【古代】「現在、研究者の間での有力な考え方では、邪馬台国がヤマト王権の起源であり…」 巨大な前方後円墳、五色塚古墳の謎 ★2 [樽悶★]
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五色塚古墳
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20220324-00046458-forbes-000-1-view.jpg
神戸市垂水区の海辺からほど近い閑静な住宅街に、全長194メートルという巨大な前方後円墳「五色塚古墳」が横たわっている。
大きさでは全国で約40番目、誰もが古墳の頂上にまで登ることができる。そもそも古墳といえば、樹木が茂り、森のようになっているので、仮に登ることができても、頂きからの景色は期待できない。ところが五色塚古墳は、1975年に約1600年前の姿に復元され、古墳の上からは淡路島や明石海峡大橋が望める絶景が楽しめるのだ。
また、この古墳に眠る人物は「この周辺を支配した豪族」といわれているが、いまだに正確に誰であるかは明らかになっていない。そのミステリアスな成り立ちもあってか、パワースポットとしても注目され、兵庫県内だけでなく関東や九州からもこの古墳を訪れる人が後を立たず、特に若い女性が多いという。
謎の多い五色塚古墳だが、誰によって、なぜこの地に造られたのか、五色塚古墳を管理する神戸市文化財課長の安田滋に話を聞いた。
──五色塚古墳が造られた頃の日本はどのような状況であったのか。
五色塚古墳が造られたのは4世紀後半です。その頃、奈良盆地を中心に「ヤマト王権」という一大勢力がありました。ヤマト王権は各地の豪族と同盟関係を結ぶことで、徐々に勢力を拡大させていきます。まさしく日本の国の骨格がつくられつつあった時代です。
現在、研究者の間での有力な考え方では、3世紀にあった邪馬台国がヤマト王権の起源であり、奈良盆地に存在しながら、各地への影響力を強めはじめていました。そんな日本の国づくりの過渡期に造られたのが五色塚古墳なのです。
当時、ヤマト王権と地方の豪族との関係を示すために造られたのが「前方後円墳」でした。ヤマト王権の大王(おおきみ)の墓として巨大な古墳が造られるとともに、同盟関係のある豪族の墓として各地に前方後円墳が造られました。その規模は、ヤマト王権との関係が強くなるほど、さらに勢力が大きいほど、大きくなると考えられます。
■明石海峡を掌握していた人物
──五色塚古墳は、全国で約40番目の大きさ。この順位にはあとの時代に造られた仁徳天皇陵(大仙陵古墳)などが含まれている。五色塚古墳が造られた頃はどうであったのか。
4世紀後半にヤマト王権の大王の墓とされるのが奈良県奈良市にある「佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群」です。その頃、4つの全長200メートルを越える古墳が造られています。じつは、五色塚古墳は全長194メートル、これら大王の墓に肩を並べるほどの大きさだったのです。
■ヤマト王権との間に特別な関係か
(中略)
これを踏まえると、五色塚古墳に眠る人物は、ヤマト王権との間で、他の豪族たちとは異質な、何か特別な関係を持っていたと推察されます。
──現在、五色塚古墳から見られる明石海峡から淡路島の絶景は、きっとその当時も望めたはず。ここに巨大古墳を造ったのは、どのような人物であったのか。
(中略)
中国大陸からヤマト政権のある奈良に向かう船は、必ずここを通ります。なので、その人たちを統べる人物がこの海峡を掌握していて、ヤマト王権とも特別な関係があったと思われます。
注目すべき点はまだあります。この時代は権力が親から子へと世襲されていたので、同じくらいの大きさの古墳が近隣に立て続けに造られていました。しかし、五色塚古墳の築造された年代の前後には同じ大きさの古墳が周辺にはありません。
これらをまとめると「奈良地方と中国大陸との往き来でカギを握る、明石海峡を抑えていた権力者が、4世紀後半に実在した。全国各地に勢力を拡大させつつあるヤマト王権は、この人物を特に重要だと考え、他に類をみない大王クラスの前方後円墳の築造を許した。ところが、周囲に同様の古墳がないことから、なぜかこの関係はわずか一代限りで終わった」と考えられます。
五色塚古墳の埋葬施設は、現在に至るまで発掘調査は行われていない。過去に盗掘があったことも確認されていないので、もしかすると1600年以上前の埋葬施設である石室がそのまま残されているかもしれない。(続きはソース)
3/24(木) 8:30配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/7b6d29d150115874e7c61189084c70a9b890e5c0
★1:2022/03/26(土) 23:48:42.89
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1648306122/ >>950
>里数で計算しないで日数で計算した原因を究明,
こういう場合は、
その「原因」も書いとかないと意味がない
な?
お前が低学歴な証拠だwww >>952
それはまとめだろ。そいつは本も出してるぞ?読んでやれや。
おまえはまず嘘をいったことを謝れや。人間か? >>952
おいカス。九州説はおまえみたいな嘘つきばかりか?🤪 中日関係史の中国側学者
1. 鄭有恒氏:論文《古代邪嗚台国所在地争論浅見》(《日本史研究》 1982)
(どっちでもない派)
2. 狂向栄氏:著作《邪馬台国》(中国社会科学出版社1982)
(畿内派)
3. 張声振氏:論文《<魏志倭人伝〉中邪馬台国地理方位弁》(《日本史論文集》一輯1982)
(畿内派)
4. 王仲殊氏:論文《関子三角縁神獣鏡的問題》(《考古》 1981)
(九州説とともに同時期畿内派に前大和も存在)
5. 呉建謬氏:著作《中日文化与交流》(中国展望出版社1984)
(九州説)
このように中国の権威でも意見が二分されている。
どこやらの嘘つき町おこし九州説野郎の話はきかないほうがよい。 >>908
何を言っているのだか
住吉神社の創始者で八幡神宮の祭神でもありその母君でもあり
源氏の氏神でもあり、当初から神功皇后と応神天皇は源氏の信仰の対象でもあった神功皇后
卑弥呼がいなくても日本の歴史は成り立つが
神功皇后がいなくては日本の歴史は成り立たんぞ >>957
いろんな意見があることは分かったがそれだけしか学者がいないの?
二分と言えるほど大勢の意見が拮抗しているのか、それともどちらかの意見に偏っているのか >>879
記紀だって帝紀や旧辞を元にしてるけどこれらは現在に伝わってないな
文字文化は古くから伝わってたが律令国家を作るに当たって都合の悪い歴史は抹消して都合のいいように改竄したのが記紀だと思ってる >>1
そもそも魏志倭人伝は張政の手記が元になったもので彼が見聞きした日本の旅行記みたいなもの
だから彼が来日中に書籍を見かけなければ日本には文字がないのかな?と思いそう書き記す
しかし実際には文字は卑弥呼以前からあった
しかも魏志倭人伝は方位距離都市名が半分デタラメなので未だに九州説とか近畿説とかあり何が正しいのか?チンプンカンプン
だが日本書紀や古事記はだいたい正確な都市の位置が判明している
それは神武天皇の東征から
だいたい大分より南部の九州から出発して福岡北九州を経て広島や岡山を経て大阪に来て
そこで勘違いの同族による戦が勃発してその戦いを乗り越え初代天皇に即位する >>961
卑弥呼については日本書記は神功皇后の時代にそれがあったと指摘している
で卑弥呼自体は日本にとっては重要な存在ではなく
神功皇后こそが非常に重要な存在だと記している >>960
違う! 記紀は正直に「阿波」での出来事を書いたまでのこと。 @阿波 >>957
つまりお前は話を理解していないって事だよ
892 名前:ニューノーマルの名無しさん[] 投稿日:2022/03/30(水) 09:18:43.71 ID:i7dNBGvD0
通りがかりの者だが
いい加減に近畿説と九州説と中国人歴史学習者を入れた第3者勉強会して邪馬台国論争解決しなよ
当時中国人が書いた倭人伝で日本人だけで議論しては一生終わらない
このレスが始まりなのだから
中国人が書いた倭人伝を中国人が読んでどう考えるのかという話だ
なので、
中国人が一部の日本人と同じように倭人伝の記述以外の部分で邪馬台国がどこかを想定しても意味がないという事だよ
という事なので
「生産力」で場所を想定する考え方は撥ねられるし
日本人ではないのに日数を距離に換算するという考え方も撥ねられる(これは日本人が考える部分)
となると、
残るのは九州説だけという事だよ
日本人も中国人も、倭人伝に書かれてない事を根拠にしないと畿内を想定できないという事も分かる >>960
文字自体は魏志倭人伝の言い伝えとは異なり
卑弥呼以前から存在している
記紀以前の帝紀や旧辞も火事で半分無くなっていると思う
だから欠史八代の業績の欠如や神功皇后や応神天皇や倭の五王などの不確定要素が出てくる
それは見ればわかる事なのになぜか?戦後の学者?は真実を直視しようとしない
そして津田左右吉のいい加減な説をGHQの持ち上げにより重視した >>965
記紀自体が火事で焼けた帝紀や旧辞や国記や天皇記の不完全版であるという事をちゃんと認識すべきだ
稗田阿礼などがかつて読んでいた『帝皇日継』と『先代旧辞』を太安万侶が書き記し、編纂したものが古事記である
つまりそこには大きな欠損や間違いが存在していたと考えるのが普通である >>962
記紀の神功皇后は史実より120年さかのぼって生きていたことにされている
なので、三韓征伐やそのころの朝鮮の年代と齟齬が生じているし
神功皇后の夫である仲哀天皇に関連する五色塚古墳は4世紀後半の築造とされている
神功皇后の年代を120年後ろにずらせばほとんどの事柄のつじつまが合うし
卑弥呼とは無関係であることも分かる >>966
実際に古事記と日本書紀には暦からして差異がある
それは日本書記がその後にさらにいろいろな資料を探し出してからの加筆をしたからである
それでもなお日本書紀にも間違いやら欠損が多く見受けられるのが現状である
つまり残念ながら記紀も実は間違いだらけの歴史書なのだ
その原因は火事にある >>965
>卑弥呼以前から存在している
存在していた蓋然性はあるけど、証拠がない
証拠がないから仕方がない
卑弥呼以前から文字が存在したと言える根拠がない事になる >>967
あほくさ
全然つじつまが合っていない癖にうぜーんだよ
そうやってお前の意見だけが正しいとか勝手に断言するなよ
そもそもいろいろな天皇の陵墓の放射性炭素年代測定の結果が正しいとか思っているのかよ? 神功皇后は二つ名前があり応神天皇も名前を交換した伝承もあり、記紀の内容と違う真実の歴史があるんじゃないのか? >>969
証拠はあるだろうが
硯に墨
どちらも卑弥呼以前のものが日本国内にはあるぞ >>970
出土品の編年もあるだろ
記紀に書かれてることが正しいなら五色塚古墳は卑弥呼の時代の古墳となる
そうなると、出土品の関係からその他の古墳の年代も遡ることになる
そして年代が遡ると他の史実に矛盾が生じることとなるんだよ
お前は逆に、年代測定や編年よりも記紀が正しいと決めつけてるんだよ
自分自身で>つまり残念ながら記紀も実は間違いだらけの歴史書なのだ(>>968)とか書いてるくせにw >>972
書かれた文字も文章も残っていない
だから証拠にはならない >>967
肖古王(?ー 214年)の部分については古事記日本書紀とも同じだぞ
ただその後出てくる王がおかしくて120年繰り越し説が出てきているだけだぞ
その事をちゃんと把握して二つの説がある事を認識しておこうな
別にどちらが正しいとか今となってはわからないだけだからな
勝手に一つの説だけが正しいとか断定するのは止めような >>974
いいや墨の方は文字は残っているぞ
勝手に事実を変えるなよ >>975
認識したうえで
卑弥呼と神功皇后を重ね合わせようとする意図があったんだな
と俺は言っている
そして俺はそちらだと断定している
蓋然性が高いからな
神功皇后と卑弥呼が同一人物なら
仲哀天皇の妃である時点で倭人伝と一致しない
このことからも別人だと分かる
そして、卑弥呼の前の男王の時に国が乱れ
卑弥呼の死後も国が乱れ
男王を挟んで台与が王になる
これも天皇の系譜には無い
なのでやはり、邪馬台国は畿内大和と別の勢力だと分かる >>973
>お前は逆に、年代測定や編年よりも記紀が正しいと決めつけてるんだよ
別に俺はそんな事はいっておらんぞ
お前が勝手に妄言を吐いているだけだろうが
これこそ捏造なんだわ
お前主体のな
記紀には間違いが多いと書いたが
お前や魏志倭人伝ほどではないわ >>976
それ、邪馬台国じゃないんじゃね?www
「田」だけだろ?www >>977
>神功皇后と卑弥呼が同一人物なら
だから俺はそんな事は一言もそんな事は言っていないし
ただ同じ時代の人間だと発言しただけ 最近は畿内説が劣勢なので
畿内説と表明せずに
九州説にケチをつけるだけのヤカラが増えたよな
その時点で畿内説はその程度なんだという事が分かる >>981
引きこもりの卑弥呼と神功皇后じゃ、人物像が違いすぎるしね >>979
いいじゃん
田の文字でやはりその当時に稲作があったとわかるだろうが >>984
一文字だけだから
それが何の為なのかがさっぱり分からない
中国人観光客が落書きした物かもしれない
日本人が文字を使っていた証拠にはならないんだよ >>983
そう
記紀では神功皇后のページに倭人伝の記述ほぼそのままをコピペして
あたかも神功皇后が卑弥呼かのように描かれてるもんな
嘘臭いよねw >>986
女王として重複している部分はあるけど
神功皇后と卑弥呼は別人だ
それは昔の日本人も指摘している >>987
つまり神功皇后と卑弥呼は別系統の勢力だったわけだろ >>985
硯は北九州から多数
墨は三重県から
日本全国の上級文化人の中で既に文字は存在したと思うぞ >>892
魏志倭人伝を読んだ中国の学者は邪馬台国は北部九州地域だと言ってるな
畿内説とか漢文を読めない日本の学者が逝ってるだけ。 >>989
思うだけだろ?
証拠がないのだから「思う」だけだよ
国内向けではなく、対外向けの中国語を一部の人間が扱えたというレベルの話だろ
それは、日本人は日本語を文字に出来ていたとは言えないわけだよ
昨日からお前に教えているのはそういう事だぞ >>988
日本書紀を見れば半分は勢力争いが書いてある
つまり肉親同士の争い
骨肉の争い
神武東征のクライマックスも実は同族同士の勘違いの戦
後継者争いは親戚同士で行われることが極めて多い
だがその他の勢力が絡んでくることもある
新井白石やら本居宣長は熊襲の女王が卑弥呼だとか言ってなかったっけ? 日本語の読み書きができるアメリカ人がアメリカ国内に1000人いただけでは
アメリカ人は日本語が使えるとは言えないのと同じなんだが
なんでそんな当たり前のことを理解できずに屁理屈をこねまわすのかが分からないwww 神功皇后って三韓征伐という国際的なメインイベントがあるからな。
コレが魏志倭人伝に書かれていない以上、
卑弥呼を神功皇后に当てはめることは不可能で、
トヨでも厳しい。 >>961
魏志倭人伝には倭人が文書を用いてたって記述があるからな。 >>992
>新井白石やら本居宣長は熊襲の女王が卑弥呼だとか言ってなかったっけ?
つまり、
天皇家の系譜に卑弥呼は連なってないという事だよ
俺の主張は1ミリも揺るがないな 傳送文書賜遺之物詣女王 不得差錯
文書を伝送し授けられた贈り物を女王のもとへ届けるので、間違いはない。 素人だから大したことは言えないけど奈良が邪馬台国の本拠地なら平城京なんて作らなかったんじゃ無いかなっておまえらのレス見て思ったわ
今でも新しい街を作るなら何もないところに作るだろ?遷都したってことはそういうことなのでは? >>991
だからな
硯と墨の証拠はちゃんとあるぞ
それがまずは前提な
文字に関しては田の文字がある以上
卑弥呼以前に文字が存在した証拠になると思うぞ
文章に関しては未だ証拠はないが、そのうち出てくることを期待したい
硯に関してはさらに漢字を用いて文章くらいは書けたと思うがな
日本書紀の元となった帝紀などの存在を見ると文字は神武天皇の頃からあったように思えるがな >>999
>硯と墨の証拠はちゃんとあるぞ
>それがまずは前提な
そして、文章は無い
文字を使っていた証拠がない このスレッドは1000を超えました。
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