>>672
自公連立が始まったのは、自民が小選挙区で学会票がないと勝てなくなったからではなくて、単に中選挙区主体の参院での単独過半数が難しくなったからですよ?
衆院だけなら自民は普通に単独過半数狙えますからね

ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%85%AC%E9%80%A3%E7%AB%8B%E6%94%BF%E6%A8%A9
自民党は1998年(平成10年)7月の第18回参議院議員通常選挙で前回の改選前の61から45に大幅に議席を減らした。
この選挙の敗北の責任を取り橋本龍太郎内閣が総辞職し、同月30日に小渕恵三内閣が成立した。
8月中旬、元首相の竹下登は創価学会会長の秋谷栄之助と密かに会談を行い、創価学会の協力を取り付けた[1]。

政権運営に行き詰った自民党はまず自由党との連立協議に入り、1998年(平成10年)11月、自自連立の基本合意が首相小渕恵三と小沢一郎自由党代表の間で取り交わされた。
同年11月7日、旧公明党系の「新党平和」・「黎明クラブ」・「公明」が合流し、「公明党」を再結成。
この際、代表の神崎武法は「自民党の補完勢力にはならない。自公連携、自公連立は考えていない」との考えを表明していた[1]。

自民党はこうした不安に配慮した。自民党にとっては、自由党との連立のみでは参議院の過半数には足りず、過半数、さらには安定多数を確保するためには、公明党の議席が必要だった。