この夏、ある日本人のラーメン職人がモスクワを訪れ、取っておきの一品を紹介して反響を呼んだ。ロシアでは、ウクライナで続ける「特別軍事作戦」によって西側諸国から制裁を科される中でも、不思議とラーメン人気が高まっている。この職人のエピソードと思いを紹介しつつ、ロシアの最新ラーメン事情を探る。

現地の味の好みに合った「二郎系」
 北国ロシアの夏が終盤を迎えた8月下旬のことだ。モスクワのラーメン居酒屋「クウ」に、その世界で知られるラーメン職人の鯉谷剛至さん(53)が姿を現すと、ちょっとした騒ぎが起きた。食事中の客から拍手が湧き、鯉谷さんに花束も渡された。


 鯉谷さんはラーメン作りを指導するプロだ。エプロンをつけると、早速、厨房(ちゅうぼう)へ。大釜のラーメンスープを味見し、指示通りになっているかを確かめた。調理スタッフがキビキビと動く様子に「手際がよいですね」と満足げだった。

 「二郎(じろう)系ラーメン」。鯉谷さんが今回、伝授したのはこう呼ばれる品だ。豚の脂身からとった濃厚なスープと太めの麺を使い、厚切りチャーシューを載せている。慶応大三田キャンパス(東京都港区)近くの店「ラーメン二郎」が学生らを相手に、てんこ盛りの一杯を安く出したのが始まりだった。今では日本各地に系列店が広がり、「二郎系」と呼ばれる一ジャンルとして人気を博している。


 鯉谷さんは過去に自身が経営していた店で二郎系ラーメンを出していたわけでない。今回の訪露では、豚肉やニンニクといったロシア人の味の好みを考慮し、これらの素材を盛り込んだ「二郎系」を振る舞うことにした。そして、予想以上の手応えを得ていた。

「『ラーメンの神』が来訪」
 「チャーシューは美味だし、煮卵の味付けも素晴らしい。スープも濃厚。全ての組み合わせが信じられないほどです」。実業界で働く男性イゴールさん(40)は、2杯目をすすりながら絶賛した。幼少時を日本で過ごしたという医師のエルディンさん(25)は、日本語で鯉谷さんにあいさつし「先生は次いつ来られますか?」と、早くも再訪を願っていた。このように鯉谷さんに近づき、礼を述べたり、記念撮影を頼んだりする客が後を絶たなかった。


 このイベントは8月下旬の6日間、ラーメン居酒屋「クウ」の3店舗で続けて催された。多くの客を集めたのは、宣伝が奏功したからのようだ。「『ラーメンの神』が来訪」。このようなうたい文句で、ネット交流サービス(SNS)などでPRに努めていた。

日本の有名店とは対照的な光景
 当の鯉谷さんは、「ラーメンの神などと宣伝されると恥ずかしい」と照れくさがる。20代半ばまでラップ音楽を奏でるミュージシャンだったが、根っからのラーメン好きが高じ、独学でラーメン作りを始めたという。


 31歳だった2002年、東京都杉並区の環状7号線沿いに自分の店を開いた。一帯は有名店が集まる地として知られたが、テレビ番組でも取り上げられて人気を博した。10年代半ばになると、店の運営を弟子に任せ、自身は外国人を相手にラーメン作りを教える事業へシフトした。

 今回の訪露は、ラーメンについて執筆する旧知の米国人ブロガーを通じて、モスクワでラーメン作りを指導してほしいと打診されたことから実現した。10近くの国や地域でラーメン作りを教えてきた鯉谷さんの目に、ロシアのラーメン事情はどう映ったのだろうか。

 記者(大前)が取材したのは土曜の午後から夕方にかけての時間帯で、店内は家族連れでにぎわっていた。日本の有名店で、ラーメン愛好家たちが黙々と麺をすする光景とは対照的だ。「いいなあ。皆が楽しそうに食べていて。新鮮ですね」と、鯉谷さんは目を細めた。

モスクワでのラーメン人気の定着
 一方、モスクワのラーメン業界で最先端を走るとされるクウにおいても、改善すべき点が見えたという。ロシア人は猫舌だとされており、スープを少し冷ましてから提供する習慣が根強い。そのためラーメンのスープとしてはぬるく感じられる。盛り付けも、もう少し工夫した方がよいと指摘する。

 ロシアでは00年代前半の経済発展に伴い、日本食の人気が広がった。ただし、当初は流通が十分発達しておらず、日本食の水準としては高くないといわれた。

 10年代半ば以降になると、国内の海産物の流通事情が改善されて新鮮な品が出回るようになり、すしの質が向上したといわれる。クウがラーメン居酒屋という新ジャンルで17年に開店したことが引き金になり、モスクワなどではラーメンの分野も底上げされた。(略)

「ラーメンは国境を超える」(略)
【モスクワ大前仁】

毎日新聞 2023/9/1 12:00(最終更新 9/1 12:00) 2265文字
https://mainichi.jp/articles/20230829/k00/00m/030/099000c