伝統とはやみくもにあるものではない。
伝統とは時代に必要とされて続いていくもので、時代の価値観を渡っていけるものだ。
伝統とは灰を崇敬することではなく、火を伝えることだ
これ以上変化することのない灰をただ崇拝するのではなく、先人が起こした火を絶やさないように、
先人の薪に、新しい薪を加え、火を燃やし続ける。
そして、それを次の世代に受け渡して・・・次の世代も、また同じように、元の火を絶やさずに、新しい火を燃やし続けることだ。
薪の種類に拘ったり、薪の灰を後生大事にして火を守ることを忘れたりして、火を絶やしてしまうようでは伝統の本質を見失ったといえる。
現代の価値に合わない部分が伝統の価値だなんて、そんな馬鹿げた話はない。
男系限定継承はこれまで扱いやすかった薪かもしれないが、それに拘って天皇という火を絶やしてしまうようでは、本末転倒なのだ。
時代に必要だから残されてきたのであり、いつか必要とされる時のためにつながってきたものだ。
男系固執論者と天皇・皇統を心中させるためにあるものではない。
いまや男系限定継承は天皇の制度を終わらせるための道具と化している。これが因習でなくてなにか。
側室がなくなり男系限定継承が不可能になったのに、男系固執論者は「男系が途切れたら天皇は終わりでいい」とのたまい、真性の天皇制廃止論者の左翼に利用される始末だ。

男系限定継承など、所詮はシナの男尊女卑の風習の影響でたまたま続いただけのシロモノで、
明治になるまで一度も明記されたことすらない。
明治の皇室典範制定時に初めて明記されたのも、井上毅が
「男尊女卑の風習にそぐわない」
と意見具申手して、女性・女系天皇論を退けたのが理由だ。、