<大川小保存>「何のため」熟議不可欠
6/5(月) 11:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170605-00000011-khks-soci

 東日本大震災の津波で児童と教職員計84人が犠牲となった宮城県石巻市大川小の遺構保存を巡り、市は6月に正式な整備方針を決める。主にハード面は一定の方向性が見えつつあるが、ソフト面はまだまだの感がある。「教訓の伝承」の一言では済まされない。校舎やその周辺をどう生かし、命を守るためにどんな教訓をいかように伝承していくか。核心の熟議なしには保存の意義が薄れる。

 整備方針案は5月の住民説明会で示された。震災伝承エリアと慰霊・鎮魂エリアを整え、両エリアを植栽で仕切る。校舎は沿道から見えないように工夫する。「静かに手を合わせたい」「校舎を見るのがつらい」などと思う人々にも配慮した跡がうかがえる。
 津波に見舞われた校舎は教室の床が盛り上がり、廊下の上着掛けには児童一人一人の名前を記したシールが残っている。約4キロ離れた海から北上川をさかのぼった津波の脅威、児童たちが生きた証しを肌で感じ取れる。
 学びやはいわば、「形ある語り部」だ。安全対策やガイドの同行といったルールを作り、財源を確保してぜひ、校舎内部を公開してほしい。
 2011年3月11日。地震発生から約45分間、教員が児童を校庭に待機させた後、津波襲来直前、児童らが向かったのは北上川の方角だった。校舎が立つ釜谷地区では住民も約4割が犠牲になった。
 整備方針案は「慰霊・鎮魂と避難の重要性を忘れないための場所」と位置付ける。そうであるならば、避難の遅れや川へと移動した理由の解明は、防災の教訓を導く上でも大事なことだろう。
 亀山紘市長は、遺族らが市と宮城県の過失責任を問う損害賠償請求訴訟を提起していることを踏まえ「裁判に関わる部分の話し合いは難しい」と線を引く。
 その一方で、境遇を超えて事実を重く受け止め、伝承に力を入れる動きもある。大川小2年の担任だった父親=当時(55)=を亡くした佐々木奏太さん(21)は昨年12月から、児童遺族らと共に語り部をする。

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