ソニーの「初代PlayStation」より早く登場した「セガサターン」は、「メガドライブ」から約6年越しのセガの新ハードとしてファンの期待を集めましたが、「NINTENDO64」を含む「次世代機戦争」で惨敗を喫することになり、その後発売した「ドリームキャスト」にまでその影を落とすこととなりました。どのようにしてセガは舵取りを誤ってしまったのか、Sega of AmericaでCEOを務めていたトム・カリンスキ氏が、その当時を語っています。

How A Series Of Bad Decisions Led To The Sega Saturn Failure - Features - www.GameInformer.com
http://www.gameinformer.com/b/features/archive/2017/07/03/gi-classic-the-saturn-spiral.aspx

セガはメガドライブ(GENESIS)で採用していたカートリッジ方式から、セガサターンでCD-ROM方式へと変更しました。メガドライブの頃からグラフィックとサウンドに定評があったのですが、CD-ROMの採用によってセガサターンはポリゴンレンダリング・音質・3Dグラフィックの性能向上を可能にし、当時のアーケードゲーム機の性能に近い据え置き機を実現しました。1994年に登場したセガサターンは日本のゲーマーに認められ、発売直後に初回出荷分の20万台が完売となる人気っぷりを見せました。
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日本ではバーチャファイターの人気が認められ、成功の兆しを見せていたセガサターンですが、当時のSega of AmericaのCEOだったトム・カリンスキ氏は、「北米では成功しない」ということがわかっていたそうです。日本の経営陣は北米でのセガサターンの発売時期をPlayStationと同じ1995年9月に予定していたのですが、セガと任天堂の市場競争で大きな功績を残していたカリンスキ氏は、「翌年の1996年に持ち越すべき」と考えていたそうです。
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しかし、市場争いをいち早く勝ち取りたいセガ経営陣の思惑から、1995年5月のE3でカリンスキ氏は、セガサターンの発表と同時に「北米で近日発売」という告知を行う役割を請け負ったとのこと。カリンスキ氏は発売日の前倒しに激しく反対したそうですが、この反対意見が聞き入れられることはなく、セガサターンはPlayStationやNINTENDO64に先駆けて、1995年5月に北米で発売となったわけです。発売日で一歩抜かれたソニーですが、当時のSony Interactive Entertainmentのオラフ・オラフソンCEOは、E3のカンファレンスで、PlayStation価格を299ドルと発表することで応戦。これはセガサターンより100ドルも安い価格であり、カンファレンスの観客は盛大な歓声を上げました。


突然の発売日の前倒しはセガのファンを混乱させることになりましたが、これはセガの失敗の序章に過ぎなかったとのこと。北米で急きょ発売が始まったセガサターンですが、限定されたごく一部の小売店でしか購入することができず、在庫のある店舗を見つけるのは非常に困難だったそうです。また、ソフトウェアラインナップも十分ではなく、セガのマスコットである「ソニック」のシリーズ新作はローンチタイトルに含まれませんでした。セガサターンはセガの歴代ゲーム機の中で唯一、「メインタイトルのないハード機」として登場してしまったわけです。

この時点で多くのファンがセガに見切りをつけてしまうきっかけとなりました。

続きはソースで
http://gigazine.net/news/20170705-sega-saturn-failure/
★1が立った日付2019/07/06(土) 01:41:06.04
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