>>898
古事記によれば新羅王アマノヒボコが丹後に渡来し、宮津市にある籠神社に今もアマノヒボコが持ってきたと言われる鏡が存在するが、このような高い技術を持った渡来人が空白地だった奈良盆地に住み着き、力をつけ支配を広げたと解釈するのが妥当では
海部氏系図によれば鏡を持ってきたのは天火明命で、その天火明は饒速日とも言われる
その饒速日が神武天皇よりさきに大和入りしていたわけで、アマノヒボコ饒速日を同一視するとその解釈も妥当に思える
とにかく4世紀以降急激に文化が変化しすぎるのは渡来人によるものと解釈するしか無いだろう