【歴史】龍馬と亀山社中、関係薄い? 船中八策は虚構の可能性★2
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https://www.asahicom.jp/articles/images/c_AS20180224001143_comm.jpg
幕末の志士・坂本龍馬が創設した、日本初の商社兼私設海軍といえば「海援隊」。前身の「亀山社中」は、長州藩と薩摩藩を結びつける役割を果たしたといわれる。だが、最近の研究で、龍馬との関わりは薄かった可能性が高くなっている。
私たちの知る「亀山社中」と、後身とされる「海援隊」の設立経緯は以下のようだ。
神戸にあった幕府の海軍操練所が閉鎖されると、土佐浪士だった坂本龍馬は慶応元(1865)年夏、長崎に日本初の商社兼私設海軍「亀山社中」を設立する。
同年7〜10月には、長州藩のために、武器や軍艦(ユニオン号)などの兵器を薩摩藩名義で購入。当時、険悪だった両藩の関係の修復を試みた。
慶応2年1月には、社中の一員だった近藤長次郎が盟約に反した罪で切腹するものの、同年6月の第2次幕長戦争では、ユニオン号で海戦に参加。その志は慶応3年に設立された商社兼私設海軍「海援隊」に受け継がれたとされる。
■私設海軍の見方「事実誤認」
だが、専門家からは、こうした通説は再検討すべきとの指摘が出ている。
明治維新史学会理事を務める、神田外語大学准教授の町田明広さん(幕末維新史)によると、亀山社中の「社中」は「グループ」という程度の意味。「薩摩藩名義で買い上げた軍艦を、薩摩の指示のもとで運航していた土佐の脱藩浪人の集団というのが実態。私設海軍や商社などとするのは事実誤認」
坂本龍馬との関係も希薄とみる… 残り:1537文字/全文:2121文字
2018年2月26日09時08分
朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASL2P4SDXL2PULZU00K.html?iref=sptop_8_06
★1が立った時間 2018/02/26(月) 12:27:15.54
前スレ
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1519615635/ 死後時が経ってから完全に後出しの人物で土佐以外の人は竜馬に関してろくに語ってなかったはず ブーツ履いて拳銃持ってたとかカッコいいエピソードは沢山あるからな >>844
慢性栄養失調なだけですねwwwwwwwwwwwwwwww >>841
いや、太原雪斎が家康公に多大な影響与えたって勝海舟が言ってるのだが。 西郷、大久保、木戸、岩倉、三条、高杉、小松、後藤、板垣、伊藤、井上、村田新八、
黒田、桐野、その他もろもろ
この連中全部と浅からぬ縁があって、コネクションがあったのは龍馬ぐらいだろうな。
あとは、まさに中岡慎太郎ぐらいだな。 いい加減にしろよ
龍馬はヒーローでなんか不都合でもあるのか >>828
思想家として大成するには、行動がいまいちなのはもはや法則なんだよ。
逆に、行動家として大成するには、思想はいまいちなのも法則なんだよ。 >>854
勝海舟戦国時代に生きてないでしょ。
推測でしょ? >>836
坂本龍馬に関しては過大評価の揺り戻しで過小評価になったとかそういうレベルじゃないんだよ
維新直後には維新功労者として誰一人名前を挙げなかったというレベル
つまり、私的に商人しながら薩長の下働きしてただけの数いる脱藩浪士の一人
それを高知の新聞が、土佐閥のプロパガンダとして英雄にしたてて小説を書き、
さらに司馬が活躍を誇張、創作しまくって今にいたる
つまり、実際のところ維新のために何をしたのか全く分からないんだよ 石田三成配下で島左近だけが有名ってのと同じだと思う。
いろいろな人のやってきたことを竜馬にくっつけたのが今野竜馬像ってことだろうなぁ
三成配下には左近のほかにも勇猛な武将はたくさんいた。 >>855
勝海舟もな
勝海舟と龍馬が出会ってなければ
岡田いぞうが勝海舟のボディーガードになってない
つまり勝海舟は江戸無血開城までに死んでる >>847
夢なき者に理想なし、
理想なき者に計画なし、
計画なき者に実行なし、
実行なき者に成功なし。
故に、夢なき者に成功なし。
この夢を思想に置き換えても成立する。
ゆえに思想が全ての出発点である。
今の日本は思想が死んでるからダメなんだ。
皆カネカネキンコよ。シナ人と変わらん。 こういう再検証は面白いんだが、朝日新聞に載るってのがどうにもなあ…… >>859
いや、事実だろ。
幼少期の教育係だったのだから生涯にわたる影響を与えたのは間違いなかろう。 人物としては、伊藤博文の評が的確だろうな。
「まさに傑物だった。方々に説得に行き、どこに行っても受け容れられる、そんな人だった」 『薩長史観の正体』でも触れているが、松陰自身は「至誠」と言いながら、
その思想と行動は変節と激情に満ちていた。
松陰の攘夷論と尊皇論は水戸学からの借り物であるが、
攘夷と言いながらロシア船やアメリカ船での密航を企てていたり、
開国を決めた幕府の老中の暗殺を計画したりして、その言動には一貫性が見られない。
しかも門弟から血盟書をとって武装蜂起を企てたばかりか、
具体的に武器弾薬の調達も図っている。
ほら?思想も水戸学の丸パクリだってよwww
他人のものを盗んで自分のものみたいに売るのは
白丁の特徴だろw汚いな、さすが松陰きたない 坂本龍馬が間に入ったことで薩長はまとまり、
イギリスとの不平等条約を受け入れたから中国のようにならずに済み、
アジアで真っ先に近代化してロシアや清に勝って国益を守れたって感じ? >>854
太原雪斎は、たしかに教育者として家康に影響を与えたが、それは「原理原則」の域を出ていない。
それに対して、吉田松陰は、かなり具体的に日本の将来像を示している。
四民平等に廃藩置県は、元々の構想は、言葉が違うし分かりづらいからピンと来ないだろうが
吉田松陰が起源だ。
ぶっちゃけ、騎兵隊から明治維新までの構図というか設計図全部描いたのは吉田松陰。
言葉が分かりづらいだけで、高杉も、桂も、長州全部が吉田松陰設計図通りに動いただけだ(桂の動きは見事ではあるが)
太原雪斎とは根本とし違う。太原雪斎は江戸幕府の構図を描いてたりはしない。
考え方とか、順序とか、戦略とかを教えたに過ぎない。 >>863
幕府関係入れると、永井尚志、大久保一翁、松平慶永も入るな。
はっきり言って、ここまで顔の広い奴はいない。 >>870
尊王攘夷論が水戸学の借りものなら薩長史観なんてものはないだろう。
なにいってるんだ? 結局、坂本龍馬って何もしてないの?
勝海舟とか褒めてるんじゃないの?? >>861
過小評価も、過大評価も要らないと思うが、たぶん、相当高い評価で適切と思うぞ。
そこら辺は、逆に評価されてないと思うが、あんだけ血の時代に生きていてそれに染まらずに
逆に血を流すのと逆の影響を与えた所じゃないかな。本来最高評価すべきは。
そこが、評価されてないと思う。 司馬遼太郎が近代史を捻じ曲げた罪はとんでもなく深い。
しかしそんな力を出せる筆力があったことは認めざるを得ない
箱根の坂とか項羽と劉邦とか韃靼疾風録の線で止めてれば >>873
さらに言うと大東亜共栄圏の雛形も起源だしね。
我が国最高峰の思想家の一人である。 >>876
師弟の間柄で坂本龍馬は勝海舟を絶賛してた この武装蜂起の発想が、後に、松陰が門弟第一と評価する久坂玄瑞が長州藩を使嗾(しそう)して、
京都の御所を襲撃し天皇に銃砲を向ける「禁門(きんもん)の変」につながる。
松陰の尊皇主義は、建て前のものでしかなかったと言われても仕方ないであろう。
歴史的事実を見ていけば、松陰は教育者と言うよりは、テロリスト集団を育成した扇動者であったと言えるのではないだろうか。
こいつが思想家?
思想家って言うより
謀略家だよな。 何を今更…。
龍馬は明治時代に明治政府や維新を正当化するために作り上げられたお話しだからね。
維新の真っ只中の時代には無名で誰も知らなかった人物。
明治皇后の夢の中に現れた人物、という話が原点というw 坂本龍馬=インサイダー取引で成り上がった犯罪者、岩崎弥太郎
この理解でオッケー。タチの悪い銭ゲバ野郎 >>878
吉村寅太郎とか北添キツマとか非業の死を遂げた組はだいたい後で四位を貰ってるイメージ
まあ、その辺の志士と同クラスじゃね? >>882
少し(一部の人に)誤解を与えかねない表あ現だが、まぁ、信じられない程の
巨大構想をぶち上げたという意味では、知の巨人と言っても良いかもしれない。
いや、未来構想の巨人というべきか。
何をどうしたら良いか迷ってる現代だからこそ、彼の評価を再評価すべきだろうと思う。
ただ、吉田松陰あげるのに坂本龍馬下げは不要だ。両方凄いが適切だろう。 こういった話はどこまでが本当で、
どこまでが嘘か、全く解らんのだよ
だから五島みたいな人間ゴミと腐れテレビに騙されるんだよな >>873
当時の蘭学に精通した兵学者や思想は似たようなこと考えた手だろ。 >>889
無かったことにしたいんだろう。
なんか、日本否定の意思を感じる。なんでだろう?
ここ2〜3年で、明治維新全部を否定する言説が妙に増えてる気がする。
しかも、謎の悪意を持って >>876
何もしてない人間が暗殺されんだろwww
>>878
それってどれくらいなの?
神風連の乱の太田黒伴男が正五位なんだけど。 >>885
維新を正当化するためじゃなくて、土佐閥の格を上げるためだな
当時土佐閥はあの手この手で自分たちの格を上げて薩長に割り込むために躍起になってた
龍馬の英雄化もその一環
薩長にとっては大政奉還が正義なら逆に自分たちが正当化されなくなる 龍馬がほぼ架空の人物だったのに、司馬遼太郎のファンタジー小説で更に龍馬像が出来上がったのがリアルな生い立ち。 >>891
>蘭学に精通した兵学者や思想は
それ、誰?
大村益次郎? 誰かを大物にしてあげる事により
自分が有名になれる
今の日本そのものだろ 今の維新がナントカ八策とか言ってるのは
ごっこが過ぎると思った。 >>894
吉田松陰も高杉晋作も中岡慎太郎も正四位 >>887
個人的には、吉田松陰が正一位
坂本龍馬が従一位ぐらいが妥当だと思う。 >>892
結局のところ騒がして混乱させただけでその後の不平等撤廃とかの大仕事とかに比べたら小人に過ぎない印象がある 正四位の代表的な人物を挙げるとだな、
源義家、北条泰時、大江広元、高杉晋作、久坂玄瑞、吉田松陰、中岡慎太郎、
佐久間象山、藤田東湖、江藤新平だな。 >>903
今調べたら久坂玄瑞も同じだね。
微妙な感じの人ばかりだね 現代の龍馬像は司馬遼太郎の「竜馬が行く」が原型。
しかし司馬はファンタジーと史実をごっちゃにされたくなかったので、龍馬ではなく竜馬とした。
でも大衆は竜馬と龍馬をごっちゃにしたというw また、頭の悪い人たちが
勲章の話してる。
そういう番付けが一番要らない。
学校の校風の話をしてる時に
東大が一番偏差値高いから東大サイコーだよなー。
議論終了ってやるのと一緒。
中身のつまんない話。 >>906
ウィキペディア見たら武田耕雲斎もそうだな。
あと茅根伊予の介 >>892
そりゃ安倍とか麻生のルーツだからね。
これから自民党も倒れて新しい時代が来るだろうから
その兆候だということだ。
権力側は必死で明治維新を称揚しとるがねww NHKはテロリストを礼賛しまくってる病人って事だろ。
唯一の例外が
八重の桜くらい。
まあ、あれもフェミっぽい感じだけど。 >>907
微妙に感じるのは維新成立前に亡くなったから
生き残って新政府の要職に付いていれば全く違う印象だったと思うよ
竜馬ら正四位を送られた維新成立前の死亡者たちも 文鮮明は、韓国版の著作では西郷隆盛や吉田松陰も朝鮮人と言っている。
日本語版では削除されている。
岸や笹川と懇意だった文鮮明がこういうということは岸や笹川もそう思っていたのではないか?
実はアホウヨもそうだろう。
統一教会に近い安倍も、そうだろう。
これが統一教会と明治維新の連結点だ。
『西郷隆盛のような人も九州出身だったので韓国人だったのです。
吉田松陰のような日本の啓蒙家も韓国人でした。それを知っていますか?(「はい」)
その祖先が韓国と大陸を連結しているのを知っていたので、日本は仕方なく西郷隆盛という
日本名を付けて上野公園に銅像を立てたのです。
そうじゃないですか?
日本で西郷隆盛の思想を子孫たちに残すことになったら、大変なことになるでしょう?』
(「文鮮明先生御言選集」377巻より) >>909
下働きだけしていて大したことしてないって言ってる人がいるから、そんな人なら勲章なんて貰えるわけないだろって言いたいだけだよ 本物のキーパーソンなら京都ウロウロできなかったろうと思うんだが。 >>914
どちらにしても、龍馬の活躍が云々以前に土佐閥では、大した要職にはつけなかったろう
脱藩組なら尚更 >>915
まあね、
笹川は日本財団なんて名前でやってるけど
朝鮮財団だもんなw
私普通の日本人だけど〜=日本人ではない
このネットのパターンは
現実でも通用する。 だがこの通説には疑問が残る
というか、龍馬はただのグラバーのパシリなんだから >>920
だからグラバーに会ったことないし亀山社中ともあんま関わっていないんだって。 >>920
グラバーと龍馬って2人が会った記録とか一切無いんだぜ >>915
文鮮明=大川隆法先生という理解でよろしいか? >>916
禿同www
>>1とかどっかの教祖みたく「定説」とかお題目のように唱えてる連中の説だと
叙勲されたことも暗殺されたことも説明つかないんだよなwww >>916
箱館戦争が終わった直後の明治2年(1869年)6月から9月に明治政府は論功行賞を行ったが、
坂本龍馬には何の行賞も行われなかった。明治3年(1870年)8月に政府は龍馬と中岡慎太郎の家名存続を沙汰し、
龍馬の長姉・千鶴の長男・小野淳輔(高松太郎)が坂本直と改名して龍馬の家名を継ぐことになり、
永世15人口(30石)が下された。なお、他の維新の元勲の行賞は西郷隆盛は2,000石、木戸孝允は1,800石、
後藤象二郎は1,000石であった[92]。
坂本龍馬は維新後しばらくは注目されることのなかった存在だったが、明治16年(1883年)に高知の『土陽新聞』に
坂崎紫瀾が書いた『汗血千里の駒』が掲載され、大評判となった事により一躍その名が知られるようになった[93]。
明治24年(1891年)には正四位が追贈された。
龍馬の評価=100パーセント小説の影響力w
だと解るね? 薩摩長州に軍事顧問送り込んで強大化したバカ殿はおれに謝れ だから、言ってるじゃん、
クソバカどもはすぐに
勲章の有無とか
海外の賞とか
そんな事ばかり見て、中身を見ない。
一回、そういう世界観全部すてろ。
勲章とかどうとか気にするなw 単なる武器商の営業マンを英雄視
かたや、単なるテロリストを英雄視
朝鮮と同じ事をしていてはいかんぜよ >>925
ちゃんと褒賞貰ってんじゃんwww
貢献があればこそだろwww >>929
キリンがそう言っててもグラバーの手記に龍馬のことは出てこないわけで ドラマや小説と歴史を混同する輩が多い理由は・・・
1 権力じよる歴史の政治利用
今でも 長州出身を騙る東京生まれ 東京育ちの安倍が 吉田松陰利用するのと同レベル
2 NHK大河ドラマによる洗脳
3 おらがふるさと意識による歴史捏造と美化
4 最近では、ゲームやアニメによる脳みその空洞化 当時の世界情勢、特にアジアの情勢と、
明治維新という名のクーデター後に日本が急速に西洋化・軍国化して、清やロシアと「戦わさせられた」ことを考えれば、
いったいどの国の利害によって薩長が操られていたかはアホでもわかる >>932
全く何もしなかったなんて多分誰一人言ってないと思うぜ
下働き相応の褒賞くらいはそりゃもらえるだろ >>418
日本こそ植民地やったじゃねえかw
マルクス主義は失敗したじゃねえかw
アホウのネトウヨかw >>930
当時のことなんて資料で見るしかない訳で勲章貰ったことも客観的に見る評価材料だろ
主観で俺は評価しないって言ってても、評価されていた事実があるわけで 竜馬は筆まめで手紙がかなり残ってる
で何処で誰と会ってたとか調べた結果仮に竜馬が居なかったとしても歴史が変わる様な偉人では無いって話 坂崎紫瀾が書いた『汗血千里の駒』が掲載され、大評判となった事により一躍その名が知られるようになった
千里馬運動(せんりまうんどう、チョルリマうんどう)とは、
5ヶ年人民経済計画(1957〜61年)開始直前の1956年12月に北朝鮮の金日成が朝鮮労働党全員会議で提唱した、
経済発展を促進し、社会を大躍進させようという運動のこと。
まさかね?
なんか気持ち悪いな。 >>914
まあ宮部鼎蔵もどうも正四位らしいけど、生き残ってたら
神風連と一緒に反乱起こしてたと思う。 >>935
その後イギリスフランスが日本にアジアから追い出されたことを考えるとさっぱりわからん
のだが。 >>935
強いて言うならソビエト連邦かな。
ロシアじゃなくて。
大日本帝国がなければソビエト連邦の誕生は難しかったろう。 >>935
そして世界地図を眺めれば
「あー朝鮮と満州あたりに強い国があれば戦争せずに済むのになあ」とも思う。 そもそも司馬遼太郎が小説で描くまで
ほとんど知られてなかったんでしょ? 亀山社中は慶応元年(1865)に神戸海軍操練所が閉鎖されて行き場を失った土佐等の浪人集団を、勝海舟が薩摩藩家老小松帯刀に預けたのが始まりだ。
文久3年(1863)12月24日、長州の砲撃をうけて薩摩の長崎丸(幕府から借りた蒸気船)が沈没する事件があり、この事件で操船技術を持つ藩士の多くを失い、操船技術者が欲しいという事情が薩摩にはあった。
ちなみに亀山社中というのは後年そう呼ばれたもので、当時は単に「社中」と言った。
時系列を正確に見てみる。
慶応元年(1865)5月、龍馬らは西郷とともに薩摩に行く。
龍馬は薩摩藩の意を受けて薩長の連携を模索するため5月16日下関へ向け出立。
薩長同盟は龍馬の功績のように言われるが、両藩が提携することは黒田藩の月形洗蔵や土佐浪士中岡慎太郎が周旋していたものである。
一方、5月26日、近藤長次郎、高松太郎らは薩摩藩家老小松帯刀に従い長崎に行っており、そのころ長崎の亀山に社中を創立したようだ。
龍馬は下関行きの途中、熊本で横井小楠と面会、続いて5月23日から28日まで大宰府に滞在し五卿や北部九州の志士たちと面会。閏5月1日に下関に入る。
下関で桂小五郎と面会し、西郷の来訪と桂との会談を約束するがこれはならなかった。
この後龍馬は上方へ行く。
つまり龍馬は亀山社中の創立したときその場に居なかった。 薩長史観的には坂本龍馬がパシリという史実は都合悪いだろ >>8
カネやんは170km/hは出ていたと言うがそれは >>949
え?!
なんで?!
坂本は薩摩でも長州でもなく土佐なのだが。
薩長土肥で土佐に英雄がいないからって祭り上げられたのだが。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。