「170年ぶりの再来航」黒船フェリー誕生 特別クルーズも実施 [蚤の市★]
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神奈川県横須賀市の浦賀沖に米国のペリー提督率いる「黒船」の艦隊が来航して今年で170年を迎えたのに合わせて、東京湾フェリー(本社・横須賀市)は24日、黒船風にラッピングした「しらはま丸」(3351トン、旅客定員680人)を報道陣に公開した。25日から久里浜港(横須賀市)―金谷港(千葉県富津市)間の定期航路11・5キロで運航するほか、特別クルーズも実施する。地元は「170年ぶりの再来航」と沸いている。
ペリーは1853(嘉永6)年7月、浦賀沖に来航し、久里浜に上陸した。乗っていた黒船のサスケハナ号は全長78・3メートル、幅13・7メートル、速度10ノット(時速20キロ)。これに対し、ラッピングしたしらはま丸は全長79・1メートル、幅18メートル、速度13ノット(同24キロ)と似たようなサイズと速さが特徴だ。
外装は、黒色を基調に塗装され、船内には当時の歴史やストーリーをわかりやすく展示。一部市の補助金を活用して約1000万円かけ完成させた。ラッピング船によって訪日外国人ら観光客の利用を期待している。船長を務める沖村佑稀さん(49)は「黒船と同じサイズ感を味わってほしい」とPRする。
また久里浜観光協会の森下守久会長(78)は「10年以上前から東京湾に黒船を再来航させたいと考えていたが、やっと実現した。非常にインパクトがあり、全国に打って出て地域を盛り上げたい」と意気込む。【橋本利昭】
毎日新聞 2023/11/24 21:08
https://mainichi.jp/articles/20231124/k00/00m/040/311000c 再来航って外国船が来るなら意味があるものだと思うが… 江戸中が蜂の巣をつついたような大騒ぎになった黒船はB29的な脅威の存在だろ We can not sleep, without you. まだ潰れてないんだ。アクアラインのダンピングで競争力無いだろ。 スレタイを見た瞬間「サスケハナ」という単語が脳裏を去来したが
そうですか、久里浜に来ますか黒船が。
で、元記事を見てきたんだがあっはっはっは、こりゃ面白い。
なんかデザインも気に入ったね。盛り上がるといいんじゃないでしょうか。
そうなんだよね、浦賀ってまさにペリー艦隊来襲(!)と
その後の開港で知られますがいつのまにか歴史の中から
話題性が消えちゃう感もあるんですがね。
日米和親条約の開港地は下田箱館とか安政の五カ国条約の五港開港は
横浜、長崎、神戸、箱館、新潟とかそっちに話題の軸足が移るw
で、浦賀はこれ現在のまさに横須賀なんですね。
案外意識してなかったりしない? そんなことない?
まあキッズのテストでたまに出るかもね
浦賀は今の何市か応えよとか。あるいは地図から選べとか。
横浜や下田と間違えないように注意www
それはともかくペルリ提督以降の170年ぶりの黒船来航。
黒船は砲艦外交、ガンボートディプロマシーとかゆうて
国内的にはイケイケだった内弁慶幕府をゆるがすわけですけど
そこから日本の近代は始まるわけですね。明治維新よりむしろ。
嘉永6年(1853)にペリー艦隊が現れ、安政万延文久元治慶応と駆け抜け
慶応4年(1867)に明治維新ですよ。江戸幕府はおしまい。
1603年の家康公将軍宣下で江戸幕府開幕から250年目にペリーが来て
その後たった14年で幕府はオワコンですからね。すごいよねwww
この歴史のダイナミズムをや。今から14年前、チミらは何をしてたかw
まあそういう歴史の故事を考えながら黒船に乗ってね
千葉県と神奈川県を江戸湾…じゃなかった、東京湾を
船上往来するのは面白いと思いますよ。うん。 黒船が来なかったらどうなってたんだろうな日本
歴史にifはないが倒幕に繋がるイベントだけにタイミングがずれてたら明治維新があったのかもあやしい
明治維新は常に外患の危険のある中でまれにみる完璧な政権交代よな >>19-20
薩長土匪はまれにみる完璧なるウンコ >>23
そうだよな、僅か170 年だ
それまでは
刀差したりウンコで農業やってたんや 俺の先祖は父方は肥前の家老、母方は徳川家康の寺の娘
どちらに転んでもいいはずなんだが
なぜか何のコネもないサラリーマンだ
戦に負けるとこうなる >>22
徳川さん?www
徳川さんですよね?ww このスレは前にカキコしたので(>19のことだ)
興味深いカキコにレスレス
>>23 くんのカキコを見て色々なことを思い出したが
親韓左派のウリは1989年にフランス革命200年とか聞いてさ
もちろん知識としては1789年(ヒナンバクハツ(1789)バスチーユと覚えるw)に
フランス革命が起きたとは知ってたが、どうも不思議な感にとらわれたね。
それいえばアメリカ独立宣言は1776年でもうすぐ250年なんだけど、
これも不思議に思えるよねえ。あのアメリカって1976年で200年ですよ。
だって、徳川幕府だって1603-1867と250年以上はもってるわけでさ。
あ、今気が付いたけど、次のアメリカ大統領選挙で勝った人士が
アメリカ建国250年を祝う大統領になるんだねえ。セレブレーション!
ついでにどうでもいいことなんだけど
ウリは幼稚園児のみぎりにさあ、現代昭和(!)の前が大正で
その前が明治とは知ってたけど、さらに前を知らなかったんですよw
で、ママンに聞いたら江戸時代っていうんだよねw
これには驚愕するほどビックラこいたねwww
江戸時代って侍のいる全然太古の昔ってイメージがあったからねえ
そんな最近(!)かよ、みたいにさ。
次に>>27 くんのカキコを見て思ったが
明治時代なんか流行った蒸気機関の外輪船ってね、ロマンだよね。
ロマンというかモダーンというかさwww
まさに文明開化というか明治時代になってからの浮世絵、
新版画と言ったりするんですけど、それを思い出しますね。
例えば利根川水運は江戸期以来物流のHighwayなんですけど
ここに続々と明治以来、外輪式蒸気船が横行していたように。
「通運丸」なんて有名ですけどね。すばらしい。美しい船です。
(まあ余談だがその利根川蒸気船のお株を奪ったのが後発の蒸気鉄道、汽車ですね。
今でも電車がね千葉の利根川沿いを走っているのはその名残かもしれないね) このスレは面白いと思ってね、別に>1の宣伝とかじゃないけどさ。
幕末の歴史ネタの雑談にハッテンすると思って色々書いたんだが
あまりスレ民諸君は反応いまいちで、このままスレ落ちとは残念ですね。
だから>1の話題と一切関係なくヨタ雑談するけどね
東京湾航路ってのはね、歴史的にも興味深い道中なんですよ。
よくいうのは千葉県の旧国名を南から安房・上総・下総っていうけど
京都に近い方が「上」というのに、なんで房総半島中部が上かと言えば
そりゃまあ千葉県に用がある時は相模神奈川から海路で房総半島に上陸し
そこから上総にいくなり北の方の下総にいくなりしたからですね。
今のように京都から東京周りで陸路で房総半島に来るわけじゃないんだなあ。
ま、そういうわけで前近世に千葉に用のある人は船に乗って横断したわけですよ。
古くはヤマトタケルと奥さんたる弟橘媛が渡ったわけですね。
途中、ヤマトタケルの大言壮語に海神怒りて海が荒れ、
弟橘媛が身投げして怒りを鎮めて渡航するわけですけどね。
今も地名に名を遺す、"きみさらず伝説"ですよ。
木更津や君津や袖ケ浦の命名語源になったともいわれてまして趣深いが
なんですかね、なんかギリシャ神話っぽくないっすかこの話。
のちに奥さんの犠牲もあって房総に上陸しヤマトタケルが奥さんを忍び難く、
上総の木更津の山に登って移動もせずに海を見ていた(君不去=きみさらず)と、
当地には「きみさらづタワー」という結構感動的なタワーがあるんですよ。
ヤマトタケルと奥さんをフィーチャーした像が立ってるタワーですな。
あれは一見の価値があると思うけどね。足元の博物館もふくめて。
当地で古墳から出てきた金の鈴がありまして、だから「金のすず」って名前の
木更津の市立博物館だけどw 出土品、本当に金色に輝いてるんですねwww
ゴールドってのはね、永遠なんだなあとそう思うよね。すごいなあ。 (>38つづき)
あとまあ東京湾を横断した著名人といえば源平合戦の源頼朝ですよね。
親父の仇を討たんと打倒平家とばかりに流刑にあった伊豆の石橋山で
挙兵して敗れ房総半島に逃げてくるわけですね。
まあなんせ壊滅した落ち武者状態なんで出発地も到着地も
いわゆる東京湾横断とは言い難いが、そのとき海路で渡った人数は
そう多くはないと思うんですよね。常識的に考えて。
でも千葉の安房でも上総でも下総でも続々駆け付けたチバラキなどの
武将を引き連れ、陸路房総半島を北上し武蔵国にはいるときは
えらい軍勢だったとこういわれてますねえ。
その後の鎌倉入府その他は大河ドラマなどで詳しいでしょうからあれですが。
あとはなんだろうね。
ああ、上総の国府ってね、今の市原市の中心部にあったようなんだけどさ
更級日記って有名な平安時代の女流文学の紀行文がありますけど
これは父親が上総のお偉いさんやってたんで(上総は親王任国なんでトップじゃないw)
それに付き従って上総から京都に帰る描写から始まるんだけど
…これは陸路なんだなw 今で言う東京周りですよ。残念www
ま、そういうわけで昔から「東海道」なんていいますけど
まさに海の道としての歴史的な意味での東京湾横断ってありますから
そういうロマンもね、あるんですよ。関係ない話をしすぎたな。まあいいか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています