからな。
つまり卑弥呼に繋がるような逸話が記紀ではスルーされたんだよ。 >>738
でも書き込みが気になるから絡んでくるんだろw >>741
実際には吉備→大和の流れしかないし、
モモソヒメは吉備の人間だ。 >>740
ミスがあるはずという前提で畿内に持っていくのは手順が違うよ
まずはミスがない前提で読むのが正しい順序 ここで中国史の学者の魏志倭人伝の読み方を紹介しているけど
邪馬台国の位置に関しての記述は無茶苦茶なんだからそれを元に推測なんてできない
https://youtu.be/omqojKkrZP4 >>742
お前の今日の1レス目からして俺に絡んできてるじゃんwww>>597
お前が気になってるだけだろwww >>736
🇯🇵日本って影武者とか女装とか大好きだから
偽者じゃないの? 古代日本で女王と言える人物は神功皇后しかいない
中国の歴史書と日本の歴史書が一致している唯一の人物である
古代日本で彼女を超えるほどの女性を教えてください >>735
ググって調べてみたら
九州でも古代から辰砂を産出していたそうだ
記事を見つけた
p://bud.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/bs00105.pdf?file_id=45 >>715
奈良の南には熊野という一大勢力圏があるのが神武東征神話に記されている
神武は奈良に入るのにここを通過する時に熊野勢力と戦って苦戦している
神武東征神話でこの熊野の段は一番の見せ場で
大熊が現れたり八咫の烏が登場したり天照大神が現れたり神から太刀を授かったり
色々なエピソードが綴られてる >>748
持統天皇
自分の孫に皇位譲るために天孫降臨神話まで創作したが
その後今に至るまで嫡子相続が日本に根付いた >>748
それは日本書記や古事記に書かれている人物が
神功皇后しかいないってだけだろ
日本書記や古事記はヤマト王権の歴史なので
別の勢力、国に女王がいても記述されないだけだと理解してくれ
たとえば別の勢力で女王がいたときにそことヤマト政権が関わった場合にだけ記述される
たとえば神功皇后が九州で土蜘蛛の女王、たぶらつ媛と戦ったことは日本書記、古事記に書かれている
卑弥呼の時代に大和政権が関わっていないと書かれていないだけ 魏志の記述通りだとするなら、邪馬台国は今の福岡県糸島市あたりという
ことになる。 >>713
お前の山カンで勝手に日本書記を創作にするんじゃねーよ
アホか
魏志倭人伝は方向も距離も都市名もデタラメなのにな >>456
え?明治維新でわざわざ奈良と福岡を同じ地名にする意味が分からない
むしろ>>93の地図を見ると、朝倉が共通して中心部になってる
福岡の朝倉市には平塚川添遺跡もある、そこら辺が邪馬台国じゃね? 何がどうなったら場所確定するとかあるの?
「ここ邪馬台国」とか看板出るわけでもないだろうし。 >>742
横レスだけど>>738が言ってることは正しい
ちょくちょく言われてることだが魏から来た使者は邪馬台国まで行ってない可能性が高い
つまり伊都国に着くまで見聞きしたことを報告してるわけで
つまりそれはどういう形で入ってきたにせよ丹が九州内で流通してたことを意味する
伊都国が九州ではないと主張するなら話は別だが >>750
産出したそうだ、ではなく明白な証拠を出さないと。
阿波には現時点で弥生時代からの採掘があるし、紀伊半島沿岸部には精製後が各地である。
また河内には水銀朱を計測していた分銅まで確認済み。
それに丹生神社のルーツ自体が吉野川上村だからな。
縄文中期からの水銀朱精製跡があるんだぞ。 >>755
日本書記が編纂されたのは8世紀になってから
一方魏志倭人伝の三国志が編纂されたのは
3世紀(つまり卑弥呼とまさに同時代)
500年もあとに編纂された日本書記よりも
魏志倭人伝のほうが正確な記述になるは当然だろう? >>744
大航海時代の千年以上も昔にそんなに位置測定が正確なら、中華がハワイも北米大陸も見つけてるよ
13世紀の鄭和ですらイスラム航行術でインド洋まで行ってた、実質はイスラム人
中華の航行術は実に未熟だった。 別に水銀朱だと確定してないけどね
阿蘇山では朱色の染料が産出されてたらしいから当時貴重だった水銀朱よりそっちが染料として使われてたんじゃないかという話 >>760
何度でも教えてやるけど
倭人の国の様子の項で丹が産出していると書かれているのだから
邪馬台国で産出する必要は無い
お前が無視しても、お前がそれを書くたびに書き込んであげるよ >>762
畿内説に合わせるように読むよりは健全やろ >>762
航海の話じゃないよ
ほとんどが陸路の旅程なのに、なんで航海の話をしてるんだ? >>748
そもそも神功皇后自体が架空の人物だ
元となった人間はいたかも知れんが、三韓征伐自体が何の物証もないフィクションだからな
あれは白村江でボロ負けして本当支配から撤退した事へのガス抜きの話に過ぎない >>759
正しと思うなら、君の認識がおかしいとしかいえないだろう。
北部九州に丹が流通してるのは当たり前の話で、
伊都国や奴国が北部九州にある事は畿内説も共通認識だぞ?
問題は奴国がある場所に、更に投馬国五万や邪馬台国七万戸を比定するなら、倭人伝が間違い説を取らないと成立しない。 >>650
倭の五王が天皇だってしちゃってるから今更別存在にはできない感じかな >>770
ほらなwww
お前は話を逸らして逃げてるwww
759は、丹が産出するのは倭国のどこでもいいという当たり前な話をしているのに
お前の言い訳は
丹が流通するのは当たり前で戸数の方が問題だとか言い始めてるわけだよwww 仲哀、安倍高麿、助麿、阿度部磯良、神功、忌宮、誉田分、ネトウヨ 中国から学んだのなら
開音節ではなくて、閉音節になってるはずだけどw 潮の流れとしては巨大集落が出来そうなのは北九州出雲石川富山畿内なんだよな
この時に比べると隋唐朝鮮三国の時の大和は格段に影響力が大きくなってる >>769
向こうには侵攻に成功した記録は残ってないんだっけ >>760
オレは学者ではない
ただググったら学者が
別府では古代から辰砂がを産出していたという説を発見したというだけ
だから九州には辰砂がなかったという決めつけはどうなのか?という疑問を投げかけただけ
リンクを読めばs平安時代に書かれた書物にも九州を産地とする辰砂について書かれているし
まあ、卑弥呼の時代にも産出されていたとしても全然不思議じゃないよな >>713
2次創作みたいなもんだよ
倭人伝とか他国の神話をベースに作ったものだからね
2次創作は本家を超えられない >>761
それ言うのなら日本書紀は火事で焼かれて焼失した天皇記やら帝紀などの写しと言うか不完全な複製版だからな
その前にも記録があってそれを写したものだぞ
しかしどこをどう見れば魏志倭人伝の描写が正確とか言えるのだ? >>770
九州内で流通してたことを認めるなら産出地を主張する意味はないな >>765
じゃ何度でも訂正してあげるよw
三輪山の背後が紀伊半島の水銀朱産出場所なんだからな。
三輪山は美倭山で倭人の象徴の山の名前だしな。 >>770
>問題は奴国がある場所に、更に投馬国五万や邪馬台国七万戸を比定するなら、倭人伝が間違い説を取らないと成立しない。
その二か国とも、
魏志倭人伝では「可」で戸数を記述されている
「有」という確定情報ではないのだから
五万戸や七万戸なくてもいいんだよ
これも、お前に毎日指摘してやってる事だけどなwww >>715の続き
大熊に出会って魂を抜かれ戦意喪失した兵士達にその太刀(剣)をかざすと
兵士達はふと我にかえり奮闘し勝利する
よってその剣を「布都御魂」と称する
日本最古の神社とされる天理市の石上神宮の御神体である とりあえず九州説は九州各県で意見をまとめてから科学的調査をしてから主張してくれよ
九州説は学術的な話とは無縁な、税金の話でしかないし 日本書紀でもかなり古い書物だと思うけどな
朝鮮だと鎌倉時代ぐらいからの歴史書しか無い >>782
何度でも教えてやるけど
倭国で丹が産出されていればいいのだから
九州で丹が産出されてなくても九州説は成立する
なので、丹が九州で産出されないという主張には何の意味もない >>776
そもそも年代すらはっきりしないけど卑弥呼の時代にはないよ
あれは後の世代が作った話
白村江でボロ負けした意趣返し
第二次大戦で負けた日本が別の時間軸で勝つような架空戦記がブームだったろ
昔からそういうの日本人は好きだったんだな >>776
高句麗王が残した石碑に
日本が攻めてきたという記録が刻まれているが
日本の三韓征伐があったとされる時代よりも
100年以上後のことになっている
それと合わせて倭人は年数の数え方を知らずに
秋と春にそれぞれ1年と数えるので1年で2歳年を取るように数えているという記述があるので
日本の歴史と周辺国の歴史のズレはそれをもとに後の世に計算した
古代史の古い時代になりすぎていることが原因なのだろう
と言う説がある
だから神功皇后の時代は卑弥呼の時代よりも100年以上後の人という説が有力視されている >>769
んなわけあるか
初めから日本書紀は日本の歴史の流れをくむ歴史書だし
魏志倭人伝も日本の出来事つまりは神功皇后の存在をモチーフにして書かれた記述だし >>783
別に構わないが、ご都合主義解釈を何度書き込みしても、九州説のバカを晒すだけだぞw
少なくとも倭人伝では邪馬台国は奴国より三倍以上の国と見てるのは確実なんだからな。 >>637
それはお前の想像であって考古学的事実は存在しない
四隅突出型墳丘墓が作られなくなるのはもっと後 >>788
ただ侵攻しようとした記録は残ってるんよね
卑弥呼の時代とはかなりズレるけど
神功皇后の実在性はともかく三韓征伐に近いことをやろうとした権力者はいた可能性が高い >>771
神話と歴史の区別をちゃんとして天皇のフィクションを抜きにすればスッキリするのにね
ホントにホントの実在した天皇なんてそれこそヤマト王権が確立した4世紀以降のことだろう
それまではただの大王だしもちろん万世一系なんてこともありえない >>323
卑弥呼は、夫無し、つまり子も無し、弟はいるが妹はいない。
高齢で神殿からほとんど出ずに、身の回りの世話は官女に任せている。
時々神託を弟にだけ伝え、弟が大衆の面前でお告げの内容を広めた。
卑弥呼の姿を知るものは弟だけだという。
争いを好まない平和な生活を続けるために。
つまり、神功皇后とはすべてが違いすぎる >>791
言い訳をしても、
お前が文章を読めなかった事実は覆らない
「有」と「可」の区別が出来てなかったというお前の落ち度だから
有と可を区別しないお前の主張がご都合主義なんだよ >>769
三国史記みたら、何度も何度も倭人が攻めてきてるよ まあ隋や高句麗と交流したり白村江の戦いしてる時点でかなり半島に介入してたのは確か >>787
そうだね、九州説は成立するだろう。
でもそれが確実に弥生時代の丹山がある畿内説の前では、相手にもにされない説だという話だねw 卑弥呼=火巫女
火=阿蘇山
したがって
邪馬台国=熊本周辺 みなさん朝鮮の歴史書が作られたのは日本でいえば鎌倉時代ですよ。
そのファンタジーな物語に書いてるとか書いてないとかいいかげん辞めましょう。
高句麗は朝鮮半島にありましたが朝鮮民族とは関係ありませんしね。 >>799
意味が分からん
九州で流通してたのが確認されてれば産地がどこかは関係なかろ >>789
アホか
三韓征伐は短期戦で高句麗まで遠征する時間はねーぞ
つうか倭国の朝鮮への出兵は昔から仁徳天皇や雄略天皇まであるからな
二倍暦説は外国人が唱えた説でマジでどうでもいい
神功皇后が卑弥呼より後の説と言うのもあくまで説の一つだからな >>799
>でもそれが確実に弥生時代の丹山がある畿内説の前では、相手にもにされない説だという話だねw
もうそれはお前の感想でしかないwww
「丹山があるから」というのが畿内説の根拠という事だろ?
アホすぎるwww
それこそ誰からも相手にされない話だなwww 旧唐書で「日本国は倭国の別種である。(だから、別国である)その国は日の出る所に近いので、日本という名称を国号としている。
あるいは、このように言っている。「倭国はその名称が雅美でないことを嫌って、日本に改めた」と。また「日本(大和)は、もと小国であったが、その後、倭国の地を併合した」とも言っている。
その国人が唐朝廷に参上した時は、その多くが自国を広大と自慢し、真実をもって対応しようとしない。従って中国側としては、彼らの主張するところに疑念をもっている。」
なんて言われるくらいだから記紀編纂時以前とか歴史の捏造に躍起になってたんだろw 先ず第一に、神功皇后が居なければ、
天皇家が生目直系から大和武尊の傍系に移って、
仲哀が死亡した後、腹の中に居る応神に跡を継がせるなどという荒業は
非常に難しくなる。
この荒業をやれた人物が居たと言う事が無いと、
大和武尊→仲哀→応神という流れが出来ない。
史実として無ければあえて書く必要が無い物語が、
記紀に描かれていると言う事で、
神功皇后は居たということになるだろう。 >>795
神功皇后も夫の仲哀天皇を失ってからずっと独身だぞ
69年もの間な
別に全部が異なるというわけではないぞ >>796
いや、可でも有りでも七万戸の数字の大きさの意味は変わらないから。
九州説を成立させるには七万の数字が間違いだと認識するしかない。
お前のは単なるご都合主義な屁理屈だからw >>804
攻められた側からしたら、そんなこと知らんがな >>726
キチガイw
畿内説の最大の根拠である奈良の纒向遺跡はその当時近畿最大の集落だったからここに古代大国があったのは実証されてるけど肝心の大陸からの品物が何ひとつ見つかってない時点で邪馬台国は近畿にはなかったと分かってるじゃんwww >>790
句読点爺さんw
都合のいい解釈してるからみんなから馬鹿にされんだぞキチガイネトウヨ爺さん >>805
アホ?現実に丹山があるならそこは倭の重要なエリアだw
しかも巻向や箸墓の直ぐ近所なんだしな。
そりゃ九州にはないから目の敵にするのは理解するが。 >>693
履中天皇以後1000年以上平均在位年数は11年ほどでフィットするが、それ以前はもう無茶苦茶
履中天皇以前も平均在位11年で計算すると神功皇后は360年あたり
しかしなぜか履中天皇以前の寿命を弄くりまくって神功皇后を卑弥呼の時代に合うように調整している
そしてわざわざ直接的に「神功皇后が卑弥呼」というのではなく「この時代に倭の女王が朝貢していたそうです」などと伝聞を書くのみ
こんなの怪しすぎるわな >>803
三韓征伐調べると
>対馬の和珥津(わにつ)を出航した。お腹に子供(のちの応神天皇)を妊娠したまま海を渡って朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻めた。新羅は戦わずして降服(降伏)して朝貢を誓い、高句麗・百済も朝貢を約したという
となっている
一方百済を調べてみると
>百済(くだら/ひゃくさい[1]、朝鮮語:백제、旧字体:百濟、4世紀前半 - 660年[2])は、古代の朝鮮半島西部、および南西部にあった国家。
つまり神功皇后が三韓征伐したのが3世紀だとすると
まだ百済という国名の国は存在しなかったことになる
なのに日本書記では神功皇后が百済を従属させたことになっている
やっぱり公開土王碑に書かれている日本書記よりも100年後に日本が
朝鮮半島に攻め入ったのが神功皇后による三韓征伐だったのだと思う >>809
>いや、可でも有りでも七万戸の数字の大きさの意味は変わらないから。
変わるよ
確定情報なのか、そうではないのか
その違いはとても大きい
そもそも五万とか七万とか
誰が数えたと思う?
当時、そこへ行った中国人が数えたわけではないのは常識的に分かるだろ
伝聞だよ
伝聞なのだから不確定でいい
氷川きよしは「チ ンコ」を引っこ抜いているようだ
という伝聞と同じ
伝聞だから正しくないと考える人と
もう引っこ抜いてると信じてる人
その違いだよ 日本史の最大の謎
リアル祐宮睦仁親王はどうなったんだ問題
をどうにかしろ >>793
なんで卑弥呼の時代と外れるんだよ
それは日本と朝鮮との関わり合いを知らないお前の感想だろう?
卑弥呼以前から日本と朝鮮半島は交易で結ばれていたし戦いもあった >>809
七万の数字は普通に間違いだろ
そもそもとして文字がなかった時代に「万」という単位があったかも怪しい >>809
キチガイよ
7万戸って当時どうやって調べたんだ?
お前さキチガイだからわからないと思うけど現在と1800年前の常識をごちゃまぜにするな
魏志倭人伝を書いた現代の中国人が間違いなく邪馬台国は九州にあったと認めてるんだから少しは勉強しろよタコ >>814
中国人の歴史学者がそれ認めてるからね
あんな12000里とか7万戸なんかをまともに相手にするほうがおかしいんだってw
日本の歴史学者は世界で馬鹿にされてるんだよw >>808
卑弥呼は世襲ではないよ。
元は男王が治めていたが、争いが絶えずに、高齢だったが担ぎ出された
神託で民を納得させようとしたのだ。
ただ政治には直接関わっていない。
神殿からほぼ出ておらず、姿も知られていない。
卑弥呼死没後に、また男王が治めるが再び戦乱が起き、男王は追放されたのか?
平和な統治を望まれて13歳のイヨが女王に選ばれた。
邪馬壹国のその後は記録無し。 もうその時期に中国から伝来した物品が多く出てきたとこが当時の中国領の中心ってことでいいじゃん
近畿は時期がズレにズレるが隋を挑発した実績から言って夷蛮の中心だろう また、大和武尊が居ないと、
生目と御間城と丹波氏の繋がりができないので、
こちらも実在した可能性が極めて高い。
そしてこれら3氏にバックアップされた
大和武尊が東征をする事が無いと、
丹波氏が日本各地に進出して根を張る事も難しくなる。
と言う事で、大和武尊がいて、
東征を果たし、丹波氏の力を拡大して、
その後の熊襲征伐や三韓征伐に繋がり、
キングメーカーとしての力も発揮した
としか考えようがない。 >>814
数字を盛る動機もあるしね
呉の後背を脅かす同盟勢力があんまり貧弱であっては意味がないわけでさ >>817
もう一度調べ直せ
後に編纂された
『三国史記』(1143年成立)の記載に基づくと、百済の建国は紀元前18年となり、韓国の学界では1976年に千寛宇、李鍾旭らがこれを史実と定義して以来、現在でも有効な説の1つである。
肖古王(しょうこおう、生年未詳 - 214年)は百済の第5代の王(在位:166年 - 214年)であり、先代の蓋婁王の子。『三国史記』百済本紀・肖古王紀の分注や『三国遺事』王暦では素古王の別名も記される。166年に先王の死去により王位についた。諱・諡は伝わっていない。遼東王・公孫度の娘を娶る。子に仇首王。 >>826
畿内説は纒向遺跡で全く中国の出土品が出てこない時点で話しが破綻してるんだよねw >>829
お前こそ調べなおせ
現代の考古学者では4世紀から始まったのが定説になっている
それ以前は馬韓という国名であって百済という国名ではない 結局海外の魏志倭人伝に記述されてる卑弥呼の存在を消してる日本書紀や古事記はやっぱりその時の朝廷にとって不都合な真実がかくされてるってことなんだよね >>816
そんなのは世界中の歴史書で発生しているからな
旧約聖書から中国の史記まで
系図の欠損による在位年数の拡大
系図欠損による書き換え
わかりやすい例
X(50年)→Y(50年)→Z(50年)
Yの欠損
X(100年)→Z(50年) >>829
百済の成立に対する解釈違いだろうね
例えば日本の成立について、日本の正史では
紀元前660年に神武天皇が橿原で即位した時点を日本の成立という
が、実際にこの時点で日本の大多数を掌握していたわけではないので
日本成立を言えるのか?という反論も当然でる
自国民が自国の成立を初代即位の時点と考えるのはいたって普通
こういう背景を何も考えられない人は、歴史解釈には向いてないだろうね >>833
というよりも、まるで関わりのない人物なので
載せていなかっただけ
後に中国と外交するようになって邪馬台国や卑弥呼を
隋の記録から知って、慌てて隋がもっていた三国志mの魏志倭人伝の項をコピペしただけ
その時に神功皇后を卑弥呼に比定したのが
後の世代の日本人を惑わす原因になっている やはり、大幡主に黄幢を授けて檄を飛ばしたのは、
張政で間違いないだろうから、
その辺は絶対に隠しておきたい所だな。
だから、藤原氏が博多に来て色々工作をした訳だ。 >>833
そもそもとして記紀以前の書物が全くないのが不自然
焚書があったと見るべき 奈良の大和朝廷が近畿から中国四国九州まで支配権に収めたのは4世紀くらいの話しなのは通説なのになんでこの畿内説の句読点爺さんは頑なにそれを認めないんだろうw
こいつが言ってる根拠はことごとく論破されてもう7万戸しか言うこと無くなってるからなこの爺さんはwww というか畿内説だと纒向遺跡がデカすぎる
邪馬台国は当時の最大勢力ではない
倭国動乱でも劣勢になって卑弥呼が女王になったんだから この手の説は熱田神宮の神に尋ねれば
大体のことは分かるらしいな 張政は20年近く倭国に留まっている。
痕跡が何処かに残っている筈だ。
そういう目でしっかり北部九州の
遺跡や伝承を見直してくれ。 >>832
お前こそちゃんと調べろよ
『三国史記』百済本紀より
これが前漢の鴻嘉3年(前18年)のことであり、初め10人の家臣に援けられたので国号を「十済」としたが、のちに沸流の下に従った人たちも慰礼城に帰属し、百姓を受け容れたので(ここでいう百姓は「農民」の意味ではなく、家臣または有力者の意)国号を「百済」と改めた。 >>829
公孫淵の一族だったのなら司馬懿に殺されてるだろ
あり得んわw >>838
いや普通にたくさんあるぞ
天皇記や帝紀な
お前が知らないだけ >>838
日本に漢字が入ってきたのは1世紀のころらしいが
日本国内では使われていなかったそうだ
でも6世紀以降になると仏教伝来で
中国からの経文を読み必要にかられて一気に
文字を使うようになった
そこから日本の歴史をまとめようとしたので
それ以前の歴史は口伝であって書物はなかったのかもな >>833
そもそも卑弥呼なんてのは存在しなかった
人名じゃない
記録に残すほどの大物じゃない
皇統とは別種
不都合
いろいろ考えられるね >>836
そんなのお前の妄想だろうが
神功皇后なんて住吉大社の創設者だし
源氏が昔から崇拝した武神だし >>843
だからさ
それは定説じゃなくて神話なんだよ
もうそろそろ理解しようか? >>834
つまり、神功皇后が卑弥呼の時代というのは出鱈目ということだなどちらにせよ >>838
日本に限らず、中国だろうと朝鮮だろうと
散逸して残ってない書物なんて星の数ほどある
魏略だって残ってないし、先行史書の存在なんて
中国の方がいっぱい消えてる事くらい知ってて当然のレベル
当たり前のことを陰謀めいて考える人は
陰謀史観という最悪の思想に汚染されてる
江戸時代まではほとんど残っていたはずの風土記ですら
今はもう殆ど散逸して残ってない 近畿にいろいろ遺跡あるけど邪馬台国とは別のものだろうな
人の活動は縄文時代から東北や関東まで広がっていたし >>848
何いってんだ?お前
神功皇后のことじゃなくて
卑弥呼のことを言ってんだぞ
日本語読解力なさすぎだろ >>846
んなわけあるか
日本は昔から漢字使っていたし
歴史は口伝とか魏志倭人伝の記述を全部信じ込み過ぎだっつーの >>845
大化の改新のどさくさで燃やされて、復元もされずに廃棄された文書だろ
おもいっきり焚書されてるやん >>846
でも中国と交易地点であった北部九州の神社仏閣にすら残ってないんだぜ
断言するけど中国と交易する中で文字を学んだ人間は少数かもしれんがいたはず
天才ってのはいつの時代もいるからな >>849
つうかそれ言ったら
史記にも三国志にも神話みたいな記述がけっこうあるんだけどな
しかも中身は結構いい加減だし、信憑性はみんな変わらんよ >>845
アスペか
天皇記や帝紀は名前が残ってるだけで現存してないだろ
そういう事を指して記紀以前の書物が無いと言ってるんだという事を読み取れるようになりなさい >>858
お前がアホアスペだろうが
原文なんて残っていないのがほとんどだし
歴史書なんて写しのまた写しでしかないぞ >>859
その写しのもとになる書物が一冊も残ってないという話だろうが 神奈川にも弥生時代末期まで銅鐸の集落があったんだよ
弥生時代末期から東海の土器の集落が作られるが短期間で営みが終わる
奈良と同じく東海勢力の侵入があったかもな
神奈川の昔話、背中の赤い蟹と同じことが実際に起きたのかも
神奈川には白サギから守ってくれる鐘を大切にしている蟹が住んでいた
ある日火が起こり鐘を守ろうと蟹たちは必死で泡を出し火と戦った
多くの蟹たちは亡くなり生き残った蟹の背中は赤くなっていたという話 畿内説の人がやってることってさ
卑弥呼と同時代に大和に大きな勢力があってそれが現在の皇室に連なるものである、ってのを証明してるだけなのよね
それはそれで結構な事なんだけど
どんだけ躍起になってそれが証明出来たとしても
だからといってそれが邪馬台国や卑弥呼であることにはならないのよね
そこのところを無視してるのか考えないようにしてるのか気が付かないフリをしてるのか知らんけど
おそろしく不健全なんだよなあ >>857
それは当たり前じゃね?
科学的なアプローチができないことが山ほどある時代やぞ
天狗の仕業を本気で書いただけの話だろ >>860
火事で燃え尽きたと記録に残っているだろうが
お前がアホなのはわかったから今後書き込むな >>863
脳タリンのバカは反論できなくなると在呼ばわりかよ
バカらしい反論だな 隋書倭国伝
「倭国の都は邪靡堆、則ち魏志に謂う邪馬臺である」
以上で議論終了
遣隋使は飛鳥まで一緒に来た裴世清にヤマトは邪馬台国のことですって言ってる
隋書は評判の悪い旧唐書と違い同時代性と正確性にも定評がある >>858
原書が残っていない事を「焚書」とは言わないけどね
普通無くなった事は「散逸」という
「焚書」とは意図的にその書物を燃やしたりして痕跡を消す事
魏志倭人伝も原書は既に散逸して、転記されたものが残ってるだけで
原書と現存本の違いの比較ができないんだけど焚書したわけじゃないよ? >>865
本当にそうなのかは分からない
運のいいことに、
火事になってくれたおかげで記紀との矛盾点を指摘される恐れがなくなったのかもしれないよな >>862
こいつが言ってることがこの邪馬台国議論の本質なのよ
邪馬台国=大和朝廷は同一じゃないってことなんだよね
結局大国の魏と貿易があったのは九州の一豪族でしかなかった邪馬台国をどうしても大和朝廷と結びつかせないと都合が悪いのよw >>868
焚書があったかどうかが論点ではないんだよ
記紀より以前の書物がことごとく現存していないという事実について疑問を持ってるんだろ
という事だよ >>867
隋書
倭王(推古天皇)はオッサンで後宮に6、700人の女を囲ってます
信憑性有るかなw 畿内説はいわば纏向説だね
よくも悪くも畿内説はよく批判されるが、九州説は批判されるレベルにすらなない
何県何市の何遺跡が邪馬台国かすらまともに言えないんだから
まあ永遠に証明されることなくこのまま何となく畿内有力、みたいに学校では教育されていく流れだろう >>867
でも隋書には邪馬台国に絡んで「阿蘇山有」と書いてるんよね
倭国の人間は阿蘇の噴火を恐れ祈祷したと書いてある
邪馬台国が畿内なら阿蘇の噴火を恐れる必要はないよね >>874
こういうレスする奴はいつも単発IDなんだよな >>871
>>868は言葉遊びしてるだけよな
本質を捉えてない >>875
阿蘇山の噴火を恐れて祈祷した事を日本書紀に書いてるはずだよな
あれ?
年代はよかったのかな?
知らんけど >>281
吉野ヶ里って伝承とか全くないよね。あんなに大きな国があったのに。
出雲は伝承で凄い凄いとされてたけど、1984年の荒神谷遺跡発見までは遺跡は何もなく、
だだの神話だけの国とされ存在は否定されていた。 田中英道さんが邪馬台国九州説を必死で唱えてる人は
反日勢力の人みたいなこと言ってたなぁ
最後は朝鮮半島へ持って行きそうな雰囲気w
田中さんは卑弥呼の存在自体懐疑的だった気がするが ところでそうなると
魏の使節団は北九州から東海までつながる連合体を無視して
九州の片田舎の小国にわざわざ出向いたことになるわけだが
無能すぎね? >>874
またID変えて纒向遺跡推しですか?w
ついさっき纒向遺跡は大陸からの出土品が一個も出てないって論破されてのにまたID変えて登場するなよ
お前昨日から糞ダサいぞ爺さんはw >>869
この文面は完全に陰謀史観
「一切事実」を示してはいないがこうだったに違いない
これが正しい。この考え以外は認めない。
証拠がない事は陰謀によって隠されたからだ。(ここ大事)
完全に陰謀史観に毒されてますわ
陰謀史観には証拠を探したり矛盾がないか確認する必要もなく
矛盾を指摘されても「陰謀」の一言で片付けられる為
何の生産性もないため、歴史研究において最も忌避される存在 >>829
偽造歴史書『三国史記』(1143年成立)wwww
百済は古代からあったニダw >>880
またID変えたよこいつw
在日チョンが一番多い関西のクソゴミが偉そうに言うなよw
たこ焼きでも食ってろ糞チョンジジイ >>877
だよな
不思議に思うんだけど
このように基本的な文章を正しく読み解けない人が、畿内説に多い気がするんだよな
畿内説を押し通したいがために、無理矢理にでも、言葉遊びになってでも、九州説の人を論破しようと考えてるから
こんなおかしなことになってるんじゃないかな?
でも、
読解力が無いと思われれば思われるほど
畿内説を主張してる奴の国語力が疑われるだけなのにな >>871
>>838の「焚書があったとみるべき」に対するレスなんだが?
下2行については>>851で俺もレスしてるのでそっちも見てみて
要約
原書が散逸してるなんて当たり前に起こってる事だ 昨日から必死でID変えて句読点やスペース空けてレスする畿内説の纒向遺跡信者の爺さんはなんでそんなに邪馬台国と大和朝廷を同一視したがるんだろう?
もう学術的根拠が殆ど論破されてるのに >>867
旧唐書 「日本は倭国の別種である」
ps://i.imgur.com/GoAgu0c.jpg
中国人の常識では倭国は九州
日本とは別の国 >>884
また言葉遊びかよwww
邪馬台国の話題で陰謀史観になるのは、
天皇家と朝鮮がつながることになるから○○説を主張するのはチョンとか
そういうのを指すんじゃないか?
そして
>証拠を探したり矛盾がないか確認する必要もなく
これ、畿内説じゃん 邪馬台国は奈良とかだろ
遺跡見たらわかる
九州の人間はビョ〜キ
人間こうなったらおしまいよ >>882
倭国=九州だからね
魏の人間にとっては当時の日本なんかそんなもんなんだよ
中華思想の勉強したらいいよお前は >>895
纒向遺跡は中国からの出土品が何1つ出てませんw
邪馬台国の男性は入れ墨してました
はい!お前の負け!
ごめんなさい言えよキチガイ >>895
でも判定は桃の種ですよね?w
遺跡自体は邪馬台国以降のものでしょう >>887
畿内説から有力な話が出ればいつでも手のひら返す用意はあるんだけど
真面目な話畿内派からは「何言ってんだこいつ」みたいな話しか出てこない
お前らの話を聞けば聞くほど九州説に俺の気持ちは寄っていく
前に畿内派が隋書を見れば邪馬台国は畿内だと分かると言われたところで
隋書調べたら阿蘇山の記述が出てきて益々九州説に寄った時は流石に笑った 世界史って分野は紀元前からガッツリ文明築いて今に伝わってる海外と
実在すら疑わしい邪馬台国の所在でいつまでも揉めてる日本って対比で笑える >>893
@俺は一切畿内説なんて唱えていない
A根拠のない妄想は「畿内説」も「九州説」もどっちも酷い
九州説の方が一つに纏まってないだけ酷い気がするけどな >>874
九州は町おこしですから
ガチなものが発掘されない今のところは一本化できないよ 考古学って分かってないこと沢山あるらしいね
中韓が日本より優れていたと教えるためのプロバガンダが多いらしい 町おこしかぁ。。
青森のキリストの墓とかピラミッドと同じようなもんか >>882
魏の使者は、
倭が呉を牽制するための駒として使えるか、倭が呉と結託した場合脅威となり得るか、
という事を調査に来ただけだから遠方の土地はどうでもいいんだよ >>889
焚書か散逸かは重要な部分ではないだろ
それくらい読み取れよ
だからお前らはアスペと思われるんだよ
焚書か散逸かではないし
記紀以前に書物が存在していたかどうかでもない
俺でも読み取れるのにお前らはなぜ読み取れないんだと思う? >>908
>>838になんて書いてあるかもう一回読んでみろ >>904
九州で邪馬台国のあった地を主張しているところはどこがあるんだっけ?
吉野ケ里遺跡とみやま市と日向にあった説は読んだことがある
逆に魏志倭人伝に地名がでている伊都国とか奴国とかは邪馬台国でしたって立候補しようがないよなw
でも吉野ケ里遺跡って不思議だな
あれだけ大きな集落の遺跡なのに魏志倭人伝で比定できる国名がないんだろ?
オレは吉野ケ里遺跡がもっとも邪馬台国のあった地だった説が有力だと感じる 纏向説は発掘して科学的に考証しようとしてる
そこが邪馬台国でなくても何かがわかる 先がある
一方九州は場所も特定できず当然発掘なんてのもない
いえば何ひとつ先に繋がらない
めぼしい場所はとにかく掘れ 堀まくれ >>770
>更に投馬国五万や邪馬台国七万戸を比定するなら、倭人伝が間違い説を取らないと成立しない
当時の倭には文字がない(少なくともあった証拠は現時点ではない)
そんな国の役人から聞いた戸数が正しいかどうかを問題にするのがそもそもおかしい
それから魏の役人は邪馬台国まで行っていない可能性は高い
糸都国から先のルートは倭の役人からの伝聞
糸都国までは行っているし、当然そこまで出迎えに行ってはいるだろうけどね
本当に味方になってくれるかどうかもわからん国に自分の本拠地教えて攻め込まれたらどうするんだよ? >>909
>そもそもとして記紀以前の書物が全くないのが不自然
>焚書があったと見るべき
俺が>>908で書いてる通りの内容だろう
焚書があったとみるべきと言ってるのなら
記紀よりも前に書物が存在していたことが前提だろ?
という事は
記紀以前の書物が全くない
という文の意味は
書物が作られたことが無いという意味ではなく
書物がすべて存在しなくなっている(現存していない)ことを指していることが分かる
焚書か散逸かなど、さらにどうでもいい事だ >>911
高松塚古墳なんて考古学者たちが見向きもしなかった
古墳を地元の歴史好きな人が自費で発掘したら
世紀の大発見の色鮮やかな壁画がでてきたからな
九州の歴史ファンも蜘蛛塚を発掘してみればいい
もしかしたら女王といっしょに埋められた100人の遺骨がでてきて
ここが卑弥呼の墓だったのか!ってことになる世紀の発見もあり得るかも 卑弥呼が死んだ後女王になったトヨが266年に魏の後に中国を支配した晋に朝貢したとき女王トヨとともに男王が一緒に朝貢したという記述があるけどその男王こそがこの畿内説信者が必死で推してる纒向の王だったんだよね
纒向が出来た3世紀から前方後円墳が日本中で出来たから日本中を支配していって九州の邪馬台国まで攻め入ったのが真実なんだよね >>913
>>851に戻る
>>838は原書がない事を「焚書」によって抹消されたに違いないと言っている
要点は原書が残っていない理由についてだってわかる?
それに対して>>851で「焚書」に限らず古い文書が残っていない事は
どんな所でも起こっている話しだとレス
多分ずっと話を正確に理解できてないのは君だよ >>912
その7万戸連呼キチガイは論破されて今ID変えて纒向遺跡!纒向遺跡!って連呼してるぞw 事実か架空かは別として「行雲流水」読んで。面白いから >>795
「年が長大」って他の用例を見ると30代に使う表現らしいんだが<卑弥呼の年齢 邪馬台国九州説は八割以上の国民に支持されているが、畿内説は僅かに二割弱
その他阿波説などはとうの徳島県民でも誰も信じていないのが実情 >>910
は?
華奴蘇奴国(カナサキの国。肥前国神埼(カナサキ)郡)だよ吉野ヶ里は >>918
うーん
まずは>>845なんだよな
そのレスに引きずられたんだろう
その845とのレスにお前が割り込んだ868
これが真相
>>858に>>868をねじ込むからおかしくなる
やはり原因も責任もお前にある >>922
畿内説の最大の根拠である纒向遺跡に全く中国からの出土品がないことが邪馬台国は近畿にはなかったと決定的証拠を突きつけられて畿内説の学者も発掘やめたからねwww >>917
それは卑弥呼の後だね
卑弥呼の時代は御井だよ ID真っ赤にして持論を語るやつ多すぎw
歴史ってさ答えがないから面白いんだよな
俺は卑弥呼は福岡の朝倉説を信じてるよ >>915
確かに壁画は世紀の大発見だな
奈良は昔から朝鮮人だったと分かる壁画 >>497
他レスを読まない人向けに
もっと早く貼るべきだった
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷(改)
日向国風土記逸文(713、引用は釋日本紀1275-1301、萬葉集註釋1269)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。
本当に原本にあったか?というか500年以上たって元ネタはなんだ)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) >>925
考古学者も奈良には邪馬台国は無かったと言ってるね
3世紀の奈良は僻地だったて匙を投げてる。 奈良の朝倉、福岡の朝倉、共に重要な拠点であり意味深い
古代の遺物の場所に後の天皇が施設を作った例だけど、
[一] 雄略天皇の宮があった所。現在の奈良県桜井市黒崎付近か。同市岩坂とも。校倉造りの倉庫、または神々を迎える朝の座などにちなむか。
[二] 斉明天皇西征の折に行宮(あんぐう)の置かれた所。現在の福岡県朝倉郡朝倉町須川とも同町山田ともいわれる。
他にも朝倉という地名は愛媛県、高知県にある
九州の邪馬台国が奈良へ東遷し、四国にも出先機関があったのかも 九州説は妄想を交えて声高に主張する奴が多い時点で説得力ねーわな >>918
一つ確認しよう
お前は「焚書なんかなかった」と主張してるんよな? ・3世紀に北部九州に邪馬台国があって大陸から近いこともあって魏とも頻繁に交流
・邪馬台国のライバル狗奴国(後の熊襲)が熊本南部にあった
・邪馬台国と同時期に近畿の纒向遺跡に大国があり3世紀から次々に西日本の国々を征伐し266年頃には中国の晋にも朝貢出来るくらい影響力をあたえる >>932
魏志倭人伝を1000回読んでからそのレス見返せよキチガイ >>934
纏向遺跡は四世紀に入ってからのものである可能性が高いけどな
まあ邪馬台国と同時に存在してたと言えばまあそうとも言えるだろうが アベ得意の改竄だろうな、記紀も。
阿礼に安麿、筑紫君阿倍、桜井市阿部磐余、
阿山に、阿波に、阿毎に、阿輩。
安倍政権の統計公文書改竄と同じやつだな。
日本誕生は、嘘(さかしまごと)に満ち溢れている。 >>898
儀式用の桃の種はダイレクトに中国の神仙思想や鬼道・道教に結びつくからね
これが纏向で見つかってることの意味は大陸の影響を考える上で大きいと思うよ つまりとんでも説に乗っかって流布してるのは藤井フミヤってことね 桃は美味しいからなぁ
貝塚みたいなもんだろ
桃の種塚 >>912
朝貢に来たから見送りしたんだよ
倭の使者は王にあってるのに此奴ら信用できねえってか >>939
お前もう諦めろよw
ID変えて纒向遺跡推しても何も変わらないんだからw >>939
それは現時点で妄想に過ぎないからそれを元に論理を組み立てるのは良くない 魏と何の関係もない畿内の勢力が何で魏の年号の鏡をありがたがって墓に埋めてるんだろう
景初3年とか4年とか年号どこで知ったのか
素朴に疑問 まぁ、神仙思想とか言い始めた時点で
あぁアイツかwww
って分かるよなwww
神仙思想って書く奴がいたら
マンコキチガイって呼べばいいと思う >>936
アスペじゃ無くてただのウソつき野郎だよ >>930
本当?
唐子鍵やその他の場所には絶対居なかったの? >>945
当時の東アジアは全て中国の属国なのが当たり前の時代だったからね
中華思想を勉強してね >>945
九州の邪馬台国からのおこぼれだろwww
それをありがたがって何百枚も複製したわけだ 畿内説信者がすぐ安価付けられて論破されるのがこのスレのおもしろいとこw >>900
新羅や百済からしょっちゅう通使が往来してるって記述もあるな
畿内でも無くはないけどやっぱ九州っぽい >>945
複製品だから単純に文字も真似て作っただけやろ
その文字がどんな意味を示すのかも分からないままね
事実刻まれた文字には似た形にはなってるものの間違ってるものが多い >>955
銅鐸とか銅矛とかもあっただろうし
中国から持ち込まれた銅製品もあっただろ
粘土で型を取って溶かした銅を流せばいいんだから
思ってるよりも簡単に複製できそうだもんな >>937
266年には邪馬台国の女王と共にどこかの男王が晋に朝貢した記録が残ってるから纒向から前方後円墳が急速に日本全土に広がって行くのを考えたら纒向の王なのはほぼまちがいないよ >>900
俺もいつでも九州説に変わる
てか最近まで九州説支持だったから >>952
吉野ヶ里は奈良の吉野と対をなしてると思う
邪馬台国の中心部では無いけど >>959
最古の前方後円墳と言われてる箸墓古墳で実際は四世紀に入ってからだろ 日本の国技 www改竄wwww
ブラック企業「アットホームな職場です」
小徳太子「倭をもって貴となす」
自殺者数年2万人 伝統を守る天皇も皇族も入れ墨入れてないもんな
やはり連続性はないよな >>960
あと何をもって九州説を信じてたのかと何をもって九州説はあり得ないと思うようになったのかも >>929鹿児島三陵(吾平山陵、高屋山陵、可愛山陵)についての見解をお聞きしたいものです。自分は邪馬台国の前身は知覧付近で北そして北東→国東→そしてまた水田地帯へと移動して邪馬台国となれたと考えてます。妄想ですが。 >>967
薩摩は狗奴国として残しておかないと
狗奴国の候補がいなくなる >>964
どう考えても九州を指してるんだけど水行1月陸行1月の行程に納得出来ないから
陳寿が国家の邪馬台国を集落と勘違いをしてると考えると納得できた >>971
そんな事読者にわかんないから
陳寿はそんな書き方しない >>970
中国の歴史学者曰く昔の中国の歴史書は数字の記述の部分はあてにしたらダメだって言ってるんだよw >>969
トンデモにとってはな。 わははははは @阿波 >>969
熊本南部から薩摩にかけてだよ
宮崎南部(高千穂)から大隅までが東遷前のヤマト政権
宮崎中部が投馬国 >>972
距離でなくて
日数になっているのは
九州各地の国々で接待づけにされて
足止めされて短い距離でも時間がかかった説 >>972
また読者ガーか
お前には分からないんだろ?
お前は読者じゃないのか >>970
あー、陳寿が何をもって邪馬台国は集落だと勘違いしてるか文言で示せと言われても結局のらりくらりと逃げ回ってた奴か
読み方次第では九州が邪馬台国ではない可能性を示す一文だけを取り上げて
九州説を否定しようとしてるけど結局邪馬台国が畿内と思える根拠は示さない訳ね >>976
それこそちゃんと書いとけよ
読者に距離感が分かんねえだろ >>977
俺も読者だが
そんな読み方をしないといけないとは分からなかったぞ
今でも分からない >>979
そんなのオレに言ってもどうしょうもないだろw 薩摩隼人も島津斉彬も、大昔にお隠れになってしまった大君に忠誠を誓っていた。 >>980
どんな読み方するかもさっぱり分からんのだろ >>978
ちゃんと水行と陸行に納得できないと書いてんじゃん >>986
それだとトータルの距離が合わない
読者に分からない書き方はしてないらしいぞ 大和朝廷成立以降も薩摩といえば精強な兵士として
朝廷に仕えていたんだから
邪馬台国がてこずった狗奴国は薩摩以外に考えづらい >>987
納得できないのは、トンデモだから。 @阿波 >>988
昨日も教えたけど
1万700里くらいしか消費してないから、まだ1300里くらい残ってるだろ
十分じゃないか >>979
普通の義務教育受けてる人間なら女王国まで12000里でその内10500里までかかってやっと福岡まで行ってるのに残り1500里程度でどうやって関西までたどりつけるんだ?w
知能指数が低くすぎだろお前wwwwww 陳寿は人に読ませる為に書いてるのに理解出来ない書き方するかよ >>992
いきなり不弥国からではなくなるのなら
原文でそれが分かる書き方になってるはずだよ
しかしそれは無い
つまり、
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