≪燃料タンクが無防備で炎上しやすく「ワンショットライター」とも呼ばれ、日本海軍航空機の人命軽視の象徴のひとつともされる一式陸上攻撃機。果たしてその酷評は正しいのでしょうか。実はそのイメージ、戦後についたものかもしれません。≫

■誰が「ワンショットライター」といい始めたのか

「ワンショットライター」という名称に関して、ミリタリー好きな人ならばすぐに、旧日本海軍の「一式陸攻」こと一式陸上攻撃機のあだ名だということがわかるでしょう。「防弾装備が全くなく、機銃を撃ち込むとすぐに炎上・爆発したから、アメリカ軍からそう呼ばれた」といわれていますが、実際は違ったという意見も存在しています。

「一式ライター」「フライングシガー」など、ほかにも蔑称がある同機ですが、実は当時の人々、特に敵だったアメリカなど連合国側からそう呼ばれていたという明確な証拠はありません。

 いつごろからそう呼ばれ始めたか、出典は定かではありませんが、戦後1952(昭和27)年に出版された『零戦 日本海軍航空小史』(堀越二郎 奥宮正武 著、日本出版協同)初版にはすでに記述があったといわれており、戦中にこのあだ名が生まれたとすると、当時の搭乗員たちの自虐の言葉が有力なようです。そういった自虐的蔑称は、たとえばアメリカのF2Aに対する「空飛ぶ棺おけ」、旧ソ連のLaGG-3に対する「保証付きの塗装済棺桶」のように、どの国でもありました。

 ただ『海軍空技廠―誇り高き頭脳集団の栄光と出発』(碇 義朗 著、光人社)など、数々の書籍や資料に記載がありますが、一式陸攻は九六式陸攻の後継機として計画された段階で、双発(エンジン2基)爆撃機にもかかわらず4発(エンジン4基)爆撃機なみの航続距離を要求されており、三菱側が提示した4発機案も海軍が却下しています。その際に、対弾性を犠牲にして主翼内をインテグラルタンク(この場合、主翼の構造材そのものをタンクとすること)とし、燃料搭載量を増やしたのは事実です。

 もちろん、軍が防弾について完全に無関心だったというわけではなく、明確な時期は判明していないものの、初期型の一一型にも本体の燃料タンクには防弾ゴムが装備されていました。しかし翼内のインテグラルタンクに関しては、諸説ありますが、初期のものに防弾処置は施されていなかったといわれています。『一式陸攻戦史』(佐藤暢彦 著、光人社)にはインテグラルタンクに関して、論議が重ねられたものの航続距離との関係で解決策は見つからず、燃料漏洩の問題を解消するだけで、防弾に関しては目をつぶったとされています。

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2021年4月28日