0001イレイザー ★
2018/03/04(日) 06:05:34.52ID:CAP_USER9堺市と関西大が、江戸時代に建てられ、現存する最古の鉄砲の生産現場が残る鉄砲鍛冶屋敷「井上関右衛門(せきえもん)家」(堺市堺区北旅籠(はたご)町西)での共同調査を実施。この中で、17世紀後半から幕末にかけて鉄砲の受注などに関する古文書約1万1700点を精査した。それによると、大名や旗本からの鉄砲の新調の注文は、宝暦2(1752)年は約30丁だったが、その後注文量は増加し、幕末の元治元(1864)年には約230丁に増えたことが確認された。
さらに古文書のうち、「諸家様方御出入先名前帳(しょけさまがたおでいりさきなまえちょう)」には、天保13(1842)年の堺の鉄砲の取引状況が記載されていた。堺全体で239の大名・旗本から受注があり、このうち井上家が61を占めていたという。
調査を行った関西大の藪田貫(ゆたか)名誉教授(日本近世史)は「戦はなくても、参勤交代の際に武士は銃を持つなどの用途はあり、新型の銃は次々と開発されたため注文が増えたのでは」と指摘した。
井上家当主の井上修一さん(74)は「こんなに貴重な資料が出てくるとは思わなかったので、びっくりしている。身を引き締めて後世に伝える努力をしていきたい」と話している。
井上家ではこのほか、当時の堺の様子などを記した古文書も見つかっており、堺市や関西大はさらに調査を進める。
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鉄砲と堺 戦国時代にポルトガルから種子島に伝来後、堺に伝えられ、鉄砲の一大産地となった。港があり、古くから優れた技術者が多かったことなどが背景にあるとされる。井上家は承応2(1653)年に初代が関右衛門を名乗り、鉄砲鍛冶に。伊予・大洲(おおず)藩からの受注などで急成長し、江戸時代後期には全国有数の鉄砲生産量を誇るようになった。
http://www.sankei.com/smp/west/news/180303/wst1803030034-s1.html
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