【戦国時代】 豊臣秀吉「本能寺の変を事前に知っていた」説は、やはり正しかった…! [朝一から閉店までφ★]
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2022.06.02
科学の成果が、歴史を裏付けた
藤田 達生歴史学者
「通説」を「科学」の視点からくつがえして大反響を呼んだ『日本史サイエンス』は、このほど第二弾が刊行され、たちまち重版が決まるなど話題となっている。著者の播田安弘氏が試みる「数字」で歴史を読む手法は、専門家もその意義を認めるところで、
なかでも織豊期研究の第一人者・藤田達生氏(三重大学教授)は、同書(第一作)で展開された「中国大返し」についての大胆な仮説におおいに共感し、ここに掲げる論考を執筆した。旧暦では本能寺の変から440年目にあたるきょう、改めて公開する。
藤田氏自身、最新著『戦国日本の軍事革命』では信長・秀吉らの天下統一を火器と兵站システムに注目して読み解く新視点を展開しており、いま、戦国時代研究は新しいフェーズに入った!
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95480
実際の行程を推定してみる
本能寺の変のあと、秀吉が光秀を倒して信長の後継者として認知され、天下の趨勢を決したのが「中国大返し」だった。それは、秀吉が中国地方の毛利氏攻略のため布陣していた備中高松城(岡山県岡山市)から、光秀との決戦の場となった山崎(京都府大山崎町)までの常識を超えた高速の行軍だったとされている。
(写真)
6月5日~13日、高松から山崎まで8日間で走破した「中国大返し」の行程図(筆者の推定)
『日本史サイエンス』第2章「秀吉の大返しはなぜ成功したか」において著者の播田安弘氏はこの行軍を、読者が理解しやすいよう、約30kmをコンスタントに8日間歩いたという想定のもとで難易度を科学的に考察している。
ただし実際の中国大返しは表に示したように、備中高松から秀吉の本城だった姫路城(兵庫県姫路市)までの前半と、姫路城から山崎までの後半では、異なる性格をもっていたと考えられる。
(写真)
中国大返しでの日ごとの移動距離と宿営地
前半は、毛利軍の追尾を警戒して2~3日間で92kmを走破するという猛烈に速い進軍だったのに対し、後半は、明智光秀側の動きもにらみながら慎重に行軍している。たとえば、光秀と親しい土佐の長宗我部元親の摂津上陸を阻むため、別動隊が淡路を攻撃したのは効果的だった。
筆者は、実際の1日あたりの平均行軍距離は、前半3日間は約30km、後半5日間は約20kmだったと判断する。また、前半の姫路城に帰るまでに必要な物資は、ふだんから用意されていたと考える。そして姫路城において、6月9日からの後半の行軍に必要な物資が、総がかりで準備されたとみるべきであろう。
おにぎり20万個を用意できるか?
→https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95480 当日に光秀が用意した料理を全部捨てられたことを知ってたの? なんなら当日に本能寺に来ていて、一旦備中高松に戻ってから大返しした。 アホノミクスのシンちゃん「コレもセージなんですョ」 まあ秀吉の主力は初めから姫路に待機してたんだけどね むしろ、本能寺を襲ったのは秀吉って感じでいいんじゃね? そんな後付け俺理論で引っ掻き回せば回すだけ学問としてはうさん臭くなるのに歴史学 中国攻めのために物資が各地に集積されてたから行軍が早かった説は聞いたことある 日経「DOCOMOがiPhone発売するのも事前に知ってた」 血の気も敵も多いからいつ寝首を掻かれてもおかしくない状況だったんじゃね >>27
本当は家康を殺そうとしてた説もあるからな なにをもって正しかったと言ってるのかさっぱりわからない・・・ 日本三大暗殺
大化の改新と本能寺と坂本龍馬とあと何 いろんな黒幕説あるけど、結局明智光秀単独犯説が一番しっくりくるかな
人前で恥をかかされたり信長からひどい扱い受けてたもんね >>5
胴体真っ二つに切ったけどノブがそれをくっつけたからな まあ天下人が丸腰同然なら誰でも寝首掻くわな
ノブが慢心しすぎや >>2
だって今はそこにはマンションが建ってるだけやもん 真相分からないことになってるけど、能力者で何が起こったか見えるレベルの人日本に数人はいるだろな >>21
定説を覆す!が最も簡単に注目を浴びやすいからな
磯田みたいにニッチから成り上がるのは難しいし 最初から姫路にいたんじゃね
親方が岡山くんだりまで出張らなくてもいいでしょ 昔から良くこの説があげられるけど、そもそも高松城攻めに毛利三兄弟が大軍率いて出張って来たから信長が自ら出馬する為に高松城までのルートを整備しておくように秀吉に命令しておいたからだろ。
秀吉は単にそれを利用したに過ぎないのでは? 単純に海路つかっちゃいけなかったのかな?
まず先行部隊が大返しして対陣する
その後遅れてきた本隊が合流していく
全軍がきっちり大返ししたとかいう歴史学者特有の頭でっかちさが悪いよ
そのでっかちさで歴史を修正していくから恐ろしくもある 霊能力ある女友達と本能寺に行ったら悲鳴を上げてた
あそこに織田信長が居て戦ってる!人が沢山死んでる!そこに明智光秀が居て指揮を取ってる!とか叫び続けてた…
彼女には本能寺の変が目の前に見えていたという…この立派なお寺が火の海になり血みどろだと…
最後は白目剥いて倒れたけどどんな恐ろしいものを見たのか…今も本能寺のお寺には信長達の怨霊がいるそうだ >>1
また目立とう精神の歴史学者かよ
マジでいい加減にして欲しいわ まあ、秀吉が主犯で光秀は罪をあとから着せられたんじやねぇかなってのはえるよね。
太田牛一が書き残したものも秀吉の主導で作られてるものだもんな。 秀吉が早かったことより、丹羽、かつ家、滝川が全然仕事してなかったほうが疑問残る
あいつら殿の1大事に何してたの? >>60
最新の学説では光秀は本能寺に行ってないらしいけどな のぶちゃんが殺されなかったら
その後って変わったのかねー
よく政宗が早く生まれてたら歴史は変わったとか言われてるみたいに 知っていた、どころか
シナリオを書いて明智をそそのかした
主犯が秀吉だろw 「殿!明智から毛利への使者を捕らえたところこのような手紙が・・・」
「知ってた!」 知ってたつか光秀も最初から策に嵌められてた疑いもあるな あとは情報戦もあるだろう
先行部隊が派手に陣を敷いて大返し成功したという情報を流しておけば
明知勢が情報を集めてる間に本体も追いついてくる >>3
むしろ足利義昭か秀吉か或いは両方が黒幕だった説があってな
関係的には
秀吉=義昭(上司)>>>光秀(部下)
光秀捨て駒説 一番説得力があるのは、
真犯人は信長の身内説
信長が失脚すればその地位と利益がごっそり転がりこんで来るような
光秀は汚れ役を買うしかなかっただけ
これがほんとなら気の毒
出世人の敵は常に身内やね 信長が後詰めで来るために整備してたのが大返しに役に立ったんだろ
まぁ京都にスパイいたらすぐわかるけどな
笑えるのは
「今までの説と違う説が出てくると、無条件でそれを信じるやつが必ずいる」
ってことなんだよな
実はあった、無かったという「明確な証拠」が出てきたならまだしも
このように考えられる、程度だけで信じ込むって
よく詐欺のカモになってるだろおまえっていうやつが必ずいるんだよな
どういう神経してんだ
何で急に顔真っ赤にして今話題になってるのと全く関係ない秀吉を持ち出したんだ?
文系、俺たちに理解できるように説明してくれ シナリオを書いたのは秀吉と安国寺の暗黒坊主
明智はまんまと担がれた馬鹿 明智とぐるだったんだろうな
明智には加勢すると言っていて
周りには敵討ちって言ってたんだろうな
徳川さんは知っていたんだろうか? まあ要するにあいつならやりかねんと常々思ってたってぐらいだな あるユーチューブチャンネル見て以来明智光秀の冤罪を信じてる 後で褒美をあげる約束で農民たちに握り飯を作らせて通り端に用意させ
それを兵士が食いながら進んだと聞いたが
まあ秀吉は一夜城とか短期間に城壁修復とか無茶をやり遂げる逸話が多いから
これもそうなんだろうなぐらいに思ってた そもそも、秀吉の出自から怪しいからね。残ってる資料は伝聞なんていい加減なものよりももっと悪質な秀吉による改竄文献だろうしね。
草履取りみたいなのもヒーローにしたてあげる話なんだろうよ。 >>78
その地位にあったのは信忠だけど一緒に死んでるからなぁ 信長が生きてたら信忠に使われる身になってた秀吉
死んでくれた方が良いに決まってるわな 黒幕はイエズス会で黒人の家来弥助はスパイだったという説もある
弥助は本能寺の変を境に姿を消している >>63
柴田勝家は北陸。滝川一益は関東。丹羽長秀は大阪。
当時は早馬ぐらいでしか危急の報せは届けられなかったんだし、明智側が妨害してれば知りようが無いよ。
秀吉が知ったのは明智が毛利に早馬を飛ばしてたからだよ。 1日何十キロと歩いてくたくたになった身体でよく戦えたなあ
英気を養って待ち構えてる方が断然有利だと思うんだが ソースよんだが食糧供給は無理というとこは
秀吉が普段から兵糧攻め多用するため予備兵糧用意してる
上に鳥取情攻めで普段より多くかき集めいたというとこで論破はできるな >>63
地方に派遣された武将は信長訃報によって在地豪族が敵方に寝返ったからむしろ勝家はよく耐えた方だな
丹羽は元々秀吉と合流する気マンコ >>3
そうなるように料理人だか配膳する人間だかを買収した可能性もあるぞ? >>63
丹羽は信孝麾下で報を受け混乱が激しく兵が離散
勝家滝川は遠い >>97
歴史研究では想像だけじゃ論破にならんけどね >>66
政宗じゃ変わらんのよね
そもそも政宗が会津取れたのは芦名の内紛のおかげなのであと10年早く生まれていたら芦名全盛期なので勝てない 後で信長が中国まで来る予定のために準備してたものを消費して戻ったって話だろ >>2
現在の本能寺は本能寺の変の時にあった本能寺とは別の場所だから
(秀吉によって別の場所に移設再建されたそう)
だから本能寺の変の歴史ロマンを追慕する場所じゃないんだよな 状況的に見て光秀が謀反を起こす可能性も十分あるって理解してたってぐらいだろう
「知っていた」とは全然違うな >>59
それな
秀吉「お頭様がクーデターでやられたから帰るわ。いったん休戦な」
毛利「それは大変だな。了解。お大事に」
…ないわ あとは本体が姫路に入って姫路に残しといた人員を入れ替わりで進軍させたとか
馬鹿正直に備中高松城攻めしてた部隊がそのまま神速の移動したと考えるほうが不自然
やりようはいくらでもあるだろう 間接的に光秀をそそのかしたのは秀吉だよ 失敗は家康を殺せなかったこと 本能寺が燃えるんじゃがめっちゃ面白い。
あれはどうやって略すんだろうか本じゃがかな 彼等もノルマがあって期に何本とか論文書かないとならんから仕方ないんだろ え?
毛利への伝令をひっとらえるまで知らなかったんじゃなかったの? ひとたらしだから、こいつストレスでやらかしそうみたいに感じてたやろな
だからってどうしようもない そもそも当時の史料が正しいのかというところから検証し直さないと
日数とか食糧とかあやふやだろ その時の光秀の思いつきだろう
事前に準備してたなら密約した書状の
ひとつやふたつ必ず残ってる >>103
誰かの受け売りなんで
歴史が変わってたって
NHKの大河かなんかのナレーションかも
特に意味ないから 中国大返しはあり得ないとか言ってるけど
世の中には東北から滋賀まで1日50km
行程1000kmを行軍した前列もあるから
そこまですごいことでも無いと思うが >実際の1日あたりの平均行軍距離は、前半3日間は約30km、後半5日間は約20kmだったと判断
後半なんて1日20kmだから大体現代人でも1時間に4Kmくらいは普通に歩けるだろうから
そのペースだと5時間歩けばいいだけだからそんなに高速で移動したわけでもない感じもあるんだよな
しかし色々やることもあるだろうからな >>111
実際は逆だったと聞いたわ
のっぶは部下思い
サルは冷酷非情。 >>89
秀吉は自己プロデュースが上手くて
それを現実化出来る官僚組織が強力だったからなあ >>93
イエズス会を利用して力を手に入れたけどイエズス会に反旗を翻そうとして逆に殺されたんだろう あと、上田秀人氏は信長の軍師の黒田勘兵衛が怪しいと睨んでる
動機は人質に差し出した息子が殺されたと思い込んだ敵討ち
その様子は小説「天を望むなかれ」をどうぞ
勘べー2人いるから字こんがらがってるかも >>108
あるだろ信長はなんで本能寺にいたとおもってるんだ
毛利攻めの後詰のためだぞ
これからやばいことになるってタイミングで和睦という条件が転がり込んできたんだから
もし本能寺がなかったらで考えてみたらいい 賤ヶ岳の戦いでも
もの凄い行軍スピードを見せてた気がする
なんかノウハウみたいなものを掴んでたんじゃないか こういうのって「正解」が解明されることはありえんやろ ヒデにガキが何人も生まれて
そこらじゅうの奴らと親戚関係になってたら歴史は変わったよな >>120
そうですか
10年エピソードは政宗本人が言った説があるからそれだろうね 必要な物資が総がかりで準備されていた。
これは信長が中国入りするための準備であり羽柴秀吉はそれを利用しただけ
信長は単身で身の回りの衆のみで本能寺で朝廷からの三職への推任の返答を待っており返答を受け取ってすぐに中国攻めで高松城で待つ秀吉と先行させておいた光秀と合流する手はずであった 当時の公家や町人の日記には秀吉が事前に知ってたとかの話題は全くふれられてない
秀頼が秀吉の実子ではないて噂話は宣教師から町人まで噂になってたと記録に残されるほど自由に日記書いてたのだから
やはり秀吉陰謀説はバカげた創作というものだ 信長は燃え盛る炎の中で自生の句を歌いながら踊りながら死んでいった
誰が見てたんだよwww
現代の科学的思考では有り得ないシチュエーションが歴史に残る
歴史はファンタジー多過ぎる どーせ直近の大河の説が有力になるわけ
ネットなんてそんなもん 秀吉黒幕説は前からあったよ
光秀に信長を始末させ、その後光秀始末しちゃえば
自分が天下を取れる
秀吉ならやりそうなこと 後先考えずの年寄りの冷や水状態の光秀単独だよ
学者は金になるようにグダグダ言ってるが >>128
まあでも内紛に乗じて攻め込まなかったのはわりと謎よね
四国の長宗我部と組んで畿内に攻め込めば相当領土を分捕れたとは思う 定説をひっくり返さないと研究者は論文も書けないから >>97
信長に援軍として来てくれって要請しときながら道中に食糧ありませんなんて有り得ないからなw 独眼竜政宗かなんかかもしくは
家康か徳川の大河のナレーションかも
忘れたけど >>59
安国寺と事前にシナリオ作って示し合わせてたからに決まってますよ そういう証拠あったら豊臣を悪にするために徳川が見逃さないと思うんだがなぁ
当時なら今より物的証拠あったろうし 秀吉が光秀煽って無謀起こさせたんだから知ってて当然
光秀のスマホで見た そんなことどうでも良くね?
だからどうした?www
生活に役にたたねぇよw >>138
俺の上司が信玄は鉄砲で撃たれて死んだって言ってたな >>141
経済的にも人員的にもボロボロだったんでは 秀吉って本能寺が起きてなかったら
勝手に毛利と和睦したの信長にバレてたらどうしてたんだろうな >>59
毛利方からしたら織田家の方面軍のひとつである羽柴にすら領地ゴリゴリ削り取られてるんだから上方勢力には太刀打ち出来ないのは明白
それなら秀吉が天下取ることに賭けて上手い汁吸った方が良いと思ったのでは べきであろうとかこいつの考えであってソースねえじゃん読んで損した 一番得した奴が黒幕説は一般的だもんな
後世の歴史ではロシアウクライナ戦争の黒幕はバイデンになりそう >>148
政宗やな
なんでしょぼい奥州の大名を大河の主人公にするんや!という批判を封じるため大物扱いした >>63
むしろあれほど存在感のあった滝川が北条との敗戦後まったくパッとしなくなったのが気になる。ブレーン的な配下を失ったのかもしれないし、ただ老いただけなのか >>155
誰かの小説で、鉄砲で撃たれたってのはあった
当たった訳ではないけど、その拍子に病が重病化みたいな >>157
信長割と寛容だから左遷くらいで済んでそう 全文読んだけど推論に推論重ねてるからあまり信憑性ないな
せいぜい明智が謀反を起こす可能性を察知してたという程度 >>150
家康も光秀にきいて事前に知っていた説もある
その場合、家康もゆるい共犯
伊賀越えエピなどは後世徳川を神格化するための作り話
これは天下人ならたやすい所業
要するに信長うぜえって人間だらけだったのは確か だから秀吉が1番利を得たんだからそう言ってんだけどみんな浪漫を求めて聞いちゃくんないんだよ。
実際明智の行動はスパイで筒抜けで知っていた。戦争中に即和睦して踵返しで本能寺へとか都合良すぎ 官兵衛は知っていたのか知らなかったのか
関与してたのかそうじゃないのか気になる だってさあ
もし歴史が変わってたら
江戸がなかったら
当然今の徳川幕府を倒した外様の
薩長同盟とかなかったんだから
明治からの歴史も変わってたんやで
つまり
アレとかアレとか見なくてすんだんやで
アレとか 中国大返しの種明かしは日向飫肥藩・伊東家の資料に詳細に記録されてるのに
この資料は何故か全く参考にされることがまったくない。当主の伊東祐兵が姫路城に駐留していた当事者なのに 本能寺の変で得したの毛利と四国の長曾我部と越後の上杉景勝
誰が犯人かもうわかるな >>169
勝家とケンカして職場放棄しても許してたからな >>141
毛利は中国地方を安堵できれば良くて天下統一は眼中に無かったらしい 本能寺の変♪
本能寺の変♪
の人たち今なにしてるんだろう 黒幕説はともかくとして
謀反なんて誰が敵か味方かわからんのに
秀吉の状況判断力だけ飛び抜けてるからな
何かしら他の武将と違う情報源が無いと一人だけあんなに素早く動けない 佐久間や林や安藤が追放となり織田一族が優遇
秀吉だけでなく柴田とかも疑心暗鬼になってたやろな
知ってたというより、予測してたが正しいと思うけどな 明智光秀も裏切り者でもあるけど
足利尊氏も北条氏を裏切ってさらに後醍醐天皇を裏切って
天下を取った感じになったからな
まぁ足利尊氏には人徳があったのか >>166
関東にあった領地と周辺の与力達を失って本拠地の長島10万石だけになっちゃったからね。 >>188
秀吉は信長の子を養子にしてる
ぬかりない 本能寺の変の知らせを受けて
あまりのショックに茫然自失
泣きわめいてる秀吉に
「殿のご武運がひらけましたぞ」
とドヤ顔で黒田官兵衛がささやいて
秀吉にドン引きされるのが
いいんじゃないか 遠征のあれこれは不思議
食料とか宿とかどうしたんだか
現地調達なのか運んだのか
どっちにしても大変すぎ
そこら辺詳しい新書でも無いかな >>36
本編でなくオープニング映像なら不思議はない >>141
なにがどう転ぶかわからない状況で静観してたんでしょ
明智が毛利を頼みにしていたのなら羽柴でも明智でも残ったほうと通じることができるんだから
あとはまあ宇喜多勢を速攻で抜くっていうのも無理じゃない?
秀吉が異常なだけで籠城されたら長い時間がかかるもんだよ >>155
敵陣?から上手な笛の音が聞こえてきてて
それを聞きに行ってたら撃たれた説はあるやろ 最近のドラマでは面白くするために秀吉は事前に本能寺の変を知っていたとかばかりだがこれは絶対にない
秀吉が知ったのは光秀が毛利に宛てた密使を陣中で捕まえてからが定説
秀吉は本能寺の変で信長が討たれて死んだのを知って発狂するほど嘆き傷心して落ち込んだんよ
中国大返しの段取りを全て滞りなく行ったのは軍師である黒田官兵衛の手腕による >>141
当時の大多数の戦国大名は自分の領地を守りたいのであって、際限なく領土を拡大して自分が天下統一しようって考えを持っている奴は少数派
毛利からしてみれば、せっかく織田方と講和出来たのに、ここで秀吉を追いかけて織田内部の内紛に干渉して巻き込まれたくはない、ってなる >>19
明智の軍は秀吉に援軍のための軍だったわけで
それのために準備はしてたろ 普通は滝川一益みたいになるもんなんだよな
しかし和睦して乗り切った、秀吉の手腕が優れていたとしか言いようがないが
毛利にもうちょい野心があれば歴史はものすごく変わってたやろね 日本史上最高の天才 豊臣秀吉だからな
危険性を予見出来てない筈は無かっただろうけし
情報網・伝達網も疎漏なく構築していたで有ろう事が察しられるけど、
事前に知ってるは、無いわw スレタイ速報w 最終的に得をした者が絵を描いたという陰謀論の一種だね
実際には誤算やミス、予期せぬ幸運や不運が起こり筋書き通りいかないのが世の常だ >>202
秀吉が知ってたというのはないだろうけど
嘆き悲しんだというのは演技だろうけどね >>171
徳川は息子が切腹命じられて死んだんだっけ
昔の子供に対する価値観がわからないからどれだけ恨んでたのかわからんな 史実とされている偶然密使を捕まえて信長の許可なく毛利と和睦して帰国なんて有り得んだろ
毛利の謀略だったら失脚間違いなしの大失態なのに
事前に知っていなけりゃそんな大それた決断なんてできないよ >>187
書いてる途中でヒートしてくるのには笑う 安国寺恵瓊がいたとはいえ、毛利家がちょっと変わった家風だったとはいえ、
やはり後詰の本隊がにらみ合った状態で、本能寺の変が起こるのを待って、秀吉軍が撤退すれば、
毛利によるかなり危険な追撃戦に発展しかねなかったわけで。
あまりにリクスが大きすぎる。
やはり、知恵のある武将は、あらかじめ進軍路の各所に「兵站基地」(兵糧蔵と人数)を置いていた、
その成果が大返し、と考えたほうがいいよ。 船で運んだんだよ。この程度の常識が文献がないからとかの理由で学者は否定する。 黒田官兵衛
「殿のご武運がひらけましたぞ」
秀吉
「マジ、こいつヤバいわ」 本能寺襲撃中に村井貞勝がなにしてんのねえと現場をウロウロして、そのまま信忠のところに行ったのが謎だろ
こいつ絶対なにか知ってるし明智も見逃す理由あった
しかも信忠のとこで息子と討ち死にしてる意味不明さ >>209
家康も息子については悲しんでた説もあるようだけど
その息子を生んだ今川家つながりの奥さんも家康は殺した感じだからな >>205
敵に回った北条
味方に回った毛利
北条はそれ以前は誼を結ぼうとしてたのに滅亡ってのが因果だよね 秀吉黒幕説は前からあった
1 信長を無防備なまま京都におく
2 光秀に大軍を持たせ信長の近くにおく
3 すぐに大返しできる手はずを準備しておく
偶然にしては出来過ぎてる
逆にこれを計画できる人物が犯人だ >>2
ゴリパラ見聞録てテレビの番組で出たけどマンションか寺かなんかに建て替えられてたんじゃないけ? 本能寺の変関連の新説で自分が受け入れたのは
光秀自身は本能寺に行ってなくて別のところで陣を構えてたって事ぐらいだなぁ >>210
複数ルートの情報が入ったんじゃないの? >>123
信長は天津神系の神社だけ焼き払ったと聞いてるぞ、慌てて国津神系に鞍替えして難を逃れた神社もあったそうな、これで信長の正体が分かったな >>202
密使届いてたら時間稼げたんかな
中国安堵、下手したら九州もくれそう >>209
しかも数だけ多くて馬鹿だらけの家康の息子達の中で唯一
信長が切腹させた長男の信康だけは、めちゃめちゃ有能で賢かった
家康の悲嘆はかなりのもんだったらしい >>209
それは小説の話
正妻も長男も家康が殺害命じてる
年の近い親子のお家騒動なんて珍しくもない >>60
見える人には見えるんだろうな
大阪城で佐助とか六郎とか言い出したわ
なんか見えたんだろうな あの規模の明智軍に密告者が出なかったのは凄いことだと思う。 秀吉も直前まで領地没収の恐れがあったことが解ってるらしいぞ 信長が死んでから、和睦を始めたのはどうなんだろ。毛利が和睦を嫌って言ったら、どうにも
ならないだろし、知ってたら本能寺に合わせて和睦しないかな。 >>219
秀吉が神速の手腕で政権乗っ取りに成功したからなあ
逆に言えば秀吉に手腕を発揮させなければ織田家は分裂していた可能性もあったとは思う 中国大返しが迅速すぎて怪しいっていうけど
その後の、柴田勝家との賤ヶ岳の戦いでも
勝敗の決定打は、秀吉軍の
「美濃大返し」だからな
大垣から賤ヶ岳まで5時間で高速移動してからの戦闘で撃破
秀吉軍団が構築した「高速機動システム」なのよ >>235
それぐらいあの時期の信長は誰からも嫌われていた >>235
行軍中に出会った農民は殺してたらしいな >>173
伊賀越えってかなりリスキーだろ。
家康グルは可能性低くないか
当時、信長に虐殺されてるから信長一派は相当恨まれてたと思うし。
現に穴山は殺されてる
秀吉がわってたとすると、明智勢にスパイ送り込んでて
山崎前に近隣の情勢把握してたとかはありそう
でないと、決戦なんてそうそうやれんよ 秀吉は商人らともうまくやってたイメージあるし
情報といえば商人だから
大名の情報伝達とは別の系統して伝わったとは考えられそう
黒田の親父もほとんど商人みたいなもんだったんじゃなかった? 仮に秀吉が戻れなくても誰かが光秀を討ってたんだろう?歴史が変わってたのかな。清洲会議メンバーも変わらん気がする 秀吉は異世界転生者で、本能寺の変の歴史を事前にスマゲーをプレイして知ってたんだよね
そのゲームの知識を活かして、あの戦国時代を戦い抜いた >>220
光秀が実行しないとな
秀吉が教唆しておいたってのもあるのか この手の妄想は信長の能力を過小評価しすぎなんだよな
秀吉が知ってるなら当然信長も知ってるわ 光秀が以前から謀反の準備をしていた形跡が無いので単独での突発的な謀反説が一番しっくり来るな >>205
織田家の家臣団の中で一番まとまってたのが羽柴と柴田だっただけって気もする。
占領したばかりの土地にいた滝川一益と、畿内の寄せ集め軍団だった神戸信孝は、信長が死んだら崩壊しない方がおかしい状態とも言える。 >>237
滋賀の領地は取り上げる可能性あったみたいね
明智も近江に領地ある
実は大溝っていう近江の領地もってた津田信澄も殺されてる
本能寺の変後が通説だが実は前という説もある 毛利が本能寺の変を知らなかったとかムリがあるもんなw
京に内通者を送り込みまくってるのに
毛利と秀吉で組んでたろ >>241
信長と一緒に信忠も殺せる状況だから
光秀の謀反じゃないだろうか? >>220
少数で京入りしたのは信長やしなあ。
やはり信長か! >>248
信長の下にタイムトラベルはあるけど
秀吉にはあんま聞かないな >>220
丹羽長秀の失態まで計算に入れなきゃ成立しないぞ >>245
秀吉も若い頃はよく分からないけど
商売やってた説もあるみたいだからな
千利休も商売人なのに秀吉の近くにいて切腹とかさせられちゃうからな >>235
下っ端は誰と戦ってるか知らなかったらしい 三英傑のうち秀吉を貶めることは朝鮮人の宿願だからな
かつてはダントツの人気だったんだが 戻りが早かった?そりゃ色々想定していたんだろ
そもそも大前提として当時の織田家の当主は信忠であり、その身柄をどうやって押さえる算段立てたか説明してみ?
村井とかに共に二条城で討ち死にするように操ったの?有楽町は逃げたんだから逃走も可能だったろうに ネタで夜中にさ
「信長が信長の野暮をやったら何家で始めるのか?」ってドラマやってた
島津プレイしてた 安国寺の暗黒坊主は、事前に信長が殺される予言までしてるしw 朝廷「やれ」
光秀「え?」
朝廷「やれ、あとの事なら俺に任せろ」
光秀「なら、まあ、しょうがないな」
光秀「やったよ!!!」
朝廷「なにをやったの(ニヤニヤw」
光秀「ちょ、おま」 武田を滅ぼした織田の長男が不甲斐ない
本能寺の変の謎だ >>260
そんなこといったら今現在ですらどこまで真実と言い切れるのって話だよ
所詮は表面的な事実以外のことがわかる人間なんてほんの一握りじゃん 毛利輝元の重臣達は秀吉を後ろから追撃しようと提案して輝元が拒否ってるから嘘くさい🤔
あのとき毛利が追撃してたら秀吉は負けてた
一か八かの賭けなんてするわけない 1読んでしょーもなと思った
こんなん昔から言われてる事
もし秀吉が信長裏切って殺したなら
徳川が秀吉に思いっきり汚名着せて喧伝するはずだよな >>246
清水宗治も日本の歴史に
「真の武士」として高名を残せたんだから、
これ以上の武将としての終わり方も少ない NHKの番組「英雄の選択」で検証してたけど知らなくても可能だったよ >>266
そいつと信忠じゃ格が違うから何とも言えない
ましてや信忠は勝頼の死を見てから半年経ってないだろうし
死ねる時に死なないとと思った可能性もある >>235
ドラマなんかでは家来どもは直前まで誰を襲撃するか知らないと言う形で
行軍と布陣をしたって描写が多いな
事実かどうか知らんが 本能寺を知っていたから出来た(知らなかったらできなかった)と言いたいのなら
賤ヶ岳の美濃大返しも知ってたって事か?んなわけないよなぁ
中国大返しをやたらと陰謀論化させたがる奴って美濃大返しも知らないんだよな >>17
攻めている最中でも自分の領土を落とされない様に防衛と分隊するのは基本だもんな >>248
本能寺から賤ヶ岳までの1年間は
一人だけ正解を知ってるような動きなんだよな >>265
何を言ったところで晩年の耄碌ぶりは擁護のしようがない。 >>257
そう言う奇跡的なシチュエーションじゃなければ謀反は起きてないか
戦の実権を息子総大将信忠だったからな >>271
朝廷の庇護者は信長で
光秀は特段朝廷を敬うなんてしてない。土地の横領もしてる >>205
毛利は和睦後に知ったが、これまで奪われた土地を何故攻めなかったのか?
隣の宇喜多はまだ子供、宇喜多は急に大きくなった大名なので裏切り続出やろ
少なくとも播磨は制圧できたはずで
こうなったら秀吉も明智攻めは躊躇してしまい
明智と毛利に挟まれ自滅
明智がそのまま天下取れるとは思えんが、秀吉自滅し
賤ヶ岳ぐらいで明智と柴田の対決が、天下分け目の戦いとなっただろう
三日天下という言葉は生まれず、一月天下って言葉になってたかな だから俺も何度も言ってるじゃない。
本能寺の変のキーワードは豊臣秀吉でも明智でも黒田官兵衛でもない、
島井宗室と神屋宗湛だよ。
島井宗室は本能寺の変の前日に本能寺を訪れ信長と茶会を開いていて、
本能寺で宿泊している所で現場で本能寺の変に巻き込まれていますが
普通、そんな風にすんなり逃げられると思います?
事前に退路を準備してたからすんなり逃げられたんでしょう。
だってそんなにすんなり逃げられるのなら信長も逃げたはずでしょ?
何で信長も一緒に逃げて体制を建て直さなかったんでしょう?
歴史というのは資本家が動かすんですよ。
明智光秀のバックについていたスポンサーを調査する事で
新しい切り口が生じると思いますね。 秀吉もそうだけど1回偽りの死亡説でも流して
数年潜伏していく末を見てみればよかったのに
こういうのやる歴史上の人物あんまりいないよね
源平とかみてれば後継者問題でどうなるかわかるだろうに >>272
秀吉黒幕説がありえないのは優秀な長男が討ち死にしたかどうかなんて大返しの途中でしかわからないってことじゃない?
生き残ってたら何の番狂わせもなく信長から信忠に継承されるだけじゃん
そして信忠が討ち死にしたのは信忠の判断によるものとしか言いようがない 柴田は引き返そうとしたら上杉の追撃食らったんだよね?
滝川は何で引き返せなかったの? >>290
柴田滝川とちがって秀吉だけ船便使えるんだよね 戦後の歴史研究は軍事の観点がすっぽり抜けているからな
軍事の研究をするとサヨク学者から総攻撃される 秀吉が忠誠心で明智を撃ったという話は物語的で逆だよな。その後の織田家への対応通り忠誠心が薄かったから臨機応変に動けた。
方面軍司令官の重臣だけど使い捨て要員。いろんなシナリオを持って常に準備してたのが秀吉でそれが生き残り策だった。大返しの下地だと思うね >>284
末端の兵士なんてそんなもんでしょ
ウクライナに侵攻したロシア兵も直前まで演習だと思ってたらしいし >>141
毛利側が攻めたって負けるに決まってんだろ
偽情報だったら詰むし
本当の情報でも明智がよほどの大軍で
きっちり挟み込んでくれないと負け確定なんだから 元々秀吉は物資輸送に長けていた指揮官じゃなかったか
兵站輜重で空になった荷車や荷馬を活用したら大返しは
どうてことなく実行できるんじゃなかろうか >>293
そうなんだよねw
明智は朝廷なんか馬鹿にしてたフシが多く見られる >>220
その後たった3年で関白就任だからな・・・ 挑戦出兵は信長総大将でやったら、
明まで制服できたかも。 中国大返しツアーとか企画するべき
おにぎり頬張りながら
岡山から夜通し走って東京を目指す >>235
丹波から京へ行くまでは秀吉への援軍の命令を受けていたので自然な行動
京の都へ行く時間がおかしいとか行先が本能寺なのがおかしいとかそのレベルで密告できる奴はいないだろ
そんなついでで強襲出来ちゃう位置にいた信長が悪い。本拠安土なのに >>312
既にやってるよ
5日かけてやる長距離マラソンって感じで 信長なら室町御所同様、京都御所も焼き払っていただろう。 >>311
無理だよ
秀吉の時より無惨な離反が起こっていたはず >>304
信長の子を養子にしたりと
天下統一後も含めて色々考えてたんだろうね
色々ケースを想定して準備はしていた >>308
でも朝廷の手紙の返事待ちしてたんだよね。本能寺変後は 毛利って李家の派生だろ
古い時代から朝鮮人って日本の歴史に関わってるのな >>299
滝川はなんかヘボいことやって軍団壊滅してたような
北条に追撃受けたところまでは同様で、家臣に一緒に尾張に戻らなくてもいいとかなんとか言ったんじゃなかったっけ >>299
上野の後の信濃と甲斐が大荒れ
重臣が地元武士の一揆にやられて結構死んでる
まして滝川が引き返すには真田領を通らないと行けないという地獄 >>322
錦の御旗にしたかっただけだよ
薩長と同じ理由 >>1
武具装着とは言え1日30キロの移動なんか別に凄くも珍しくもないわけで
これを異常扱いしてる歴史家達ってどんだけ運動不足のヒョロガリもしくはピザなのよ? >>317
> 中国大返しツアー
やってるんだ?w 参加してみたいな
ちゃんと旧道を通るのかなあ >>306
でも当主とその後継者が急死したんだぜ
普通ならこういうとき内紛になるか後継者がすぐに決まってもまとめきれず勢力が縮小するもんだ
べつに明智と挟撃する必要もないしな
進撃して土地奪っていくだけで十分脅威になる >>324
今やってる大河ドラマにも出てる大江広元の息子が毛利と言う土地を貰ったのが毛利氏の始まり 光秀の謀反をそそのかせた黒幕は朝廷で恐らく正解だろう
信長は朝廷からの三職推任で返答せず不気味に無視し続けており朝廷そのものをぶっ潰す腹つかもと朝廷が恐れおののいていたちょうどその時だからな
源頼朝しかり足利尊氏しかり天下を取りそうな武士が京都の朝廷を脅かせば天皇や側近は別の有力な武士をそそのかしてでも潰そうと策をめぐらすのはあの頃の朝廷のいつものやり口 >>315
秀吉が梅毒に掛かるような環境にいたかというと微妙な気もするが、当時の梅毒は凄まじい勢いで世界中に広まってたからなあ… >>323
家康もグルだった場合、それは自然な帰結 現代人の足の速さ前提で考えるから速すぎるって思うだけだろ やっぱり分からないってことは面白いよな
原理主義者になってあれこれ喧嘩腰になるような人らは苦手だけど 毛利が秀吉と仕組んだのであればその後ずっと強請られる続けるから毛利と組んだはないだろう >>313
部下の日記に「敵は徳川だと思ってた」って書いてるのを何処かで聞いた >>139
黒幕じゃなかったとしても
信長と敵対してた寺は
秀吉には何故かかなりビビってたからな 知っていた説があるなら秀吉サイドが光秀を教唆した説まで出てくるやろ >>303
小田原征伐の後、下総で反乱抵抗勢力?? >>334
朝廷と信長は仲が良い
逆に光秀と朝廷は仲が悪い。土地の横領もしてる
あの時代全員が朝廷を敬うなんてないよ
土地を横領してるのは多々いる 信長を殺したら天下を獲れる そんな単細胞な武将はおらんやろ
依って明智光秀は精神を患ってたかタダのアホ >>119
細川家は2通目の書状を残している。
1通目は残していない。 戦国時代の上下や横の関係や状況って今の価値観と全く違うものも多そうだもんな >この行軍を、読者が理解しやすいよう、約30kmをコンスタントに8日間歩いたという想定
前提条件でいくらでもいろんな説作れるよなこれ 高松城の後詰めと決戦するつもりだったんだから姫路城間の輸送万全なのは当たり前では? 秀忠は親にも子供にも功績を奪われがちなかわいそうなやつ
おそらくほとんど家光のせい >>332
毛利は高松城の時点で兵站の限界だったんだよ
それ以上に攻め込むことはそもそも不可能
毛利は兵站を海上輸送に頼ってたのに、それを秀吉に寸断されてるからな
だから高松城の救援すら出来なかった
そんな状態で姫路まで攻め込んだら全滅です >>340
京都で誰かを討つとなれば家康くらいしか思い浮かばなかったのでは? 時代小説と信長の野望って本当影響力でかいんだろうな
同レベルのきっかけ作りしたい分野沢山ありそう 信長「アーチーチーwwアーチーww燃えてるんだwww廊下ww」 >>339
講和の恩義に感じて、弟の小早川隆景を優遇
追撃主張派だった、兄の吉川元春は優遇しなかった こう? >>1
そもそも秀吉が必要も無いのに信長に援軍頼んでる時点で真っ黒黒スケ。
バラされたく無いから家康も討伐出来ずだな。 >>284
本城惣右衛門覚書って下士官クラスの日記にもそう書いてるよ、センゴクで読んだ
まさか信長様に攻め入るとは思わなかった、てっきり信長様の命令で家康様を始末するもんだと思ってたって 他の勢力が動けて無いんだし
光秀に大きなミスは無いんだよ
秀吉の動きがおかしい 島井宗室と神屋宗湛はその後、秀吉や黒田家を支える豪商として活躍してますからね。
だから徳川家から警戒されていたのであって、その資金力を削ぐような
政策を強要されたのであってね。
天下人になってからの豊臣秀吉が黒田官兵衛を遠ざけた理由も
そこにあると思いますね。黒田官兵衛は自らも天下人になる事を
目標にしていた人物であり、故にいつ自分も寝首をかかれるかわからないと
考えていたと思います。でも重鎮だからあからさまに遠ざけたら人望に関わるから
いろいろと根回しをして政治や軍事のリーダーにならないよう配慮してた訳でね。
そして、臨済宗大徳寺派ってのはそういう宗派なんですよ。
島井宗室や神屋宗湛ともゆかりの深い宗派なんです。
韓国スパイの朝鮮人のなりすましどもには理解できない話ですがね。 >>355
石田三成とか恩恵受けたね
昔は信長の野望含めて、つまらんヤツもいたもんだ扱いだったのに >>318
幕府や朝廷の権威回復に勤しんでた信長がそんな事するわけないだろ 昔は街道の情報とかその地域の地理とか今ほど楽に手に入るもんでもないし
読み合いのレベルが違いそう >>228
信康が独自の勢力を形成して家康が制御できなくなりつつあったので、むしろ家康が舅の信長の許可を取って粛清した説も最近では出てきている。 そりゃ事前に知らなきゃあんなスピーディーな対応出来んわな
歴史は勝者が作るってヤツでしょ >>342
毛利光秀秀吉による謀反から秀吉が二重に裏切った説が一番しっくりくる >>225
俺も秀吉が日本を外国にしなかったと思っている
信長なら平気で日本を売り渡していた可能性大 >>141
元就の遺訓をどう思ったかはともかく輝元に天下人の器量が無いと攻め込めないよ
次に天下人のチャンスがあったのにやらかしたのが関ケ原だし >>1
まーたこの手のか
実際はタイムマシンでもなきゃ分かんねえよ >>2
四条のほうは本能寺老人ホームになってるな。西洞院から堀川通りあたりまでが元の本能寺だから相当デカい。 >>330
行軍の訓練してないからなあ
一般人で軽装備でいい靴履いても
20キロも歩くと足に豆できるぞ >>126
あの時は有岡城落ちてとっくに息子と対面してるぞ
殺されなかったけど命令は出したからぬっ殺すってか? 実は信長は本能寺の1年前に死んでいて、織田家としてはそれを数年隠すつもりだったが実権を握っていた信忠とその他兄弟との不和により水面下で派閥争いが起きており、その結果起きたのが信長の影武者と信忠を殺害するために起きたのが本能寺の変だと思うよ
そういう背景がないとなんか合理的な説明がつない >>353
全滅って誰に全滅させらてるんよ
秀吉はすでに退去してるんだぜ
信長の死で動揺した地域の国人を調略するのも容易だろうしね >>357
関ヶ原だと逆の立場になるのがまた面白いよな >>373
信長のままだったらスペインの属国に成り果ててるよ >>334
太閤検地までは
国衙領土のこってるからな? >信長が切腹させた長男の信康
徳川史観による捏造ですよ
徳川家康が、正妻と嫡子をこともあろうか粛清した事が都合が悪過ぎるからって
織田信長のせいでなすりつけられてるだけ >>358
秀吉は毛利責めだぞ、帰す刀で四国討伐もあるのだから
援軍を頼むのは不自然では無い >>220
本能寺信長自作自演説か
新しいの来たやんw >>378
まあ慣れの問題よね
江戸時代の旅人とか凄い距離歩いてる
車無いから歩くの当たり前なんだよね >>380
それなら、焼け跡の本能寺で信長の首が見つからなかったのも説明がつく。
最初からないんだから。 >>141
毛利はこの頃割とボロボロだったからな
本能寺の変の2ヶ月前に毛利方の得居・来島兄弟が秀吉の調略で織田方に寝返ったため瀬戸内海の制海権を奪われ、
物資の海上輸送ができなくなり、備中高松城の援軍に行ってた輝元・小早川・吉川も動けなかった
毛利家臣の書状にも兵糧・玉薬の欠乏が深刻と書かれてるし、動きたくても動けなかったんだな 信長の野望やり過ぎ
全国に国衙領土残ってるんだけど。 >>371
クソだな
信長記念館を造って人生観に浸りたいだろみんな 足利「のっぶを信用してる朝廷クソワロタwww」
足利「えっ?!のっぶ、ヤったの?」
足利「さすが朝廷、俺とは格が違う」 >>333
調べたら逆だったわ
朝鮮武家の李家を作ったのが毛利だった 明智光秀と直接話ししたい奴は沖縄行けwwwww
明智光秀を守護霊に持つユタがいるから
直接話しが出来るらしいwwwww >>3
秀吉「えれーめにあった。死ぬかと思った」
光秀「どちたの?」
秀吉「上様に濃い味の料理だしちゃった切れちゃって。切れると手を付けれなくなるんだよなあ」
光秀「えー。やばいよ。おれ来週饗応役なんだよ。まじかよ。嫌だなあ」
秀吉「とにかく薄味にすることだよ。間違いない」
光秀「サンキューな。お前イイやつだな」 まあ、私も自分のルーツは人生と名誉を回復してからしっかり調べるとして、
まずはさっさと人生と名誉を回復しますので
本当の日本人の皆さんにはしっかりご協力いただけるようお願いしたいですね。
状況が状況ですしね、さっさと私もアメリカで楽しく暮らしながら
親兄弟や親族との関係も回復しないといけませんので。
今は本能寺の変よりも”大阪事変”の方を気にした方がいいね、
中国朝鮮のスパイどもに大阪が乗っ取られようとしてますので。
では。 >>358
あれは世渡り上手な秀吉のごますりの一環。 今より見晴らしが良いエリアもあったろうけど
今より難所なところも沢山ありそうだな
岡山大阪間をママチャリで移動したけど朝出て夜中についたけど
アレよりはるかにキツイんだろうからと思うと・・・ 信長から配属された武将連は
光秀の檄「敵は本能寺」 なんでそんな命令に従った?
まさか本能寺が信長の宿舎と知らなかった? とあるYouTuberが光秀は本能寺に信長を救いに来たのであって仕掛けたのは公家だという説唱えてたがあれはなかなか面白かった。
「敵は本能寺にあり!」という台詞は信長を襲った犯人はまだ本能寺にいるぞ、急げ!という意味だという解釈。
想像力豊かな人は羨ましい、創作やる人は凄いね。 光秀に命令して御屋形様を倒しておいて
あとで裏切りものとして成敗するって
今の大河で源頼朝が九郎の仇討したのと構図は
まったく同じだね >>388
必要になったらあっさり降伏させられるのに呼ぶ必要ねーべ。
>>405
猿「あっえーと、ゴマスリゴマスリ ははは」 >>406
逆に言うと、朝出て夜中に着くの可能なんだ >>380
そういえば武田信玄なんかも死んでたの暫く隠されてなかったっけ? >>383
日本人奴隷の存在を知って怒ってバテレン追放令出してるし
マジで秀吉は日本人最高の天下人 >>122
おまえTシャツジーンズで合戦に参加するのか? 秀吉と毛利氏の謀略がぶつかり合った結果、毛利家臣の大半が秀吉に寝返り、また本能寺の変が起きた
こう考えれば辻褄が合う 朝廷「謀反よろ」
光秀「しゃーないな」
朝廷「あいつ、謀反するって俺に言ってきたけど・・・」
秀吉「マ、マジで、詳細よろ」 >>307
三~七日後ぐらいには信長本隊が通る予定なんだから
兵站バッチリなのは当たり前なんだよなぁ
輜重も置いてあるんだし信長用ので大返ししただけ(10日程かかりました) >>412
200キロくらいで平均時速15でそんな感じ
一緒に行った人は自転車故障で姫路から新幹線乗ってたな・・ 新しい本能寺にも小ぢんまりとした展示室があるよ(゚ω゚)キョネンイッタ 装備は船で運んでて足軽は軽装で行軍出来た。通過領地が官兵衛の領地だった。元々道幅を広げる工事をしていて移動しやすかった。ほぼ官兵衛の発案で秀吉はそれに乗っかった。 秀吉は信長が毛利征伐に楽に入れるように街道整備してたんやぞ。
整備済み街道を逆走したら早く着いただけ。足軽の装備は捨てさせて後続に回収させてる >>380
それだと、武田家は信長不在で内乱状態の織田家に始末された雑魚大名ということになるが(´・ω・`) >>381
秀吉が戻るというか姫路で迎撃するわ
光秀は地形上山崎から西へは行けない
毛利を叩いてそのあと柴田と光秀を挟撃するだけ 確証で知っていたわけではないけど対応の速さは謀反を警戒してたのかもしれない
でもそれなら信長にその旨を進言しててもおかしくないけど
信長親子の防備が薄かったということはそんな話はしてなかったのか、あえてしなかったのか 知ってたら、もっと根回ししてるな
何もしてなさすぎ 秀吉が首謀者なら
信忠を1番に殺さないと駄目だから
信忠は逃げれたのに逃げてないし >>414
絶対そんなナショナリズムな判断ではないとおもう >>410
歴史上めちゃ重要な出来事でだいたいの事象はわかってるのに大事な部分が謎のまま、てのが想像力を掻き立てるんだろうな 週に5,6kmを4回くらい歩くけどそれくらいだと丁度いい疲れなんだよな
10㎞以上何度かになると結構しんどい >>429
1年前の武田家ってもうボロボロじゃない?
上杉は対織田で忙しいし、北条は取り合えず親類だし 毛利は秀吉を追撃して光秀と挟み撃ちにしたら
勝てたのか? 戦ばっかやってた頃の戦略戦術権謀術数はほんと恐ろしいわ >>410
蘇我入鹿になごり雪歌わせたい(´・ω・`) >>413
信玄はすぐバレたけどな
信玄死去から2週間後に飛騨の国衆江馬輝盛の家臣河上富信が謙信の家臣の河田長親に宛てた書状で信玄が死んだようだと書かれてる >>233
本能寺ってあの後全然別の場所に建てられたんやで 東は家康、畿内は光秀、西は秀吉
天下三分の計のつもりだった まぁ知っててもおかしくないけど
知ってても防ぐ時間がなかったのか、あったけど敢えて見過ごしたのか
その辺が確認できないと大して意味ないよね >>438
その後に大きな変化もあるし
皆が皆謀考えてると思うとワクワクしちゃうよね
タイムマシンで見れたら「しょうもなー」ってなるかもだけど 歴史なんつーのは盛りまくり合戦でわけわからなくなってんだろ
物語として面白いこと言ったもん勝ち 俺らは歴史の結末を知ってるからなあ
毛利が追撃しなかったことは結果として正しかったわけなんだが
輝元が野心的な男ならその後の状況は大きく変わってたとは思う
一つの決断よって歴史が左右される大きな分岐点だわね 狼狽える秀吉に黒田官兵衛が「殿、チャンスですぞ!」と言ったなんて伝えられてるけど、実際には秀吉は最初から企みを知ってて「かんぴょう!チャンスだぎゃ!」と言ったのが正解 秀吉黒幕説もありかもしれんが、光秀と家康の性格や軍事力を把握している秀吉が
こんな大仕掛けで光秀を討つ理由がな…
将来の自分のことを考えるなら家康こそを早めに討ち取っておくべきなことぐらい秀吉ならわかっていたと思うがなぁ 光秀が織田家を討ち取ればいい感じでなんとかなるんじゃねと思って、本能寺に特攻したんだろ
そしたら秀吉が激おこで返ってきた >>444
飛騨の国衆にバレるって深刻と見るか
飛騨の国衆でも諜報活動頑張ってるんだなと見るべきか 本能寺の変が無ければ今頃アメリカと肩を並べる強国になっていたやろな
中国韓国とロシアの半分くらいは日本の領土になっていたかもしれん 当時の秀吉の兵站重視の戦略性を勉強していれば
現代人の何となく手運びなんかよりもはるかに効率的に動いているよ
学者達は肉体労働したことないから
昔の人間が経験則から改善、効率化をしていたことを
知らないんだろうな 戻ったのは自国領地内だぞ
人員配置をずらせば、総数は変わらんよな
秀吉や重臣だけ前工程移動すれば事足りる >>371
間違えて移転した方行っちゃったよ
まあデカい寺で趣きは充分だったがね 怪しいんだけど、
結局、戦場で光秀倒さないと意味ないw >>441
敵が秀吉だけなら可能性はあるよ
勝算は低いけど
でも柴田も筒井も細川もいるわけで、光秀は京都から動くことができない
だから挟撃は不可能 >>407
一般兵はどこに行くかも知らなかった
幹部には「本能寺まで行って信長様に挨拶する」
討ち入り始めたらたら「もう最後までやるしかない、今止めても全員謀反人で打ち首だ」 >>451
毛利が最後の最後まで粘って
和睦しなかったら
光秀にやられてたかもしれないね >>451
さっさと大友家平らげた島津と織田由来勢力に挟まれてすりつぶされる未来がありそう 確かに早いっちゃ早いけど世界を見渡せば急行軍でもっと早いような事例もいっぱいあるんだってな >>437
自分が成り上がりだからなそんな不安要素を放置するわけない >>445
佐助とか六郎とか言ってるからわかって言ってると思うよ? >>457
深刻と見るべきだろうな
隠せと言ったところで飛騨の山奥の国衆の情報網にも引っかかるくらいの緩さだったんだろう 秀吉が事前に知ってたとすると、信長が間抜けみたいになっちゃうじゃない >>431
ものすごく繊細な運用が必要な戦術だな
まあ秀吉ならやれたかもしれんがリスクが非常に高い
そもそも急速なスピードで戻ってこれたから畿内で様子見していた勢力を糾合できたんだろ 天皇がヤバいと思って官位ちらつかせて明智を動かしたんだろ
織田信長は天皇になろうとしていたからな >>465
120万石程度の地方大名が
880万石の信長軍相手に戦うのは
無理か 第六天魔王(自称)よりぜよぜよ言ってる捏造人気のブサイク土佐っ子ラーメンが人気なんだぜ? >>445
商店街の街中の角にあるで
とても良い立地や 権力闘争で親兄弟が殺し合いをする愚かな時代
武士と武士は当たり前のように殺し合い
人間の命なんて魚や家畜と同然なんでしょうね
あの時代の人間の考えって 研究してる偉い人が引退する前に自分の実績の残すために適当なことでっち上げるんだよね 歴史何て少しの証拠を学者連中が
都合よく作りあげた作品だろ
戦国時代何て殆どの人亡くなってるし
時の将軍自分の都合よく
書かせただけだろーに 考えたら、この時期に後方の四国勢を牽制するために置かれた仙石は、
秀吉軍の中でも信頼と実力がある武将だった
長宗我部が瀬戸内海を渡る動き見せれば、山崎の戦いは秀吉側に
とっては難しくなる >>438
普通に信長と後継者を殺るチャンスが舞い込んできたからやっただけだと思うよ
自分がぐいぐいいけば落とせる女とその妹がいてライバルが全員海外旅行してる
黙って見てますか?って奴 まぁ、光秀に不穏な動きぐらいは察知してた可能性はあるな もしも明智光秀が秀吉を倒していたら、
京都に明智幕府が開かれてしまい
史実の江戸及徳川幕府は成立しなかっただろう
そして、鎖国はせずに東南アジアを植民地化
いち早く蒸気機関を発明して産業革命に到達
やがて世界の半分は日本の植民地になってしまい
第一次世界大戦も第二次世界大戦も日本の勝利だった 確定事実だけ学校で教えろよ
後から「間違いでした」って
壮大な時間の無駄だよ 今の時代でもプーチンのウクライナ侵攻理由は見えない部分があるもんね
光秀の謀反理由が分からんでも何も不思議ない ハンニバルのアルプス越えも
普通は不可能だからっていろんな仮説があったけど
今は象と馬のウンコの跡からルートを追ってるらしいな 実際はさっさと四国に行かなかった丹羽長秀のファインプレー 「美濃大返し」でも道中も地元の百姓衆に後で10倍にして返すからって言って
米を炊き出しさせて道すがら兵士に飯を喰わせて移動した ってお話もあるしw
約50kmの距離を5時間で移動、休憩後戦闘
NHKの検証番組で実際、マメに栄養補給をして運動しないと
移動は出来ても回復不可、エネルギー切れで、戦さなんて出来ないってやってたね
科学的な事はともかく、経験的にそういう事も踏まえた上での、「大返し」だったんだよ 「YUKIMURA CHANNEL」は戦国時代の勉強に成る。 姫路までは早いけど姫路から先は余裕がある行軍速度だからな。首謀者は斉藤利三で間違いないだろ。長宗我部の処遇で光秀を担いで謀反を起こしたから光秀から入っても意味不明になる。 足利黒幕説なら変後すぐ将軍に上洛を要請するはずだし
朝廷黒幕説でも変後すぐ「これは朝廷の命令だ、私は悪くない」と諸侯に発布するはず 坂本から丹波に移封されてんだから譜代がいない状態で元々無謀だった。 >>493
光秀が勝ってたら義昭を将軍に戻して室町幕府が続いてたんじゃね? >>478
中国からの大返しをあんなスピードで
やれるとか
知ってなきゃおかしい(妄想) まあ、普通に考えて、官兵衛の情報力と事前準備の賜物だわな
九州時代も、天下を狙って各地に間者を忍ばせているくらいだから、光秀の謀反の兆候は事前に察知していただろ
根城の姫路に大量の食糧武具を下準備していたのは間違いない ミッツが勝ってもヒッデが勝っても結局家康の江戸時代になりそうな未来しかないんやが 学者は目立ってなんぼの世界だからな
憲法学者なんて改正枠にあぶれたやつが改正反対枠でメシを食ってるよ 秀吉を悪者にしたい勢力がいるな
仮説の立て方がもうあっち系w >>437
いやいや宗教改革をしている時点で
外国人を敵と認識しているよ秀吉は
勢力拡大に海を渡って明に喧嘩まで売った秀吉の寿命が尽きたのは残念でならないよ 明智が信長殺した後に
毛利に密書出したから
密使が秀吉軍に捕まったからばれたんだよ
ずっと黙ったままにしてたら
よかったのに 本の宣伝かよ、こんなのよくある妄想歴史じゃん
本能寺の変じゃなくて変な提灯記事だな >>108
毛利が何でその情報を秀吉と同じくらいに知ってるの?w >>486
でも今より生き生きしてるよ
それが魅力っていうか >>495
現代、プーチンが○チガイになったから
唐入りは、秀吉が○チガイになったから
高齢で○チガイ化した。は結構使われる手法なんだな、とw まあ山崎の後には信長の息子を殺して
事実上、織田家を乗っ取ってるから
忠臣のイメージは無いな。
前から狙ってても不思議ではない。 家康と部下は何日で堺から三河に逃げ帰ったと思ってんだ?
大返しの距離と日程くらい当時の人なら行けるんだよ
それと刀槍甲冑着たまま走るわけ無いだろ
雑兵の分は姫路に行けば予備が有る
騎馬武者の分は荷駄と海路で姫路に運べる
だてに金ヶ崎で殿努めた秀吉・家康コンビじゃねえぞ 歴史って創作とかの印象に引きずられて誤った理解してるヤツ多いよな
信長の比叡山焼き討ちも
信長のアレなパーソナリティは別として
あれちゃんと記録見ると分かるが比叡山の僧侶がやりたい放題やって武装とか
オウム真理教みたいな連中で
こら滅ばさんと駄目でしょってなる 信長は非常に猜疑心が強い
今のプーチンみたいなもので
家康の息子を内通してると言って
自害させたり
信長に敵対する勢力と少しでも接触しようものなら全て情報が入ってくる様に
してたはずなので、家臣同士の話でも
バレると光秀も考えていただろう。
光秀も最後の最後まで自分の部下でさえ
謀反を伝えれば信長の耳に入る事を
恐れて最後の最後のギリギリまで
秘密にして実行したんじゃないかとおもう。中国大返しは秀吉というより
黒田官兵衛の頭のキレの良さで決定され
この大返しがあまりにも早く、
光秀に味方になるであろう勢力に
秀吉勢が勝ち馬には乗れないと諦めさせていた事が光秀には全くの誤算で
大敗したって感じじゃないかな >>498
秀吉軍は行軍で疲れきってて
山崎の合戦は丹羽&信孝の軍勢が主力だったとも聞くね
秀吉側は数は多いながらも以外と苦戦したのは疲れきった軍勢を抱えていたからとか >>328
そうか。なんか操られた感あってかわいそうだな 明智は信長殺した後に
毛利に密使送らなかったら
勝てたのに 信長が朝廷を廃止しようとしてるって明智に吹き込んで謀反に駆り立てたのは秀吉だよ >旧暦では本能寺の変から440年目にあたるきょう、改めて公開する。
いやいや、今年の旧暦6月朔日は新暦の6月29日だろ?
まだ先じゃん。 数十キロの荷物担いで峠も超えるんでしょ。現代人で走破できる人って1%もいないと思う。 >>524
秀吉「プロレスやろうぜ」
家康「プロレスやろうぜ」
光秀「プロレスやろうぜ」
秀吉家康「どうぞどうぞ」 記事の中で「秀吉側の武将にとって光秀が謀反起こしてもおかしくないってのは常識だった」みたいに書いてるじゃん
それなら事前にそれに備えておくのは当たり前なのでは? 秀吉は…
A:「テレポ!」を唱えた!
B:「ルーラ!」を唱えた!
C:「ワープポタル!」を唱えた!
D:「ターン!」を唱えた!
E:「空間翔転移!」を唱えた! 高松城攻めてた時の秀吉軍の数と
丹羽の軍勢はどれくらいよ >>528
山崎の時の主力は池田、中川、高山らの摂津衆だな
特に中川と高山は戦意が高く、秀吉の書状にもこの二人が先陣争いをして宥めたことが書いてあるくらいだ 秀吉が事前に知ってた説というか光秀に間接的にけしかけた説って感じなのかな
確か四国攻略の担当は光秀で長宗我部と平和的な交渉をしてたのに
秀吉の計略が成功して光秀の路線はやめて長宗我部を滅ぼす方針になったんだっけか 秀吉が家族を大事にしてたのは有名な話
本能寺の変後すぐに長浜城は占拠されてる。
秀吉の家族は山中に落ち延びてる
この時代の山中は超危険だからね
そして毛利と即講和できたからいいが出来ないと
動けない。
そして何より光秀から細川に当てた書状に
100日程度で畿内を平定し自分は引退、息子たちに天下を治めさせると、はっきり書かれてる
歴史学者共は金儲けのために、これを無視し続けてる、単独犯しかあり得ねえよ。 秀吉にわかることが信長にわからないなんてあるかなぁ? 明智光秀の謀反を煽った奴がいると
すれば秀吉よりも家康の方が
ありそうな感じもするけど 明智の謀反の理由って
ガチに禿頭キンカン頭なん?
そんなんで切れて主人殺しする? すぐに信長総大将の織田本軍が来るんだから大軍が通れるように街道整備くらいしてるわな 昔の人間なんて、身分低い奴が酷使しすぎて死んでも取り替えれば良いくらいの感覚だろ
現代の自衛隊の訓練をベースにしても意味がない 信長に高松に来て欲しいと依頼して
信長軍用に街道沿いに飯を用意してただけ >>197
これな
狡猾に泣き喚いてる秀吉からすりゃ
「次は貴方の番ですぞ!」
に聞こえたはず
長政meet家康が答えな 学校で習う歴史は参考程度
99%間違っているのだろうね
1192年鎌倉幕府ではなかったんですよね
いつからなのか知らんが
少なくとも自分が就学を終えたあとだから新しく変わった年号なんてしらなーい
それにゴッドハンド(笑)が土器埋めて捏造したせいで歴史が滅茶苦茶になったんでしょ
何を捏造したのかすら思い出せいないほど捏造して まぁでも秀吉生きてたら
朝鮮出兵どうなったんだろうなアレ
かなり自国盛り盛りするので有名な中国の史科ですら
「秀吉死んで引いてくれてよかった。ヤバかった」って書いてるし
勝算は秀吉側にあったっぽいが 結果だけ見たら信長ってすごい間抜けに思えるんだけど、自信過剰だっのかな
本能寺が無いとしてもどこかで身内にやられてたかな 明智の行動なんか逐次秀吉に報告されてただろ
時差半日ぐらいの間隔で >>545
人間以外と足元は見えないもんだし
1年前くらいの書状で光秀は信長に対して恩を賜ったと物凄く感謝してるのが残ってたような
まぁ気が変ったか嘘だったか社交辞令だったか 細川藤孝が秀吉のスパイでそれとなく明智の動向を伝えてたんやろな
だから薄々とではあるが秀吉も予測してた 明智は盟友の細川には謀反を匂わせてたけど、細川は同調せず秀吉に密告
秀吉はあえて放置して天下横取りを画策…というのが大河ドラマだったか
でも秀吉が毛利との和議に成功する確証も無いし、光秀軍に勝てるとも限らないし
その後の織田家中の跡目争いで勝ち上れるとも限らない
謀反を防いでそのまま信長の天下統一に乗っかってるほうが無難なはず
それは明智も同じで無難よりもいちかばちか自分が天下取ってみたいと思うものなのか >>458
無いない。カリスマの信長が死んだらすぐ織田家瓦解しただろ。
それを一旦、秀吉が引き取って平定、その後やっぱり瓦解するのを家康が見てたからこそ
反面教師になって強固な相互監視による、2代、3代、続く政治体制を作ることが出来た。
本能寺が無かったら、キリスト教が入って来て内乱が過熱して疲弊し、植民地になってるよ。 >>545
ロシアみたいに信長怖いからトップまで情報が行かなかったのかも? 「中国大返し」や「美濃大返し」その頃からもう
石田三成達とか武辺者じゃない将来ブレーンになる武将たちも、
迅速で確実な兵站仕事とかが認められて頭角を現していったんじゃないかなあ
賤ヶ岳七本槍は、プロデューサー秀吉のコマーシャリングの上手さで有名になっちゃうけどw >>479
なんか勘違いしてるけど、あの状況は時間が経てば経つほど光秀が不利になる状態なんだよ
畿内勢力が光秀に従う可能性はゼロだし、柴田も滝川も戻ってくる
秀吉が急いだのはその二人を出し抜くためであって、光秀を倒すためではない
姫路に戻って様子見していても秀吉の負けはなかったよ
少なくとも光秀には負けない
柴田や滝川に負けたかも知れんがな >>559
光秀と仲良しだった家康を襲う理由が無いのだが。
イジメてた信長は放置とか意味不明。 山崎大返しはサラリーマンとして一流の動き
毛利との停戦の準備もやってたんかな >>397
信長ゆかりの地なんてほかにも大量にあるからいいだろもう もし今が戦国時代だったら
ZOZO前沢とかホリエとかがまぁまぁの武将扱いなんだろ?
あいつらカネ持ってるだけのアホだろ 知っていたというより有事の際は戻れるように準備は常にしていたという気もするが
臨機応変タイプではなく準備万端にして戦闘に挑むタイプだし >>546
というかヤス暗殺命令をシカトしてノブを殺っちゃったんだと思う。だから御福ちゃんが徳川幕府に再就職出来た。 本能寺の変を事前に察知できてたわけがない
そもそも中国大返しなんてことをやっている時点で本能寺の変を事前に知っているのはおかしいのよ
京へ戻る際に追撃を恐れてたならそもそも高松城近くに陣なんて張らずに姫路城あたりにいればいいし、距離的にも早く山崎に到着できる
あと本能寺の変の自体が計画的なものだったのかも疑わしい、計画的に明智衆が本能寺を取り囲んでいたなら物々しい様子のはずなのに町衆が見物に多数いたと本能寺の変の際にいた武士が証言し、明智光秀はその場にいなかったとされている。
その上変の前に禄に根回しもしていない。
つまり明智の家臣が信長と交渉する際信長を切ってしまって光秀はそれに便乗したに過ぎないという見方もできる。
いずれにせよ秀吉が本能寺の変を事前に知っていたというのは余りに無理があると思う。 >>397
都内に信長メインの美術館あって
ある意味、信長記念館だと思う。 >>554
歴史は後世に名を残す勝者が作るからね
道中道中はかなり都合良く書き換えられてるのは間違いない >>545
信長が間抜けであるって前提で妄想してるからな
この手の話は 戦国武将なんだからチャンスがあれば動く
ヤクザの抗争と変わらないんだから
恩義だ何だなんてのはスジを通して味方を増やす算段でしかない >>567
細川がガン無視したのは想定外だったろうなあ
つうか細川レベルの近い奴でもこれは味方出来ないってレベルの成功率だったんだろうな 日本の歴史学者は日本人だけにしろ!
最近の学者は秀吉を何でも悪に仕立てようとしすぎだ
お前らはマスゴミか?あ? 信長の忍び嫌いは有名な話。
どっから情報集めてたんだと言う話。 信孝が大ポカし過ぎたわ
ここ一番で選択肢間違えまくる奴
細川藤孝なんて正当しまくってたのに >>576
分岐を事前に計画に折り込めるかで有事シナリオの出来はめっちゃ変わるからな。
普段から分岐を整理してたのかもしれん 新しい証拠でも見つかったと思ったら・・・おまけに朝日とか >>569
というか本能寺の変以前から毛利側が領土割譲するから和睦してくれと秀吉に再三申し入れてたが、武力で潰せると見ていた信長&秀吉がそれに応じなかった 頭の硬い御仁が多いね
若い頃に身につけた知識が覆されるのが気に入らないらしい にしても秀吉って記録見てると結構キツくて損得勘定のお弾きが早そうだが
それなのに伊達をやたら気に入って大抵のことは許してたのがよく分からん
伊達なんて問題児でいっつも問題しか起こしてないから
始末した方がよかったのでは 武田が滅んだため尾張より東方の防御役だった三河徳川が不要になったため
光秀は信長から家康を殺せと命じられた。
光秀は家康に「私は信長さまからあなたさまを殺せと命じられました」と家康本人に打ち明ける
家康はそれなら私と一緒に信長を殺さないかと持ち掛けた
その計画を光秀と同盟の細川藤孝や筒井順慶に打ち明けたが
その細川の家臣松井康之と内通していた秀吉側近の黒田官兵衛は一連の流れを全部知っていた
山崎合戦に出てこず明智を見殺しにすれば戦後論功行賞を与えると約束
家康は光秀に加勢するため伊賀越えして三河に戻ってから大垣まで戦力を移動させたが
秀吉の思わぬ中国大返しに間に合わず。
秀吉は山崎で光秀だけを殺し「主君の敵を討った」と光秀一人だけを悪者にし歴史書を捏造した
秀吉が後に康之を18万石の独立大名に抜擢しようとした(康之は断ります)ことも、この時の大功があったからこそ >>590
あーなるほどー。
すんなり停戦できたのも納得できたわ >>428
それが普通の考え方
はっきり言って合理主義で鉄砲を採用した信長だから
馬車みたいなのを利用していたんだろうよ
街道整備していたらまあ馬車じゃないけど輜重隊も存在したし
馬に乗ればそれこそ人が歩くより遠くに行けるからね
こんなので騒いでいるのは秀吉嫌いの明智子孫くらいだろうね 松永久秀さえ生きていたら本能寺の変は起こらなかった >>592
奥州の田舎まで片付けに行くのが嫌だったんだろ まあ、俺の仮説だが
実は秀吉と光秀は裏で密約を交わしていて
信長を討つかもしれないと秀吉は事前に光秀に知らされていた
その時は味方になってくれと光秀から頼まれていたが
いざ、本当に光秀が信長を討ったと連絡が来ると
秀吉に欲が芽生えて天下取りのチャンスだと、信長を殺した光秀を討つ事に方針転換したのかもな >>520
人を殺して生き生きしている
岡庭みたいな思考ですね
考えただけで末恐ろしくて狂ってる 光秀に味方がいなかったのはあらゆる勢力から光秀は天下の器じゃないと思われてたから
信長の看板がないと大したことできなかったのは滝川もいっしょだが 結局本能寺の変はやらせ
信長が死んだという大芝居
信長は死んでない光秀も死んでない >>556
いつの時代も同じだよ
ケネディ暗殺、国松長官狙撃、やろうと思えばやれる
戦時の重臣は平時に消されるのはそういうこと >>597
始末ならいつでも出来たろ
だって政宗白装束きて殺してくださいと言わんばかりに十字架背負って秀吉のとこに
来たりしてんだぞ 光秀が本能寺の変後の対応を用意してないのが考えにくいんだよな
光秀、優秀すぎるねん。
信長討ち取ってあとは知らんってやる器じゃない >>>596
佐久間を追放したのが畿内に戦力の空白が生まれた理由だとは思うけど
松永はどうだろ >>43
羽柴秀吉謀略説とって、秀吉が信長を真っ二つに切ってたな >>1
なにこれ「準備面から事前に知ってないと不可能、だから知ってたに違いない」ってだけ?いまさら根拠それだけ? 本能寺の変については『乙夜之書物』という歴史書に書いてあるらしいが、これ自体脚色されてるんじゃないの?
多分にオーバーに
これ本能寺の変から87年後・・・つまり1969年に書かれた本らしいけど、その頃って徳川綱吉の時代に当たるのか?
家康にどうこう言われる訳でもないし、有り得ない設定で、今でいうアニメのヒーローみたいに書かれたとか >>377
あの一角に消防団の詰所があってちょっと笑った >>606
騒動が面倒なんだろ
奥州の片田舎の土地管理をどうするかってのが 明智光秀の辞世の句(最後の言葉)と意味
一つ目は“心しらぬ人は何とも言はばいへ 身をも惜まじ名をも惜まじ”
この句の意味は「私の本心を知らないものは言いたいように言えばいい。
私は命も名誉も惜しくない」という意味です。
2つ目の辞世の句(最後の言葉)
もう一つの句は“順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元”です。
意味は「修行の道には順縁と逆縁の2つがあるが、どちらも同じ1本道である。
つまり順境も逆境も実は一つで、究極に言うと人間の心の源に達する大道である。
私の55年の人生の夢も醒めてみれば、全て一元に帰するものだ」 本能寺の本当の場所って老人ホームの石碑場所よりちょい北の私有地で
心霊スポットになりかねないので公共施設寄りな老人ホームに立てたんだよ
たまーにそのことが古地図と共に地元新聞に載る >>550
今の社会は違うのか?
>身分低い奴が酷使しすぎて死んでも取り替えれば良い >>616
農民に竹槍で刺されて殺されたのに
辞世の句なんてあるの? >>555
どう考えても秀吉だけワールドクラスの武将になり得た存在
明征伐だって秀吉死去してからの瓦解が酷すぎる位、秀吉が凄い
秀吉の頭を覗いてみたいよw >>1
移動が速かったからだけを理由に知っていたってアホなん?
秀吉が出した手紙とかの裏付けも無しでさ 神君の伊賀越えだと3日で堺から岡崎まで帰ってるからな。 もし秀吉と光秀が結託してたとしたら
光秀がヤバくなったら絶対それをバラすだろ
「あの猿こそが一番信用ならん奴だ!」とか >>21
だから俺は明確な証拠が残っていない歴史に興味を持つのは無意味と思ってる まあでもこういうのは古い情報を信じきっちゃうのは良くないよな
新しい情報も出てくる訳だし昔に決めて教科書になったような情報を決めた人達も怪しい部分もあるしな 柴田がダッシュで帰ってきて
光秀打ったら歴史変わってたやろな
まぁ柴田子供おらんから織田家続投やろうけど >>1
つまり、
桔梗紋の連中は秀吉と朝廷が仕組んだ暗殺部隊…
信じられんな 明智光秀の大河ドラマもコロナさえなければ
もうちょっと面白くなってただろうに残念やね
ドラマはドラマなんだから史実だけに囚われずはっちゃけて欲しかったわ >>615
伊達を始末して気に入らないヤツに奥州やらせて力削ぐことだって出来るんだよ
それに伊達はキナ臭い動きしてた
コイツ記録上、勝手に南蛮貿易とかメキシコ経由の貿易やってやがったし
スペインに今でもハポン性の人たちの多い地域があって
日本人の血薄くなり過ぎて見た目ほとんどスペイン人になっちゃってるけど
この人たちの先祖は記録上
政宗によって送り込まれてる >>625
山崎の合戦もしてるしね
ばらすよね
家康も知ってたら、秀吉と戦った時にばらすだろうし 「本能寺の変」を知ってたんか
秀吉はタイムトラベラーやったんか? >>629
信忠はともかくあの馬鹿兄弟天下じゃどっちにしろ織田家滅んでたな どーゆーこと?
秀吉「光秀さぁ、ノッブやろうぜ!」
光秀「無理だよ」
秀吉「大丈夫大丈夫!とりあえず光秀が先に襲撃して万が一逃げられたら後詰めでワシが中国から戻って加勢するから!」
光秀「マジかよ、必ず中国から戻れよな」
秀吉「任せとけ!(暗殺成功したら光秀を襲撃、暗殺失敗したらノッブに加勢で光秀襲撃)」
って事か? 豊臣秀吉は天下を取るために、信長殺しの陰謀を企てた。
毛利と同盟を結んで八百長の戦争をしていて、高松城を水攻めにするための土木工事を行って、期日を費やしていた。
それを毛利との苦戦と偽って、信長に応援を求めた。信長は信忠を安土城に残して、中国出陣を光秀らに命令し自らは二条城に移った
(信長が無防備な本能寺に泊まる筈が無い。そんな無用心なら、もっと早く殺されています)。
6月2日の早朝、光秀は二条城の周りで待機していたが、偽の出陣中止の信長の朱印状によって明智軍は解散させられ、
光秀は事情を聞くために、信長が帰ったと言われる安土城に向かったのです。
いざ出陣と言う時に、明智軍に化けた秀吉の暗殺部隊(周山城に隠れていた)に攻撃され、信長は殺害されて、二条城も焼け落ちた。
二条城が簡単に落ちれば、内応者がいた事が分かり、その内応者(池田恒興、細川藤孝ら)と秀吉の関係が明らかになってしまう。
だから、犯行現場を本能寺にすり替えたのです。信長の遺体が本能寺に無かったのは当然で、秀吉が隠したのです。
秀吉は二条城の存在を消すために、条里の区画まで変更させています。
中国大返しの謎は、高松城にいたのは秀吉の影武者と宇喜田軍で、秀吉は初めから姫路にいたのです。
この大返しの方法は賎ヶ丘の戦いの時にも用いられた。
秀吉は家康とも同盟を結んでいて、家康は安土城の信忠を、京極高次や織田信雄らに命じて攻め滅ぼした。
家康の伊賀越えはアイバイ工作の一種なのです。光秀は自分の大望を諦めて、茶人(千利休)として、裏では有力な宰相として秀吉に仕えた。
家康は光秀の外交力と卓抜とした陰陽道の手腕を利用するために、秀吉から光秀を譲り受けて、黒衣の宰相(天海)として彼を用いた。
光秀は聖徳太子の孫、長屋親王の血筋を受けた人物で、天皇家の崇りを恐れて彼を殺すことが出来なかった。
秀吉と家康は弾圧を加えて、都合の悪い古文書を書き直させて歴史ねつ造を行った。 >>629
織田家は信孝か信雄だろうし
早晩崩壊しそうではある >>601
でも信長の佐久間のぶもりへのパワハラ見る限り、
光秀につくのコエーだろうな >>613
史料としての分類は二次史料になり信憑性が高いとは決して言えない
だが乙夜之書物は光秀が本能寺にはおらず鳥羽から指揮してたなど今までの史料にはない記述もあるから、
今後史料批判が行われてそういう事実が確認されればこの史料の価値も高まるかもね >>629
でも、柴田主導では時代が何も変らないねw
やっぱ信長の後継者に相応しかったのは秀吉
それが、時代を動かすの時の神様の選択 >>1は今更だな
秀吉黒幕説の最高峰は山田風太郎の「妖説太閤記」面白さ保証 >>1 >>595
一番悪いのは明智光秀の子孫
信長大好き秀吉に罪を擦り付けようとするから >>70
千田先生は信長が滞在する御座所や道幅広い行軍路とか物証を提示してたな それよりも信長の遺体が無かった事の方が謎だ
家が焼けただけで人体は灰にはならない。 >>616
龍馬の句にも似てるな
世の人は我を何とも言わば言え我なす事は我のみぞ知る
光秀を意識してたんだな 光秀は少ない兵力を京の西と東に分けたのも悪手
討伐軍(秀吉)は取り敢えず西からやってくるのに 本能寺で信長の遺体が見つかってないのを知っていて、「信長公は逃れて生きている」とフェイクニュースを流し、
近隣の大名に明智光秀の味方させずに、秀吉軍に集結させていったからね。 勝手な想像だが、光秀は本当に毛利攻めを命じられたのだろうか?
秀吉が最前線で戦いながらも、援軍を要請したものの、それならば光秀が行くよりも信長自身が大軍を率いて出陣したほうが毛利への恐怖は大きかったと思われるのだが。
当時信長は家康を京にて盛大に接待している。
信長は光秀に家康を討つ命を下したのではないだろうか?
光秀は苦悩の末に信長、家康両名を討つ覚悟に至ったというのは有り得ないだろうか?
武田滅亡後の徳川領を併合するため、家康を本能寺に誘き出して殺す計画だったが、
家康が到着する前に、実行部隊の明智が信長を殺したのが真相ではと、光秀の後裔の結論
秀吉に事前に計画を見破られていて、明智側の細川家がすでに秀吉に取り込まれ、本能寺の変後の明智政権は成立せず。
明智の同盟者家康や長宗我部も手を出せないほどすばやい秀吉の行動だった。 秀吉に天下取らせるために信長が明智のせいにして自殺したんだぞ >>132
たくさんはいらない
おねが秀吉そっくりの天才児の跡継ぎを生んだら、徳川300年ではなく豊臣300年になり
首都は名古屋で標準語が名古屋弁という悪夢のような架空日本史が、清水義範の「金鯱の夢」面白さ保証 >>621
信長が生きてたら、信長総大将で秀吉が前線指揮官で明征服したんだぜ
負けるわけがない
小西行長と秀吉を交換するようなもんよ >>622
そうなんだよね
当時は馬もいたし輜重隊も存在していたから
移動速度については何の不思議もないんだけどね >>652
信長の墓は京都の阿弥陀寺にあるぞ
坊主が本能寺から回収したそうだ ちなみに 高速機動秀吉時代の後、
「街道での馬車利用を禁止」したのは徳川・江戸幕府
理由:攻め上られると徳川が困るから
家康のせいで日本は、中世暗黒へ逆行まっしぐら >>654
秀吉の夢のまた夢も後世に作られた偽物らしいから光秀も眉唾 >>655
おまけに天王山ガン無視してたらしいしな
その直前は戦場になりそうにない城修築してるし、本当に何を光秀したかったんだ? >>659
4人生まれて、成人したのが1人だけなんだから
秀吉本人のせいでどうしようもない 秀吉、家康が信長殺しの犯人である証拠
秀吉は妹と母を、家康は秀康と石川数正を人質交換している。これは小牧の役後の事にされているが、信長暗殺の同盟時に行われたのである。
天下人秀吉が家康に臣下の礼をとらせる為に人質を出す筈がない。家康は小牧の役で勝利したのに人質を出す筈がない。
秀吉が小牧の役で家康の5倍の兵力で負ける訳がない。
小牧の役は八百長の戦争で、両者の同盟関係を否定し、信長殺しの秘密を知る池田恒興らを殺害する為の芝居であった。
光秀が本当に天下取りを企てたとしたのなら、必ず信長の首を撃ち、天下を取っている。
秀吉が幾ら大軍で進軍してこようが大山崎の狭隘部で待ち伏せして、鉄砲隊、槍ぶすまで壊滅させる。
光秀は諸葛孔明ばりの軍師であり、美濃兵は最強の兵団である。
宝蔵院流の槍の使い手・可児才蔵等の一騎当千の剣豪が幾らでもいたのである。美濃はそれだけ剣術が盛んな国柄でもあった。 来たるべき援軍用の兵糧を進軍路に備え置いていた。
むろん対光秀戦の状況が拙くなった時に毛利が援軍するため。
秀吉軍の兵糧は戦線維持のため常時血流のように輸送されていた。 もし光秀と元親が勝ってたら日本は戦争に勝ってた説を科学的に証明 秀吉の朝鮮出兵のきっかけは、九州制圧で九州入りした秀吉が
元寇襲来の元寇兵の悪行を知り、大陸への復讐心から侵攻したのだと思う。 あれだけ情報通な秀吉が全く知らなかったはないと思うね
確信はないけど察知はしてたろうな >>655
それは視点が狭すぎるわ
岐阜と尾張にもそれなりに有力な勢力がいるんだよ
光秀は360度全てに対応しなくちゃいけない状況なんだから、どこかに集中するのは無理
そんな事ができるのはナポレオンクラスのマジもんの軍神だけ >>629
まあダッシュで帰るだけの能力がない人だったんだろうね。
だから結局秀吉に瞬殺されちゃうわけで。 現代だから9割釣りやと思って中身みたら案の定やな
大返しが速すぎたから本能寺の変知ってた説は漫画レベルでこすられた話 明智光秀の妻・煕子(ひろこ)は内助の功で有名である。
煕子は光秀が誰にも仕官せず、流浪していたとき、お金に困った光秀に、自分の髪を売って金を工面した。
煕子は美人であり、光秀が織田家に仕えると、煕子の噂はたちどころに広まった。
織田信長もその噂を耳にし、好奇心が働き、廊下の角で煕子を待ち伏せをしていた。
煕子がやってくると、信長はうしろから煕子の肩に手をかけた。
煕子は「無礼者!!」と言って、持っていた扇子で信長の頭を叩いて逃げてしまった。
意外と、こんなところに本能寺の真相が隠れていそうだ >>608
信長の光秀か是非も無しと放った言葉が
有名で本当に言ったのかはわからんけど
信長に間髪入れず光秀がやった事なら
隙が無いので生きる残る事は無理だと
思わせるほど光秀のやる事は完璧に
仕事をこなす優秀な人材だったのだろう。その光秀でも猜疑心が強く
身内に対しても警戒を怠らない信長を
討つにはこの針の穴を通す程の
一瞬のチャンスに賭けるしかなく
最後の最後まで信長への情報漏洩を
恐れて謀反の計画秘密にしていた事が
事前の段取りのうまい光秀が
自らその足を封じられて自滅して
しまったんじゃないだろうか >>661
まぁこれだけは言える
朝鮮だけは味方にするなw >>678
信長が日頃から明征伐を公言してたからだろ >>38
燃えたってマジか!?
学校では教えてくれへんかった・・・ >>666
露と落ち露と消えにし…は秀吉自筆の短冊が残されてる
光秀のは辞世の句は創作 >>668
自分で仕掛けたくせに、そのあと混乱してるからな
完全に衝動的な犯行です ちなみに 高速機動秀吉時代の後、
「街道での橋掛けを禁止」したのは徳川・江戸幕府
理由:攻め上られると徳川が困るから
家康のせいで日本は、中世暗黒へ逆行まっしぐら >>683
配下は信長から付けられた監視の役目もあるだろうし
それは秀吉も一緒のはずなんだけど
秀吉は一丸となって事を為せたね
小身とかが理由なんだろうか? >>35
いずれにしても家康にやり返されて根切りされたなw
織田家を簒奪した小汚い逆臣に相応しい末路だ ただの机上の空論の設定で結論出しててクソワロた
現実に起きたことではなくただの勝手な計算で物事を言い出すなんて世も末
死ねよ糞記事 秀吉が光秀の謀反を知っていたとか、他の武将も怪しんでいたとか言われるけど、そうなると信長はなんで何も気付かずあんな討って下さいといわんばかりの行動をしたのか疑問だという事になるよね >>629
柴田じゃどっちみち秀吉か家康に取って代わられて終了だろw >>683
ダッシュで帰ったら、ケツから上杉軍も一緒に来るけどいいかな? 歴史を勉強は大事だが本当の事って何だろうといつも思う
韓国や中国が半日でロシアがNATOに怯えるのは自国の教科書や教育の賜
日本が習った歴史とは皆無
そういう事がずっと昔からされてきたとすると歴史書は捏造され続けてきたのだろう 歴史は解釈
着地点からある視点を介して描かれるただの小説
世界史も同様に単なる小説
この小説は支配層によって、歴史認識という空想解釈の中で生きることを好む愚民に対し、歴史戦プロパガンダとして悪用される
他方、日本の歴史オタクはベクトルの異なる真理の追求という妄想の学問解釈を信仰しながら、オナニーをするだけの別次元の愚民
この愚民の二大勢力によって不毛な争いが行われる >>678
外国人に恨みを一番買ってるのは秀吉だから、今は叩かれまくりw ちなみに 高速機動秀吉時代の後、
「海上交通で大型帆船を禁止」したのは徳川・江戸幕府
理由:大名独自海外交易や攻め上られると徳川が困るから
家康のせいで日本は、中世暗黒停滞社会へ逆行まっしぐら 光秀、本能寺後「俺に味方してくれ」と書状を乱発
書状で天下が獲れたら誰も苦労はせんわ >>702
上杉も城を枕に討死かなと佐竹に泣き言を言うくらいなのに
よく動けたよね >>702
上杉にそんな兵站能力はないよ
せいぜい金沢が限界 長いけど読んだ、面白かったわ
>光秀の謀反の真因に関連して、変からわずか4ヵ月後の天正10年10月に著された『惟任退治記』(前出:大村由己筆)には、次のような一節がみえる。現代語訳して掲げよう。
>光秀は、将軍足利義昭を推戴し、2万余騎の軍勢を編成して、備中に向かわずに、密かにクーデターを企てた。これはまったく発作的な恨みからではなく、年来の逆心からであることを、(人々は)知り察していた
とあるんだが、当時から光秀が謀反企てそうなのは周知の事実みたいだったようで、
それならばなぜ信長はそんな危ないやつを身近に置いていたのかが気になるなぁ
信長ってのはそんなに不用心なやつだったのか?
それとも、反感買ってるのは知ってるけどそれでも謀反はないだろって高をくくってたのか?
わからんなぁ >>668
秀吉の動きがあまりに予想外だったんだろうな。
当時の状況でいえば即時に毛利と和睦して大軍で畿内に現れるなんて。
実際に他の方面軍は壊滅したり動けなくなったりしている。 >>705
元寇襲来は支那朝鮮にとって加害国の歴史に成るから
火消しに必死w 家康は知ってた可能性はあるな
織田家のお家騒動が起きるから
織田家衰退で一番得するのは家康だし
しかし秀吉が鮮やかすぎたんだろうな >>1
こんなん、秀吉は撤退戦何度も経験してるから、いざというときのために後退用の後詰めしてた可能性で論破やん。 >>708
まあね
自作かどうかは分からん
ちなみにこの短冊は大阪城天守閣が所蔵してて秀吉の企画展がある時はたまに展示されてる そもそも光秀がなぜ謀反を起こしたのか
まだはっきりと分からない 秀吉も本能寺囲んでたんだろ
歴史書に大返ししたと書かせた >>629
ダッシュで帰れる状況じゃ無いのにダッシュで帰って来た秀吉が異常やねん
だから後世で散々黒幕説が唱えられる状況になっとるんや この手の真相は織田有楽が一番知っていた
彼の立ち回りと生命力は異常 >>707
後ろ盾のおやじが死んだらちゃっちゃと腹切っちゃう程度の奴が生きてても大して変わらんのじゃないの
次男三男が生きてても秀吉は乗っ取り図ってたわけだし 家康が首謀者だろが
秀吉が裏切って勝手に明智をヤッちゃった >>710
寝首をかくってのは本当禁じ手なんだな
真珠湾のそれも山本五十六ブチ切れてたもんな 俺は初めて勉強した小学生の頃から、むしろ秀吉が命じたんじゃね?って思ってるけどな >>713
勝者の伝記として
「たまたま運良く勝ったラッキーボーイ」
「こんなこともあろうかと準備してた天才」
どっちが好まれる話かを考えると、真実かどうかは途端に怪しくなる。今だって、新聞も週刊誌もネットも、陰謀だのなんだの、適当なこと書き連ねてる。 >>713
>謀反はないだろって高をくくってたのか?
信さんの性格プロファイルすると
裏切ったものにも割りと寛容な面も有るし、
それまで何人もの人に何回も裏切られてるのに
また裏切られる可能性への頓着はあんまり感じられないんだよね
是非に及ばずw 漫画「日本の歴史」では、
秀吉と対峙してる毛利に使者を送ったが、秀吉に捕らえられた
秀吉は毛利側が信長の死を知る前に早急に和睦交渉をまとめて、光秀に向かったという感じだったね サプライズで上様を囲む会をやってみたら、サプライズ返しで謀反だと言われたので
さらなるサプライズで実際に攻撃したら、
サプライズ負けしたくないために切腹大炎上 秀吉自身が信長をまさに一刀両断で殺したんだよなぁ…
光秀はまんまと利用されただけ >>702
だからダッシュで帰れるのは能力なんだって。
秀吉は毛利と即時に和睦。
勝家は上杉と和睦できず。
そこが最初の能力の差。勝家はダッシュで帰れない人だったの。 陰謀なんてないよ
普段から虐められてた光が料理マズすぎって煽られてプッツンしただけってのが真相
夢を壊して悪いな >>728
俺は光秀単独犯だと思ってる
左遷人事させられたとこきて信長親子ヤレる絶好のチャンスが重なった >>681
謀反は信長にバレたらアウトなんだから情報通なんてレベルじゃキャッチできんだろ 氷の上でぴょんぴょん跳ねてる不細工な偽織田は逮捕されへんのか 幼い頃、5月5日が誕生日のやつがいて羨ましかった
俺の誕生日も何かの記念日だといいな、と調べてみたら、「本能寺の変」の当日と知ったときには愕然とした…… >>713
そういう風に書かせちゃってる可能性もあるからなぁ
1つだけじゃ判断出来ない >>715
まぁ当時は軍勢はほとんどモンゴル人で朝鮮人は使い物にならないゴミだったらしいがw
朝鮮が侵略戦争を日本に仕掛けた歴史は被害者マウントの
あちらさんにはマズイ歴史だからねw >>725
逃げ切れないと悟ったからだろ
信忠は信長も認める傑物だったみたいだし まあ明智の兵にも間者はいただろうからな
直前に通報の早馬出した可能性はあるよな
それで網張ってたら毛利への密使が捕まって裏が取れた感じで
それよりノブ長が結構空気読めないのか、読まないのか >>713
そうか?
素人が考えても光秀の謀反は無謀だろ
謎にされるくらい無謀、アホなことをやったと今でも言われるわけだが
まさか一族郎党が路頭に迷うようなことをするはずがないと思うのも普通
怨恨説が根強いのもこの辺だろ >>687 >>1
明智光秀の計画は蘭丸から見抜かれていたけどな
それで信長は怒り光秀を尋問
光秀は必死の泣き落としで信頼を得た
ただそれだけの事
明智光秀はこれ以上の嘘は無理と考え本能寺の変へと及んだ まーた歴史の歪曲が始まったよw
光秀は実は良い奴だったとか無いからw >>705
秀吉はキリスト教宣教師を朝鮮半島に追い出しちゃったからな 秀吉以外だと、京近くでまとまった兵力もってたのは、
四国方面軍として待機してた、丹羽長秀・織田信孝
丹羽の器量と野心が高ければ、丹羽が天下人になっていた 毛利元就と戦ってたんだから毛利元就が本能寺の犯人に決まってるじゃん 光秀と秀吉家康が繋がってた説は薄いし家康は伊賀越え失敗してたら滅亡してた
ただ秀吉はアイツいつかやるかもなーくらいに心の準備はしてたのかも
その後の清須会議も主導権完全に奪ったから事前根回しもあったろう >>731
信長の後ろ盾遭って盤石の安心感あったときはね
いざ危地になったら逃げ伸びても何とかするみたいなおやじのような気構えもなくさっさと死んでる
あの程度の奴じゃダメじゃないの、まだこの後の織田政権の強弱はもとより周りに敵一杯いるしね >>644
死を感じると人は子孫を残そうと生殖機能が上がるからな >>750信長がとんでもない男だったから皆自分にみかたしてくれるだろうと思ってたのがやはり謀反てのが…いつの時代でも無理矢理でも戦には大義か必要なんだなあと思うな 秀吉にずば抜けた才能があっただけだろ。
物資があったのは信長が総仕上げに来るために用意していたもの。 わかります
太閤立志伝の新作をプレイしろということですね 計画してやるには偶然に頼りすぎ
信忠は十分逃げる時間はあったから信忠が自決してなければ水泡に帰す >>713
信長は理性を信頼し過ぎてたんだと思うよ
浅井長政の時も同じ失敗してる
朝倉に味方するより織田に味方した方が間違いなく得
だから浅井は裏切らないと決めつけて行動した
しかし浅井は損得よりも情を優先して行動した
光秀も後の状況を見れば、ここで信長を殺しても八方塞がりなのは明白
だから裏切るはずがないと決めつけた
自分が有能だと認めた人間は自分と同じように理性で行動すると、信長は思いこんでたんだと思う
極めて有能な人が陥りがちな思考だし >>738
かっちゃんは和睦しろなんて言われて無かったし、
虚偽の報で戻ってたら、他の諸将もそうだけど、それこそのぶちゃんに何されるか分かんないよ。
みーんな疑心暗鬼の中、秀吉だけ高速で戻ったからこそ、黒幕として長年怪しまれてる訳 豊臣秀吉はセブンとファミマを通って物資確保して行軍したんだよ
歴史歪曲すんな >>745
元寇軍
総数 27,000〜39,700人
蒙古・漢軍 15,000〜25,000人
高麗軍 5,300〜8,000人
高麗水夫 6,700人 >>758
本能寺の頃だと、回りの敵はもうあってないようなもんだよ 織田軍の中でも最も本領から離れて遠征してたのは秀吉軍で、秀吉の妻を始め
家臣の多くが妻子を長浜に居住させていたから、その安否を考えれば居ても立っ
ても居られないだろう。
ものすごい速さで帰還しようとするのは当たり前だろw
判断が遅ければ河尻秀隆のようになるだけ。
金ヶ崎の退き陣を経験してる秀吉が、のんびり撤退するわけもない。 アホやろ
中国攻略の最後の仕上げにわざわざ信長をよんどるんや
得意の忖度と自分が手柄を上げすぎて警戒されるのを恐れた
信長が来る道々を綺麗に整備して、食糧含めて過剰な準備しとったんや
それがたまたま役に立った >>39
歴代天皇で、暗殺されたと言われているのは
2人だけ >>19
信長が中国に来て毛利攻めの大詰めをする予定だったんだから
経路に準備が整っているのは当たり前なんだよなあ >>772
そういうことやね
光秀もちょっとびっくりしたくらいじゃね? >>735
ドラマチックだしその説が一番、絵になるし良いんじゃないかな
第一報は長谷川宗仁とか、構築済み情報網の土豪だとか
そんな細かいこたぁどーでも良いんだよね それにしても光秀はアホなことやったよな
キリスト教絡みで信長から鞍替えを長宗我部、四国を本拠地にしようとして
光秀も乗って他の重臣を取り込みたかったが失敗したくらいじゃないと
辻褄が合わん位に無謀なことをやった >>713
史料見る限りでは信長は完全に無警戒だよ
本能寺の変の一ヶ月前の細川藤孝宛の信長書状で毛利攻めに関して信長自身の出馬の時期に触れてて、
当初は秋くらいを予定していたが、戦況が優勢なので秀吉の一報次第では出馬が早まると述べてる
そして詳しいことは光秀から伝えると光秀を使者として遣わしてる
信長が仮に光秀を警戒してたとしたら、自分の中国への出馬予定の使者にわざわざ光秀を選ばないだろう >>756
元就はもう亡くなってる。隆元もその前に亡くなってて孫の輝元の時代。 >>9
京都の商店街のちょっと奥に移転して現存してるよ。
京都に住んでた時時々行ってた。 >>769
なろうの戦国転生物で光秀を配下に引き抜く確率89.3%くらいだしな 何かの大義名分立てて主君を討つなど戦国時代以前から幾らでもあるから本能寺の変は江戸時代以降の価値観である「謀反」でも何でもない
光秀は本当に大河の麒麟レベルの優れた大物なら信長討ち取った後は直ぐに家康や細川、大和の筒井と連携して畿内を速攻で収めて朝廷から征夷大将軍の宣旨を受け取る。
明智幕府の誕生 >>776
秀吉の豪運というか
過剰なおもねり魂が役に立った >>779
必要な情報が当の信長から来るって笑いが止まらないだろうな >>778
光秀からしたら自分もそろそろ取締役側かなあ?と思ってたのがまさかの左遷人事
信長きらしたら優秀な支店長の1人どった
そのタイミングで信長親子をヤレる信じられないタイミングが重なったら…ということだと思うけどな >>713
明智光秀の計画は蘭丸から見抜かれていたけどな
それで信長は怒り光秀を尋問
光秀は必死の泣き落としで信頼を得た
ただそれだけの事
明智光秀はこれ以上の嘘は無理と考え本能寺の変へと及んだ
どうして信長はここまで光秀を信用したのか?
それは光秀が信長へのお歳暮など貢物を欠かさずに常に信長のご機嫌を取っていたから
だから信長は光秀を重用した
しかし後年は森蘭丸などを重用して光秀はもう信長の信用を失いかけている事を実感していた
信長の前では態度には出さないものの信長のいないところでは怒りをあらわにしていた
それを小姓らが目撃して蘭丸に報告していた 対馬の惨状
『高麗史』金方慶伝によると、元軍は対馬に入ると島人を多く殺害した。
また、高麗軍司令官・金方慶の墓碑『金方慶墓誌銘』にも
「日本に討ち入りし、俘馘(捕虜)が甚だ多く越す」 とあり、多くの被害を島人に与えた。
この時の対馬の惨状について、日蓮宗の宗祖・日蓮は以下のような当時の伝聞を伝えている。
この文書は、文永の役の翌々年に書かれたもので、
これによると元軍は上陸後、宗資国以下の対馬勢を破って、島内の民衆を殺戮、
あるいは捕虜とし、女性の「手ヲトヲシテ」つまり手の平に穴を穿ち、これを貫き通して船壁に並べ立て、あるいは捕虜としたとしている。
この時代、捕虜は各種の労働力として期待されていたため、
モンゴル軍による戦闘があった地域では
現地の住民を捕虜として獲得し、奴婢身分となったこれらの捕虜は、戦利品として侵攻軍に参加した将兵の私有財として獲得したり、
戦果としてモンゴル王侯や将兵の間で下賜や贈答、献上したりされていた。
同様に元軍総司令官である都元帥・クドゥン(忽敦)は、文永の役から帰還後、
捕虜とした日本人の子供男女200人を高麗国王・忠烈王とその妃であるクビライの娘の公主・クトゥルクケルミシュ(忽都魯掲里迷失)に献上している。
朝鮮の不都合な歴史 米は信長が後詰で来るから用意してあっただけ
公家主導で信長が暗殺されるのを官兵衛は知ってた、光秀はハメられ役 秀吉と光秀はお互いに恩義があって
狂った上司を何とかしないとやばいっていう
同じ悩みを抱えていたので共謀していた可能性が高い。
信長を倒したら本望なので光秀は政治の表舞台から降りる
秀頼は後の政治をやるかわりに光秀はを倒したという事にする。
そんな密約があったと考えるのが合理的。 >>748
ちなみに信忠の首を介錯をした側近は京都から脱出に成功してる >>39
崇峻天皇が一応公式には初の暗殺だが仲哀天皇も神様に暗殺されてる。 信長は真っ先に信忠を疑ったって話だもんな
少なくとも息子よりも光秀の事を信頼してた >>794
合理的かなあ?
本能寺から秀吉天下取るまで結構まだまだ長い道のりやで 今の時代より戦国時代に生まれた方が絶対幸せだよな、平成、令和は地獄の時代だったと後々語り継がれるだろうな 6月2日に本能寺の変があって6月5日に22㎞も大群連れて帰ってるから
>>1の説が合理性があるな
早馬でも2日189㎞の伝達は無理だろ >>779
明智光秀はなんだかんだいって信長が信用している家臣だからね
それだけ毎年のお歳暮などは欠かさなかった
蘭丸の忠告を聞いて厳しく光秀を尋問したけど
光秀の泣き落としでまた光秀をそのまま信用しているからね >>784
主殺しは、江戸朱子学流布以前でも謀反・反モラルだよw >>767
攻←中←中←中←中←姫
囲 継 継 継 継 路
陣→点→点→点→点→城
秀吉の兵站システムってこんななのでコンビニに例えるのはあながち間違いじゃない
各中継点間をピストン輸送してる訳。姫路城への道中に人馬も物資もあるんだからそら早く戻れる あの時はそらキツかったっすわw
今までの人生の中で1番走ったのは間違いですわ >>748
信忠は親とは似ても似つかず武士道精神の固まりみたいな馬鹿正直
最後までみっともなく足掻くよりも美しく死ぬ方を選ぶ >>803
モンゴルとか馬を二頭以上連れているから
早馬も途中に馬を置いていれば不可能ではない そもそも光秀の一万を超える部隊は秀吉のもとへ行く予定だったろ信長と信忠もその後向かう予定 当然沢山の兵馬が通る準備はしてあったはず食料飼葉もたっぷり用意済み 高松の清水が腹切するときには一部先遣隊は姫路あたりまでもどっていたはず >>802
太閤立志伝やと発生即時報告やかゲームやし >>1
出口王仁三郎聖師が既に解き明かしておるわ
明智光秀=千利休 >>794
秀頼が生まれたのは本能寺の変の11年後やで
秀吉の間違いとは思うけど >>10
筒井康隆かよ。
というツッコミもないのは、もはや筒井康隆も古い時代の作家なのだろうねえ 日本史上、空前絶後の有事を熾した明智のビジョンが誰にも分からないってのも🤔良いんだか悪いんだか
だが仮に天王山決戦後、羽柴軍が光秀を捕らえて真相を吐かせて平明に記録してたとしても、最高の滅びの美学として永遠にドラマチック描語されるような出来事じゃなかったかもしれん >>768
歴史上、最初に日本を侵略しようとしたのは朝鮮人か呉で確定だなw
歴史を忘れた民族は滅びる…だっけw? 最近の研究では長宗我部元親が首謀者との説が有力視されているらしいからな? >>803
戦国大名たちの能力舐めすぎ
情報と兵站が戦で最も重要な事を彼らは理解してた
少なくとも太平洋戦争の日本よりは >>795
跡継ぎの三法師を連れた前田玄以も逃亡に成功
信忠に自害を勧めた織田有楽も逃亡に成功
家老格の水野忠重も逃亡に成功
なぜか信忠だけが自害した 信忠があっさり死を選んだ理由がわかれば
いもづる式に真実がわけるよしらんけど 信長はバチカンに行って結構な位にまで登ったって話だろ
全員グルだし光秀も死んでないよ 本能寺で脱出して
小牧長久手に参戦して
関ヶ原に参戦して
大坂の陣にも関与してる
織田有楽ってなんなん なんだろね?
にっきょうそ?w
関白の地位与えてるから朝廷黒幕じゃないの?
秀吉はくらい低いから関白とか教えてなかった?昔w
逆 >>814
現代の韓国人が、千利休は韓国人だったと言ってるw
出目の分からない日本人の歴史人物は韓国人なんだとw >>822
その意見を採用すると秀吉は事前に知っていたと言いたいんだな >>794
信長は信忠に家督を譲ってた上に有楽斎のように二条城から脱出した奴もいる
信忠まで死んだのは単なる偶然
信忠がさっさとずらかってりゃ信忠の下で織田家が天下統一して終わり
当然明智は一族郎党粛清される
そこまでして信長を殺りたい理由ってナニ? 知っててほっといたんだよね
じゃなきゃ大返しの説明ができない
信長を呼ぶために整備してたとかいうけどそれでも知ってなきゃ無理 >>814
そうなのかw
千利休がキリスト教徒だったのは知ってるが あれ?秀吉は船で帰ったんじゃないの?
一兵卒の行軍の話? >>820
全軍の4割以上を輜重に割く兵站の鬼だからな、秀吉は
この輸送システムがあるから当たり前のように野戦築城しちゃうのよ >>822
いくら情報収集力があっても電話もネットもなくて情報を伝えるには人が動かないといけないんだぞ
今となっては決定的証拠が新たに出てくることはないだろうが秀吉は限りなくクロに近いダークグレー 柴田勝家も秀吉超える行軍速度で戻ったんじゃなかったっけ?? >>823
何故かってw
そりゃ敵の狙いが信忠だからなぁw 兵站重視で兵站活用に長けていた秀吉の中国大返しよりも
近畿しか制覇していなくて、信長死んでも織田家継げる訳でもない秀吉が
謀叛に絡んでいたというとんでもを考える人は根本的に頭が悪い >>840
秀吉は金使う時は使うからなあ
勢いが違うだろうね と言うかこの時の話で「豊臣秀吉」とか言われると凄く違和感あるわ
なんで関係あるのよと一瞬戸惑ったろーが 信忠が生き残ってた場合のifが見たかった。有楽斎め 結局全員グルで光秀に全部おっかぶせたと
信長を打つ動機は大なり小なり持ってるわけだし >>843
知ってもいないと思う
光秀のかなり突発的な行動だったと思う、本能寺は >>798
真っ先に信忠を疑ったって記述は三河物語にある話だけど、三河物語は大久保彦左衛門の主観が強すぎてちょっとな
偏屈爺さんの妄想みたいな記述もたくさんあるからな 織田家に次ぐ大大名の北条動かず
この時北条260万石
徳川は100万石にも満たず 秀吉の大返しが無理だと考えるアホは
ピラミッドも宇宙人が作ったという主張なの?
難易度で言えばピラミッド建立>>秀吉の大返しなんだけど 早く帰らないと尋問されてはかされるから焦って始末を考えたじゃね >>822
戦国時代の兵站は基本的に小荷駄。
太平洋戦争よりさらに酷いぞ。 >>798
信忠も武田勝頼を最後に裏切って織田軍のためにダメ押しした
小山田信茂をこんな裏切り者はいらんって処刑するほど非情だったからな
後は武田氏の元にいた高僧たちも寺院に追い込んで焼き討ちで丸焼きにしたし まあ驕りだね 驕るさっ優秀だから。
今川義元も信長も光秀も秀吉も優秀だから驕り潰えた
驕らず堅実な家康が勝った >>39
歴史の転回ということでは龍馬暗殺より桜田門外ノ変 >>235
下っ端は本能寺にいる徳川家康を討ちに行くと知らされていたらしいからなぁ… これ無茶だって言うけど
230キロくらいトレイルランナーなら3日もあれば走破出来るレベル。
それが10日もあれば驚く話しでもないわ >>862
龍馬って実際はそんなに重要な働きしてないからなぁ
教科書からも消えるし 反宣教師の秀吉と光秀が仲違いする意味がないし
宣教師連中が手ゴマの信長を黙って見捨てるワケもない >>692
1万の兵を引き連れた衝動殺人だな
謀反とか天下取りとかそんな大層なモンじゃ無い 恐らく…ノブ殺した男、羽柴秀吉
信じる、信じない、構わぬ 戦国時代の話で10万の軍勢とか言うけど本当かよ
どうやってそんだけの人集めて、兵站はどうしてたんだよ
ちゃんと科学しろ 惟任退治記とか明らかにプロパガンダの工程で作られただろうからな 伊東家の資料を見ればわかるが、本能寺の情報は毛利への使者ではなく
姫路城の浅野長吉(後の長政)への降伏勧告で得てる
ここから浅野は早馬を高松城攻囲陣へ向かわせた。上にある輸送システム故に中継拠点で馬を交換することで通常よりかなり早く着くことができる
また、伊東家資料には記されてないため確証はないけど拠点間の狼煙で急報があるということだけは先に伝えることも可能だったのかもしれない >>823
あの時点では信長の生死確定してないからな
信長が逃げて来るかもしれないのに引き揚げれんだろ 何でも歴史が嘘と言う思考停止野郎はテレビが真実だと信じるアホw 本人がそこまでするか影武者が急いで姫路まできて本人はのゆっくり行軍なら解るよね、スピード違うって暗殺の秀光暗殺の目処がたったからか >>831
有楽斎なんて何の脅威にもならないただの風流人だから脱出出来ただけ
織田家当主の信忠を逃したらたちまち美濃尾張信濃近江伊勢の軍勢を従えて討伐に来るだろ逃がす訳無いわ ヤングチャンピオンで連載してた漫画お前ら読んどけやボケ >>803
途中で人も馬も交代を二回くらいすれば余裕なんだけどな
なーんの不思議も存在しない
馬も人も交換しないというのなら人にとっても馬にとっても極めて重労働だけどな 高松から京都
歩きでどのくらいかかるか、誰かユーチューブでやってくれ あとから政権を取った者は、前任者をボロクソに言う傾向がある
蘇我入鹿は先進的で、民をいたわる良い権力者だった
織田信長も同じだよね 柴田との決選の大垣から湖北までの大返しはどうなんだ?
何キロあるか知らんが、昼以降から早朝までだろ。
待ってました!以外は、街道整備とかの条件は同じ。 >>873
太平記だと100万人の北条軍に対して楠木正成は1000人足らずで
戦ったとかあるみたいだからな 秀吉軍は、自分とこの兵站線を辿って帰っただけだろ。
馬匹による兵站は100kmが限度という。馬牛自体がガバガバ食うからだ。
高松までの山陽道に補給処を何ヶ所も持ってなければ、対毛利作戦なんか表面だけでも出来はしない。
背後と側面の敵に突かれる懸念はあるが、小細工してたら大軍の高速移動とか出来はしない。 >>865
昔の雑兵って相当体力あったんだろうな
って城跡とか古戦場回ってヒーヒー言ってる現代人の自分 中国地方への出兵規模はおそらく盛っている
大返しは秀吉が直接手を下したと疑われないようにギリギリに設定された後世の創作 秀吉の立場やその後の結果を考えたら、知ってたどころか共謀してたと考えるのが自然。 家康は堺で本能寺の変を知り堺から京に向かっていた家康は驚天動地になり慌てて決死の伊賀越えして本国の三河に無事に帰国する。
光秀は味方にするなら家康には先に知らせて連携しとかなアカンし味方にしないなら家康はここで確実に殺しておかんとアカンわな
てか家康は本当は替え玉で何回死んでるねんという話
①三方ヶ原の戦いで戦死
②小牧・長久手の戦いの後に出来物が悪化して高熱でいつ死んでもおかしくない
③大阪夏の陣で真田幸村に討ち取られる >>826
世渡り上手の文化人
生き残る為には何でもやります 秀吉がとんでもなく優秀だっただけ
結果が証明している
秀吉の寿命が後10年長ければ明征伐を果たし
歴史は大きく変わったかも知れない 秀吉を従来の人たらしの魅力ある草履持ちから天下人まで駆け上がったヒーローってイメージから近年はひたすら悪人イメージをつけて貶めようと必死だよな
案の定秀吉が大嫌いのゲンダイソースだしw >>1
重要なのは当時は馬を利用していたという事
輜重隊も存在していたので別にそんな不可能な事ではないのな
しかも道も信長のために整備していた 秀吉もSEX狂いがなかったら70位までは生きたかもな >>811
信長の機嫌損ねたらヤバいから秀吉も最新の注意払っていたと思われる。それを逆に利用して帰ることに成功。 日本人にとっては愛国者の鑑
韓国人にとっては侵略者の祖
つまりそういうこと 万を超える人数、武器調達・運搬はもとより、朝晩の食事を用意するだけでも大変な仕事量
ただ移動するだけの話じゃないからねえ
現代軍隊でも、行軍1日の行程は、昼夜約24kmくらいと言われてるし
400年以上前なら更に過酷な路面・環境
しかも梅雨時ぬかるみ地面と川の増水 書物しか残されてねーし、いくらでも当時の人が改変できるし真実なんてわかるわけねーわ。歴史家って暇なのかね? >>851
兵の進路を目的告げずに変更するのって大変じゃね?
軍隊なら当たり前なのか? >>63
既に死んでいたとか・・・(-_-;)
380 ニューノーマルの名無しさん sage 2022/06/02(木) 13:50:10.83 ID:ETWNSc760
実は信長は本能寺の1年前に死んでいて、織田家としてはそれを数年隠すつもりだったが実権を握っていた信忠とその他兄弟との不和により水面下で派閥争いが起きており、その結果起きたのが信長の影武者と信忠を殺害するために起きたのが本能寺の変だと思うよ
そういう背景がないとなんか合理的な説明がつない >>542
高山右近の士気が高いのを見ると宗教対立が背景にあってもおかしくないな
信長は一向宗とは軍事的に対立してたし日蓮宗も叩いてた 当時の馬はサラブレッドじゃないから速く走れない。武田騎馬軍団は全頭ポニー種だったからな。おっさんがポニーで突っ込んできたら腹がよじれて戦にならんから最強。 >>830
いいや
高松の秀吉が知ってるなら信長も当然知ってるはず
なんの前兆も動機もがないから成功したんだよ、光秀の謀反は 馬はいいけど侍が荷物背負って返しはありえん全員に馬が有ったのか >>896
そのヒーローイメージ自体が秀吉の策略なやでは? >>903
そもそも亀岡と京都なんか目と鼻の先だし >>893
この時も逃げきれないと思って腹を切ろうとしたのを忠勝に説得されてからの伊賀越えだからな。大樹寺の時も腹を切ろうとしてるから5人くらいは替え玉がいるだろw 関ヶ原のとき、三成の挙兵を広島で受け取った毛利輝元は、2日後に兵6万で大坂城に入城したと公家の日記に残っている。最速は秀吉ではない。 っていうか信長を殺したのが秀吉でしょ
ソースはへうげもの >>891
大返ししたのは八千人くらいで、そのうち秀吉直属はだいたい五千くらい、残りは堀が連れてきていた三千だった。宇喜多軍は毛利の壁になるから岡山から動けないし >>905
道を確保していた秀吉なら簡単だろう
そういうのには秀吉は万全を期すからね
ただ単に中継地点に馬と人を置いておけばいいだけの事 >>901
いろんなもの背負って24キロとか死ぬよな…。 俺信長はあっさり腹切らないと思うんだむしろ真っ先に逃げようとしたはず信長公記は信長への弔いの意味で堂々とした死に様書いてるけど桶狭間しかり金ケ崎しかり大人しく死ぬようなタマじゃない
結局逃げ切れず死ぬんだけど秀吉も当初信長は生きていると喧伝したように生死確定したのはあとの話で二条城の信忠が残ったのも実際本能寺から逃げてきた奴等が二条城に来てるわけだから信長も逃げて来るかもしれないのに自分だけ引き揚げれんだろ >>904
影武者織田信長
って、藤田まことが信長役のドラマが昔あったな >>1
秀吉はタイムトラベラーだもん知ってるはずだよ >>916
中継地点に置けるかよ
あたまの悪さが半端じゃないな 先発隊が要所で準備しただけだろ
自然に知ってた根拠にならん >>764
一番納得がいったわ
合理的に考える信長だから、合理的に考えて今俺(信長)に謀反を起こすのは得策じゃないと判断したってことね
なるほどね 3日で城を建てたんだろ?
それができる人ならできるだろう 最新考証を反映して作成されてる「光秀のスマホ」はかなり正しいという事ですね。 >>895
秀吉存命中に明とは講和してるんだがw
慶長の役は李氏朝鮮相手の朝鮮半島南部平定戦だよ >>903
俺なら「信長に寝起きドッキリ企画するわ」と説明するな
兵士もノリノリだろ普段ビビらせられてる信長を引っ掛けられる訳だからさ
ネタバレしないように細心の注意を払っていたら「敵を欺くにはまず味方から」が裏目に出て
斎藤利三がマジで襲撃しちゃって引っ込みが付かなくなったんだって >>930
明は加藤清正に幹部をぶち殺されてドン引きしたって聞いたよ 光秀の挙動が怪しいなんて誰でも気付いていただろ
秀吉だけでなく、家康の伊賀越えも不可解な点があるらしい
気付いていなかったのは命を狙われていた本人くらいなものw >>910
にしては逸話が多すぎて天下人になってる
何でハゲネズミは信じてヒーローは信じないんだ? 秀吉が知ってたというのはちょっと疑問だよな
信長の周辺情報は出世どころか命に関わるから必死で収集してただろうけどそれでも読めないよ
あの頃の秀吉は気力も体力も充実、とてもノッていて何してもうまくいく状態だったんだろ
スポーツ選手でいうところのゾーンだ そもそも備中高松城攻めに参加した中国方面の秀吉軍3万ほどの全軍が山崎の合戦をする為に高速に一団となって移動した訳じゃないからな
中継地点が姫路城で先発部隊が6日に到着し、休息しつつ9日に姫路城から出立
山崎の合戦に参加した秀吉軍は2万ほど
信孝、丹羽長秀や池田恒興、高山右近などの1万7千ほどの軍と摂津・尼崎で合流
強行軍をしておらず疲れていない兵を確保して、山崎で合戦に 家康も同じ道を通って帰ると見込んで暗殺部隊が散見していたと思う、まさか山越えで帰るとは予想して無かったんだろうね >>901
それをやりながらの毛利戦だからな、普段はもっと過酷というわけだ
輜重隊も馬もあるし
別に問題はなかろ >>380
信長と後継者の信忠が同時に死んだのは情けないと言われていたが、その説なら納得がいく… >>1
間違えてるよ
全部陸路で設定してるけど、正解は海路
https://i.imgur.com/cEKjciD.jpg
つまり重装歩兵を解体して軽装騎兵と軽装歩兵を先に進発させたの
で、あとから船で武器を送った
しかも行く先々で金の力で徴募したから、数が揃った
槍足軽ならとりあえず訓練いらない 街道筋にカネばら撒いて湯茶や飯や草鞋を用意させる
農民はいい小遣い稼ぎになるから喜んでやる >>909
みんな装備投げ捨てて全力疾走した。
兵糧や武具は黒田官兵衛が海路で回送してきた。信長の中国攻めのために予備品は姫路やその周辺に大量にあったんだろうし。 本能寺の変の真相は個人的には天正10年5月14日付丹波国衆宛織田信孝書状がキーポイントだと思うけどね
四国征伐の総指揮官に任命された信孝が、四国攻めのため丹波の国侍を動員する内容
当時丹波を領国にしてたのは光秀なのにこの文書に光秀の名前は一切なく、支配権を無視して光秀の頭越しに動員を実行してる >>380
それは面白いけど、
そうなると途中から織田政権の性格が変わらないといかんのだね
その痕跡は残念ながらないなぁ こういう糞説もういいよ 下手すりゃ家康が本能寺の変の黒幕なんて話もあるからな 伊賀越えで死にかけてるっつうの
みんなその場その場で臨機応変に対応して 結果上手く行った人だけが生き残った 歴史とはそういうものだ >>924
合理性とも思えん
桶狭間で勝ち、浅井の裏切りで普通なら死んでたが生き残った
2回も銃撃されてる。総大将が銃撃されるなんて不用意すぎる
何度も危機を逃れてきたことで「自分は死なない」と思い込むようになったんだろう >>2
いま市役所が建ってる当たりが上本能寺町で本能寺より市役所ってなるから 明智光秀は敢えて主君殺しの汚名を被った
なぜなら信長は天皇に自らが成り代わろうとしていた
信長が如何に稀代の天才であろうともそれだけは看過出来なかった そもそも家康一行が光秀の出した飯にケチを付けなければ、あのタイミングで
光秀が出陣することはなかった。
家康には思いっきり怪しさがあるが、情報伝達に時間がかかる遠征先に居た
秀吉には、光秀周辺の出来事をリアルタイムに把握することは不可能。 >>922
どうしてだよ?
お前が半端じゃないアホだからか?
ちゃんとした理由も書けないようだしね 秀吉にはツキがあったな
相手が身の程わきまえて保身第一の毛利じゃ無くて
北条や長宗我部だったら和睦出来たとしても長引くとか不利な条件になって
大返しできなかったかも >>903
兵は信長のとこで馬揃えするのか、家康粛清するんじゃね?と思ったらしい。
信長が堺見学しろと家康に事実上命令したのもそのためと考えたら妥当。
兵がそう思うということは、当時は家康の粛清が世間で噂になっていたと思われる。
信長からしたら家康は「用済み」になってたから当時は >>927
現代のプレハブ工法ね
要するに先に見えない高さで組み立てて、
最後に見えるところにハリボテなみの天守だけあげる
これで城から物見が朝見たらビビる
七星壇みたいなもんだからな
「風吹かす」といって風吹くともう負ける気しない
あとこれ平家物語にもある
日食を予言したやついる >>567
なるほど。光秀は本能寺のあとどういう行動をすれば良かったんだろな?結局城に戻って色々手紙飛ばしてたけど >>937
勘違いしてる奴が多いんだよな
光秀を倒すために大返ししたのではなく、毛利に追撃されないためにやったんだよ
たから安全圏の姫路から先はかなり慎重に行動してる ノブみたいな運がいいだけの雑魚持ち上げるジャップの薄っベラさな
本当に凄いのは秀吉なのに おにぎり何十マンコも用意したのは後詰めの信長のためだろ
秀吉が先陣切って毛利を攻めて後から信長の本陣が来る予定だったんだから
補給が各所にあって当たり前だろ
むしろ天下のゴマすり男の秀吉が後詰めの信長本隊にたらふく旨いもん用意してあったのを回収していっただけ >>944
大内裏とか聚楽第とかそういう話し合っても物理的スペースがないわな >>961
ドピンチ
京都で遊んでたら切り離された
茶屋四郎次郎の金と伊賀者でなんとか切り抜けた説が有力
これでいきなりこいつらが重役扱い >>899
そうそう気まぐれな信長がいつ来るか上方からの情報集めていたはず >>949
建てたら発掘できませんぜ?
ちなみに真の大阪城は焼いて壊して土に深く埋めてゴミ混ぜたんで、
カルタゴ並みに滅却されてる
このときの飯振る舞ったのがお砂場。
切り蕎麦の走りね >>963
外交的な手段ではむり
秀吉が戻ってくる前に細川と筒井を倒し、戻ってきた秀吉を倒し、さらに柴田を倒す
ここまでやれる軍神でないと成功する道はない >>601
やっぱ本能寺の前に秀吉と徒党を組むべきだったんだろな。チクられてその時点で終わりだったかもしれんが 秀吉の能力(とくに輸送面)は戦国武将のなかでもちょっと図抜けてて
ひとりだけ20年は先をいってる、そんなやつの全盛期だからな
まあツキや情報も転がり込んでくるんだろうしそれを拾う能力もある >>901
馬を使わなくても現代も百キロマラソンがあるからな
装備は輜重隊に任せればいいし >>969
茶屋は優遇されたけど、服部はいうほど重用されてないだろ。江戸時代もずっと門の警備と低い身分のままだし倅は改易されてる。
普通は東照神君に功績あると認められた
家は江戸時代も騒動起こしても大甘処分で住んでる その当時は信忠の時代なんだろ
信長は謀反するなら自分じゃなく信忠をやらないと意味がないって思ってたのかもな >>2
そんなもんより安土城再建したら
観光客来るのに
図面が正確でないとかで許可でないらしいな >>608
一応そのあと色々城でやってたんだけどね。想定通りにならなかった。根回し不足かな >>811
光秀もバカではないが、
秀吉の書状の速さが半端ないんだよ
「もしもし、アタシハゲネズミ。いま兵庫にいるの」
「もしもし、アタシハゲネズミ。いま大阪にいるの」
「もしもし、アタシハゲネズミ。いま山崎にいるの」
「もしもし、アタシハゲネズミ。いまあなたの後ろにいるの
お命頂戴」
こんなもんばら撒かれたら途中で妨害できねえわ そもそも秀吉の大返しなんて、ただの運だからね
本能寺の変が起こった地点で
織田信忠
家康に同行して堺見物の予定が前日キャンセルで
妙覚寺に泊まる、堺に行ってれば確実に生きてた
織田信雄
松ヶ島城に1万5千の兵、すぐ動けなかったバカ
信孝、長秀
四国征伐に2万8千の兵、本能寺の変の知らせが
入った時、兵と別行動しており兵が四散
この時、纏めてれば1日で京都に攻めれてる
安土城は蒲生がいて兵4千、撤退したが交戦してたら落とされてない
あとは畿内に摂津衆もいる。
信忠が生きてれば、すぐに畿内に動員すれば
8万近く集まってる、秀吉が間に合ったのは
運が良すぎただけ。 >>930
秀吉が死んだか病気だから平定して撤退したんだろ
で、途中で朝鮮のヒーローが後ろから撤退する軍勢襲って返り討ちになってたっけなw >>890
山城なんてそこ歩いただけで足ガクガクよ >>687
言ってない
それはあくまで能のフィクション 知ってた、つーか、光秀や信長の周囲に色々人を置いといて情報は収集してただろうからなぁ
お館様が討たれるかも?ってのは知らんくてもちょっとやばいかも?みたいな情報は
入っててもおかしくないわな でも黒田官兵衛が秀吉と初対面で話した時に「あの男は信用ならん」て言ってたらしいし信長にだけ忠誠心あったとかガチかな >>841
信忠は光秀の本能寺攻撃を知り、手勢を率いて信長救援に向かったが明智勢に撃退されて二条城に籠った
その時点では、二条城への本格的な攻撃は始まっていなかったがパニクった織田有楽に自害を勧められて死んだ
光秀が信忠を殺すつもりなら本能寺と同時に信忠の屋敷も攻撃してるはずだ >>970
あの当時の信長は部下の粛清狙ってたから、秀吉もヤバかったのよ。特に明智光秀は近畿管領と信長家来の中では信長凌ぐ勢力になっていたから危険視された。 >>214,690
史実かどうから解らないけど、襲撃の時に火をつけてるよ >>865
てか江戸時代の人足とか飛脚、駕籠かき考えるとわかる
> 馬より早駕籠の方が早い理由
忠臣蔵で浅野内匠頭による殿中刃傷を伝える使者は、
早籠を使い江戸から赤穂までの620kmをわずか4日半で移動したと言われています。
時間に直すと108時間で、昼夜走り続けた時の時速は、約6kmとなります。
ちなみにマラソンランナーの平均時速は20キロ程度になります。
2017/08/22
余裕だよ、こんなの >>896
秀吉は遅咲きなんよな
草履取りの逸話のとき25歳とかだぞ当時25歳てええ大人よ しかも草履温めてました!が秀吉二十代における最大の見せ場!存在感見せ始めるのは三十代後半から 当時の三十代は今の四十代だと考えればお前等もチャンスあるぞ
乱世ならな 信長って人はお前らが考える反社的なカッコイイ信長像と全く逆な人だからな つーか今の無能な日本人が戦国時代の日本人に勝てるわけがないw 簡単だとは思われてなかったから
明智光秀の守りもおろそかだったし
柴田勝家は北陸でのんびりしてたんだよ
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