ウクライナ避難民に働く場を提供してきた東京・西新橋のウクライナ料理店「スマチノーゴ」が、30日に閉店する。家族の事情などで帰国を望むスタッフが増え人手が足りなくなった。ビジネス街で避難民と交流できる貴重なスポット。惜しむ声は絶えないが、オーナーは「店がなくなっても支え合いの輪はさらに広げていきたい」と前を向く。(奥村圭吾)
◆「お元気で」「今までありがとう」
 ビルの2階。白い壁にはウクライナ国旗の青と黄、日の丸の赤をあしらった装飾がある。約20席がある。29日、ランチタイムに訪れると店員たちが「お元気で」「今までありがとう」と常連客に笑顔で声をかけていた。
 アーティストで俳優のTAKANE(本名・江副敬子たかね)さんが営む。欧州に10年以上住んでいたことがあり、戦火から日本に逃れてきたウクライナ人のことが気になっていた。
 仕事に困っている避難民を助けたいと思い、日本語が分からない人でも働け、接客を通じて交流にもなる飲食店のアイデアが浮かんだ。フェイスブックでスタッフを募集し、7人が集まった。店名はウクライナ語の意味で「おいしく召し上がれ」。昨年9月にオープンした。
 和食とウクライナ料理を融合させたメニューを考案。そばの実を使ったウクライナ風鳥肉丼「グレチカ」、キーウ風のカツレツ丼…。手作り料理が近隣で働く会社員らに愛された。
 スタッフで、ウクライナ中部チェルカスイの教師だったナタリア・グリガロさん(44)は自宅近くの工場への爆撃を恐れ、昨年4月、夫と息子を残し中学生の娘と来日した。オンライン授業の仕事を始めたが半年で辞めざるを得なくなり、この店で働くことになった。家族と再会するため来月、帰国する。「また教師の仕事に戻りたい」と希望を話した。
 戦禍の激しいウクライナ東部ドニプロで暮らしていたイリーナ・スビドランさん(66)は昨年、日本に住む長女を頼り避難してきた。長男や孫はウクライナやスロバキアで暮らしている。「戦争が終わらないと帰れない。今は娘や孫と日本にいたい」と話し、店で働いた日々を「家族と一緒に過ごした感覚があり、心が安らぐ時間だった」と振り返った。

 TAKANEさんは「私たちは7人とつながれたが、日本には2000人の避難者がいる。この取り組みによって、皆さんがそれぞれの地域で、避難者の方に手を差し伸べるきっかけになってほしい」と話した。
◆2000人が今も日本に避難…必要なケアは
 ロシアによる侵攻が始まった昨年2月以降、国内へ避難したウクライナ避難者の入国は今月20日までの速報値で計2506人。家族と離散した状態での避難生活が長期化する中、就労面や精神面などの継続的なケアが求められている。
 出入国在留管理庁によると、内訳は男性695人、女性1811人。年代別では、18歳未満446人、18〜60歳1728人、61歳以上332人。入国時に身元保証人がいなかった人は283人いた。今月20日時点で2091人が在留し、「一時滞在施設」などに入所している人も53人に上る。
 「日本キリスト教青年会(YMCA)同盟」は、東京都などと連携し、1000人以上の避難者の戸別訪問などを行っている。自分に合った希望の仕事が見つからないといった就労の悩み、子どもが日本語や日本の教育になじめずストレスを感じているなど子育てや進路などについての相談が寄せられているという。
 日本YMCA同盟の担当者は「長期化する避難生活で、直面する課題は広く深くなっている。中長期の滞在や定住を覚悟せざるを得ない状況の中、ますます支援活動の重要性は高まっている」と話す。

東京新聞 2023年9月30日 06時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/280661