【歴史】古代日本を統治した「大和王権」と「邪馬台国」に関連性はあったのだろうか? [樽悶★]
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邪馬台国と大和王権はよく聞く言葉であり、古代日本を統治していたということは周知のとおりだが、改めてこのふたつの国、王権の関連性は、と聞かれると「?」マークがでざるをえない。このふたつのものに果たして関連性はあったのだろうか?
■邪馬台国と大和王権の関連性はあったのだろうか?
古代に日本列島を統治した「倭国」のことを、国内では「やまとのくに」と呼んだ。
漢字表記は、「大和」「倭」「日本」などいくつかあったが、これを当時「やまと」と読んだことは、たとえば『万葉集』の「山跡(やまと)乃国」とか「山常(やまと)」などといった表記や、『日本書紀』神代上・第四段に「大日本〔日本、此 耶麻騰(やまと)と云ふ。下皆此に效へ〕」とあることによって知られている。「やまと」は元は大和国城下郡大和郷(現在の奈良県天理市から桜井市)の地名であって、原義はここにそびえる三輪山(みわやま)の麓という意味であろう。もともとこのような小さな地名であったものが、のちに大和国(現在の奈良県)の国名となり、さらには国家の名前にまでなったのである。これはひとえにこの地域の政治勢力が、奈良盆地全体を治めるまでに成長し、さらにはこの列島の大半を統治し、都を定めるまでに発展したからに他ならない。
「倭国」や「日本国」を普通には「やまと」と読めないにもかかわらず、そう読むのはこうした事情があるからである。 『魏志倭人伝』にみえる「邪馬台国」を、「ヤマト」、「ヤマタイ」国と読むこともほぼ異論はないだろう。3世紀初頭から半ばにかけて卑弥呼が中心地としていたのは、この邪馬台国であった。筑前国や筑後国、またそれ以外にも「ヤマト」という地名は存在しており、邪馬台国がこれらの地名に由来する可能性がないわけではない。
しかし合理的に考えて、この邪馬台国と『記・紀』万葉にみえる「山跡乃国」「山常」が偶然の一致である可能性は、きわめて低いのではないだろうか。
もちろんこの一事のみで邪馬台国=大和国説を唱えるのは早計だが、このことを軽視したり無視したりはできない。
そして卑弥呼の時代にこの「ヤマト」一帯に広がっていた一大集落が纏向(まきむく)遺跡である。ここには最古の巨大前方後円墳である箸墓(はしはか)古墳がある。その築造は3世紀半ば過ぎと推定され、卑弥呼の墓である可能性は十分にある。
この周辺一帯には、箸墓を含む「オオヤマト古墳群」(あるいは「大和・柳本古墳群」)がある。箸墓古墳の後にも、西殿塚古墳、行燈山(崇神陵)古墳、渋谷向山(景行陵)古墳と当時最大級の巨大前方後円墳が造られていた。
このうち西殿塚古墳を卑弥呼の後継者・壱与(いよ)の墓とする説がある。ただ行燈山古墳の被葬者を崇神天皇、渋谷向山古墳の被葬者を景行天皇と確定するには慎重な考察が求められる。(以下ソース)
9/25(月) 17:40配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/4fcac89b433d4a7d61439cd653efa990692cd4b1
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20230925-00031500-rekishin-000-1-view.jpg
誘致を国にお願いして勝手に誓ったのお前ら維新
無責任すぎ
パビリオン建設の遅れなどが問題視されている2025年大阪・関西万博をめぐり、日本維新の会の馬場伸幸代表(58)が30日の党会合で「大阪の責任とかそういうことではない」などと発言したとして、SNS上で《無責任だ》《大阪で誘致したくせに》などと批判の声が出ている。
自民・船田元氏「大阪万博撤退論」の“正論”に喝采の当然 イキリ立つ維新議員にはブーメラン
もともと万博開催を望んでいたのは大阪府や維新であり、政府=国はあくまで地元の意向を踏まえて、というスタンスだったわけだ。そして、馬場氏は昨年1月20日の衆院本会議ではこうも言っていた。 「日本維新の会は、地元自治体や経済界などと手を携え、大阪・関西万博の成功に向けて全力で取り組んでいくことをお誓いし、質問を終わります」
>>1
安倍(木原デニー山本)高市スガ小泉河野維新系(=スパイ朝鮮(創価/同和/ヤタガラス)=似非保守:リアル左翼)がまた反日認定された
↓
杉田議員投稿「人権侵犯」認定 札幌法務局、本人に啓発 ブログでアイヌ民族侮辱 2023.9.20
/newsplus/1695160736
杉田衆院議員の「人権侵犯」認定 アイヌ民族への差別的投稿―札幌法務局
www.jiji.com/jc/article?k=2023092001261
自民党の杉田水脈衆院議員がブログなどにアイヌ民族に対する差別的な投稿をした問題で、札幌法務局が「人権侵犯」
と認定していたことが20日、分かった。救済を申し立てていた札幌アイヌ協会の多原良子さんが明らかにした。 あったのだろうかと思えるのが凄いね
あったに決まってんだろ 玉城デニー沖縄県知事、18日から国連人権理事会出席へ 米軍普天間飛行場移設の反対訴える 疑問の声も
2023.9.16 /newsplus/1694916814
[ >>1 ]
>日本が琉球民族やアイヌ等の大和民族以外の民族に対して、中国よりも遥かに苛酷な差別的政治をしていることを、本土の日本人は自覚すべき。
>中国は多民族国家として漢民族以外の50以上の少数民族にも文化を認める寛容な政治をしているが、日本は単一民族国家だと言って大和民族以外を差別排除弾圧してきた。
日本当局(文科/法務/外務省)の公式見解は「アイヌを除いて、日本民族は朝鮮(ないし中華)からの渡来人。」だからアベ創価DS政府
当局は中身朝鮮人中国人を優遇して、沖縄アイヌ含む日本(にほん/やまと)人を今まで差別排除弾圧してきたぞ(特に安倍菅まで)
- - -
お前そんなこと言うなら日本語使うなよ。お前らの頭目安倍(木原)スガ竹中小泉河野が日本人を差別排除弾圧してるの知ってるくせに
九州の呼称
九州という言葉は、律令制で9国があった以前から存在する。「九州」は、もともと古代中国で全土を九つの州に分けたことに由来し、中国ではその全域のことを意味する。日本でも平安時代は「九州」は日本全体を指す言葉として使用されたし、書物も残っている
それが朝廷の力が弱まった平安末期からいつの間にか今の九州地方だけを指す言葉になった
何故こんなことになったのか
九州には別王朝(倭国)が存在したという説がある。日本の九州も倭国が中国にならってその支配領域を九州と名付けたのであれば辻褄が合う
日本国による倭国征服後、旧倭国の存在は抹消されて日本国の歴史に取り込まれている。ただ、庶民は九州という言葉を元々の意味で使い続けた
倭国が九州に存在した痕跡は残っている
倭国の首都は太宰府にあり、大宰府には天子の居所であることを示す「紫宸殿」「朱雀」「内裏」といった地名が残っている。太宰府は山城(神籠石)により防衛され、神籠石は大宰府を取り囲むように配置されている。太宰府の条坊築造時期は藤原京条坊築造時期より古い
中国の歴史書(旧唐書)では、倭国伝と日本国伝の2つが並立し、もともと小国であった日本国が倭国を併合した説が書かれている 倭国王権は奴国から邪馬台国そして大和王朝に継承されたと思うよね
卑弥呼が魏に使いさせたのも倭国王権の継承を追認してもらいに行ったんじゃ 卑弥呼の墓は大きくて立派に違いない!
卑弥呼の墓は古墳に違いない!
卑弥呼の墓からは様々な出土品が出てくるに違いない!
こういう思考のお花畑ほどボクちゃん解釈を語りたがるのが邪馬台国スレ 人は記憶型と思考型に大別できる
大和政権は海ではなく山
ヤマトは単純に山の人あたりだろうな 【政治】杉田水脈議員ついに崖っぷち…アイヌ侮蔑で「人権侵犯」認定、“ただの人”への秒読み開始 ★3
2023.9.25 /newsplus/1695636332
>>1
これが竹中石原大阪維新であり自民アベ(木原)スガ高市百田系であり偽保守:朝鮮(同和)反日DS=統一教会公明=アベパヨ
でありアベトプロレス=アベトモ(安倍昭恵証人喚問全力阻止)強姦犯れいわ山本創価芸人河野小泉カン鳩山小沢系
>>4 >>7 さぁ、お待ちかね
今回も畿内説バイトの方々が矛盾とこじつけに満ちた主張を展開していきますよ!! それは新たな証拠でも出ない限り
永遠の謎であり
憶測やな 倭国大乱だからな
倭国内の内輪もめみたいなものだ
卑弥呼がいたのが邪馬台国、卑弥弓呼がいたのが狗奴国
ヤマト政権の皇統にどちらかがいるかもな >>1
万博1つ管理できないなら維新の議員全員やめたほうが良くね 思い出してほしい
お前が光栄の三国志を魏でプレイしたら
有能な武将は蜀や呉との戦いの前線に置くか内政させたでしょ
無能な武将は空の都市を置くと反乱が起きるから敵国に面してない幽州か涼州かに置いておいておく
つまり、魏志倭人伝を書いた魏の役人は
幽州より更に先の辺境の地に何年も左遷されて駐在させられた無能で間違いない
その無能が書いた海外駐在レポートがどれだけ信用できるかって話よ ただこれ絶対九州は認めないって歴史学者いるから厄介なんだよ 名前が同じだったから目障りで潰されたとかもあるんじゃね 邪馬台国がヤマト国と読めないこともないからややこしくなってるけど西日本を統一したヤマト朝廷が邪馬台国って無理があるだろう。まず、西日本を統一するってのが1000年以上後の織田信長でも苦労してるのにどうやってやったんだよ ウダウダ言ってないで古墳を残さず掘れ
話はそれからだ >>12
最初から認めててたら良かったのにな
歴史をねじ曲げて優越感に浸る朝鮮人と変わらん国だと思う >>31
そうなんだよね
普通に考えたら邪馬台国が畿内とは考えにくいのに 邪馬台国は事実
これは中国からこの島を見た言葉だから
客観的事実が証明となる
大和王権は
今の日本人が見た夢の国 >>28
それなら日本の九州は独立したほうがいいかもな >>36
消防団程度の軍事力しかない村を平定して回るのと大名って国家間の戦争とは違うだろ…… 小碓命がクマソタケルを殺してヤマトタケル名乗り始めたのは
近畿の王朝が九州王朝滅ぼして名前を奪ってヤマトを名乗ったってことの暗喩じゃないの? 邪馬台国は纏向遺跡を中心とした大和盆地だろうな
狗奴国は大和川より南の河内和泉、ひょっとしたら和歌山くらいまであったかもしれない
狗奴国の官の狗古智卑狗は河内彦だろう
3世紀後半〜纏向遺跡で河内の土器が激増するから、卑弥呼亡き後の男王の内乱を経て台与の時代には邪馬台国と狗奴国は融合したんじゃないかな
卑弥呼が亡くなった後狗奴国も卑弥弓呼も言及がなくなる
卑弥弓呼も同じ時代に役目を解かれたんじゃないかな >>43
消防団って現代なんだけど。たとえば何も舗装されていない道で隣の県とか行くだけでも大変だぞ 東大閥=九州説、京大閥=畿内説で凝り固まってるのが何だかなあ。 西の邪馬壹国から東の大和王権に嫁いで東遷だろ
猿でも推定できるわ 邪馬台国の件は考古学会も、自由闊達な学問じゃなくなってるからなあ。
もう組織のメンツ。 >>51
語尾に「そうですたい」ってつけるのは熊本
あれは山ですたい
やまたい
邪馬台国 → たんなる朝鮮土人の部族じゃん。
古代日本 → 総面積ではエジプトのピラミッドをも凌ぐ
巨大な文明の痕跡である古墳遺跡群。
ヤマト王権が滅ぼしたツチグモという敵対豪族の描写がまんま倭国伝の邪馬台国なんだよね
邪馬台国 → たんなる朝鮮土人の部族じゃん。
古代日本 → 総面積ではエジプトのピラミッドをも凌ぐ
巨大な文明の痕跡である古墳遺跡群。
邪馬台国はたんなる朝鮮土人の部族じゃん。
古代日本は総面積ではエジプトのピラミッドをも凌ぐ
巨大な文明の痕跡である古墳遺跡群。
邪馬台国はたんなる朝鮮土人の部族じゃん。
古代日本は総面積ではエジプトのピラミッドをも凌ぐ
巨大な文明の痕跡である古墳遺跡群。
> 朝鮮みずほ銀行:西村正雄(★⇒洪浩然(ホン・ホヨン)の子孫。)
> 安倍晋太郎『私は朝鮮人だ』の種違いの兄弟(母は同じ))
> ⇒地下鉄サリンテロ朝鮮オウム石原宏高(3男)・木原正裕家(木原誠二の兄:妻の殺人容疑)・楽天三木谷
> ➡木原誠二官房副長官の父、木原雄一郎は元ソフトバンクの取締役
ほんとですか。すごいな…。木原誠二はやっぱりアベ系の中身完全に安倍派でしたね
>>19 >>1
【千葉】「日本人が、集団で日本人を殺す」 関東大震災直後、自警団が沖縄出身者らを虐殺…「検見川事件」現代にも通じる偏見と差別 ★2
2023年8月17日 中日新聞 /newsplus/1692486513/
邪馬台国はたんなる朝鮮土人の部族じゃん。
古代日本は総面積ではエジプトのピラミッドをも凌ぐ
巨大な文明の痕跡である古墳遺跡群。
ヤマト朝廷=邪馬台国だとしたら国家継承の系譜として必ず詳細な関連を記紀に記述するはずなのにほとんどないのである 全部新井白石が悪いって言っておけば良いって聞いたぞ
>朝鮮半島からの本土帰還について調べれば朝鮮人の民族性が見えてくるよ
奴らは日韓併合時代(明治43〜昭和20.8)は建前上は日本人で、その子や孫らが日本に居座ったまま
で国会議員とか嘘吐きアベ朝鮮マズゴミDSとか役所,研究所,経団連とか創価統一警察とかにいて
この福田村事件でもたぶん検見川事件でも朝鮮人[エタ/同和] が朝鮮人[エタ/同和] を殺害した事件なのに、
こうして「日本人が日本人を殺した事件」とアベコベのデマを言いふらしているんでしょ
あと、アイヌや琉球沖縄も同じ日本人なのに別民族かのように、また[知りながら]日本人は朝鮮由来だと真逆の嘘を流している
>>67 >>1
【千葉】「集団で襲ってくる」「井戸に毒を入れた」…関東大震災から100年の今、「福田村事件」が問う“日本人の本性” ★3
2023/8/14(月) 現代ビジネス /newsplus/1692346257/ 今までずっと何百年もヤマト王権が邪馬台国だと思い込んできたのに
纏向を調査すればするほど邪馬台国のイメージとズレていく現実
邪馬台国はたんなる朝鮮土人の部族じゃん。
古代日本は総面積ではエジプトのピラミッドをも凌ぐ
巨大な文明の痕跡である古墳遺跡群。
古代日本のヤマトは朝鮮征伐も行い、
古代から朝鮮半島全域を奴隷化していた。
>>47
吉備、東海、河内は纏向の主要勢力だから
狗奴国というよりもむしろ女王国の中核国という方が相応しい
邪馬台国はたんなる朝鮮土人の部族じゃん。
古代日本は総面積ではエジプトのピラミッドをも凌ぐ
巨大な文明の痕跡である古墳遺跡群。
古代日本のヤマトは朝鮮征伐も行い、
古代から朝鮮半島全域を奴隷化していた。
古代日本は、東アジアに覇権をとなえた
巨大帝国であった。
捏造と隠蔽だらけの日本古代史
恥ずかしいねジャップ 三国志の魏志に出てくる倭人伝と言うとしっくりくるだろ
魏志倭人伝て造語の最たる物
陳寿だけじゃなく膨大な資料を集めた弟子達もおるし
うっぜなんだこれ適当に書いちゃおって結果がこの論争な
まずいずれにせよ始まり畿内はない
めんでくせえもん魏は遠征に行き近隣諸国を掌握したが日本を制圧してない(´・ω・`)
邪馬台国はたんなる朝鮮土人の部族じゃん。
古代日本は総面積ではエジプトのピラミッドをも凌ぐ
巨大な文明の痕跡である古墳遺跡群。
古代日本のヤマトは朝鮮征伐も行い、
古代から朝鮮半島全域を奴隷化していた。
古代日本は、東アジアに覇権をとなえた
巨大帝国であった。
邪馬台国はたんなる朝鮮土人の部族じゃん。
古代日本は総面積ではエジプトのピラミッドをも凌ぐ
巨大な文明の痕跡である古墳遺跡群。
古代日本のヤマトは朝鮮征伐も行い、
古代から朝鮮半島全域を奴隷化していた。
古代日本は、東アジアに覇権をとなえた
巨大帝国であった。
>>55
系図によれば皇子はたくさんいる
いずれも実在性は疑問だが 前方後円墳がずっと続いているので魏志倭人伝の時代から大和王権まで続いて連続しているのは間違いない
なので倭国大乱や邪馬台国も九州のことではなくもっと広域な当時畿内で始まった連合政権のことについて記していると思う
魏志倭人伝の里数日数方角風俗などどれが正しくてどこが間違っているか誰にもわからないので書かれていることをどれだけ検討しても何も導きだすことはできないはずだ 興味深いのは三輪山の神さまである
4世紀頃と言われている崇神天皇の時代に祀られた神さまだな
和魂である大物主と荒魂である狭井の神
狭井の神は酒と井戸と薬の神さまだな
この性質はスクナヒコナと同じである
潮岬からスクナヒコナが去った後、大物主が現れるのが日本の神話である
欠史
孝昭、孝安、孝霊、孝元
孝はかなり偉大な存在を指す漢字かもな
昭は日を招くの意、安は嫁いだ娘の意、霊は巫女の意、元は首長とか源の意だな
3世紀後半纏向遺跡から吉備の土器が突然消える
孝霊天皇の古事記にある唯一の事績は吉備征伐
孝霊は3世紀後半で台与だろうな
孝安は卑弥呼の次の男王で孝の娘を娶っていたのかもね
孝昭は卑弥弓呼じゃないかな
池心宮、池の真ん中の宮、河内の狭山池辺りにいたんじゃないか
狭山池の底には龍神淵と呼ばれる直径27m、深さ5mのすり鉢状の大きな窪みがある
すり鉢状の窪みは埼玉の狭山にある七曲井の井戸とそっくりであり、池ができる前は井戸が作られていたと考えられる
孝昭は井戸と関係がありそうだな
三輪山の狭井の神さまかもな
大物主は孝の仮説は検証する価値がありそうだ 邪馬台国は熊襲または土蜘蛛
大和王権が駆逐していった
最終的には神功皇后が完膚なきまでに破壊し歴史上から抹殺した。
邪馬台国の権益を継承し、その後数世代の大和王権の繁栄は古墳が表している。 〈泉房穂〉前明石市長がSNS投稿を陳謝「また聞きだった」 2023.9.18(月) /newsplus/1695027933
>>71 >>1
くそしょーもな。アベトプロレス(=中身アベトモ)れいわ山本レイプ犯反日無罪創価在タレ(放送報道芸能=マズゴミ/SNS)とか
第二アヘ党大阪維新(カジノIRも上海メガソーラーも(風力も反原発も)武漢一帯一路も安倍[やそれ系役人の]指示)なんかと同じ、
アベ(二代目池田大作:同和/なりすまし/背乗り/似非保守=リアル左翼)朝鮮スパイの賑やかし(スピン/嘘/日本人への中傷/売名) 遠い親戚ですね。
九州の邪馬台国が実家、近畿に出て行った次男か三男が一旗揚げたのが大和政権 神功皇后の後に熊襲や土蜘蛛は伝承や歴史書に登場しなくなる そもそも台の字あててんのが間違い臭いんじゃなかった? 魏志倭人伝は伝聞を書いたものだから、大和の話とフィリピンか台湾の話が混ざって書かれたとしか思えない 魏書だと九州で唐書?だと奈良で同じ耶馬台みたいな扱かわれ方だから
神武東征で九州から出立して近畿の土蜘蛛を征伐して奈良にヤマト朝を立てたってことだろ >>80
で、散々買いたがお前は日本人として何処で活躍したの?…(´・ω・`) 後々都合が悪くなって歴史書から消したんだろうな(笑)
占いとかダンスで生計を立てているイメージ
今も変わらないんじゃね?w 瀬戸内海には九州からの復路に神功皇后に住吉の神さまがお供した伝承が残っている
住吉大社神代紀には仲哀天皇が亡くなった夜に神功皇后と住吉の神さまの間に密事があったと書かれている。同じような伝承が和歌山にも残っていて、明治より前は別に秘密でも何でもなく公然の事だったんじゃないか 魏志倭人伝には邪馬台国の海洋国家としての特性が羅列されているのである。ところが畿内派は本拠地は内陸にあったが出先機関だから海の記述があっても間違っていないとか理屈を述べているが、それなら出先までしか行ってないだろってツッコミが入るところ 邪馬台国は九州の極めて小さい豪族で大和王権は天皇とかいう邪悪な集団につながるナニカだと思ってる
まぁ詳しくないレベルではなく全く知らないレベルだが 邪馬台はヤマトと読むべきだろ
纏向に卑弥呼がいたのは間違いない
何故そこにいることになったのか、
ってのが重要 九州北部の田舎の集落に立寄って村人に
「お前ら誰?」と質問したら
九州弁で何やら「…>*たい!」と返事をしてきたので、それを国の名前と勘違いした 邪馬台=ヤマトはいまの奈良だよな、素人のおれは普通にそう思うは だからと言って、侵略を引き起こしていた人間側が有能とは限らない 奈良県橿原市にある瀬田遺跡は纏向石塚古墳よりも前のもので、前方後円墳の原型になった円形周溝墓と考えられている。
纏向遺跡を作った征服王朝は、最初は纏向の内部に墓を作らず、橿原に作っていたのだろう。
理由は不明だが、纏向がまだ未完成だったからかもしれない。
あれだけの計画都市を作るとなると、何年もかかるだろうからな。
神武が畝傍山の麓に宮を構えたとか畝傍山の麓に葬られたというのは、瀬田遺跡の時代の王たちの記憶の残滓なのだろう。
これが神武をはじめとする欠史八代の正体だと思う。
纏向石塚も崇神以前の大王墓だろう。
天皇家の崇神以前の大王は卑弥呼の男弟として政務をとっていたのだろう。
ネトウヨは邪馬台国九州説なる虚構を主張するが、ジャップは中国に朝貢していたのである。 >>87
まあそれが真実だと思う。
そして、その後に実家を攻めて大和朝廷の傘下に入れて国を統一 どこの古墳ここが有力っていい争っているが決定的な物証が出ていない巻向もそこまで言うなら証明しろよってレベル >>99
空白の150年の間に古代イスラエル失われた10支族の一族が日本へ渡来してきた
そこから統一国家への歩みが始まっていく 大陸的には日本は土人のようにしか思ってなかったから邪馬台国の位置とか適当で良かったんだろうな・・・
彼らにしちゃ畿内であろうが九州であろうがどっちでも良かったと思う ネトウヨ思考
・日本人は縄文人の子孫
・日本語は縄文語の子孫
・Y遺伝子Dが自慢
・縄文文化を縄文文明という
・邪馬台国は九州と主張
・日本が中華に朝貢したのが許せない
・アイヌ人はシベリアからやってきた虐殺者
・なぜかエベンキという民族に関心がある
・古史古伝や日ユ同祖論などのオカルトを信奉
・邪馬台をじゃまたいと呼んでしまう低学歴
・国学者の九州説をなぜか反皇国史観と思い込む
・魏志の漢字を何故か現代音で分析してしまう 蒼天航路的に言えば
曹操「使者殿!、国の名はなんと言われる」
使者「ヤマトと申します」
曹操「荀ケ!字をあてよ!」
荀ケ「あいやー!殿ー!邪馬台はどうでしょうかー!」
曹操「使者殿!王の名は!」
使者「日の御子と読んでおります」
曹操「荀ケ!字をあてよ!」
荀ケ「ははー!殿ー!卑弥呼はどうでしょう!!」
曹操「ならばよし!」 正統竹内口伝 でも一時は九州行ったりしてたが最後は大和に行った。魏志倭人伝の頃は九州だった。 秦氏とか弓月君ってずっと百済人だと思ってたわ
そうか!ユダヤ人だったのか
納得(笑) 大和の国→ヤマトコク→ヤマトコク
邪馬台国→ヤマタイコク
似てるよね 朝鮮半島から流れ着いた新モンゴロイドの大和王権は
日本列島の一部を支配しただけ >>69
それは『国記』『天皇記』だっけ、聖徳太子の書庫にあったのを、蘇我氏(日本乗っ取り計画の渡来人)が燃やしてなくなったんでしょ
だから、半島で唐新羅の侵入浸透乗っ取りを許したりの天智天皇の流れで日本書紀は、6世紀あたり以降の歴史しかなんでしょ 何故かネトウヨが九州説を主張する不思議。
ネトウヨ学説では「天皇家が中国に朝貢したなどけしからん」という江戸時代の国学者の説が主流らしい。
いや、ネトウヨどもよく聞け。
邪馬台国=ヤマト王家で、中国に朝貢してたんだぜ。
歴史修正主義もいい加減にしろよ。 スクナヒコナが去ったのは潮岬、イザナミが眠るのは熊野のアリマであり熊野は重要な古代史の舞台だな
熊野川の阿須賀神社の境内とその周辺からは弥生時代末期〜古墳時代前期の集落跡が見つかっている
祭神は事解男、イザナギがイザナミと話し合いの末別れ際に吐いた唾の神さまだな
事を解く男、王を解任する力があったのかもな
対岸のゴトビキ岩という磐座からは銅鐸の破片と銅鐸を模した石製品が見つかっている
銅鐸の勢力が一時熊野に避難してきたのかもね
ゴトビキはヒキガエルのことらしい
伊勢の興玉神石もヒキガエルの神さまだったな
ヒキガエルは谷を渡って移動するが必ず元いた場所に戻ってくる習性がある
この習性に注目した性質を持つ神さまなのかもね
卑弥弓呼への言及がなくなったのは事解男が関係しているのかもな
能の三輪は興味深い
伊勢の神も三輪の神も一体分身で磐座とある
思えば伊勢と三輪の神、思えば伊勢と三輪の神、
一体分身の御事、今更何と磐座や 諸卿らも知っておると思うが
あくまで魏志倭人伝というのは
陳寿の正史「三國志」の一部であって
オマエらの好きな
曹操とか荀ケとか荀攸とか程cとか
劉備とか関羽とか張飛とか孔明が
主役なんだよ? ヤマトは帥升(すいしょう)が自称した倭面土国が初出。 うわーやられた(´・ω・`)
意図的なID被り
これ、公開請求しよっかな 空白の1世紀とか何があったのか何も書いていないが、書いてるのがさらに数百年後だから。今の奴に江戸時代について記述しろって言っているようなもんで、正確なことがわかるわけがない >>122
司馬昭くらいなら多少聞いたことあるけど
他は無名だよね このころ既に何となく知られてる日本全体を、大和と呼ぶようになっていた可能性はないのかね
と書いてて改めて気付いたが、大和と書いてヤマトと呼ぶこと自体当て字か
やっぱり、倭国には幾つも国があれど、その倭国全体をヤマトと呼ぶ共通認識があったんじゃないかって気がしてきた というかもともとヤマト国しかなかったのになぜか邪馬台国とかいう謎の読み方の古代国家が江戸時代の国学者の間で急に発生した
厳密にヤマトと邪馬台国が違う国であるという検証もしないまま違う国として扱っていること自体が異常なだけ 邪馬台国は北部九州の一小国に過ぎない
ヤマト王権とは別だよ 中国「お前の国は何て言うんだ?」
日本からの使者「ヤマッタイ」
中国「ヤマッタイ?じゃあ『邪馬台国』と記しておくか」
最後の「タイ」は現在の九州弁にもある接尾語「〜たい」のことであり
日本からの使者は「『ヤマト』タイ」って言いたかったんだろ 奈良は色々と観光資源があるんだから何もない佐賀に譲ってやれよ。 ヤマトは山の麓の意味だな。
即ち三輪山の麓、即ち纏向遺跡のことだろう。
纏向遺跡のその昔の名前は「ヤマトの邑(クニ)」だったと考えるのが自然。ヤマトとは三輪山の麓の都市国家の名前だったわけだよ。
邪馬台国=ヤマト国。ネトウヨは全ての古史古伝を捨てて正しい歴史観を持とおな。 皇室には苗字がない。
古来から日本の支配者だった。 文字がなかった時代九州と畿内は音の響きが同じ言語喋ってたの?
当時にしちゃかなり距離離れてると思うが >>132
邪馬台をじゃまたいと呼んでしまう低学歴 三代目安寧
安は、新婦が廟にお参りをして清めをし、嫁いできたことを祖先の霊に報告し、嫁いできた家の霊を受けて、この家の人になる儀式をしていることを示している漢字
寧は、屋内に水盤を置いて神に願い事をし、心を安らかにする意味の漢字
伊勢遺跡は夜に水の祭祀をしていたらしい
三代目から伊勢遺跡を使い始めたのかもな
安寧天皇の片塩浮孔宮は『古事記伝』『大日本地名辞書』によると柏原市が候補地になるようだ
河内の伝承によると奈良から降りてきた龍神が柏原の地に留まり大和川の治水を行った後堺の方に去ったという
奈良の橿原の弥生時代後期の遺跡から龍の絵画土器が見つかっている
柏原には弥生時代後期の大規模な遺跡が残っている(大部分は現代の大和川の堤防の下になったが)
龍神のエピソードは弥生時代後期だろうな
伊勢遺跡が誕生した時代に重なる
四代目は懿徳でうるわしい立派な徳という意味かな
宮は軽の宮だな
徳がつくのは仁徳、聖徳、孝徳、
記紀で仁徳天皇の時代に枯野伝説がある 楠が切られ軽船が作られる話
叡福寺の七不思議によると、聖徳太子の母の棺の轅を植えたら楠が生えた
孝徳天皇は諱が軽だな
摩湯丘陵の池上曽根遺跡のある和泉には楠の元に堅い木でできたお地蔵さんがやってきた伝承が残っている
堅い木は樫カシだな
ちなみにスサノオの眉から生えてきたのが楠 >>135
そのレスのバイト代っていくらっすか?w 学界で「畿内説」が優勢になった根拠である纏向遺跡の年代ですが…
用いられている「炭素14年代測定法」「年輪年代測定法」でいずれも国際基準より100年程古い算出結果が出ており、
はっきり言って悪質な捏造が行われている可能性が高いです。
その証拠に、607年創建で600年代後半に再建された法隆寺は
この測定法では500年代後半と判定されています。
【纏向の古墳群の年代は旧来通り卑弥呼より100年程後】だと考えるべきです。
こういった行為を野放しにしている学界は非常に危うい状態と言えます。 >>127
おいおい
曹操の参謀
荀ケ、荀攸、賈詡、郭嘉、程c
無名だと?
曹操「荀ケ!おまえは無名らしいぞ!」
荀ケ「あいやー!そうでありましたかー(涙)」 神功皇后=台与で実は邪馬台国を滅ぼしたのが台与
神功皇后をはじめ天皇家にはトヨ(豊)の系譜が入り込んでいる
知らんけど! 近年、大きな注目を集めているのが金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてつきょう)です。
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は1933(昭和8)年に大分県日田(ひた)市のダンワラ古墳で出土した鉄鏡で、金銀玉の装飾が施されています。
金や銀をはめ込んだ鉄鏡は権威の象徴であることから、卑弥呼が魏の皇帝から贈られた鏡ではないかという見解も出されています。
この説はあまり支持されませんでしたが、2019(令和元)年、中国・河南省の曹操(そうそう)の墓から鉄鏡が出土し、それが金銀錯嵌珠龍文鉄鏡によく似ていると発表されたのです。
曹操は魏の武将。金銀錯嵌珠龍文鉄鏡が魏の皇帝から贈られた鏡の1枚であれば、九州説の裏づけとはならないまでも、信ぴょう性は増します。
中国での発見は邪馬台国論争に一石を投じることになっています。 もし邪馬台国がヤマト王権になったとすると仮定すると、卑弥呼には子供がいないので皇統が絶えていると解釈されるという大問題になってしまうのだが、、 「やまと」「やまたい」て発音単語自体がきっと古代日本で「国」「軍事行動可能レベルな組織的なデカい集落」て意味だったんじゃねーのかな、て割とマジで思う。
んで一番デカくなって全国統一した「やまたい」がそのまま統一王権になったって考えれば普通に辻褄が合う 中華思想の国が大和と書くわけないだろ!
邪悪な馬の字を当ててヤマトの国を
邪馬台国って書いたんだよ!
その国をおさめたのが卑弥呼だぞ?
中国から見たらヤマトの卑しいミコだよ!
皇子と書いてミコと読むよな? 天皇のことだよ! >>127
どちらかと言えば司馬昭の方が三国志で脇的扱いやろ・・・ 国作りと言えば出雲なんだが島根と畿内ってかなり関係が深いんだよな
出雲地方で栄華を極めていた加茂岩倉遺跡は紀元前後に営みを終え、その後加茂岩倉遺跡の銅鐸が奈良の上牧、大阪の陶器、和歌山の黒田などから見つかるようになる
加茂岩倉遺跡の人々は近畿地方に移住したのかもな
松江の西川津遺跡も興味深い
古くは縄文時代早期の痕跡が残る遺跡だな
弥生時代前期からかなり栄えていた集落で漆器を含め木製品が大量に作られていた
もちろん銅鐸や勾玉も見つかっている
興味深いのは弥生時代前期の樫で作られた鳥形
西川津遺跡と同じ形の鳥形は鳥取の弥生時代中期の青谷上寺地遺跡、弥生時代中期の大阪の池上曽根遺跡、亀井遺跡、雁屋遺跡から見つかっている
これらの集落は関係が深かった可能性がある
池上曽根遺跡辺りには楠の元に堅い木でできたお地蔵さんがやってきた民話が残っている
銅鐸と鳥形を見ていくと倭国大乱前の弥生時代後期の状況がわかる
弥生時代後期になると近畿や東海では銅鐸文化が花開き、長野や神奈川まで銅鐸は広がる
首長連合の祭祀場跡と考えられる伊勢遺跡が誕生し、近くからは近畿式と三遠式銅鐸の両方の特徴を併せ持った巨大な銅鐸が見つかっている
琵琶湖北部〜敦賀には河内と同じ形の鳥形が一斉に広がり(石川は元々鳥形の地)、東海には摂津の玉津田中遺跡と同じ形の鳥形が一斉に広がり、鳥形のあった登呂遺跡が誕生する
滋賀の伊勢遺跡を舞台にした国作りが東海さらに関東や信州迄拡大する
伊勢遺跡の時代、弥生時代後期は銅鐸、鳥形、龍の絵画土器(唐古・鍵遺跡、橿原、池上曽根遺跡)、ヒスイの勾玉の時代だな くだらない権威主義と学閥争いを一旦置いて冷静に考えれば大分県でほぼ間違いない。 邪馬台国は海賊の国
大和に滅ぼされて吸収された
ワンピースはその話 中二病を拗らせた無知蒙昧なキッズがボクの中の歴史とボクの中の解釈を語る様はマジで滑稽だよ 大和王権は畿内に実在する史実だが
邪馬台国はファンタジーに過ぎない
それと「邪馬」などと言う、中国人が日本を卑下して付けた当て字を使い続けるのはいい加減に止めろや 魏志倭人伝を残した魏という国は朝鮮半島の西部まである、東西を縦に半分
そして朝鮮半島の東部も倭人の国
倭寇(海賊、賊)もだいたい地理的に同じ
>前期倭寇は主に北部九州を本拠とした日本人で一部が高麗人であり、主として朝鮮沿岸を活動の舞台として中国沿岸(登州、膠州など黄海沿岸)にも及んだが、李氏朝鮮の対馬を中心とする統制貿易、日明勘合貿易の発展とともに消滅した[1]。高麗王朝の滅亡を早めた一因ともいわれる[1]。 邪馬台国九州説だと仮定して九州のどこの県にあったんだ? >>1
>『魏志倭人伝』にみえる「邪馬台国」を、「ヤマト」、「ヤマタイ」国と読むこともほぼ異論はないだろう。
はあ?教科書やテレビでも「ヤマタイコク」としか言わないし、つまり歴史学/考古学者さんとやら達もそうとしか言ってないだろ
あと、当方が以前にここで、「徳川トクチョン朝鮮人(反日主義者)類が『邪馬壹國=邪馬登国=ヤマト国』
をわざと『邪馬臺國=邪馬台国=ヤマタイ国』と広めたんじゃないか。」という旨を書いたんだけどね 銅鐸文化人は九州からやってきた征服王によって西暦170〜180年に消滅している。
伊勢遺跡は纏向文化人と文化も宗教も違っていて、邪馬台国滋賀説はなりたたない。
纏向学の論文を書いている人の中に、この説を唱えている人がいるがいるから正面切って否定するのは気まずいのだが、匿名掲示板だからまぁいいだろう。
どうもジャップの選民思想が気に障るよな。 >>160
そら大物はでしゃばったりしないでしょ
アホみたいなファンタジーよりも仕事のほうが大事なんだから
目立ってもしゃーない 大和も邪馬台も当て字でしょ
日本語で「やまと」ってどんな意味か考えてみればわかる
矢と的だ
つまり
どういうことだ? ヤマトは(聖なる)山の麓の意味。
纏向のことだな。 体裁のとれたバカを担ぎ上げておけば大衆はそれで納得するからな 九州説と畿内説の間を取って邪馬台国は岡山にあったということで決着にしようじゃないか 当時の魏が村落レベルの地方都市を国として扱うわけないだろ >>170
それはただの日本の簡体字なだけだろ
戦後直後までは新聞も旧字体使われてるよな
大学の校章って「學」を使ってるのが今でも多く残ってるし >>1
>しかし合理的に考えて、この邪馬台国と『記・紀』万葉にみえる「山跡乃国」「山常」が偶然の一致である可能性は、きわめて低いのではないだろうか。
バカ丸出しだな 字で言うと大和はダイワじゃん
邪馬台国から少しは引き継いでないとヤマトとかいう読み方の意味が分からなさすぎる 寺澤薫の試算する奈良盆地の戸数は7000戸
「王都を擁する「磯城下」と「磯城上」の二つの大共同体をあわせてもせいぜい四〇〇〇人。ならばヤマト国(邪馬台国)全体でも最大に見積もって一万五〇〇〇人ほどだろう。奈良盆地全体なら三万五〇〇〇人、戸数にして七〇〇〇戸ほどだ。」
—『卑弥呼とヤマト王権 (中公選書)』寺沢薫著
4000人は少ないな、吉野ヶ里だけで5000人だから。 魏から親魏大月氏王の称号をもらった者が、インド・クシャン朝のヴァースデーヴァであることを考えると、
親魏倭王の称号をもらった卑弥呼が、九州地方の一豪族と考えるのは、ちょっと無理じゃないかね。
少なくとも西日本一帯を支配する程度の勢力があったものと考える方が自然だと思うよ。
少なくとも魏は邪馬台国を、インド・クシャン朝と同程度の大きさの国と認識していただろうから、
邪馬台国を日本全国と考えても、小さいくらいだからな(笑) 親魏倭王の金印は魏との外交が継続しているから、卑弥呼から台与に渡ったのはほぼ確定やろな
その後どうなったか?
延喜式によるとウカノミタマの別名はトヨウケ
台与はウカノミタマと総称される勢力の姫だったのかもな
信太山の葛の葉伝説
配下の者がした行いのお詫びにウカノミタマが黄金の箱と水晶玉を授ける話
信太山の和泉黄金塚古墳からは葛の葉伝説の通り日本最大の水晶玉が見つかっている
和泉黄金塚古墳からは大量のヒスイなどの勾玉も見つかっている
4世紀後半親魏倭王の金印は勾玉の勢力に譲られた可能性があるね
勾玉は卑弥呼より前の時代畿内で流行っていた
唐古・鍵遺跡や池上曽根遺跡など畿内のたくさんの遺跡からヒスイの勾玉が見つかっているが弥生時代末期でみな営みを終える
弥生時代末期に何処かに避難したのか何なのか
仁徳天皇陵古墳の時代、考古学的に再び勾玉ブームが訪れる >>178 >>1
温羅/岸/アベ/モリカケ/橋本龍太郎スパイ朝鮮人類の根拠地岡山がヤマトの国だったわけないだろ >>178 >>1
温羅/岸/アベ/モリカケ/橋本龍太郎スパイ朝鮮人類の根拠地(潜伏地)岡山がヤマトの国だったわけないだろ >>182
どう考えても大和と書いてヤマトとは読まないなあ
日本も当て字を使ったから都合が悪かったからどこかの史書でコリエイトされたと思う 和泉黄金塚古墳からは「景初三年」在銘の画文帯四神四獣鏡が見つかっているから邪馬台国の勢力と何らかの縁があったのは間違いないだろうね YOU TALKIN' TO ME ?
YOU TALKIN' TO ME ? 邪馬台国は北部九州で大陸外交をやってた国
漢の倭の奴国王の金印が北部九州から出てるように大陸への玄関口であることを利用してあの辺りが外交をしていた
半島南部もその勢力下においていたから、外交に血道を上げていた
倭の内部事情は大陸に伝わりにくいので、大和朝廷が挙げた成果を自分のものとして利用していた
一方、大和朝廷は倭の平定に力を注いでいたので、邪馬台国の当時は外交はしていなかった
そのうち、大和朝廷の軍門に降った邪馬台国は地方政権として命脈をつないだのかすっかり吸収されたのか
磐井の乱みたいな反動もあったと >>178 >>1
温羅/岸/アベ/モリカケ/カン/橋本龍太郎スパイ朝鮮人(似非保守:リアル左翼)類の根拠地(潜伏地)岡山がヤマトの国だったわけないだろ >>182>>189
大和と書いてダイワと呼ぶのはCMの影響だろ 魏から親魏大月氏王の称号をもらった者が、インド・クシャン朝のヴァースデーヴァ。
魏から親魏倭王の称号をもらった者が、邪馬台国の卑弥呼。
自分はやっぱりこの対比が気になる。中国の魏は邪馬台国を、インドと同程度の大きさの国と
認識していた可能性が高いから、邪馬台国を九州の一地方国と考えるのは、やっぱり無理だと思う。 だから倭の内部事情は大陸に伝わりにくい
玄関口である北九州勢力がなんとでもごまかせた
志賀島で発見された金印っていう実績もあるだろw
あんなんでも金印なんだよ 弥生時代の海のシルクロードの終着点は伊都王国。卑弥呼の実家だよ 橿原の神武天皇の時代は弥生時代中期末〜弥生時代後期初頭じゃないか
弥生時代後期の伊勢遺跡の時代の国作りは尾張を越えて東国まで広がる
兵主の伊和大神の国作りは尾張で終わりとある
初代の国作りは尾張迄
伊和大神の子伊勢津彦は伊賀に石の砦を作っていた伝承が残るが、伊賀の名張から弥生時代後期の砦のような集落跡が見つかっている
伊勢津彦は風の神さまやね
神風の伊勢、神風の八坂と枕詞にもなっている
美智子上皇后陛下の歌の石碑が橿原神宮にあるね
遠つ世の 風ひそかにも 聴くごとく
樫の葉そよぐ 参道を行く だから俺だけが大分相当前から言ってるんだけど
卑弥呼没後に保てなくなった九州の連中が京都大阪辺りにまで移動してきて
天皇制を始めたか
元から京都大阪辺りにそこそこ勢力のあった連中と元邪馬台連中が併さったのが今の天皇(朝廷制)だよ
明らかに時期的にそういう流れってのがモロだし >>189 >>1
中華人朝鮮人(の素)が日本人を倭(ワ)と呼んだ→日本(やまと)人自身が倭に替えて和を当てた
→和(やまと)に美称「大」を付けた→大和(やまと)[ただし、本当は「おおやまと」] この辺りの頃の変遷がほぼわかるような考古学的資料って今後見付かるのかね >>178 >>1
温羅/岸/アベ/カケ/鳩山/カン/橋本スパイ朝鮮人(似非保守:リアル左翼)類の根拠地(潜伏地)岡山がヤマトの国だったわけないだろ 倭国ってのは安倍のいう「わーくに」の当て字でしょ
だから倭国とヤマトは別物
大和と書いてヤマトと読ませるのは、キラキラネーム原理でしかありえない
新たにキラキラ読みの字を当てざるをえないなら、大和の地は元々のヤマトではなかったことになる
ほんとのヤマトならばそんな無理筋な文字ではなく自然な字を当てるだけだしな
ヤマトは「日本」のどこかにあった一地方の政権にすぎないが、天皇に繋がる嫡流もしくは天皇が利用したいほどの権威の象徴だったことは確か
ヤマトはふつうに邪馬台国のことで
この地方政権はまあふつうに考えて出雲あたりにあったと考えていいだろうな 今の漢字と中国の漢字は似て非なるもの音から連想して・・・というのは全く無意味な行為ではなかろうか? 邪馬台国は弥生系日本人の勢力で
大和朝廷は古墳系日本人の勢力だが、邪馬台国が比較的穏当に
大和朝廷に組み込まれる形なら、邪馬台国は国津神を信仰していたかも? >>189
ヤマトなる語の語源は未詳(山門説や山処説は上代特殊仮名遣いから見て成り立たない)だが、或る時期に於ける列島西半古代王権の自称ではあったろう。
彼等が自前の史書等を仕立てるに当たって漢土の正史の記述を参照した時、
列島西半を表す「倭」なる漢字を見出してこれを以てヤマトに宛てた。
ところがこの漢字はかなり悪い意味の卑字であった為にこれを嫌って(列島音では同音となる)「和」なる佳字に書き替えた。
更に美称の接頭辞である「大」を冠して「大和」=ヤマトなる無理矢理な読みが完成した。
従って当時の古代王権が漢籍に謂う「倭」は己のことである、或いは少なくとも有意の関連があると認識していたことは否定し得ないように思われる。 >>198
北陸でいちばん大きな百貨店だぞダイワ! クソ安倍時代の風習で畿内説にした方が予算が出やすいんだってな
5chでは九州説が大半だっつーのに
コロナの時の医者みたく科学とは正反対やないか。予算目当て
おめえは学者じゃなくて乞食や
乞食の時点でお前は日本人じゃない
朝鮮人
そう歴史書に記しておけ 播磨の勢力は近畿山陰の国作りを終えた後九州の国作りにも取り掛かったんじゃないか
弥生時代後期博多からは播磨の土器が大量に見つかるようになり、本州で流行っていた方形周溝墓が福岡平野に誕生する 「やまとのくに」つったのを中国人が「邪馬台国」って書いただけだろ でも5chって大抵デマと偏頗な思考で構成されてるよね
かなり世間とズレてるし 島根の西川津遺跡と同じ形の鳥形は鳥取の青谷上寺地遺跡、大阪の亀井遺跡、雁屋遺跡、池上曽根遺跡から見つかっている
青谷上寺地遺跡の4体の人骨の遺伝子を調べたところ、2体は日本固有のC 1a1だった
これは旧石器時代からいた集団の遺伝子タイプじゃないかと言われている
ヨーロッパの先住民クロマニョン人やアボリジニーの近縁の遺伝子タイプやね >>190
神武伝説は史実の直截な反映などと云う底の浅いものではない。
二世紀の列島西半の考古学的事実と不気味な整合を示す説話がある一方、
下手をすると万年単位の昔、列島人の根源の記憶かと疑われる要素さえある。
思うにそれは、物理的史実を一旦微分してから「ヤマト王権の世界観」という別の座標系に移し替えて積分し直した数式ではなかろうか。
元の座標系が喪われてしまった今となっては記紀の記述から史実を再現することは不可能だろう。
それほど神武伝説の謎は深い。 結局のところどうなんだ?
天皇家は朝鮮血筋なのか? だから邪馬台国はエジプトにあったって木村鷹太郎さんも言ってただろうが >>1
天皇が平和を願えば願う程、格差が拡大して行く変なカルトな国、日本!wwwwww 邪馬台国は九州だよなぁ。日本書紀に該当する女王の名が
出てこないし、福岡に山門って地名があるし。
畿内説は、天皇家の血統を正当化するためのものとしか
思えん。 >>223
記紀の記述に即してさえ;
・神武系は神武で断絶→綏靖系が簒奪
・綏靖系は仲哀で断絶→応神系が簒奪
・応神系は武烈で断絶→継体系が簒奪
と理解せざるを得ない。
このうち明らかに「半島系」と認められるのは応神系だ。
そう考えるとなかなか単純に判定はできない。
その後、桓武の代に女系としては明確に半島の血を入れている。
これをどう評価するか。
>>230
山門ではあり得ない。
>>214の一行目を参照されたい。 >>223
たぶん縄文系
縄文の色濃い宮崎に天孫降臨している
海幸山幸の話が縄文っぽい漁労狩猟
その山幸の孫が神武 >>214
対大陸的にヤマトを名乗った方が都合良かったんだろうね
外交策というか >>230
山門をヤマトとは読めない
ヤマトと読むのは唐の時代の発音から >>231
血筋断絶してるなら今の天皇から男系辿れば神武にたどりつくの? >>1
東京は古代ギリシャのポリスに似てんなwwwwww 常陸国風土記に皇孫の祖先は天地の初めより前からいたとある
日本神話の天地開闢より前からいたということだな
日本列島最古の先住民なんじゃないか
澄んだものと濁ったものが混じり合い、天地の初めよりも前に、諸祖天神(土地の言葉で女神祖を賀味留弥[カミルミ]・男神祖を賀味留岐[カミルキ]という)が八百万の神々を高天原に集めた時、諸々の祖神たちに「今、我が孫が統治すべきなのは豊葦原水穂之国である」と告げた。そこで高天原から降りて来た大神の名を香島天之大神という。天にある時は日香島之宮(ひのかしまのみや)と名付け、地にある時は豊香嶋之宮(とよかしまのみや)と名付ける。土地の人が言うには、豊葦原水穂之国の統治を委任しようと詔した時に「荒ぶる神ら、また、石根・木立・草の葉までは言葉を話して、昼は蝿のようにうるさく、夜は火が輝く国であった。ここを平定する大御神である」と言い、天降らせて皇孫に仕えさせたという。 >>1
>西殿塚古墳を卑弥呼の後継者・壱与(いよ)の墓とする説がある。
だからこれも( >>170 の続き)、
「徳川トクチョン朝鮮人(反日主義者/嘘吐き)類が『壹与=とよ』をわざと『壱与=イヨ』と広めたんじゃないか。」
という旨を当方が以前にここで書いたんだけどね。(面倒臭いので日本書紀原典の字は確認してはいないが) 土から這いだしてくる訳じゃあるまいし日本人の大半は朝鮮や沖縄方面から渡ってきたに決まってる >>235
古代中国人の耳をよくそこまで信頼できるな 九州出身で自称王族の海賊ジンムが、クーデターに乗っかってヤマトの大王になってしまった
ここから、問題がこじれて、ニギハヤヒ(のちの藤原氏)あたりが頭を抱えた 出アフリカから日本へどうたどり着いたかはたぶんスンダランド経由の南方からが一番イージーだろうが、
北海道経由ってのもあるだろう
縄文以前の話だわな ま、要するに日本人がどっかで形成されて列島へやって来たんではなくて、
列島へやってきた人々が醸成されて日本人になっていったんだよ
日本人はどこから来たのかなんてのが無駄な問いかけ >>236
歴史的な意味に於いては「不明」というのが現時点では最も正しい。
物理的/生物学的な意味であれば、
今上から百何世代か前のサピエンス雄性個体は必ず「実在」する。
天皇家の人々と雖も木の股から生まれるわけでもないし、
ここ何十年かの間に猿から分岐進化したわけでもない。 >>235
逆に考えるんだ
ヤマトって地名があって、そこへ後から山門って漢字を当てた
漢字が先にあったわけねえだろ >>230 >>1
九州の山門の地名ってたぶん明治以降に付けられた名前でしょ、だから関係ない、というか徳川トクチョン朝鮮スパイ
の流れで、わざと後付けでそう付けたんだろう。
同様に、宮崎高千穂町や鹿児島高千穂峰の古事記故地名も、江戸明治以降だろう(つまりトクチョン系の意図的な嘘/付会) >>241
古代中国人の耳ではない。
列島人自身の上代仮名遣いに於いて「山門」の門と「夜麻登」(記紀にヤマトの表記として現れる)の登は明確に別の音を表している。
古代史に首を突っ込みたいならせめてその程度の基礎知識は身に着けるべし。 >>253
倭人伝すら読んでいないのかw
倭人は長命 沖縄人が我々をヤマトンチュと呼ぶのは、いつからなんだ? >>251
スマン、何が言いたいんだかわからん
当然、訓読みも音読みも知っているよ
山門なんて漢字が史書に出てきたってわけじゃないんだから、そんな漢字がどうとかってのは問題にはならない
あくまで邪馬台国ってのが出てきてるって話であり、北部九州には山門っていう地名があるって話 >>255
明治〜大正時代の平均寿命は45歳ぐらいよ >>258
記紀と万葉集は文字化された時期が極めて近接している。
両者の仮名遣いが同一のルールに基づくことは自明だ。 >>1
田中英道 #44 邪馬台国は存在しなかった!神社を辿れば日本がわかる
未来ネット / 2021/04/07
https://youtu.be/U6FUG-LB4iQ
田中英道・東北大学名誉教授
「邪馬台国や卑弥呼などは、日本の何処にも、物証どころか民間伝承の一つすら存在しない。従って、魏志倭人伝自体が中国人特有の"捏造"である。」 >>1
田中英道「漢委奴国印(金印)は偽造であった」日本国史学会 令和3年7月10日 日本経済大学(2021/7/10)
Hidemichi Tanaka
https://youtu.be/zoHCHJC11YM
「所謂『金印』は、発見された江戸時代当時の製法そのものであり、明白に『偽造品』である。」
つまり、古代日本が中国に朝貢していたとされる唯一の根拠である『金印』が偽造品だと判明した事により、日本が中国の属国で有ったと言う歴史的事実は一切無く成った。
書籍紹介:
・鈴木勉『「漢委奴国王」金印・誕生時空論』(雄山閣 / 2010年)
・三浦佑之『金印偽造事件—「漢委奴國王」のまぼろし』(幻冬舎 / 2006年) >>1
田中英道「『倭の五王』は捏造(?)である」日本国史学会 連続講義 令和3年6月14日自宅代講(2021/06/14)
Hidemichi Tanaka
https://youtu.be/jRktdf9K_PA
田中英道「『こじつけ』で考えて見ても、何とか一致性が見られるのは一人だけである。つまり捏造である。」 大陸と接触も無く文明が発達した島なんて他にあるんか? >>1
田中英道「秦の始皇帝はユダヤ人であった」日本国史学会 第69回連続講演会(2019/9/14)
Hidemichi Tanaka
https://youtu.be/EV9w3zQCWg0 >>1
黄河文明はコーカソイド、つまり白人の文明だった。
夏王朝は「西方の牧畜民=コーカソイド」が築いた? - るいネット
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=243011
龍信仰を体系付けた紅山文化は五千七百年年前の寒冷化で崩壊して新たに小河文化が誕生します。
この小河文化それを担っていた人々は西方の要素が濃いとされおり、実際に発掘調査の結果、旧満州や黄河流域にはコーカソイドが住んでいたことが確認されています。
つまり現在中国と自称する国が有る地域は、白人に征服された歴史を持つ間抜けな地域であり、
間抜けな黄色い雑種のコーカソイド、それが中国人である。 >>252
やまとのあがたは全然古いぞ
今の位置とは少しずれてる可能性はあるらしいけどな >>261
で?
倭人伝読んだ?
>>262
それと中国人の耳を一緒にできるセンスがな
分かる? 桃太郎とヤマタノオロチだよ、つまり瀬戸内の海戦に勝利して中国山地の鉱山を抑えて強大になった
さて西から東に行ったのか、東から西に行ったのか
宇佐の神託は天皇家に関わる 琉球王国だと古代のままに日本のことをヤマト、その首都をオオヤマトと呼んでいたと言う >>268
縄文時代に独自に列島には縄文土器をはじめとした文明が起こっていた
離れ小島と往還できる航海術をもっていて、そこからとれた黒曜石が列島各地に流通していた >>1
田中英道「アイヌは”先住民族”ではありえない」第63回 日本国史学会 連続講演会 2019年2月9日 拓殖大学
Hidemichi Tanaka
https://youtu.be/wKHtdY4GqeU
◇田中英道(東北大学名誉教授、当会代表理事)
「12世紀以前の日本史にはアイヌの痕跡が一切存在し無い。」
ハプログループY (mtDNA) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97Y_(mtDNA)
ハプログループY (mtDNA)(ハプログループY (ミトコンドリアDNA)、英: Haplogroup Y (mtDNA))とは、分子人類学で用いられる、人類のミトコンドリアDNAハプログループ(型集団)の分類のうち、
ハプログループNの子型ハプログループN9を祖先に持ち、「8392 10398 14178 14693 16126 16223 16231」の変異により定義されるものである[1]。下位系統はY1とY2にわかれる。
アイヌとオホーツク人
アイヌはハプログープYを持つが、縄文人には全く観察されていない。
いっぽうオホーツク人のなかにハプログループYが確認され、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明した[7]。
結論:アイヌは13世紀頃(鎌倉時代)にオホーツクから渡って来た「後住民族」で有り「侵略者」で有る。先住民族では無い。
縄文遺跡 北海道
://www.google.co.jp/search?q=%E7%B8%84%E6%96%87%E9%81%BA%E8%B7%A1%E3%80%80%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93
>>4,7
>>19,71
>>113 ID:4X3dcfLo0
噛み付くだけで自分の意見はないやつw 日本は中国から漢字を輸入した後、それだけじゃ表現できないからカナを発明したわけだが、
他にもそういう国はあるの? >>1
【世界最古の縄文文明】
1998年に世界最古となる1万6千500年前の土器が日本(青森)で発見された。
(その数ヶ月後に中国で1万7千年前の土器が発見された!と報じられたが、国際的な学術検証が為される前に「アイヤー、何者かに盗まれたアルヨ!」)
世界最古の文明は日本から? 【CGS 日本の歴史 1-2】
https://youtu.be/7DK8zIy2Fzg?t=1m56s
大平山元I遺跡(おおだいやまもといちいせき)
://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B9%B3%E5%B1%B1%E5%85%83I%E9%81%BA%E8%B7%A1
因みに、世界最古の磨製石器(3万5千年前)も日本(群馬県・岩宿遺跡)で発見されている。
更にその後の全国的な発掘調査で、日本の磨製石器は3万8千年前の物まで遡る事が判明した。
これらは勿論、断トツで日本が世界最古である。
https://youtu.be/GyLwODomZmY >>1
五毛党 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%AF%9B%E5%85%9A
五毛党(ごもうとう、英語: 50 Cent Party、拼音: wǔmáo dǎng)とは、中華人民共和国における中国共産党配下のインターネット世論誘導集団を指すネットスラングである。
正式名は網路評論員(インターネットコメンテーター)であり[1]、2005年ごろまでは書き込み1件当たり5毛(0.5元)が支払われていたことからこの蔑称が名づけられた。網軍[2][3]と呼ばれることもある。
通常は一般人を装い、インターネット上のコメント欄や電子掲示板などに、中国共産党政権に有利な書き込みをする。
または共産党「それに関連する事」を批判する人に対する集団攻撃をする。ネットを通じ、世論誘導をする役割を担っている。
2015年時点で、約1050万人程度いると見られている[4][5]。中国政府が世論操作のためにSNSに投稿させている「やらせ書き込み」は、年間で4億8800万件に上るという[6]。
中国「五毛党」のやらせ書き込み、年間4億件超=ハーバード大研究発表
https://www.epochtimes.jp/p/2016/05/25689.html 別朝こじつけ論者は馬鹿で証拠や記録無視してしつこい
考古学では大和朝の拡大はあってもそれ以外の対抗存在はない
中国の記録では倭国大乱平定時に大和王朝が選出されたとの下りしかない
これを別国邪馬台曲解するのはアホ痴呆。江戸時代から卑弥呼=神功論は成立してるというか
その解釈が日本近代における古代のモチーフで正しい
戦後馬鹿サヨが作った邪馬台別国論が虚構 >>252 続き
記紀の四道将軍譚や日本武尊の話をみれば、古代九州特に南部九州は、日本(やまと人の根拠地/天皇の在所)からの
遠征地だったし、つまり北部九州も邪馬台国/邪馬壹國=やまとのくに(日本国の首都=天皇の本拠)とは極めて考えにくい。
特に言語/方言的にみてもね。関西(奈良)にしてもそれは同じ。 >>1 魏志倭人伝をどこまで信じて良いかは置いといて
記述的には南方系文化なのが邪馬台国
大和朝廷にはそういう文化が全くない >>252 続き
記紀の四道将軍譚や日本武尊の話をみれば、古代九州特に南部九州は、日本(やまと人の根拠地/天皇の在所)からの
遠征地だったし、つまり北部九州も邪馬台国/邪馬壹國=やまとのくに(日本文明の中心地/首都)とは極めて考えにくい。
特に言語/方言的にみてもね。関西(奈良大阪京都)にしてもそれは同じ。 >>1 だからさw
魏から見てどうなのかってのが問題であって、倭国を代表する邪馬台国ってのが北部九州にあると錯覚すりゃそれで成立する
大和朝廷は倭の平定を目指して拡大していたけど、古来大陸への玄関口であった北部九州がそれとは別個に邪馬台国として、
外交することは充分あり得る
半島南部は目と鼻の先だから北部九州が勢力を置いていたとしても不思議はないし、
そこでのいざこざもあって魏と交渉をもったと考えるのは自然
記紀に魏との交渉が出てこない以上、大和朝廷は蚊帳の外 卑弥呼は神功皇后で、邪馬臺はヤマトであり、畿内にあったというのはシンプルでわかりやすく江戸時代までの通説であったが
明治時代に、卑弥呼は九州の豪族の女酋長で、日本の王と僭称して中国と貿易していたという異説ができた 大和王権の前身はヤマタノオロチこと邪馬台国
緩く日本全体を統治してたが
そこへ大陸からやって来たのがスサノオウ
まずは出雲を支配しそこから打倒邪馬台国で
邪馬台国はスサノオウにヤマタノオロチとして倒された
これが天照のひきこもりの真相
そしてスサノオウは宝剣草薙の剣を手に入れた
スサノオウはその後国作りに邁進した
しかし、後年、ヤマタノオロチの子孫である日向の神武に打倒された
これが出雲の国譲り
そして宝剣草薙の剣を取り戻した大和はこれを国宝として祭った
大和が一端出雲に倒された真相は恥じだから隠された
これが古代史の真相
ヤマタノオロチこそ大和であり邪馬台国である 金印もらって外交してる倭の代表国の邪馬台国(ヤマト国)
それを畿内で後発の大和王権が中国の内乱のゴタゴタで曖昧になった時に
うまいこと入れ替わったんだろうよ
大和王権「以前からお付き合いがあったヤマトです。今は畿内に都うつしたのよー。よろしくねー」
中華「オッケーでーす(なんか違くね?)」 >>288 >>1
神社(建物)の一番古い形式(伊勢神宮などの神明造)をみれば明らかに南方系(蒸暑い日本自体の発祥?)だしね。
日本語も儒教徳川トクチョン嘘吐き類が勝手に言ってきた何の共通点もない朝鮮語系ではなく、太平洋語族と共通しているしね >>299
実際のところ倭国は九州のことでおそらく大倭王の最後は台与
日本の王を僭称したのは土蜘蛛を討伐した勢力の裔の倭の五王あたりかな 倭国=前はヤマイコクは日本列島全部と朝鮮半島旗南部を
版図にした古代の大国だ。
しかし663年の白村江の戦いで敗北し国力を失った。
倭の別種である小国の日本が倭を併合した。
その際に日本は倭国からパくれるものは
歴史であれ文化であれ文学であれ何でもかんでも
パクリ、おりじなるを証拠隠滅で焚書した。
ただヤマイコクと倭の五王は中国側史料に
バッチリあるのでパクリたくてもパクれなかった。
わずかに「神武の東征」とかでほのめかしてるが
神武の東征なんてないよ。
大日本帝国敗戦後に○○○が
「剣道と柔道と茶道と万葉集の起源はウリ」
とほざいて全国駅前一等地を不法占拠したのとそっくり。
畿内説やってるクズは○○○と同じで薄汚いよ。 >>288
> 記述的には南方系文化なのが邪馬台国
> 大和朝廷にはそういう文化が全くない
それは肯定しかねる。
磐余彦の右腕とも云うべき重臣中の重臣大久米は黥面の者であったと記紀に伝えられている。
同じく磐余彦伝説の冒頭、「出九州記」とでも呼ぶべきパートは南方色が濃い。
ヤマト王権が少なくとも主観認識としては南方との関連を認めていたと見るべきか、
それとも「神武」なる謎に満ちた存在がヤマト王権にとって異物だったと見るべきか、
何れを採るかで評価は正反対の方角へ向かう。 いずれにしても九州島だけで完結してしまうんだよなあ
んで、畿内を中心とした歴史は何時から始まるの?(笑) そもそもヤマトの語源は山のある所という意味
まさに山がちなわが国を呼ぶのにこれほどふさわしい名前もない まあ、これだけ崇神天皇の代の人たちの名前が出てくるんだからねぇ
・・官有 伊支馬(いきま)
垂仁天皇「伊久米入日子伊佐知命」イクメ・イリビコイサチノミコト
・・次曰 彌馬升(みます)
皇后「氷羽州比賣命」ヒバス・ヒメノミコト
・・次曰 彌馬獲支(みまかき)
皇太子(後の第12代景行天皇)妃「美波迦斯毘賣命」ミカハシ・ビメノミコト
・・次曰 奴佳醍(ぬはだい)
皇妃「沼羽田入毘賣命」ヌバタノ・イリビメノミコト
・・対海国と一大国の大官 卑狗ヒコウ
垂仁天皇と同じ母は御間城姫の崇神天皇の子
「彥五十狹茅命」ヒコイサチノミコト
・・邪馬台国が帯方郡に派遣した使者 都市牛利
四道将軍の一人で丹波に派遣された丹波道主命 中国の史書に倭国と日本は別種なりと書いてある
だから九州にあった倭国が弱体化してのっとられたんだろうな
あと神武が実在したか知らんけど
畿内の大和が権威の邪馬台の血統欲しくて王子くれって言ったら
邪馬台国の分家の日向の末っ子を寄越したんだろ
それで畿内側で反対してたのがナガスネヒコでバトったと
これを神武東征ってことにした >>308
「邪馬臺」の文字を記した魏人の音韻は漢語の上古音末期から中古音初期に当たる。
その発音はシァマーテイ又はイァマーテイと推定されている。
果たしてこれが当時の列島語のヤマトなる音を写したものかどうか。
即断には躊躇を覚える。 なんにしても、鍵は末盧国にある
これが九州にあるのか、九州以外にあるのか、で話が決まるわけだが
1223年(貞応2年)に源頼朝の落胤とも伝えられている豊後国守護の大友能直が、『新はりの記』や『高千穂宮司家文』等の古文書をもとに編纂した『上記』(うえつふみ)に
石川県の羽咋に押し寄せたオロシを迎撃するため、直入(現在の竹田市)で兵を集めて出発した皇軍の船団が
穴門のクリナカのマツラクニの港に立ち寄った
と書かれている
穴門とは山口県長門のことで、末盧国は九州ではなく山陰にあった
ちなみに長門の阿武(萩)は、古くから
山・・大和もしくは邪馬台国・・の入り口
と呼ばれ、山口の語源でもある
そして、これも崇神天皇の代
都怒我阿羅斯等が
日本に聖皇あると聞き、帰化するために
船で穴門に着いたとき
伊都都比古との名の人がいて、『おれがこの国の王である。おれを除いて他に王はいないから、よそへ行ってはならん』といった
とある >>302 続き >>1
>日本語も儒教徳川トクチョン嘘吐き類が勝手に言ってきた何の共通点もない朝鮮語系ではなく、太平洋語族と共通しているしね
関西弁/畿内方言(奈良大阪京都)は、明らかに元の大和言葉からの後の派生語だし、関西(近畿)のヤマト朝廷は、
関西よりも西の日本(ヤマト)民族/天皇(すめらみこと)および関連一族が東遷して始まったのは間違いない。 最近「ヤマト民族」の格好良さが伝わり始めてるんじゃないかなって考える時があるよ
良い事だ >>314
漢字なんてのはしょせん中国向けの表記に過ぎない
読み方はどちらもヤマト
だから日本の読み方がニッポンかニホンで論争するのも無意味 原田大六氏や安彦良和氏の説は学術的には価値無きトンデモと看做されている。 邪馬台国はみんな入れ墨入れてたんじゃなかったっけ、大和の天照大神や須佐之男命が入れ墨いれてた記述とかあったっけ 歴史に興味もてねーのを悩んでたんだが最近はっと気づいたことがある
俺東北生まれなんだが歴史の舞台になることほぼねーから身近に感じられんのよな 邪馬台国/卑弥呼は、昭和の出版社が創作した嘘松だぞ >>1
関連性あったでしょうね
どちらも朝鮮半島からやって来た弥生人たち 中国の歴史書と日本の記紀にばっちり書いてあるのに誤解する余地はほとんどないでしょ?
紀元前
海中の島々に住む倭種すべてについての認識
漢書 楽浪海中に倭人あり、分かれて百余国を為す
紀元後
倭国(九州)の大倭王の歴史
後漢書 漢の時使訳通じたのは30余国、委奴国、師升、男王の時代
倭国大乱(桓霊の間146-189)暦年主無し
魏志 魏の時使訳通じたのは30余国、卑弥呼、男王、内乱、台与
晋書 266年の朝貢を最後に消息が途絶える
三世紀後葉〜空白の四世紀
畿内ヤマトの歴史
崇神の四道将軍派遣
景行、仲哀あたりの西征東征、ヤマトタケル等
神功の三韓征伐
五世紀
倭の五王の時代
宋書 倭王武の先祖が東に55国、西に66国、海を渡って北に95国平定した
答え合わせ
旧唐書 日本はもと小国、倭の地を併せたり >>325
「歴史の舞台」とは何か。
如何なる地域もその地域の歴史の舞台だ。
また歴史なるものの本質は宮本常一氏や柳田国男氏の謂う如く常民の日常営為なのであって、
王権の在処や戦争の動向が歴史なのではない。 ◆シン日本神代古代史◆
・高天原=邪馬台国=九州北部
・天照大神=卑弥呼+台与
・天孫(族)ニニギ命=邪馬台国系の代官一族
・神武天皇以降は、邪馬台国連合から独立した。
・十代崇神天皇が邪馬台国を制圧したので、天照大神=卑弥呼+台与が祟った。
・「高天原=邪馬台国=九州北部」説の初論者(おそらく)は、益田謙三『赤裸々の神代』(大正8年)
・天照大神の生誕地=筑紫の日向(九州の南or北)
・天孫(族)降臨地=対馬国・壱岐国・伊都国
・天孫ニニギ命の名前=アメ「ニキ」シクニ「ニキ」シアマツ「ヒコヒコ」ホノニ「ニギ」ノ命
・邪馬台国から伊都国へ派遣されたの代官名は「爾支ニキ」
・対馬国と壱岐国の代官名は「卑狗ヒコ」
・日向三代は邪馬台国の代官の系統なので、独立した存在とは言えないから、天皇とは認定されなかった。
・畿内に独立国を成立させた神武天孫族系が、その後に高天原=邪馬台国と勢力争いになって、十代崇神天皇の御代に、かつて祖先が属していたた高天原=邪馬台国を制圧してしまった。
・欠史八代は天孫族と高天原=邪馬台国との争いの歴史なので、古事記・日本書記の記述はカットされた。
・・・なので、天照大神=卑弥呼・台与に祟られる事となった。
崇神天皇は祟りを鎮める為に、
ニニギが台与から授かった、ヤタの鏡を地元神と一緒に宮中で祀ったが、祟りが収まらないので場所を替えて祀った。
そして後に、ヤタの鏡は倭姫に託された。
それが、伊勢の神宮の由来である。 初代征夷大将軍の坂上田村麻呂
坂上田村麻呂の祖先は大和政権の中枢である軍事と財務を担った渡来系の東漢氏
その渡来系(弥生人)である坂上田村麻呂が征夷すなわち蝦夷や隼人といった
弥生人の侵入によって南北に分断された夷(縄文人)を征伐する初代将軍に選ばれたのは
歴史の必然 邪馬台国ネタは出版社だけが煽ってて
文化庁や政府は完全にスルーしとるのが、嘘松という証拠や まあいずれAIの発展でほぼ全てが解明されるよ
それもそう遠くない
俺は筑紫平野・祇園山にベットかな、本命過ぎてつまらん賭けだが >>281
モンゴルのパスパ文字とか
ちなみに朝鮮王朝はハングルの使用を巡って「ハングルなんてとんでもない、漢文を常用すべきだ。漢字以外の文字を使っている日本やモンゴルみたいな未開の国に堕するぞ」と意見する重臣もいたとか >>323
晋書では
倭人は帯方の東南、大海の中にあり、山島に国を作っている。土地は山林が多く、良田はない。海産物を食べている。昔は百余の小国がたがいに接していた。魏の時に至って、三十の国があり、親しく交流した。
戸数は七万あり、男子は大人、子供にかかわらず、みな、顔と体に入れ墨している。
自ら太伯(呉)の後裔という。
昔、夏の少康の子は会稽に封じられると、髪を切り、入れ墨して蛟龍の害を避けたが、今、倭人は沈没して魚を取るのを好み、少康の子と同様、入れ墨して水鳥を追い払う。
だから >>329
ライト層だが
魏志倭人伝 →邪馬台国、卑弥呼
隋書倭国伝 →大和王権、聖徳太子
なんだろ
なら、空白の日本史は中国大陸に眠ってる古書を探せよって思うわ 卑弥呼がヤマトの人なら記紀にそれっぽい記述あるんじゃねーの? 残念ながら、タージ・マハルのように何でも左右対称にして国造りを行う人たちって今もいるんだよなあ(笑) >>336
西倭(九州)の狗奴國(国賊の公孫氏の領土だった倭奴國)と
東倭(畿内)の邪馬台国(公孫氏を滅亡させた司馬氏に増封された領土)
共通の朝鮮半島の倭國領「狗(奴國)邪(馬台国)韓国」から
西倭(九州)の狗奴國に行くときは、対馬国 ー 一支国 ー 筑紫国
東倭(畿内)の邪馬台国に行くときは、対海国 ー 一大国 ー 末廬国 神武天皇は紀元前711年生まれ
年代的に邪馬台国とは無縁だな 邪馬台国だの卑弥呼だの、ただの当て字で中国人が得意の卑しい漢字を当てはめてる
実在したとすれば
ヤマト国の巫女だろ? 西暦241年の皆既日食がどのルートを通ったか確認してみなよ
天の岩戸伝説が分かるから 邪な国に住む矮小な人の卑しい巫女って中国の悪意しか感じない当て字だよな 斎王の風習も似たようなもんだな
どっちかがまねたのかもしれないしもっと昔から当たり前にあったものかもしれないが >>318 補足 >>1
>関西(近畿)のヤマト朝廷は、関西よりも西の日本(ヤマト)民族.. が東遷して始まったのは間違いない。
かといって、九州でもないのは >>289 でも書いた通り。
(神武天皇が、例えば母方が東九州などだったりして、そこから東征(大阪奈良征伐)に出発したとかはあったかも知れないが) 俺は邪馬台国の読みがヤマタイコクで九州から東征して奈良に来た説を信じてるが 、だいたい同じ事を>>1は言ってるのに畿内説に持って行ってるのは草
魏志倭人伝「九州辺りから来た!」
日本書紀「九州から来た!」
古事記「九州から来た!」
畿内説信者「九州説は魏志倭人伝の誤り!邪馬台国は奈良!」 邪馬台国の先にはクソほど国が広がってるから、邪馬台国の支配地域なんて実にスケールの小さい話
大陸の史書に記述されたのも、たまたま大陸と近い位置にあって接触できただけだね >>1
邪馬台国は福岡だろw
畿内とは外交は無かったしなw >>351 >>353
当時の列島語でも巫女あるいは御子をミコと発音したと一応は肯定しておくにしても、
漢語の上古音や中古音で「弥呼」をどう発音したか調べてみると卑弥呼=日巫女(日御子)という通説もかなり怪しくなってくる。 >>358
ヤマトを大和と表したのは日本に漢字文化が伝わってからの話だな
邪馬台と表するのは中国人の嫌がらせ >>352
西暦241年?
西暦247年でも西暦248年でもなく?? 中国の方はとっくに文字があり歴史があるのにじゃっぷらんどにはまだ何もない
不思議なもんだな
島国で孤立してるとさすがに文化も育たない
引き籠もりになって知らぬ間にダメ人間になるお前らにも相通じるものがある >>361
漢字はあくまでも当時の中国人が当てただけ
日本でなんと発音されてたのかは不明だが、当時の中国語の弥呼の読みに似てたのだろう
そして接頭語に「卑しい」を付け足したのは中国人のいやらしさ 東征をそのまま事実として受け取るのは、文献に頼りすぎな気はする
普通に考えて、わざわざ九州から奈良まで移動するか
何のために?
卑弥呼の死から大和朝廷成立の間に九州から攻め上がって奈良に安定政権作るとか有り得るかな
何らかの理由で九州の神を自分たちの神話に取り込むための作り話と考えた方が自然じゃね? 邪馬台国は、大陸に近い九州(辺境)地方の有力豪族ってところでしょ
地域限定である程度の力があったとしても、日本全体を統治していたような王権ではないよ >>364
日本に文字文化がなかったなどと何故言い切れるの?
それよりも、朝鮮人の文字文化が笑える
ハングル文字が制定されたのはつい最近
しかも日本が朝鮮を併合した当時の識字率はわずか2%だってw
文明の発達した日本と中国に挟まれた地域なのに、朝鮮人は未開人だったのだね
正確に言うと、当時の朝鮮人は南方アジア系の古代朝鮮人を蹂躙したエベンキ族の末裔 ???「邪馬台国とか卑弥呼とか…あれ作り話ですけど…」 じゃっぷらんどと大陸なんて今でこそ近いしすぐそこだが
まだこの時代は航路も確立してないしよほど交流の浅い距離感だったのだろう
もっとも航路が確立したと言われる時代よりもよほど前から往来は出来ていたようだからこそ少しは文明をもらっている
しかし大陸の文明とのタイムラグを考えるとその距離は無限に等しい
引き籠もって足腰も弱いお前らがお隣さんまで半日かかるとしたら絶望的に浦島太郎になるのと同じだ
その後大陸とのタイムラグが少なくなった頃から比較的短期間に文明が同期してることを考えても、当時引き籠もりだったお前らの足腰の弱さは絶望的だ
お前らが毎日ぎゅうぎゅう詰めになって同期したがるのは先史時代の悪しき記憶の影響かもな >>366
骨肉の争い
伊邪那岐命と正室の伊邪那美の嫡流である
綿津見大神&九州の筑紫城
vs
伊邪那岐命と側室の根之堅洲国の女との傍流である
天照大神&熊野の邪馬台国と、建速須佐之男命&出雲の葦原中国 >>368
挑戦に勝ってもなんの価値もない
>>372
お前のキャラ付けがさっぱりわからん
お前はチンクなの?グック?ジャップ? 瀬戸内海沿いに海を見下ろす形で高地性集落が点在して広く騒乱の痕跡があるということで
瀬戸内海を突っ切る形で勢力が九州から近畿方面に移動していったのは間違いないと思うな
これを東征伝説とすると邪馬台国時代よりかなり前の出来事 日本の学会で考古学でも文献学でも畿内説優勢とかなんでなん?
TBSの諸説ありでは中国と台湾の学者は三人とも九州説だったね 吸収説ってギシワジンデン頼みだもんな
当時のシナって、日本列島は東西じゃなく南北に伸びてるって認識だったよな
だったら日本列島のどこに邪馬台国があってもおかしくないw
考古学は嘘つかんw >>366
逆に考えれば一貫して畿内に中央政権があったのなら権威権力の正統性に関わるのになぜわざわざ九州から移動してきたと創作しなきゃいけないのかと言うことになる
史実であれば隠しようがないからと言えるが
創作なら危険な不安定要素になってしまう
九州側の勢力が正統性を主張しかねないんだから 記紀ですら言及しない邪馬台国との連続性に拘る畿内説に疑問を感じる >>12
卑弥呼の時代に奴国は衰退して漢の鏡が全然出てこない時点で、邪馬台国の九州説はファンタジー
考古学者で九州説を推す人は殆どいなくなったよね 空白の4世紀に邪馬台国から大和王権に移動しただけのこと
主に稲作の伝播によって領地も広大になっていったのではないかと思う
複雑に考えると混乱するしね >>1
天皇万歳な奴らは天皇制共産主義でもへっちゃらな奴らだぞ多分wwwwww でも中国人が邪馬台国記録しておいてくれて良かったよな
自国の歴史すら中国様頼みなのはネトウヨは気に入らないかも知れないが 考古学者で九州説を推す人はもうほとんどいないよ
研究が進むほど、九州が邪馬台国ではない事を裏付ける証拠しか出てこない現状、すでに九州説はもう邪馬台国の候補地から外れてしまった
むしろ九州説を推す人は証拠も根拠も何一つない中で、盲目で妄信的なカルト集団として誹謗中傷を繰り返す迷惑な存在となってしまった >>389
数だけたくさん出てきて決定打がないこと自体が畿内説の弱いところ 関係無いと思うけどね
そもそも資料少なすぎで事実がどこまで正確かわからんし 大和国(奈良)→邪馬台国
日巫女→日巫女
魏人はわざと周辺国に卑しい字を当てるんだよ
邪馬台国は東夷(東の野蛮な奴らが住む場所)にある言うてるし ちなみに九州にあった国は球磨や曽於
大和国に滅ぼされた 連続性あるというなら三種の神器の1つの鏡が大型内行花紋鏡と言われてるが、
邪馬台国が九州というなら北九州からも出てるので関連性があるかもしれない。知らんけどw 天子の歴史を捏造したときに寄せ集めた伝承のなかに邪馬台国もあったかもしれないというだけのこと
だいたい天子と大和王権の関連も怪しいわw 邪馬台国は福岡・筑豊の田川地域にあった-。福岡県田川市など地元8市町村の首長が1日、同国の女王卑弥呼を地域共通のシンボルにする「卑弥呼連邦」の樹立を宣言した。卑弥呼をキーワードに広域観光ルートの開拓やガイドの育成などを進めるという。
地元の文化財担当者は厳しい見方を示すが、「細かいことは言わないで。古代史はロマンですから」と関係者
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/660288/ 驚愕!日本は1400年前から民主主義だった!?
https://youtu.be/7exq-19BdB0
国民は大御宝 九州弁って~たい
って言うから
ヤマトたい→ヤマタイ
な? 大和王権が邪馬台国を統治してたんだよ
吉野ヶ里にしても遺跡も出土する品々にしても、少なすぎてとても全国統一のレベルにない 今の立憲民主党も国民民主党も元は民主党だったんだ
南海ホークスがダイエーホークスになり、ソフトバンクホークスになる
そら、邪馬台国(ヤマタイコク)を引き継ぐ政権が
大和王権(ヤマトオウケン)を名乗るのも同じじゃね 日本神話の時代が、九州倭奴國・漢委奴国王
そして神武東征で、
九州倭奴國・漢委奴国王と
畿内ヤマト王権・天皇家の2つに分裂
神武が死亡後、
畿内ヤマト王権・天皇家が
九州倭奴國・漢委奴国王を討伐して再統一
崇神天皇の時に
後漢の帯方郡の九州倭奴國・漢委奴国王として
後漢の遼東太守の公孫氏と共に、
漢王朝に皇位の禅譲を迫り皇位を簒奪した「魏」に対して独立を宣言
「魏」に惨敗して対馬ルートは封鎖して、他人のふりして出雲から、邪馬台国・卑弥呼として使者を派遣して
漢王朝に皇位の禅譲を迫り皇位を簒奪した「魏」に冊封され
魏の三公の一つ太尉の司馬懿が公孫氏を討伐して掌握した帯方郡に属して
畿内ヤマト王権・天皇家が引続き親魏倭王 邪馬台国が大和朝廷の先祖だったら、記紀に邪馬台国関連の記述が大量にないとおかしいやん >>403
時代が逆転してる
神武東征は紀元前の大阪河内湾の地形を描写している
船で草香邑にたどり着けるのは紀元前の間のみ
それ以降は土砂が堆積して船でたどり着けない 邪馬台国に追われて九州南部から畿内に落ち延びた部族の末裔がヤマト王権の主体 >>362
当時中華から四六時中攻めてこられたわけでもなかろうに何で中華の威光がほしかったのか? 対立するクナコクは中華には接触してないだろうか。ほかのクニも。んで、鏡持ってたら周辺クニはははーって悪代官状態になったかというとそうでもないだろうにね。 別系統だろ、邪馬台国の外の国だと思うわ
邪馬台国は多分九州内だろ 3世紀頃には西日本ほぼヤマトだよ
古事記、日本書記、随書、旧唐書、新唐書
初代天皇は阿蘇山にあり
後で奈良へ都を移したと
当時日本だけではなく、外国でも同じ認識 >>401
邪馬台国がいつ日本全国統一してたと書かれたの?妄想やめろよ >>393
いや、そんな常識以前のことを書かれましても……
>>1にもあるけど、その「ヤマト」という地名は奈良にも九州にも
あるという話ですね。「日巫子」というのも奈良にだけあったという
根拠はなさそうですし この問題(邪馬台国の場所)っていつになったら解決するの? >>413
卑弥呼の古墳が見つかるか時間移動できるまでw 「倭国」はともかく、「日本」については「ジャモト→ヤマト」の読み方が関連しているといえなくもない ヤマトもヤマタイも中国読みではイャーマドゥだよ知らんけど >>400
「邪馬台国」は中国語の読み方で漢字を当てただけ。
発音はほぼ「ヤマト国」。 >>397
こういうカネ目当ての町おこしで歴史捏造する連中って
日本という国自体が信用されなくなるという自覚がないんだな
旧石器でこりろよ >>405
弥生後期や古墳時代でも河内湖は東大阪付近まで伸びていたし、
現在とは川筋が異なるが寝屋川や恩智川等の川を遡ることも
できただろう。
ちなみに東大阪市日下の西側に「鴻池新田」という地名があるが
ここは江戸時代に大和川が付け替えされる前は「新開地」という
大きな池だったらしく、開発されてからも水路が多く残り、舟で
往来していたようだ。 >>417
三国時代の中国語の読み方がまだ全部はわかってない
邪の読みがわかってないので、なんと読んでたのかはわからない
これを上古音という
卑弥呼はピミフかプミフと読んだ
日本の漢字の読み方から探そうとしても無理 >>419
九州って、急激に過疎が進んで大変なんだよな
察してやれ
畿内というか近畿も人口減に転じてるけど 大和王権は神武天皇が、反日親中売国政権であった邪馬台国を打倒したもの >>420
草香邑は生駒山の麓にある
白肩津に船を止めると草香邑
川を遡上なんてしてない >>423
神武天皇は紀元前711年生まれ
邪馬台国は2~3世紀
時間軸が合わない 邪馬台国はどこでも良いが
宮崎県西都市妻地区が投馬国だった説は譲れない >>1
普通に九州のヤマト(山門)だろうなと想像できるけどね
そのヤマト勢力がのちに東征したんじゃないの?
シロウトの考えだけど だから邪馬台国は日本全体を統治してねえって言ってんだろうが
地方豪族なんかどうでもいいの >>423
神功皇后の熊襲征伐の方がまだ可能性ある
山門の田油津媛が卑弥呼四代目あたりなら時代も合うし >>1
根拠が何も書かれてなく畿内説ありきの思い込みで書かれたポエムだから、学者ではなくただの物書きの文章だな そもそも邪馬台国の「台」は「と」と読むのが正解なんだよ。
だったら結論はもう出てるだろが。 坂本龍馬 過大評価がバレる
邪馬台国 各地で町おこしビジネス
税金が歴史捏造で大量に使われてるからな >>433
まだ歴史検証出来るから良いじゃん
…「キリストの墓」の保全に税金かけるよりは… 機内と九州の中間で岡山でいいんじゃね
桃太郎伝説と上手く絡めて 普通に別にあって邪馬台国が滅んだ後、大和が政権拡大していって元邪馬台国を飲み込んで行ったのが自然だろ? >>424
>遡流而上
「流れを遡って」としか書いていないので川の可能性もあるでしょう
どちらにしろ、あのあたりは少なくとも川が流れ込んでいる湿地では
あったはずで、舟で「白肩津」までいくことは十分可能だったのでしょう >>428
> 東征したんじゃないの?
奈良県の方が、遺物が大量にでる、遺跡が大きい
土器から本州内での物流が確認されている
とにかくデカイ古墳
もう弥生時代には大きな勢力になってることがわかる
ショボい集団がやってきても蹴散らしてしまう
大和を取れるのは、時代的にもっと前じゃないと無理だよ また、学会から誰も相手にされてない九州説のコピペが大量に貼られる訳だね。 >>1
そそそ。
コンスタンティヌスの事
新羅って😂🙊🤣げらげら >>439
鉄器という最新技術を持った人々が移住してきて、地元の
豪族と婚姻して勢力を伸ばしているところに、九州から
別の人が現れてその人たちと同様に地元豪族に婿入りして
地歩を固めた、ということも考えられないこともない >>425
即位年がおおよそわかってる雄略からあとの平均在位年数で、雄略より前を遡って即位年を推定すると神武の即位年は2世紀なかば >>1
我们ウーマンじゃん?
woman、あーー!!
😂🙊🤣げらげら >>440
借りにこの「遡流而上 」を「浪速之崎」だとすると、それ以降の
「白肩津」までの行程については何も書かれていないことになるので
当然川の可能性も否定できませんよ 偉大な中国の王様は朝鮮人だったのに
突如出てきた日本が全て奪ったんだろ!!!
日本は弁償し続けろ!! >>1
違う!!!
😂🙊🤣
🇬🇧イギリスも極東にいたのか?!
抑、王様定住してない
皇帝は天の上の人 中国人の骨が
🇬🇧ロンドンで出土しちゃったwwww
古代支那から掻っ攫ってきた奴婢?? >>441
地方王国?
日本を全土を支配しその中枢だったのに
歴史勉強したほうがいいよ 年表
〜57年 倭国の首都は伊都(福岡県糸島地方)
57年 漢から奴国(福岡県筑紫郡)の王が金印を授かったことにより伊都国王よりも奴国王のほうが偉くなり、新王朝スタート。初代の神武天皇(漢委奴国王)が即位。首都は筑紫。
57年 金印の御威光により神武天皇の兄弟が新羅王(脱解尼師今王)に即位
107年 第6代の孝安天皇(倭国王帥升等)が後漢に朝貢
177年 第10代の崇神天皇が即位、首都は奈良県
181年 ニュージーランドのタウポ大噴火。『崇神紀』によると「倭国の人口の半分が死んだ」
181年 『後漢書』によると「空が黄色くなり太陽が覆われた。」 「6月に雹が降った。大きさは鳥の卵ほどもあった。」「井戸の中が凍ってしまった」異常気象を示す記述は2年続く
181〜184年 倭国大乱(タウポ破局噴火の影響)
184年 黄巾の乱(タウポ破局噴火の影響)
184年 大噴火の影響で大飢饉が起こり崇神天皇が権威を失った。巫女の卑弥呼が女王になった。新王朝スタート。
184年 黄巾の乱が勃発し、漢が衰退した。漢から授かった金印の権威消失。
198年 崇神天皇が崩御した。
199年 第11代の垂仁天皇が即位した(倭王ではなく女王の卑弥呼の政治を補佐する官のトップ)
202年 『魏志倭人伝』によると官のトップは伊支馬(垂仁天皇の本名は伊久米)
237年 垂仁天皇が崩御した。
238年 第12代の景行天皇が即位した。(女王・卑弥呼を補佐する官のトップ)
238年 難升米と都市牛利が魏に朝貢した。卑弥呼が「親魏倭王」の金印を授かった。
248年 『三国志』によると女王・卑弥呼がついに亡くなった。
264年 景行天皇の息子ヤマトタケルが熊襲討伐に成功。
266年 台与が晋に朝貢した。
※卑弥呼死亡後の後継者争いによって男王制度が廃止された。景行天皇の息子ヤマトタケルが天皇になれなかったのもそのため。
※約100年間の男王(天皇)不在の空白期間
※卑弥呼と台与など女王制度の歴史を日本の歴史から消す代わりに架空の天皇である第13代の成務天皇と第14代の仲哀天皇と神功皇后を創作し空白期間を埋めた。
390年頃 第15代・応神天皇が即位した。
※学者の間でも応神天皇から新王朝スタートが定説 実在が確認できない天皇並べて何言ってんだよ
それは学問とは言わない
宗教 もろアジアの血入ってるだろwwww
🇬🇧イギリス人 ヤマト=ヤマタイ だけど、王権乗っ取ったのが一部口伝を改竄してんでしょ まあ仏教が入るまでは日本は朝鮮以下の土人国だったのは確かだな ろくな文献も存在してなかった時代は
もはや歴史の対象じゃないんだよ
考古学の分野
邪馬台国に関しては新たな遺跡とか発掘されない限り
これ以上の研究は進まない >>366
古代人を合理的に考えすぎ
現代よりはるかに地縁血縁の強い社会だろうから、自分らの出自を曲げるようなことはしないだろう
支配階級が共通して持ってた出自の伝承を、勝手に書き換えたら書の信用を毀損することになる >>463
九州の主な大古墳などはすでに発掘調査済みだよ
発掘調査の結果、邪馬台国は畿内なので
学者の99%は畿内説と言われているの
なので学問的にはすでに邪馬台国は畿内でほぼ確定済み
実際、九州説の著者はほとんど素人研究科 >>463
研究が進まない、というよりは退化してる
東海大学教授の考古学者北條芳隆氏
「いわゆる邪馬台国がらみでも(旧石器捏造事件)と同じようなことが起きている」
「証明を抜きにして仮説だけがどんどん上積みされておりマスコミもそれをそのまま報じている」
「近畿地方では古い時期の古墳の発掘も多いが
、邪馬台国畿内説が調査の前提になっているために
遺物の解釈が非常に短絡的になっている。
考古学の学問性は今や崖っぷちまで追い詰められている。」 奈良県の大和「やまと」の読みは
魏志倭人伝の邪馬台国にあとづけで合わせただけ
畿内説はホント恥知らずだわ 邪馬台国は千葉
ディズニーランド、ドイツ村、象の国がある夜のが何よりの証拠
完全論破 >>467
旧石器捏造と同じパターン
お偉いさんの説に逆らうと学会から叩き出されるから畿内説以外は発表したがらない 滅んでしまった九州王朝なんてどうでもいいだろw
古事記 日本書紀 万葉集は九州から生まれなかったんだよ >>457
なんで倭国が統一王朝を持ってる前提なのさw
魏志倭人伝でさえ邪馬台国と対立する国の存在を明らかにしている
北部九州で大陸外交を繰り広げていた邪馬台国のような国もあれば、畿内で勢力を伸長させてた国もある
記紀に対魏外交の記事はないんだから、別の国がやってたと見るのが自然じゃねえか 九州や東北の独立してた民にとっては侵略者そのものだからどうでもよかろうよ >>469
邪馬台国はヤマトだった
というのは分かりやすいし嬉しいんだよね
あぁ、我らが天皇は弥生時代から日本を統治していた世界最古の王族なんだ
みたいにね。
でも本当の歴史を知りたいなら現実から目を剃らしてはいけない
45 ウィズコロナの名無しさん 2023/09/18(月) 11:25:03.28 ID:uHbStqA80
>>42
当時使われていた中国上古語音で卑弥呼はピミフかプミフ、またはビミフと読む
呼をコと読むのは日本独特の読み方
日巫女が転じて卑弥呼になったというのは、現代日本人にしか通用しない謎理論
55 ウィズコロナの名無しさん 2023/09/18(月) 11:52:05.99 ID:uHbStqA80
>>50
邪の上古音はまた未解明だよ
?馬臺は、?マタイまたは、?マダイ
マがマーと伸ばす長音だった説もある そもそも邪馬台国なんて国家が実在したか? たぶん、無い
魏志倭人伝の記述は検証不能な自己申告でしかないから、虚偽かもしれない
実体は大和王権の外交儀礼研究センターだったと思われ やっぱ邪馬台国は邪魔台湾国だよな
つまり台湾が邪馬台国 >>444
所詮鉄器も大した量がないし、吉備と淡路からの供給があるのに
わざわざ他所と手を組む必要がない
現に3世紀の後半には奈良の古墳から鉄剣が出だす >>475
そういう「誇らしい過去」を喜ぶ奴が多いから
神武天皇は海賊あがりで、ヤマトをクーデターで乗っ取った悪人だ
というストーリーには拒絶反応をみせる 当時の日本語が今の日本語と全く違う
どちらかというと古代朝鮮語に近かったと言われる
だから邪馬台国の発音も古代朝鮮語でどう呼んでいたのか研究すべき >>473
漢委奴国王(筑紫王)の兄弟である新羅王(脱解尼師今王)が京都出身なので
漢委奴国王(筑紫王)も畿内の人間だったと考えられる
筑紫と畿内は、最初から親族関係があった そもそも日本は失われたパン大陸の一部だからJapanって呼称になった。
それを踏まえると邪馬台国は海底に沈んでる やまと と やまたい
方言とか訛りで実は同じ国の事だろ ロシアが中国のことをタタール言うのと同じで近くにあったのがヤマトなんだろ 大阪湾が広大な干潟で、
そこに至る瀬戸内海が群雄割拠していた時代に、
ジンムというやつが大阪湾から上陸してヤマトと戦った、ここまでは史実だろうね >>484
55 ウィズコロナの名無しさん 2023/09/18(月) 11:52:05.99 ID:uHbStqA80
>>50
邪の上古音はまた未解明だよ
?馬臺は、?マタイまたは、?マダイ
マがマーと伸ばす長音だった説もある >>473
なんだろう、邪馬台国をヤマト王権とみなすのはほんと「中国信奉」の最たるものだよね
中国と密接な国だから日本の最大中央政権であったに違いないという思い込み
実際には邪馬台国の卑弥呼なんて河川周りの水利権で争ってた人たちを占いで争いないよう利権分配してただけの存在なのにさ 文字がない時代、口伝だけで規則とか命令を伝えたのなら、今の我々よりかなり記憶力よかったのかもしれない。
中国との通訳とか優秀だったのかもね。通訳は文字操ったのかね。 >>485
そうでもないぞ 奈良の生産力はしょぼいが、尾張と伊勢の軍事力がでかい
物資の動く長良川経済圏の一端が熱田神宮だったよ >>468
現地実物調査の権威主義の問題もあるからね
現物を実査に調査したかどうかで評価に差が出る
しかし当然のことながら現地調査や実物調査は誰でも自由にできるわけではないので
それなりのコネがないと出来ない
そういうのは公的機関やその分野の大御所が仕切ってるから
そこに反する学説のやつはなかなか調査できない
もっともわかり易い例だと任那日本府実在を主張してる学者がいたとして
韓国の現地調査の許可がありるかといえば絶対におりない
逆に韓国側から許可がおりてるやつはたいがいあっち側の学説に迎合してる
畿内・九州でも同様の傾向があるだろうしそうなると考古学はあてにならない >>490
誤解多いけど卑弥呼は下賜品への返礼文書を中国の使者に渡してるから文字はあったよ >>483
その古代パン大陸はどこらへんまで続いていたんだろう? 九州から初期装備で出発して瀬戸内の両岸の王たちと戦って最後奈良の大王と戦う、なんでこんな壮大なRPGないの? >>493
帯方郡あたりで中国の役人に頼んだ可能性もなきにしもあらず 外から見てると畿内説とか妄想レベルでまともな証拠示してくれてないのに、有力な学説として残ってるの闇が深すぎる
退くに退けなくなった老人が死んだらこのへんまともになるの?
デカい遺跡があるから邪馬台国みたいな報道をメディアが無批判にするの本当に良くないと思う 中国は元寇を義務教育で教えない
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1625458108/
ゴースト・オブ・ツシマで知った人も
そりゃあ元寇は中国にとって都合が悪い史実だからなw
まず中国が蒙古に征服されたという屈辱の歴史w
あと、蒙古の走狗となって日本を侵略しに行ったという、ぜったいに隠したい歴史w >>484
そういうの意味ないよ
亜米利加(アメリカ)
英吉利(イギリス)
アベイリカとかエイキチリとか読んだりしないだろ。それと同じ
中国人だって当て字だってわかるから
正確な上古音を調べても意味がない 「倭の水人は、沈没して魚や蛤を捕ることを好み」
「気候は温暖で冬でも生野菜を食べる」
記述されている風俗が南方の海洋沿いのものなんだが
畿内説を主張するのはバカとしか思えん
「倭人の男子は、身分の高い低いに関係なく皆体や顔に入れ墨をしている」
大和朝廷だれも入れ墨してねーだろ
してたんなら早く入れ墨しろよ >>36
むしろ関連がないと考えるほうが不自然だと思うが、いろいろ政治的な理由で関連がないことにしたいだけ >>501
そりゃ、九州は畿内に支配されてたんだから
九州の風習を倭の風習として書いても不思議ではないだろ >>178
畿内説派が桃の種が出たから畿内だとか無茶苦茶なこと言ってたから、そういう意味では岡山はありえるねw
まあ実際は九州のどっかなんだろうけど 当時は日本と韓国を合わせて一つの国みたいな概念だったんじゃないの?
韓国語と日本語は似てるし方言みたいなものだし >>504
中国でも桃は神聖な食べ物で、神聖な儀式に使われるよ。
なんで九州からは神聖な食べ物が出てこないの? 日の元の国は突如あらわれたんだよ
宇宙人から作ったのかもしれない >>506
妄想じゃないよ
北部九州の主な古墳は発掘調査済みで
邪馬台国の時代には北部九州の王の権威が低落してることは物的証拠から判明済み >>505
西暦663年くらいまでは朝鮮半島南部は倭国の支配が及んでた 当時畿内の遺跡からはユーラシア大陸産のもの
出てないじ >>507
九州では神聖な養蚕の痕跡が出ている
畿内は? >>467
真理は多数決で決まらないんだけどね
旧石器だって専門家の99%は間違ってたよねw >>457
天皇の即位と崩御の西暦なんか、どこに書かれてるんだよ(笑)
「細かいことは言わないで。古代史はロマンですから」
か?(笑) >>437
邪馬台国(ヤマト国)が大和(ヤマト)に制圧されたと考えるよりは、邪馬台国(ヤマト国)と大和(ヤマト国)は同じ国と考えるほうが自然だと思うんだが ネトウヨ思考
・日本人は縄文人の子孫
・日本語は縄文語の子孫
・Y遺伝子Dが自慢
・縄文文化を縄文文明という
・邪馬台国は九州と主張
・日本が中華に朝貢したのが許せない
・アイヌ人はシベリアからやってきた虐殺者
・なぜかエベンキという民族に関心がある
・古史古伝や日ユ同祖論などのオカルトを信奉
・邪馬台をじゃまたいと呼んでしまう低学歴
・国学者の九州説をなぜか反皇国史観と思い込む
・魏志の漢字を何故か現代音で分析してしまう なんにしても、鍵は末盧国にある
これが九州にあるのか、九州以外にあるのか、で話が決まるわけだが
末盧国の言い伝えが残るのは、山口県の長門だけ
1223年(貞応2年)に源頼朝の落胤とも伝えられている豊後国守護の大友能直が、『新はりの記』や『高千穂宮司家文』等の古文書をもとに編纂した『上記』(うえつふみ)に
石川県の羽咋に押し寄せたオロシを迎撃するため、直入(現在の竹田市)で兵を集めて出発した皇軍の船団が
穴門のクリナカのマツラクニの港に立ち寄った
と書かれている
穴門とは山口県長門のことで、末盧国は九州ではなく山陰にあった わざわざ中国から使者が来て回って記録残すくらいだから向こうも興味持つくらい列島に散在するいろんなクニから使者なり交易の商売人みたいなのが行き来してたのかもしれんな。そうすると邪馬台国の前後に記録にない大きな集団がいたかもしれない。
あるいは邪馬台国は卑弥呼の時代よりもっと上代から中華と交易なりやりとりがあったのかも。いきなり卑弥呼が派手なデビューして始まったならあいても怪しむよ。 >>485
淡路島に日本最大の弥生時代の鍛冶遺跡があるって知らないから、そんな古い資料を使ってドヤ顔なの? 古代朝鮮の伽耶には日本人の遺伝子を持った高貴な人々がいたと判明
https://nazology.net/archives/110991
縄文人が朝鮮半島に移住していた可能性
ウィーン大学で行われた研究によって、古代朝鮮の南部に存在した「伽耶」の古墳において、
日本人に特徴的な縄文人のDNAを多く持つ人々が埋葬されていたことが判明しました。 トンデモ論になってるホツマツタエが案外マジ論じゃね?w
日本書紀や古事記でツジツマ合わないところが合致するし
出雲も大和も九州説の熊襲の上の国もホツマツタエだと残ってる遺構とも合致するし
ただ、ホツマツタエは江戸時代に書かれたで正解だろうけど
なぜか? 日本書紀の時代に本当の事書けないからw
江戸時代の幕府で天皇薄れた時にできた暴露本www 今でもかけない
だって出雲も大和(奈良)も東北も渡来になるからなぁ >>20
わかる
でも平成の大合併とかも起きたし
京都の四条上ルとかも数字で通用するようになったし
消えたものも多そう
「○○新地」なんてのはまんま歴史消したんだろうし 纏向からは天蚕の布が出ている。
九州の蚕と違って超上質の特級品。 >>516
邪馬台国自体が複数の国の集合体だろ?他の離れたところに強力な国があってもおかしくはない。 なんにしても、鍵は末盧国にある
これが九州にあるのか、九州以外にあるのか、で話が決まるわけだが
1223年(貞応2年)に源頼朝の落胤とも伝えられている豊後国守護の大友能直が、『新はりの記』や『高千穂宮司家文』等の古文書をもとに編纂した『上記』(うえつふみ)に
石川県の羽咋に押し寄せたオロシを迎撃するため、直入(現在の竹田市)で兵を集めて出発した皇軍の船団が
穴門のクリナカのマツラクニの港に立ち寄った
と書かれている
穴門とは山口県長門のこと
ちなみに山口県長門には伊都都比古という王もいたよ >>525
あなたの言うことのほうが正しくて
地名は変わる
だからさかのぼって当時こう呼ばれてたからさらに古くもこうだったかもしれない
とはいうことはできるけど確かじゃないし
ましてや今の地図からみた地名だと状況証拠程度というか だいたい大和は尾張、丹波、吉備等の物の集積地だったらしいが、そこで産まれたのが大和政権だろ? 日本書紀に熊襲が出てくる次点で九州はないよ
東北の蝦夷まで含めた大連合が大和 例外は熊襲
土蜘蛛と言われた奈良の土人は後入りの朝廷に討伐された
まぁ家系残ってるみたいだけどw >>509
皆
の部分を意図的に曲解するのはなんで?
そんなに都合悪いの? ちなみに長門にいた伊都都比古は、
渡来人の都怒我阿羅斯等が
日本に聖皇あると聞き、帰化するために船で穴門に着いたとき
『おれがこの国の王である。おれを除いて他に王はいないから、よそへ行ってはならん』と入国を拒否してる なぜ邪馬台国なんて持ち上げられるのか分からない。女王というワードが影響してるのか? 畿内説=大多数の考古学者が支持する学説
九州説=知識の乏しい素人が信じてる俗説 答えなんて新しい何かが見つかるまで出ないのに何で争ってるんだろう
妄想vs妄想にしかならんぞ 畿内説のソース=学者が書いた論文や文献
九州説のソース=邪馬台国の怪とかいう同好会や素人のブログ >>537
いかにも権威に弱い奈良県人の考えそうなことだ
自分のあたまで考えることを放棄している
もはや白痴だな ディープステートが世界を裏で支配してると主張する陰謀論者たちを「Qアノン」と呼ぶ
邪馬台国が九州にあったという俗説を信じてる陰謀論者たちを「九アノン」と呼ぶ ネトウヨはオカルト信者が多いから九州説なんだよな
だから東日流外三郡誌やホツマツタエやウエツフミや先代旧事本大成経とかが大好き。
結局はオカルトマニアの反知性主義で日本学術会議を叩いて恥もない。
だからこそ九州説の妄想を否定してやらねばならない。
ネトウヨ撲滅せねば市民への弾圧が始まる。 佐賀には軍事貿易拠点の国あったよ それが天皇の血筋の人も出入りしてる
ただ中心ではない ヤマト奈良~伊勢
出雲も渡来でタタラ鋼持ってきた人 アンニョンハセヨ >>538
邪馬台国のものかどうかって点においては証明されてない
これは畿内説も同様だけどな >>1
本当に関係あったのであれば一書で触れる程度ではなくて本文で書いただろう? まず九州北部には大きな遺跡がない
人の集団が集まる都市部は人の数は、そこの利用する人の数で広がるが
吉野ヶ里ですら所詮奈良県の唐古・鍵遺跡と変わらないレベルしかない
当然纏向遺跡とは比べ物にもならない
纒向遺跡はまだ20%しか発掘が済んでないが、既に他からの搬入土器だけで1000点もの土器が出ている
これは当時の物流の中心が奈良県の纏向にあった事を証明している
またそれぞれの搬入土器から吉備と東海の土器が多くあり
交易拠点としての纏向のポテンシャルが見て取れる
当時の古墳の規模も明らかに奈良県や周囲の畿内の方が大きく、動員できる人間のリソースの多さを証明してる
最古級の箸墓古墳ですら、今現在でも日本で11番目の規模を誇る前方後円墳であり、このレベルの古墳は九州北部には無い
こんな大規模な大和を中心とした集団にしれっと東遷したと言うのは、現実の見えていない証拠
大和がまだ発展してないのは、紀元前の時代であって
まだ日本の人口が少なく、文明レベルが低い時代のみの話し 魏志倭人伝をはじめ歴史的資料には関連性はどこにもない
それでも関連付けたい考えを持つ者が多数いる
邪馬台国九州説を頑なに否定してる機内説は無理がある >>545
ぶっちゃけ畿内説も妄想の範疇やで
そこの大きな権力を持った支配者がいたって点については間違いないけどな
それが邪馬台国であるって証明にはなってない
ほとんどピースの残ってないパズルの全体像について揉めてるだけだもんな >>507
そもそもモモ信仰を邪馬台国の卑弥呼がやってたなんてどこにも書いてないし
岡山などでも大量の桃の種は見つかってるんですが 学者とかはつい難しく考えるけど、ヤマトと邪馬台は音が似てるしなんか関係ありそうって簡単に考えればいいんだよ 邪馬台=大和(ヤマト)だろ
大和政権自体九州から奈良に遠征してるんだし九州と奈良の双方に大和の痕跡があって当然だし 九州人が魏志倭人伝信じるのもいいけど、日本書記で熊襲クマソって言われてるじゃん
朝廷についた九州人が後の隼人だった?忘れた
_ _
(O>――<O)
/(・) (・)ヽ
○ /▼\ ○
|(ヽ二フ) | クマった
/  ̄ ̄ ̄ ヽ
f ヽ / |
ヽ \ / ノ
|\_ )(_/|
| |
| |
| | ̄ ̄| |
(_ノ ヽ_) >>522
弥生時代の海の勢力図
http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/doigahama/a2.jpg
瀬戸内海は北部九州を本拠地とする海人族の支配下
弥生期の鉄製ヤス出土 淡路で近畿初
https://www.infokkkna.com/ironroad/2018htm/2018iron/18iron03.pdf
> エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
> ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。 >>549
逆に言うと魏志倭人伝の記述からしたら畿内の遺跡は立派すぎるんだよね
そんなに立派ならそう書いてるはずなのに書いてない
九州の遺跡のほうがそのショボさも含めて記述に合致する 九州北部は大陸との交易を牛耳ることができたというのも、単なる願望による勘違い
日本各地の銅鏡や銅鐸は、銅鉱床が日本国内で見つかる奈良時代まで、基本全部輸入品の再利用が前提であり
銅製品が広く分布している以上、日本各地との交易は普通に成立していたと考えることができる
また鉄器にしても、まだ日本では製鉄が行われていない弥生時代に、材料はすべて輸入品の再加工で賄っているため
同じく九州北部が全部抑えていたということはない >>390
卑弥呼の時代に最大規模の集落と前方後円墳というだけで最有力地
九州は卑弥呼の時代に衰退して漢の鏡もほとんど無く朝貢すらしていない
しかも北九州を畿内の支配下に置かれていた事実もある中で、邪馬台国の九州説を推す考古学者はもうほとんどいないんだよ
願望や妄想を抜きに、事実と根拠だけ見たら畿内と言わざる終えないんだから 日本神話時代の事を他国が客観的書いているって凄ない?
日本神話は事実というソースやんけ そもそも大和の大連合は出雲とか九州女国あるけど元ルート違う渡来人らだから気にすんな
熊襲とアイヌはネイティブジャポンの縄文人だった?w クマみたいて書かれてるし(;^_^A 別に近畿と九州は対立するものでもなんでもない
縄文時代から交流も普通にある
英彦山は縄文時代の狩猟の跡が残っていて新潟のヒスイも見つかっている
博多からは播磨の土器、福岡平野からは本州で流行っていた方形周溝墓
弥生時代後期は更に交流が活発になっていた >>560
だが日本書紀や古事記には邪馬台国の事は書いてない
邪馬台国は魏志倭人伝にしか書かれてないから
だから謎すぎる 記紀に邪馬台国関連を記録してないから、大和朝廷は邪馬台国を隠したかったんだろ 卑弥呼の時代に九州は漢と朝貢してない時点で邪馬台国の候補地から完全に外れたよ
もう畿内からは覆せない
https://i.imgur.com/aBmrDMe.jpg >>562
邪馬台国は広域連合だったってあるんだから九州四国一部近畿までの広域連合だったって考えもありと言えばありだよな
個人的には東遷説の方がわかりやすいとは思うけど 国交のない別の国だったから日本書紀や古事記に書かれてないだけ
そもそも大和王朝が九州支配したのは5世紀以降
邪馬台国が滅んだずーと後 そもそも遠賀川は南方刀美の地だろう
大阪の石切神社の上之宮には黒い龍神が祀られていてトミの一族の伝承が残る
九州も元々国作りのメンバーなんだけどな >>563
なのに記紀に魏志倭人伝の引用がえるんだよな
邪馬台国を知ってたのに記紀に記述してない >>559
時代は推定年代で時期がかぶってるというだけ
衰退だの外交状況だのはさじ加減でなんとでもいえる
(今の日本だって衰退国家で後進国だって盛んに喧伝してる連中がいるよね)
北九州が畿内の支配下にあったかどうかなんて時期がすこしづれれば
政治状況は変わるんだから根拠にならない
学問的真理はアカデミズムの多数決では決まらない(旧石器捏造はその最たる例)
残念ながら畿内説と断定するだけの証拠はでてない >>569
どの説も感想妄想多すぎるから意味ねぇんだよな
ロマンはロマンで収めておくのが良いと思うわ
古代史を魏志倭人伝を中心として考えるのは問題あるしな
かといって完全に無視すると資料がなさすぎる ゲッターロボアーク朝鮮人特有のなりすましだろ
相手を眠らせた後に殺したのを誇る卑怯者な >>569
邪馬台国論争はその始まりから現在まで感想の言い合いですよ 文献が残ってなければゴミなんだよ
公文書を黒塗りにしたり破棄してる今の自民党のようにな >>572
記紀書かれたのは天皇が国の中枢で絶対権力の時に都合の悪い色々は書けない
消された古代の神々もいるしなw 天孫降臨も付けたしじゃ >>572
記紀自体が歴史資料としてどこまで信用できるかってそこそこ微妙なんだよな
今後新しい資料が出てくるとは思えんから謎のままで終わりそう >>471
そもそも九州の証拠が一切ないから、論文も全部の妄想と願望によるファンタジーにしかならなくて九州説の学者は相手にされてないもんな >>572
そうじゃなくて当時の日本人の記憶にはもはや500年前のことなんで
きれいさっぱり忘れていて
でも執筆を担った中国系知識人がこういう記述あるよって載せたんだろ
ただそれだけ >>580
>>579
記紀は都合よく歴史を改竄してるのは間違いないわな
空白の150年間くらいによほど拙いことがあったんだろ >>573
無理だよ
九州の衰退とは、九州は漢と朝貢していないという意味も含まれてるのにその事実を否定はしてない時点で、どう考えても畿内に軍配は上がるよな そういうのを歴史で研究することをタブーにされてるからなw
実質今の天皇自体が、最大でもただの数百年前からの系統で
事実とは違うのを、日本書紀からのファンタジーとくっつけてる
最悪幕末からの歴史しか無いかもしれん奴らが天皇名乗ってるわけでな・・・
北チョンの金豚の捏造先祖歴史なんかバカにできんわw ヤマタイなど言うものは存在していない。
「邪馬台」はヤマトの当て字なのは間違いないと思う。
江戸時代に学者が言い出すまでは日本でもずーっとヤマトと読んでいた。 >>581
畿内説も学者の解釈によるものばっかりで確定的な証拠なんてないぞ
畿内説は魏志倭人伝の内容は間違ってるって考えてるのに邪馬台国にこだわりすぎてる気がする
魏志倭人伝を考慮せずに歴史資料だけで考えると邪馬台国の存在自体が曖昧になるわ >>579
古事記
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98
帝紀を撰録(せんろく)し、旧辞を討覈(とうかく)して、偽りを削り実を定めて、後葉に流(つた)へむと欲(おも)ふ。
偽りを削り
偽りを削り
偽りを削り
歴史改竄が行われてそう 【邪馬台国m9(^Д^)プギャーぎゃはははははw】
魏志倭人伝は第二次世界大戦後1949年以後に書かれてる偽書と確定してる。
先に日本に先制攻撃してきた清国との日清戦争で日本は戦勝国となり日本が中華民国を建国した。中華民国の法定通貨は圓(円)です。犬養毅首相が日本に亡命してきた蒋介石と一緒に写真に収まってる。日本が建国した中国で中国人は日本語教育を受けてたから日本語がしゃべれる。中国の指導者幹部は今でも日本語がしゃべれる。中華民国は大日本帝国陸軍建国、中華人民共和国も日本の早稲田大学の学生が建国した。
邪馬台国は邪魔な台湾にいる国民党という意味であった。
邪魔台湾国民党→邪魔台国民党→邪魔台国→邪馬台国(100%日本語)
中国は日本が建国したので中国人は日本語で魏志倭人伝を書いた。
当時の中共が台湾に亡命した蒋介石国民党のことさして台湾の金門島が邪魔だ!という意味であり
「邪馬台国は台湾の金門島のこと」と確定している。
中共が金門島に武力侵攻して日本の将軍の指揮により撃退した史実から
100%「邪馬台国は台湾の金門島」で確定済みだ。
そもそもシナ人チャンコロは息を吐くように嘘付きだしシナ人は本物の漢民族じゃない偽ものでありそのシナ人が書く歴史書もシナ人の嘘だらけだからなw
日巫女→卑弥呼(100%日本語で夜露死苦的なw)
そもそも畿内説を言う学者の多くは「魏志倭人伝は第二次世界大戦後に書かれた偽書である事実」は知ってるわけですw
じゃあ何の利益があってわざわざとぼけてるのか?
→全ては「予算ゲットのため」ですw
→そもそも偽書であるため邪馬台国はそもそも存在しないため一生見つからないから永遠に「予算ゲット」出来るからですw 九州説者でも勘違いしてる人多いけど、まず畿内に日本を代表する王権なんて作るチカラないから
邪馬台国と大和王権が関係ないわけないわ >>568
3世紀に石塚山古墳という前方後円墳が出来たんだよ
もうその時には北九州は畿内に支配されてる >>585
邪馬台国は九州北部のただのムラ
既に大和の傘下に下ってる Wikipediaには同じって書いてるよ(笑)
魏志倭人伝などの中国史書では日本(ヤマト)は「邪馬臺」国と借音で表記されている。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC >>594
そもそも前方後円墳イコール大和朝廷の支配地域って考えるのが間違い
前方後円墳は当時ブームになった宗教だろ >>589
どんだけ畿内を否定しようとも、歴史は九州を否定してる事実には変わりない
九州と違って畿内は発掘されてない古墳ばかり
時間の問題だよ >>590
例えば武烈天皇の悪逆が古事記にはない
そういうのだろ >>590
トンデモ論のホツマツタエ面白いよ
たぶん今でも宮内省のごく一部しか知らない歴史てあるんだろうなーみたいな
江戸時代に当時の神道関係者が作った暴露本だと思う(;^_^A >>584
良く分からんけど畿内から漢のアイテムはほとんどドロップしないぞ 土地ごとの特徴はあっても前方後円墳はヤマト王権の支配地域の特徴だよ
覚えておきな 関係ありませんね
魏志倭人伝に記載されているのは「邪馬壹(ヤマイ)国」です
後漢書の邪馬臺(ヤマタイ)は「邪馬惟(ヤマイ)が訛ったものだ」と書いてあります
https://i.imgur.com/Y4EHDju.png
ガチで『八女たい』だった可能性がある >>606
普通に常識なんだけど
お前こそ根拠ないんだよな >>586
自分自身もファンタジー語ってることに気づきもしないw >>562
纒向遺跡とは無関係だな
https://i.imgur.com/kJQCRWL.jpg
吉備25%
東海20%
河内20%
山陰、北陸17%
阿波、讃岐、播磨8%
近江5%
西瀬戸内3%
紀伊1.5%
駿河0.5% 日本書記の編者は魏志倭人伝の卑弥呼の記述を知っていて無視している。
天皇家にとって不都合な事だったのだろう。 >>611
九州や朝鮮の土器がない時点で九州に国交のない国があった証拠なんだよねこれ
九州に大和と国交のない邪馬台国があったと考えるべき >>566
あ、また旧石器捏造並みのゴッドハンド地図出してきた
なんで真実から目を剃らして日本史を捏造しようとするの?
畿内説は位至三公鏡の年代を中国側の記録より100年くらい前倒ししている
http://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku365.htm
> 「位至三公鏡」とよばれる形式の鏡がある。
> 昨年の2017年11月の講演で紹介した『洛陽銅華』(岡村秀典氏監訳の日本語版では、『洛陽銅鏡』)には、「位至三公鏡」の類といえるものが、
> 十二面紹介されている。いずれも「西晋」時代の鏡とされている。
> 西晋王朝は、「西暦265年~316年」のあいだつづいた。すなわち、卑弥呼の時代のあとの、三世紀末から、四世紀はじめごろに存在した王朝である。
> この表のものに、さきにのべた「洛陽晋墓」出土の八面の「位至三公鏡」を加えれば、年代のほぼ確定できる十二面の「位至三公鏡」のすべてが、
> 西暦285年以後に埋納されたものといえる。すべて、西晋時代のものである。
略
> ここで、さきに、「わが国出土の『位至三公鏡』」をまとめた前の表を、今一度ご覧いただきたい。
> この前の表(わが国出土「位至三公鏡」)には、「漢鏡」の欄がある。そこに、「6期」とか「7期」とか、記されている。これは、右の岡村氏の規準により、
> 七期の区分の、どれにあたるかを示したものである。
> これによれば、わが国出土の「位至三公鏡」の年代は岡村氏の区分によるとき、つぎのようになっている。
> 「漢鏡6期」に属するもの………………………11例
> 「漢鏡7期」に属するもの…………………………7例
> (うち、「7期」とのみあるもの3例。「7-1期」とあるもの4例)
>
> これは、岡村氏のさきの区分の年代では、「後漢中期」から「後漢後期」までのものとなる。実年代で、「二世紀前半~三世紀はじめ」のものとなる。
> つまり、「卑弥呼遣使前」の年代となる。
> ところが、これは、岡村秀典氏監訳の『洛陽銅鏡』に示されている十二面の「位至三公鏡」が、いずれも、「西晋」代のものとされているのと、あきらかに矛盾する。
> 「西晋」代は、すでにのべたように、「西暦265~316年」であって、「卑弥呼没後」の年代であるからである。 >>566
なぜ、そんなことになるのか。
> それは、岡村秀典氏が「景初四年鏡」をふくめ、「三角縁神獣鏡」の年代を、卑弥呼の時代のものと、きめてかかるからである。
> わが国において、(位至三公鏡)の年代は、その出土遺跡や、その遺跡から出土する土器の形式からみて、(岡村氏の鏡の編年によっても、)
> 「三角縁神獣鏡」の年代よりも、古く位置づけなければならない。
> 「三角縁神獣鏡」を、卑弥呼の時代のものと設定すれば、「位至三公鏡」を、それ以前の「後漢中期」から「後漢後期」のものと設定せざるをえないのである。
> しかし、「事実」は、「位至三公鏡」は、おもに、西晋時代(265~316)のものである。「三角縁神獣鏡」は、そのあとの、主として、四世紀の、前方後円墳時代、
> 布留式土器の時代のものなのである。
>
> 岡村秀典氏の鏡の年代論は、みずからの著書で示す年代と、監訳本のなかで示されている年代とのあいだで、矛盾している。
> 監訳本のほうは、中国に原文がある。岡村氏も、大幅に内容を変更することができないのである。そのために、矛盾が生じている。 >>566
1:中国で主に西晋時代に流通した「位至三公鏡」は主に福岡、佐賀県から出土し
奈良から確実な出土例はない。
2:「位至三公鏡」より形式的に前の中国鏡についても北部九州を中心に出土する
3:九州出土の「位至三公鏡」は弥生時代の遺跡から出土するものもあるが
九州以外の「位至三公鏡」はまず古墳時代の遺跡から出土していて
伝世鏡か踏み返しによって作られた鏡か
どちらにせよ古墳時代に埋葬されたものと見られる
4:これらのことから魏の後を受け継ぐ西晋の西暦300年頃まで鏡の出土分布は九州北部が中心だったと思われる。
5:「位至三公鏡」よりも形式的にも出土状況も後の時代の「三角縁神獣鏡」は畿内、奈良を中心に出土する。
6:西晋の記録には西暦266年に倭国の女王の使いが来たことが書かれている。
この際に鏡を受け取ったのならそれは「位至三公鏡」であった可能性が高い。
7:西暦266年に受け取った鏡が「位至三公鏡」であるのならその鏡が主に出土する九州北部が
西暦300年頃まで
中国との外交の窓口であったと思われる。
結論:邪馬台国は九州北部 >>614
つまり九州が朝貢してない事実は認めるんだなw >>584
そもそも魏志倭人伝は九州中心に書かれていて九州重視してるのは明白でしょ
モノだって弥生後期までの鉄や絹は畿内に存在せず北九州からのみ出土するし
三世紀の銅鏡の大半が北九州から出土しているでしょ
なんとでもいえるよ >>616
ほらな
九州説はカルトw
妄想とファンタジーでこじつけるw 邪馬台国でなく邪馬壱国が正しい。
勝手にヤマトと読むのに異論はないとか、おかしい。決めつけるなよ。 >>611
その%の実数が1000ってのが大和の当時のポテンシャル
しかもまだ8割未発掘な状態での数だから
実数はもっと上がるし、この数には畿内大和の土器は含んでいない
圧倒的な物量を後から取るだけのポテンシャルのある国は存在しないので、東遷にはもう時期が遅すぎる そもそも畿内に倭国大乱の痕跡が皆無
邪馬台国畿内説は破綻してる >>618
九州が発展してないなんて言ってないぞ
九州は2世紀に発展したが、卑弥呼の時代には衰退して朝貢すらしていない
2世紀の出土品を並べたところで無意味だよ
https://i.imgur.com/aBmrDMe.jpg 関係ありませんね
<旧唐書より>
倭国と日本(ヤマト政権)が別記されている。
https://i.imgur.com/LMs5IbV.png
◆倭国条 ~631年 (倭国時代末期)
「倭国者,古倭奴国也。」
(倭国はいにしえの倭奴国である。)
※漢委奴国王の金印は福岡で発見されている
◆日本条 701年~ (畿内ヤマト政権時代)
「日本国者,倭国之別種也。」
(日本国は倭国とは別種である)
そして古代倭国との関係について
日本国使者があれこれ言い訳をする。
「日本舊小国,併倭国之地。」
(小国だった日本国が倭国を併合した)
↑
これは遣唐使に倭国と日本が別国だったという認識が無ければ出てこない言い訳だ。
「其人入朝者,多自矜大,不以實對,故中國疑焉」
(其の入朝者、多くは自ら尊大、真実をもって答えず。故に中国、これを疑う。) >>623
特大ブーメランで草
九州こそな~~~~んにもないんだよね >>600
非主流派の神道関係者が作った捏造本だろうね
しかし、捏造ってのは一部に真実を含むから厄介で、
序文の低劣な捏造と、地方の神社が伝えてきた異伝とは読み手が分別しないといけない >>582
つまり4世紀以前の日本書紀の記述は信憑性がない >>626
いやいや九州に多くある2世紀の環壕集落跡は戦乱の痕跡だろ
鏃とかの武器も大量に見つかってる
2世紀の畿内に環壕集落は皆無 古事記のその前の部分
朕(われ)聞きたまへらく、『諸家のもたらす帝紀および本辞、既に正実に違ひ、多く虚偽を加ふ。』といへり。今の時に当たりて、其の失(あやまり)を改めずは、未だ幾年をも経ずしてその旨滅びなんとす。
前の歴史書(帝紀、本辞)には事実と違うことや多くの虚偽があった、とある
これが消したい歴史だったんだろうね >>506
早速ファンタジー歴史信じる盲心バカがバカレス書いてて草すぎだわw >>610
おまえがファンタジー低脳なんだよバーカww >>604
だからその旧石器捏造並みのゴッドハンド地図持ち出して日本史捏造するの止めてください 古墳時代は2世紀の東日本の前方後方墳から始まり西日本へと広まった
定型化した前方後方墳
【高尾山古墳(辻畑古墳)】静岡県沼津市
後方部墳頂の埋葬施設(木棺直葬)から銅鏡片や勾玉、鉄鏃などが出土したほか、
周濠部で高杯などが見つかっており、これらの出土遺物や墳丘形態などから
3世紀前半~中頃の築造と推定されている。
これを多くの学者が3世紀前半〜中頃と編年しているにも関わらず、畿内説の寺澤だけが3世紀末だと言い張っている
箸墓古墳を古墳の起源と位置付けたいがための工作である >>629
2世紀の集落になんの根拠があるの?
九州は2世紀に発展したが卑弥呼の時代の3世紀には衰退している話をしているんだが、俺の話を補足してくれるのかな >>626
そもそも2世紀に鉄が手に入らない畿内が鉄の武器が作れた九州を支配するのは無理 >>628
そもそも日本書紀自体が朝廷の都合の良いように編成された創作記録だからな。
書かれた年から見ても数百年前の出来事を文字もなく正確に記録している訳もなく その当時から大和国ってでかい国があったけど
魏の使節を呼んだ人達はそれとは違う小国やけど見栄を張りたいから
「わ、我ら『やまとぃ国』にようこそ」とか嘘ついてたかもしれんし
魏の訪問団も「こいつら嘘こいてるし資料も適当に書いとくか」
で魏志倭人伝の出来上がりかもしれんし
小競り合いしてる場所でみんな正直に話すなんてありえんし
魏志倭人伝を信じすぎ 私は纏向遺跡が「ヤマタイ国」だと思う
もちろん、纒向の小規模な宮殿が国家機能の中心だとは考えられない
ヤマタイは「国」ではなかったんだと思う
同じように、天皇家の祖先とされた「九州王朝」も嘘だと思う そんなの無かった
海賊ジンムを担ぎ、クーデターで大和を乗っ取ったニギハヤヒたちがでっちあげた新興国大和と架空の神話と考えれば、
史実との整合が良くなるのだが、
その結果、天皇家の正当性は地に落ちるのが困ったことだ >>638
大和に文字がなかった時点で邪馬台国は大和じゃないのバレバレ
楽浪郡と繋がりがある国なら漢字を使ってたはずだし 邪馬台国時代の鉄が少ない地域がヤマトになったんだね
~ 中国史書に記された卑弥呼時代 ~
魏志韓伝によると、ちょうど鉄器時代ということもあり、
半島では中国に供給できるほどの鉄が取れ、倭人たちも
鉄を求めてやって来ていた様子が描かれている。
(弥生時代の鉄器出土量)
https://i.imgur.com/UKtbTwc.png
卑弥呼とは、倭国大乱で対立していた国々によって共立された女王である。
その女王に属する国々が女王国=邪馬台国連合である。
しかし女王国の南にはまだ反対派の狗奴国があり、戦争が勃発していた。
海を挟んで東には他にも倭人の国がたくさんあった。
少なくとも卑弥呼時代においては、全国統一には至っていない。
なお三国史記にも卑弥呼時代が記録されており、卑弥呼が女王となったのは2世紀後半と推測できる。
AD173年:倭の女王卑弥呼が使者を送った
AD193年:倭人が飢饉。多くの避難民が半島にわたって来た
248年、卑弥呼が死に、次の王として男王が立ったが、国中が納得せず内乱となり、1000人以上の死者を出す始末。
そこで卑弥呼の親戚でまだ幼かった臺与を女王とすることで、ようやく平和が訪れた。
しかし臺与時代AD266年の朝貢を最後に、女王の記録は途絶える。 >>642
朝鮮の土器や九州の土器が見つかってないのに? >>637
淡路島が西日本屈指の鉄器生産地だったことすら知らないんだね
まさに卑弥呼の時代の鉄器工房跡も見つかってるさ >>612
卑弥呼は百襲姫だろ?
伝承だから別人と思われてるけど卑弥呼だよ >>642
纒向遺跡は九州支配できてない国の遺跡だぞ?
https://i.imgur.com/kJQCRWL.jpg
吉備25%
東海20%
河内20%
山陰、北陸17%
阿波、讃岐、播磨8%
近江5%
西瀬戸内3%
紀伊1.5%
駿河0.5% >>619
ファクトを突きつけられてその返しは流石に正気を疑う
君は畿内説の矛盾に気付けないだけの知能過小症な人?
それとも矛盾に気付きつつ天皇家の歴史は邪馬台国時代から続いていたんだという
願望を優先して歴史を捏造したいだけのアレな人? >>642
随分と無知ですね
後漢書によれば邪馬臺は後漢時代すでに存在しており代々王を継ぐ30国からなる事が記されている
魏の時代で7万戸規模という事は後漢時代からそれなりに大規模な勢力であったと推測されます
しかし180年頃共立された女王卑弥呼の権力も240年頃には狗奴国と戦争に陥ってしまうほど衰退していたと思われます
畿内説(邪馬台=ヤマト説)の主張はこうした記録と全く整合してない >>624
100年古くずらしたゴッドハンド地図w あほくさ
仮に邪馬台国が九州だとして、九州邪馬台国を畿内政権が滅ぼしたとして、名前をパクってヤマトとしたと解釈することも普通にできるだろ
色々パクりまくっているヤマト王権だからな 日本の誕生 皇室と日本人のルーツ
https://bookmeter.com/books/13760522
・朝鮮半島の南部は倭人が先住民であった。
・朝鮮半島からは縄文式土器が複数出土している。
・神武東征は実話を元にしている。
・百済と一時期の新羅は大和朝廷の属国であった。
著者は、日本人と韓国人・シナ人は、それぞれ別人種・別民族であることを検証している。
日本列島には古来から日本人が住んでいた。その時、大陸国家は、血で血を洗う闘争を続けていたw >>651
いや卑弥呼が出てくるまで小国家の集まりでしょ
漢の時代に邪馬台国なんか存在してない ネトウヨと日本会議と邪馬台国九州説の親和性は異常。
壺🏺連中も九州説だな
ネトウヨ宗教の教義に古史古伝が入っているから歴史を書き換えてでも邪馬台国を九州にしようとする。
古史古伝の徹底的否定が必要だ。 >>639
だから?もしかして倭国大乱は1か所で戦ったと思ってる人? >>636
>証明を抜きにして仮説だけがどんどん上積みされておりマスコミもそれをそのまま報じている
旧石器捏造事件と完全に同じパターン 神武東征が280-290より前だとすると、でたらめな朝貢で実績作りをしたストーリーになる
301年が神武東征なのか、少し前なのか、暦の検討がいるんじゃないか? >>640
ちょっと頭悪すぎじゃない?
中国に朝貢しないでどうやって位至三公鏡をゲットするのさ?
あ、大和朝廷は中国に朝貢してない、という意味ならその通りかもね >>658
倭国大乱は邪馬台国があった九州の乱だね
戦争の痕跡皆無の畿内は論外 万世一系思想みたいのが残ってて、魏に行くようなすごい奴と今の天皇をどうしても繋げなきゃいけないって考えがあるんだろうな >>649
淡路島の五斗長垣内遺跡は、だいたいざっくりと1〜3世紀だよ 吉野ヶ里遺周辺出身の研究者や著名人で畿内説唱えている人いる?
その逆パターンもいるんだろうか それにしても当時の中国が日本を蔑視して、邪やら卑をつけた邪馬台国やら卑弥呼って名称をそのまま小中学生の教科書に載せるのはどうなのかって思うよ
土人や黒人がダメで邪馬台国や卑弥呼はOKっておかしくないか??? >>646
残念ながら淡路島は九州の勢力下だったらしい
淡路島の遺跡は瀬戸内海を支配した北部九州の海人族の遺跡
弥生期の鉄製ヤス出土 淡路で近畿初
https://www.infokkkna.com/ironroad/2018htm/2018iron/18iron03.pdf
> エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
> ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
>
> 弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
> 愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
> 「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
> 今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。
https://sun-tv.co.jp/suntvnews/news/2020/11/23/31436/
> 調査の結果、4棟の工房や20棟の竪穴建物跡が発見され、釣り針などの漁具や小刀を含め、およそ170もの鉄器が出土。
> また、九州産のヤリガンナや山陰地方の土器などが見つかったほか、中国から来たとされる青銅鏡の一部が出てきました。
> 九州産のヤリガンナ
> 九州産のヤリガンナ
> 九州産のヤリガンナ >>655
弥生時代って600年あるやんw
ちゃんと邪馬台国の時代の分布出しなよw
そんなんで誤魔化そうとすんなってw 背景地に尾張という穀倉地帯と伊勢という兵士供給地があったヤマトと、
穀倉地帯が無かった九州とでは、軍事的に比較にならん
ただ、ジンムが九州出身だったように、九州の兵隊がヤマト(尾張)からの補給を得れば、歩兵として長期戦闘も可能で、
神武東征後の時期に、瀬戸内海の大国吉備が滅ぼされている ヤマタイ国じゃなくてヤマト国なのだと思うが
それが近畿の大和か九州の山門かは分からない
民族移動時に故地の地名を移動先につけるのはよくあるケースだし >>667
つまり自分で確認もしてないし、新しい情報もアップデートできてないんだな
だから話がズレる
と、言うのは表向き
同じ地図で何度も同じツッコミを食らってるのに、未だに嘘をついてることがバレてるよ >>657
古代天皇の実在を否定するのがネトウヨなんだ? >>659
それなんの否定にもなってないけどw
捏造いうなら根拠出しなよw >>630
堂々と「間違った歴史書多いんで新しく書いたよ、前のは焚書したよ」
と言っちゃってるのはほんと面白いよな
当時はそれで良かったんだろうけど、今見れば何をやったか明らかっていう >>675
だからさ、
捏造いうなら根拠出しなってw 九州説は九州のお国自慢おじさんと京大閥憎しのおっさんと関西嫌いのキチガイでできてます 2世紀の倭国大乱に結びつけやすい物証が多いのは九州
239年の魏への遣使に結びつけやすい物証が多いのは畿内
だから九州説論者は倭国大乱ばかりに話を持っていき、魏への朝貢は無視する
一つの傾向だけど、話が噛み合わないのはこういう点もあるからだろう 畿内の銅鐸祭祀文化は外来の征服王朝によって西暦170〜180年頃に滅ぼされたようだ。
この時期は魏志倭人伝の記す桓霊の頃に該当する。
畿内に倭国大乱の痕跡がないのは大嘘。
まさに畿内こそ大乱の舞台そのもの。
この征服王朝は外来のもので九州系と吉備系の祭祀文化を畿内に持ち込んだ。
これが邪馬台国であり、神武東征伝説の元ネタとなった戦争だろう。 >>677
そもそも天皇の王朝イコール邪馬台国だと考えるのが間違い
全く別の国だと考えるべき >>682
倭国大乱がない畿内に邪馬台国があったとほざくのは無理 >>680
だからさなんで五斗長垣内遺跡の情報をアップデートしてない地図を出せるん?
五斗長垣内遺跡の存在を知らないのは、流石に今言い訳として苦しい
つまり嘘情報で事実誤認させるのが目的だろ? 尾張が穀倉地帯で九州が食糧難?
このイメージのギャップは、古墳時代の稲作のスタイルに原因がある
当時の稲作は水稲だったが、谷戸を区切った水田が主流であり、
洪水のリスクがある平野部では稲作は行えなかった
だから、尾張と美濃のあいだの丘陵地帯が穀倉地帯であり、
ヤマトの影響を受けた三輪山信仰が東海地方に広まったよ 邪馬台国を滅ぼしたのは大和朝廷ではないだろ
九州のクマソだろクマソを征伐したのは大和朝廷だと思う >>384
そりゃ倭国大乱で貿易どころじゃないだろうに、その時期に鏡が減るのはむしろ当然なんだよ
その時期に鏡を増やした畿内は倭国大乱に関係なかったと証拠 全くの不勉強だからよく分からないんだけどなんで日本って古代史の情報がそんなに残ってないの? >>1
大和王権は、朝鮮半島から来た朝鮮人
邪馬台国は、古来から中国とかから来てた中国人 >>677
別に北九州に邪馬台国があっても万世一系の否定にはならんけど
どういう理屈でそうなるの? >>685
邪馬台国で倭国大乱が起きたとは書かれてない
倭国大乱から邪馬台国の場所を特定するのは不可能 >>691
そもそも2世紀以前の朝鮮は中国の一部
朝鮮と中国の区別になんの意味もない >>678
否定のデータは既に出てる
お前:NHKが出した地図だから真実に違いない
↓
俺:学者が自分の説に都合が良いように鏡の編年を100年古く捏造したデータを地図化したものでした。←ここで否定の根拠
↓
お前:文句はNHKに言ってね
↓
俺:旧石器捏造事件と同じパターン。マスコミが捏造データを検証せずに垂れ流してる
↓
それ何の否定にもなってないよね←イマココ
取り敢えずお前が貼るNHK謹製の地図は日本の考古学者が鏡の編年で旧石器捏造並みの捏造をした恥ずかしいデータだから
日本人を騙そう、日本の歴史を捏造してやろう
という悪意が無いのなら持ち出さない方が良いと思うわ。 >>688
記紀には北九州の女酋長連中を殺して周ったことがはっきり書かれてる
実際邪馬台国は倭人伝の時点で必死に大陸に助け求める斜陽国家で
4世紀には女王乱立で分裂弱体、そこをヤマト王権がトドメ刺したんだろう 瀬戸内海なんか群雄割拠で、いつも大乱じゃないか
船が安定して通れるようになったのは、ヤマトが九州まで征服した後
神武東遷というイベントも、船三隻 海兵隊150名という規模じゃ
戦争の痕跡を発掘するのは難しい 穀倉地帯という事で言えば古代に穀倉地帯として成立しうるのは福井ぐらいだという
邪馬台国北陸説というのを唱えている人がいたな 邪馬台国は九州の地方豪族で
それら豪族を統括してるのが畿内の大和王権だろ >>682
そもそもさぁ当時畿内は楽浪郡どころか九州とすら国交なかっただろ
なぜ畿内が魏と国交あったと思い込んでるわけ?
https://i.imgur.com/kJQCRWL.jpg
吉備25%
東海20%
河内20%
山陰、北陸17%
阿波、讃岐、播磨8%
近江5%
西瀬戸内3%
紀伊1.5%
駿河0.5% >>615
景初4年鏡なんか、そもそも存在しない元号である他に、作者の陳の感じは左右反対だわ、銘文は時計回りのものが多いところ反時計だわ、どうみても手本を横において作ったコピー品
こんなものを根拠にしてたんではね >>693
邪馬台国時代は『日本書紀の記述に依れば』神功皇后が三韓征伐の為に九州でブイブイ言わせていた筈だから。 >>690
大和王権が記紀やら風土記作ってた時に各地の伝承をいろいろ継ぎ合わせてグチャグチャにしたようだね
まあ、文字がない時代のことだからしょうがない
中国だって殷は歴史でも夏は伝説だろ
遺跡を見つけるしかないんだよ >>703
当時の鉄の武器の量からして畿内が九州支配できるわけがない
そもそも大和王朝が九州進出できたのは5世紀6世紀から >>694
倭国大乱で国中が治まらない所に卑弥呼を女王に立てることでようやく治まった
史書にはそうはっきり書いてある、一度倭人伝翻訳くらいは全文読んどけ
量多くはないんでそんな手間じゃない 邪馬台国は、宮崎県西都市の西都原(さいとばる)で決まり。
. >>702
あと、関東の多摩な
時代はちょっと違うが、古墳時代の谷戸による穀倉地帯だよ
これがあるから、関東は大和朝廷から半独立でいられた 邪馬台国は
中国史の三国志で、魏と同盟した、
日本のどっかの女王国って話だが?
日本の歴史で、大和朝廷は
その頃、奈良に都を造ってた
のではないかな?
歴史の話としては、
全然、共有するものは無い。
記紀をこの頃の歴史の話とするのには
疑義があるが?
近年の考古学成果としては、
邪馬台国は九州の可能性が高い。 >>624
そもそもなんで鏡が基準になると思ってんだよお前は
魏晋鏡なら九州のほうが邪馬台国時代のものが多いだろ
三角縁神獣鏡は近畿に多いけど時期が邪馬台国時代よりあとにずれるし そもそもなんで畿内説なんて根拠の無い奇怪な説が吹聴されてるんだろう? 後継を名乗る無関係政権だろ
代替わりや人が変われば変わるよね >>706
あれ年代ズレとるから
崇神天皇でやっと考古学的には3世紀後半4世紀前半
卑弥呼の時代だと孝霊天皇とか孝元天皇の頃で吉備津彦命が必死に岡山あたりを攻略してる頃だろ >>688
そもそも景行神功の熊野征伐が、宮崎側から北上したり、北から入ってみやま市の山門の縣の田油津媛を殺害して終わる
熊襲は邪馬台国を構成する連合国の一部と解釈するのが妥当では >>706
神功皇后は実在するとしても4世紀でしょ、史書にもはっきり書いてある 鉄の武器を持っていた九州が畿内を征服した邪馬台国=ヤマト王権が成立した。
ヤマト王権の女王は魏に朝貢して親魏倭王になった。
この当たり前を否定するのが九州説の古史古伝信奉者の歴史修正主義者たる由縁。 勘違いしてる人多いけど九州はこの時代全く鏡が出土しない
九州の鏡は古い時代の破鏡や鏡片、もしくは至位三公鏡みたいな民間の鏡だけ
この後の鏡は4世紀以降の古墳出土鏡
そもそも出土物は併出する新しいもので判断するので古墳出土鏡は邪馬台国時代の出土物と判断しない
弥生時代後期のだいたい1世紀くらいから実に200年以上鏡が出てこない事になる
九州は「当時の日本で最も鏡の出ない場所」と言える
だいたいそんなに鏡が本当に出てるなら誰も苦労しない >>690
帝紀、本辞とかの歴史書があったが、事実と違うこと虚偽が多いとして処分された
古事記序文に書かれている >>707
風土記の少し前に記紀を作った時ですね。
当時の天武天皇系の皇統継承を正当化するために、各豪族の伝承を
組み合わせて作られたのが記紀なのでしょう。
その旗を振ったのはもちろん藤原不比等(史)で、古事記の
稗田阿礼は藤原不比等のことかと思われます。 >>721
普通に出てるけど何言ってんの?
頭大丈夫? >>704
神武東遷でクーデターが成功し、新興国として国家体制を作っていた大和にとっては、
やっつけ仕事で朝貢を急ぐ必要があったと思うよ
神話のでっち上げも、纒向で公文書管理の儀式をテストしたのも、新興国が外交関係の樹立を急いだと考えれば納得がいく
ただし、このシナリオだと神武東遷は301年じゃなく、魏志倭人伝の280年より前だね
301年説は干支と合うそうなので、難しいなぁ・・・ 今よりもっと漢字の読みの発音は近かったと思う
「大和」なんて偉そうに。お前らみたいな辺境の蛮族は邪馬台でええやろ
って事じゃないの? あと鉄についていも勘違いしてる
弥生時代の鉄は「石器の代替品」程度の物しかない
鉄の武器で征服した等という考えは昭和の最初の頃の発想でこの時代の鉄器の資料が出そろった現在、当時の鉄器にそんな威力はないことが明らかになっている
鉄器の量は国力の差を意味しない 本当は解決済み。
大和王権の成り立ちがあまりに不明なため邪馬台国の歴史に背乗りしようとしてるのが頭の悪い考古学者ども。
つまり畿内説は霊感商法を使ったオレオレ詐欺なんですよ。
【重要】
邪馬臺国に関する記録文献は魏志倭人伝だけではありません。
伊都国のすぐ南と書かれている文献もあるのです。
『広志』(編纂:晋の郭義恭)
広志いわく、
---東南500里で到る伊都国、又南、至る邪馬臺国--
---(このあと魏志と同様に周辺国の紹介へと続く)
伊都国:福岡西区であり倭国の守衛国
↓
又南至る
↓
邪馬臺国:吉野ヶ里、甘木・朝倉、八女など有明海と取り巻く筑紫平野に存在した小国群の総称
筑後川の遺跡群
https://i.imgur.com/oMjsFIX.jpeg
最近の発見例)2023/3/30
福岡・八女市に弥生後期の環濠集落跡 吉田・辺田ノ上遺跡 岩戸山古墳の南西
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1073771/ >>728
いやいやいやいや卑弥呼の時代には九州では鉄の武器が主力になっとるわ
畿内笑は青銅がやっと >>728
それがお前の勘違い
だから低能なんだよ >>727
台は良字なんだけど
・邪馬台・卑弥呼は悪字
・短里がどうのこうの
・隋唐時代の記述を出す
↑正直この辺りは素人丸出しなんでほんと勘弁して欲しい >>689
あのさぁ、倭国大乱の後に邪馬台国が出来て朝貢なんだけど…
もうちょっとましなしなよ 何度もいうが畿内王朝が九州進出できたのは5世紀6世紀以降 「邪」だの「卑」だのといった蔑む漢字を当ててる文献を信じるのがどうかしてるよ
そんな国も人物も日本には存在しなかった >>1
安倍(木原デニー山本)高市スガ小泉河野維新系(=スパイ朝鮮(創価/同和/ヤタガラス)=似非保守:リアル左翼)がまた反日認定された
↓
杉田議員投稿「人権侵犯」認定 札幌法務局、本人に啓発 ブログでアイヌ民族侮辱 2023.9.20
/newsplus/1695160736
杉田衆院議員の「人権侵犯」認定 アイヌ民族への差別的投稿―札幌法務局
www.jiji.com/jc/article?k=2023092001261
自民党の杉田水脈衆院議員がブログなどにアイヌ民族に対する差別的な投稿をした問題で、札幌法務局が「人権侵犯」
と認定していたことが20日、分かった。救済を申し立てていた札幌アイヌ協会の多原良子さんが明らかにした。 >>698
お前の妄想はいいからちゃんと事実と根拠に基づく学術的証拠を出しなってw
もう九州カルトのファンタジーは十分w >>717
日本書紀が古代天皇は無茶苦茶長寿って嘘ついたもんだから後々まで祟るよな
仁徳天皇陵は時代的に仁徳天皇の死後に作られたから埋葬されてるのは仁徳天皇ではない
これからは大仙陵古墳と呼べ!(ドヤ顔
いや日本書紀が歴史古く盛ったせいでズレただけやろw
みたいな 2世紀の畿内の村には濠がないし武器もほぼない
倭国大乱の舞台とは到底いえない 当時の九州の考古学的状況を見れば明らかだが、九州は鏡も出ないし、絹も最盛期から激減した1遺跡からのみでそれも麻布レベルの粗雑な物になっている
鉄器も石器の代替レベル物でとても時代を変える様なものではない
また中期まで存在していた九州北部をまとめていた勢力的な物も消滅している
なによりもこの時期の九州は畿内の影響に生活から祭祀まで上書きされ元々の文化が急速に消滅していく様子が明らかとなっている
九州説とやらが全く支持されないのは考古学的に九州にまともな勢力と呼べるものも、物証も存在しないからに他ならない
大体そんな素人がすぐわかる程の物が大量に出てるなら論争になんてならないだろう
ハッキリ言って九州説など考古学を完全に無視した妄想でしか成りたちようがない >>736
いや邪馬台国内で起きたのが倭国大乱だ
後漢時代すでに邪馬台国が存在し、代々王を継ぐ国々30国から成る事が記されている
その後倭国大乱勃発し国全体が衰退した
卑弥呼を共立し、中国の力を借りて再建に取り組んだ
狗奴国に戦争を仕掛けられるほどに衰退した
そして結局は滅びた(連合解消した)わけよ そもそも2世紀後半3世紀前半に大和政権は吉備すら支配できてないのにどうして九州支配して楽浪郡と交流があったと思ってるのか謎 >>749
要するに邪馬台国って数十年しか存在してなかった連邦制のゴミ国家なんだよね 邪馬台国=ヤマト国は確実だろうな
問題はそのヤマト国がどれを指してるのかだが >>748
吉野ヶ里の日吉神社の下から巫女の墓が発見されてたろ
絹を纏いホラ貝の腕輪をして前漢鏡を抱いた巫女の遺骨が出た
畿内には卑弥呼以前に巫女が居た痕跡すら無い >>749
代々王を継いでたのはそれぞれのクニ・小国家、それぞれ王を立てて代を継いでた 旧石器捏造事件に関するWikipediaの説明が以下
魏志倭人伝の記述を殆ど無視した根拠薄弱な纒向邪馬台国説を徒党を組んでゴリ押しする姿勢を見ると、
考古学界の体質はこの頃と何も変わってないなと思う
(以下コピペ)
本来、人類の普遍的価値遺産として扱われるべき歴史的事物について、その多くが観光資源の観点に偏るかたちで地域住民に認識され、
商業的な効果を優先させるように取り扱われてきた実態が、今回の事件発覚によって明らかになった。
「前・中期旧石器」の研究が活発であった当時は批判が難しく、1986年の小田静夫、チャールズ・T・キーリーによる批判論文以後[15]、
再び反論が開始されるのは1998年の竹岡俊樹の論文1点、及び2000年発覚前の角張淳一と竹花和晴の2名に限られる。
『考古学界は捏造発覚以前の25年間、捏造を批判した学者や研究者を排斥したり圧力を加える事によって、
事実上の学会八分(村八分)にして、捏造批判の声が噴出する気運を押さえつけた。』
例えば、1980年代初頭、東京都教育庁の小田静夫(とキーリー)らが科学的根拠が疑わしく、
軽石の降下や水害が相次ぐ土地に連綿と移住した要因が不明であり、発掘された石器の殆どは水平に埋設している上に単品で出土している、
と指摘していた[15]。
1998年以後の批判の要点は、問題の石器資料群が、本来あるべき前期や中期の石器として「おかしい」という批判である。
こうした正当な批判は、2000年11月5日の毎日新聞によるスクープまで、学界として省みられることはなかった。 >>752
卑弥呼の代だけで半世紀近くもってたと思われるよ
その後衰退したと言うならばそれは、そう
てか卑弥呼の時代で既に斜陽だと思う >>708
鉄の鏃で支配できるわけ無いだろ
現実を見ろ
人数、リソースがなければ勝てる訳がない >>757
残念ながら日本の考古学界は異常なんだよ
最近問題になってるビッグモーターみたいな業界だろう 普通に考えて例え奈良で有ったとしても直系的な繋がりは無いよ >>739
それだと鮮卑匈奴とかもいなくなってしまう >>758
俺は総称ではないと考えてるんだけど、
総称だとすれば邪馬台国=ヤバタ=八つの旗=連合国家って意味だろうね >>760
鉄保有量も食糧生産量も人口も圧倒的に九州の方が多かったわけだが? >>742
天孫族は高速宇宙船の天浮舟に乗ってたから相対性理論で証明されてるとおり
古代天皇は相対性理論により地球年齢が長寿 >>749
邪馬台国連合に邪馬台国という都があったことは理解出来る?
各地で戦が起こり、それをまとめ連合国となり、邪馬台国という都が出来た
ここまではいい?
邪馬台国という小さい都で小さい小競り合いをした話なんて考えるやつは誰もいないよ
各地で戦が起こり、それをまとめ上げ連合となり、邪馬台国の都が出来た以上、必ずしも邪馬台国1か所で倭国大乱が行われたわけではないと理解できる頭は持ってるよな? 銅鏡に関しては、
漢鏡の100年代から九州製もあるが
日本史、考古学では銅鏡が副葬される
古墳時代の到来は250年以降であり
100年の本州はまだ銅鐸時代である。
九州墳墓から漢鏡は出るが
本州古墳から稀出の漢鏡は当然伝承鏡 玉城デニー沖縄県知事、18日から国連人権理事会出席へ 米軍普天間飛行場移設の反対訴える 疑問の声も
2023.9.16 /newsplus/1694916814
[ >>740 >>1 ]
>日本が琉球民族やアイヌ等の大和民族以外の民族に対して、中国よりも遥かに苛酷な差別的政治をしていることを、本土の日本人は自覚すべき。
>中国は多民族国家として漢民族以外の50以上の少数民族にも文化を認める寛容な政治をしているが、日本は単一民族国家だと言って大和民族以外を差別排除弾圧してきた。
日本当局(文科/法務/外務省)の公式見解は「アイヌを除いて、日本民族は朝鮮(ないし中華)からの渡来人。」だからアベ創価DS政府
当局は中身朝鮮人中国人を優遇して、沖縄アイヌ含む日本(にほん/やまと)人を今まで差別排除弾圧してきたぞ(特に安倍菅まで)
- - -
お前そんなこと言うなら日本語使うなよ。お前らの頭目安倍(木原)スガ竹中小泉河野が日本人を差別排除弾圧してるの知ってるくせに >>736
その文章の何が反論になっているのかさっぱり 〈泉房穂〉前明石市長がSNS投稿を陳謝「また聞きだった」 2023.9.18(月) /newsplus/1695027933
>>770 >>1
くそしょーもな。アベトプロレス(=中身アベトモ)れいわ山本レイプ犯反日無罪創価在タレ(放送報道芸能=マズゴミ/SNS)とか
第二アヘ党大阪維新(カジノIRも上海メガソーラーも(風力も反原発も)武漢一帯一路も安倍[やそれ系役人の]指示)なんかと同じ、
アベ(二代目池田大作:同和/なりすまし/背乗り/似非保守=リアル左翼)朝鮮スパイの賑やかし(スピン/嘘/日本人への中傷/売名) >>614
日本出土の位至三公鏡と中国出土の位至三公鏡をごちゃ混ぜにしたインチキ作文で学者の研究結果にイチャモンをつけてるだけだな
日本では3世紀後半から楽浪土器の出土が減るので中国との交流が減ってることがわかっている
西晋時代に中国で位至三公鏡がどれだけ流通しようと、日本に入ってこなければ出土しないのは当たり前
岡村氏が位至三公鏡を漢鏡6期7期に分類した研究結果に対して、ド素人がトンチンカンな批判をしてる
そもそも位至三公鏡みたいなしょぼい鏡を下賜したら皇帝の権威ガタ落ちだろよ
安物さんは博物館にも行ったことないのかと疑うレベルの間抜けな作文 あるに決まってるし関連性がないと思う方がおかしいわな >>759
卑弥呼の生年や没年、即位年なんかは不明で、単に中国側の年表を
もとに推測しただけにすぎない。特に没年なんて卑弥呼が死んだと
書いてある直前の「正始八年」に太守が来て「卑弥呼と狗奴国の
仲が悪い」云々とあるから、「正始八(248)年の直前に死んだのに
違いない」という謎理論なのである >>774
なんであると思うの?
記紀に九州征服は4世紀とはっきり書かれてるんだけど >>774
>>704を見る限り無かったと思われる
まぁ邪馬台国が東遷して奈良に大和朝廷開きました
という話ならあるかも分からないが 東遷も東征も考古学的に一切痕跡はない
九州の影響はほとんど本州に至っておらず、大和では須玖式というかなり古い土器の破片が見つかるだけで発見とされるくらい
考古学的な物証が一切出ない事からして東遷や東征と言う話は記紀に頻出の「神話的な親戚関係の構築」の創作と見るのが自然
東遷や東征と言う事実を無視した物語は根拠たりえない 考古学的にも、史学的にも、民俗学的にも、邪馬台国は北九州だし近畿とは関係ないよ
1世紀に朝貢した半島南部・北九州を治めた政権は倭国大乱を経て弱体化し
卑弥呼の時代には毎年助けを求めまくっていた
そして4世紀には分裂し、東から伸長したヤマト王権に完全に滅ぼされた
たったそれだけの話 >>771
倭国大乱だから漢の鏡が出てきてないんではなく、邪馬台国時代に漢の鏡が出て来てないって話をしてるのに、なぜ倭国大乱とすり替えたの?w
もう前提がおかしいんだよ
反論してごらん
邪馬台国時代に九州が漢と朝貢してない理由考えてごらん
北九が畿内に支配されていた事実を考えてごらん >>1
ヤマトは一般名詞
山の麓の集落の意味
だから元々そこら中にある
弓ヶ浜とか駒ヶ岳とか郡山とか複数ある地名はいろいろある
九州ヤマトが山門
近畿ヤマトが大和 >>780
偉大なる神武天皇は九州出身ではなかったのですか?
www >>784
普通に考えれば近畿大和土着の豪族でしょ >>781
何も証拠ないのに必死な九州説カルト可哀想w
妄想するしかないもんねw >>782
邪馬台国畿内説の大御所
寺澤薫教授のありがたいお言葉です
「そこで私が本書で提案したのは、そろそろ「邪馬台国」という一部族的国家に拘泥した議論はやめにしようということである。中国の史書のどこを紐解いても、卑弥呼が邪馬台国の女王であるとは明記されていない。」
—『卑弥呼とヤマト王権 (中公選書)』寺沢薫著 古代中国は周辺国をイメージの悪い漢字で表記するのが一般的。
邪馬台国=大和国なんだと思うけど?
んで政権の場所は絶えず移動を繰り返していた
と考えれば辻褄は合う。
九州や四国や畿内に政権は常に移動していたのだろう。 >>786
いくつ証拠だされてもそれが証拠だと認識出来ない人が畿内説に固執してるね >>787
八幡神とオロチ神話の元ネタだろうね
尻尾から剣が出るのは先進地帯九州征服による鉄器技術の革新か >>788
もうすり替えはいいから
邪馬台国時代に九州は朝貢してない事実と北九州は3世紀にヤマト王権に支配されてる事実
否定するなら、明確な根拠と証拠をもって反論をどうぞ 畿内説の大御所寺澤薫の「卑弥呼とヤマト王権」から抜粋です
纒向遺跡が形成された初瀬川上流の「纒向川扇状地」小共同体には、弥生時代の拠点的母集落はおろか、集落といえるほどの遺跡がない。自然林に覆われた空閑地に突如として纒向遺跡は出現したのである。 纒向遺跡の第一の特徴は、弥生時代にはほとんど人の手が入らなかった地域に、三世紀になって突然、人が集まりはじめて巨大な集落を形成し、一〇〇年もたたないうちに急速に衰退する点にある。以上転載終わり
要するに2世紀の纒向には邪馬台国の痕跡どころか集落遺跡も無かったという事です 九州説とか言うのは別に構わないけど、まともな根拠が何一つないのに何を主張してるのかという話
上で書いたように鏡もない、絹も衰退、鉄器は石器と大差ない、勢力も消滅、畿内の影響に生活様式も祭祀も塗りつぶされている
考古学的に九州説が全く相手されてないのはこのような現実があるから
ハッキリ言って九州説とか言ってる人は考古学なんてまったく知らない素人が妄想してるだけでしかない
邪馬台国の会とか言うサイト見たが鏡とかもう無茶苦茶で4世紀以降の古墳出土鏡だの、位至三公鏡だの言い出してるし
そんな誰でもわかる優越性があるなら論争なんてなるわけないし、九州説になるだろうに
少しもまともな資料を見もしてないで説になると思ってるんだから文字通り話にもならない >>790
否定も九州説の根拠も全部妄想だもんな~w
邪馬台国の時代に九州はなんにも出土品しないから仕方ないよね
妄想で抗弁するしかないw >>613
>九州に大和と国交のない
だからソレは熊襲だろクマソw >>792
むしろお前の主張に根拠も考古学的な裏付けが無いわけだがw 邪馬台国時代に牛や馬は居なかった
情報の伝達速度、遠くて運搬不可能な物品もあった時代
その時代を頭に描いてみろ
邪馬台国畿内説がいかに頭おかしいかよくわかるだろ? >>796
鉄から探る邪馬台国
> 825 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:55:12.63 ID:d3rkd5G50
> 弥生時代の鉄分布と北部九州を代表する海人族阿曇の分布がよく一致する
> 鉄は海人族とともに九州からやってきたんだな
> http://inoues.net/tango/tango_z1.jpg
> http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg
> 828 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:01:52.61 ID:yQGATf5S0
> >>825
> 福岡の1621に対して奈良の13が光るねwwww
>
> そこから読み取れるのは、奈良は九州を支配するどころか近隣の山城や河内さえ支配できてなかったってことだな
> そして4世紀以降急に発展するのは九州の海人に征服されてその東国攻略の前線基地になったおかげ、と
> 841 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:23:21.53 ID:1L9obXG40
> >>825
> >>308の資料と照らしても間違いなさそうだな
> 弁韓の鉄材と鉄加工の技術を持った海人が西日本を席巻していき、やがて東日本をも射程に捉えたので畿内を前線基地にしたのだろう
> だが東に版図を広げるにつれて遠い九州が本国では不便になり、畿内に都を移した、というのが一番しっくりくるストーリーだ >>788
はっきり書かれてるけど・・
>有千餘戶,世有王,皆統屬女王國
>南至邪馬壹國,女王之所都
>倭國亂,相攻伐歷年,乃共立一女子爲王,名曰卑彌呼 >>796
絹から探る邪馬台国
733 :名無しさん@1周年 :2018/02/20(火) 22:32:15.88 ID:MmmtVobm0
なお絹研究の権威、布目順郎氏の見解によると・・・
https://www.jstage.jst.go.jp/article/fiber1944/45/6/45_6_P277/_pdf
> (iv)九州から本州への養蚕伝播――
> 弥生絹は今のところ福岡,佐賀,長崎の3県以外からは出ていない。
> それが古墳時代前期になると近畿,中国,北陸からも絹が出るようになり,九州では北部のみでなく熊本県からも出るようになる。
> すなわち,養蚕がわが国へはじめて伝えられてから少なくとも400年間は九州北部で独占していたことになる。
> 九州から本州への伝播経路としては,瀬戸内海ルートと日本海沿岸ルートの2つが想定される(図4)。
> 魏志倭人伝は,邪馬台国において養蚕・絹織が行われていると記し,その時期は弥生後期に当たる。
> そのことと,上記の事柄とから,邪馬台国の所在地としては,九州北部とするのが妥当と考える。 >>784
生誕が紀元前711年という設定なので、魏志倭人伝とは何ら関係ない時間軸の話になる >>796
鏡から探る邪馬台国
中国鏡の専門家によれば卑弥呼の時代の鏡は北部九州が出土の中心です
http://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku366.htm
>■徐苹芳氏の意見
>中国社会科学院考古学研究所の所長をされた考古学者、徐苹芳氏はのべる。
>「考古学的には、魏および西晋の時代、中国の北方で流行した銅鏡は明らかに、方格規矩鏡・内行花文鏡・獣首鏡、?鳳(きほう)鏡・盤竜鏡・
>双頭竜鳳文鏡・位至三公鏡・鳥文鏡などです。
>従って、邪馬台国が魏と西晋から獲得した銅鏡は、いま挙げた一連の銅鏡の範囲を越えるものではなかったと言えます。
>とりわけ方格規矩鏡・内行花文鏡・?鳳鏡・獣首鏡・位至三公鏡、以上の五種類のものである可能性が強いのです。
>至位三公鏡は、魏の時代(220~265)に北方地域で新しく起こったものでして、西晋時代(265~316)に大層流行しましたが、
>呉と西晋時代の南方においては、さほど流行してはいなかったのです。
>日本で出土する位至三公鏡は、その型式と文様からして、魏と西晋時代に北方で流行した位至三公鏡と同じですから、
>これは魏と西晋の時代に中国の北方からしか輸入できなかったものと考えられます。」
中国社会科学院考古学研究所所長・徐苹芳氏が挙げている銅鏡はいずれも北部九州からの出土が多数
http://yamataikokunokai.com/katudou/image3/366-16L.gif >>799
出雲の鉄を馬で運んだと思うか?
当時の運輸担当ならお前首だぞ
船だろ船 瀬戸内海航路 >>792
>北九州は3世紀にヤマト王権に支配されてる事実
ヤマト王権が九州支配したのは4世紀でしょ
何を根拠にして言ってるの? >>782
出てきてないってのは捏造だな
中心は畿内に移るが、九州からも出ているはずだが? >>792
トナカイ発見!
トナカイのフェイク7連発
①隋書で方位を修正したと唱える
↓
航路が変わっただけだと論破される
②大津くんがテレビで絹がなんちゃら言いました
↓
そんな事実は無かった
③黒塚古墳の副葬品は黄幢です
↓
公孫氏の赤幢の絵を使ったフェイクだった事がバレて大恥をかく
④九州説を許さないと言い放った後に、九州説に転向すると宣言
↓
大嘘でした
⑤ Metaの「Threads(スレッズ)」でコミュニティを作る
↓
作りませんでした
⑥岡上氏を持ち上げる
↓
岡上氏が東遷論者と気がつくとさっさとハシゴを外して岡上の呼びかけにもシカトする
⑦他人にコテを要求
↓
今は自分が名無し
このようにこの男は基本的に他人の褌で相撲を取るが、いつも土俵の真ん中で褌が解けてしまって大恥をかくのが常である >>796
位至三公鏡から探る邪馬台国
1:中国で主に西晋時代に流通した「位至三公鏡」は主に福岡、佐賀県から出土し
奈良から確実な出土例はない。
2:「位至三公鏡」より形式的に前の中国鏡についても北部九州を中心に出土する
3:九州出土の「位至三公鏡」は弥生時代の遺跡から出土するものもあるが
九州以外の「位至三公鏡」はまず古墳時代の遺跡から出土していて
伝世鏡か踏み返しによって作られた鏡か
どちらにせよ古墳時代に埋葬されたものと見られる
4:これらのことから魏の後を受け継ぐ西晋の西暦300年頃まで鏡の出土分布は九州北部が中心だったと思われる。
5:「位至三公鏡」よりも形式的にも出土状況も後の時代の「三角縁神獣鏡」は畿内、奈良を中心に出土する。
6:西晋の記録には西暦266年に倭国の女王の使いが来たことが書かれている。
この際に鏡を受け取ったのならそれは「位至三公鏡」であった可能性が高い。
7:西暦266年に受け取った鏡が「位至三公鏡」であるのならその鏡が主に出土する九州北部が
西暦300年頃まで
中国との外交の窓口であったと思われる。
結論:邪馬台国は九州北部 調べた事もない他人の墓を勝手に卑弥呼の墓に仕立て上げてる畿内説は詐欺
史書に記された「殉葬百余人」を論理的根拠も無く無視している時点で詐欺確定だろ >>798
邪馬台国時代に九州は朝貢してないし>>604、3世紀に北九州が畿内に支配されていた地域特有の前方後円墳が築造された事実
お前が反論出来るのはファンタジーと妄想だけだろ?
否定するなら、ちゃんと学術的証拠と根拠に基づいて否定しろよ
妄想やお前の感想はもういいから やまとこくがやまたいこくに聞こえただけなんじゃね知らんけど >>792
鏡の出土が減っていることを根拠に九州が朝貢を行ってないと解釈するのは飛躍がありすぎる
むしろ、倭国大乱で国力を著しく落とし、ろくに貿易もできず貴重な鏡が入らなくなったからこそ、魏から鏡100枚もらったとも言える
何百枚も古墳に雑多に埋葬して出てくるような状況なら鏡なんかなんのありがたみもないだろう >>806
3世紀後半に石塚山古墳が築造されてるよ
畿内支配地域特有の前方後円墳 >>782
それ捏造データだとバレてるぞ
>>614-615 >>804
三角縁神獣鏡は???
ひみこのかがみの
さんがくぶちしんじゅうううきょおおおはああああああああ!??!?? 弥生時代の奈良盆地は海で、瀬戸内海の突き当り
遺跡も盆地の周辺部に点在してる
そこに日本の祖となる国が誕生したのは自然な成り行きかと >>811
だから捏造データを使って日本人騙そうとするの止めてくださいよ
本当に迷惑なんです >>806
4世紀にヤマトは九州支配なんかできてないわ >>816
そのデータが捏造だろ
なぜ日本出土の位至三公鏡と中国出土の位至三公鏡をごちゃ混ぜにした?
これを根拠にするからにはお前が説明しろよ >>817
日本の鏡職人が心を込めて作らせて頂きました
http://mainichi.jp/articles/20180118/dde/018/040/020000c?inb=ra
> 一方の国産説も決め手に欠けたが、1年前、画期的な新説が現れた。昨年この欄で紹介した「国宝・金印論争」にも登場願った鈴木勉・工芸文化研究所所長の著書
> 「三角縁神獣鏡・同笵(どうはん)(型)鏡論の向こうに」(雄山閣)である。
> 鈴木氏は金工や金石学が専門。物の形や文様の変化を追う考古学とは違い、実験が裏付ける製作技術の観点から製作地に迫った。
>
> 着目したのは、鋳造後の仕上げ作業。三角縁神獣鏡の文様には、三角形が連続する「鋸歯文(きょしもん)」がある。
> 鋸歯文を拡大画像で比較すると、ヤスリや砥石(といし)で磨かれるなど、種々の異なる加工痕が残っていた。
> 加工痕の違いは工房や工人、工具の違いを示すものという。
>
> そこで、黒塚古墳(奈良県天理市・33面出土)など、三角縁神獣鏡が出土した10以上の古墳を対象に加工痕を比較した。
> 結果は簡明。仕上げ加工痕は出土古墳ごとに見事にまとまっていた。
>
> 三角縁神獣鏡では同じ型の鏡が複数存在する。同笵(型)鏡と言い、別々の古墳からも見つかるが、同型同士でも加工痕は古墳によってさまざまだ。
> 一方、出土古墳が同じなら、異なる型の鏡にも同じ仕上げが施されている。つまり加工痕は鏡の型ではなく、出土古墳に規定されているのだ。
>
> 鋳造の最終工程で施される仕上げのまとまり具合から導かれる事実は明らかだ。鏡の製作地は、日本列島内の出土古墳近くということになる。
>
> その上で鈴木氏は見つかる鏡の少なさなどから、工人が各地の出土古墳近くに定住しているのではなく、大和地域に本拠を置く複数の移動型の工人集団が
> 各地の依頼で現地に出向いて製作する「出吹(でぶ)き」を想定した。
> 鋳造の最終工程で施される仕上げのまとまり具合から導かれる事実は明らかだ。鏡の製作地は、日本列島内の出土古墳近くということになる。
> 鋳造の最終工程で施される仕上げのまとまり具合から導かれる事実は明らかだ。鏡の製作地は、日本列島内の出土古墳近くということになる。 >>815
はあ?
前方後円墳は必ずしも畿内の支配圏示すものじゃないだろ
まさかお前「前方後円墳は畿内の支配権を示す!」なんて説を本気にしてるのか?? 「九州は鏡の数が減ってる」
じゃない
「九州は邪馬台国時代というか弥生時代後期から古墳時代までの200年間鏡が全く出ない」
だから
考古学的な状況はもう明らか
むしろ鏡は九州説にとっては致命的なマイナス点だと言って良い >>820
捏造の根拠すら捏造するやつに何言われてもな
まともな証拠出せってw
出せないくせにw 支配というか東北から北九州までの各地の豪族の大連合だろ中心が近畿で大和の正体 ポリスみたいな感じ
で熊襲だけはぼろ糞でカワイソウ(;^_^A >>821
史書の記述によれば間違いなく4世紀
考古学的には・・どうだろうねえ?もう少し遅れるかな >>824
土地ごとの特徴はあっても前方後円墳は畿内支配地域特有の古墳だよ
その中でも石塚山古墳は典型的な畿内型の前方後円墳 >>822
むしろなんで日本出土の位至三公鏡が中国の位至三公鏡ではないと考えるんだ?
中国の専門家のお墨付きなら
>>804にあるぞ 弥生末期の大和では、既に北は東海や関東から西は本州の西端までの大規模な交易が成立している
これは>>704なんかで散々貼られてる事実なので、誰しもが同意できることだと思う
(しかも実数にすると1000個の土器の分布)
また同時代には奈良県内には箸墓を始め、巨大な前方後円墳が造成されている
これはそれだけの人間を動員できたことの証明
さて、そんなところに東遷がしれっと成立するのか?
九州が大和に入れるのは、紀元前の時代でないと無理なんだよ
弥生時代が終わり古墳時代になってから引っ越そうにも
もう時期的に不可能
鉄器にしてものカズがからのと言っても、少数に鉄器をもたせても
大した戦力にはならない
ただかうのは生身の人間なので、鉄で殴られても石でも青銅でも、殴られれば怪我をする >>604
しかもこの鏡の数って、コピー多数の三角縁神獣鏡も含めたデータじゃないの
話にならんわな 関連性あれば時代時代で定期的に名前位出てくるだろ
それがないって事はないんだよ >>824
それなんだよね
墓の形は畿内支配とはなんの関係もない
当時の宗教的流行だと考えるべき >>827
連合さえしてないよ
前方後円墳は支配権ではなくただの文化の波及であり"流行"
文化圏・交流を端的に示すとは言えるね そして九州で出土してる古い時代の鏡片や破鏡の出土状況が九州という地域がまともな勢力も存在しない雑然とした場所である事を示している
鏡の欠片が王墓などの中心地もなく、そこらの集落や個人的な墓地などでみつかるようになってる
これはかつて王や有力者が手に入れた鏡が打ち割られて個人が交易などで入手する様な無秩序な状態になっていることを示している
九州が勢力としてのまとまりを喪失し鏡を破壊してただの交易品として流通させている様子が見える >>835
前方後円墳=支配ではなくただの文化波及
ってのはもうちょっと周知されて欲しいよね 前方後円墳に眠るのは権力者
前方後円墳を作らせるほどの権力者が他国の真似をするとは考えられないので、
畿内の豪族が勢力を伸ばして行ったと考えるのが自然 >>833
漢の鏡だが
否定するなら根拠と証拠をどうぞ しかし中国で三国志の時代に日本がどんな状況だったのか全くわからないって悲しいよね 日本の縄文土人もいたけど卑弥呼の時代に既に地方豪族が渡来系だったから
中国、朝鮮半島から戦乱で逃げて来た人たちが集まってできた日本
あながち 2位じゃダメなんですか? も正解だったなw >>840
宗教は国境を越える
これ基本中の基本な? >>840
ねえねえ、各地の前方後円墳に眠る被葬者って畿内から派遣された征服者なの?
なわけないよね?
ちゃんと自分の頭で考えればわかることだよね?これって >>835
3世紀に北九州に出来た石塚山古墳ほ畿内支配地域の象徴
ここで巨大な前方後円墳を作ることで九州の支配地域に目を光らせてたんだよね >>842
それを言うなら今現在世界の覇権を握るアメリカも
500年前には影も形も存在しなかったわけで >>832
妄想とファンタジーで「真実!キリッ」
痛すぎw >>848
じゃあとりあえず石塚山が畿内有力者のうち誰の墓なのか説明してみ?w
一応聞いてやるw >>847
?
個人の感想で反論されてもw
早く証拠出しなよw >>835
墓の形式は支配があったと解釈してもいいだろうが、例えば石塚山古墳を3世紀なかばと断定するのは捏造
4世紀と解釈しても妥当
4世紀ならばなんの不思議もない 九州説信者ってとうとう前方後円墳体制も否定するようになったか
もう学問からかけ離れたラノベだと白杖してるようなもの >>842
桃園の誓いが184年頃かぁ
王騎将軍がその約400年前だからビビるな ジャップランド(;^_^A >>837
だからこそ魏志倭人伝の遅れた文明のように書かれた邪馬台国と合う
奈良周辺で発掘される品は邪馬台国とにつかぬ洗練された豪華な品が多いし
ヤマト王権の前身となる勢力が洗練された進んだ文明をもって
日本のほとんどを勢力下に置けた
邪馬台国ごときの遅れた古い文明ではあれほど勢力を広げるのは無理 >>839
反論も何も
日本の位至三公鏡は中国の位至三公鏡とは違う
というあなたの主張がキチガイ過ぎて
まずそこを証明して貰わないとw >>849
ヨーロッパ人に発見されてなかっただけで先住民が住んでたでしょ >>853
それを感想と言って反論とみなさないなら、鏡の出土が減っていることを根拠に「朝貢してない」などとするお前の言葉は感想以下だな 葬儀と言うのは大変な意味がある「自分がどんな権威で権力を継承するか」を天下に示すイベントとして重視されている
これは九州においても同様で九州は中期まで福岡を中心とした独自の墓制を広めて北部九州全域にその方式を採用させていた
ところが弥生後期後半にはこの秩序が崩壊して各地域で好き勝手な葬儀が行われるようになっていた
後期前半まで存在していた有力者がいなくなり無秩序な状態になっている事が伺える
この後に終末期になると九州ではそれまで一切行われて無かった「大きな墳墓を作って葬儀を行う」という方法が畿内式の葬儀が採用される
これに先立って生活土器も畿内式に塗り替わっており、九州が畿内の強力な影響下に入っている事が伺える
そしてこの方式は時代を追うごとに色濃く、より規格化された物になりその背景に政治的な支配力の波及を見る事は明らかと言える
古墳の波及はただの流行などではなく政治的背景を持った拡大だと解釈される >>851
畿内型前方後円墳
畿内支配下の地方豪族だろ >>855
実際、一体なんのために「畿内以外の地域の前方後円墳」は作られたの?
被葬者は畿内の権力者なの?違うよね?
各地の副葬品の連続性からその地域の豪族・権力者であると考えるのが自然だよね?
これ、つまりは”勝手に”作ってない?
畿内発祥の権力者の象徴である祭礼古墳を、畿内の権力者に断りなく作ってね? >>860
まじで?これで反論した気になってんの?やばすぎw
俺の言ってることが証拠だ!ってやつかw >>1
基本的に政体としての連続性はないだろうな
普通に考えたら九州を中心とした西日本に
それこそ「邪馬台国」が広がっていただろう
誰に聞いても我が国こそが邪馬台国といったんじゃないか
だとしたら奴国だの色々な呼び方の国があったとして、
それは蔑称か、もしくはもともとのその地域の呼び名だった可能性が高い 鋸歯文(きょしもん)はヤマト王権の工房で使われていた紋様だな。
二世紀末に征服されたと思われる磯城の唐子鍵遺跡の銅鐸にも鋸歯文が入っている。
神武東征伝説によると、神武は大和入りすると磯城の邑に降伏勧告を行ったが、首長の兄師木の一党が反抗したの彼らを殺した。兄師木の弟の弟師木とその一党は降伏して神武の軍に合流したとある。
磯城の邑は今の唐子鍵遺跡の事だろう。
考古学的にも唐子鍵の集団の一部は外来の銅鏡文化人に合流して、磐余の大福で銅鐸破壊と武器生産をしていた事がわかっている。
唐子鍵の生き残りの職人たちがヤマト王権の工房で働いていたのだろう。
鋸歯文は飛鳥時代になると寺院の瓦に刻まれるようになる。鋸歯文があればヤマト王権の工房で作られたものとみて良いだろう。
三角縁神獣鏡の鋸歯文を見ると、これは魏のものではなく国産鏡だろうと思われる。 >>69
一応日本書紀は引用しているぞ
ただし神功皇后に比定しているが >>865
そりゃ存在しない元号を彫り、漢字を左右反対に作ってしまった鏡を送ったと考えるよりも、手本を元にど素人がコピーを作ったんだなと考えるのが妥当だわな
であれば同じようにコピーした鏡が大量にあると考えるのも妥当
それを否定するなら話にならんわな
終わりで >>507
はいでは邪馬台国は岡山ということですね畿内説派さん!
岡山からはいっぱい桃の種出てますねぇ! 邪馬台国は存在しなかったって何度言ったら分かってもらえるんですかねえ >>868
アホに教えてやるが神功皇后が仮に実在してたとしても4世紀後半だぞ 魏書などのシナの書には「畿内にある大和国は、むかし九州にあったよ」と言っている。 九州の邪馬台国連合で戦乱に嫌気がさした一派が東に流れて行って大和政権の元になったのじゃよ
って向かいのおばあちゃんが言ってた そもそも邪馬台国って中国側の資料でしかないし
使節派遣して金印貰っただけで
日本をどれだけ統治してたかなんてわからんし
単に九州の一国だった説で終わりだろ そもそも邪馬台国が畿内にあったという証拠がこのスレでは示されてないな
邪馬台国が九州にあったという証拠やデータは山ほど出たが。
妄想とファンタジーなのはむしろ畿内説の方では?
あ、NHK謹製のゴッドハンド地図は要らないから >>873
だから、これを妄想と判断するならお前の主張は妄想以下だから終わりでいいってこと
終わりで 記紀の熊襲国討伐には一切触れない九州人 ケンチャナヨー 古墳についてはよく卑弥呼の墓などと言われる祇園山古墳に付いても
「畿内の影響のもとでもちこまれた九州でもかなり早い段階の畿内式古墳」として判断されている
その前段階に墳丘を作る伝統もなく突然畿内のような墳墓が現れている事からも九州の墓制が根本から上書きされている証拠と言える
出てくる土器も畿内系の土器が多く祇園山が九州の外から持ち込まれた文化の産物である事が明白と言える 台には下という意味があって下部の意味もある悪字。
邪馬台は邪→悪字 馬→動物文字は悪字 台→悪字 >>845
その割には世界中で宗教上のイザコザが絶えないねえ
神道と仏教が同居してるのは日本ぐらいだろ?
氏神様と菩提寺の両方に御参りしないといけないから大変 >>878
そもそも邪馬台国連合は30カ国にすぎず、首長級の弥生式墳丘墓から判断するに九州だけで30カ国程度はあったと言われている
まあそもそも奈良には首長級の弥生式墳丘墓は存在しないわけだが
後漢書にも倭は100国とあり、畿内東海から九州まで支配した邪馬台国であれば30国では到底収まらない 日本列島は弥生時代に朝鮮の人に侵略されたってこと? 一字一句厳密な史書で
イトを伊都と記してるのに「邪馬台」ではトを台と記すはずがないんだけど
現代のトの音が古代の日本語に複数あったかの検証はされてるの? 九州に大きな国など無かったよ
だから、ジンムが東を攻めた時、補給が無かった
280年の日本で前線に補給を送れるのは、尾張と伊勢をもつ大和だけだったよ
穀倉地帯の有無が、長距離派兵のキモなのだが、
古墳時代の稲作は丘陵地の谷戸で行われ、平野は不毛の地だったよ >>877
どれだけ統治してたかってのは凡そわかってる >>882
それ卑弥呼の時代よりもずーーーと後の時代のお話ね 邪馬台国もヤマト王権も銅鏡文化人。
畿内の先住民である銅鐸文化を滅ぼした後に、新しく生まれた国ということになる。
よって邪馬台国=ヤマト王権と推定するのが妥当。 紀元前から日本各地で五銖銭や銅鏡が発見されてるから中国王朝とは倭国が国家として交易してたことは確実
卑弥呼についての記述が当時の日本の統治状況から見るとちょっと変
朝廷側が朝貢する必要性に迫られて足利義満方式で女王卑弥呼を国王として朝貢したんだろうとは思う >>889
その解釈で良いよ
ただし、奈良の軍事的バックは尾張と伊勢であり、
奈良自体は弱体だったのだ
なぜ奈良が尾張と伊勢を従えられたか、これは本当に謎だね >>857
それな
倭国大乱で弱体化し、卑弥呼をたててようやくまとまった脆弱な連合体というのが邪馬台国の実情
だからこそ魏に危険を犯してまで救援を求めるような使者も出した
畿内説の連中はなにか勘違いしてるわな >>881
そしてさらにその地図を選んだ根拠が、都合の悪い部分は記載ぜず都合の良い一部だけ切り取って貼り付けた地図なんだよな
>この地図の赤枠部分が日本列島なのだが、畿内が無い
>
>本来の地図
>https://i.imgur.com/ajjvzLa.jpeg >>846
古墳時代初期に畿内勢力がそんなに強かったかどうかはともかく、畿内から全国に散らばって行った人々は多かったかと
朝鮮半島に渡って、任那という国まで設立してるし
そういえば、韓国は前方後円墳のある伽耶遺跡を世界遺産に申請するらしいね
日本人の遺跡なのにいいのかね? >>886
史書で使われてるのは台ではなく臺な
「うてな」であり明確に良い意味だよ
卑弥呼の弥もあまねく、永くの意味の良字な そもそも天皇ってのが、連合政権の神輿みたいなものだからな。
天皇に本当に実権があったのは、天智天皇から聖武天皇くらいまでのごく一時期でしょう。 >>890
>日本列島は弥生時代に
朝鮮半島から・・は特に考古学的な痕跡はない。少しは居た程度。
米作文化は上海付近から直接来ている。その途中で数日間程度は朝鮮半島沿岸沿いに航海したかもしれない (朝鮮半島の中央部とそれ以北で米作が定着した考古学的証拠はゼロ)
弥生末期の朝鮮半島最南端部は、北九州と一体化した倭人の領域だったのは考古学的に確実。 >>899
広開土王碑文、三国史記、七支刀、陵墓の年代 >>875
多分これでしょ
『新唐書(1060年完成)』には、以下の記載がある。
日本は、古の倭の奴国なり。
その王の姓は阿毎(あめ)氏、自ら言う、
初主は天御中主(あめのみなかぬし)と号し、
彦瀲(ひこなぎさ)に至る迄およそ32世、
皆、尊(みこと)をもって号となし、筑紫城(ちくしじょう)に居す。
彦瀲の子、神武立ち、改めて天皇を以って号となし、治を大和州(やまとしゅう)に移す。 偉い人に対するの弔い方がどうだったのかによるよな
前方後円墳はヤマトの規格デザインだし そもそも文字を持たずに統治できる範囲には限界がある
騎馬民族がただの平原を支配するのではなく、治水が必要な農耕社会にあってはなおさら
邪馬台国が司馬氏のファンタジーでないとすれば、九州のショボい豪族を盛って記したと考えるのが自然 >>900
邪馬台国が脆弱な勢力だったというのには同意だよ
ただ、私は邪馬台国は大和朝廷の機関だったと思っている
纒向が宗教と外交の研究センターなら、あの貧弱な「宮殿」が邪馬台国の全てじゃないかな >>836
前方後円墳は同じ形でも大きさから埋葬者の格が別れてるんだよ
中央の大王の古墳ほど巨大で地方のは小さい
古墳サイズで支配者の序列がはっきりしてるのがわかってる
つまり前方後円墳があるところは上下関係ができてる >>904
後白河法王の時代までは実権あったから(震え声 >>898
謎でもなんでもないよ
その頃の奈良は稲作可能な湿地が日本一多くて大人口が養えた
奈良盆地は元々湖 >>908
じゃあ十字架の墓があるところは欧米支配圏ってことか?
仏像があったらインドの支配圏か? >>907
1060年ともなれば、日本の国家体制は確立しているわけで、
中国の歴史家は日本から来た歴史書を読んで書いたんじゃないかな?
ネットで調べて、そのままレポートに書くなと、何度言えばわかるんだw >>907
元ネタが日本書紀だから特に言及するほどのことでも無い 箸墓=卑弥呼の墓説は畿内説の重鎮の寺澤薫に否定されている >>898
古事記によれば新羅王アマノヒボコが丹後に渡来し、宮津市にある籠神社に今もアマノヒボコが持ってきたと言われる鏡が存在するが、このような高い技術を持った渡来人が空白地だった奈良盆地に住み着き、力をつけ支配を広げたと解釈するのが妥当では
海部氏系図によれば鏡を持ってきたのは天火明命で、その天火明は饒速日とも言われる
その饒速日が神武天皇よりさきに大和入りしていたわけで、アマノヒボコ饒速日を同一視するとその解釈も妥当に思える
とにかく4世紀以降急激に文化が変化しすぎるのは渡来人によるものと解釈するしか無いだろう >>916
インドはともかく
十字架のあるところは欧州の支配が伸びていた地域なのは間違い無いね >>5
当たり前の何かを疑いAはAであることを証明するからこそ学問になる訳で、
きまってるとか無駄とか思うこと自体間違ってるわ >>369
一体何をいってんだ?
日系人が中国で殺されてたら軍隊派遣して満州占領するのも仕方が無いって言ってるのか
それやったら戦争なのよ >>906
三国史記には倭の侵入が大量にでてきて、好太王碑文の争いがどの時代のものが判別はできない
好太王碑文をベースに三韓討伐の時代を確定することはできない
七支刀の銘文は泰■四年となっており、■を始とした場合
西晋の時代の3世紀になる
根拠が君の願望なのよ どう判断しても4世紀築造の箸墓を卑弥呼の墓とか言い張るのが畿内説だから >>919
そりゃぁ「畿内説の重鎮」は否定するだろうなぁとしかw >>902
任那とか半島南部の領土は元々倭人の居住地だろ
こっちがあっち行ったんじゃなくあっちがこっち来たの、弥生人として数百年前にな
お前まだそこなの?って感じやわ >>914
それは史実の誤解だよ
古墳時代の稲作は谷戸で行われており、平野や盆地は穀倉地帯ではない
流れる水があり、最小限の水路で調整可能だから、水田に出来たのだ
奴隷を使って大規模な土木工事を行い、平野部にため池が作られたのは平安時代以降だよ >>929
登呂遺跡思いっきり平野なのに
何で退化してるんだよw >>926
ところがintCAL20という、一番新しい炭素年代測定でも3世紀か4世紀か判断がついてないので
どう考えても断定的に捉えることはできないのに、断定してるのは本人の願望や妄想が多分に含まれてるんだろうな 当たり前だけど人間はメシが食えて便利で住みやすいところに住む
今の東京と同じく、昔の奈良は稲作出来て平たくて川で海にも出やすいから首都になった >>928
へえ?
じゃなんで半島南部の前方後円墳は日本国内のものより年代が新しいの? 同じであろう。
邪馬台=やまと
大和=やまと
同じ音なのだから。
九州説の学者が「やまたい」と読むように強制しているので少し
分かり難くなっているが。
ただ、「やまたい」でも「やま」が同じなのに、どうして違うと思うのか。
因みに、「ひみこ」の次の女王は「とよ」で「と」は「台」の文字。 >>912
それは後代でしょ
出現期に突然「これ大きい奴が一番偉いヤツな!」とか言って誰が聞くんだよ >>927
寺澤薫にハシゴを外されて畿内説は自己崩壊しちゃったのが現状ですな 邪馬台国が大和王権の宗教・外交センターとして
その巫女は重要人物か? といえば下僚でしかないと思う
わざわざ、役人のために墳墓なんか作らんよ
墓の見本かもね >>923
まあ、「当たり前」と言っちゃうと学問的になんないからw
なんでもかんでも疑っちゃうと疑心暗鬼だしなw
「合理的な疑い」ってのが重要で、邪馬台国に関していうならば、それはもう「有史以前」の話でしかないので、非合理とするのは難しいやねw >>932
奈良県民いわく
奈良は無人地帯が多かったから土地を均して都を作った
だからナラと呼ばれた >>916
偉い人と書いてる
首長墓だよ
でも君のいうような疑問から出発してひとつづつ明らかにしていくのも学問でしょう >>917
7世紀から編纂が始まり8世紀に完成した日本書紀、古事記
完成した時にそれより古い『日本国内の』歴史書は禁書にされて焚書された。
でも中国にはもっと古い記録が焚書されずに残っていた可能性がある。
日本書紀では消された神武天皇以前の32代が記載されてるということは
禁書にされて焚書されて消された7世紀以前の日本に関する記録が
中国には残っていてそれを参考に書かれた可能性がある。 >>932
そういうことだから、大和王権は尾張と伊勢に頭が上がらなかったね
なぜなら当時の兵隊は自分の兵糧を自分で担いで出征したから 寺澤薫の試算する奈良盆地の戸数は7000戸
「王都を擁する「磯城下」と「磯城上」の二つの大共同体をあわせてもせいぜい四〇〇〇人。ならばヤマト国(邪馬台国)全体でも最大に見積もって一万五〇〇〇人ほどだろう。奈良盆地全体なら三万五〇〇〇人、戸数にして七〇〇〇戸ほどだ。」
—『卑弥呼とヤマト王権 (中公選書)』寺沢薫著
王都で4000人だと5000人の吉野ヶ里以下の人口だね >>925
わかるよ
各国各種の史書・考古遺物から蓋然性の高い説を取れば4世紀で確定だよ >>939
奈良県民には、平城と書いてならと読むのは割りと常識なのかも
平城山(ならやま)とかの地名が残ってる >>737
日本書紀 巻第九 氣長足姬尊 神功皇后
神功皇后 摂政卅九年(西暦239年)
是年也太歲己未
魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守鄧夏、遣吏將送詣京都也。」
神功皇后 摂政卌年(西暦240年)
魏志云「正始元年、遣建忠校尉梯携等、奉詔書印綬、詣倭國也。」
神功皇后 摂政卌三年(西暦266年)
魏志云「正始四年、倭王復遣使大夫伊聲者掖耶約等八人上獻。」 >>934
トヨと呼んでるのは畿内説に特に疑問を持つ前からの慣習
史書には壹与(イヨ)と書いてあり、臺与(タイヨ)はどこにも記録がない >>933
あれは北九州から半島に追われた豪族の亡命政権だろ
一代ほどで終わってる >>943
つか、日本書紀については、そもそもこれは天武天皇が編纂させたもので、
天武天皇ってのは、壬申の乱に勝って、天皇位につくわけだが、
これは正統でない側の皇子が正統な側の皇子を倒した、というほぼ日本史上唯一の例で。
そうなると、「正統な歴史」ってのがどの程度そこで斟酌されているかってのはいろいろと
邪推ができるわけでw >>934
同じ発音じゃない。
もう本当に呪いだよな、それ。
本当の歴史から人々を遠ざける為の呪い
45 ウィズコロナの名無しさん 2023/09/18(月) 11:25:03.28 ID:uHbStqA80
>>42
当時使われていた中国上古語音で卑弥呼はピミフかプミフ、またはビミフと読む
呼をコと読むのは日本独特の読み方
日巫女が転じて卑弥呼になったというのは、現代日本人にしか通用しない謎理論
55 ウィズコロナの名無しさん 2023/09/18(月) 11:52:05.99 ID:uHbStqA80
>>50
邪の上古音はまた未解明だよ
?馬臺は、?マタイまたは、?マダイ
マがマーと伸ばす長音だった説もある >>925
これをよく覚えておくように
崇神天皇=3世紀後半←こいつが最初大和王朝の初代天皇
垂仁天皇=4世紀前半
景行天皇=4世紀前半
成務天皇=4世紀中頃
仲哀天皇=4世紀後半
応神天皇=4世紀後半
仁徳天皇=5世紀前半
履中天皇=5世紀前半 >>951追記
このことからも前方後円墳が必ずしも畿内支配を示すものではない証左でもある 平安京で落ち着くまで幾度も各地に遷都していた
基本的にオホキミがおわすところが都なのでオホキミ自ら戦地へ出征される親征などでは最前線が都となる 知らんが、結局、邪馬台国が九州にあったとしても、それが大和朝廷の母体でなかったら、あんまり意味がないってことなのね、やっぱりw >>948
それ120年ズレてるから
まあわざとズラして解釈できるよう書いてんだよな記紀の著者は
面白いよね >>958
意味って何?
九州に中国の属国があると何かまずいことあるの? >>929
日本最古の溜池は7世紀飛鳥時代に作られた大阪の狭山池
今も地元の人に守られてる
平城京〜難波宮の通勤ルートだな
大仙古墳もだけど農業や土木の最先端テクノロジーがあのへんにあったのは確か
九州はそんな稲作できる土地あったか?稲作の遺構しょぼくね?とか思うんだよな >>960
わからないの?w
おつむがおちゃめだなw >>932
古代の奈良は奈良湖
湿原で葦原でトンボだらけ
だから秋津洲 >>960
きんぺーがそれを根拠に九州の領有権を主張する >>965
いつ頃まで湖だったの?
霞ヶ浦なんかは割と新しい時代まで海と直結してたんだっけ >>965
奈良にある弥生時代の集落跡をプロットすると、大体この辺に湖にあったんやろなーって感じで湖を囲むようにあるんだよね 中華は偉大である
兎に角、頭数を揃えてマウントを取っていれば勝てるんだからな >>966
そもそも清以前までは中国から見れば日本は属国よw
朝貢外交ってそういうもんだからなw 大和王権の法理の方程式は、兵糧や兵士を出す後背地と、本国ヤマトとの分離だと思う
奈良の特色は、盆地に篭りながら、大阪・熊野・伊勢・尾張・美濃へ出兵できる可能性で、
最小限の兵力で同時に多数の地域を服属させることができた
ただし神武東遷では防衛に失敗し、大阪で破ったはずのジンムは熊野へ回って、クーデター軍に合流しやがった
そしてその時、奈良盆地には少数の兵しか居なかった >>961
景行天皇も茨城県まで来ているので一時的には茨城県が首都だったとも 日本書紀に『魏志倭人伝』の話がちゃんと書かれてる
>>948
つまり、
藤原京(奈良県橿原市)を造成し、日本書紀の編纂を命じたとき、天皇家は、邪馬台国のことも卑弥呼のことも知っていた >>973
いや、だから、それはどう見ても無理があるってw >>971
渤海は平安京に朝貢してたから
満洲は属国だわ >>971
実質的に朝貢してたのわかってない奴結構多いよな >>969
平野や盆地の真ん中に住んだら四方八方から襲われるだろ >>959
問題はそこでは無い
藤原京(奈良県橿原市)を造成し、日本書紀の編纂を命じたとき、天皇家は、
日本に邪馬台国があったことも、卑弥呼がいたことも知っていた >>974
そりゃそうでしょ、何を当たり前のことを
その上で「神功皇后のことこっちじゃ伝わってないけど卑弥呼っぽいよ?」
としちゃってるんだなあwわざわざ120年ズラしてw >>959
問題はそこでは無い
藤原京(奈良県橿原市)を造成し、日本書紀の編纂を命じたとき、天皇家は
日本に邪馬台国があったことも、卑弥呼がいたことも知っていた
そしてあえて日本書紀に「それは神功皇后のときである」と記した そうやって都合の悪いものをダッピして捨て去っていたんだろうな >>977
実質って言い方もどうかな、と思うけど。
この場合、形式的に、日本が自身で、中国の属国として認めているって言い方もできて。
そして、中国と取引する側がどう思ってるかどうかは別にして、形式的に中国側は属国だとしているわけねwそうでないと取引できないからw
(そして、これが阿片戦争のきっかけの一つになるわけだw) >>980
編纂するときに大陸側の人を招聘してアドバイス受けたから
魏志倭人伝との整合性についてはチェックされただろう >>982
全く面白くない
何も記録が残ってないから妄想膨らませるしかできない >>969
そして唐古・鍵遺跡が奈良盆地のど真ん中奈良県田原本町にあってブチ切れるんやろ?
現在までに奈良で発掘された遺跡のプロットと
地下をほってみても湖の痕跡が見つからないので
苦し紛れの言い訳に使われてるに過ぎない
奈良盆地は昔から奈良盆地でした >>987
この辺の古代はなw
でも、結局、文字がない以上、「有史以前」でしかないから、「歴史(日本史)」じゃないなw
考古学の範疇w >>988
当時の畿内政権が三国志知らないわけないじゃん、言うまでもない当たり前の事だよ >>983
しかし倭国戦乱の後に複数の国から共立されて女王になったとは書けなかったし
魏から金印貰ったとも書けなかった
まぁ金印貰ったと書いたら
じゃあその金印は今どこにあるの?
と突っ込まれて『ぐぬぬ』となってしまうからかもしれないがw >>986
つまり、大陸から招聘した学者は
邪馬台国や卑弥呼がいたのは、天皇家が朝鮮に大量出兵したとき
と比定していたんだねぇ キンペーは国家主席になるまえに
日本の天皇に挨拶にきたぞ
実質的な朝貢だな いやしかし邪馬台談義は面白いな
お前らまた次スレで会おうな! >>994
魏志倭人伝にはそんなことは書いてないぞ 文字=文明
ジャップの歴史は1500年もねンだわw このスレッドは1000を超えました。
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