【歴史】「明智光秀は山崎の戦い以降も生きていた」と考える人が38.3% [ボラえもん★]
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
織田信長を討ち取った「本能寺の変」の首謀者としておなじみの明智光秀。
定説では、その後豊臣秀吉と戦った「山崎の戦い」によって敗れ、敗走中に落ち武者狩りに遭い没したとされています。
しかし、さまざまな噂や伝説が残っていることから生存説もあり、本能寺の変を起こした理由とともに、いまなお歴史の謎として多くの人を魅了し続けています。
そこで、日本トレンドリサーチは「日本史が好き」と回答した人に対し、「明智光秀生存説を信じますか?」というアンケートを実施し、その結果を発表しました。
●「明智光秀は“山崎の戦い”以降も生きていた」と回答した人は38.3%
「“山崎の戦い”で、明智光秀はどうなったと思う?」という質問に対し、38.3%の人が「“山崎の戦い”以降も生きていた」と回答しました。
そう回答した理由については、下記のように「そうであってほしい」という願望を抱いている人が多いようです。
・今のように証拠などが確実にあったわけではない時代だと思うので、色々な解釈があると思いますし、そうだったら面白いなと思う部分もあり、願望という感じです。(50代・女性)
・そうなっていてほしい。今回の大河を見て強くそう感じました。子孫もいるということなので、信じたい。(50代・男性)
・その方がロマンがあるような気がするから。織田信長ももしかしたら生きていたかもしれないとも思う。(50代・女性)
また、「“南光坊天海”という僧侶になり、徳川家康を支えた」という説を信じたい、という人も見られました。
・光秀がその後、天海僧正として家康の懐刀となり、天下統一に力を貸した…と言う説にロマンを感じるので、そうだったらいいなという希望を込めて。(40代・女性)
・天海と明智光秀の類似点もあり、相違点もあるので絶対に生き伸びて天海になった!とは言いませんが、明智光秀を山崎の戦いで死なせるのは勿体ないと思うので。(30代・女性)
●61.7%は定説通り「“山崎の戦い”で討たれた」と回答
「生存していた」という説に対して、「“山崎の戦い”で討たれた」と回答した人は61.7%にのぼりました。
回答の理由としては、「その後の消息が全くないから」というものが多く見られました。
・その後の活躍が全く表に出てこないから。また当時の人々がその存在を許さないだろうから。(50代・男性)
・山崎の合戦以降どこかで落命したと思う。もし落ち延びていた場合は、その後の豊臣から徳川へ政権が移ってゆく中で何らかの痕跡を残している筈だと思う。(70代・男性)
・もし生きていたとしても、消息が無い。活躍していないから、死んでいるのと同じでしょう。(60代・女性)
(出典元:日本トレンドリサーチ)
https://news.yahoo.co.jp/articles/28259bdaf81a4ae547628b80b630bc06b716b720 生きてたやろな
天海説はかなり信憑性がたかいよ
豊臣時代に 徳川家で明智光秀をみたという話もあるしな そもそも
明智光秀の首は本人確認がとれてない
この時点でおかしい まあ厳密に言えば戦いの後の落ち武者狩りだから、
戦い以降も生き延びたと言えなくもない 秀吉や秀勝・丹羽が絶対に生かしておく訳が無い
細川や徳川も匿うメリットが無い
駒が匿ったんだな >>14
駒と東庵でたところは全部クソ
鶴太郎も要らなかった
抜いて総集編作れや >>14
大河が素晴らしかった事など一度も無いだろw
日本で一番金かけた学芸会だよ
唯一衣装だけは見る価値あったけど、麒麟から色使いまでひどく下品になってしまった 「大統領が宇宙人と一緒に飛行機から降りてきた」の
アメの中のなんちゃって新聞みたい。
「プレスリーまだ生きてた 見事な歌声を披露」
てのはおなじみのネタ。 >>1
山崎合戦以降生きていたら最低野郎じゃないかな?
日本を守る為に魔王を倒した様な性格ならば、死んでいると見るべき 写真もない時代、正直足軽に変装したら側近以外分からないのでは >>1
> そうなっていてほしい。今回の大河を見て強くそう感じました。子孫もいるということなので、信じたい。(50代・男性)
ヤフコメは麒麟がくるの評価がメチャ高いんだよな
5chとは大違い 信長殺る計画練ったの
秀吉、家康じゃね?
光秀は実行役 >>32
たまには信長がタイムスリップしてもいいよね >>27
元京都奉行なんだから、洛外あたりまでは顔も知られてるだろ 実は源義経は生きていたとか豊臣秀頼は生きていたとか
こういのは光秀に限らないよな 天海は敵が多い人でもあったからもし光秀だったら誰かがバラしてたと思う 明智が拝領してた日向守の官位すら凄え嫌がられてたくらいだし
協力してくれる奴はおらんだろう 38%しかいないのは残念だが、あれ程のクーデターを無策で行う訳ないからな。
別人として以後生きていくことを家康が保証したというのが最も妥当する。
つか、俺家康から聞いたから間違いない。 首が届けられて晒し首、では飽きたらず
体も取り寄せて首と接続、磔にして市中に晒したという念の入れようだったというのに
なんか笑っちゃうよね
説とかいってる人もいるけど、そういう学説はないよね、確か 仮に生き延びていたとしてもそのあとなにもできなかったんなら
死んでるのと同じじゃないかと 麒麟がくるの尺が寸詰まりなのは道三のせいなんだよな…。
こいつだけで話数の4割消費したし。 だって死体見つかってねえし首もねえし
墓もねえんだろ? 麒麟がくるも天海ルートで終わったしな
十兵衛は家康のいる三河に向かって馬で駆けてるシーンで完w
生きていようが死んでいようがどーでもいいw 人を殺すのは慣れてるか度胸がないとできない
だから殺したふりして逃がすというのはよくある 一般的にその辺の酒の席で歴史ロマンを語ってるおっさんとか
せいぜい司馬遼太郎の小説を読んだことがあるとか、
大河欠かさず見てるとか、
江戸時代の資料のひ孫引きくらいの豆知識本読んだことあるとかそういうレベルだし
そらそういうの信じて語ってた方が楽しいじゃん
5ちゃんだと歴史アスペが「それは江戸中期に出来た逸話、価値の低い資料の出典(メガネクイッって
シュバってきて修正してくるけど >>1
これ、同じ人に織田信長、石田三成の生存説について聞いても38.3%が生きていた、と答えると思うぞ。 あっそ
じゃあノブが天海ってことでいいよね
ノブも遺体見つかってないからね
信忠さんでもいいよ 昔は信長をハメた裏切り者ってイメージが100%だったのに
まぁ今になってよく考えてみりゃ信念のために権力者を討つこともあるわな 義経ジンギスカンもそうだが、こういうのは荒唐無稽と思うが、
まぁ歴史ロマンとして多少はね? 明智はガチ
モチベーションなくなってそのまま隠居したんだよな 田舎もんの徳川家康が朝廷工作できるようになったのは天海のおかげ
じゃあその天海はどこからきたかって福島県あたり
んなわけあるかってなるわな
明智光秀だろう
あと明智光秀は秀吉より若かった説もある >・もし生きていたとしても、消息が無い。活躍していないから、死んでいるのと同じでしょう。(60代・女性)
うーん >>48
組織内のクーデターで勝ち組の主要人物が全員顔見知りで検分もなしに磔とかあり得ると思いますか? 山崎の戦いで戦死せず、落ち武者狩りで殺されたと自分でも書いてるんだから、山崎の戦いからは生き延びてるだろうに…
むしろこれは6割も戦死だと誤解してるって事だろ >>58
むしろ逆で、天皇の威信のために信長を討ったという説の方が有力で、
そうなれば真の権力者のために武家の成り上がりを討った、ともいえるわけで、
結局バカが自分の欲望を反映させるのによい対象と言える >>48
織田の家臣がDNA鑑定したらしいから間違いない NHKはなんで西郷どんで西郷さんを殺したの?
西郷さんは死んだとみせかけてロシアに行っていたというのに、西郷差別かよ >>61
すみません、それ今川氏真って言う相談役いるんすよ >>13
農民の落武者狩りにあったっていうけど、それが明智光秀って証拠が無いしな まぁ、ネットのレスとかコメント見てても
なんか本気でそう思ってるっぽいのが居て怖くなるわw 本能寺まで遭遇した村人を殺しまくった光秀なんかどうでも良いだろ >>68
当時、織田家の遺臣がジープに乗って暗視ゴーグルで山狩りしてたから、
絶対に逃れられないよね >>75
正解は誰にもわからんし
別にええやん
(´・ω・`) 国行の刀とかを、堀直政の所へ送って
明智光忠明智秀満切腹してるのに?
朝鮮の歴史じゃないんだからw 織田豊臣恩顧の武将も多数生き残ってるのに
天海って光秀に似てね?みたいな記録も一切無いんだろ そらこんな質問あったら「こういう回答を求めてるんだな」ってなるわ
今の子供たちに「魚は切り身の状態で泳いでいると思いますか?」と聞いて
「思います」が半分を超えた!とか言ってるのと同じ ネット民てのは陰毛論が大好きな低能だからな これくらい信じてるんだろ >>32
静かに過ごしたい信長とそれを思いやる光秀が仕組んで? >>88
髪があるイケメンも、ハゲたらもはや別人だろ 戦!敗北!切腹!死亡!とかそんな単純じゃなかったっぽいしね そもそも徳川家康は命からがら三河に逃げ帰って、
光秀討伐の軍起こそうと準備してたしね(その間に秀吉に討ち取られた)
明智光秀を仮に匿ったとしても、秀吉政権はしばらくの間は表向きは織田家の人間がトップだったから
家康の行動は裏切者として討たれてしまうぞ >>19
>大河が素晴らしかった事など一度も無いだろw
「太平記」を見てから言えやカス。 そもそもなんで家康さんが光秀を重用するんだよ
むしろ「光秀が生きてるんですけど〜、ハゲ猿おまえは失敗したな」として羽柴を失脚させる材料になるんのでは ていうか麒麟最後までやれよ 負けてホロビル明智の最大の見せ場だろうが
真田丸も幸村最後までやらんかったし 学校で習った部分だけで議論してるだろw
細かい状況、物の流れとか辻褄合うように
して、歴史残さないと。
🇯🇵🏯チョッパリファンタジー >>79
義元は首を取られそうになったとき指を食いちぎって抵抗したんだってなw >>96
キンカンと呼ばれるくらい髪が薄かったらしい 日光の明智平ってのは
本当にどんな由来があるんだろうな
(´・ω・`) 真田さんと明智さんに
二日続けて遭遇した
日本人は優しい
大陸だったら、根絶やし は?
山崎の戦いの後も、小栗栖の藪で農民に殺されるまで生きていたんでしょ? >>101
次は渋沢だが、愛人を大量に囲った部分はおそらくカットされる
ついでに田園都市構想を悪用して自分の経営する鉄道会社に利益を誘導したことも 光秀ってザコいイメージなんだけど、本当に高ステのキャラなの? >>48
腐敗が酷くて分からなかったらしい
>>65
自分もそう思ったんだけど、
山崎の合戦が1日だけで、その当日の深夜に落武者狩りに遭ったということなので
合戦から数時間生きていたということなので
「山崎の合戦以降も生きていた」とは言いがたいのではないかと >>10
首も遺体も見つかっていないらしい
信長もそうだろ? >>94
その命からがらってのも眉唾説あるよ。そういう逸話作った方が大衆ウケいいからね、
農民上がりの秀吉はツナギに使われたサル。シナリオ通りで300年。 ひょっこり出てきたら秀吉の勢いの土台が揺らぐわけで
そこはしっかり確認したんじゃないの 天海説はお前らの嫌いな陰謀論なんだけどな。
天海説=陰謀論。911自作自演説、311人工地震説、123便オレンジエア説 >>91
麒麟がくるの2人だったらそういう考えに至っても納得しそう 実は家臣は皆信長に嫌気がさしてて
内心喜んでたんじゃね?
秀吉と家康、光秀の共同計画で信長を
殺害して光秀は家康が匿う
生き残りの家臣たちは
後々天海が光秀などとは誰も言わなかった 光秀を悪者にしたてたのは、秀吉を始めとした勝者側の工作だ。
当時の一般大衆は、光秀を悪人とは思っていない。 戦国時代のホモを無視してる時点で、大河はインチキだよ いかにネット調査というものが信憑性に欠けるか証明しているようなもんだな >>48
したという資料が見つかってない
斎藤利三は生け捕りだから首は確実 >>74
秀吉はもちろん信孝もその他武将たちも光秀の顔知ってるのにか あーあいつなら異世界転生して俺TUEEEEしてるよ 織田残党が死ぬ気で探しまくってるからありえん
徳川が匿ってたら家康が切腹させられてるわ
アホかよ 明智小五郎のように、明智という苗字はとても尊ばれているのも事実 >>133
あれは服部半蔵が根回しキメたから、あの複雑な土地を突破できただけ 知っている
大陸に渡ってチンギスハンになったって話だろ >>142
ペルソナ5とか、創作意欲をビンビンに刺激してるよね >>145
ネットで吠えるだけなんだな、タイガーだけに 実は生き残って云々って多いけどその割にその後はパッとしないよね >>124
立場的に農民出の成り上がりと元人質の元では動かないとは思うがな
秀吉が漁夫の利得すぎてはいるんだよな 織田信長も生きていて、ヨーロッパへ旅し、ガリレオといしょに天体観測してたよ。 戦国時代の歴史をメチャクチャにしてるのは、敗戦後のなりすまし鮮人学者どもじゃね 日本の歴史では悲劇的な死を遂げた人は、怨霊になってしまう危険性があるので
それを治めるために、フィクションの世界で大活躍させる法則がある。
天皇になれず憤死した聖徳太子を万能の天才として歴史に名を残させたのが良い例だね。
また、源義経も悲劇だったからチンギスハーンになれたしねw
光秀が天海になったってのも同じ流れ >>141
東に逃げたらわからん
信濃甲斐なんて織田の残党が逆に武田の残党に狩られまくってる状態 >>97
太平記が俺にとっては1番の最高傑作、次点で飛ぶが如くby西南戦争に参戦した元薩摩藩士の子孫 実は確実な証拠は何もないからね
光秀の最後はお話が入り過ぎ
行方不明が正解
首も本当か怪しいもの
勝った側も早く確定させたかったのだろうね そのうち実は信長も生きていた説が出そうだな
本能寺の後、ポルトガル船で脱出して世界一周みたいな >>157
三大怨霊なのに、崇徳天皇は活躍していない
はい一撃論破 トリビア
天海が密教と中国の八字を組み合わせた天源淘宮術(占星術)という占いを残した
それを基にして江戸時代の横山丸三が興した団体が脈々と続いて行き、第二次大戦中に文部省の認可を得て社団法人化した
その理事長だったのが飯塚幸三 コロナがなければオリジナルキャラがあそこまで活躍することはなかった
気の毒でもある >>17
細川忠興(豊前小倉城主)の正妻、明智ガラシャ玉子は明智光秀の娘で、嫡男細川忠利(肥後熊本城主)は明智光秀の外孫 遺体が残らなければ生存説が囁かれるのは万国共通
戦争する奴は死んでも相手を脅かす悪あがきが好きだねw >>164
怨霊にならないように、活躍させるんだよ
崇徳上皇は先に怨霊になっちゃったからしょーがない
その時は神社を立ててお祓いして神様にするだけさ
菅原道真もそうやって神様になっただろ たとえば天海説込みで信じるならある程度理解は示せるが、単に生きてた(その後は知らん)だけ的な生存説支持ならあまりに中身が無さすぎるなぁ 影武者、身代わりは多かったらしいよ
ただ岐阜の田舎で生きながらえていたのでは死んだも同然だが 南光坊天海は厳しいよな
ただ生き残ったんじゃないか 生き残って後に徳川に協力してた方がロマンがあって面白い 死んでる可能性は高いけど
落ち武者狩りとかはなんかちょっとな >>116
討たれた翌日に京に届けられたというのに、いつの間にか腐ったんですかw
織田家中が全員グルで信長信忠ヌッ殺して光秀匿ったとかでもない限り、生き残る目はなかっただろ
他家に嫁に行った娘とごくごく一部の家臣以外、一族郎党犠牲にして家名も残さずひとり生き残るとか、武家の行動原理を根底から覆してるなw さすがに死んでるだろ
明智光秀が生きていたなら信長を討つ野心めいたものがある明智光秀自身が名を捨てる理由はない
仮に名を捨てても明智光秀を取り巻く環境が信長を討った明智光秀を利用しない手はない
現実的に考えて明智光秀が生きていたなら如何なる理由であれ明智光秀をやめることはできないと思うよ 岐阜明智にある墓には
享年88とか書かれてるんでしょ 生きてればその後なんらかの行動に出るのが普通
死んでるのは確定なんだけど死体がほいほい見つかるとか死体が誰だかわかるとか怪しいもの
ほとんどの人は光秀なんて知らないんだから はあ、義経はジンギスカンになったし、西郷どんも生き延びたんだよね。
教科書に載せるんじゃなければ、なに言ってもいいんじゃね。 >>178
翌日に首は届けられたけど
だれも討ってない >>94
ウンコ漏らしたんだよね?
あまりの憔悴ぶりに、茶屋で餅を食い逃げしようとしたところ、裸足で追う店のババアに追い付かれて銭まきあげられてしまったんだよ。
茶店のババア>馬に乗ってる家康 >山崎の戦いで戦死
いや、山崎の戦いは生き延びてるし
勝龍寺城まで逃げてるんやで
そのあと、この城では持ちこたえることはできないと
逃げ出して、落ち武者狩りにあうんやで 敗走中にコロナに感染して落ち武者狩りの農民の家で看病の甲斐なく亡くなった が正解 >>179
今で言う世論の動向を見てどちらにも転べるようにシナリオを立てた。
んで、死→別人のルートを選択。或いは世論が光秀討伐指示になることを見込んでいた可能性もある。 駒という架空の人物を触媒にする事で、たとえば最終回の最後の場面で
生存説を含めた余韻を残す事が出来たわけで
駒を使って話を先に進める手法は有効だった 明智平という名前は、明智家の残党が平家の落人の様に幾らか落ち延びたことを後世に示唆する為につけた名前
その明智家の落人はその後出家して天海になった。
2代目徳川秀忠と3代目家光の名前の秀、忠、家、光を組み替えると「光秀忠家」となるが
これは家康が山崎後の明智家を助けて、明智家のだれか=天海などを重用して報いた事を
ひそかに後世に伝えるための暗号 信長に天下をとられたら困るのが秀吉だからね
一生配下のままになってしまう
秀吉の性格からして、光秀を焚きつけて後で助ける約束をしても
証拠隠滅で確実に葬るでしょw 落ち武者狩りは百姓にとっては降ってわいた祭りだからな
武具をヤフオクに出せば高額な現金収入が得られる >>171
ブブーッ、
道真公は先に祟りがあったから、それを鎮めるために神として祀られた
ガチで無知なのな
ガチ無知だ
何大卒? 山賊になり、時々村に出没して悪さをしたことから
村人たちから鬼と呼ばれるようになったとさ。 この時代はテレビを写真も無いから
光秀だとわかってた落ち武者狩りは皆無でしょう
具足や金品を奪うのが優先というもの >>1
大河も光秀が馬に乗って
駆けている後ろ姿をラストシーンにしていて
生きている説を取っていたしなw 眼鏡っ子ミツヒデよりはダイナマイトバストのノブナガが好き
分かる奴は戦国乙女オタ >>195
戦国時代中期までだろ
後期はメルカリだよ いや本能寺で炎の中で信長に抱かれながら共に息絶えました🤗 >>185
体と接続して磔にされたそうなんですが
てか、討ってないって意味不明 そもそも日本史上の明智光秀はあの時点で確実に死んだだろ
その後に活動した記録が全くないんだから
万が一本人が生きてたとしても歴史の表舞台に出てこないのだから意味がない 死んだ証拠がないんだから生きていたと考えるほうが自然だろ 明智光秀は神武天皇の子孫だから神武天皇出身地の世界皇都の大阪の高槻市にある天王山に隠居してた >>205
それを予期していたから、信長公も勝負下着のイチゴパンツだったんだな >>159
円喜も出家後の高時も僧体でなかったのが悔やまれる >>180
今川氏真って、コネを活かした諜報活動は得意だったらしいな 包囲してるのにそう簡単に総大将を逃がす訳がない
逃げるよう仕向けて落武者狩りに見せかけたんだろ 本能寺が1582年で、大坂の陣が1615年くらい
どんだけ長生きなんだよ光秀
そもそも光秀って信長より年上だったし
信長よりずっと年下だった徳川家康は長寿で、70超えてやっと豊臣滅ぼしてるからね 監視カラメラがそこら中にある時代じゃねーから身分に固執しなきゃ生き残れんじゃねーの 観音菩薩背負って山伏の格好して九州南部に行ったんだろ? 岡村隆史の役って、服部半蔵だった?
徳川家康の忍者だけど、半蔵って名乗ったことないよな?
そのうち名乗るのか?
伊賀越えやるのか?と思っていたのに
そんな場面刷らなかったなw >>211
西郷隆盛は言い訳が効かないほどの朝鮮顔だったんだろうね 怨恨や野心から謀反を起こしたとされてるが、そんな個人的事情ではない。
政治的対立の結果だ。
信長は天皇も廃し極端な中央集権体制を意図した。
光秀は旧来の体制の維持を望んだ。天皇−征夷大将軍−地方大名の自治。
つまり徳川幕藩体制は光秀の意図と合っている。 当時は近所で戦があると百姓達はワクワクして
終わった頃に地元消防団みたいに集まって
よ〜し、ととさま頑張って大物狩ってきちゃうぞ
と意気揚々と家を出ていったのかな 丸裸になって他の落ち武者の死体と一緒に打ち捨てられたが正解でしょう
もう誰だかわからない 光秀は秀吉が作った架空の人物で実は秀吉が本能寺の変を起こした説とかはないん? >>229
語呂合わせ
1582(イチゴパンツ)で本能寺の変
これで覚えろと言われた中学生の頃 信玄が病で倒れる
武田が目の前で崩壊していく
勝頼が信忠と重なって見える
こういう終わり方はしたくない
織田家の跡継ぎが絶望的に頼りない
秀吉に継いでほしい
信長が言ったところで勝家は歯向かう
織田家総引退劇を提案
光秀に謀反させ信長と信忠を討つ
その後秀吉が光秀を討つ
信長と信忠は介錯無用にて
光秀は偽首にて
三者は見せかけ上は討たれた形にする 生存したとしても、隠遁生活だろ
光秀は顔が割れすぎだし >>225
それは名門土岐氏の流れを自称した武家としてどうかとw 智将光秀は半島に渡ってイ・スンシンと名乗り、秀吉の軍勢を苦しめた。 >>37
写真も新聞もテレビもない時代に、どうなんだろう
髪型なども今のようにバリエーション豊かではなかったし
ある程度似ていれば、本人と見なされていたのでは 生きてたとしても死んだとしても
その後歴史に関わることなく退場したんだから同じことじゃねえの 百姓に竹槍で刺されて死んだ?w(ヾノ・∀・`)ナイナイ 信長も光秀も死んだことにして美濃の山奥で平和に暮らしました >>236
何その押井守が脚本書いたルパン三世のシナリオ 光秀がなぜ負けたかといえば秀吉をあなどっていたからだろうね
秀吉をあなどって滅んだ武将はたくさんいるから光秀もそのひとりだったということ
でも秀吉は光秀のことそんなに嫌いじゃない同僚だったみたい
だから自分でやりたくなくてわざと逃がして落ち武者狩りにやらせたらしいよ
でもそっちのほうが残酷だったかもね なんかヤラセっぽいアンケートだな
義経や信長も含めそういうトンデモ説はあるけど
38%も信じてるはずないやろ 俺の先祖は明智光秀の家来だったらしい。
山崎で失業して、元々の地侍に戻る予定が、結局江戸時代には庄屋になったらしい。
もっと信じられんことに、500年以上も引っ越しすることなく今に至ってる >>211
「顔が違う」じゃなく、「浴衣着て犬の散歩するような人じゃない」
と言ったと聞いたが。
当時は西郷の顔を知っている人は大勢いたが、彼らからのクレームはない。 くだらん
生きてたら秀吉が安心して寝れないだろ
必死になって探すわ 信長の右腕として大活躍してた明智光秀なんて、どう足掻いても顔さすやろw
どうやって豊臣時代を潜伏してたんすかね >>241
比叡山で坊主になってずっといたって話はあるね
光秀名の寄進も残ってるしね >>239
信長は信忠をかなり認めていたっぽいけれどな
信忠の甲州攻めが鮮やか過ぎて、かなりご満悦だったのが信長だろう?
全然頼りないなんてことはないよ
勝頼は頼りないのではなくて、信玄が負の遺産を残し過ぎだよ
勝頼は気の毒だと思う >>252
それよりも
細川藤孝とか近畿の諸将が味方に付かなかったからだろ >>19
純日本人が作っていないからな。時代考証もいい加減 >>193
家光は斎藤利光の娘が乳母
家綱は溝尾(三沢)の孫が乳母
もうね…本人かは別にして明智関係者かそれに近い人間としか考えられないわなw
墓も故郷でなくて明智の本拠地坂本にあるしなw >>246
その光秀の首を市中の一般人しか見てないとでも言いますか? 当時のお百姓さんは刀狩の前なので半武装状態
簡単な鎧や槍刀ぐらいは持ってました
それぐらい危険な時代 >>263
そもそも、勝頼は諏訪勝頼であって
武田の後継では無い >>256
過去の話なので知ってもどうもならないし
あんたの未来が変わるとも思えない なんかなー
明智光秀が死んでないとか冷めるわ
主人裏切って死ぬから良いんだろ。
死ななかったらただのクズになるからヤダ >>269
信長は異世界にいって
黒王って奴と戦ってるよ >>228
ちょっと意味が分からんが、
当時の名前は今よりももっと構成要素が多いんだ
君が服部家の長男として生まれたとする
そうすると、君が生まれるとまず幼名が命名され、君はその幼名で呼ばれる
そして元服すると成人の名が名乗れるようになる、(ここでは仮に新人(にいと)と仮定する)
そうすると成人後の君の正式な名前は、服部太郎 源伊賀守新人、通称服部半蔵だ
だいたいは服部伊賀守や、服部半蔵新人、と呼ばれることになる 開国派だった信長を何としてでも殺したかったのは鎖国派
家康が黒幕だった >>239
そう考えると本能寺の変がなくても、信長の死去から10〜50年以内で織田の治世は終わってただろうなあ >>257
まぁ、そういう細かいことを咎めるのは薩摩隼人のするべきことではないからな >>280
信長はデスマスクを弥助が持ってた説あるよね >>252
秀吉を侮っていたのではなくて
細川藤孝や筒井順慶が自分の味方につくと思い込んでいた
まさか味方につかないばかりか自分の邪魔をするような行動を取るとは思っていなかった
つまり秀吉を侮ったのではなくて、自分の部下筋にあたる
細川藤孝や筒井順慶を侮っていた 徳川埋蔵金と一緒に本当の事を書いた書物は、徳川家康の墓に埋まってるらしい。
その事実は、日本の歴史が変わるのでまだ埋まったままなんだと。 >>1
まーた偏差値50以下の知恵遅れどもが天海とか言ってるんだろwww
ねーよバーカ >>282
秀吉と家康は組んでいた
秀吉はもともと朝廷から送られたスパイの1人だったからね あのラストっていかにも打ち切り漫画が、これからの活躍にご期待ください!みたいなのに
天海への伏線キタコレwwとか喜んじゃったのかよ
あれ笑っちまったんだがw とりあえず勝った宣言したいから
ぐちゃぐちゃでも首を晒しておくよね
もう誰だかわからなくても 秀吉から生かされていても不思議ではない
しかし生き延びていたとしてもその後は家康に付くだろうけど フィクションをフィクションとして楽しめないのは野暮だと
江戸時代の役者が言ってたそうだ ・邪馬台国はどこにあったか
・本能寺の変の原因は何か
・龍馬を暗殺したのは誰か
これが日本史の三大ミステリーらしいよ 爺が死んでようが生きていようが割とどうでもいいだろ いやいや、光秀は首取られて検分され晒されたと記録が残ってるだろ・・ >>109
日光と明智光秀は繋がりがある
例えば、イロハ坂
これは、いろは大夫が語源
これ気付いた日は
興奮し過ぎて眠れなかった >>288
椿説弓張月だね
君は5チョソには珍しく博学だね 軍事クーデター起こしたテロリストの首謀者が何故、400年以上も崇拝されてるのか理解出来ない。 >>287
・九州
・光秀の野心
・見回り組
もうとっくに結論出てるのに、売れない作家たちが必死にいろんな説出してるだけなんだよなぁ >>267
デカいクーデターやるなら、首見分役も買収してちゃっかりやるだろ?
んで首見分役は謎の死を遂げればイイだけ。実に簡単。歴史作家もついでに買収。 >>297
龍馬をやったのは、見回り組佐々木只三郎でほぼFA >>277
異世界転生物はどれもあまり詳しく書いてないが、
大半は転生前の主人公の肉体は死亡してて魂だけが異世界に行ってる 信長は家康が邪魔だった
信長は光秀に家康を斬るように密命を与えた
家康は堺から京都へ向かっていた
光秀は家康に信長を斬ると伝え、本能寺に向かった
家康は光秀から知らせを受け、すぐに伊賀越えを開始 >>211
上野公園の西郷さんのことかな?
あれは像を作るとき本人の肖像が手に入らなかったので弟の写真を見て作ったってことで決着してたはずだがな >>309
っつうことは、現代の下層日本人って、肉体から離れた魂の実在性を信じてるんだねw
バカの信仰は恐ろしく間抜けだなw 史実はどうでもいい
今回の大河ドラマの総集編で帰蝶をたくさん出してくれ >>270
だから
それが信玄の残した負の遺産の一つでしょ
って話
信玄が今川を裏切ったせいで、嫡男を自殺に追い込んだから
本来は武田家をつぐ予定ではなかった
勝頼が継ぐハメになってしまったから
老親たちは勝頼を信頼しないし、言うことも聞かない
こんな家督の継ぎ方じゃ勝頼は苦労するわな
翻って、もしも本能寺の変がなかった
信忠への家督相続はかなり順調に言っていたでしょ?
甲州攻めで統率力の高さを示して
家中の信頼も集めていたし
信忠の恵まれた環境と勝頼の逆境とでは
かなり格差があるよね >>304
すり替えた可能性大
>>305
日光東照宮に明智の紋 ヒットラーが生きていたって スイスの人から教えてもらった (-_-;)y-~
岡村先輩、忍者やったんかw
衣笠図書館にT川さん(女性)っておったで。びっくりした。 まー、「生き延びた」と言う事はすなわち、
光秀は明智(三好)秀満,斎藤利三,藤田行政ら股肱の家臣を見殺しにして自分だけ生き延びたクソ野郎と言う事になるんだけどな。
生き延びた派はそう言う事でいいんかね? >>252
侮ってたというより、見下してたってのはあると思う
あの島津だって、秀吉が関白として恭順の命令出してるのに、底辺出身が何を言うと
勝てるわけないのに反発してたしね
古くからの名門ほど秀吉なんて大したことないって思っちゃうんだろうな
そういう常識の時代だったし
光秀も古くからの名門のハズなので、内心秀吉なんて底辺で武士じゃないから見下してたんだろう 信長はイエズス会と仲良くし過ぎた事で保守層の家臣からも危険視されるようになった
当時の日本の中枢は失われた十氏族の末裔
悪魔崇拝のイエズス会が目の敵だった >>192
違いますねえw
最初から最後まで見て、家康と光秀の関係性に気がつかないようではまだまだですよ、わざわざ岡村まで使ってw
要は家康にとっての麒麟が光秀であって、これに生存説を絡めたわけだ。
秀吉をいわばヒールに近い立ち位置に置いたのは、彼は最初から麒麟を呼ぶ者、正しくは麒麟が現れる者ではないことを示唆しているんだな。
駒さんはこれら全てを最後にまとめて生存説を語っただけ。むしろ最初から最後まで麒麟の存在を光秀に思い起こさせるキーパーソンなわけだ。
本能寺の変の後、光秀は誰に対する伝言を頼んだか、光秀に誤りがあるなら光秀は麒麟を呼ぶ者ではなく、自らが麒麟であることに気づかなかったわけだ。
だから光秀の立てた策は信長擁立を含め大部分が失敗しているわけだな、失敗だらけと言っていい。 >>307
秀吉らが評定しなかったとは考えにくいんだがな
信長の遺児もいるんだぜw 信長を討伐したら引退してご隠居の身になり生き延びた
明智光秀 武将がそんな簡単に殺されるわけがない。
馬で素早く逃げて甲冑などで身を隠せる術がいくらでもあるんだから。 天海ではないにせよ、僧侶になって寺に囲ってもらうパターンはある そういう話は、韓国臭がして嫌いだ、、
死んだもんは死んだんだ。生きてるわけねえだろう。
あの秀吉が生かしておくわけない。あほか。 生き延びた末裔が怪人二十面相とバトルを繰り広げるなんて
光秀もびっくりやろなあ まぁ配下の斎藤利三やら明智秀満やらは全部処刑なり戦死なりしてるのに、
それより上の光秀だけ生き残ってるのは不自然
斎藤利三の娘の春日局は許されてるから、光秀の娘のガラシャがお咎め無しだったのもキッチリ符合する
結論:生かすわけがない >>316
まったく違うなw
もう、花紋はだいたい似たような形で、桔梗紋との違いが分かりにくいだけだな。 >>326
秀吉なんて公家辺りの女あてがえば終わり。 >>324
政治干渉してくる比叡山を焼き討ちしたり、安国寺恵瓊に苦しめられてきたわけで、
当時の背景から考えると、政治化した仏教の対抗勢力としてバテレンを呼び込んだ感じはあるよね
とはいえ、そのバテレンも日本人をガンガン奴隷輸出していたわけで、禁教になるわけだが 結局、謀反の動機は出来心か
誰も味方に来なかったし 山崎でケンカしてたのか サントリーに迷惑かけんなや >>335
秀吉は、身分の高いお嬢様が好みで、ホモらない、という
戦国武将としてはなかなか珍しい性癖の持ち主であった
だからこそ、平民出身であることと絡めて語られるわけだが 家康には影武者がいた
その影武者とは明智光秀だった 信長は当時の世界的潮流に染まり、海外進出を本気で目指していた。
日本本国は徹底的に中央集権化し、世界制覇に向かう。
これに信長の誇大妄的な精神病も重症化して、家臣どもは嫌気がさしてたところ。
家康はちょうどいい落とし所を選んだ。それが関ヶ原で支持された理由。 >>327
それは日本の武士のメンタリティでは有り得ないんじゃないかな
大陸や半島ではどうか知らんけどw >>337
足利義昭だと思うけどねぇ
鞘の浦の
秀吉と和解してるし もし本当に逃げてたら、織田・豊臣・徳川(立場上)が血眼になって探してたと思うぞw
オウムの実行犯どころじゃないぞ
国家転覆の首謀者にして実行犯だからな
しかも生前はかなり活躍してたから顔知ってる武将たちも当然沢山いたから、絶対逃げられんよ >>343
当時は、遠方に首を送る際には塩漬けにするんだよね
でもそれを忘れると腐ってもしょうがない >>208
らしいね、5年くらい前テレビで見た
一瞬映った墓に斎藤石谷坂本とか明智関連の名前があってビビった 最終回に細川を裏切り者にしたのは面白かったが、細川家から
クレーム来なかったのかな? >>32
信長&信忠の死体はあがっていないし光秀の首に関しても日を跨いでおり本人のものかどうか定かじゃない
信長の海外への興味や弥助の存在などもあり、可能性としてはかなり低いかもしれないが信長の自演説も追いたくなるよな 江戸幕府の大御所が匿ってたって聞くと信憑性ありそうだが
豊臣政権の大老が匿ってたとか、ありえんだろ
実際に一時匿ってた近衛は、ソッコーばれて京に送り返してるわけだし >>345
年代を考えると、
アメリカ大陸に渡って原住民に一目置かれ、ピルグリム・ファーザーズと戦った
くらいが限界だな >>266
光秀の義妹の御ツマキという女性がいて信長の側室だったんだよ
ただの側室じゃなく京都での外交交渉を任されていたキャリアウーマンだった
公家は乳母の女性を外交に使っていたらしいから御ツマキは織田家中でそれを担当していた
そんな御ツマキの紹介で光秀は信長に仕えるようになったんだよ
それで彼女が亡くなったから光秀と信長のつながりが切れた
家康は御ツマキの活躍を見てただろうから明智の縁者に家政や京都での交渉を任せれば
うまくいくと思って春日局を抜擢したとしてもおかしくないよね
御ツマキのやってたことって後の春日局みたいだもんね >>350
まぁ史実だし、それに今回は光秀主役だから、秀吉側に日和った姑息な奴みたいな感じだったけど
今まで散々明智光秀は天下の裏切者扱いだったし、今回くらいは良いのでは?
それに細川家が名族なのは周知のことだし >>348
話はそれるけど、坂本龍馬の先祖は
近江 坂本の出で明智の家臣やったという逸話もある。 (-_-;)y-~
薩摩には、豊臣秀頼の墓があるからなぁw
とんでも説って、当時からあったんやろな。
反秀吉に共感する意味で。 伝えられてる歴史は全て家康が改竄したものに過ぎないし朝廷からのスパイであった秀吉もかなり改竄した
現に長篠の闘いも鉄砲戦では無かった事がバレている >>360
鉄砲は大量に使ったのは事実じゃないの? 日本史が好き
歴史ドラマが好きと日本史の成績がいいは全然違うからな >>339
茶々やァ千代など気の強い女性が好みだな秀吉は >>350
ドラマ的には光秀を裏切ったと映っても、主家を裏切ってはいないでしょ
武家としてどちらが正しいかは明らか
むしろ名誉は守られてるわ いつ裏切るかわからないやつを生かしておかないだろ。 >>360
まぁ織田軍がそんなに大量に鉄砲を所有し、扱いに長けてるなら、
紀州雑賀に何度も負けるわけないしなw >>339
おまけにエテ公顔で超絶非モテ。女か首見分かと言われれば迷いなく前者を選択。 >>362
三段撃ちはなかったってことは本当だろう
決め手は鉄砲ではなく野戦築城 落ち武者狩りは、戦場の兵士より圧倒的に強く狂気だからな >>315
勝頼は気の毒だね
信忠は優等生だったんだからドラマでなぜ信忠も一緒に殺したのか
整合性がちょっとないよね
ああいう動機なら信長だけ排除して優等生の信忠にあとを任せてもよかったのにね >>347
塩漬けにすると水分抜けて本人とは似ても似つかぬ顔になるからな
別人でもわからない >>350
まー、史実だな、細川家が動かなかったのは。
その前の秀吉に密書を送るのは史実ではないな。 「光秀の乱」は謀反ではない。政治的対立。
信長は天皇をも否定した徹底した中央政権を意図した。
地方政治は大名の世襲ではなく、優秀な奴を都度任命する。
光秀は「天皇−征夷大将軍−世襲大名」を支持する。
まぁ、土岐一族の再興にも都合がいい。
私怨や野望を理由にしたのは、勝者側の世論工作。 誰にも光秀を生かしておくメリットがないから死んでるだろ 近代だと西郷どんの生存説とか
新撰組の原田左之助が生き延びて大陸に渡り馬賊となり
日清戦争の時に現地で協力を申し込んで来たという話がある >>335
そうやって秀吉をあなどって滅んだ人いっぱい
秀吉に抜かりはないよ 光秀を討ち取ったと主張する落武者狩りの百姓の武力は100 >>379
家康にはメリットがあった。
幕藩体制のブレーンにもなり、対天皇対策のブレーンにもなる。 >>376
密書を送ったという史実はないが、繋がってた可能性は高いらしい
実際、その後の細川藤孝は秀吉に感謝状も贈られて重用されてるし >>374
信長だけ殺して信忠に帰順しても信忠は許さないだろう 本能寺の変自体が秀吉や家康の創作で実際は用を足しに行く途中にすっ転んで信長死亡とかいう真実もあり得そう >>379
アバターとしての光秀はそう。でも中の人は使えるから新規アカウント登録が流れ。 >>379
生きてても一生逃亡生活だろうしな
秀吉と直接対決しなかったせいか同じ謀反人の荒木村重は許されてんのよね
しかし、生きていてもどっちにしろ惨めな人生だよな
村重もほぼ罰ゲームに近い余生だったし >>370
長篠は織田徳川の万全の総力戦だからな
合わせて5万越える兵力動員してるし、雑賀との局地戦とは違うよ
武田の戦死率の高さ見ると大量の鉄砲使われたのは間違いない
決め手は馬防柵と見てるがね 信長がやろうとしたことを秀吉が引き継いで家康が完成させる
結局光秀のやったことは雑音なんだよな、テロリストとも言える >>374
織田軍の甲州攻めでは
戦意のない武田軍、それどころか
裏切りの連続
最後の最後で小山田信茂の謎の裏切りで
逃げ場を失い山中をさまよい自決だぞ
ちょっと悲惨すぎるんだよな
織田と敵対関係になったのも信玄の残した負の遺産にすぎないのに
勝頼がそこまで悪い行いをしたのか?って同情するわ 光秀って、インスタントラーメンを発明したんだろう。 >>335
実際のとこ、それをやってたのは秀吉なんだよな
そもそも柴田勝家にお市様と婚姻されては?って勧めたのが秀吉側って言われてるし、
坊主でずっとDTだった足利義昭に良家の美女を送って、感謝されて、部下にしちゃったのが秀吉 信長は物部氏の系譜
物部氏は裏の王でしかない宿命であり朝廷は考えられる全ての手で抹殺を図った
朝廷に通じていた秀吉&光秀が組むのも必然だった >>381
ん?結局自分だけいい思いをして、1代で滅んだやん? 春日局がなぜ出世できたかといえば光秀のおかげじゃなくて御ツマキのおかげだろうね
家康は御ツマキの活躍を見てきただろうしね 後世から見ると光秀の謀反は無謀すぎる
どういう算段だったんだろうか >>391
家康は信長−秀吉ラインとは違う。
むしろ光秀の政治ビジョンを実現したのが家康。旧体制の温存だ。 >>390
雑賀は局地戦ってのは織田サイドの言い訳だろうよ
相当大軍勢で、織田軍の武将もオールスターで行ってたハズだ >>400
細川がついてたら大勢力で十分勝算あったんじゃないか
少なくとも秀吉軍+信孝丹羽軍だけじゃ倒せん >>383
ならないならない
信長が買ってたのは光秀よりも御ツマキなんだよ
たぶん
光秀が京都での交渉を評価されてっていうけど
それを主に担ってたのは御ツマキだろうね 光秀は足利将軍家や天皇家に忠誠心があった
信長の家臣であっても信長を利用していた >>400
秀吉は毛利に滅ぼされるはずだったんだよ。
それが毛利元就の天下を狙うなという教えで
秀吉を逃したから狂った >>378
じゃあなんで本能寺の変まで信長についてたの
その前に信長を裏切ってもよいのでは? >>355
麒麟がくるは何で御ツマキ登場させなかったんだろ
駒なんて邪魔なオリキャラ作るより御ツマキで話創作していった方が
面白くなってそうなのにな >>390
あれって織田が余裕と思われてるけど、実は逆で
織田徳川チームとしては相当びびってたのよね
というのはその前に東美濃で前哨戦があって、ここでも実は山県率いる5千の赤備えに
信長がかき集めた6万が蹴散らされて、岐阜城に籠もって城放棄しようかぐらいびびってたという
だから、武田側には侮る雰囲気があって織田徳川方は必死だった
あの戦の勝敗を分けたのは佐久間信盛の粘りだと思ってる
信長公記の記述どおりだと、馬場内藤隊に押し込まれたけどそこから
押し返して攻勢に出るまでずっと最前線で戦ってたことになるんだよなあ
たしかに首取り働きは無かったが、あの粘りが武田を撤退させる一つにもなったわけで つまり戦国時代も
物部氏=縄文系委人
蘇我氏=朝鮮系渡来人
この2つの権力闘争でしか無かったという事だな結局 >>383
ブレーンは本多正信とかいるから、別に光秀はいらんやろ つかさ!
六波羅探題432人もいたのに
鎌倉へ帰れてないじゃん!
どうやって逃げるのよ? >>382
バガボンドでは落ち武者狩りはつえええぞって言ってたぞ! >>383
>>388
夢がある話だけど、やらかした規模が大き過ぎて隠し通せないと思う
元々複アカ幾つか持ってたらいけるかもしれんが >>400
アクロバティックな戦略だけれど
柴田勝家の動けないように上杉家と同盟
秀吉が動けないように毛利家、長曾我部家と同盟
滝川一益が動けないように北条家と同盟
そうやって畿内を治めて、まずは近場の織田信孝を攻め滅ぼす予定だったんだろう
それ以前に当然味方するはずと思い込んでいた細川と筒井が味方に入ってくれず
機内制圧が遅れているうちに織田信孝を攻撃する前に
秀吉がやってきて、計画が最初から崩れてしまった >>281
水攻めまでした秀吉が勝竜寺の光秀逃がしてるの謎だわ >>387
ポルトガル人宣教師も本能寺の変はあったと書類に書いてる あの時代は人の移動がほとんどない閉鎖的な世界だから村でよそ者が来たらすぐにバレるだろうなぁ
結局逃亡し続けるなんて不可能に近い >>406
細川が確実に付くならありだが
結果的に付かないしな >>400
光秀と信長をつないでた御ツマキという女性が本能寺の10ヶ月前に亡くなった
それで織田家中での光秀の序列が下がったのかもしれない >>416
いや、中臣、藤原系だろ
信長はw
藤原信昌でググってみ >>407
光秀の役割は政治ビジョンのアドバイス。
つまり日本の支配体制をどうするか。天皇、幕府、大名、海外との関係など。
直接の交渉事を担当するのではない。 そもそも明智光秀を善人のように描いたドラマが史実を歪めてるだろ 「縄文を創った男たち〜信長、秀吉、そして家康〜」
この本のストーリーが真実であってほしいな。
光秀は信長らと共謀して行った日本を平和にするという目的の天下統一のための芝居だったという説。 >>1
顔見知りの秀吉が首実検してんだろ?
他人な訳無いじゃんw >>423
逃がしたんでしょうな
農民じゃない説もあるし >>395
その理論から言えば、秀吉なんかもっとあかんがなw
秀吉は本姓なしやで? >>430
信長も言うほど怖い人じゃなかったらしいから
全部やり直しだな >>431
受信料を払うべし、と言う考えは高齢者の方が強い
若くなるほど受信料支払いに懐疑的 生きてたと考えたほうがロマンがあってええんちゃうか >>417
あのさ、謀反役なんて誰もやりたくないよね?それをやる人決めるならそれなりの対価がないと。
光秀死んで別人格を与える位の保証がなけりゃやならないだろ? >>400
あくまで個人的な見解ではあるけれど、外様組は同調すると楽観視していた向きがあるのではないかと
具体的に言えば、秀吉も自分側に付いてくれると思ってたフシがありそう
毛利の密使の話なんか、あれって実は秀吉に送ったんじゃないかと思うのよね
あの時点で秀吉って確実に織田側につくとは限らなくて(親族でも譜代でもないから)
そういう意味じゃ、秀吉がキーを握ってたんだろうなとは思う 信雄が家康に泣きつく→信雄が秀吉に懐柔される→豊臣方の残党として家康に滅ぼされる
途中で寝返ってでも家康のところについていれば信長直系も維持できたのかも >>424
宣教師の根城が本能寺だか二条城だかの近くにあったんだっけ >>435
一応、藤原信昌って説も忌部って説もある
藤原信昌でググったらちゃんと織田の祖と出てくるだろ >>414
そうだね
次この時代をやるときは御ツマキを出してほしいね >>426
天下をとった後は
私と君の孫である
忠興と玉の子に継がせていこう
みたいな殺し文句もあったから
勝算0とは思ってなかったんじゃない
もちろん博打であることは承知してただろうけど >>1
ゲームの中で活躍してる
それでいいじゃねぇか クリス・ペプラーさん家になにかしらの文献残ってないかね
まああっても脚色甚だしいかもやが 本能寺の変の数年前から、信長の力が弱まっていて
部下が謀反おこしまくってたじゃん 信長が天下統一した暁には九州に飛ばされると悲観して信長を殺したんだろう
滝川一益も関東管領への抜擢を左遷と感じたみたいだし 信長政権が完成したら・・・、
天皇は廃止、世襲の大名も廃止、海外侵攻で国内は疲弊、徹底した恐怖政治。
特に晩年は精神病が亢進し、頭は冴えてたかもしれないが、精神は不安定だった。
それを倒した光秀は日本の恩人。 歴史の妄想は楽しいからね、自分も明智=天海説を3%くらい信じてる >>440
いやいや、一杯やっとるやん。
荒木村重,松永久秀,織田信勝、みんな謀反やん。
成功したか失敗したかの違いだけ。 光秀にとっては信長を倒した後の最大の敵になるのは秀吉と想像できただろうから
毛利と事前に話をつけて高松城で秀吉を挟撃するしかなかっただろうな
朝廷とか織田残軍は後でなんとでもなる 信長さえ消えれば良かったわけだから、秀吉に文句言われる筋合い無くね?天海説を信じている。徳川秀忠と春日局(斎藤利三の娘)の子が3代将軍家光。家康と光秀から1文字ずつ取った説も頷けなくない。家康・秀吉は本能寺が起こることを知っていたはず。伊賀越えも中国大返しも知らなければ無理でしょ? 細川が自陣に加わるという希望的観測でやってしまったのかね >>423
秀吉は光秀をそんなに嫌いじゃなかったから自分でやりたくなかった
でも落ち武者狩りにやられるとわかっていた >>453
本能寺は別格だろ?超絶裏切り+奇襲だからその後美談になりにくい。だからこそそんなアホなクーデターやる人はいない。
んで、別人格与える説が有力になるのさ。 落ち武者狩りの農民の軽トラにはねられて異世界転生したよ >>449
うん
信長は天下を取るまでは優秀な部下が必要だったが
天下を平定して仕舞えば優秀な奴は邪魔になる。
自分に従順な親族でか貯めるために優秀な部下を
追放することになるから部下も反発するんだろう。
そして天下をとってしまったから逆らうものも居なくなって信長の傲慢な本性が表面化して反発されたんだろうね。 >>449
弱まったんじゃなくて、信長は権力者の例に漏れず、
親族を重要拠点に配置して、織田帝国を作りつつあったから反発も出始めてた
安土城から東は信忠に任せてたし、
西側は信孝に攻めさせようとしてたし、
そうなると京周辺に本拠地を持ってた光秀の領土はまず間違いなく取り上げられてただろうと推測される 天海の家紋は桔梗紋
徳川家光の光は光秀からとった説
春日局は光秀の重臣斎藤利三の娘
何らかの関係性は必ずあるよね >>437
ただ信長は物部氏(平氏)の怨念に取り憑かれた男だ
日本は今でこそ民族浄化が進み差別が無くなったが当時は差別のオンパレードだった
異民族は争う運命にあるという教訓として戦国時代は今尚語られている タイムマシーンがあったら、1582年6月1日の本能寺に行って、
焼け落ちるはずの曜変天目茶碗を持って帰ってくる まあね
本能寺から秀吉まではかなり注目されてるわりに証拠が薄いこともあるので
実際どうだか諸説あるっていう状態が続いてるよね
その方がロマンがあっていいという見方もあるにはある >>1
小栗栖の明智藪で殺られて首は分からないように削がれてから東山三条のへんに一旦埋めてあとで掘り返して坂本まで運んだんじゃないの? >>455
惟任って九州系だから最後は九州まで飛ばされたかもよ >>450
あー、その説は一定の説得力があるな。
光秀は九州にゆかりのある姓、「惟任」を賜って明智光秀から惟任光秀に改名してるしな。
その時、「おれは九州に飛ばされる」と感じた可能性はある。 >>463
結構鋭いよ。それがきっかけで加藤清正が朝鮮でトラ退治をしたという流れでしっくりくる。 >>19
黄金の日日
獅子の時代
山河燃ゆ
この辺は名作ではないの? >>443
ていうかポルトガル人宣教師から見ると、布教に便宜を図ってくれた信長は
メリットはいくつもあってもデメリットはゼロだった
実際、信長の死亡後は布教が緩やかに厳しくなってる
ポルトガル人宣教師から見ると、明智光秀はなにやってくれたんだ!
ってところだろう >>460
光秀は天皇の支持を得て京の治安維持をしていたから
光秀を殺すと天皇への反抗とされるから逃して
落武者狩りをしている主家が滅びて浪人になっている
戦国武士たちに殺させた。 中国大陸に渡って信長とラブラブだったって、なんかゆってた。 >>472へうげものでは誰か持ち去った記憶…弥助だったかな? >>472
あの時代の茶器はめちゃくちゃ貴重だから天目茶碗じゃなくても凄い価値がある >>437
一向衆を大量虐殺してるんやで。
あと、荒木村重の家族、女、子供含めて
158人殺して、一週間放置。 >>462
織田親真ね
通字からいっても藤原信昌の方がしっくりくる
織田の通字信だし >>482
信長つき
秀吉がこね
家康が食った天下餅
どこかに光秀を入れる役目はないか? >>487
オレならタイムマシーンがあったら
ダイソーで買った茶碗を
信長に売りつけるw >>437
比叡山延暦寺の焼き討ちも発掘調査でデマと分かったしな >>481
ボルトガルは宣教師を送り込み信者を作り
信者をポルトガルの侵略の手先としたりして
日本を侵略することが目的だから遅かれ早かれ弾圧される運命だよ >>494
僧侶と信徒が根こそぎ滅ぼされたと言われているが数年で再建してるからね >>482
本物の曜変天目茶碗、たまに展示されてるから見ると分かるが、
あれは必然と偶然が生んだ天の宝物
俺はあの茶碗でビールを飲めれば死んでもいい >>481
>実際、信長の死亡後は布教が緩やかに厳しくなってる
厳しくなったのは寺や神社の破壊工作したり信者が反抗的になったりでキリスト教側の自業自得でもある 徳川秀忠
徳川家光
つまり光秀がかくれているんだよ 秀吉も本能寺直前には、5か国くらい切り取ってかなりの石高の領土持ってたから、
毛利をもしあのまま制覇しちゃってたら、秀吉の領土はハンパなくなってただろう
秀吉も筑前守って呼ばれてたように、そのまま九州攻めさせられてただろうし、
挙句の果てには朝鮮まで行かされてたかもしれない
当然、切り取った広大な領土は大部分召し上げられてただろうな
たぶん織田信長って、天下統一してもしなくてもブチ切れた部下の誰かに殺されてたと思うわ >>493
茶器関係ないが、文房具屋で500円で買った書類入れ
1か月後にほぼ同じのが百均で売ってるのを見て泣きそうになった事がある >>483
いや本能寺と二条御所を光秀に燃やされてそれ以上都を燃やされると困るので
「治安維持」を公家や天皇は追認したというだけ >>437
信長は伊賀住民を虐殺し、文化財をことごとく破壊した
おかげで伊賀地方には平安時代以前のものがほとんどありません >>450
あれは羽柴と明智は外征込みだからな
もう信長は朝鮮→明→天竺まで外征する願望が
すでにあったし話していた >>487
それよりも事実をカメラに納めてきて公開した方が金にならない? >>500
発掘調査で焼けた形跡はあったがかなり小規模だった
むしろその前の時代の方がかなり焼けてた
そもそも女人禁制の寺でなんで女子供がたくさんいたのかと まあ落武者狩りで一儲けやーwwwみたいにイキってた近江百姓らが
次のシーンで斬りとばされた頭が棒刺しで晒されてたら面白いけどね それはロマンであって
史実と混同している訳では無い >>502
写真で見ても、この器は妖しさを感じる。
逆に、所有したく無い。 大河じゃないけど家康饗応の席は必ず何らかの大きな転回点があったと思っている
伊賀越えからの家康はそれ以前に比べて明らかな覚醒が見られるからな >>516
所有者には数奇な運命と変死が待ってる、運命を変える茶器だよ
ロマンだよ >>505
秀吉は毛利と独断で和睦交渉してるの本能寺起きてなかったらどう信長に言い訳するつもりだったんだろうか 他の人もそうだけど生存してたなら何かしら記録残ってるでしょ イエズス会は日本人の女性を性奴隷として50万人も海外に売り飛ばした。 義経がモンゴルに逃げて生き延びた説とか面白いよね
好きなキャラが死んじゃうのは悲しいしな
MCUでトニースターク死んじゃったの悲しいし >>512
>そもそも女人禁制の寺でなんで女子供がたくさんいたのかと
叡山はそこまで堕落しとったんじゃ そのときは逃げる城あったのだから
城にたどり着けてない時点で終了
城落城したのは確定だし
あほらし
明智だと打ち取った奴いたら末代まで語り継がれるはずだから
本当に落ち武者狩りにあったんだろうよ 明智自体存在したかも怪しいだろ
聖徳太子も偽だったんだしよー
全部江戸時代くれーの創作かもしんねーぞ >>525
曜変天目はどれも絶品、上下なんてなく、あれはもう天の賜物
一段落ちる油滴天目ですら吸い込まれそうな迫力があるのに 明智光秀の部下斉藤利三の娘の春日局
春日局の辞世の句
西に入る 月を誘い 法をへて 今日ぞ火宅を逃れけるかな
火宅とは、仏教説話の用語で、燃え盛る家のように危うさと苦悩に包まれつつも、少しも気づかずに遊びにのめりこんでいる状態
月=朝廷 火宅=信長と考えたら、
東にいる誰かが朝廷を誘って信長の害から逃れたと解釈できる
本能寺の変は徳川家康が朝廷と話をつけ明智光秀が実行したのかもしれない
堺にいた家康は信長討伐を確認してから、伊賀越えみたいな大袈裟なエピソードは実際なくて本拠地に普通に帰ったのかもな まだトランプが勝ったと信じてる人がいるから不思議ではない >>450
一益はほんとツイてない男だったねw
関東に出されて2ヶ月くらいで本能寺だもんな
せめて1年あれば関東に地盤作れて割拠できたかも 秀吉っていう稀代の成り上がりを受け入れがたしとする日本人の浪花節好きかねえ。
ロマンあっていいよね。 >>400
泉州辺りで動き取れなくなってた神戸信孝に手を打ってないのがよう分からんのよな。
丹羽は当時佐和山が領地だから安土占拠で抑えてると考えるべきなんかね…北畠信雄と日野の蒲生は引いた感有りだし、池田恒興親子から摂津の連中も結局太閤大返し迄は積極的行動に出とらん。
日和見順慶が洞ヶ峠を決め込んで…と言う言葉が残ったが、案外玉たるノブ親子血祭りに上げれば織田家は刈取り次第と舐めてかかってたんかもねえ。 >>519
謀反が起こってたのは事実なんだから信長が心配で戻ってきたって言えば
かわいいやつで終わってたよ 自分の中では、天海若しくは四国長宗我部が匿い名前を変えて生きたと思っている。皆秀吉怖さで手は出さないが沈黙した細川などが加担はしないが逃がしはした気もする。元々土岐氏の流れを汲むし、公家衆とも近かったから。悪い話って不思議と無い人よね。本能寺以外で。 どうでもいい。
NHKのドラマに踊らされる、知識や教養のない老害や馬鹿(笑) >>531
なんでも鑑定団で4つ目って言ってたラーメン屋のは偽物だったようだけどね >>542
あれは見た瞬間にオーラが無いからダメとわかるソレ >>538
だろうね
けっきょく秀吉をあなどったのが光秀の敗因 当時の国際関係は想像以上だったと思うよ
秀吉は明からインドまでを支配圏に考えていた
倭寇のことから中国と軍事的に負けると思っていなかった
南蛮貿易から東南アジアの連中に絶対負けると思わなかった
インド人弥助からインドの状況も聞いていた
20世紀の大東亜共栄圏に近いものが夢想されていた
そういうでかいスケールが描ける歴史研究者はいませんか >>55
三成はガッツリ処刑されてるから少なそう
信長は死体が出てないからな >>537
チンギス・ハーンね
フビライになるのはムリ >>538
いっそのこと娘婿の信澄に信孝暗殺を持ち掛ければよかったのに
密使の忍びが本能寺の変当日に信澄のところに着くようにして 毛利と上杉と北条と長宗我部が反信長
反信長勢を光秀がまとめられればなあ。
秀吉は運が良かった。
本来は山崎で毛利と明智の挟み撃ちになり
秀吉は滅びるはずだった。
毛利が秀吉に天下を取らせたんだよ それよりも本能寺の変前に殺されていた可能性のほうが高い。本能寺後は別人みたいにバカっぽいでしょ あれだろ、異世界でコボルトとかケンタウロスの騎兵率いてノブノブと本能寺の続きやったんでしょ 四国には明智光秀の子孫がいるらしいってテレビでやってなかった?
弥助はアフリカ人でしょ?宣教師がインドかインドネシアに寄港した時買ったか貰ったらしいと読んだけど。 >>358
坂本龍馬は明智の一族の末裔かもね
苗字も坂本城からとってる可能性あるし亀山社中も亀山城から?かも
有名な龍馬の写真の胸に家紋あるでしょ、あれ桔梗紋じゃない 落ち武者狩りの農民にヤラれたってほうが当時の秀吉的には宣伝効果あるのは確か
真実は闇の中だけど 実際に資料を研究したら天海と明智光秀は同一人物としか思えないんだよなぁ 光秀ってキチガイでしょ
もうすぐ戦国時代終わらせようとしてたのに謀反しちゃうとか
余計な戦で死ななくていい人がたくさん死んだし >>554
北条は親信長じゃね?
長宗我部ももともとは親信長
三好関係で揉めたけど 家康影武者説も広まるのかね
大坂の陣の前途で死んでいて最晩年は影武者にやらせていたという説 最近ジャパンファンタジーが酷いことになってるな。
義経が生き延びてチンギスハンになっただの
日本人は恥というものを知らずにただただ誇張するようになってしまったなぁ
ヘドが 先祖が明智光秀に仕えていて江戸時代に見かけたって伝わってる
うちのじいさんも光秀見たことあるって言ってた 初代 家康
2代 [秀]忠
3代 家[光]
光秀が天海となって徳川幕府を立ち上げたと考えないと、
第2〜3代将軍の名前が光秀にちなんでる事実を説明できないのでは? 光秀
心知らぬ 人は何とも言わばいえ
身をも惜しまじ名をも惜しまじ
龍馬
世の人は我を何とも言はばいへ 我がなすことは我のみぞ知る >>559
坂本竜馬の家は裕福な商家で、光秀のお膝元・近江坂本から移ってきた
しかも長曾我部の旧臣だったから、山内の治世で郷士身分に落とされてた
長曾我部と明智の結びつきは言わずもがな
なくはないなw >>559
一応自称してるが仮冒だったというのがほぼ確定 歴史というのは勝者がつくるもの
つまり光秀が生きていてもおかしくはない >>559
まずー、坂本龍馬の坂本は才谷屋が郷士株を買ったのな。
龍馬の親父の代にだっけ?
よってもともとは坂本ではない。
でぇ、才谷屋に買われる前の坂本であるが・・・
おそらく土佐の郷士と思われ光秀とはなんら関係ないと思われる。 >>558
土岐源氏の家紋である桔梗紋を受け継ぐ家があるからな 光秀が自分だけ生存してたら死んでいった光秀の軍団はアホみたいだな
春日局が斎藤利三の一族って言ったってその斎藤利三も捕まって光秀と一緒に一度飛ばした首を胴体に繋ぎ直して晒されてるからな 分かってないな
そこは織田信長は生きていた、だろ
今俺の隣にいるよ >>569秀忠は秀吉の秀じゃないの?結城秀康もいるけど。秀忠の時は世代が。 >>574
土佐の郷士は、長曾我部の直臣だぞ
関係はなくはないぞ >>574
それなんだけど郷士坂本と才谷屋になんらかの血縁があったと考えられないか?
血縁後あるから株を売ったんじゃね >>562
まあわかるけど徳川の世じゃなかったらどうなってたかと
思うにやっぱり三河人の狡猾さは重要なのかなとも思う >>569
秀忠の秀は秀吉から貰ったことは確定してるよ
敵なのに?って思うかもしれんが、公式に天皇の次に地位が高い関白に貰ったわけだから、
のちに止めましたなんて出来ないしね 一族郎党殆ど死んで
自分だけのうのうと生きるなんて
できる奴いるの? >>585
当時の価値観として言えば、家を守ることがメインなので、
自分が死んで家名を守れれば問題なし 判官贔屓と同じで悲劇の英雄は生きていて欲しいという庶民の願いが生存説になる
その最たるものが義経=チンギス・ハーン >>1
天海やちゅうねん
本能寺の変は家康、忍びの者達との共作 >>582
そりゃーどうかね?
もともと才谷屋と郷士坂本に血縁関係があるのなら、郷士株を買い取るような事はせず支援したと思う。
なんせ才谷屋は土佐有数の豪商だから。 光秀は天海という説は江戸時代には確実に出回っていた
光秀の作った武家諸法度みたいなのが江戸時代に本格的な武家諸法度になった
似てる人を塩漬けにして差し出せば顔はブヨブヨで分からなかっただろうし
秀吉としては勝利をアピールすればいいだけだから、
光秀が生きてても別人として静かにしてくれればそれでOKだった 戦国期に影武者が当たり前だったならあり得るだろ。
光秀は生き延び名を変え、関ヶ原に参戦する途中、事故で溺死の説も残るしな。 花のようなる秀頼さまを
鬼のようなる真田がつれて
退(の)きも退いたよ加護島へ
退きも退いたり薩摩まで 日光東照宮に桔梗の紋も刻まれているし。東照大権現所謂家康と光秀の絆濃厚説で言えば天海。
光秀の子孫逃れ説なら四国に逃げて長宗我部に匿われたかな? >>587
義経は対頼朝挙兵で全く味方集まってないあたりその当時は全く人気なかったと思うぞ
戦法なんて卑怯の塊だし >>597鹿児島には真田幸村と豊臣秀頼の墓があるよ。 現代ですら北の将軍様に影武者説があって生死すらわからない訳で >>602
池田大先生にも影武者がいるのかどうか知りたい >>602
実際のところ、本人が死のうが生きようが、
その影響力を排除できればわりと生死はどうでもいいからね 仮に生きていたとしても、名を捨てて隠れる時点でね
不意打ちで主人である信長を裏切って殺した
卑劣な謀反者と言う 明智光秀 は 消えてしまったわけだよね 娘を反逆者の血縁にして、男子は皆殺しになって、自分だけは生き延びましたってそれはそれでアレかもしれんが 豊臣家をうまく滅亡に誘導したのは全部天海のアイディア
つまり明智を出し抜いた秀吉への恨み >>605
本人は消えたが、後世の二次創作には多大な影響を残したという点で、勝ち組ともいえる
聖書におけるイスカリオテのユダみたいな感じ
その伝承がイマジネーションを刺激し、ジューダス・プリーストとか生み出したしな 山崎の戦いに負けた後も農民に刺されるまでは一応生きてたから、
戦いの後も生きていたことになるな >>522
説じゃなく歴史的事実
ジンギスカン=義経
甘ダレ
義経がモンゴル統一した後日本からの使者と交流してた
源=元 結局、歴史ってのは勝った方が適当に書き換えてるのが真実 >>596年代的に無理がありすぎません?千利休の顔は信長家臣や秀吉や家臣まで知れ渡っていたのに? 一応、落武者とは言え取り巻きもいただろうし農民に殺されるか? 大河のラスト見たら生きてると確信する人も増えただろうな >>545
実際には朝鮮さえまともに支配できなかったのに何言ってんの? >>618
戦国時代の戦働きしている傭兵のような農民だぞ このまえ松屋で光秀が定食食べてたのみたよ
ドレッシングを使い切ってた >>618
明智は50すぎの疲労した爺さんだし農民に狩られても不思議はない
当時はそれほど兵農分離してなかったわけだから農民の中には戦闘経験を積んでいたり訓練していたのも多かった >>596
信長に謀反した荒木村重は千利休の弟子の
茶人として復活したけどな 光秀も信長も
もし生きていたとしてもノコノコ出て来られるわけないじゃん
凄い勢いで天下の趨勢が決まって行く中で
あのーぼく信長だけど、って名乗り出ても鼻で笑われるか邪魔者として天下人にぶち殺されるだけだよ
光秀なんか山崎の敗戦後に再登場しても一体何ができるんだって話
日本は既に賤ヶ岳に向けてチーム分けしてる最中なのに
ジャーンぼく光秀だよー生きてたよーんとか現れてもみんなシラケるわ
生きていたとしても隠れてたほうが楽だよね
すでに政治的に死んでるんだから
生きていようが死んでいようが同じ >>616
落武者狩りに殺されたってのが、秀吉が流したデマぽいしな。
徹底的に惨めな最期にして喧伝している。 >>627
全部秀吉の作った歴史だしね
本当のことは少ない もし生きていたら秀吉政権が絶対許すわけない。
政権の正統性が揺らぐ。
日本の場合、No.2が非業の死を遂げた場合、判官贔屓で
多くの場合、生存説が残る。
多くは中央から取り残された僻地に貴種伝説として。 土方歳三は今でも生きてなかったっけ?
各時代の写真がたくさんあった 光秀も天海も前半生不明の記録に残らない身分で生まれてるから
こじつけしやすいし面白いしな >>626
真田信繁の子供がそんな感じだな
秀忠死んでから家光に面会させたみたいな >>599
奥州藤原氏の滅亡後、その残党とか鎌倉幕府を良く思わない反乱勢力が、東北のあちこちで有名人の義経を名乗って、鎌倉をガクブルにした説あったね 義経の首なんて塩漬けだったけど、頼朝が首実検したが夏で腐っててよくわからなかったとかリアリティー出して >>621
いや、一応、構想していたって事な。絵に描いた餅とは言え。
信長や秀吉の頭には南蛮人がはるばる東洋まで来ている状況に、
「南蛮人を駆逐して東洋は自らの手で治めたい」って言うのはあったと思う。 >>625荒木村重の息子が画家になったのは知っているけど。村重謀反後信長死んでるし不思議はないけど。利休と明智光秀は同時期から信長の周りにいたし、堺と明智光秀はかけ離れてる気がしますがね。 >>638
マジで
明取りたいなら
まずは台湾の併合からだよな
そこからまずは朝鮮方面に軍を出して
明が主力出したとこで
信長中心の本隊を寧波方面から突けば可能性はあったと思う >>620馬で走ってただけだし。その前お駒の錯覚だし 源義経の蒙古斑の遺伝子的特徴の継承で100%ジンギスカン=義経が確定してる 現代だと山下奉文の生存説あるだろ
マレーの虎 山下財宝 >>630
色々、情報操作されるから何が本当なのかなんてのは誰にもわからんだろな。
秀吉だって、徳川の時代に徹底的に悪く言われたが、幕府に対する不満が出て秀吉を持ち上げる風潮が生まれ飾られた人物像ができあがったらしいしな。
秀吉の墓は明治まで誰も入ってはならなかったから朽ち果てて凄いみずぼらしい状態だった。
江戸幕府が秀吉の記録を残したんではなく、庶民の願望が秀吉像を創りあげた。 >>634
日光にある明智平という地名
天海はわざわざそんな地名までつけて桔梗紋で飾ってたのは何でだろうね?
現地では天海=光秀だから、みたいな伝説や説明が書かれた看板とかしかないけど
本当の理由が知りたい 天海は足利ゆかりな感じはするが、光秀じゃないような >>645
現にあそこらへんは倭冦とか
台湾の鄭成功とかいろいろやってるだろ >>647
だから桔梗紋じゃねーよ!
花紋はみんな似てるから桔梗紋にも見えるだけだよ! 明智光秀=千利休
もうこれで結論出てる
秀吉は本能寺の変を最初から知っていた 遡れば古事記にせよ日本書紀にせよ権力者の編纂だから。でもやはり歴史は浪漫。見た人いないんだから。
家康は信長に妻子を光秀は母親(別所長治の件)もあるし、秀吉兄弟忍説あるし。秀吉と毛利は裏同盟の件もあるし。足利義昭は信長憎しだったわけだし。信長本能寺は光秀を調子乗せた人が黒幕だったかもしれないし。信長邪魔と信長警戒心0がたまたま生み出せた事件なのかもしれない。 >>651
似た紋にしたらしいな。
桔梗紋だとあからさまだから。
まあ、明智の縁者が徳川幕府に入ったのはたしかだからな。
光秀本人か、光秀の意思を継いだ者たちが足跡を残したかはやはり誰にもわからない。 >>654
放射脳が暴れ狂ってた頃から、俺はこの国には科学的素養は無いと見切ってたけどなw これは再来年の大河で
「こんばんわ徳川家康です」
「こんばんわ明智光秀こと天海大僧正です」
の2ショットが見られる予感 当時から残ってる記録が真実!とか言いだしたら将門の首なんて飛び過ぎだしな 証明できない史実に対して多数決アンケート取る意味あんの?
今から新史料を掘れる人なんてほとんど居ないわけで。。 〜であって欲しいから○○に違いない
という論理性の欠けらもない希望的観測は
大日本帝国の軍部にもよく見られた
>>1
こういう思考パターンって日本人の国民性なの? ならケネディ殺しはオズワルドか〜?
オズワルド殺しはまあルビーで確定だとしても 天正3年から10年までのコキ使われ方が笑える
これじゃキレて発作的に討つのも分からんでもない 独断で勝手に毛利と和睦して大返しして
もし信長様が元気に生きておられたら
その軍勢でそのまま信長様をぶち殺すしかない 明智光秀は山崎の戦いの後、備中に逃れた。
そこで落武者狩りで殺された。
明智光秀の怨念は凄まじく、
村の若者は気が狂い、頭に懐中電灯を2本差して
村で大事件を起こして、湖に頭を突っ込んで
足だけ水面に出して逆さまに自殺したんだな。 秀吉と斎藤利三及び光秀の思惑が一致した
つまり丁度近江に6月17日に南下する勝家の到着が光秀のクビを取る秀吉側のデッドラインだった
ここを超えれば勝家参戦し清洲会議は別の決着となった
その時実に好都合にも側近の利三が捕縛され光秀の遺骸とともに磔になってくれた
これは主君の死を偽装する利三と秀吉の切迫した事情が合致した偽装劇だった
光秀は無事に郷里に帰還し恐らくは村民や寺社の庇護を受け出家し世捨て人または商人となり余生を送った
天下人が成敗したはずの光秀が生きていては役人も困るので
もし仮に気付いても通報すれば役人の方が危ないのである >>74
いや、普通は首実検をするんだよ
野武士はよくわからず落ち武者狩りをして
恩賞目当てに誰のかわからない首を持っていく 小栗栖竹藪 風景400年前のイメージそのまま 竹やり百姓潜んでおったんか 小栗栖で突き出された槍は光秀の股間に刺さって逃げ延びるも
なんと女になっていた、後の春日局である 光秀を英雄と持ち上げるのは最近始まった事ではなくて
江戸時代にはすでに行われていた
絵本太功記という文楽の人気演目では太閤記がモチーフなのに主人公は明智光秀になっている
名前は武智光秀とか真柴久吉とかに変えられてるけど。
これも全て織田信長の比叡山焼き討ちなどの仕打ちが広まって悪逆非道の暴君というイメージが定着したため。
江戸時代の日本人は今よりずっと信心深くて信長を嫌っていた >>672
でも、信長って律儀なんだけどな
不義理働いたのは叡山と本願寺だし エネエッチケーのテレビの神様の岡村隆史様が生き延びさせてくれたのさ 本能寺の変の頃の光秀は50過ぎた爺さんなのにな
百歩譲って身分を変えて生きてたとしても白髪頭かハゲで杖ついてるよ 生きていたとしても、ろくな晩年ではない。
謀反に加担させられて破滅に追い込まれた家臣も多いから、その家族からも恨まれてる。
敵味方双方から隠れねばならない。 俺の知人の会社社長は信長みたいに部下に殺されないように
一部部下を贔屓して一部部下を冷遇するようなことしないよう心がけてるね 今でも生きてる歴史上の偉人って黒柳徹子か土方歳三くらいかな 百姓に襲われて死んだという話が秀吉の考えた創作に思えるな 歴史は勝者が書くものと言われるが、光秀は不当に扱われてた。生存説は同情から来たものじゃないか。根拠がなくて当然さ。
信長は人を人とも思わない極悪ヤクザであって経団連のような知恵を備えていた。光秀以外にも謀反を考えた家臣はいたと思う。信長を天才と持ち上げすぎ 変な男気に目覚めて「人間50年…」と敦盛唄いながら攻めていったのかもね。なんせ本能寺手勢少なかった所を攻められたわけだし。まぁ信長は蘭丸と抱き合いながら天に昇ってたのかもね。 >>675
あーあ、おまえらがN国党を支持していれば、歴史が改変されなかったのに…… 実際生きていた疑いが濃厚な武将として光秀が仕えた道三の孫である龍興がいる
龍興は信長に敗北し朝倉に身を寄せお家再興に奮戦するが、朝倉の加勢で出陣し信長方に激しく追討され敗死したとされている
しかし実際にはかねてゆかりの現在の富山市布市にある興国寺に身を寄せ土地を開墾し地元の名士として生涯を終えたという
信長から見れば斎藤家の再興さえ潰せればそれ以上真実を追求する必要はそもそも全くない
ましてや本人は仏門の庇護を受け別人となっていればそもそも斎藤家に縁もゆかりもない門徒に過ぎず詮議すれば藪蛇でしかない
このように生死はあくまで戦略上の都合に過ぎず双方の思惑が合致し公式に死亡となれば詮索されないのである >>685
ま、とんだ与太話だな
ジンギスカンといえば羊肉、マトンだけに、ま、とんだ与太話ってわけだ まあ、信長はいつか誰かに討たれてもおかしくない奴だったから、討たれざまあ!としか。 まあ義経ジンギスカン説よりはアリだろうし
歴史ロマンとしちゃ面白いだろうが、ないと思うよwww
特に南光坊天海ねえw ちょっと世を忍ぶ仮の姿にしても
ビッグネームすぎるだろwww
光秀公だって名が知れているわけだし、
また名前が知れているところに隠れたんじゃ
そりゃ双方危ないでしょ。
不義不忠のパブリックエネミーな輩をかくまうのは
他ならぬ庇護者家康公にとってリスキーだし。
(豊臣旧臣は織田旧臣も多いんだからさあ)
ところで話は変わるんだけど豊臣秀吉の朝鮮出兵で
先人つとめた小西行長、これ偉大なる大韓の地で暗殺されたって知ってる?w
偉大なる大韓じゃ結構昔から有名な話なんだけどwww
これ、他ならぬ芥川龍之介も短編小説「金将軍」で書いているねw
キムチャングン <*`∀´*>www
>>671
wwwww
わけがわからんが奇想は評価するwww >>616
結局、歴史は勝者が都合良く書き換えていますよね 家康が信長を暗殺した黒幕でしょうし 源義経が大陸に渡ってジンギスカンになった説とか
上杉謙信女性説とかいろいろあるだろ
それくらい許してやれよ( ;´・ω・`) 半島に渡ってその子孫が白頭山でキムとなり日帝を倒したのがほぼ史実 >>627
秀吉は「信長は死んでない」とデマを流しながら山崎の戦いへ向かったからな
農民に狩られるって、
謀反人が惨めな最期を遂げたと言う最高の演出になるよな >>691
完全に反証されてるとか、設定自体に矛盾がある場合は、さすがにアカンが
可能性としてゼロと言い切れなければ信仰の一種として認めてやってもいいと思うよ こんなことより
岩倉具視が孝明天皇をやったと思うかどうかのアンケート調査しろよ >>696
そこが腐敗やら期間やらで曖昧だから想像掻き立てられて面白いわけで この間見たら生きてて馬に乗ってたぞ
駒は将軍や筒井順慶ともつながってたけどあの後日本を支配する大物なのか 日本史好きの40%がバカという事だろ、万が一生き延びてたとして人生50年時代に54歳の光秀とかヨボヨボのお爺ちゃんで何も出来ないだろw 「山崎の戦い」
こう聞くと、津藩の藤堂が錦旗奉行の四条に説得されて
徳川軍から官軍に寝返った戊辰戦争を先に連想するよな。 >>9
ない。
天海と光秀の筆跡鑑定が何度もされていて
別人であることがハッキリしてる でも、天海の遺品の甲冑の
(坊主が甲冑を持ってること自体が異質)
前立てに麒麟があるんだよね
「麒麟がくる」のタイトルは
ここから付けられた説有り 1528年生まれの光秀が天海となって1643年まで長生きできたとは思えんが いつも思うんやけどそんな当時の凄い有名人がいつぐらいに死んだかくらいは代々話しの中で引き継がれて行かないもんなんかね 秀吉、光秀が日本史のキーマンの一人であることに異存はないと思うが
たかだか500年前のことなのに2人とも出自からして
未だによくわかってないが日本史のすごいとこだと思う >>694
この悪役の最期の演出はやっぱり今の漫画や小説でもあるね
「信長を殺した男〜400年目の真実〜」でも落ち武者狩りにやられる最期 >>1
ドラマや歴史バラエティのせいで信じる人が38%もいるのかw 本人が隠せと言い残すだろうから隠しただろ?だから現代でも解らないのは当然。
隠す必要がなかった家康ですら影武者説あるくらいだし 俺は浅野匠の髪が粗暴な乱暴者で、吉良は人格者
赤穂浪士に討ち取られたとされる吉良は実は影武者で
本人は領地で領民に匿われて長寿を全うしたとする説が好き
赤穂浪士ってぶっちゃけテロリストだよね ドラマや歴史バラエティの影響は大きいよ
帰蝶は信長と一緒に本能寺で死んだとか光秀の母が磔で殺されたとか史実だと思ってる人も多い
自分も昔はそうだった >>711あの漫画登場人物が皆動物顔で皺だけ多くて。。とくに秀吉なんて猿と河童足した顔 信長の遺体も出てないからね、
実は光秀とデキてて駆け落ちしたってもっぱらのウワサ 俺は生き延びた派だね
一番重要になるであろう首実検が曖昧なのが理由 さすがに死んだと思うわ。天海説も伝説に過ぎないし。 信長コンツェルトみたいに戦国時代行って見て来て下さい。最終話がどうなるのか早く見たい。 >>710
光秀の首は京都の粟田口に胴体とくっつけて磔にして晒された後にガラシャの元に送られ供養された
だがその遺体は腐敗で皮は剥がれ落ち判別不能
生存説唱えてる人はあれは別人のモノで実は生きてたんだって理屈 異説は確かに面白いんだけど
マジになって語るのはちょっと 戦国時代生まれじゃなくてよかったわ
戦に駆り出されるなんか絶対ムリ
だってしんどいもん お駒とか岡村とか堺正章とか
好き勝手にやったんだから
麒麟前立付兜を被った光秀が関ケ原に現れるとこまでやったらよかったのに
家康「よくぞ参られた明智殿!」
光秀「今は出家し天海と名乗っております」
ここまででっち上げても誰も怒らんよw >>702
筆跡まで完璧に偽装して別人になれる明智光秀すごいなー >>716
信長と光秀は麒麟とかいちとかいう霊獣で、秀吉が饕餮とかいう化物扱いなんだよね ガラシャからしたら秀吉憎しだから、三成に大阪城連れて行かれて人質にされるより家臣に「突けよ」と言った気持ちはわかる。 >>726歴史好きならイシュタルの娘読んで下さい。薩摩(島津)と近衛家の歴史の深堀も出来ます。天上の虹も面白かった。影武者徳川家康も面白かったけど。 山崎の戦いから13日後の(天正10年)6月26日付滝川一益宛羽柴秀吉書状
去る13日山崎表に出陣したところ、明智も勝龍寺から出陣してきたので、一戦に及び切り崩し、3000余りの首を討ち取りました。
その他にも淀・桂川で溺死する者数知れず。討ち取った首の中に明智の首が見当たらなかったので、村々で捜索させたところ、
(明智は)山科の藪の中で屈んで隠れていたところを、百姓が明智の首を斬って溝に捨てられていたのを見つけました。
このような死に様は上様の罰が当たったもので、目の前でその様子を見ることができて大変満足しています。 >>724
光秀改め天海「ん?誰だ貴様!家康じゃ無いな」
世良田二郎三郎元信「チッバレたかこの坊主を殺せ」
ファンタジーならここまでしないと 【多聞院日記】
「惟任日向守は十二日に勝龍寺より逃れて、山科にて一揆に叩き殺された」
【言経卿記】
「惟任日向守は醍醐辺りに引き籠もり、郷人一揆に討たれた」
【兼見卿記】
「向州は醍醐の辺りで一揆に討ち取られ、その首は村井清三、三七郎殿(織田信孝)へ届けられたそうだ」 シんだよ。
大病を罹った光秀が本能寺後に61年も生きれるはずがない。
チートキャラの駒でも遭えなかったろ 生き延びたとしても田舎で農民暮らしだろ
天海はない >>702
普通に考えて生きてるのバレないように
筆跡変えるよね たとえ生きてたとしても社会的には死んだ存在だから意味ないだろ 好奇心だけで全然詳しくねえけど
光秀ぐらいになれば部下も歴史に残らないまでも当時はそれなりに著名と思うが
部下連はその後どうなったんだ
こいつらがその後の秀吉群にいたら当確だろ まあ生き延びる事は可能だよ
住民票とかなんもねーんだから嘘つき放題だしな
甲冑すててそのへんの農民の服剥ぎ取って遠方の城下町あたりに逃げ込んで商人のフリして適当な偽名使えば普通にそのまま生活できる
でもまぁ秀吉に蹴散らされて逃げてる途中に農民にやられた説が濃厚だろうな 大河の影響力ってやっぱ凄いよな。あの最終回前はこんな素っ頓狂な事言うヤツ
そうはいなかったのに。スレまで立っちまうんだからw >>735
その考えは筆跡鑑定がある時代のものだな >>742
筆跡鑑定はあの時代からあるぞ
そうじゃないと手紙でだまされるからな 死体が確認されてないから
絶対に生き延びていないとは言い切れんのよ
これは織田信長も同じ 山崎の合戦後、落ち武者狩りに遭うまでは生きてたんだろうな そもそも光秀って、正しい出生年が定かじゃないよね。1528年生まれって言われてるけど1540年生まれだと言う説もあるし、でもそうなると信長や秀吉よりも年下になるから、あまり信憑性はないか。 歴史はわからないことが多いから魅力。
歴史家の中には大河を見ない人が多いらしいね。
インチキばかりで見ちゃいられないだってw
大河に毒され、さも史実であるかのように受け売りで知ったかするとバカにされるかも。
大河ドラマはあくまでもフィクションだからなw 落ち武者に殺されたって学校で習わなかったのか
おまえらミジメな学校生活だったんだな 天海は前身の随風としての活動の記録があるから光秀説はあり得ない 現代よりももっと強固なムラ社会だった日本で逃げて生きていくなんて無理
うちの村にお侍さんが落ち延びてきたって通報されてすぐ捕まるよ >>743
あの時代は書状に押される烙印で鑑定じゃねーのか? たとえ生きてたとしても
史料に名前が出てこない限り無価値っていうのが
歴史の侘しさだよな >>752
自分の息がかかった地ならむしろ、その掟に守られるだろ。 むしろ生きてる方が馬鹿にされる
一軍の将が合戦に負けて逃げ延びましたとか最高にダサいし再起不能
普通潔く散るか体勢を立て直すかの二択 当時の文化、武士道を想像するに
大義名分が信長の敵討ちなら
光秀の血筋やら部下やら関係者やらなんでこいつまでってぐらい
秀吉はお痛してるはずなんだがその記録がないでしょ >>753
日本の筆跡鑑定は豊臣秀次の時代からだから確かに無いね >>756
石田三成は最期の時まで生を渇望した。
武将というのは、いかなる時も生きて闘う気概を持ち続けるのが肝要だとな。
三成と柿の話でも読んでおけ。 >>760
光秀が生きてるなら闘う事すら諦めて逃げたクソ雑魚って事じゃん 明智光秀からガラシャへ血脈は受け継ぎ、細川家の子孫には受け継がれているわけだから。これで善
浅井長政と市にしても娘「江」が浅井家織田家の血を徳川まで繋げるわけだし。 >>763
日本語難しいの?
逃げる(また闘うため)ならアリ
逃げっぱなしで何も出来ないようなのは武将として恥ずかしいと言ってるんだろ
もし、生きてるのならな 豊臣家滅亡したから生きていても武者狩で亡くなっていても本望でしょ? >>765
また闘うつもりで逃げても再起できるとは限らんし
気持ちの問題を問うてもしゃーないのでは そもそも山崎の戦い時点でかなり高齢だろ
生き延びたとしても徳川政権成立時にはとっくに死んでるはず >>765
だから馬鹿にされてるんだよな光秀って
弱い癖に癇癪起こして裏切ってその後瞬殺されてw
恥さらしとはこのこと 三成の柿の話は空気読めないバカって話だけど
今は最期まで諦めないとか解釈してるバカも居るんだ >>101
通説通り落武者狩りで死んでたら最後まで描けたんだろうが
生存説いれたから最後をナレーションで誤魔化すしか無かったんだろう
勝竜寺城から少数で逃げてから、坂本城で主君の帰りを待ってた家臣を見捨ててこそこそ隠れてる最低主人公にならざるを得ないし 柿は身体を冷やすから食べたくなかっただけじゃないの?まさか島左近への合図だったとか?三成の佐和山の民なら届けられた柿って聞いてたけど。 首実検では腐っていて腐敗臭が酷く録に確認して見てないのだよw
偽物出してもバレない状態
そもそも百姓に首を取られたってのが怪しい
そんなのは有名な奴では明智以外で聞いたことがない 宇喜多は逃げて鹿児島で生存していたから落武者狩りから逃げ延びるたのはあるw
あれは西に逃げて成功したが、明智の場合は東に逃げると安全圏に入ってくる
近江から美濃国入ると土地勘あるし半ば地元みたいなんもんw >>762
関ヶ原に参戦するために出陣の話もある。 写真ない時代なんて顔知ってる奴が少ないから逃げ切るのは簡単だろう 一流は何故あの時柿を食べなかったのですかと、後から聞かれて初めて答える
二流は意気揚々と語り空気読めないバカって言われる
三成好きは三成同様空気読めないバカなんだろうな >>780
正しい日本語を使ってください。
好き嫌い関係ないし。 荒木も妻子や家臣見捨てて西に逃げたな
嫁の1人は凄い美人だった模様
いい暮らしした人が、衣食住にも事欠くってのは厳しさ増すんじゃない?
光秀擁護したいなんて当時居なかったろ こんなのいくら話しても実際はわからないんだから意味ないよね 皆お家が大事だから光秀に加担しなかっただけでしょ?万一本能寺失敗→信長鬼怒なわけだし。成功しても秀吉と柴田勝家がいるわけだし。 あの大河は光秀が禿げじゃなかったからダメじゃん。
金柑頭と馬鹿にされたから謀反を起こしたのに。 最近の大河はキャスティングが意外でそこを掴みにしてる節がある。丸顔の信長、長身の秀吉、金柑頭じゃない光秀 そもそも大河のキャスティングがあれだったわ。長谷川=光秀じゃないもの。美濃土岐氏の流れを汲む品と教養を醸し出すものは無かった。麒麟が来るって毎週言いながら結局来なかったし。 >>1
こういう事に何%というのは意味がない
考える人が多いから少ないからといって、その結果で歴史が変わる事ではないのだから 池端はネタバレさせてるが麒麟は天海が戦場で使用していた甲冑兜の前たてが麒麟だからと言ってる
要するに企画段階から光秀=天海で始まってる、後づけではない 明智光秀の出自は、三河の藤姓熱田大宮司家
三河の源頼朝(征夷大将軍)=三河の徳川家康(征夷大将軍)
寛伝(三河の藤姓熱田大宮司家)=天海(明智光秀(進士氏(三河の藤姓熱田大宮司家)))
三河の源頼朝は、三河にあった自身の母方の菩提寺の僧を日光に送り込んだ
■日光山
源頼朝がその母方の従兄弟を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた
源頼朝
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→女(由良御前)→源頼朝
寛伝(母方従兄弟、三河国滝山寺僧)
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝 >>16
落武者狩りで殺られたってのは後の創作
って説もあるし面白そうな方を信じたいわw 確たる証拠も無いのに、大河で光秀は変身して生き延びましたーとは言わないわよね。 >>9
その説は年齢が合わないらしいよ。
光秀は1582年の本能寺の変の際に、既に50代くらいだったと言われている。
天海は1643年に亡くなったから、もし光秀だったら110歳以上まで生きた事になる。
当時は現代よりずっと寿命が短かったから、そこまで長生きはありえない。
あと、光秀と会ったor見かけた事がある人達がまだ存命だった時代。
誰も天海が光秀だと気が付かなかったのも不自然。 謀反しても、秀吉、勝家、滝川、丹羽、徳川と周囲に居て
光秀の首取れば更に磐石になる状況で
何で皆自分に味方してくれると思ったんだろうな
そりゃ、細川も筒井も見捨てるわ まあどっちでもいいよね。歴史に出て来ないんだから、殺害だろうが病死だろうがほぼ同じw まだ生きてたら500歳くらいか
いやもう死んでるだろ? 光秀ってたんなる謀反人なのに
悲劇の武将とか意味不明な事言う人居るよね
謀反起こしたのは光秀だろうに 黒幕が徳川家康なら告げることなく同盟を破ったことになるのかな?
これはこれで江戸幕府の正統性に影響してくる 光秀は信長やった後にまだ自身も織田軍の匂いがするのに京都で織田軍狩りやってるからなw
絶対恨まれてたと思うww
だから敗走時に恨まれて殺られる可能性は十分ありえる >>316
桔梗紋じゃなしに木瓜紋な、織田の家紋
信長天海説でも唱えた方がまだ可能性ある、信長の方が若い分だけ年齢の矛盾も減るし
可能性と言っても、0.01パーか0.02パーかと言ったレベルの話だが >>801
まあただのメンタルの病気か認知症だろうな。正常な判断力を失っていたんだろう。
織田家であそこまで出世した智将の選択にしては、あまりにもお粗末。博打過ぎる反乱w >>795
天海は108歳で大往生ということになっている。
光秀も天海も出生はアバウト。 光秀の謀反を知っていたのは、家康・秀吉・細川
だが信長には知らせなかった。日光東照宮の3猿は「見ざる」「言わざる」「聞かざる」 >>805
かなりそう思う。
信長討ったのも妹が四国征伐の犠牲になる斎藤利三親子が現場指揮してるし、もしかしたら光秀は事後報告でパニックおこしたまま山崎合戦してた可能性ある
細川や筒井が離れていく様を考えたら無理はない 会津に天海生誕の地あるけど蒲生氏郷にでも捏造させたのか >>808
特に大河の展開で何故か細川が裏切り者扱いされてたが、動かないの当たり前だよな。
誰も信長殺してくれなんて頼んでないしw 筒井も細川もただ迷惑だけだったと思うわ その斎藤利光の娘が家光の乳母として入って徳川で権勢振るうってのを疑わないほうがおかしいのだよ
徳川と明智は一体政権だよw 明智平のある日光に家康の東照宮を移したのも天海さんw
その天海さんのお墓は明智の近江坂本にあるのだよw
後から作った浪漫墓とかじゃくなくて徳川政権で権力振るった後の遺言で近江坂本に墓を作らせたのだ 家光生母が春日局だとすれば、江が次男贔屓だったのも頷ける。 >>811
光秀が藤孝に忠興を取り立てる為に興したなんて手紙で書かれたら藤孝も流石にキレるわなw
まぁ光秀にとっても忠興は婿だが藤孝にしてみたら余計なお世話w 織田色が強いお江が育てたの息子徳川忠長は切腹させれるオチw
家光の息子4代将軍の徳川家綱の乳母も明智の家老溝尾の孫
2代続けて明智の重臣の娘と孫が入ってるのだよw >>813
韓国の歴史学者が、日本の地名に韓国語でも発音できる地名を挙げて
ここは古代に朝鮮民族が開拓した土地に違いない!
ってやってるのと同じ発想だな >>817
坂本に墓を作らせたのを疑問に持たないほうがおかしい
お前が死んだら朝鮮に墓作れって遺言で言うの?w >>814
家光がお福の子なら信長を討った実行犯斎藤利三の家系、忠長は江の子だから徳川の血筋でもあるが織田の血筋でもある
血統では仇同士であるから家光が忠長を疎ましく思っても何も不思議ではない 光秀もモンゴルに行ってジンギスカンになったんだろ?
言わせるなw 家康と光秀は打倒信長軍。家康が行動に躊躇したり援軍に行けなかったりモゴモゴ中光秀が敗れた事を知り奔走し逃げ帰った。幼少期から人質生活だった家康は戦の無い世を目指した。そこは光秀と同じだった。信長に長宗我部討伐を命じられ諸々の蟠りも重なり本能寺へ向かったと自分は思っている >>820なーんも面白くなかった。ダーウィン→大河しか観るもんない。 そんなことより、ちょいと聞いてくれよ。天下の趨勢とは関係ないけどさ。
昨日、本能寺に行ったんです。父上に挨拶しに。
そしたらなんか公家がめちゃくちゃいっぱいで入れないんです。
で、よく見たらなんか前関白太政大臣近衛前久も来てて、祝辞を述べてるんです。
もうね、アホかと、我御料かと。
お前らな、祝辞ごときで普段から陰口叩いてる父上に頭下げてんじゃねーよ、ボケが。
公家なんか眼中にねぇんだよ、父上は。
なんか吉田兼和と土御門久脩もいるし。こんなのが吉田兼好と安部晴明の末裔だとよ。おめでてーな。
よーし麿、前右府殿の西国平定の戦勝祈願するでおじゃる、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、西国を平らげた暁には禁裏を粛正するから覚悟しろと。
今の朝廷ってのはな、もはや腐りきったものなんだよ。
形ばかりの権威や慣例を掲げ、時の権力者にすがって政治には介入しない。
都合の悪い相手は朝敵にして我が身を守ろうとする、そんな雰囲気が嫌悪されてんじゃねーか。
女子供みたいな輩はすっこんでろ。
で、父上との会談が終わって妙覚寺に戻ったと思ったら、貞勝が、惟任日向謀反!、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな光秀、天下統一を目前にして世を乱してんじゃねーよ。ボケが。
得意げな顔して何が、敵は本能寺にあり、だ。
お前は誰のお陰で国持大名になれたのかと問いたい。問い詰めたい。半刻弱問い詰めたい。
お前、後世に謀反人の名を残すだけちゃうんかと。
父上救出が無理だった俺から言わせてもらえば今、馬廻り衆の議論内容はやっぱり、
二条御所へ篭るか京都からの脱出か、これだね。
明智の大軍をかい潜って脱出して再起を図る。これが後世の自称歴史通が考えるであろう机上の作戦。
俺の元にいる馬廻り衆はわずか。そん代わり士気だけは高め。これ。
でも、落ち延びる途中で名も無き者の手にかかれば織田の名に傷がつく。これ最悪。
しかしここで潔く自害すれば織田の天下は一代限りで終わってしまう危険も伴う、諸刃の剣。
源五には薦められたくない。
まあ三法師よ、生き延びて織田家嫡流の血だけは残してくれ。 >>54
創作ををあたかも史実のように語らなきゃ別にいいんじゃないの
関係ないとこにシュバってきて延々と知識自慢するのもウザいけど無知自慢みたいなのもどうかと思うけどね 史実が創作とごちゃ混ぜでもはや何が何処まで史実なのか解らない有り様 >>136
影武者何人もいるのが普通だし光秀と秀吉と示し合わせていたのなら別人だと分かってても言う訳無い。 信長を殺したのはバチカン
秀吉は気付いててすぐに対応
その後バテレン追放と唐への侵攻は既定路線であり連中に対抗するには当然の道だが
いかんせんアジアで対抗できるのは日本人しか居なかったのも事実
支那人のような奴隷民族を支配下に置いてもどうにもならんのだった
結果徳川がオランダを応援する形になり後のロックフェラーにも繋がるが
ロスチャイルドに対抗する勢力を作ることに関わったという意味では徳川もそれなりの役割をしたのかもしれない
結果的に今の日本を救うことになった
ファンには悪いが歴史の中では光秀はどうでもいい、居ても居なくても同じ存在
それと同じポジションに居るのが坂本龍馬
ただ彼は人として凄く魅力的という事実はある
光秀は空想の人物であり文学作品の中の登場人物だ >>545
それが史実だよ
昔の人の方が国家の防衛や主権や権益というものを真面目に考えてた
売国奴はすぐに首を跳ね落とされてる時代だよ
そういう意味で白人の支配下で構想された大東亜共栄圏とは全く違う
ただし現実は白人とアジア人を比べると知能に想像以上の乖離がある(日本人以外は)
文化的に団結できない部分も多い
日本人と支那人は文化の根底が全く違うし、古代から犬猿の仲だ 光秀をスーパーいい奴にしすぎて
最終回はいろいろこじつけもできなくなって
どうとでもなーれーになってしまった
服部半蔵にスポットを当てまくってたから天海エンドになると予想してたのに
それも批判を恐れたのかしなかった 実際には信長だの秀吉だの家康だのの名前には歴史の中ではさして意味は無い
鉄砲とキリスト教が入ってきて日本が世界を再び認識するようになったというだけ
結果アジアを強化する目標を立てたものの諦めて鎖国という道を選ぶ他なく、日本以外のアジアが西洋の奴隷となり
明治になり日本も陥落したというのが安土桃山時代から平成までの歴史だ えっと、死体見つかってないの?
てっきり顔を確認したうえで晒し首になってるもんだと。 >>768
再起するつもりで逃げたなら部下と兵が待つ坂本城に入るわな
殿の帰りを待ってる部下と家族見殺しにして一人こそこそ逃げて
後になって家康に庇護求めるとか超カッコ悪い
光秀生存説ってロマンどころか光秀憎しで貶めてるとしか思えん
おまけに、正体バレ恐れて筆跡まで変えたのに桔梗紋やら明智平でこっそりアピールするとかカッコ悪さ倍増し そんなにあっさりやられる程抜けてる人ではないと思う >>826
信長が秀吉に斬られて真っ二つのままお茶入れても、戦国武将全員美少女でも、ガラシャが武将枠で1000人斬りしても
エンタメとして遊んでる自覚あるなら好きにやればいいんだけど
大河となると謎権威で即史実と信じちゃう層が多数いるんだよな、ちょっと怖いもんがある >>812
光秀が実は女で後の春日局くらいかましてくれても良いと思う。
昔の東映アクション時代劇なんか似たようなもんだろ。 >>835
崖から落ちてしばらく記憶喪失とかどうよ この人は名前に「明」「光」と付くのに何処までも「陰」な生き方を強いられた人だったね
名は体を必ずしも表さない実例中の実例だね 春日局(かすが の つぼね)/斎藤福(さいとう ふく、天正7年(1579年) - 寛永20年9月14日(1643年10月26日)は、安土桃山時代から江戸時代前期の女性で、江戸幕府3代将軍・徳川家光の乳母。「春日局」とは朝廷から賜った称号である。
父は美濃国の名族斎藤氏(美濃守護代)の一族で明智光秀の重臣であった斎藤利三、母は稲葉良通(一鉄)の娘である安、又は稲葉一鉄の姉の娘於阿牟(おあむ)[1][2]、養父は稲葉重通。 稲葉正成の妻で、正勝、正定、正利の母。養子に堀田正俊。 江戸城大奥の礎を築いた人物であり、松平信綱、柳生宗矩と共に家光を支えた「鼎の脚」の一人に数えられた。 また、朝廷との交渉の前面に立つ等、近世初期における女性政治家として随一の存在であり、徳川政権の安定化に寄与した。 そいつらに聞いたら織田信長だって生きてるって言うよ 秀吉と明智のプロレスだった
・中国大返しの謎
・光秀生存説の謎
もっとも得をしたものが犯人! >>843
織田信長はむしろ死体を隠す必要があった >>840
後になって、あの時頭打って記憶飛んでた思い出したら全部終わってたよ、ゴメンね⭐︎で通るんならそれでいいかな
やっぱり滅茶苦茶カッコ悪いと思うけど >>833
? 徳川家康はオランダと組んでたやん。世界の多くはスペインの奴隷となっており。
東南アジアとかのスペインの植民地を日本の傭兵がダッシュしてオランダ領にした。
第二次世界大戦までオランダ領だったのは日本人がスペインから奪い取った国だよ。
で第ン次世界大戦でオランダから独立させてオランダに嫌われたけど。 >>844
イエズス会の危険を察知してた動きがちらほらあるんだよねこの時代
この一件も彼らを排除するための大芝居の一つだったって可能性無いかな >>813
比叡山で明智の話を聞いてたんでしょ。
見たか聞いたか知らんけど影響を受けた人物が明智だったんじゃね。 明治はあけちとも読めるし
明治まで光秀の影響は及んでいたんだよ >>844
秀吉にとって結果だけ見ると得してるが、
中国大返しだけでなくその後の織田方との関係考えるとかなり高難易度だと思うぞ >>834
山崎から間も無く光秀の首は見つかって首実験から磔にされてるよ
腐って見分けつかなくなる間も無く、光秀の顔に見覚えある人間は大勢いる上に
謀反人討伐で秀吉の権力基盤固めるためには疑問の余地なく功績の証明としなきゃならないのに
なぜかソースもなくたった数日で見分けつかないほど腐っていたと主張する人がいるだけで 落ち武者狩りなんて言葉で簡単に落ち武者を狩ってるみたいなイメージにされてるけど。
地元の有力者かもしれないのに真夜中真っ暗で誰もわからず藪から突くわけないわけないよね。 麒麟がくるの沼にはまったおばちゃん達のTwitterの酷さ >>1
謀反人の荒木村重なんて生き延びたどころか茶人として華々しく再デビューしたからな 地元の有力者なら落武者を狩るよう知らせが来て近隣に布告するから、少人数で出歩くような真似はしないし
敗残兵は血の臭い煙の匂いで身分ある人の移動と間違えたりはしないな
しかも、武将とは比較にならないレベルで地元ピンポイントで地形に通暁してるし、隊形も保てず少数の敗残兵を襲うのは容易かと
これがゲームならチャージ攻撃一発で囲まれても一発で吹っ飛ばせるが
残念ながら当時はそういう仕様はなかった __■■■■■__
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■■_____■■
■■_____■■
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__■■■■_■■ 誰かわからないのに狩れるのかって話なのに 落ち武者狩りって簡単にやれるもんだと洗脳されすぎ。
電話もTVもねーのに どっちか敵だの味方だのなんて瞬時に判断できねーし。
地元の庄屋ぐらいしか信じられんだろうに。 光秀の首なんて絶対に刈られる
生きていられるわけがない >>860
それでも道のウンコと名乗って
自分が周囲から見てどういう存在か客観視出来るほどの理性はあった、クズだけど
同じクズの生存説光秀さんは
正体バラしたいのか隠したいのかよくわからない上に
同時代に明智平と命名する記録がないだけに、死後かなり経ってから地名を変える指令を出したらしいほど理性が飛んでる様子
更にどう見ても織田木瓜なのに明智桔梗紋と間違えるように後世に指示を出すとか
すごいフィクサーらしいけど頭おかしい上にカッコ悪い
死んでたらいいのにと言うセリフがこれほど合う場面を俺は知らない 崖から落ちてタイムリープしたよ
そのうちどこかで身なりのいい落ち武者が見つかる 歴史ってどのくらい前までが
割と信憑性高めなんだろ 信長の遺体は見つかっていない
光秀の遺体も見つかっていない >>855
織田の後継者の有力なのは光秀が殺してる
信長のかたきを取った時点で秀吉だけが
が後継の正統性を持ってる 完全な反証が提示されない限りあらゆる仮説は有効
まあ無敵理論ですわw >>874
信長の遺体があれば諸侯は腹を決めるので
光秀と秀吉のプロレスがプロレスでは済まなくなる
自分らだけで素早く決着つけたいので信長の遺体はないことにする
プロレスだから当然光秀は死んでないので遺体はない >>738
前田家に仕えたり結構生き残ってるよ
京極高次など明智軍に加勢したが、逃亡してのちに大名にまでなった >>876
それもこれも「光秀の動機」を示す文書が秀吉側に消されてる
だから誰でも仮説が立てられる というか後から書き換えられて訳わかんなくなってる時代の歴史だからなあ
関ヶ原でさえ複数の「そんな戦いはない」という当時の書がある訳で 明智光秀か明智秀満のどちらかは生き残った可能性
そうでないと日光の明智平の名前の由来がおかしくなる 遠征行って負けた方の将兵って生きて帰れた奴は道知ってる武将や側近クラスくらいだけかな。
雑兵なんていったん兵団が崩壊してバラバラになったら食料供給もないだろし。 “山崎の戦い”で討たれたなら極悪人として京の河原に晒されてるはずだ、それが無いのは異常すぎ
農民が討ったなら褒美が欲しくて差し出してくるだろうに。 秀吉が織田の兄弟を排除して逃げ道を与えて
帝が比叡山に指示して匿って、その後家康の参謀になったと考えるのが普通。 宇喜多秀家や大坂の陣の明石、明の建文帝とか生死不明は結構あるな
ナチスのボルマンもよくわからなかったけど最近終戦時に死んでたことがわかったが >>881
明智の兵は近江近辺ならある程度は知識があったんじゃね? >>883
ルイス・フロイスの「日本耶蘇会年報」
討たれた光秀の首と、他の1000ほどの首が本能寺に並べられた
夏場のことなので、その臭気ははなはだしく、イエズス会士たちは会堂にいられないほどだった
「言経卿記」
6月13日、勝竜寺城を脱した明智光秀は、山科、醍醐あたりで郷人に討たれ、首を取られた。
その首と胴体は、本能寺に運ばれ、他の首(1000、あるいは3000)とともに並べられた。
首と胴体は接合され、斎藤利三の遺骸とともに、粟田口で磔にされた。 斎藤利三は滋賀の堅田まで逃げてるしな
光秀もどっか行った可能性高い 腐れホモエンドなどお断りですわ
馬でなく駒に乗ればよかったのよおおおおおお >>879
細川には半分残ってるけどな
それもかなり情けない内容で
落ち着いたらまだまだ子供のお互いの跡取りに譲って引きます、だからお願い味方して!と言うかなり恥ずかしい内容
黒幕とか野心とかそれなりにドラマ性ある原因なら味方の追加もあったもしれんろうに
そういうものを微塵も感じさせない、泣きながら裾に縋り付いて蹴り剥がされてから土下座してプルプル震えているような文書
細川が見捨てたのはあの文書のせいではないかと思うくらい情けない
光秀贔屓したかったら妄想並べ立てるより黒歴史文書を闇に葬った方がいいんじゃないかな
資料的価値があるものをくだらない見栄のために消されたら人類の損失なんだけどさ テレビの企画での筆跡鑑定では
天海和尚と明智は同一人物ではなさそうだが似ている箇所がいくつかあって近親者である可能性があると 天海説は、昔NHkスペシャるでそんな説を紹介していましたね。 歴史は新たな事実の発見で書き変えられる
関ヶ原も小早川は最初から徳川方だったから、鉄砲撃ちかけて寝返った!のくだりはフィクションなんだってさ
ただそれも事実あっての事だし… >>895
出来すぎの話だけどね。仏門に入って歴史から消えるならわかるが、わざわざ姿をみせるメリットがない。 秀吉(中川清秀宛の書状)
「上様も殿様(信忠)も無事切り抜けられて膳所まで退かれたから安心してくれ。柴田も越中を平定して既にこちらに進軍中だ」
光秀(細川宛の書状)
「この度私が不慮の事(本能寺の変)を思い立ったのは、細川忠興などを取り立てたいがためで、それ以外に他意はない。
50日か100日の間には近国を平定し、その後は息子十五郎や与一郎殿(忠興)にそれらの国々を引き渡し、私は隠居しようと思う。」 >>872
アメリカにもやたら多いやつな
あそこも、定期的にエルヴィスを見たという人が出てくる 生きていた・・・かも知れないが
天海にはなってないw >>889
夏場だから、そこらの遺体を「明智光秀」ってことにしたと推察される記録だな。
本能寺の変のあと、命狙われている光秀が
バカ正直に桔梗の家紋入りの甲冑を、自ら付けてる訳ない。 >>900
表舞台に姿を見せてる訳じゃないじゃん。
家康の周りにいる怪僧って設定なだけで。
むしろ正体不明の人物が徳川家康のそばについていたから、あれは誰?という
疑念から明智光秀存命説が出てる訳で。 俺は源義経も平泉から生き抜いて海を渡ったと信じてるよ >>904
いや甲冑は着るだろ
そんなコソ泥みたいな事やらないよ
変の後すぐに色々な準備に取り掛かってるし誰が何をやったかなんて筒抜けなんだから
戦でボロ負け後に着替えて逃げてる余裕なんかない >>889
こういうソースがあるのに「生きてるかも」とか言っちゃう奴は統失 大和田「ショーコを示しなさぁいショーコをぉぉぉ!」 >>910 お前、お役所仕事は出来ても勉強できないだろw >>912
証拠を証拠と認めないと騒いでるだけの馬鹿っているよね 次のニュースです
織田信長さん信忠さん親子殺害事件への関与が疑われる明智光秀容疑者が拘束されました
明智容疑者は身柄拘束時、捜査員に対して「麒麟が来る」なだと訳の分からないことを話していたということです ハリウッド的には、
弥助とラストバトルして爆発四散した >>916
それは無いけど、坂本家は明智光秀の子孫ってことにはなってる ああ、あれね。
源義経はチンギスハーン
とかいうファンタジーね。 >>36
もし現代にタイムスリップしてたらきっとまわりから袋叩きにされて今頃はなまぽ民になってるだろう
有能な人間を嫌うからね 太田道灌が殺されたのはつくづく残念、義経もな、要するに上司が使い方しらんのよ、もあるのは嫉妬だけ >>70
西郷さん(せごどん)は生きるのがもう嫌になってた、だからロシアになんか行くわけない 実際に生きていたかどうかはどうでもいいな
失脚して二度と歴史の日の目を見ることがなかったなら
それは歴史上死んだのと同じだ 普通に考えて裏切り者を生かして置く訳ないだろ
逃げ切って東北や九州でコッソリ生きてたとかなら有り得なくもない 光秀は殺されたのに家康は無事故郷に逃げ帰るることができた、、これってたんなる運の良さだけ? >>109
空き地で平=めでたい言葉を使って明智平ではないかと >>928
伊賀とコネがあった服部さんのおかげでしょ >>1
大河の脚色はいかんな
使い走りの龍馬が偉人になってるし >>14
昔はオールスターでやってたのに今や事務所推しの半端な役者や芸人共の学芸会 >>931
どう考えても偉人だろ
司馬史観しか歴史知らない人? >>931
何で? ドラマなんだから脚色があるのが当然だろ。 >>189
逃げ出すというのがすでに再起を図っていたということ、のぞみがなければ柴田勝家他のように城で死んでる 坂本龍馬はイギリスのスパイが支配する
構想に反対で殺された >>350
もともと細川家の家臣扱いだったんじゃなかったか光秀は。それがいつのまにか立場が逆転 大河ドラマは
駒とかいう超ドブス女優が演じる
架空キャラのせいで滅茶苦茶になったなあ >>940
最近はどうも土岐源氏の名門ていうのも怪しくて、美濃の土豪クラスが明智を名乗っただけなんじゃないかという説もあるようだ
朝倉に仕えてたというのも怪しくて、越前で燻ってたところを藤孝に拾われて義昭の足軽衆兼藤孝の家臣になったと
信長に言われて光秀と交友を深めてたけど、内心面白くなかった可能性はあるな >>425
家康さんは無事逃げおおせたぞ、あの小人数で敵地突破、しかも船まで雇って 家康って織田軍でしょ
何で逃げる必要があんの?秀吉が光秀軍壊滅させてるんだから逃げる意味もないじゃん >>932
徳川家康は、織田と敵対した勢力を家臣に取り立てますよね。
伊賀といい、武田の遺臣といい。徳川は織田の格下同盟者なのに。 >>944
家康の立場になって考えてみろ
騒乱の地を脱して一刻も早く自分の領国へ、って思うわ よくよく考えれば明智が織田を伐たなければ違う歴史になっていたからな
織田豊臣徳川と言われて洗脳されてきたが本物は明智なのかもしれないな >>944
秀吉が来るまでどうなるかわからんかったんだから逃げるに決まってるし、一刻も早く自国に戻って軍勢を率いる必要もあった。戻り次第軍を整えて清須城の三法師様を擁して光秀を討つと言っている >>947
信長が討たれなければ毛利と上杉は滅亡してたから全然違う日本になってたね
首都が東京になることもなかった 戦国最強と言われた
武田信玄はなぜ延々と上杉謙信と小競り合いを続けて
人生の大半を浪費してしまったのか?
さっさと京に出ようと思わなかったのか? >>947
あんま変わらんと思う
織田が天下取ってその後は秀吉が実力でもぎ取って、その後は家康が狡猾な手で覇権を握るだけ >>945
まあ信長に跡継ぎの息子切腹させよと無茶振り食らって切腹させてるからなあ
信長憎し、の意識はあったんじゃね >>951
全員が全員天下統一目指してる訳じゃないからな
必要な分の領地さえありゃいーやって奴も当然いるわな
現代で例えるなら全員が全員金に執着して大金持ち目指してるか?って話
その力があろうがなかろうが興味なけりゃやらんよ >>952
信長はこれまでの戦国大名と違って
尾張→岐阜→安土と次々と本拠地を変え
次に大阪に移り、安土城に天皇を迎えるつもりだったらしい
朝鮮と明の征服も本気で取り掛かりそうだし、信長だけはかなりifのロマンがある >>953
それも今は家康の都合だったとか言われれるぞ >>953
長男は勇猛果敢で手柄をあげるし、家臣を掌握するだけの人格も優れていて、
どうも徳川家中は織田との同盟を辞めて、武田に就きたかったようですね。
嫁の築山殿と仲が悪かったというのも、後の創作ではないか。
有望な長男に浜松城を任せ、徳川の東半分でも寝返らせようと計画した矢先、
長男と嫁に織田からの切腹命令。織田のインテリジェンスは鋭敏で、抜け目がない。 家康の立場が徳川史観で捏造されてるだけでかなり脆弱だったってだけ
信康が武田側を背景にまとまると家康の立場が危うかった
信康の嫁は信長の血縁だから信長に断りを入れてから処分したってだけの話
信長は徳川家中のことには一切口出ししてないからね。信長は他所の大名家に対してはいつも腰低く丁寧に対応してゴリ押しなんかはしていないから 島左近とかも生存説あったりするけど
光秀も既に割と爺さんだろ
ドラマなんかだとやたら若い見た目だけども キリストは一度死んだ後に復活したと考えるキリスト教徒は98% 最近は織田ブラック企業での激務に疲れた光秀が衝動的にやっちゃったっていう意見が多いみたいだ
光秀の活動を見てるとあまりの激務にビビるよほんと >>944
家康は戦弱いから基本逃げ回るキャラやで >>962
築山殿は今川家臣の血筋でしょう。織田に怨みがあっても不思議でない。
家康について、双子だとか陰謀説がありますが、実はこの時に色々あったんだと。
家康は今川の宰相・雪斎和尚に育てられていますからね。 >>959
ただ織田への使者に向かった酒井忠次も家康本人も信康や築山殿を庇った様子が全く無いんだよな
信康の後見人だった石川数正の岡崎衆(信康派)と酒井忠次らの浜松衆(家康派)の対立があったとも言われている 徳川が勝者になったせいで色々盛られてるからな。鉄の忠誠三河家臣団とか大嘘だから
松平忠家の日記なんか家康が織田に従属した頃から信長は上様呼びで家康は呼び捨てなぐらいだから
家康が殿様呼びになったのは秀吉に従属して家康が公家になってから その後の活躍なんか残るわけないだろw
昔から負けると農業やったりして暮らすんだよ
地元史なんかにはそういう記述があったり
言い伝えで残ったりすることがある
それが本人なのかある兵士が語ったのかはわからんがね 関ヶ原の戦いも、秀忠が遅参して失態を呈してしまいましたが、
家康は「長男が生きていたら」と秀忠の出来の悪さを嘆いていたようで。
自分以上の能力ある長男を切腹させて、期待した長男を奪われた喪失は、
徳川が後に九州から国家転覆されて政権を失う遠因を作ってしまいました。
関ヶ原で豊臣恩顧の大名が丸々九州に残り、手を付けられなくなってしまいましたから。 ワイの知り合いのおっさんも光秀見たって言っとったで テレビも新聞も写真もない時代、一般人は上級者の顔見ても誰かわからないだろう。 溝に落ちてた武将らしき遺骸を偶然にも勝家の南下の直前に捕縛された利三が我が光秀殿と認めたと思われ、
遺骸と一緒に利三は磔になった
事実はこれだけであり実に好都合にも清洲会議に移行したという奇跡的出来事であった
7月になると秀吉の天下は誰の目にも間近なので光秀存命との流言あればその発言者の首のほうが危ない 信長主導での信康生害ってのは一昔前の説だな
今研究者でその通説を支持してる人はほぼいない
岡崎衆と浜松衆のお家騒動で騒動発生後家康自身が岡崎に出向いて家康主導で処理された事件
信長云々ってのは松平記なんかの後世の軍記物にしかない話 信康の件は武田信玄が義信を廃嫡し、飯富虎正ら義信の重臣と共に一掃した件と似てるのかもね
ここでも信玄派と義信派で派閥抗争があったと言われている 朝廷将軍有力大名が連合した私刑だからな
光秀は実行犯というだけ >>976
秀忠軍は元々真田を攻略してから家康と合流するってことで決まってたんだよ
それを家康が急遽上洛するよう命令するものの大雨で川が氾濫して使者が遅れたり切所で道が細く大軍での移動に不向きだったために結果的に本戦に間に合わなかった
本戦ご半日で終わってしまったし秀忠だろうが誰だろうが絶対に間に合わなかったよ
実際関ヶ原到着後の秀忠の書状見てもいたって普通に諸将とやり取りしてるし叱責されたとか謹慎処分受けたなんてことも一次史料からは伺えない 徳川家康は、明智光秀と心を通い合っていたから、明智を死なせるようなことはしなかっただろうと思っている。 >>988
戦国武将、政治家を舐めすぎ。自分の権力や政治的立ち位置のためなら、
友人だろうが、家族だろうが、切り捨てる。
つーか、普通の人でもこうだよなw >>985
便衣兵だろ。光秀が帝の詔勅受けてたら厄介なことになるから、偽装農民に殺させた >>987
勿論、一度負けた真田に勝ちたかったんでしょうが、
家康が遅れについて、長男が生きていたらと嘆いていたのは、
磯田教授の番組でやってましたね。それ以上はしりませんが。 仁王2とかいうクソゲーが天海説取っててゲンナリした このスレッドは1000を超えました。
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