【歴史】淡路島の銅鐸、紀元前4世紀ごろ埋めたか 付着植物片で判明 [無断転載禁止]©2ch.net
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http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG06H93_W7A600C1CR8000/
2017/6/6 20:47
兵庫県南あわじ市(淡路島)で見つかった青銅祭器「松帆銅鐸(まつほどうたく)」7個(弥生時代前期―中期)は紀元前4〜前2世紀前半(弥生時代中期前半)に埋められたとみられることが付着していた植物片の放射性年代測定で分かり、市教育委員会などが6日発表した。
銅鐸の埋められた年代が科学的な分析で分かるのは初めて。市教委は「銅鐸は一緒に出土する遺物が少なく、年代が分かりにくい史料だけに、付着していた有機物から埋納時期を特定できた意義は大きい」としている。
銅鐸は時代とともにつり手部分が薄くなり、古いものから菱環鈕(りょうかんちゅう)、外縁付鈕(がいえんつきちゅう)、扁平鈕(へんぺいちゅう)、突線鈕(とっせんちゅう)に分類され、前3者が古いタイプで「聞く銅鐸」、突線鈕は新しいタイプで装飾が多いことから「見る銅鐸」と考えられており、銅鐸の役割が変わったとされている。
松帆銅鐸は、1号が菱環鈕、2〜7号が外縁付鈕という古いタイプばかり。古いタイプは西暦0年ごろ(弥生中期末)に、新しいタイプは2〜3世紀(弥生後期末)に埋められたとする2段階説が有力だが、古いタイプよりも150年以上前に埋められていたことになり、銅鐸の埋納の意味を巡り論議を呼びそうだ。
4号の内部や、銅鐸を鳴らす「舌」と呼ばれる棒に付着していたイネ科や樹皮とみられる植物片に含まれる放射性炭素を調べて分かった。
銅鐸が埋められた理由については、集落の統合によって集めて埋められた、邪悪なものがムラに入らないように境界に埋められたなどの説がある。
かつて銅鐸は、古墳時代の到来を前に、弥生後期末に、古いものから新しいものまでが一斉に埋められたと考えられていた。〔共同〕 朝鮮半島で作られたものだっけ?
天孫降臨とか淡路島は関係あったっけ? 最初に出来たのが淡路島
そこに朝鮮半島のものがある
どういうことか分かるな 伊邪那岐、伊邪那美が淡路島を作ったんだっけ?
国津神やら天津神やら、大和朝廷やら卑弥呼やら、繋がりがよーわからん 朝鮮か中国製のだろ
ドングリ食ってた猿に作れるわけねえし 紀元前なら大和王朝以前か
島ベースということは、徐福の末裔たちの技術だろうか >>8
>ドングリ食ってた猿
お前の祖先かもしれんな 神話以前の時代の信仰だもんなあ
ものすごい神秘だわ (その内容からナチスのガス室を連想させる、日本の動物窒息または薬殺焼却処刑施設の保護施設への転用を言論により強く求める)
(オーストラリア居住民とその祖先に起因する、放棄・放浪猫の200万匹ホロコースト政策に強い決意で言論により抗議する)
(平成28年熊本地震に驚き、行方不明になった猫捜索の官民連携的な支援を強く求める)
(今は亡き、「口永良部島ヘルメット猫」の冥福を祈る)
(日本のヤクザに、飼い主なく路頭に迷って悲惨に生きる猫の保護養育を希望する)
(柳ヶ瀬、組長、ネコ)
急に、かねてより、銅鐸は、南部鐵の風鈴に比べると、聴くのもバカバカしいぐらい悲惨な音しか出ないような気がしているタイプの俺も気になるニュースだぜ
【保健所・愛護センターは残念ながら日本のナチス】
【ネコは言っている】
【ここで死ぬ】
【定めではないと】 この頃、中原じゃ編成された軍で仕事として戦争やってたのに日本だと神話だもんなぁ 淡路島はあんな狭いのに 淡路 一国なんだよな
あと、安房も狭いのに一国 >>4
シャーマンの超能力を増幅するためのものだよ 銅鐸て何なの?
千年以上も使い方分かってないとか考古学者無脳すぎワロタ 素人目で見て、何で日本で一番古い歴史が本州や四国に囲まれてる淡路島にあるのかわからん。 朝鮮人起源説か?(笑)
さあ、どうやって朝鮮人が自分等の注目・称賛欲を満たすか見物だな(笑)
朝鮮人起源は全て嘘、捏造だ(笑)
世界のゴミ、朝鮮人(笑) >>21
他人と争うことにかけちゃ、中華民族の右に出る者は居らんな。 当時先進的であった朝鮮半島の勢力が
東の海の小島にまで及んでいたという事実 関西人だけど畿内説は・・・そりゃ九州から東征だろ
なのに、なんで淡路が最初に出来たって話になってるのか。憚る勢力がいたって事なんか? 国造り神話で最初に出来た陸地が淡路島ということは
ここに何かがあったんやろな 銅鐸出てきただけで宿命のライヴァル()朝鮮人が
気になって気になって仕方がない様子のネ○ウヨ(笑) 紀元前200年に埋められたとすれば
製造年代はいつ頃か気になる 銅鐸の最古記録更新?
輸入品だろうけど、紀元前4世紀にそれを必要とした勢力があったってだけですごくね? 前4世紀つったら七雄が鎬を削ってた頃だろ?
向こうからこんなとこまで来るとも思えんし
こっちから向こうに行くのもピンとこないが
なんかとてつもないドラマがあったんだろうか雷火みたいな 神が生まれる400年も前に人間が淡路島に住んでたのかw こないだガリレオXでやってた
こんな形で続報が見られて嬉しい 紀元前4世紀は弥生時代
そう聞くと「な〜んだ 弥生時代か」だろ 日本列島もブリテン島みたいに複数回の勢力の侵入があったって事なんかな。
ピクト人がいてケルト人が来てアングロサクソンが来てローマ人が来たけど帰ってデーン人が来てフランスに居ついてたノルマンディー人が来た お祭りは銅鐸で演奏会をしてたのかな。
ソロパートの美味しい部分で、あの子のハートも鷲掴み
って妄想を弥生時代のティーンボーイは膨らましてたのかも >>31
舟でやってきた開拓者たちが陸の原住民から身を守るには、そのまま舟で海上に留まるか、
島を拠点にするのが合理的でしょ
数で劣る移住者たちにとって、島は天然の要塞も同然なわけで >>28
銅鐸も中国だよ
鏡の祭祀も中国
モモの神仙思想も中国
中国の銅鐸、青銅器のクオリティすさまじい この時代の日本と日本人は
中国から見ればまさに未開の土人そのもの 銅鐸の実物を見ると解るけど以外と薄く出来ていて製造は高い技術が必要。叩いて使える物ではないよ 青銅器の技術は殷の覇権が終わったときに流出した
日本へも商人がやってきたのだろう >>67
叩いてた時期もあるし
観賞用で大型化した時期もあるし 当時は貴重品だったろうに、地面に埋めたら
あとで掘り出してもさびついてて光沢が失われるぞ。なんで埋めたのやら。 初期の銅鐸は鳴らしていた
鳴らすための棒が出土してるし
叩いた跡も残っている 当時は中国や朝鮮が先進地だったことは
しょうがない。事実だったんだから。東日本なんか原始人の延長みたいな生活。 俺らのイメージだと青くくすんだ色だけど
実物は黄金色だからな
単純に埋めたとは考えにくい >>66
だな、その頃の中国人から見たら天皇とか日本とか全然大した事ない未開の部族扱いだったはず >>72 だから出土した銅鐸はどんな音がするのかな?と
現代ではうかつに叩くことができないんだよな。当時、叩いていたかどうか跡を
調べるから。 >>18
いやいや神話そのものですやん
大国主命知らんのか >>74 金ぴかだよね。黄金製かと勘違いするくらい。(大げさ) >>68
> 日本へも商人がやってきたのだろう
座布団一枚 >>65
中国は銅鐸の原型となる陶鐸が作られてたって
最近どっかで読んだ 荒神谷遺跡が紀元前1〜2世紀で出雲製か
輸入したにしても相当古いな >>77
レプリカとして作られた銅鐸なら
栃木県の小山市立博物館に
体験学習用に展示されてて
叩いて音を鳴らせるよ >>77
複製したのどこでもおいてるよw
想像通りの音だよw >>72
島根の加茂岩倉遺跡から出土した物かな
以前出雲大社近くの資料館に行った時展示してあった
まさしく叩いた跡が残っていた 中国南部から下戸遺伝子を持つ人々、呉の末裔を名乗る人々、すなわち倭人が黒潮に乗り潮岬に渡来、淡路島に上陸したんだろうね。
国生み神話で初めに出来る淡路島。
イザナギの宮があったとされる淡路島。 当時、銅というのは貴重品なんで、普通の国では、体積は小さくなる。
しかし、関西には銅鐸が腐るほどあった。小さな集落にも複数の銅鐸があった。
どれだけ、関西が金持ちだったか、わかるだろ。 >>75
正史三国志の魏書にも周辺国の一つみたいな感じで扱われてたな 個人や血縁の集まりしかないときに
初めて「ムラ」が出来た
「全員集まれ!」をお知らせする合図が必要になる
そしてその音 その音を鳴らす道具が「ムラ」の象徴となっていく
「鐘」は世界中で団結の象徴だ 淡路島にイザナギ神社があるからな。
古代日本で淡路島はなんか重要な島だったんだろうな。 wikiより
銅鐸(どうたく)は、弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器である。
紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって製作、使用された。
え? 今回の銅鐸は日本最古? >>95 続き
倭や和というのも「ワーン」と鳴り響くその音色から来てる
という俺の新説 >>96
上沼恵美子淡路島海からの五分の所に住んでいた
子供のころよく高波で家、周囲がつかる経験
当時は珍しい冷蔵庫などがぷかぷか浮かんだという
一回が水浸しという
当時は淡路島 →河内湖で生駒山まで行けた >>99
カンカンカンという想像通りの音
音量は大きく聞こえる >>99
元々銅鐸は日本の物じゃないw
中国で生まれ朝鮮半島から渡ってきたものだ >>98
象徴になってしばらくして呪術に使われるようになった
天皇が祭祀を行うように 伝統を持つ象徴には神秘的な力が備わる
憲法九条だって戦争を防ぐ魔力を持つと信じてる奴があまたいる 大陸産のはもっともっと小さいだろ
倭人は何でも巨大化するのが好きだったようだ ゴッドハンドの可能性を疑ったほうがいい気がする。
いくらなんでも時期がおかしい。 ということは当時の日本で
もっとも先進的な文明は
淡路島にあったって事か? 邪馬台国 Q.E.D. 証明終わり! >>103
ウォークマンだってアニメだって外国から渡ってきたものだが
パリの「レビュー」→宝塚→AKB のように日本独特のものになってゆく 埋めたんなら、付着物の年代が500年単位で遡求されてまうやろ
あんちゃん達ちょっとは頭つこうたほうがええわ
置いたんなら、付着物の年代そのまんま >>102
懐かしい・・・
ヤマタイカと宗像教授シリーズはオレの愛読書っす 倭人は呉の末裔を名乗っているからな。
春秋時代末期なら紀元前5世紀くらいか。
紀元前4世紀の銅鐸が出土しても不思議ではないかな。
長江河口から海流に乗ると、黒潮まで繋がるんだよね。黒潮が自然と接岸する地点が潮岬。
渡来した人々が淡路島に上陸して、拠点を作ったとしても不思議ではない。 >>103
日本の銅鐸は模様や完成度が高く中国とか朝鮮の銅鐸?は模造品レベル 土器でもないのに、植物片で測定する意味があるのかも疑問 >>14
最近は弥生時代の始まりがどんどん前にずれている 2000年以上前から祀ってある場所なんかナンボでもあるわ笑 GHQに古事記教育を禁止されたからって
歴史が変わるわけでもあるまいし笑 >>119
2600年は数え間違い
正確には2000年 >>119
と、言われている、ってだけで今回みたいに物質鑑定で分かってる所なんて殆ど無いでしょ。 神武東征の通り道だろ。攝津を攻めて負けたら淡路に逃げるのは戦国時代の三好氏と同じだし暫く天孫が滞在したのかも。 >>116
紀元前中国の青銅器のクオリティすさまじい >>118
急に米作りが始まったなんて無理があるだろう
情報伝達が乏しい古代のことなんだ
狩猟・採取・米作りが渾然となってた時代が十数世紀あったとしても
不思議ではない 点と点を線で繋げて、この年代を比定したいうても、そもそも繋げてええんか?ってことや 地霊をなだめるための呪術の祭器で、地震などが起きると、
地下の霊をなだめるために、埋葬していたとしたら。
その前は生け贄を埋めていたとしたら? 占いとか魔除けとか祭祀とか、全部間違いじゃねーの?
昔の人も、いや昔の人だからこそ実用性を最重視したと思うよ。 >>124
荒神谷遺跡からも色々出とるし
加茂岩倉遺跡からも色々出とるで >>128
地図を知ってるひとの発想
船で来たら住み安そうな岸辺を探して
最良だと思うまで上陸しない
これが未踏の地の常識 俺らの時代は弥生時代は紀元後3世紀ぐらいからと教わった気がする この銅鐸、もともと埋まってた正確な場所がわかってないやつ? 以前のニュースではそんなこと書いてたけど。また別の銅鐸かな? >>126
日本の銅鐸は厚さ2mmの物もあって
現在の職人技でも厚さ5mmまでしか作れ無いよ
考えられないレベル。 剣と勾玉と鏡はこの国の秘宝になったが、銅鐸はハブられた。
五月蠅かったんだなw 青銅は銅と錫の合金だが、錫が国内で生産されるのは
江戸時代に薩摩藩などで錫の鉱脈が発見されてから
その前は錫はすべて輸入に頼っていた
錫も輸入したが、青銅そのものも輸入していた
紀元前4世紀の銅鐸の原材料の青銅は間違いなく朝鮮半島からもたらされたもので
銅鐸を作ったのも半島から来た人 訂正するなら早いうちにやったほうがいいと思うぞ。
「オーパーツの地」とか言われて観光名所になって
ゴッドハンド事件みたいに、にっちもさっちもいかなくてから
「ごめん嘘でした」とか言ったらタダじゃすまんよ。 そもそも古事記には神武天皇以前の話も書いてあるのに
GHQの洗脳のお陰でその時代が綺麗さっぱり消されてるってだけの話
銅鐸が出てもなんも不思議なことじゃない >>75
4世紀にはまだ「天皇」という呼び方はしていなかった。7世紀から。 >>143
古代崇神のころには倭人が半島を征服して
親日派に朝貢させてた
「(崇神紀)六十五年秋七月、
任那国、蘇那曷叱知(そなかしち)を遣して、朝貢らしむ。
任那は筑紫国を去ること二千余里。
北、海を阻てて鶏林の西南に在り。」 >>147
当時、錫が無いということは青銅製品を作る冶金技術が無いということ >>148
そんなんはどうでもええの
年代の比定は慎重にな >>89
そう。酒に弱い下戸遺伝子は中国南部を中心に沿岸部。台湾。日本の近畿と周辺に多い。朝鮮半島は違う。 >>145
普通に考えてそうだろ。
もっと薄い膜みたいなのを
少しずつ重ねて2ミリにしたのだとしたら逆に凄いだろ、
どんだけ薄型だ。 >>153
どうでもよくないわ
古事記には大国主命の話が大きく書いてあるしその証拠も出土してるのに大陸文化がー
とかアホとちゃうか笑 >>151
崇神天皇(AD148年〜AD29年)では紀元前4世紀とはぜんぜん合わない どーたく埋めてから九州熊襲がくるまで何つかってたん? >>152
レア・アースは日本では輸入に頼ってるが
応用した製品は日本が圧倒的
レア・アース大国の中国は応用製品作る後術はもっぱら後追い >>123
古墳作ってる時代には銅鐸は作られなくなってる
ちなみに奈良には古墳クッキーや古墳ケーキなるものがある >>152
>>158
アフリカとか資源があるだけで利用するのは先進国の人間 >>155
皆知らないけど
日本の銅鐸製造技術は世界のオーパーツだよ 同じように今から2000年後に
地中からパソコンの残骸が発掘されて
これは祭祀につかわれたのだろうとか
言われてるんだろうなw 既に船による交易路がびっちり張り巡らされてたんだろうな
たぶん淡路も和歌山も交通に超便利な立地
陸路メインの現代人には想像しづらいけど >>162
銅鐸祭祀だけじゃなくて青銅の剣も
青銅器全体の祭祀が終わってる
鏡ブームかもね
紀元前古代中国に比例して日本でもブームが変化していったのが
正しいと思う >>37
くそ・・・書こうと思ったのに。
でもみんなもそう思ってしまうでしょ? >>166
言われない
>>167
弥生のアクセサリーの貝って沖縄諸島産だから
かなり遠いところから運んできてるね 紀元前4世紀?ずいぶん古いんだな
奈良時代に銅鐸を発掘した文献が残ってるが、誰もそれがなんだか分からなかったとある
およそ千年前の呪具じゃそりゃ分からんだろうね >>164
当時の中国大陸ならそうかもね
日本列島は青銅器が到来したばかりの未開状態だからそれはない >>157
それもどうでもええねん
科学的な年代比定を慎重に済ませてから、文献とつき比べればええ話や >>1
中学社会で、銅鐸は何に使われてたでしょうと指されて聞かれて
何も知らなかった俺は焦って答えたのが、紐を輪っかに通して振り回して狩りに使ったとか
教師と塾で事前に学習して知っている周りの奴らにクスクスと笑われた
それから怒りでガリ勉して 自慢話はしないので省略 銅鐸に中国の影響が強いとすれば
漢字の入った銅鐸が発見されても
よさそうなもんだが 見つかったあたりは当時入り江でしょ
積んでた船が沈んで埋まっただけでしょ(´・ω・`) >>175
どうでもよくないよ
古事記を知らなければ想像すらできないからね笑 >>177
山のようにそういう青銅器紀元前中国にあるよ ラノベはんが言うには、あの辺は渦巻くくらい潮が荒いから、それの変化を知らせるもんなんちゃうん?やて >>177
銅鏡には漢字書かれてないんだよね
そもそも中国人だから漢字が読めたわけでもないしね
三角縁神獣鏡は日本製だが、製作者の名前が掘ってあるものがあるらしい
中国人ぽい名前が >>177
銅鏡のように船で中国のを直接持ってきたわけじゃないよ
それに中国の銅鐸は日本の銅鐸に比べて小さい
叩いて音を鳴らしたのではなく鈴として使っていたのではないかとされてる >>182
そんな書き込みやったら、何がどう違うかわからんわ 淡路島が最初に神から生まれたんだっけうまいこと出来てるね >>173
現代でも70年前の丸い玉みたいなのが見つかって、
不発弾なのか化学兵器が入った容器なのか分からなくて処分出来なかったものがあるからな。
結局、滑走路につける電球だったらしいが。 >>152
錫は日本にもあって
かっては兵庫県の明延鉱山などで盛んに産出された >>190
違う
祭祀の体系が整ってて教科書もある状態が古代中国 >>81
殷(商)の人間は商いを得意としていたので、商人って言葉が生まれた説がある。 >>171
そうなの!?子安貝とかかな
人間は昔から珍しいものが好きだな、あと商魂逞しいw 勘違いしてるヤツが多いけど、太古の歴史を有する淡路島人にしてみれば
邪馬台国なんて昨日今日に出来たポッと出の新興国だぞ >>181
流水紋銅鐸というのが一番多いらしいが、要するに地下水を絶えないようにとか、水を引寄せるためにとか、
要するに呪具じゃないかという分析を読んだことがある
まあ、>>1にも書いてあるね >>191
明延鉱山が錫を産出するのは江戸時代になってから
それ以前は産出するのは銅と亜鉛だった
日本で錫が国産されるのは江戸時代になってから >>165
聖書読んでみ。銅鐸ごときでうっとりできない。
BC4世紀頃といえばダビデ王やソロモン王の栄華はとっくに終わってる。
ダビデ王がBC1000年くらいの人間。金の丸盾やら戦車を用意してた。 >>193
というか中国の本質は商業国家だけどな
ある程度国の形が整うと、それを乗っとるだけになったが(秦以降) >>198
当時の西洋は巨大石造建築で街を作ってた
それにくらべてしょぼすぎるだろw 分からない物は何でも祭りに使ったことにするの良くないよ。
俺はこれでスズメを捕まえて食べた説を主張するね。 >>204
国は滅んだが文明は受け継がれているだろ
彼らの文明は日本なんかよりずっと古い >>200
当時の話だが確かに大陸の文明圏は辺境の日本列島とは文化レベルが違うよな >>202
ギリシアとかのことを言ってるなら、あれは土台だけだよ
あと大陸は戦乱が絶え間ないので城塞都市なだけ
ショボいのは認めるが、日本の場合木材が無尽蔵なので木造建築が主流だろうね
だいたい暑いし日本列島は >>207
はっきりいってどこでもいいな
どこにあろうが世界史的には何の影響もないw >>215
東アジアに拡大しても同じ
西洋文明には到底追いつけないw >>209
中世が終わるまでは途絶えていたんじゃね? 西洋といえばローマ帝国
一度ローマ市民になって支給品のパン食いながらコロシアムで剣闘士の試合を見て
その後公衆浴場行って仲間と今日の試合について熱く語り合ってみたい >>118
昔もそういうのがあったよな。
またゴッドハンドが現れたのか? ローマ帝国はヨーロッパと言うより、地中海周辺だよな。
当時のドイツやフランスはまったく未開の地だろ。 >>212
古代の日本の建造物系だと前方後円墳くらい程度しか見るものはないな
紀元前まで遡れば前方後円墳ないし >>213
城塞がないのは日本都市の特徴だよ
そこは大陸と比較して面白い
まあ、それだけ平和だったと言える 呪術だの占いだのシャーマンだの片腹痛いわwww
いかにも優越感に浸るために、想像力が欠落した現代人が考えたオカルトだよな
原始人じゃあるまいし、少なくてともBC300年頃には銅鐸くらいは
作る技術や文明もしっかりあったし、もっと実利的に生活してたわw
判らないからって馬鹿にしすぎwww何がお祈りの道具だよw ID:Qwx5wpWz0って頭悪いな
ってか多角的な味方が出来ない残念スペック 違う時代の植物片が付着していただけだろ。年代がおかしすぎる。 結局淡路島のどこで採掘し土砂だったか分かったの?そこを掘ればもっと出てくるかの 「日本を含めて東洋では、ねじ構造自体を
独自に発見・発明することができなかった」
らしい
ねじ発明したやつは凄いよな
横方向の力を軸方向に変換するって発想は
0の状態から中々出てこない 漂流してた中国人が埋めただけだろ
卑弥呼以前の文明とかない >>216
西洋というかオリエント文明だな
ヨーロッパの台頭はずっとあとだし、オリエントのパクり >>222
違う
城塞都市を作るような技術が日本にはなかっただけw
明治になるまで木小屋に毛の生えた程度の建物しか作れなかったのが日本w >>231
オリエントと言っても今のアジアのことじゃないぞw
どちらも白人文明 淡路島はイザナギとイザナミが祀られてたとこなんだよ
アマテラスの権威づけのために古い神であるイザナギとイザナミが父母神とされた
伊勢神宮も昔は違う神が祀られてたけどアマテラスを主神にしてアマテラスの格を上げた
これらは神話研究の学者の説だけれども >>230
なんの下地も土台もなくいきなり邪馬台国生まれたの? こりゃ歴史観が覆る大発見だな。
隠したとか捨てられたとかではなくて、
最初から「埋めて使うものだった」って事だね。
つまり、儀式で鳴らしたり飾ったりした後、
最後に埋める事でその儀式が完了すると。 は?
朝鮮半島で制作されただと?
どこにそんな情報があるんだよwwwwwwww >>235
神社の痕跡からイザナギイザナミは淡路の海洋民が崇めてた神らしいね >>232
大坂城「・・・」
江戸城「・・・」
ついでに熊本城「・・・」 >>222
弥生時代は一方的な蝦夷虐殺の歴史だろ。 邪馬台国バカは論理的に思考することが出来ないからな
興味があるのはおらが村の近くに邪馬台国があったか?なかったか?だけ >>234
あー、白人マンセーしたかったの
残念だがオリエント人を白人と呼ぶ学者はいないよ 古代文明からすると紀元前四世紀とか、平成25年くらいの雰囲気で最近の話 ま、最初から埋めるための呪具ってのはあるからな
埋めたり流したり 古い型よりも、150年以上前に埋設。
単に埋設時期が、従来の見立てより昔。でエ〜ん茶運家。
ま業界的には、大事件じゃろけどなHAHAHA(。・ω・。)y-・~~ >>243
オリエントが白人文明であったことも知らんとなw >>241
縄文人を蝦夷扱いしてるならとんだ勘違いだぜ >>250
お前まさか今どきアーリア人とか言い出す気か…おい >>232
もっと根本的な違いだろ。
民はみな奴隷、虫けらと同じだから守る必要がなかったんだろ。
平気で神風特攻させるし、原発落とされても降伏しないし。 >>15
呉が滅亡したころと重なる
日本人の呉人説が濃厚になりますね >>244
ワロタ
確かに建物の骨格は木製だけどな >>248
日本の歴史学界は、どうしても日本の文明を朝鮮半島よりも遅れたものにしたいのさwww
だから、さらに古いものが出土して矛盾がどんどん生じてくる。 >>235
というか、各地の豪族(土着の王家)の神話を取り込んで一本の物語に仕立て上げてるのよね、日本書記は
だからちぐはぐな部分が多い
当時の政治の産物なんだろうな 淡路島はアンモナイトの化石も採れるでな
なななねかか 日本以外は、木を切った後、植林しないんだよ。
だから砂漠になっちゃう。建築材料が石しかなくなる。 >>261
白人(コーカソイド)が作った文明やぞ
知らんのかwwwwwww >>258
中国→半島→日本列島のルートしか考えられないんだろうね
というか、長い間半島は中国そのものなので、中国→日本列島なんだが ●ことら総合研究所
http://kotora888.art-studio.cc/kotorabasefr.html
http://kotora888.art-studio.cc/kotora/nikki_2016_01/201606_4.html
平安時代のはじめ
チョーセンの学校教育には存在しない日本の平安時代は、鴻巣にありました
はじまりは平城天皇の時代です
※埼玉県鴻巣市=市の領域が蝶の形をしている
古代イスラエルの領域も蝶の形をしている
蝶の家紋をつけてるのは平氏
朝廷、皇居と陵
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1RsqoFa3P1HbdPayJcxxVLbj1AYg&ll=35.99305049102668%2C139.59739272263334&z=10
(新) 日本の黒い霧
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/3f5592b4b77a251189648c622d9404a7
その一つが「日本国成立史」と「天皇」に関わるテーマであり、
私たちが幼少の時から教えられてきた古事記・日本書紀をベースにした神話物語が、
後代まで真の日本国成立の事実を国民の目から隠すために創作された、
古代の賢者による壮大な虚偽物語であることを明らかにします。
その一部を掻い摘んで挙げれば、神武天皇は宮崎日向の出自ではなく、奈良大和朝廷の王にもなっていない。
また大国主命は島根出雲の王ではないことなど、実在した両古代王の出所が明確になれば、
たったそれだけで、現在の創作日本史、神道教義、
または大和朝廷をベースにしたあらゆる歴史・スピリチュアル議論が木っ端みじんに瓦解することになるでしょう
123便事件の事実隠蔽はそれこそひどいものですが、
わずか2000年前の自国建国の歴史すら大嘘を吹き込まれている現代日本人は、
とことん不幸な民族であると思わずにはいられません。
この歴史の闇を暴く時、123便事件とは何か、天皇とは何かが初めて国民の目に露わとなることでしょう。
奈良神武王朝を紀元とする大和朝廷成立史を偽装するため
法隆寺の五重塔ですら他所から移築されたのである
「なぜそこまでするのか?」というのはまた別の問題
(新) 日本の黒い霧
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/2c48b2d712beeeefea3114c0bf49093f
真の天皇制は一般日本国民の全く預かり知らぬところで執り行われているのです。
123便事件の隠蔽などはその最たるものですが、本当の事が国民に知らされていない。
日本国統治の要諦(現代の法制度でいえば象徴か)である天皇制ですら、その実体が国民に知らされていない。
この現実こそ、日本人が生まれながらに抱える最大の不幸であると私は考えます。
陰謀論の世界では、「○○天皇は△△のすり替えだ」、
「この代は血が繋がっていない」云々の議論が盛んなようですが、そんな議論は私に言わせれば何の意味もありません。
どれも大和朝廷・万世一系という古代に創造されたフィクションから離れない虚しい議論です。 >>209
せっかくの西洋文明なのに
移民・難民入れまくりで台無し >>259
ただ、よく神を記載してくれたと思うよ
もし記載しなかったらまともに日本の神々が残ることはなかっただろう >>59
淡路島くらいの大きな島なら原住民が住んでたと思うが 付着植物片は付加物か付合物か従物か、が問題となる。 >>263
木材の節約の目的もあったのかもね
古代文明の地域はほとんど砂漠になってるし >>216
科学史を見る限り、中国>西洋だよ。
ガリレオを迫害していた頃の西洋は文字通り暗黒時代。
それを過ぎて急速に発達し、中国は逆に没落して逆転した。 淡路か・・付着植物が韓国群生だと面倒なことに成るな >>264
お前小学校からやり直せよ
義務教育受けてないだろ >>272
中東地域は土壌の再生能力が低いから文明が長続きしなかったんだよな
シュメールだっけ >>26
まだわからんよ 日本は島だから
大陸から渡来してきた政治的亡命者らの、一群だったかもしれないし
避難所ッポイ雰囲気もあるし オリエント文明が白いかどうかは
シュメール人やらアッシリア人やバビロニア人は白人かどうかって話だな。
まぁ、白人だろ?
トルコ人はヨーロッパ人じゃないけど白人だよな。 >>275
ベルサイユ宮殿は戦をするための城じゃないだろw。 ID:Qwx5wpWz0
顔真っ赤にしてカワイイなコイツw >>202
資源と気候の問題だよ
城の石垣を作るのすら領地から巨石を献上させてそれが名誉になるくらいだった >>275
比較する年代間違えてねえか?それに建物の目的も違うだろ >>276
小学校ではモンゴロイド(今のアジア人)がオリエント文明を作ったと教えてるのかw >>268
伊勢神宮の神は分からないらしいぞ
日本でも最古級に祀られてた神の筈らしいけど >>270
何も争いばかりじゃない。
稲作という技術は、呉の人々と縄文人を結び付ける役割も果たしたんだと思うよ。
日本人の祖先である呉の人々は稲作の技術はあるけれども、移住してきたわけだから労働力が足りない。
そこで縄文人を労働力として使ったとしてもおかしくは無い。
平和的にか強権的にかは知らないが。
高知県の遺跡では、鋭利な鉄製の武器でぶった斬られた縄文人の人骨が出土しているから争いもあったんだろうね。 >>280
日本の城も戦のためじゃないぞw
戦国時代の城はもっとしょぼいw >>216
モンゴロイドが白人様に遅れてるのは大昔からだし
西洋で地中海の覇権をかけてポエニ戦争してた頃、辺境の極東土人の戦争じゃなんと青銅wwの武器使ってたりするからな
むこうじゃガリアやゲルマンでも鉄器は当たり前だというのに極東はどれだけ遅れているのか
ローマのとなりにモンゴロイドが住んでたら今頃イエローモンキーなんて絶滅してたろうなあ 銅鐸とは弥生時代に製造された青銅器である
当時の呼び方は不明
横になった状態で出土するコトが多く
その姿が蛹に似ているというコトで
江戸時代は「蛹(さなぎ)」と呼ばれてたが
明治以降「銅鐸」と呼ばれるようになった(´・ω・`) >>259
ギリシャ神話もそんな感じ。
日本の大国主がヤりまくって子供作りまくったストーリーにして、
全国各地の神話を統合したように、
ギリシャではゼウスがヤりまくって子供作りまくった。 >>287
姫路城とか戦のときに立て篭もる城だよ。
昔は周囲に堀があった。 >>279
アイツらは混血
古代エジプト人も像を見る限り黒人でもないし白人でもない
オリエント文明を白いとか言ってるヤツははっきり言ってバカ >>288
そのとおりw
しょせんアジア諸国なんて文明の果てにあるところ
こんなしょぼい低文化レベルの国同士で起源がどうだの言ってるのだから余計に笑える >>288
白人様、長くモンゴルに支配されてましたねw。 >>293
007も姫路城で日本の忍者と作戦立ててたしな >>288
お前が白人ならそう言っていいけど、お前醜いモンゴロイドなんだろ? >>294
まあ、「黒いファラオ」の時代もあったし、遊牧民のヒッタイトがエジプトを支配した時代もあったし。
エジプト文明とひとくちで言っても、支配層の民族丸ごと入れ替えみたいな事が何度もあったわけで。 でもまあ、ローマ帝国が滅亡した後の地中海は、イスラムが1000年間も支配したんだけどねwww >>291
アポロンとアルテミスは兄妹神じゃなかったらしいね
アフロディーテはイシュタルだし 魏志倭人伝には壱岐や対馬の住民の暮らしは記載があるが小豆島や淡路島の
記載は見つからない。おまけに九州内の国名だけは判っているがそれ以外の
地域の国名がどこにあるのかさえも判らない。 >>291
ギリシャ神話はフェニキアの神様のパクりとも聞いたが
ゼウスだけは印欧語族の古い神様らしいよね >>303
淡路島の神様は、日本書紀が書かれた頃に、急に昇格したらしいw。 >>198
ロンドンなんて当時ただの荒野でしたけど? 紀元前 と 埋められていた がびっくりするところなのか? >>303
邪馬台国は中国と付き合いがあっただけの小さな国(といっても九州北部は支配してるのか)だと思う
そんで関西には後の天皇家に繋がる別の王国があったんだと思うよ
文献に残ってるから邪馬台国=強国の印象強いけどね >>127
ねーよw
稲作や灌漑を当たり前に使いこなしていた長江に住んでた倭人が移住してきただけだから。 >>307
インドラもそうだよね
ヒッタイトには名前がそっくりな神様までいるらしいし
遊牧民の神様なんだね、天空の神 >>21
大和朝廷以外の権力者に抑えられていたって事だな。 普通に考えて、大陸は文化人 日本はウホウホ言ってる猿ってのは現実的ではないので、分割にしろそうでないにしろ治められていたはず。
それは夏の時代も同じはず。 淡路島は 古来 徳島県とくっついてたんよ。 地震とかで 現在に至り
そして 淡路南端には 地震の名残かの 半島が海の底に沈んでいて 神社もあったんだそうだよ。 鳥居も海底に沈んでるんだろうね
海中からの、フキデモノの日本列島だから仕方ない話なんだろうけどね 忌み嫌われて埋めたんだろう
ガシャガシャうるさくって >>285
そっくりな神様でアマテルミタマと言うのがいるんだが、これは男神で太陽神
伊勢の大神も元は男性神だが、天武天皇との繋がりができたこと、日本書記で皇祖神に仕立てあげられたことで逆転したという説がある
つまり天照は持統天皇(天武の妻)の反映で、とすれば息子を飛ばして孫のニニギノミコトに皇位を継がせてるのも説明がつく
それから、男性神を祀るのは巫女で、女性神だと神主らしいのだが、一般の人間は神殿で拝んでる巫女を神様そのものと誤解して性別が逆転することもあるらしい
天照はもともと男性神かも知れんよ >>244
日本の城郭の防御力は同時代の中国やヨーロッパと比べても劣ってないよ
城郭の防御力の要は城壁だが、
中国・ヨーロッパでは石や煉瓦の壁、日本は土塀
日本の土塀は粘土質の土に油や藁やフノリなどを混ぜて突き固めて造る
これが非常に強靭で、古い農家の土蔵を解体するときなど簡単には壊せない
寺院や城郭はそうやって作った土塀に漆喰を厚く塗って強化する
さらに土塀を強靭にする手段としては、柱と柱の間に竹を編み込み漆喰を塗る
これは鉄筋コンクリート造と似ている
昭和の初めには鉄筋コンクリートの鉄筋の代わりに竹を使った木骨木筋コンクリートのビルがあったほどで、木筋(竹)建築物は頑丈なのだ
城郭の壁の場合はさらに漆喰の中に小石や瓦を厚く埋め込んで、鉄砲等の火器の攻撃に備えている
中国やヨーロッパの石壁や煉瓦壁は大砲で何度も何度も撃たれると、崩れる
基礎部分を何度も撃たれると最後にはガラガラと崩れてしまう
ところが土塀は大砲で撃たれても穴は開いてもガラガラと崩れたりはしない
これは構造からくる違いである
秀吉の朝鮮出兵のときも日本軍が建設した倭城は明軍の大砲に耐えた
明・朝鮮軍は倭城のことを土窟と嘲ったが
それだけ倭城の防御力が実戦でも強大だったからでもある >>9
>実は銅鐸の本当の使い方は…
最新の研究では、古代のオナホだって言われてるな >>320
バカの相手しなくていいよ
多分君の論説文読めないヤツだから >>254
徐福、呉説は昔からあるが物証がでてこない
稲ぐらい >>143
さらっとウソついてるね
日本での錫の産出は、遅くとも奈良時代には確認されてるよ >>303
魏志倭人伝の元ネタ書いた人は九州に留まって伝聞情報集めただけだろ
どう考えても関西方面なんかに足を伸ばしてないよ >>312
ゼウスの名自体はデーヴァが有力と聞いたことがある
キリスト教でもデウスだよね 春秋戦国時代に日本へやってきた渡来系が始祖となってクニを作り
徐々に勢力範囲を広げて九州、山陽、四国、近畿大半までの範囲を領域とする邪馬台国が誕生
東北除く本州の日本海側、東海、関東あたりを領域とする狗奴国と対立とか?
邪馬台国は魏、狗奴国は高句麗などと結んで大陸の技術導入
天岩戸前の天照大神=卑弥呼、天岩戸後の天照大神=台与
邪馬台国=天津神、狗奴国=国津神 >>196
呪具になるにも、その構造には由来があるやろうし、そこ考えていきたいね 渡来人が主体の国家なら文字の導入があんなに遅れるわけがないと思うんだよね >>325
どおせ分かりゃしねぇとテキトーに報告したんだよなw 紀元前4世紀つーと徐福より前か
良いねぇ、夢が広がるねぇ
古代日本史は専門じゃないがこういうのはワクワクする >>306
日本書紀に通底する陰陽思想と、渦巻きが習合されただけの話や、あれ >>324
でもそれはごくわずかでね
日本で本格的に錫が自給できるようになったのは
17世紀後半に薩摩で錫の生産が始まってからなんだよ
それまではほぼ輸入に頼っていたんだよ >>209
文明を受け継いで発展させたのはイスラムだぞ
西洋はイスラム圏から学びなおした >>332
役人の仕事だからな
営業マンならどこまでも行ったかもしれないが 邪馬台国に縛られてるバカが多いから自国の歴史を読み間違えるんだよ
魏志倭人伝なんてテキトーだって、発掘したものや国内の流れの方が遥かに重要 >>324
今調べたんだけど
やっぱり日本で錫が産出されるようになるのは17世紀後半だって
それ以前は輸入なんだって 邪馬台国が奈良や岡山にあったのなら、奈良や岡山に辿り着くまでにいろんな
国々を通って来たんだろうが九州外の国名が全く判別出来ていないのは何故なんだ
おまけに九州内の不弥国までの方角は地図とも一致しているが、奈良や岡山説では
急に方角を変更しないと辿り着けない事になるな。 つってもヤマタイは大和に決めちゃったしなあ
到底信じられねえけどさ >>339
大陸に近い国邑が冊封して貰いやすいのと、他の地域の国邑がどういった勢力図を描いてたのかは別の話やからな
日本の戦国時代に、京に近いと天下に覇を唱えやすかったのと、他の地域の群雄がそれに匹敵する実力を備えていたのとは別の話であるのと一緒や 火山噴火かなんかでそれ以前にあった文明が一度滅びてるとか
そんなことはないのか? >>288
世界最初の文明(文字と金属と灌漑農業と家畜利用と法治システム)を作り
後発のすべての文明の基礎となったのはメソポタミアのシュメールだが、
当時も今も現地の主力であるセム族とは人種も言語も全く違う謎の民族
で、記録に残されている人種的特徴と出自に関する記録および言語の特徴から
察するに、シュメールの正体はどうもモンゴロイドであるらしい >>319
アマテラス男神説は聞いたことある
でも日本の太陽神は女神の方が多いっぽい
渡来系の神は男神が多そう
アメノヒボコの話とかおもろい 日本の話をしているのに西洋ではーとか
アスペにもほどがある
西洋コンプレックス強過ぎだろ >>351
シュメールはドラヴィダ系じゃなかったっけ?
モンゴロイドではないような
専門ではないから分からんけど >>103
何故ろくすっぽ現物も文献にも残ってない朝鮮を入れるかなぁ
いろいろな文物の朝鮮ルートの根拠の大半は19世紀の権威()が地図で見て近いからそうだろうって決め付けた程度のもんだってのに
日本海と長白山舐めすぎなんだよ
朝鮮半島なんざ近代の機械化された移動手段以前は陸の孤島だってのにw その頃だと平野がまるで無いから淡路島なのかな。
渡来人が瀬戸内海渡る時にはさぞ肝が冷えたろうなアマゾンみてえなもんだ >>25
朝鮮半島に銅鐸は一つも見つかってないけどなwww >>343
古代シナの木っ端役人が書いたテキトーな報告書を真面目くさって100年間論議してるんだよ
方角がどうの距離がどうの言ってな
滑稽としか言えんわ >>355
それこそ妄想。
地図見るも何も海見たら向こうに陸が見えてるんだから渡るだろ。 >>342
え?
8世紀に編纂された続日本紀には普通に登場してるぞ >>360
だから日本から朝鮮に文化が伝わった可能性も大きいですね >>354
ドラヴィダだー、カフカス系だー、トゥルクだー、いやいやモンゴロイドとネグロイドとの混血だーと色々あるみたいだねぇ あらかじめ埋めるつもりであれば
鳴らす構造(舌)を備えているのは変なので
侵略者によって埋められたのかな
戦利品として継承されなかったのは
祭器ゆえ所有者の怨念、祟りを恐れ
埋納のかたちをとった >>355
アメノヒボコは新羅の王子だぞ
日本書紀や古事記には古朝鮮の話が結構ある
どれも日本を格上としてるから日本の方が強勢だったとは思うけど古朝鮮を無視すると日本書紀も古事記もしりませんと言ってるようで国粋主義者であるなら恥ずかしいぞ >>362
半島から船出ると対馬海流に乗って出雲あたりに着くだろうけど、
日本海沿岸から海出ても流されて半島には着くかないので、
日本から半島に辿りつくにはかなりの航海術が必要ですな。 >>366
デマはいかんぞ
アメノヒボコが新羅の王子とか… 火の見櫓の上に付けた半鐘の祖先だよ 知らんのか?
集落で何かあったらじゃんじゃん叩いて、柵外にいる連中に知らせるの
ただ、到達距離と風向きであんまり聞こえなかったから、太鼓に取って代わられた
太鼓だとリレーも出来るし、叩き方で双方向通信も可能
あんだーすたん? 今さっき思いついた法螺だけどw >>370
片道航行しか出来ないんだったら、文化の伝達なんて無理じゃん。 >>360
だから長白山舐めんなっていってんだよ
中原やらシルクロードからクソ離れてるうえに水もろくにない荒野と急峻な山脈越えて貴重品運ぶ馬鹿はいねーんだよ
何しろシルクロードも中原も太平洋側ルートで船使った方が早くて楽だからな
あと古代九州は蛮族が幅を効かせた危険地帯だ
鑑真和上は朝鮮半島を通って来ましたか? >>371
たまに蝦夷を馬鹿にする人間もいるが空海上人も実際は蝦夷出身とも言われてるぞ
蝦夷の捕虜を佐伯部に集めたとされていて佐伯と言う苗字の主な元は蝦夷と言われてるし
もちろん貴族の佐伯氏もいるけど >>370
流されるから、トラバースみたいな航海測量?ぽい事せんとあかんよね >>361
錫が日本の歴史上の記録に現れたのではなく
錫が国産されるようになったのが17世紀後半なの
もう馬鹿ばっかりで疲れるわ 銅鐸が、何に使ったか分からないとか無い、普通に楽だと思うよ。
孔子も民を治める力があるとか言って、かなり勉強したらしいしな。 そういや上沼恵美子が言ってたな
姉の千里のことを「銅鐸みたいな顔」って
まさか・・・ >>362
南部は倭国で北部は中国だろ。
この頃は。
どっちもまだ統一されてないから、微妙な言い方だけど。 >>358
お隣り大陸の歴史書なんてかなり胡散臭いよな
あれ、王朝が変わってから編纂するルールだから
相当都合良く書き換えてるのを一番よく知ってる支那人が
「あんなの鵜呑みに信じちゃダメアルヨー!」と言ってるからなw
そもそもたった数十年前の南京攻略戦とか文化大革命のことすら書き換えてるのに
情報伝達量が遥かに乏しい1500年前とか時の権力者が都合がいいように書き残すのは明白
結果ありきで書いてるんだから、殆ど価値はねーわな >>370
昔から交通はあったんだが?
日本から対馬、新羅、百済に行ってたってのは、日本書紀にも、半島側の三国史記にも書いてるぞ まあ日本人と朝鮮人はバルカンとロミュランみたいなもんだ。五胡十六国の煽りで完全に分かれたけど >>374
出雲みたいな辺鄙なところが神話時代から栄えてるなんておかしな話で
場所的に半島から流れてきた民族なのは明らかだろう。 >>375
蝦夷は辺境もいいところだったからね。関東ですら辺境だし
でも遮光器土偶の遮光器見るとそれなりに交流はあったのかなとは思うが >>387
出雲は、大陸から漂流してきたんだよ。
半島から直接の南下は海流が邪魔すぎてほぼ不可能。
構造線が発達して、やっと直行できるようになった。 >>387
出雲が何で辺鄙なんだ?
普通に日本海に面した港じゃネーカ。 >>378
いやいや、オマエがGoogleレベルの馬鹿だから疲れるんだよw
令丹波國獻錫て意味分かる? 日本の方が朝鮮半島より稲作に適しているから、稲作が広まると常に日本の方が人口が多かった。
それが日本の経済、防衛の優位を保った。
ただし、唐やモンゴルなど、大陸の勢力が強い時は、朝鮮半島はその手書きとなって日本に楯突く。
それが歴史のパターン。 昔は日本海側のほうが太平洋側より発展してたんだよ。 <<365
それはないだろ
木箱に入れたりして恐ろしく丁寧に埋められたんだぜ
文化も宗教観も違うだろう侵略者がそんなことしないよ
俺が侵略者なら銅鐸は戦利品と考えるけどね
青銅は貴重な資源だったはずだからね >>387
栄えてたか青色吐息だったかはともかく、
一種アンタッチャブルな扱いというかあそこは別みたいな扱いを中央がしてたのは類推できるわな
それが武力によるもんか宗教的権威によるもんか技術や大陸との窓口といった実利的なもんか政治力学的なもんか
複合してたんか単一国家としての地位があったんか、古代史はロマン >>390
大陸からずっと流れてきて、やっと半島や九州の陸が見えてるのに素通りするとかないわ〜
そもそも冬は強い北風が吹くんだよ。キミ船舶免許持ってないでしょ。 >>387
考古学的には出雲が古代に栄えてた証拠はないらしいよ >>393
訂正、手書きじゃなくて手先。
スマホで漢字変換すると、うっかり隣りを選択してしまう。 >>288辺境の極東土人の戦争じゃなんと青銅wwの武器使ってたりするからな
古代日本の大きな特徴は青銅器時代が無いことだぞ。知らないの?
青銅器と鉄器がほぼ同時に伝来しているので、青銅器は主に銅鐸や銅矛や祭器
など、実用性が低くて権威や富を誇るための装飾品に利用された。なお古墳
から出土する銅鏡は、ほぼすべてが日本産の銅だ
で、ここからが大事なことだが、鉄器(実用品)あっての銅鐸(非実用品)
なのだから、銅鐸がある時代には、鉄器もあったに違いないということだ
日本の鉄器利用の最古も、銅鐸と共に前4世紀まで遡れる可能性が、高いのだ 淡路島をクルッと回せば琵琶湖
淡路島を裏返して嵌めて琵琶湖
両性具有で龍体の日本列島にて
淡路島は男性器で琵琶湖は子宮 >>398
脳味噌が1980年で止まってるな。
荒神谷遺跡で日本史上、最大数の銅剣が見つかってるよ。
いまでも、日本の銅剣の50%以上がここで見つかったもの >>398
言語が東北に近いので最後まで残ってた原住民の支配地域だったはず >>389
アメノヒボコの件はいいの?
デマじゃないけどググれば分かるでしょ 中国の古代王朝も音楽によって民を治めたのは良く知られたところであり、
銅鐸も、その流れを汲んだ、民を治める為のツールであった事は疑いようが無い。
系統立てて調べれば、どの王朝の部族が流れてきたかが分かるだろう。 >>410
銅鐸が音を鳴らす道具なら、なんで舌や擦った後がない銅鐸があるんだよ? >>405
期待するほどには栄えてないでしょ
今は十三湊が日本有数の港だって誰が信じる? 箕子朝鮮の時代の話な
箕子朝鮮人は厳密に言うと殷帝国の人々から構成されているから
弥生人と同じ種族で今の朝鮮人とは異なるんだよな >>410
実家の近くの弥生時代の祭祀遺跡からは琴が出た。よくわからんが、なぜに音楽で祭り事ができるもんなん? 銅鐸ってそんな古いもんだったのか。
邪馬台国のずっと前やん。 >>413
出雲と十三湊に何の関係があるの?
意味不明なコトってるけど、
日本の遺跡で、一か所に日本全土の50%以上の文物が集まってる例なんか、他にはないよ ヤマト朝廷誕生以前の古代日本;大倭国が造りし古代朝鮮半島国家の片りん
レンコリ在日朝鮮人 顔色無し
九州に古代王朝を築き、そこから出でて東進し関西近畿豪族を全て平定し、大和朝廷を造った天皇家・・
北方エベンギ朝鮮人も長き歴史の偉大さを知る >>412
威信財に変わったからかな
青銅器そのものが権威の象徴になった >>392
その丹波国の錫を産出した鉱山はどこだったかも分かってないんだよね
一時的にごくわずかな錫が産出したわけ
17世紀後半に薩摩などで産出されるようになるまで日本は錫は輸入に頼っていた
これは史実なのです
例えば日本最初の政府発行の硬貨は七世紀の富本銭で銅とアンチモンの合金だった
錫が無かったので青銅製にできなかったのです
その後、八世紀に発行されたのが有名な和同開珎
初期の和同開珎は銅とアンチモンの合金または銀です
その後青銅製になったが錫の含有量は中国の銭と比べて少ない
奈良の大仏の青銅は成分から、ほとんど中国からの輸入だと分かっています 箕子朝鮮の歴史を調べれば
どの王朝か分かる
それは殷つまり商の王族が箕子朝鮮の人々
銅鐸と共に日本に流れ込んだのが弥生人=殷王朝の人々
別に難しく考える必要はない
そして南朝鮮には元々倭人が住んでいて仲良くやっていた
ちなみに今の朝鮮人と弥生人とは若干異なる
殷帝国=弥生人だから起源は中国大陸になる >>417
見つかってないものは無かったとは限らないでしょ
鏡だってどうよ
十三湊を出したのは単に栄枯盛衰なんて全て見つからなければ分からないでしょと言う意味程度だけど >>420
>一時的にごくわずかな錫が産出したわけ
算出されたのは事実なわけね。
>>342 でさ。
ID:SdGYJn450 がこんな嘘をついてるんだよ。
> やっぱり日本で錫が産出されるようになるのは17世紀後半だって
> それ以前は輸入なんだって
「日本で錫が産出されるようになるのは17世紀後半」
説得してきてやって 紀元前四世紀の時点で銅鐸は形骸化してたから
当時の人も銅鐸の使い道が分からなくて
解析は後世に人に託そうと埋めたんじゃね? >>423
>見つかってないものは無かったとは限らないでしょ
でも見つかったものは、「あった」んだよ。
だから「考古学的には出雲が古代に栄えてた証拠はない」ってのは間違いなんだよ。 単に埋めたなら宗教的な理由
破壊されてたら征服者による支配だろ >>424
それは言い方だろ
17世紀後半まで錫の産出がゼロだったなんて言ってないじゃんw
じゃあ言い直すよ
「日本で錫が国産で賄えるようになったのは17世紀後半から
それ以前は輸入に頼っていた」
これで御満足? >>420
錫が輸入品だろうが国産だろうが、和銅あっての古代日本の銅製品だしなあ
錫について、なぜむきになっているのか不明だが、むきになるならなるで、
その主張を裏付けるソースを張るべきだろうな >>429
「日本で錫が産出されるようになるのは17世紀後半」
「17世紀後半まで錫の産出がゼロだったなんて言ってない」
日本語の勉強やった方がいいぞ。 日本の歴史は3000年はあったんだな
つか四季が豊かで作物や家畜が豊富だから
文化は生まれやすいけど自然災害が多いから資料が残りにくいんだろう 倭人である日本人は初めから朝鮮半島南部にも領土を持っていた
殷には倭人は宝貝を通貨として提供していた
銅鐸に限らず日本は今の日本人が知るよりはるか以前から交流を大陸ともっていた >>424
江戸時代に錫が国産で賄えるようになったものの
それでも銭の青銅が足りなくて銭が鉄で造られたりもしたんだぜよね
そういう史実知ってる? >>433
隠喩や暗喩大好きな上に察しろの文化だからな
中世、近世でも史料が無い分野は本当に無いしな >>427
なるほど実際はそれよりも多くの剣が他の地域にあって失われていても剣があったのは事実だね
自分がないと聞いたのは都的な栄えがあったかどうかだけど少なくとも軍事的な力はあったでいいね
これについてはすみませんでした 銅剣はいわゆる武であり、演武を主体とする楽の一種だろう。 >>432
はいはい
言い方が不正確でした
どうもすいません
「日本で錫はほとんど産出されなかった。
そのため輸入に頼っていた。
17世紀後半に薩摩藩などで生産されるようになって、
国産の錫が国内の需要を賄えるようになった」
これでいいですか?
ちなみにそれでも国内の需要に足りなくて中国から輸入していたんだけどね >>425
飛鳥時代にも銅鐸の出土記録はあるが
当時の人たちも、すでにそれが何の目的で作られたものかわからなかった
銅鐸は、舌が存在した時点で、鐘として用いられていた事も明かだが
それが消えたのは三世紀ごろのことだ
ちょうどその時代に銅剣が広がっているから
何か政治的な変化があったと考えられる
それこそ神武の東征のような事がね >>438
国譲りがどこの話かしてますか?(´・ω・`) >>420
横からスマン
少なくても7、8世紀には加工する技術はあったでしょ
宋銭が含まれてると言われている奈良の大仏の建造に限らずだけど
錫の加工は外国人技士だけで囲われた中で秘密裏に行われていた訳でもないんだから
まぁ、当時は大切な鉱物だから、国内産地を探していたんだろうけどね
国内で見当たらなかったら、原材料を輸入するのは今も昔も同じだよ 権力者が歴史に残したくない事実ってとんでもない非道な虐殺だよ。
四世紀にとんでもない虐殺が行われた。 >>412
当時は貴重品で祭具だったから使われずに神棚に置かれてただけってのもあるだろ。 当時の日本国内は有象無象のローカル氏族で溢れてたんで「倭人」はあくまで日本人の一部族。 安徳天皇入水の際、三種の神器も海に投げ捨てられた
その時に鏡と勾玉を入れた箱は源氏は回収する事が出来たが
剣を入れた箱だけは回収できず。
結局、消失することになったとされている
まあ、その他にも長い歴史の間に色々あったから
現在、残されているのはレプリカではないかと古くから言われているけどね
その神器が、もし当時のものが残っていれば、考古学上、大きな資料となるのだがな
まあ、その前に調査を認められないとどうにもならないが 食料生産が軌道に乗ってたなら人口は力
なので殺すより支配するか奴隷にしちまうかするだろう チョンが盗んで所有権主張するババアが出てきて
韓国の裁判所が主張を認める判決を出す未来が見えた >>447 戦後に岡山あたりで、突然発見された
三種の神器のひとつって何だったっけ?
なんだかちょっと怪しそうなのだが、そういうのあったような・・・ 神器が三種あるってことはそのそれぞれによって象徴される土地か人を支配していた証なのだろう
つまり剣と玉と鏡の全てを支配した王の中の王がいた >>8
当時、朝鮮半島にすら存在しなかった
エベンキミンジョクには関わりのないことでづが何か 埋められたのか?
建造物や支柱が倒壊、廃墟となって自然と埋まったんじゃなくて? 楽を学んだ孔子が生きていたのが紀元前5世紀だから、
紀元前4世紀に日本で銅鐸が使われていたというのは、
楽で世を治めると言う流れの延長と考えるのに都合がいい。 はっきりいうと
青銅器や鉄器を殷帝国で作っていた文明人は
今の日本に住んでいる弥生人そのものだぞ
箕子朝鮮は実在の国で今の朝鮮半島は
今の日本人である弥生人と倭人である縄文人で溢れかえっていた
まずは箕子朝鮮の実在から認めような
改めて言うが銅鐸を作ったのは殷帝国つまりは今の日本人の弥生人であるグループが製作したもの
ここんところをしっかり抑えておこうな んで、三種の神器が同列で優劣がつけられていないということは
その三つの勢力とは別の第四の勢力が支配していたか、もしくは三種対等な同盟の盟主だったか >>450
平家の落人の潜み隠れた村は、瀬戸内沿岸に数多くあるが
そうした村村には、安徳天皇の子孫と称する家があったりして
そうした家に失われた神器の本物だと称するものが残されたりするよ
だからさ、本当のところはわからん >>443
加工する技術が無かったなんて
俺がいったいいつどこで言ったのか?さっぱり分からん >>447
源平合戦の頃の壇ノ浦ね。実はあの烈しかった源平最期の合戦
安徳天皇は関門海峡下関沖に沈んでおられません。沈んだと
言われるのか女官共々ダミー
一行は丘に上がった残存平家勢力や女官と共に安徳天皇をお守りし
九州で筑後川河畔付近まで移動、その地の豪族に保護されている。
安徳天皇は名も変え地元豪族と暮らし30才くらいまで生きられた
結婚もしているがその子孫は不明
穀倉地帯ではあったが今と違い僻地だった筑後川河畔に、天皇の死後
全国水天宮総本山が地域豪族等の寄付で造られ、そこの天皇や女官等が
神として祭られ、以来360年くらい西日本随一の花火大会が水天宮でとり行われています。
小さな豪族や戦国小大名しかいなかった僻地では経済力等から普通無理であり得ない事です
関門海峡のは供養神社も花火大会もダミー その後、鏡が主流になったのは、
天体観測に基づくシャーマニズムが、
民を治める手法になったからだろう。
それが卑弥呼につながって行く。
銅鐸は鏡と日食によって廃れていったのだ。 >>458 でも、正式に認められたとかで、
それで神社に祀ったんだよ。確か。
なんか読み物で読んだが、詳細は忘れた。記憶力なくて、情けない。 淡路島ってすごいところだったんだな。
いまもいいところだけど。
ホテルニューウ淡路 鎌倉の大仏に中国銭がつかわれてるというソースは見つかるが
奈良の大仏に中国銭が使われているソースはググっても見つからんかった >>458
>>460
>>461
俺は広島だが。
俺の住んでいる町にも平家村は存在するよ
平家の落人が棲んだとされる村だ
百足丸と呼ばれる神剣も残されていた 平家蟹も残ってるw
ほんきにするようなもんじゃねーって >>465
奈良の大仏建立は当時の日本の生産力ではGNPの何倍もの予算を費やす
巨大な国家事業だった
国中の銅が集められて使われたらしい
貨幣も使われたかもしれないな 関西在住なんだが
淡路島は上沼恵美子と玉ねぎぐらいしか印象がなく
天気のいい日は大阪から見えるぐらい近いのに
地味で、あるような無いような存在なんだが。
古代は先進地域だったにかもな。 ラジオも本もない時代
おそらく銅鐸の使い方も村によって異なっていた可能性があるな
ある村では秘宝、ある村ではみんなでダンス、ある村では興味なし的な 淡路に大規模な鍛冶もあったしな
地理的に重要な位置ってほどでもないのに 吉備、阿波、難波の中継地点だから制海権を握ってただろう淡路島はウハウハだったんじゃね
海峡二つで海路は封鎖できる >>471
銅鐸は、鋳型も発掘されているし
国産で作られていたのは間違いない
そもそも輸入品なら、中国や朝鮮半島からも出土してもしかるべきだが
いまのところ、そんな話はないな デタラメ飛ばしたり妄想を語ってもOKな考古学は楽しいね ただ銅鐸が見つかったと言ってに現地の状況が
遺跡や施設跡など何もないようなとこで見つかってるので
そう大きな意味や歴史はなさそ >>475
なるほど。鋳型まで出土するほど倭人にとっては「あるのが当たり前」な存在だったのか。しかも大陸や半島には無いと。
解説ありがとう。 >>474
おーなるほど
海上交通が多く小国にわかれていれば対馬や宗像的な要衝ではあるか 日食の予言は、民にとって相当なインパクトがあっただろう。
民を治める手法が、音楽から天体観測に切り替わったのである。
その為に、音楽は見向きもされなくなったのは間違いない。
銅鐸が山の土の中から発見されるのは、
恐らく普段から山の土の中に保存されていたのではないか。
銅の腐食の関係とか、その方が音色がいいとか、
或いは鋳型から抜き出す感じを再現したとか。
そしてそのまま使われなくなって放置された。
その他は他の青銅器に作り変えられた、鏡などに。 >>458
昔、バイトで口碑伝承の採集に回った時に剣と鏡が入ってるらしい箱見せてもらったわ
幕末に作って代々好事家向けの笑い話として伝えてるんだとw 土に埋めたのは価値があるから盗難予防とかも考えられるよね
たとえば銅鐸そのものが高額貨幣とか? ま、出鱈目やおらが村の妄想では僻地に大きな全国水天宮総本山が
亡き天皇の名を記載して出来て祭神として名を祭ったり
大花火大会が何百年も続く事は不能だわな
この淡路銅鐸とは直接何も関係無い事だが 銅鐸のベロが無くなったのはあると邪魔だからとか?
邪魔になる使い道とは? こんな妄想をするのも楽しからずや 前4世紀て出雲や古志の国の青銅器よりも全然古いんでないか 淡路は御食国(天皇と海人の関係)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E9%A3%9F%E5%9B%BD#.E6.B7.A1.E8.B7.AF.E5.9B.BD.E3.81.AE.E7.8A.B6.E6.B3.81
|万葉集の歌の中に「御食国」(「御食津国」、「御食都国」とも)が確認できる。
|それぞれ伊勢国(読み人不明)、志摩国(大伴)[9]、淡路国(山部)など、
|その土地を賛美した歌となっている。
|天皇がその国・土地を賛美するということは、すなわち該当地域の支配を
|暗示したものである。贄を貢がせてこれを食べることで贄の産地たる
|河川・山・海の支配を儀式的に示したものと同様のものと考えられている。 中国の三星堆で目玉が飛び出した遺跡の人達が
日本に引っ越してきて埴輪を作ったって事は無いの?
あのとんでもないディフォルメ手法とか似てると思うのだけど
みんな似てねーよっていうんだよな >>397
九州はエンジョイアンドエキサイティング部族の支配下
半島は荒野が広がる不毛の大地
素通りする理由は十分なんだが? 阿波、安房、淡路島などのアワ(アバ・アハ)系の地名アハは
暴れるの意(暴れるではなく、現れる)で
「本来は地中に合ったものが地表にアバかれた地」
つまり大規模地震の痕跡地名であるという
その他に泡とか淡とか粟の字が付いてる地名も直下で活断層炸裂!があるかもしれない 淡路=淡(青)の路
つまりヤマト政権の祖の墓所やそれに類する秘跡とも関係があったのかも やはり古事記や日本書紀ってそれなりに史実に基づいてんだろうね
大和政権誕生前の経緯を口伝+誇張・脚色で示してる また歴史年代捏造かよ
よっぽど近畿の遺跡年代古くしたいみたいだが >>493
目玉が強調されてるのは遠くを見通せるぞという意味で連絡網が整備されてたんじゃね 植物プラントが付着していても堀くり返して埋めてんだから古い年代のものが付着した可能性もある >>3 神武天皇即位は紀元前660年だから神話の世界ではとっくに建国してる。 >>502
神武天皇は実在したと思ってる人間だけど、それでも即位は紀元300年前後だろうね あの頃は一家に一台銅鐸がないと下流認定されたからなあ
うちも無理して買ったわ 実在の神武天皇本人は自分のことを小さな村の長だとしか思ってなかったのかな
最初の頃の天皇は近隣の豪族の娘や妹と結婚してるからそのランクの勢力だろ 大陸から後から来た弥生人にとっては既に原住民がいたから、
のどかな村の長というレベルではなく、それなりの軍力をもつ豪族で好戦的な侵略者だろう。
関西周辺を統一するほどのな。 >>500
日本のハニワの目はとても不思議で
観ていると哀しくて 吸い込まれそう‥
闇の世界を視てる感じがするよね
でも 素朴な可愛らしさがあるから それでなんとかカバーされてる どう考えても年代が合わない
右と左が政治的意図で歴史を捻じ曲げる
古代史が滅茶苦茶だ 淡路島は古代から大して重要性の無い地域だよ、奈良に都があった時も
重要な地域は奈良近辺と大陸、半島と接触出来る博多、唐津だ。
弥生時代の鉄製品は奈良よりも離島の壱岐の方が遙かに多く出土している
と言うか奈良からは鉄製品は殆ど出土していない。 そんなことより昭和遺産の世界平和観音像はまだ無事なのか?
何年か前に見たときはお腹のところのセメントが剥がれ落ちてたけど 仮に外国勢力が押し寄せてたら言語にわずかでも痕跡残ってるはずなんだがなあ >>510
銅鐸文化圏と鉄文化圏をいっしょくたにして語っちゃうような人は喋らん方がいいと思うよ 銅鐸討つべし討つべし討つべし
銅鐸討つべし討つべし討つべし
銅鐸討つべし討つべし討つべし 銅鐸は測量するための器械ですよ!
http://blog.goo.ne.jp/kagome1248/e/2d11ecce28b5daa9d167ac12e04d1181
淡路島で銅鐸が発見されたことが、今日のニュースの記事に出ていましたが、
新聞の記事を読んで嘆かわしいのは、銅鐸をいつまで祭祀の道具と言い続けるのでしょうかね。
銅鐸は測量の器械なんですよぉ〜〜!!
ちゃんと、測量するときに大事な基準点を出すための下げ振り もちゃんとセットで出土しているではありませんか。 墨攻だったかな
秦の軍勢に敗れた主人公たちが最後日本に移民する奴
その後の徐福伝説とか真実だと証明されたら面白い えぇ…パヨクは銅鐸が日本製って事も知らんのか…
スレの最初の方が酷いw 四国と九州のハーフだけど、先祖が瀬戸内で寺をやってたらしく、女しか産まれなかったんで跡継ぎが無く閉めたらしい、このあたりはお大師さん系さね。大戦もあり、関西へ移動
瀬戸内やら、淡路、あの辺りは、昔から海運や水軍、身内の仕事関係もやっぱり、それ。
瀬戸内圏、四国、淡路、九州は、ベッタリな関係だすよ >>57
九州=邪馬台国=九州王朝
近畿=普通の弥生人
天皇=ユダヤ人 銅鐸は元々淡路島以外でも使われてたもの
ヤマト王権の元となるシルクロードのユダヤ系豪族がやってきて
銅鐸使ってた人を淡路島に追いやる
銅鐸は宗教道具なので残ってる銅鐸は全部ぶっ壊される。古いのは淡路島にしか残らない。
銅鏡はユダヤも使うから残った。
九州王朝=邪馬台国も彼らに滅ぼされる。
これが空白の時代に起きたこと。 >>521
最後、古墳時代から数ページの怒涛の勢いで原爆投下まで行ったな。 ここで、日本は中国や西欧に比べて文化の発祥が遅いとか書いてる奴はバカか?
そんなの当たり前だろ
アフリカで人類が発生して、日本に来るまでの時間を考えてみろよ
ヨーロッパや中国の方が圧倒的に早く到達してるんだから
その時間の分、日本よりも文化が先行しているのは当たり前だっつうの
マジでバカか??? >>518
それはない
もっとシンプルでインパクトが強い説でないと >>3
朝鮮半島は関係ない
淡路島は、神話では最初にできた島じゃなかったか? 韓国の存在が大きいよな
古代韓国人がヤマトを征服するまで日本人は猿同然だった >>275
紀元前四世紀のフランスなんて、それこそ未開の野蛮人しか居なかっただろ? 稲作が伝来した時期だよな
銅鐸って稲作と関係あるんだろか? >紀元前4〜前2世紀前半(弥生時代中期前半)に埋められたとみられることが
すんげえ古いな >>319
まぁ元々伊勢神宮よりも宇佐八幡宮の方が重要視されてたみたいだからなぁ。あちらの方が本来の皇祖神なんじゃなかろうか? >>518
イエスが備前で死んだって衝撃の事実が!? 時系列的にも周王朝、春秋戦国時代の青銅器文化が
日本に到達してたと考えるのが妥当だな 何に使われたか誰もわからないから「宗教用具です!}といっておけばなんとなく納得してもらえる。 大陸で発展した牧畜用で、牛馬は伝わらなかったが、馬鈴(カウベル)だけが伝わり やがて大型化したものが 銅鐸。 銅鐸は単純に「鐘」(かね)だろ。鳴らす目的の。
そしてこの鐘は祭具というより、御神体そのものだと、私は考えるね。
つまりこの鐘は、「神」なんだよ。 まあ日本の考古学は一つのデータでさもすべてがそうであるかのような主張も多いからね
東北の石器ねつ造だってほとんど研究者は鵜呑みにしたし
日本の考古学的知見は眉唾ていどで見ておいたほうが良い 「呪術魔術」は、「分からないから当分そういうことに」の言い換え 「鐘」は青銅製であり、金色に輝くから「金」(かね)である。
そして音楽を奏でる「ベル」(主)である。 >>331
古代中国(特に辺境)の庶民の識字率は低かったと思うが。特に楚、呉、越の辺りは、文化も習俗も中原から見ると異民族みたいだったようだし。 西暦200〜300年より以前の話となると
マジでロマンだな
東京がごり押しする江戸時代なんて興味無いわ
あんなもん最近だろ >>509
放射性年代測定
が当てにならないだけ。 じゃあ、鐘の音ってこと?
鳴らすのって〜 合図とか、siren音や、祭祀用とか?
"鐘"って 金色の童って書くよ?
金さんの子供?
? およ‥? ◯淡路に鉄器工房跡 2017/1/25 20:30神戸新聞NEXT
https://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201701/0009859729.shtml
「舟木遺跡」の発掘調査で、新たに鉄器生産工房跡と、手工業品を生産した可能性のある工房跡、鉄器57点などが見つかった。
同時に出土した土器の年代から、工房があったのは2世紀後半とみられる。
>工房があったのは2世紀後半
>2世紀後半 >>21
まぁ確かに古代中国より劣ってたんだろうな。
しかし、口伝→書物として当時の記録が現代まで残されてるんだから、それなりに凄いと思うわ。 >>514
当時日本に国は無いから当然外国って物も無い。 >>559 ビリヤードにでも行って頭冷やして来いw >>3 朝鮮半島では銅鐸は出土して無い銅鉾は出たらしい
日本列島では銅鉾は銅鐸より後代の出土品 まあ中国の沿岸部からの移民でまちがいないだろうな
イネのゲノムからして揚子江下流の楚とか呉越あたり
しかも海洋民族が来ていると思われる
卑弥呼の鬼道とはこの沿岸部で盛んな巫女つまり巫道のことである
この地方から戦乱のたひに移民が来て何回も日本を塗り替える変化を起こしたのだろうな とくに根拠もなく一斉に埋められたと考えられていたことが笑える 埋葬方法が違っていたら異民族と考えて間違いない。弥生時代の本州は
初期〜後期まで木棺墓埋葬(周防大島で僅かに甕棺墓埋葬が出土)
北部九州も初期は木棺墓埋葬だったが中期の間は甕棺墓埋葬と石棺墓埋葬が
ある。福岡、佐賀、日田、久留米、熊本などは甕棺墓埋葬で北九州や長崎県は
石棺墓埋蔵。長崎や久留米は甕棺墓と石棺墓が混在している。
要するに北部九州と本州は異民族、倭人伝で九州は倭人と書いているが
本州が倭人と言えるかどうか疑わしい。 >>540 宇佐は元々神宮じゃ無かった
出雲同様に諸社を束ねる古神道の大社だったが百済人藤原氏に背乗りされて神宮に改造された
伊勢神宮は天武統の威を借りた藤原氏が
無二の恩人で在った筈の壬申の乱の際に大海人皇子の軍勢の主勢力を出して呉れた
神武統の古参豪族達を裏切って天皇から遠ざけ封じ込め滅ぼした政治事件の数々の総仕上げとして伊勢に祀られた
藤原氏に阿って何とか政治の表舞台に残った尾張氏海部氏と熊襲扱いされて歴史の闇に消えた真の神武統古参豪族達との勢力圏の境に双方を分断する様に建てられている
後代に海部尾張他東国の旧来豪族と熊襲域の不満分子が呼応する事態を予防する為の監視機関も兼ねて居ただろう >>331 >>551 ヒント:倶利伽羅紋文字
朝鮮半島に在ったのは加羅國や伽耶邦などなど
稲作は南から来たんだよー
日本列島最初の農耕はNHK推しの栗じゃ無いよ芋よータロ・キャッサバの仲間の里芋ー >>532
劣等民族学校で習った歴史はヨソでは通用しないんだよw 神社の柱には本当は倶利伽羅紋々が書いて在ったんですm9(´・∀・`)
鮫紋とか鯱紋とか亀紋とか舟紋とか星紋とか部族毎に伝説の書がねm9(´・∀・`)
藤原氏が全部消させて白木の美とか嘯いてるんですm9(´・∀・`)
藤原氏はオオキミの権威の象徴であった朱塗についても背乗り横取りして藤原神宮と藤原社のみに朱塗り柱を施しましたm9(´・∀・`)
これにより当時日本で唯一の朱の原料の産地で在った四国に在った邪馬台国の所在までも判り難く為り近現代に於いて朝鮮学者共に北九州説や畿内説を喧伝される惨状に繋がって居ますm9(´・∀・`)
淡路島は出雲王権と邪馬台王権の講和の地です
外国人観光客の皆さんには正しい世界史をガイドしてあげましょうm9(´・∀・`) >>563
なんか銅鐸は越で似たようなのが出たらしくて直接渡来説が出てるね。 古事記編纂の際に各地の豪族の歴史伝承が収集されて暗記する人がいた 最近活発に韓国人が諏訪の御柱祭りを危険だ野蛮だと廃止させたがっているのは>>575の続きですこの調子だと日本はまたユダヤに原爆を落とされるでしょうwww >>577 その様な行事が実施された事自体は事実だと思いますが既に漢字のみならず万葉仮名まで在ったのに古事記日本書紀以前の文書が皆無になって居るのが笑えますね藤原氏は随分と地球の平均気温を上昇させたと思いますよwww
そうそうお隣の国韓国には14世紀末まで文字が無かったそうですねw 銅鐸は近畿日本側が破棄したんだよ。
神武を邪馬台国があった九州から迎え入れるために。
破壊されたり単に埋められたりした。
銅鐸は近畿日本側の習俗だからね。
神武を迎え入れる為の模様替えみたいな意味。
銅鐸は近畿日本側が破棄したんだよ。
神武を、邪馬台国があった九州から迎え入れるために。
破壊されたり単に埋められたりした。
銅鐸は近畿日本側の習俗だからね。
神武を迎え入れる為の模様替えみたいな意味。
銅鐸は外からの強権で無理やり破棄さされたのでは無い。
近畿日本側が自ら捨てた。
これがミソ。
なぜ一斉に破棄されたのか?
なぜ銅鐸破棄跡に戦闘の形跡が全く無いのか?
なぜ近畿日本側に銅鐸破棄の記録が全く無いのか?
理由は簡単。
近畿日本側が自ら捨てたから。
銅鐸は東南アジアでは珍しいものではない
正確に言えば長江で沢山出土する装飾青銅器の異民族が中原からきた漢民族に圧迫されて南下した結果東南アジアに分布するのだろうね
ところで銅鐸の本来の役割は何か
それは戦争など重要なイベントの際に祖先霊を持ち運びうち鳴らして子孫を鼓舞するわけである
このような持ち運びする祖先霊という発想は古くは殷人(これも漢民族ではない)が戦争のさいに祖先霊が宿る樹木を丸太にして運んでいたように先住民ではごく普通の発想である
平安時代に銅鐸が出土したらその使い道が全く解らなかったことからも大和政権はこの文化には属していない
大和以前に中国南部から渡来した先住民の文化なのだろうね 銅鐸は近畿日本側が破棄したんだよ。
神武を、邪馬台国があった九州から迎え入れるために。
破壊したり単に埋めたりした。
銅鐸は近畿日本側の習俗だからね。
神武を迎え入れる為の模様替えみたいな意味。
銅鐸は外からの強権で無理やり破棄させられたのでは無い。
近畿日本側が自ら捨てた。
これがミソ。
なぜ一斉に破棄されたのか?
なぜ銅鐸破棄跡に戦闘の形跡が全く無いのか?
なぜ近畿日本側に銅鐸破棄の記録が全く無いのか?
銅鐸は宗教的理由で使われていたものだから、外からの強権で無理やり破棄させられたものなら、
なんらかの怨恨が何処かに必ず残る残るはずなのにその形跡が完全に全く無く、
近畿日本側にキレイサッパリ、スッキリ、あっけらかんと忘れ去られてしまったのは一体全体なぜなのか?
理由は簡単。
近畿日本側が自ら捨てたから。
神武を迎え入れるために積極的に捨てたのだからだ。
銅鐸は近畿日本側が破棄したんだよ。
神武を、邪馬台国があった九州から迎え入れるために。
破壊したり単に埋めたりした。
銅鐸は近畿日本側の習俗だからね。
神武を迎え入れる為の模様替えみたいな意味。
銅鐸は外からの強権で無理やり破棄させられたのでは無い。
近畿日本側が自ら捨てた。
これがミソ。
なぜ一斉に破棄されたのか?
なぜ銅鐸破棄跡に戦闘の形跡が全く無いのか?
なぜ近畿日本側に銅鐸破棄の記録が全く無いのか?
銅鐸は宗教的理由で使われていたものだから、外からの強権で無理やり破棄させられたものなら、
なんらかの怨恨が何処かに必ず残るはずなのにその形跡が全く無く、
近畿日本側にキレイサッパリ、スッキリ、あっけらかんと忘れ去られてしまったのは一体全体なぜなのか?
理由は簡単。
近畿日本側が自ら捨てたから。
神武を迎え入れるために積極的に捨てたのだからだ。
(廃仏棄釈運動と似た感じのものだと思われ。)
神武は東征したのでは無く、
近畿日本から招かれて邪馬台国のある九州から近畿へ行った。
理由は近畿日本は九州邪馬台国のカリスマが欲しかったのと、
九州倭国を正当と見る中国を騙すため。
神武側は、既に落ちぶれ貴族になりつつあった九州邪馬台国を捨て、大国近畿日本の王として遇されることを選んだ。
記紀は神武東征を捏造するために書かれた。
焚書が行われているのもそのため。
また、神武は九州邪馬台国と強い血縁関係にあったが、あくまで投馬国(tuma国=妻国=宮崎、鹿児島あたり)
の王族であり、邪馬台国から見れば傍系になる。
だから血筋を飾り立てるために天孫降臨の作り話がなんらかのタネ話しを元に創作された。
これが記紀の全容。
因みに、隋書にある秦王国とは近畿日本のこと。
秦王とは秦氏のこと。近畿日本の天皇は秦氏を親しみを込めて秦王と呼んでいた。
裴世清が九州倭国に到着し、東にある大国、近畿日本の名前を聞いたら
既に落ちぶれ貴族になっていた九州倭国の人間が「あんなものは正統なものではない。秦王の財力で作った秦王国で、田舎者の国だ」
と答えた、と言うこと。
ところが裴世清が実際に行って見ると目も眩むような大都市がある、はて意味が分からない。
これが隋書の内容。 BC400〜200では、銅鐸祭祀勢力の中心は淡路島だった。
淡路島を選んだのは、渡来人に対し縄文在来勢力の渡海能力が弱かったからだろう。
淡路島ベースで戦力を蓄え、畿内や四国を平定開拓するうちに奈良への遷都を決めた。
銅鐸放棄の年代の違いは、銅鐸祭祀が人ではなく地神、土地に根差す物だからと考える。
銅や鉄の流入は北九州〜出雲〜糸魚川翡翠航路の存在によるので
この初期で出雲平定または国譲り、調略が有った。
東国及び西国の平定が九州平定で対馬貿易を知るAD270年までに完了
銅鐸統治の廃止は。開国により中国にこの古代王朝宗教文化の素性を知る勢力が有る可能性の心配
独自型前方後円墳は中国の古墳文化が既知であったこと、独自王朝である事の主張
その後の富国強兵政策は製鉄と牛馬の国内生産化で、朝鮮半島開拓の必要が有った。
400年までにこれを完了し、倭の五王は南朝の建康に外交デビューした。
大和朝廷はこの間に勢力を創った豪族の王家だが
663年以降、立憲君主の国造りの神としての伊勢神道の皇国にする為
古事記、日本書紀にこの期間の記述は省かれた。
国際派の仏教徒、聖徳太子の天皇記には記録されていた可能性は有る。 銅鐸は近畿日本側が破棄したんだよ。
神武を、邪馬台国があった九州から迎え入れるために。
破壊したり単に埋めたりした。
銅鐸は近畿日本側の習俗だからね。
神武を迎え入れる為の模様替えみたいな意味。
銅鐸は外からの強権で無理やり破棄させられたのでは無い。
近畿日本側が自ら捨てた。
これがミソ。
なぜ一斉に破棄されたのか?
なぜ銅鐸破棄跡に戦闘の形跡が全く無いのか?
なぜ近畿日本側に銅鐸破棄の記録が全く無いのか?
銅鐸は宗教的理由で使われていたものだから、外からの強権で無理やり破棄させられたものなら、
なんらかの怨恨が何処かに必ず残るはずなのにその形跡が全く無く、
近畿日本側にキレイサッパリ、スッキリ、あっけらかんと忘れ去られてしまったのは一体全体なぜなのか?
理由は簡単。
近畿日本側が自ら捨てたから。
神武を迎え入れるために積極的に捨てたのだからだ。
(廃仏棄釈運動と似た感じのものだと思われ。)
>>ID:S9QT8txQ0
キチガイ妄想コピペ乙w >>592
銅鐸は近畿日本側が破棄したんだよ。
神武を、邪馬台国があった九州から迎え入れるために。
破壊したり単に埋めたりした。
銅鐸は近畿日本側の習俗だからね。
神武を迎え入れる為の模様替えみたいな意味。
銅鐸は外からの強権で無理やり破棄させられたのでは無い。
近畿日本側が自ら捨てた。
これがミソ。
なぜ一斉に破棄されたのか?
なぜ銅鐸破棄跡に戦闘の形跡が全く無いのか?
なぜ近畿日本側に銅鐸破棄の記録が全く無いのか?
銅鐸は宗教的理由で使われていたものだから、外からの強権で無理やり破棄させられたものなら、
なんらかの怨恨が何処かに必ず残るはずなのにその形跡が全く無く、
近畿日本側にキレイサッパリ、スッキリ、あっけらかんと忘れ去られてしまったのは一体全体なぜなのか?
理由は簡単。
近畿日本側が自ら捨てたから。
神武を迎え入れるために積極的に捨てたのだからだ。
(廃仏棄釈運動と似た感じのものだと思われ。)
神武は東征したのでは無く、
近畿日本から招かれて邪馬台国のある九州から近畿へ行った。
理由は近畿日本は九州邪馬台国のカリスマが欲しかったのと、
九州倭国を正当と見る中国を騙すため。
神武側は、既に落ちぶれ貴族になりつつあった九州邪馬台国を捨て、大国近畿日本の王として遇されることを選んだ。
記紀は神武東征を捏造するために書かれた。
焚書が行われているのもそのため。
また、神武は九州邪馬台国と強い血縁関係にあったが、あくまで投馬国(tuma国=妻国=宮崎、鹿児島あたり)
の王族であり、邪馬台国から見れば傍系になる。
だから血筋を飾り立てるために天孫降臨の作り話がなんらかのタネ話しを元に創作された。
これが記紀の全容。
因みに、隋書にある秦王国とは近畿日本のこと。
秦王とは秦氏のこと。近畿日本の天皇は秦氏を親しみを込めて秦王と呼んでいた。
裴世清が九州倭国に到着し、東にある大国、近畿日本の名前を聞いたら
既に落ちぶれ貴族になっていた九州倭国の人間が「あんなものは正統なものではない。秦王の財力で作った秦王国で、田舎者の国だ」
と答えた、と言うこと。
ところが裴世清が実際に行って見ると目も眩むような大都市がある、はて意味が分からない。
これが隋書の内容。
>>502
昔は、春分、秋分毎に1年という計算方法だったんじゃなかったの?
だから最初の1,000年は今の500年だとか聞いたが・・・ 埴輪は銅鐸以降の古墳文化の埋葬用だけど
縄文の土偶は銅鐸以上に土着の呪術的宗教祭祀じゃないかな?
銅鐸の埋没は土偶以上に特殊だけど
弥生文化の縄文土人への浸透の過程だから
銅鐸祭祀が浸透するうちに土偶祭祀と融合してたら面白い。 銅鐸文化は、現在の皇室祭祀に一切痕跡がない。
つまり、畿内の銅鐸文化はいづれかの時点で東遷してきた現在の神武朝にほろぼされたのだ。 畿内の銅鐸文化が九州に強い影響を与えていたなら、現在の神道祭祀になにか痕跡が残るはずだが、伝わる祭祀は九州由来。
そういうこと。 いやいや、このニュースは銅鐸の埋納が少なくとも3回に分けて埋納された、
というものだぞ。その幅は500〜600年(笑)。 >>597
古代日本の1年が半年だったのはまず間違いないようだが神武の絶対年代は不明
ただし神武の大阪侵攻は明らかに河内湾(湖?)の存在を示しているので真面目に研究すれば絞り込みもできるかも 現在の神道祭祀は銅鐸どころか古墳祭祀以降のもの
九州に銅鐸が無いのは銅鐸期に畿内と九州の交流が無かったため
出雲は九州から翡翠で青銅を買っていた。
ところが、朝廷が270年に九州を平定すると
銅鐸祭祀を辞めて前方後円墳を作り始めた。
糸魚川〜出雲〜九州航路を持つ、出雲商人は九州の対馬貿易を朝廷に隠していた。
この頃の朝廷は韓四郡も朝鮮半島が大陸と陸続きなのも知らなかったかも?
朝廷は半島及び中国貿易を知って
国内統治方針を縄文浸透から富国強兵に変えた。
これが、銅鐸廃止の理由。
それによって、半島開拓による富国強兵、つまり
牛馬の輸入、製鉄の国内生産化が急務となった。
400年にこれを終了し、朝廷は半島利権交渉で建康と外交を始めた。
古代の開国、文明開化は馬と鉄だよ。 大きな移民の流入とか支配層の交換とか1回や2回じゃないだろう何回もあったはずだよ
銅鐸はそのうちの一つ >>227
これ不思議に思うんだが
螺旋構造を発見できなかったの? >>607
>九州を平定すると銅鐸祭祀をやめた。
アクロバティックすぎるだろw
銅鐸祭祀が古墳文化に滅ぼされたと見るのが自然。 >>599
多分そうだろうね
三種の神器に銅鐸がないのもあからさますぎる
つまり取り込んだ勢力じゃなく滅ぼした勢力だったんだろね >>608
大きな移民の流入の可能性はBC1000〜BC200年
九州北部族、南部族、紀州族、四国族、関東族は有りそう。
あとは国内で、開拓移住だろうね。
銅鐸がBC400〜270年まで600年以上も有ったってのは
総統有力な豪族だった事は間違いない。
出雲だろうと想定したけど、BC400淡路島なら畿内朝廷の前身しかない。
大陸的に軍船の発達はBC1000周辺、BC200は前漢。
厭戦の太伯〜徐福みたいな方士が平和な村創りに脱出してきた、って想定だよ。
仮に徐福だと、始皇帝騙して渡来してるから、朝貢は無いwww
270年までに国内大和朝廷成立で
九州を平定したら大陸貿易が有ったのを知った、のでなければ
日本に馬が無かった事の説明ができない。
400年には甲斐信州にも国司、高句麗牧童や勅営の御牧が来ている。
卑弥呼のような統治無能国家ではなく、権力絶大の統一王朝にしかできない仕事。 >>613
銅鐸文化がなぜ突然消えたかを「なぜか突然やめた!」としか説明できない推論に、説得力などないw 米の伝来にしても中国南方でしか収穫できない品種が日本でも発掘され、しかもその品種は朝鮮半島では発掘されなかった事で
弥生時代には既に中国大陸と日本列島とを直接結ぶ海路が確立していたと言われているしなぁ
銅鐸にしても中国との海路交易によって入手したものだろう 倭人による征服
三国史記 (新羅本紀) より
14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。
73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角干羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。
232年 夏四月に倭人が金城を包囲。
295年 春 王が臣下に向かって「倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、
百姓が安じて生活することができない。私は百済と共に謀って、一時海を渡って行って、
312年 春三月に、倭国の国王が使臣をつかわして、息子のために求婚したので、王は阿?の急利の娘を倭国に送った。
345年 二月に倭王が、書を送って国交を断ってきた。
405年 倭兵が明活城を攻める。
407年 春三月 倭人が東辺を侵し、夏六月にまた南辺を攻める。 >>602
ピラミッドの建築年代は紀元前2600頃〜紀元前1800頃までとか紀元前600頃〜紀元前300頃までとか
色々 >>611
青銅は九州で輸入されて銅鐸は国内で製造されている。
淡路島、琵琶湖が有力。
畿内は青銅を出雲経由で入手していたが
九州に吉野が里しか銅鐸が出ない事から(出土の仕方も違う)
BC400〜AD270年、この間畿内政権と九州は無縁。
出雲はこれを隠していた裏切り的、商人、荒神谷遺跡の青銅器廃棄の理由だろう。
270年に朝廷が大陸交流を知って政策を転換したと考える。
邪馬台国畿内説は無い。 銅鐸、荒神谷の謎も無い。
中国史書、遺跡出土と時系列に照らせば道は一つ。 諸説ある推論重ねて、「道は一つ!」ってw
恥ずかしくないか? こんなのはまだ新しいよ
三内丸山を見てみろっつうの この銅鐸は同じ鋳型の物が島根、神戸でも見つかってる
淡路、神戸、島根という古代の交易ののラインが分かるな 淡路と言えば最近中国の新の時代のお金の貨泉が見つかったと言うニュースもあったな
海が道として機能してた時代には瀬戸内海の中継になる淡路島は存在感があったんだろうな 数百年にわたって畿内に花開いた 銅鐸文化が突然おわり、
その後は北部九州の文化に取って変わられ、現在の皇室祭祀や神道にも銅鐸文化の痕跡が無いのを
「畿内政権により統一されたが、銅鐸文化はなぜか消えた」としか説明出来ないのは致命的だな。 >>623
むりやりそうしたいんだろう
だから邪馬台国も近畿にしないといけない >>623
別に説明する必要は無い。
近畿で銅鐸文化が花開いたのはこの結果を見ても純然たる事実だ。
という事は、大陸に近い九州はもっと大陸からの文明の影響を受けただろう。
それをなぜ分ける必要がある?
呉が滅亡し海にでた人々が日本各地に住み着いた。
元は同じ祖先なのだから、九州だろうが近畿だろうが言葉も通じただろうし往来もあっただろう。
九州の勢力が近畿に進出して邪馬台国を打ち立てたと考えてもなんら不思議はない。
それだけの事ができる長い時間があるのだから。 >>623
そもそも日本神話にちゃんと書いてあるじゃないか。
神武帝が東征し近畿に国を打ち立てたと。
近畿のはそれだけの魅力があったんだよ。
何もない荒野をわざわざ征服してそこに国の中心を持ってくるわけがない。 >>623
紀元前4世紀だぜ?
ほんの数十年前までは、日本の左翼学者どものせいで紀元前の日本なんて小さな村社会が点在する原始人のような生活だとされてたんだぜ?
もうこれだけ発掘調査が進めば、日本は大陸とさしてかわらないレベルの技術を持つ国家が紀元前に存在したという事を否定なんてできないよ。 >>623
銅鐸文化は出雲、畿内は半島系で、
九州は大陸系弥生人であり、東征して畿内を征服したわけか。 紀元前4世紀かぁ
その頃の日本列島(正確にはまだ日本ではないけど)には興味が尽きない >>630
そりゃあ、情報化も進むし、DNA解析もできるようになるし、恐竜に羽毛があったという説も出るし、左右の問題だけではないよ。
ちな俺は古事記に記された天皇はすべて実在したんじゃないかと思ってる 水田稲作の伝来が昔は前400年頃とか言われてたが最近では前700年、遠いところでは前1000年とか言われてるな
この銅鐸が前400年頃と言うのであれば稲作伝来の数字もそれくらいだったという話にもつながるかもね >>638
舌ってのが中にぶら下がっててガランガラン鳴らしたらしい 中国に乗っ取られつつあるハリウッド… ハリウッドはもう政治的に日本の敵です。見るの止めましょう
反日媚中のハリウッドの映画を見に行く売国奴を徹底的に苛め抜いて地獄に叩き落としていきましょう
ハリウッドはますます反日親中路線が露骨になってきている
河野談話の見直しできないのはアメリカの圧力のせい。ハリウッドはもう政治的に完全に日本の敵!ハリウッド映画やアメリカ製品を日本から追い出そう!
反日ハリウッドと組んで、日本に文化的テロ攻撃を仕掛けてきている売国東宝=映画館といった反日企業も国の政策で叩き潰す事が必須。
パチンコより日本に害を与えている。売国映画館がアメ豚のコンテンツを受け入れる土壌になってしまっている
映画館ほど売国的なチャンネルは他にない。反日ハリウッドと組んでいる売国東宝=映画館自体を国の政策で叩き潰さないと
映画なんてもうネットで見られる。映画館なんてもう日本に必要ない
日本の政府とコンテンツ業界と官僚と国民が結託して、反日ハリウッドと組んでいる売国東宝=映画館を叩き潰していきましょう
リチャード・ギア、反中国発言でハリウッド追放
https://www.cinematoday.jp/page/N0091201
中国と一体化しつつあるハリウッド
↓
http://www.cinematoday.jp/page/N0086881
もうハリウッドはおしまいか…『GODZILLA ゴジラ』続編、中国の巨大スタジオで撮影へ
https://twitter.com/eigahiho/status/788192719445164033
>>『パシフィック・リム2』『GODZILLA ゴジラ2』は中国青島のスタジオで撮影実施!
>>レジェンダリー・ピクチャーズを買収した大連万達グループのスタジオにて撮影が行われる。
>>同所では40%のリベートを受けることが可能
ハリウッドに異変 大作に不自然な「中国ヨイショ」盛り込み
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160216-00000012-pseven-int&p=1
【中国という猛毒】映画の「洗脳力」注視… ハリウッドの紅化、習主席の意向も (1/2ページ)
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20161119/frn1611191530002-n1.htm
夏休み映画の主役は“異星人”や“お化け”ではなく中国? ハリウッドの「媚中」に日本の観客もあきれ気味!
http://www.sankei.com/smp/premium/news/160820/prm1608200021-s1.html
中国がハリウッド作品への影響力拡大!何から何まで中国色、業界ルール変える例も
http://www.recordchina.co.jp/a145063.html
中国パワーに魅せられたハリウッド、急成長を遂げる中国の映画興行成績
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150628-00037529-crankinn-movi
【NHK】 「米国・ハリウッドの映画館が中国投資で改修、リニューアルオープンしました」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1379336479/
【中国】「尖閣は中国領」主張の<ハリウッド映画>を各地で上映…同監督にはチベットの解放称える作品も
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1395920751/
【国際】中国に焦点合わせるハリウッドスター
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1402027143/
スピルバーグ氏が国連で警鐘「虐殺が身近なところに存在」
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2014/01/28/kiji/K20140128007474130.html
> 自ら立ち上げた財団がカンボジアやルワンダでの虐殺、
>旧日本軍による南京大虐殺の生存者ら5万人以上の証言を集めたことも紹介。
【中国メディア】オリバー・ストーン監督「安倍首相は日本を非常に危険な方向へ導いている」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1392731423/
【社会】オリバー・ストーン監督「日本はまず中国に謝罪することから始めるべきだ」★2
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1376547048/
【WSJ】オリバー・ストーン監督「日本は中国や北朝鮮を敵国とみなさず謝罪を。スノーデン氏を逮捕しなかった中国は素晴らしい」
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1376528463/
【人民日報】オリバー・ストーン監督「日本人は自らの侵略行為に対し無知。ドイツのような謝罪もしていない」
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1392613183/
【映画】中国に媚びるハリウッド=“媚中”と揶揄される「トランスフォーマー」最新作
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1404138651/
【米中】最近のハリウッド映画の中国人はなぜ「いい人」ばかりなのか
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1409223579/
.6+05946 朝鮮ヤクザ=バーニングの資金源の反日不倫女の安室奈美恵をCMに起用した売国企業のNTTドコモを倒産に追い込もう!
ドコモは反日韓国サムスンのスマホをえこひいきして社名消したり値引きしたりしてまで売りたがっている売国企業です
絶対に売国企業のNTTドコモを倒産に追い込みましょう!
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/0e332cbc550c75471f9ff798edcf2d19
>NTTドコモは韓国のサムスンとスマートフォンで組んだ為に「例の法則」が働いて、スマホ販売競争では「1人負け」状態が続き、ドコモに最悪の事態になる。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/04/20150421T1502060900.html
>ドコモが出しているコマーシャルにも、サムスンというのは一言も出さず「ドコモ・ギャラクシー」とだけしか説明していない。
次に大麻で逮捕されるのは安室か?
↓
安室は小室のジャンキーパーティーの常連だった!
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/musicnews/1377125757/
<安室奈美恵>新年早々不倫疑惑と再婚話が浮上!
http://hayabusa8.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1483711253/
69+29+67 祭祀文化の変化なら、
銅鐸/古墳/神社、仏教/神仏分離/火葬/
日本は日本民族の国家であって政府に変化させる権力が有るだけの事だろ。
大和朝廷の九州平定が270年なのに国造り神話の都合で伏せられてる
ってのが、意味判らん原因だろ。
消えたのは邪馬台国であって、銅鐸文化終了は、
大和朝廷の戦乱大陸との国交開国の覚悟
富国強兵の為の政策の変化だよ。
マヌケの始皇帝的な古墳文化にしたのはマヌケだったと思うね。
仏教葬儀になって良かったよ。
でも、神仏分離の悪政はいただけない。 日本は自然災害の多い国だし、洪水や山崩れの為のセンサーとかだったら面白いなぁ。
木に吊るして異常があれば音が鳴るようにすれば、銅鐸の大きさで音色を変え、異常のレベルを音で判断できる。
木とか竹の方が汎用性があるけど簡単に音が鳴ってしまうので信頼性に欠ける。 卑弥呼から4〜600年も前に銅鐸を使う文明があったのかよ
御先祖さまがドングリ食ってウホウホしてただけかと思ってたわ 出雲で100コくらいまとまって見つかったことあったよね
×印の製作者のサイン入りのやつ 神社は弥生時代には存在していたが、現在の神社を見ても判るように
全国に広まっているのは九州系の神社が圧倒的に多い、奈良、岡山、
徳島発祥の神社で全国展開した神社など聞いた事が無い。 稲作だけが伝来するんじゃなくて、国家形成に繋がる
地域的な用水や田の構築に政治的指導力が必要なところが肝。
労働と報酬、税金の概念も生まれる。
稲のモミだけがBC1000年の菜畑遺跡に伝わってもそれは全国に広まらない。
BC1000年からBC200年にかけて、
戦乱の大陸から理想郷を求めて日本の開拓に来たのが弥生渡来人。
縄文社会に安定生産や政治、祭祀、戦争、防衛のリーダーとなる移民が流入している。
アメリカ大陸的植民地で縄文人は侵入者に対して融和的で勤勉だったんだろ。
神話の後付け創作は当たり前だし、縄文と弥生の融合が事実だよ。
長江流域や黄河で海戦してる時代になんで、淡路島作ったり天孫降臨だよ。
時系列ってものが有るんだから、そんな事、みんな知ってんだろw 日本では1万年前とも言われる与那国島の海底遺跡が発見されるんだから紀元前400年で驚いてはダメ 淡路島はイザナギイザナミの神話にも関わるし興味深い土地だな 都道府県別別表神社の数
別表神社(べっぴょうじんじゃ)とは、神社本庁が定めた、
神社本庁が包括している一部の神社の事を言う。
平たく言えば社務所に宮司が常駐していて参拝者が多く人気のある神社。
1福岡県・・23社(福岡市9社)
2京都府・・18社(京都市17社)
3静岡県・・17社(静岡市4社)
4.兵庫県・・15社(神戸市5社)
5奈良県・・14社
6島根県、山形県・・13社
8.大阪府・・12社(大阪市8社)
9.東京都、長野県、山口県・・10 社
12茨城、埼玉、神奈川、愛知、滋賀、岡山、広島・9社
19.福井、三重・・8社
21.北海道、和歌山、熊本・・7社
24山梨、愛媛、大分、鹿児島・・6社
28.福島、千葉、富山、石川、岐阜、岡山、佐賀、長崎・・5社
36宮城、秋田、新潟、鳥取・・4社
40岩手、栃木、徳島、高知・・3社
44青森、群馬、香川・・2社
47.沖縄・・1社 鐘とかベル?牛がいたかどうか知らないけどカウベルとか連想するね
あと熊よけ >>651
現在の都道府県割りと神社数に何の意味があるの? >>219
歴博の研究者たちが科学的研究によって弥生の始まりを数百年遡らせる新説を出した。ただ反対も強い。高校教科書では注やコラムで新説に言及されることもある。
新説の最大の弱点は「弥生是早期、前期の数百年間は、鉄器のない時代だった」と言い張らなければならないこと。これまでの弥生前期の鉄器に出土例を全部ミスか間違いと証明する必要がある。 >>3
半島で出土してねーのに作れたの?アホなの? 北部九州の弥生人が半島系なら半島にも神社があっても良いはずだが、神社は
日本独自の宗教施設、それも北部九州が発祥と思われるから北部九州の
弥生人は半島系では無い、江南地方から渡来した弥生人と縄文人の
混血だろう。 日本は西暦700年頃の記紀しかソースがないとはな…
昔の中国人はホントすげーな >>654
現在の県境は律令の「国」におおよそ準じてるし恐らく相当前に遡れるだろうから意味はある
>>655
思い切り勘違いしてるけどその「新説」というのは従来の土器様式から作った「編年」の絶対年代の当てはめが後にずれすぎてる、て主張だよ
>>658
日本書紀にも過去の文書記録は引用されてる
しかし続日本紀によれば8世紀初頭(日本書紀編纂のころ)に禁書狩りと抵抗闘争があったとされているので、
恐らく古記録はそのときに全滅させられたと推定される
残念なことだ >>660
武蔵だけで19社になるが・・・意味ないだろw みんな勘違いしてるが
邪馬台国以前にも、もっと古い国はあったからな
邪馬台国が一番最初に出来た国では無いぞ >>658
いま中国人は日本で犯罪や売春をしています 銅鐸の「朝鮮半島の鐘」由来説はやっぱり違うってことか 稲のプラントオパールのDNA解析から
日本の稲は長江流域から直接伝来してて、朝鮮半島南部は
日本から逆に伝わってる
江南において呉越の戦いの後、滅びた呉文明が日本に逃げてきたのだろう
年代的に呉が滅びる頃、日本の弥生文化が発展してる 淡路には弥生時代最大規模の鉄器生産遺跡もあったな
淡路は油断ならねぇ 埋まってたのが発見されたんじゃなくて
わざと埋めたのが見つかったの?紀元前4世紀のやらせか 移民が大量に来たと言ってる割には、漢字もシナ文化も衣食住にもその痕跡がありません、シナに征服された論のわりにはおかしい。 >>665
百済から逃げてきた中国文明に詳しい連中
位しか朝鮮が威張る根拠はないんだな 我が国に漢字は古墳時代に入ってきたと考古学者が偉そうに「諸説あり」で
喋っていたが、奴国の使者は西暦五十七年に漢に朝貢しているからその時に
漢字を見ているはずで、奴国にはその時、漢字が入ったと考える方が妥当だろう。
つまり弥生初期には日本に漢字は入ってきたと思う。 >>670
稗粟の黄河文明でなく、稲作の長江文明が日本の源流なのだから
黄河文明で統一された中国と漢字や衣食住が異なるのは当然では? >>673
豚などの家畜もいない、鉄製の農具も見当たらない、風任せの海路で、大量移民がどうやって来るのか疑問、乗せて来た船が何百隻もあったとか信じられない。 日本の考古学や歴史学で弥生文化が持て囃されているのは
高度な文明を持った民族が
弥生式土器と稲作とを提げて
日本列島に渡来したからとの筋書に依るんだが
実際には平安末期〜鎌倉初期まで通用する
ハイパーな灌漑技術が齎されたとされる遺構は
弥生時代も中期になってからの造作で在り
しかも稲作渡来は縄文時代にまで遡る事実も発覚してしまったから
もはや弥生人が齎したのは本当に弥生式土器だけでしか無い事が明白になっているwww
これを勘違いしてるのかわざとこれに触れないのか朝鮮学者が戦前には戦争を煽り戦後には賠償を煽っている なんか+も日本蔑視系左翼の書き込み増えたなってなんか思った >>603
すまん。だな。
埋葬と破壊は別だな。
おそらく人身御供のような意味で、身代わりで埋葬されたのだろう。
-------------
訂正。
銅鐸は近畿日本側が破棄したんだよ。
神武を、邪馬台国があった九州から迎え入れるために
破壊した。
銅鐸は近畿日本側の習俗だからね。
神武を迎え入れる為の模様替えみたいな意味。
銅鐸は外からの強権で無理やり破棄させられたのでは無い。
近畿日本側が自ら捨てた。
これがミソ。
なぜ一斉に破棄されたのか?
なぜ銅鐸破棄跡に戦闘の形跡が全く無いのか?
なぜ近畿日本側に銅鐸破棄の記録が全く無いのか?
銅鐸は宗教的理由で使われていたものだから、外からの強権で無理やり破棄させられたものなら、
なんらかの怨恨が何処かに必ず残るはずなのにその形跡が全く無く、
近畿日本側にキレイサッパリ、スッキリ、あっけらかんと忘れ去られてしまったのは一体全体なぜなのか?
理由は簡単。
近畿日本側が自ら捨てたから。
神武を迎え入れるために積極的に捨てたのだからだ。
(廃仏棄釈運動と似た感じのものだと思われ。)
GHQ製の日本史にいつまで拘りをもつのやら
神武天皇は紀元前6世紀の人物だぞ
それをGHQの命令を受け日本の大学の歴史専門の教授連中が勝手に2世紀あたりの人物にしただけ
そもそも魏志倭人伝しか読んでいないからトンチンカン
魏志倭人伝の頃にようやく日本は誕生したと吹聴した
しかし日本書紀や古事記では神武天皇はどうみても紀元前の人物なんだが
しかも紀元前から青銅器の銅鐸を作る技術もあった
GHQの戦後の教科書と日本書紀の古代日本の表記を比べてみ
どちらがより正確に日本のことを描いているのか?
少なくとも今は戦後すぐの教科書の方がでたらめだと分かると思うのだが 日本蔑視系左翼
万世一系ヤマタイ近畿
オカルトさん
ゴッドハンド
色々ですな >>628
大有り。
東征と東遷も無いことはすでに考古学的に証明済み。
だから、なぜ記紀は神武東征という捏造をわざわざやったのかを説明する必要がある。
>>680
トンデモはね。
真実は一つだけだよ。
神武雇われ店長説だけが正しい日本の歴史。
問題は認めたく無いと言う気持ちの整理をどうやってつけるかだけ。 >>675 海洋民族も農耕民族も単一の部族がそれぞれ一回来て終わりじゃ無かっただろう
因幡の白兎伝説を鑑みるに海路は陸の者が海の者に頼んでの往復も可能になって居た模様
それでも当時は文明人が日本列島に命懸けで渡って来る動機は国家レベルの開発事業か国家レベルの社会崩壊かの何れかだっただろうね >>623
ですな。
それに答えられるのは、神武雇われ店長説だけ。
これが日本の正史。
>>674 漢字の訓読み真名はポリネシア語だしねぇ 日本は弥生人には侵略されていない
むしろ同盟関係にあった
その根本的な間違いの元は戦後GHQの原始人日本人像
実際にはそうではなく日本人である倭人=縄文人は朝鮮半島南部だけではなく
中国大陸の殷王朝とも交易を繰り返していた
当然、船も持ち、青銅器である銅鐸も殷と同様にかなり昔から製作していた
つまり悪いのは魏志倭人伝の原始人日本人像を鵜のみにするバカども
実際にはそうではなく、日本人は紀元前4世紀どころではない
もっと以前から青銅器を作る技術を保有していた 確実に東征があったと断じる決定的な証拠は無いが、高地性集落は
始めは九州近くの瀬戸内沿岸部に出来はじめ、弥生後期には大阪湾岸に
集中しているし、そこで激しい戦闘跡もある。瀬戸内地方で出土する
銅鏡は奴国の須玖岡本遺跡の工房製も多く出土している。 弥生人が大量に日本に帰化したのは箕子朝鮮の時代
箕子がそもそも殷王朝の賢者
この殷王朝の子孫が弥生人だった
だから当時の日本人が青銅器を作れないわけがない
なぜなら殷王朝の青銅器文明を花開かせたのは弥生人自身なのだから もう答えは出ている。
問題は出て来た答えを受け入れる気持ちの整理がつくかどうか「だけ」。
魏志倭人伝は
1. 伊都国基点の放射読み。
2. 陸行一月は陸行一日の写し間違い。
3. 卑弥呼の墓は久留米市の御井の祇園山古墳。よって邪馬台国もこのあたり。
4. 東征も東遷も無い。考古学的に否定された。
5. 記紀は神武東征を捏造するために書かれた。神武は東征したのでは無く、
近畿日本に呼ばれて王に納まった雇われ店長。
これが日本の正史。
三種神器崇拝は元々九州系神社特有だったと聞いたが
近畿は10種だったか >>688
東征は無かった。
考古学的に否定済み。 >>686
侏儒=スクナビコナは、多分ポリネシア人。 隋書だかに書いてある
朝鮮半島北部から日本の優れた技術や品を求めて交易に行く者が多いと
因みに半島南は未開の地で鉄の産地で周りから
自由に取りに来てたところ >>28
捨てた文化だからね。
使い道は、当の近畿日本の人間自体がサッパリ忘れていたってシロモノ。 >>672
今の弥生時代の始まりをいつだと思ってるんだw 紀元前4世紀っていうと春秋時代が終わって戦国時代になったタイミング
日本にも難民が結構来てたんかね 中国の漢字の実用化も始皇帝の統一位からで
実際には、名の通り漢からだね。BC200?
呉越渡来人だとBC1000〜500とか? 無理。
日本に入ってないと言っても金印は木簡を閉じるのに使うもので
漢と交流を持った九州渡来豪族は使ってたね。
所詮中国語なんで国内では必要なかった。
古事記、日本書記は中国語で書かれ、日本語の名詞は当て字。
中国語を理解した聖徳太子のアメノタリシヒコとか、中国文献でも当て字。
倭の五王時代に至っては日本名の想像もできない押し付け。
万葉集に繋がる詩が有るので
太子の600年位からは日本語表記も可能だったように思う。
口語と文語があって口語の方は、日本人同士でも
ローカルすぎて案外通じなかったかもね。 要するに東征は短期間に行った訳では無くて九州から近い所を征服したら
そこにある期間住み着きそれから東に移動しそこの高地性集落を攻め落とす
と言う繰り返しを行って弥生後期に大阪湾岸に到達して最終的には
奈良盆地に入った訳だ。 時代が特定できてよかった
そもそも日本の歴史は今のGHQと在日朝鮮人が妄想するようなものではないから
もっと昔からある文明でそんなに昔はひどくはない
弥生人を殷王朝の子孫と思えば
紀元前4世紀の銅鐸なんて当たり前
それだけ昔から日本は技術は保有していたのだよ
そして縄文人である倭人も在日朝鮮人やGHQが思うより
よっぽど賢くて早い時期から中国と同等の文明を保有していた
ただそれだけのこと >688
>弥生後期には大阪湾岸に集中しているし、そこで激しい戦闘跡もある。
具体的には、大阪湾のどのあたり? 遺跡の名前は何?
近くだから日曜あたりに行ってみたいのだが。 >>703
水田稲作が縄文からできてたんだからね
相応の文明を持つ程度の国力は早期からあったと考えるべきで もう答えは出ている。
問題は出て来た答えを受け入れる気持ちの整理がつくかどうか「だけ」。
魏志倭人伝は
1. 伊都国基点の放射読み。
2. 陸行一月は陸行一日の写し間違い。
3. 卑弥呼の墓は久留米市の御井の祇園山古墳。よって邪馬台国もこのあたり。
4. 東征も東遷も無い。考古学的に否定された。
5. 記紀は神武東征を捏造するために書かれた。神武は東征したのでは無く、
近畿日本に呼ばれて王に納まった雇われ店長。
これが日本の正史。
邪馬臺はヤマトと読み、山門のこと。
これが邪馬台国発祥の地。
その後、卑弥呼の時代に御井に移り、その後朝倉地方へ移り(安本美典の言う邪馬台国)、
最後は奴国と融合して太宰府に都を作り(倭京のこと)、
そこで滅んだ。
日本の歴史は紀元前まで遡のぼるのか
もともと日本には高度な文明があったのか中国から渡ってきたのか 水田稲作の開始年代が大きく遡ったから「弥生時代」という呼び方の年代観が変わってて混乱するな
弥生時代に加えないで縄文晩期とかに加える人もいるし 現代人のY染色体分布を見るに侵略を受けたとは思えん
交易と移住で増えた 神武東征の時期はほぼ紀元前6世紀で
日本書紀どおり
ただ日本書紀を見れば分かるが、それは侵略でなくただの移転
実際に各地方によりながら、各地方のご馳走などを食しながらゆっくり渡っている
侵略であるならばこの行為はまずない
この時から日本には既に帆船があり、鉄剣や銅剣があった 神武は四世紀の人物。
四世紀に中国側の日本の資料が無いのは、日本側が歴史捏造の最中だったから。
>>702
倭人が建国し支配した国新羅
『新羅本紀』
紀元前50年 倭人達が兵を率いて辺境を侵
紀元前20年
瓠公という倭人、瓠を腰につって海を渡って来たために瓠公と称した。
諸王に仕えた重臣で。金氏王統の始祖となる金閼智を発見する。
新羅の3王統の始祖の全てに関わり新羅を建国した倭人である。
初代新羅王の赫居世居西干の朴姓も同じ瓠で同一人物。
後に倭人の脱解尼師今が新羅に着いた時に瓠公の家を継いだ。
この瓠公の屋敷が歴代新羅王の王城である月城。 倭人は大昔から
船を作り大陸間を行き来していた
弥生人である殷王族もそう
在日朝鮮人は日本の歴史をバカにしすぎ
朝鮮始めての国家も殷王朝の賢人の箕子が作った
つまり、何の事はない
朝鮮半島で始めて国家を築いたのは
他ならぬ殷王朝の末裔で日本人である弥生人その人だったのだ
つまりそれが箕子朝鮮なのだ
縄文人も当時は弥生人とは仲良しで朝鮮半島にも住んでいた なにおまえんちまだ銅鐸使ってんの?という理由かもしれないじゃないか >>719
帆位はあっただろ
でも舟は基本丸木舟がベースだぞ もう答えは出ている。
問題は出て来た答えを受け入れる気持ちの整理がつくかどうか「だけ」。
魏志倭人伝は
1. 伊都国基点の放射読み。
2. 陸行一月は陸行一日の写し間違い。
3. 卑弥呼の墓は久留米市の御井の祇園山古墳。よって邪馬台国もこのあたり。
4. 東征も東遷も無い。考古学的に否定された。
5. 記紀は神武東征を捏造するために書かれた。神武は東征したのでは無く、
近畿日本に呼ばれて王に納まった雇われ店長。
6. 銅鐸は近畿日本側が神武を招き入れる為に自ら放棄した。廃仏棄釈と似た感じのこと。
これが日本の正史。
中国と対等に渡り合ってる時点で、未開な民族ではありえないんだよな
古代中国人がそのまま日本人になっただけじゃないのか
とすると稲作も漢字も日本人が作ったんじゃないのかw >>727
朝貢するのは対等じゃない
中華帝国の冊封体制に組み込まれたということ というよりも東日本の縄文晩期にはすでに稲作が始まっていたのが遺跡の調査から確認されてるんだよな >>727
中国の歴史学者の中には
日本の縄文人が中国の文明を創ったと言ってる
人もいるよ >>689
箕氏朝鮮は稲作無理。 北狄と弥生は無関係。
漢は後継の衛氏朝鮮を討つのに陸路では兵糧が持たないので
楼船将軍の軍船による戦争で苦労している。
その後、漢四郡での植民開拓も失敗しているし、
中原文化は南部朝鮮=韓にすら伝わらない。
朝鮮半島南部の馬韓に箕氏朝鮮の遺民が入植したが
繁栄は270年以降の馬の移入の為に
日本が漢四郡〜高句麗に道を開拓し村を整備するのを待つ。
350年百済の成立は倭人の開拓が原因。 お前ら韓国をねつ造ねつ造って散々批難するけど
記紀のねつ造っぷりもかなりのもんだぜ >>730
そら平べったい鐘のような三次元の物を鋳型で造るんだぞ
相当なテクノロジーがあったのは確か うろ覚えだけれど、たしかデフォルメされた鶴と亀が描かれてる銅鐸があるんだよね。 >>732
殷王族が日本へ帰化したルートは箕氏朝鮮ルート一つだけではない
南部からも沖縄を通じて帰化
その後に船を嫌う人々がさらに南下してベトナムなどに入った >>733
現代にまで古代と同じレベルの捏造が通用すると思ってる韓国人はやっぱりおかしくないか? 縄文晩期から稲作があったとなると、弥生時代に中国・朝鮮から米が伝わっただけではないということになる >>730
日本に青銅器文明無いんじゃね?
270年まで、青銅や鉄は九州が輸入して出雲に売ってた。
鋳造は 琵琶湖、淡路島が有力だけど、青銅器文明?
その後は、銅、鉄〜金銀も国内生産化する。 >>711
なんで雇われたのかが問題なんだよ
縄文時代から日本にあった古い王朝の王の子孫だからでしょ >>728
イギリスも清朝に朝貢したことになってるんだぞ
向こうが勝手に臣下だと言ってるだけだよ
こっちはただの貿易とか同盟関係アピールだけ >>742
どっかで半鐘が鳴ってるよ大変だ大変だ、じゃないかな >>739
でもキラキラするからさ銅矛とか飾りとしては結構使えたのでは 教科書どうするんだよ マジで
全然ちがうじゃないか〜 多分中国から伝わっただろうに中国文化をさらに受け入れようとしていた
古墳時代にはないんだから漢の時代には向こうでも廃れてたんだろうか >>743
勝手にじゃないよ
朝貢する方も大きなメリットがある
基本的に納めた分の倍の贈り物を貰えるし、安全保障としての後ろ盾が得られるから
白村江の戦いで唐と戦ったのはその為 >>747
シナではあんなバカみたいに巨大な銅鐸は見つかってないだろ
しかも異常なほどの数の銅鐸が日本でだけ発掘されている
これからまだまだ発掘されるよ >>741
本州の銅鐸祭祀の目的は縄文人と弥生渡来人の農耕文化での祭祀的融合だろうね。
縄文人への農耕浸透という日本民族の誕生に一役買っていたと思う。
九州平定での九州族の大陸交易の発覚で
戦乱大陸からの渡来系豪族は対外的に富国強兵政策に転じる必要を認め
マヌケの始皇帝的な巨大古墳統治に政策転換した。 >>749
中国ではこういうのがあるってのを見て
いろいろ作って発展したけどその後中国ではもうそんなの作ってないし
そもそもそんなでかいのなんなんとわかってやめたんだろうかと >>681
無かったことを証明できてる?
そんな研究見たことない 何かで読んだけど
昔淡路島で発掘中に大きな石の棺が出てきて
その飾りなど見た学者が歴史をひっくり返す
とんでもない物かもと慌てて埋め戻したっての聞いた事ある。
徳島に十戒の石版を収めた棺があるとかも
聞いた事あるし、あの辺りオカルトかもしれんが歴史のロマンを感じる。 >>753
そうだね
しかもイザナギノミコトの墓所もある
国産み神話に関わる重要な土地
考古学的にも沢山の銅鐸や、中国との交易跡、弥生最大級の鉄器製作所なんかもあって存在感があるね >>618
やっぱ 中間地点だった出雲は、銅鐸を隠していたんか?
九州と畿内に挟まれていての、物資うんぬんの勢力争いだったんかな 確かにな
GHQが戦後のあの空白期間内に
焚書何万冊?何十万冊?もしたらしいけど、
その中に当然日本の古文書もあったんじゃないかな?
そもそも何でアメリカやイギリスに日本にさえ無いような貴重な銅鐸があるんだよ? >>754
忌部は関係ないだろw
ヤマト朝廷側の一族だぞ 淡路というのは重要なのだよ。
マキムクを作った勢力は、阿波、讃岐、吉備、大和の連合だが、
淡路を取り囲むように存在している。これは偶然ではないのだよ。 >>7 国津神=出雲、縄文人 天津神=朝鮮半島や外国からきた勢力 大和朝廷=日向からきた外国勢力 卑弥呼=紀記には載ってない未知の人物 邪馬台国=九州 卑弥呼墓=九州 >>758
江戸や明治から昭和初期には日本に学者が居なかったとでも
都合よく事件や犯人を作り出すなよ >>762
日向が本拠地なはずなのに、当時の大和政権の勢力圏外なのはなぜだ >>758
アメリカの館に 日本の古墳からの貴重な物があるらしいんだけど 戦後 GHQが仁徳さんから持ちだしたものなんだそうだわ
なんで日本はこんな ややこしい国なんだろうなぁ 複雑怪奇すぎるわ
東大阪にも 何かとんでもない族が巣くっていて 偉い様が退治した記録も残ってるよ >>767 日向から、一部を除いて一族ろうとう皆が移動シタンジャマイカ >>767
熊襲とかに圧迫されて日向脱出=神武東征開始
とか? >>771
本拠地捨てるのは普通負けて追い出される時だけでは
大規模遠征する位の食料や人員を供給できる地を捨てる意味がない とすると兄弟銅鐸のある出雲の銅鐸もBC400年のあたりのものなのか 和語の造語力の無さも相当だわ
全く関係ない言葉の文字だけ
やってきたからな
混ぜ書き文化は無理矢理感ありまくり >>767
九州から逃げ出したんだよ
地震か噴火か熊襲かわからんが 考古学的に九州から畿内への影響は弥生時代を通じて殆どないのが分かってる
須玖式の土器の欠片が見つかっただけで大発見扱いになるレベル
東征を示すような根拠は見当たらない事から否定されてる
逆に弥生時代の後期から畿内、吉備、四国、出雲の影響が絶え間なく九州に及んでそのまま古墳時代に繋がってる 卑弥呼と纒向に産まれたヤマト王権はやはり繋がらんな 邪馬台国論争で銅鐸云々を説に組み込んでる人には耳が痛かろうな 貴重な金属を埋めるぐらいなら鋳潰して青銅を再利用したほうが遥かに合理的
なにか内乱があって外敵の略奪を怖れて埋めて隠したんじゃないか >>778
北部九州から出る大陸由来の宝物は凄いよな。今みても宝物
奈良纒向から出るのはクスんだ土器片とか桃のたねとかショボいもの 銅鐸みたいな物は海外にはないのかな?
長江とか東南アジアとかさ >>686
コメは中国からの温帯米と南方からの熱帯米の交配なんだよ
弥生と縄文はまさにそういう関係なので、弥生を貶せばみたいなのは浅慮 銅鐸は呪具みたいな扱いで儀式の後に壊して埋めてたのだろ こういうこともあるかな?
中央政権が「銅鐸を供出しろ」とお触れを出し
役人が銅鐸の存在確認に来る
地方豪族「持っていかれてなるもんか 埋めて隠せ」 >>789
部族のトーテムみたいなもんだろうから、それを出せってのは、反乱起きるでしょ >>31
水で隔てられた2つの陸の間にある土地は聖域だからな。 青銅製の神獣鏡は大量生産品
本物の鏡は鉄製
出土は日田これも豆な 中国の古代王朝はBC10世紀頃から、楽によって、民を治めた。
ソレを、孔子が寝食を忘れるほど没頭して学んだのがBC5世紀頃。
日本にも、恐らく、楽によって国を治めるスタイルが浸透していたのだろう。
それがBC4世紀頃だとしたら、辻褄は合う。
それが完全に廃れてしまった要因は、やはり天体観測、
日食の予測によるシャーマニズムによって、
国を治める手法が入ってきたからに他ならない。
銅鐸から銅鏡へとツールが変化した。
考古学的に見てもそんな感じだな。 >>783
埋めた理由は実際不明
@儀式に使うたびに掘り出してまた埋めていた説
A敵から隠した説
Bいらないから捨てた説
C何かの呪術的な意味
今回の話で@説に少し説得力が出てきた 銅鐸が埋められているのは、恐らく普段から埋めて保存されていたからだろう。
青銅製品埋めて保存した方が持ちがいいとか、音がいいとか、
鋳型から取り出す形を踏襲したとかそんな感じだな。 基本的な質問なんだけど、
銅鐸が緑なのは銅の錆で緑に見えるだけで、本来は光り輝いてたんだよな?
そう考えると違う世界が見えてこない? >>759
大和朝廷配下になるよりずっと前に阿波に土着していたんじゃね。
阿波は淡だよ。 大権力者にとって中小権力が保有する銅鐸の存在は誠に具合が悪い
鋳潰せば武器になる
中小権力者もイザ鎌倉に備えて銅鐸は隠しておきたい 古代韓国の支配が淡路島にまで及んでいた証拠だね
倭国の国造りは韓国の支配の元に行われたのが証明されつつあるね、イザナミもイザナギも韓国人公使の着任伝記なんだろ
天皇家も韓国人だってのも確定してるし、日本の歴史は韓国の植民地だってのが判定しつつあるな〜 ようつべに動画を上げてる「はやしひろし」さんていう人の説だと
「銅鐸は日時計式カレンダー」っていうのがあって、具体的な使い方まで披露してたぞ
確かにありゃ鐘にしちゃおかしいんだわ あの形で 当時は金ピカで光輝いていた?
bellの音?
ん‥ お? ん〜ん? 銅鐸の紋が火焔式土器と同じで火山を鎮めるための呪具の役割もあった〜という説は面白かった >>4
鈴だよ
物部が祭祀で使ってた
そも後、物部が鈴木になったのは偶然ではない たんなる飾りで流行りもんってだけって事はないの?
特段意味はありませんみたいな >>804
埋めて地の神に願うなら食用植物の実りとか戦いを勝利に導いて欲しいとかかな。 >808
青銅・ブロンズは鋳造した手の新しい時は銅色というか金色というか、
金属光沢のギンギラしたすごい光を放ってはいる
その後に酸化して緑青なんかであんな色になる >>796
>A敵から隠した説
徳島だったか地表に簡単な構造物(祠?)を作った形跡のものがあったな
つまり隠したというのなら
「ここ掘れワンワン」
とばかりに目印を付けてたって話になりあまり現実的じゃないかと
>Bいらないから捨てた説
それも鰭を縦にした丁寧な埋納だと可能性は低いかと
まあ何らかの呪術的理由てのは
「境界祭祀(お前らこっちくんな!)」とか
「大地の霊力の復活」とか考えられるな
まあ知ってるんだろうが 吊るされて火をつけられた洛陽の銅鐸より時代が古いな そんな光輝くものを なぜ埋める必要があるんだよ?
もし 土に埋めたんなら 追われているかで、siren音とか、隠蔽とか 隠すためだろうに
追われて 淡路島に着いたんじゃないのか?もしかして 淡路島ってアノ伝説の不滅の名作ドラゴンクエストを創造した
堀井雄二を生み出した偉大な島だね >>780
>邪馬台国論争で銅鐸云々を説に組み込んでる人には耳が痛かろうな
てか東遷説の連中だなw
「九州から東遷してきた銅鏡を携えた勢力が銅鐸文化を滅ぼしたんだー」
とか言う連中なw >>778
意味不明や
全部現地のもんに奢らせたかも >>816
>そんな光輝くものを なぜ埋める必要があるんだよ?
んー、わかんねえ?どういう疑問? >>810
それで蜷川新右衛門さん(物部守屋の子孫)は寺社奉行だったのか。 >>807
銅鐸と銅矛や銅剣が一緒に出土していると思ってたり
鋳造された時の銅鐸が金ピカの光沢があったことを知らなかったり
間違いや疑問点を指摘すると機嫌悪くなり、答えもせずに
突然ぶちギレる不審なオッサンの妄想ですよ(笑) 考古学者 「銅鐸の用途がわからない」
一般人 「どう見ても音を出す道具やろが あほか」 時系列的に大和朝廷の出雲平定以降が銅鐸の普及になると思うけど
倭人伝は九州豪族は周から交易が有るというけど
洛陽が安定していないBC400じゃ遡り過ぎで、
九州が確実に青銅を輸入していた漢のBC200年程度が妥当じゃないかな?
朝貢はともかく、貿易で洛陽じゃ遠いし、漢四郡は便利。
出雲が九州から買ってた青銅が原料なわけで・・・
出雲の国譲りの条件が銅鐸祭祀の継続って事は有るかもね? 銅鐸が calendar?
てことは 光輝く天文観測機器みたいな風?
じゃあいったい、なんで 日時計を土に埋めてんの? しかも金ピカのやつを わざわざ地中なんかに 時計見えないじゃん
まさか タイムカプセル的な意味? >>807
確か太陽の南中高度を測定するものとかも言ってたっけ?
それを確認するなら大きなポリバケツの底に分度器とか貼り付けて
自宅の庭で実際に観測すればいいと思うw
(近所の目は気にするな!w)
決まった場所で継続的に観測するなら地面に柱でも立てて
その柱の影の端を追う方がやりやすい
(東日本の環状列石やね)
持ち運び可能なものとしてもあんな形状大きさじゃあ使い勝手が悪すぎる >>826
>時系列的に大和朝廷の出雲平定以降が銅鐸の普及になると思うけど
その時系列ってのは記紀のストーリーの中の時系列
そもそも出雲平定なるものが実際にあった根拠もない >>830
だな。
記紀を史実だと書く奴はどうかしている。 まあ呪物を地中に埋め大地の力の復活を願うってのは
縄文時代の土偶が割られて散布されてたり
世界の神話で「ハイヌウェレ型神話」と言われるものが
神や人の死体から穀物等が出てきたって話があったりするところから
想定されてる話で銅鐸だけの話じゃないが・・・ >>807 >>827 >>828
ツベ検索したら 触ってはいけない人だったわ >>755
昭和27年の淡路島の騒動
それは、ある男の不可解な急死によって始まった。
その男の名は森重吉氏、淡路島洲本の小路谷(オロダニ)で四州園という旅館を営業していた。彼は、旅館の湯殿を建てようとして整地していたところ、遺跡としか思えないものを掘り出してしまったのだ。
その夜、うめき声をあげながら急死した。昭和9年9月、享年47歳であった。遺跡と急死の因果関係はわからないが、さらに、一逮夜の日、室戸台風が襲来し、旅館まで大被害を受けたのである。
近所の人々は、岬神の祟りであると恐れ、その遺跡を埋め戻してしまったのである。
http://mysteryspot.main.jp/mysteryspot/awaji-israel/awaji-israel.htm
淡路菰江古代ユダヤ遺跡奉賛会
https://www.youtube.com/watch?v=B_XQeYgjqno 光物好きなんですね・・・
>>828
「模様で日にちまで分かるんだ」みたいなことも言ってるね
あの上部の構造物が分度器の代わりなんだろうね
まず、水平に銅鐸(と呼ばれる何か)を設置するところから始めてるね
やっぱり、略奪を防ぐために埋めたような気がするな
量産したのは分家みたいに別れた仲間のグループに配る為だろうか? >>254
長江デルタを中心に栄えた国だから、稲作の伝来とも符合するんだよな。 >>835
まあ「ムー」な話が好きならともかく真っ当な学術的お話としてなら止めておきなさいw >>833
はやし浩司の奇矯さがよく分かるビデオ 5分24秒から
https://youtu.be/BeGvlJllmGs?t=5m24s
丁寧な話し口調から突然攻撃的になって
なにするか分からない人物のような印象を受ける
下の冒頭28秒からも注目
https://youtu.be/PA3iX6ETM7A?t=28s
人を馬鹿にしたような煽り口上…、こういうのを見たら
博物館から拒否られている理由も分かる 銅鐸の用途は祭祀。 縄文と水稲稲作文化、弥生の融合。
移民開拓者が田植や稲刈り時に、鐘を鳴らして土人部落を回り、
祭祀としての労働者を集め、保存食の米で報酬を払う。
有能なものは管理者、技術者として取り上げる。
この程度の経営センスは有るだろ。 それが、地域の経営者。
力を蓄えれば、法や紛争の解決、領地拡大に暴力装置を常備する。
それが、王道。 日本列島を創ったのは皇室の祖先だからだ。
日本の墾田私有の、どん百姓はそんな事も知らんのか?
日本列島を創った神話より日本民族を形成して戦乱を越えて今の日本を創っただろ。
なんか、変なのも居るけどなwww >>831
まったくの妄想というやつもどうかしているがな >>1
>松帆銅鐸は、1号が菱環鈕、2〜7号が外縁付鈕という古いタイプばかり
ちなみにこの組み合わせは今手元で見てる福永のまとめた一覧だと
「島根・荒神谷」「福井・井向」の二例だな
荒神谷のものが合計六個だからそれを上回る話
銅鐸って製造の中心地とかそれ以前に中心地なるものがあったのかとか良く分からんオーパーツwww >>801
阿波忌部が土着民かどうか知らんが銅鐸は神サマの方の祭祀とは相容れないだろ
銅鐸鳴らしてお祓いするのかよw >>830
神武東遷だの降臨だの記紀の時系列がデタラメで議論が混乱してるのは事実。
邪馬台国が滅びたのは事実で卑弥呼の墳墓など保存されない。
出雲は九州から青銅を買い、朝廷は対馬貿易を知らなかった。
知ってすぐ、馬の移入と鉄の国内生産で
350年には甲斐信州に勅営御牧が成立する。
朝廷の東国平定はアメリカ大陸移民並みに簡単だったと思う。 >>848
鈴だという根拠は?
銅鐸は何に使われたか判らないんだぞ。 >>851
ヨコからだが内面の「舌」が当たったと思われる箇所に摩耗した跡が認められてるし
そもそも銅鐸の原型自体音を鳴らすものだから >>851
まさにこのスレの話題になってる松帆銅鐸に中に舌があるのが分かって鳴らし方が判明した
だから鐘じゃなくて鈴的な鳴らし方 >>848
別に鈴を埋めてもいいだろ。
祭祀用なら人でも埋めるんだからなw 田植の合図で銅鐸を掘り出す。
農業終了で銅鐸を埋める。
普通に日本的だろ?
祭だぞ?
それが、まつりごと、だろ?
何の、謎も無いよ。 >>567
戦国時代から秦成立の間くらいだな。
中国からの難民は結構流れてきていそう。
越王勾践が呉王夫差を滅ぼしたのが紀元前500年くらいだったはずだから、呉から流れてきている可能性は有る。
難民からは何代か後だろうけど。 >>855
硯が見つかったりしてるし使者も往来してるから一部の人間は漢字を使ってたんだろうな >>862
そうでもない
大昔の日本列島の東西に銅鐸圏・銅矛圏という2つの巨大円が書かれた時代ならともかく
今はそんな二大勢力並立なんてのは学校でも教えてないだろと >>855
大陸からの渡来人が主導的立場にいたとしたら文字の普及があんなに遅れるわけないよね >>864
大陸から逃げ出さなきゃいけないような底辺だったからさ。 銅のほうが装飾品には綺麗でいいんだろう
鉄もあったんだろうが あれだ。
おへそに灯心を挿して火をつけたら人間ロウソクになる人。 そんなことより淡路島の大廃墟観音像、
いつ片付けするの? 国家プロジェクトの日本書紀すら間違いあるからな
見よう見まねということがよくわかる >>864
使ってた文字が「トンパ文字」みたいなのだったりしてな 略奪と破損防止のために普段は埋めてる、ってのはアリだと思うけどな
何せ二千四百年も前の人達と世相だから >>869 何それ?
怖いな。それ埋めて腐らなかった場合、本当にそういった人間ローソクになる可能性あるんじゃないのかな。 大和朝廷の前政権のシンボルだったんじゃあるまいか?
大和朝廷の軍が来たときに銅鐸飾ってたら攻撃されるから
埋めておいてあたかも出雲政権とは無関係を装う。
どうよ? 日本に論語来た時すでに
孔子の時代から1000年くらい経ってただろ
あれウケる
どんだけ古いねん
で孔子はというと
「昔は良かった」ばっかりw ヤマト政権が勢力拡大し、他神を否定したり青銅器狩するもんだから
銅鐸を埋めて隠したんだろ
やがてあきらめて神仏融合を初めヤマト政権自体も融合した銅鐸を作り始めたんだろうと思うよ >>875, >>877, >>881
渾身のボケがスルーされた悲しみ orz 大和政権とか天孫とかよりはるか前の話だろ
紀元前4世紀←淡路島銅鐸
紀元2世紀←卑弥呼
紀元4世紀←大和政権
これくらいだろ >884 横山三国志では痩せたオッサンだから、銅鐸=董卓と誰も気付いてくれなかったんやね… 東征は無かったとか、雇われ店長とかいつまでも発展性の無い事を書くな
高地性集落の勉強をしたら東征があった事が理解出来る。北部九州には
君が代の源流になる歌とかもあるから、北部九州の神社の勉強もしろ 弥生青銅器は東西の銅矛、銅鐸ともに急に使われなくなる
斜陽の銅矛はともかくとしてかなり広範に広まっていた銅鐸が使われなくなるのは大きな社会変化を感じさせるな
ただ生産地の中心は畿内で、その後の中心地も畿内なんで外部からの影響じゃなくて内部的な変革があったと考えられるな >>887
九州人と関西人は全然顔立ちが違うんだけど。 >>879
孔子の時代は既存の秩序が崩壊し始めて乱世の幕開けみたいなときだったから 農業祭祀だから
埋める、掘り出すが
祭りなのは当たり前。 埋める理由は色々あるから何とも
弥生時代後期に銅鐸祭祀が無くなった後は破砕されてるな
それまでの保存や儀式的な埋納とはかなり雰囲気が変わってる >>879
中国は歴史が止まっているようなところあるね
民度は紀元前より後退してると思われw 祭りが終わって隠すなら箱に納めて社にでもしまっときゃいいんだが
青銅だから錆びて朽ちる心配もないのになぜ埋めるんだろか
土中のほうが余計に痛むんと思うんだけど >>894
人が一度信じたものを覆すのは相当困難だよ。 たびたび書き込んでる人がいるけど銅鐸の祭祀は後の神道祭祀や歴史書に全くと言っていいほど見えないな
銅矛ももう関係なくなってるけど神話にはたびたび見えるし
銅鐸は本当に忘れ去ってる感じだし
完全に放棄されたと言う感じ 青銅器は当時大財産だから種々の理由から埋めて隠したと思いたい >>898
大和朝廷系なら古事記なり日本書紀に書かれていたと思うから
間違いなく出雲系だと俺は思う。 >>896
青銅は錆びると文字通り青くなってその錆がコーティングの役割を果たして腐食を止める
その場合埋めた方が外部の影響が減るんで更に長持ちするんで埋めて保存するのはアリ
金色の輝きは失われるけど >>810
鈴木という苗字は、穂積と同じで、稲束を積み重ねた、という意味だぞw >>896
銅鐸土中保管説というのは、大陸の銅鼓というのが普段は土中に埋めて
保管し、祭りの時に掘り出して使う、という事例を参考に提唱されたもの
らしい。だから銅鼓と同じように、掘り出して磨けば光りだす、ということ
だろう。地霊とかと関係しているらしい。 機内王権が東国平定で枝族は西国四国へ配流。
九州族を半島に配流。
古代王朝の当たり前の平定セオリーだろ?
銅鐸は縄文人対応
古墳は中国人対応、だ。 >>901
出雲で盛行してたのは銅剣だからなぁ
加茂岩倉や荒神谷の銅鐸は初期段階の奴で新しい物でもないし
加茂岩倉や荒神谷の生産地も銅鐸は畿内で銅剣は出雲と言う だから面白いことに後の中心地となる畿内の主な祭器だった銅鐸が後の世では完全スルーされて、剣、鏡、矛が神話や祭祀で重視されるという図式になる
不思議な逆転構図 呉の末裔としてさ、
そいつらが漢字すら使えんの?
うそやん >>288
日本では、石器も使ったが、その時には鉄器もあって、しかも青銅器も同時に
せっせと作られて使われていたのだよw 西洋流の発展史観は当てはまらないの
よんw >>615
徐福が五穀を持ってきたって話があるじゃん
徐福伝説が日本各地にあるのは、始皇帝の命が日本にも届いていて
自由に各地を回れる免罪符みたいなの持ってたからじゃね 福建だって、広東だって無文字社会だったんだから、
別に不思議はないよ。文字読めた人はいただろうけど。 >>1
秦の始皇帝とか項羽と劉邦の頃か
ってかさっさとNHKはキングダム3期やれやw
あと歴史と関係無いけどログホラ3期もさっさとやれw 銅鐸は小型に進化して、神社の賽銭箱の上のしめ縄の上についてるでしょ。
鈴にしてはあまり音が良くないものが、太い縄の上の方についていて、
その縄を振るってコロコロという音を出してから、柏手をうって、
それから賽銭箱に10円を投げ入れる、その鈴のようなものとして
今でも残っているのです。 この時代、東日本ではウッホウッホ言ってたんだろうな 淡路島が最初に作られたとかホラ話まじめに話して楽しい? ちょい前にテレビで楽器製造メーカーの人がシンバルを作りはじめたときの苦労話をしているの見た。
鋳型で作って削って調整するというんだけれど、いい形に造ってもいい音が鳴らない。なんで心地よく響くおとにならんのかと別のメーカーに聴きに行ったら
叩いて削って作ったら半年以上寝かす、削りたては材質が落ち着いてないからいい音はしない、と言われて、倉庫に半年放置したらいい音になってたという。
材質も形状もバッチリの復元銅鐸、いい音しねーよ、鳴り物ちげーよ。とか言ってる考古学者、復元銅鐸をちゃんと寝かせて置いたか?
まとまった数埋まって見つかる銅鐸も、作ってすぐに祭祀場にもってくと音が悪くて返品されたり、鋳物師が首を刎ねられたりするから、いい音がするまで
しまっておいてる熟成待ちだったりしないのか? >>912
>徐福伝説が日本各地にあるのは、
史記を読んだ昔の日本人が、<おらんとこにも徐福さんが来たんだべなー>と妄想した 紀元前4世紀といえば日本では弥生時代
朝鮮半島では箕子朝鮮の時代
箕子朝鮮の歴史を調べれば経緯が分かる
箕子とは殷の王族で賢人
殷つまり商の王族が箕子朝鮮の人々
銅鐸と共に日本に流れ込んだのが弥生人=殷王朝の人々
別に難しく考える必要はない
だから当時の日本にすんでいた弥生人に銅鐸が作れないわけがない
文字も当然あったし、日本書紀も戦後の日本人よりが考えるより
時期も出来事も正しかったりする
実際に紀元前4世紀に日本で銅鐸を生産していたくらい
そして南朝鮮には元々倭人が住んでいて仲良くやっていた
ちなみに今の朝鮮人と弥生人とは若干異なる
殷帝国=弥生人だから起源は中国大陸になる
つまり日本には紀元前から漢字もあり青銅器や鉄器を生産する技術はあったと言うこと
紀元前4世紀には銅鐸も作り大陸も船で渡り貿易も行っていた
結論 魏志倭人伝の内容こそが半分はでたらめで、日本は日本書紀が示すように古代から
ある程度の文明を保持していた >>923
今は日本列島への金属器の伝播は紀元前8世紀より前というのが有力になりつつある。
また、交易等での伝播で確認されている日本列島最古は、山形県の三崎山遺跡の紀元前1000年頃の
青銅の刀子である。 みんな💕
ハートの真ん中のIDをクリックしてね💕
日本が羨ましくてしょうがない在チョンの僻みが聞けるわよ💕フフ
ト、、:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:_,. -‐ '":;:;:;:;:;:;:;_,.ノミ'、
|:;:;:;:``'ー:;:;:;:''"´:;:;:;:;:;:;:_,. -‐='二三シハ
ト、_:;:;:;;l:;:;:;:;:;__,. - '"´ 三三三三彡ノ!
l:::l 二、― 'r―-,_ _三三三彡彡ニヽ
ヾi `ー′:. `""´ ` ̄'三三彡片ヽl|、___/ニニニ
'、 , - 、、 __,.. .. ,、_, '三彡'^> ノリ \ニニニニニニニ
l イで>、ヽ ':,ィ'で'>'" 三シ' f ノ /::::::. \ニニニニニ
l ヾ二フ ,! ヽ二彡'´ }ツリ ,、_ノ ::::::i \ニニニニ
'、 l ,.、 i 川 ├ミ'、ヽ ヽ l:::::| \ニニニニ
ヽ ,' '__)ヽ、 /``7>、 !:::::| ___ノ^ヽニニニニニ
/ヽ /`ー'i´ \ / -――- 、 /:::::/ / ヽニニニニニ
/.::::::ヽ'、 、_,==ァ=-、_,} -―- 、⌒V::::::/.// j___ノ、 ヽニニニニニ
/ニニ、`ヽ\ヾ二"´_,. 、_( > \/ (__ ノニニニ \ニニニニ
,仁ニニニ\ヽヽヽ ∨ /ニニ>彡>--')__ ノ `ヽニ \ニニニ二
ニニニニニニヽ / {ニニ> ´ `¨¨´ ニ} \>''"´
ニニニニニニニニ/ ∨ / }八
ニニニニニニニ./ }ニ{ ID:Qwx5wpWz0 ノニヽ ノ
ニニニニニニニ/ }ニハ /⌒ヽヽヽ ___彡
ニニニニニニニ! ノニニヽ、 / ` ー=彡'ニニニニニ
ニニニニニニニ} ⌒`丶、 /⌒ヽ ノ ノ_____
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敵性外国人シナチョンとその帰化人は日本から出ていけ💕フフ >>890
お前は全く勉強が足りんな、東征しても敵を皆殺しに出来る訳は無い。
屈服させるだけで良いじゃ無いか、北部九州と関西は異民族だから
顔立ちが違うのは当たり前だろう。 北部九州発祥の神社
八幡神社・・総本社は宇佐市の宇佐八幡宮
宇佐・石清水・筥崎(鶴岡)を三大八幡宮と呼ぶ
宗像神社・・総本社は宗像市の宗像大社
厳島神社や江島神社が有名
住吉神社・・総本社は住吉大社だが
福岡市の住吉神社の方が古い
志賀海神社・・総本社は福岡市の志賀海神社
綿津見神社、海神社の総本社 朝鮮半島経由で無く、銅鐸は
支那華南から直接伝わったらしいな >>920
テレビなどで見ていると、鳴らし方時代が間違っている人ばかり。
寝かせる以前w 畿内勢力が九州勢力を征服したとすると北部九州の神社は潰されているよ。
しかし現実には全国展開しているのは北部九州の神社だ、ヤマト朝廷の
勢力拡大と比例して全国に広まった訳だよ。 >>752
既に証明済み。
東征も東遷も無い。
纒向が証明した。 もう答えは出ている。
問題は出て来た答えを受け入れる気持ちの整理がつくかどうか「だけ」。
魏志倭人伝は
1. 伊都国基点の放射読み。
2. 陸行一月は陸行一日の写し間違い。
3. 卑弥呼の墓は久留米市の御井の祇園山古墳。よって邪馬台国もこのあたり。
更に、
4. 東征も東遷も無い。考古学的に否定された。
5. 記紀は神武東征を捏造するために書かれた。神武は東征したのでは無く、
近畿日本に呼ばれて王に納まった雇われ店長。
6. 銅鐸は近畿日本側が神武を招き入れる為に自ら放棄した。廃仏棄釈と似た感じのこと。
これが日本の正史。
>>887
>高地性集落の勉強をしたら東征があった事が理解出来る。
馬鹿丸出し
高地性集落が一体何百年の話と思ってるんだ 問題が解決へ向かい、定説が出来て行くことを『発展性が無い」と言う。
これが近畿説クオリティ。
連中の本当の目的は、真実を誤魔化しケムに巻くことであるのがよく分かる。
自己申請。 改行の多いヤツは自動NGになっとる
専用ブラウザって、便利よなぁ 近畿説にとっては、真実がうやむやになって行くのが「発展」なわけな。
みんな心しろ。
これが日本の学問の世界の実態だ。
近畿説はクルクルパー
卑弥呼のいた三世紀は、西日本は吉備や出雲や近畿などの幾つかの有力豪族が割拠していた、緩やかな連合体であり、
どの勢力も他を
軍事的に
軍事的に
軍事的に
軍事的に
軍事的に
軍事的に
軍事的に(ここすぐ誤魔化すから強調しましたw)
統括出来ずにいた。
これは学会の定説であり、否定出来るものなど居ない。
ところが、邪馬台国の命令で北部九州を
軍事的に
軍事的に
軍事的に
軍事的に
軍事的に
軍事的に(ここすぐ誤魔化すから強調しましたw)
統括していた伊都国は九州にある。
つまり、邪馬台国近畿説をとると言うことは、邪馬台国は自分の近隣は軍事的に統括することが出来なかったのに、
中国地方をすっ飛ばして北部九州は軍事的に統括出来たと言っていることになる。
このような説はバカが言う説であり、学問的に全く成り立っていない。
邪馬台国は、少なくとも近畿、その近隣、またそれ以東には無いことはとっくの昔に証明済みのこと。
邪馬台国は、そもそも事実上九州説しかあり得ないのであり、他はネタ。
近畿説の目的は、真実を誤魔化しケムに巻くこと。
近畿説にとっては実は近畿説自体がどうでもいいもの。
だから学会で「近畿で当時の鉄製品がほとんど出土しないのはなぜか」
と質問されて「近畿では鉄が溶けやすいからだ」(キリッ
とか平気な顔をして答える。
また、議論が詰めてきて結論が出て来ると「邪馬台国なんてどうでもいい」とかほざき始める。
銅鐸の起源は中国だよ。
まあ、そんなことより、放射性炭素で調べたから、そんなに間違いはないだろう。年代がな。 一応 言っておくが
神武天皇の時代は
戦後GHQの生み出した歴史だと紀元後の適当な時期
しかし日本書紀だと紀元前6世紀だからな
しかもGHQ戦後型だと日本に青銅器時代も存在せずに
魏志倭人伝の卑弥呼の時代からいきなり大和朝廷の時代にはいる
だがGHQに否定された日本書紀型歴史になると
その手の青銅器文明は紀元前6世紀以前からゆっくり入ったと推測される
どちらが正しいかは今の我々に日本人の判断に任されている 檀君神話を真に受けるアホがいるか
記紀をそのまま受け入れるのはそれと同レベル 日本書紀にも古事記にも卑弥呼の名前は出てこないと言う者が戦後になり出てきた
卑弥呼の時代の痕跡は日本書紀にも古事記はないと戦後の大学の知ったかぶり教授は主張した
しかし実は日本書紀の神功皇后の章のなかに卑弥呼に関する記述は出てくるのだ
そして卑弥呼周辺と思われる人々が出てくる
それにはいくつかの説がある
本居宣長、鶴峰戊申、那珂通世らが唱えた説。
卑弥呼は熊襲が朝廷を僭称したものとする偽僣説が有名である。
その中の一つに卑弥呼は山門郡(ヤマト群)にいた土蜘蛛(土着の豪族)の田油津媛(日本書紀によると神功皇后に成敗されたという)の関係者であるとする説もある
ただ今、一番有力なのは孝霊天皇の皇女倭迹迹日百襲媛命で
宗女である跡取りのトヨについても崇神天皇の皇女である豊鍬入姫命が該当するという説もある 卑弥呼該当者の説で一番有力なのは孝霊天皇の皇女倭迹迹日百襲媛命で
宗女である跡取りのトヨについても第10代崇神天皇の皇女である豊鍬入姫命が該当するという説もある
この一番有力な説によると卑弥呼は第10代崇神天皇の時代になる
となると卑弥呼の時代は200年代なのは間違いないので
どう見ても神武天皇は紀元前の天皇になる
紀元後4世紀はありえない
このように外国人は屁理屈で日本の歴史を捻じ曲げているだけなのだ 神武東征はなかったとする戦後の知ったかぶり売国奴歴史学者は
このように神武天皇のいた時代すら特定できずにいるのが本当のところ
まじでうざいので黙っておくべきであろう >>961
まあ、何者たちが支配していたか判らない時代はやりたい放題作られた歴史と思って間違いないわな。
神武といわれる人物は今の天皇家と縁もゆかりもない者だろな。 神武紀元前6世紀を主張する人は日本書紀がソース、否定する人のソースは脳内。説得力ゼロ。 こういう奴は発掘調査のデータもまともに調べられないような低知能な爺さんだろうしな>ID:yTXWdV6D0
周囲は馬鹿で、自分だけが賢いと信じ込んでいるw
学者を黙らせたいのなら、黙らせるだけの論文を書いて査読付きで専門誌に発表せんとと何も始まらんわなw
でも、学歴と技術がないからnetでしか自説を展開できないw >>963
否定するソースも日本書紀でいいんだよw ID:hVbtxgli0 のような低能バカが一番手におえんな
爺さん以下のアホキチガイ
そもそも日本書紀を信用しないのなら日本書紀に書かれている記述を持ち出さなければいいだけじゃんw なーんかよ
日本書紀を否定したいのなら日本書紀の事をいちいち書くなと言いたいわ
どの時代にどんな天皇がいたかも定かではないのなら日本書紀を持ち出して物事を言うなといいたいわw 前方後円墳の鍵穴は銅鏡と銅鐸の組合せ。古事記の出雲の国譲り、つまり2つの国が1つになった証明。 ID:hVbtxgli0 がバカキチガイなのは見て分かる通りだな
じいさんにボロクソ論破されて、敗北して
悪口言うのがせいぜい関の山なんだろうなw恥ずかしいバカだw >>961
神武は四世紀の人物。
四世紀が中国側の日本についての文献が無い空白時代になっているのは、日本側にとって神武がらみで歴史を捏造していた最中だから。
日本にとって対外的に歴史が定まらない状態だったわけな。
ID:hVbtxgli0 のような低能犯罪者は多いぞ
矛盾を指摘されると何も言い返せないので
回りの人間に適当に八つ当たりするとか、まるで犯罪者予備軍だな 銅鐸は漢王朝の手ベルから伝わったって説が完全に崩れた 270年から350年は半島南部の『韓』の開拓時代だよ。
270年牛馬の輸入開始とともに400年までに国司を派遣して
武蔵、甲斐、信州に高句麗牧童も使って勅営御牧を経営した。
同時に、鉱山、製鉄の国内化もはたしている。
この、文明開化によって、400年に倭の五王の
半島利権交渉を伴う、大陸外交に繋がる訳で
300年に神武東遷とか、時系列手抜かりもいいとこだ。
戦乱の不定国家である対中外交への準備的に
馬の軍事利用、造船等の産業革命と富国強兵が急務だった時代が270年〜400年。 >>967
記紀は根も葉もあるウソ。
これが日本史の常識。
筋立てはウソだが(例えば神武東征は作り話し)、
根や葉は本物(神武自体は実在の人物)。
全国に広まった弥生時代創建の北部九州発祥の神社
八幡神社・・総本社は宇佐市の宇佐八幡宮
宇佐・石清水・筥崎(鶴岡)を三大八幡宮と呼ぶ
宗像神社・・総本社は宗像市の宗像大社
厳島神社や江島神社が有名
住吉神社・・総本社は住吉大社だが
福岡市の住吉神社の方が古い
志賀海神社・・総本社は福岡市の志賀海神社
綿津見神社、海神社の総本社 中国地方と関西地方に渡来した弥生人は木棺墓埋葬の半島系弥生人
北部九州に渡来した弥生人は石棺墓埋葬&甕棺墓埋葬の大陸系弥生人
関門海峡を挟んで異民族が住み着いた 弥生時代に発祥するのは、神社じゃなくて豪族。
神社という祭祀形式は古墳の無くなる薄葬令以降だね。
全国に広まるのは、氏族が分散したからであって
いわゆる海神族、九州豪族が全国に配流された時に寺院と共に氏神神社も祀った。
地神、自然神など土着の信仰が有ればこれを合祀して地域との融和を図った。
600年以降三代実録までは、意味不明の自然神でも神社認定で位階を与えてるけど
延喜式辺りから、領主豪族系、古事記神話系でないと合祀させたりで国家神道化に近付いていく。
銅鐸〜古墳〜神社ってのは、皇国、天神統治の基本形の変化なんだよ。 こういった銅鐸は交易で買ってたんだろうか
移住してきた連中の持ち物だったんだろうか >>979
銅鐸は、まず朝鮮小銅鐸というのがあった。
これは牛の首につける鈴、カウベルだったらしい。
この小銅鐸は日本からも出土している。
しかし、弥生時代の青銅器たる「銅鐸」として大
進化した。大陸には「銅鐸」の類似物は発見されて
いない。
ただ、原料の銅は国産化されてないかったので、おそらく
大量の青銅器を輸入して、それを鋳潰して製造した。
まあこんな感じ。 なんで普段、土中に埋めてて使うときに出すとか面倒くさいことしてたのか ◆邪馬台国時代の近畿【3高地性集落】
銅鐸の埋納が始まった同じころ、山陰・瀬戸内では、西から何者かがやって来て定期的にモノやヒトを略奪し始めた。
在地の人間は山の高地に作った集落にその都度逃げ込むほかなかった。
争いを回避することに徹した集落遺跡。瀬戸内に多く分布するこの遺跡は高地性集落と呼ばれる。
そして、その略奪者こそ資源確保のため九州各国から東の辺境へ派遣された将軍達だった。
「略奪的」であったことは一方向的な九州への土器の移動によって、それが「定期的」であったことは銅鐸の
埋納状況によって推察される。
銅鐸は、急襲の際には高地性集落へ上がる途中の場所、もしくは予め見つけられにくい場所に隠しておいたのだろう。
逆に言えば、見つけられやすい場所にあったものは早々に相手方に回収されてしまったということでもある。 >>981
雲南とか大陸南部に「銅鼓」という青銅器があって、
それが普段は土中に埋めて、掘り出して使う、という
習慣がある。
銅鐸の埋納だけが特殊な訳ではないよ。 この手の考古学スレが立つと必ず嫌儲からチョンモメンが書き込みに来るのがウザい >>982
う〜ん…。淡路の発見は、銅鐸の埋納開始が少なくとも150年以上前遡るかも?
というニュースだから、これは倭国乱とか、環濠集落とか、第一次高地性遺跡
の出現とか、とあまり関係がないかも? というw
だから、今、考古学者は自説の辻褄合わせにいろいろ苦慮しているんだよw >>981
おれおまが拾ったゴハンを一度埋めてから掘り出して食べるのと一緒 >>935
日向の高千穂(鹿児島県か宮崎県か辺り)に邇邇藝命が降りてくる
曾孫の神武天皇は東征を思い立って筑紫の岡田(福岡県北九州市ら辺)で一年かけて準備 当時は中国や朝鮮が先進地だったことは
しょうがない。事実だったんだから。東日本なんか原始人の延長みたいな生活。 >>988
まあそうだけど、原始人っていうのは古い考えだぞw >>988
それも違うみたいだよ。
韓国の話しても仕方ないと思っているけど、日本の大学やエロい人から韓国繋がりの人を排除しないとあかん。
公平中立または日本を中心に考えるなら韓国人でも金貰うのも好きにしろと思うが、韓国中心で正しく考えられなくなっているんだものw >>990
それ韓国人がそっくり同じこと言ってるよ
似たもの同士良かったね 銅鐸って古代韓国の支配地域を示す遺物だからね
淡路島まで韓国領土だってのがはっきりしちゃったのね 縄文人に農業を浸透させるための祭祀であって
縄文色の濃い諏訪などに見るように狩猟、採集民は自然神、山の神への信仰が厚い。
神は春が来ると山を降りて田んぼに来る。
収穫が終わると山に帰る。
祭と言うのはそういうもの。
農業祭祀の象徴を村はずれに埋めるのは、
華やいだ田んぼの神に感謝して、神を山に帰すと言う事だろね。
狩猟、採集民に水稲耕作を浸透させて、信仰的な融和を創るとはそういう事。
いきなり古墳作りの奴隷化じゃ、農業集落〜国家へは発展しなかったと思うね。
縄文人と弥生系渡来人の融和が日本人を創ったってこと。
戦乱遺民が入植してた半島にはこれが無かったから663年以降は国土を日本列島に限定した。
これ以降の半島は知っての通り愚民化で中国貴族の収奪の土地。
半島からの伝搬は中国皇帝に臣従した蝙蝠百済王に下寵されたものを
軍事的保護を与えた日本に献上させただけのこと。
THAAD売るなよwww >>991
韓国は違うよ。
韓国人とリアルで話すと、悔しかったら日本も売国罪や反韓罪、反韓司法作ってみろと言ってくるw
韓国の大学で真実でも日本優位なこと言ったら逮捕だものね。
それ言われると負けましたと認めるしかない(^_^;) >>928
そのはるか前に既にいた原住民である縄文系は駆逐したではないか。 >>996
どうも弥生人と縄文人は住み分けてたらしいし、弥生の集落の
墓地から縄文人の遺骨も出てくる。長ーい同化の過程があった
ことも想定しなきゃならん、という感じらしいよ。 >>997
どこでもそうだが同化政策なんてのは男はみな殺して女は子供を作らせられるのだ。
征夷大将軍なんてのが高い位だという事実からして日本史は虐殺の歴史であることは間違いないだろう。 >>985
倭国大乱を高地性集落と関連付けることが時代的に難しくなっただけで
弥生時代の九州の東征の可能性は依然として残る このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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