九州の呼称

九州という言葉は、律令制で9国があった以前から存在する。「九州」は、もともと古代中国で全土を九つの州に分けたことに由来し、中国ではその全域のことを意味する。日本でも平安時代は「九州」は日本全体を指す言葉として使用されたし、書物も残っている
それが朝廷の力が弱まった平安末期からいつの間にか今の九州地方だけを指す言葉になった
何故こんなことになったのか
九州には別王朝(倭国)が存在したという説がある。日本の九州も倭国が中国にならってその支配領域を九州と名付けたのであれば辻褄が合う
日本国による倭国征服後、旧倭国の存在は抹消されて日本国の歴史に取り込まれている。ただ、庶民は九州という言葉を元々の意味で使い続けた
倭国が九州に存在した痕跡は残っている
倭国の首都は太宰府にあり、大宰府には天子の居所であることを示す「紫宸殿」「朱雀」「内裏」といった地名が残っている。太宰府は山城(神籠石)により防衛され、神籠石は大宰府を取り囲むように配置されている。太宰府の条坊築造時期は藤原京条坊築造時期より古い
中国の歴史書(旧唐書)では、倭国伝と日本国伝の2つが並立し、もともと小国であった日本国が倭国を併合した説が書かれている