道などが1970年に札幌市厚別区に建てた北海道百年記念塔の解体工事が、今秋にも始まる見通しです。老朽化による安全面の問題や、存続した場合の多額の維持費から、道は2018年末に撤去する方針を決めていました。道民の中には解体に理解を示す声もありますが、地元住民らからは今も存続を望む声が出されています。記念塔を巡っては、和人の入植で土地を奪われたアイヌ民族への配慮が足りないという批判が建設当時からあり、議論の火種はなおくすぶっています。(報道センター 小宮実秋)

 3月上旬、雪深い野幌原始林が背後に広がる百年記念塔前では、数組の見物客が写真を撮っていました。厚別区で約40年間暮らし、毎週末に塔周辺を散歩するという主婦の中島紀久代さん(66)は「地元のシンボル。解体見直しに望みを持っていたので、取り壊しが始まると知ってショック」と寂しそうに塔を見つめながら話しました。

■開拓使設置100年目に着工
 記念塔は1869年の開拓使設置から100年目の1968年、道の百年記念事業で道立野幌森林公園の整備とともに建設が始まりました。総工費5億円の半分を道民の寄付で賄い70年に完成。高さは100メートルあり、展望台からは石狩平野を一望できます。周辺の小中学校では校歌で「雲は流れる記念塔 昔をしのぶ原始林」などと歌われ、遠足先としても親しまれてきました。

 一方、記念塔は建設当初から、アイヌ民族にとっては開拓の裏側で強いられた同化政策や差別の象徴との批判があり、歴史認識を巡る論争の的にもなってきました。実際に道発行の冊子「北海道百年記念事業の記録」(69年)には、当時の開道百年記念事業協議会(会長・故町村金五知事=当時=)の協議経過として記念塔について「(道民から)特定人物の顕彰や、先住民族や開拓事業の犠牲となった農民らを慰霊する塔や碑の提案が多かったが、開拓のすべての先人に感謝と慰霊の誠をささげる記念塔を建設することにしたい」と記載されており、建設理念が「開拓」を礼賛するものだったとの指摘もあります。

■老朽化で解体準備着々
 記念塔の解体が決まったのは、高橋はるみ道政4期目の最終年度の2018年末。外壁に使っている鋼材が腐食で剥がれ落ちるなどしたためで、道は14年から記念塔を立ち入り禁止にし、16年には存廃の検討を始めていました。公園施設利用者と一般の大学生・社会人を対象に18年に行ったアンケートでは、利用者は存続派、一般は解体派がそれぞれ多数と意見が割れました。高橋氏は18年9月の道議会で「安全性や将来負担の観点から解体もやむを得ないと判断した」と説明。同12月に解体を決めました。その後、鈴木直道知事も前知事の方針を踏襲し、初の本格予算となる20年度当初予算に解体の事前調査費を計上するなど解体準備を粛々と進めました。

 解体反対派はこの間も存続を求め続けていましたが、昨年11月、道への反発をさらに強めました。道が老朽化の進行や労務単価の上昇のため記念塔の解体費は7億2千万円に膨らむとの事前調査結果を公表したためです。これは、存続派に波紋を広げました。道が公表した金額は17年に試算した金額の1・7倍に相当しました。道はその後、工事内容を精査して修正しましたが、それでも6億4500万円に上りました。併せて道は、今後50年間で維持費が17年の試算より2億円前後多い28億〜30億円との見通しも示し、財政的に存続は困難との論拠としました。

■「解体ありき」
 この道の試算に対し、地元選出の自民党和田義明衆院議員(道5区)は「解体ありきだ。過大に算出している」と猛反発しました。(以下有料版で、残り:791文字)

北海道新聞 03/21 09:00
https://www.hokkaido-np.co.jp/sp/article/658584?rct=n_hokkaido