1972年札幌冬季五輪スキー・ジャンプ70メートル級(現ノーマルヒル)で表彰台を独占した「日の丸飛行隊」の一員で、日本人初の冬季五輪金メダリストとなった笠谷幸生(かさや・ゆきお)さんが23日午前7時35分、虚血性心疾患のため札幌市の病院で死去した。80歳だった。葬儀は近親者で行った。喪主は妻、則子さん。

北海道・余市高(現余市紅志高)から明治大を経てニッカウヰスキーに入社し、70年世界選手権70メートル級(現ノーマルヒル)で2位に入った。

日本に冬季五輪初の金メダルをもたらした札幌五輪70メートル級は、2位の故金野昭次、3位の故青地清二とで表彰台を独占。「日の丸飛行隊」と呼ばれ、日本中を沸かせた。

76年インスブルック五輪で4大会連続出場を果たして引退し、日本代表コーチや国際飛型審判員などを務めた。全日本スキー連盟理事、日本オリンピック委員会(JOC)理事などを歴任。18年に文化功労者。〔共同〕

日本経済新聞
2024年4月26日 8:00
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