インドネシアを訪れている天皇皇后両陛下は、太平洋戦争後も現地にとどまりオランダとの独立戦争に加わった「残留日本兵」と呼ばれる元日本兵も埋葬されている墓地を訪ねられました。
両陛下は現地時間の20日午前9時半前、ジャカルタ郊外の「カリバタ英雄墓地」に到着されました。

この墓地にはインドネシアの軍人や政治家とともに、太平洋戦争が終わったあともインドネシアにとどまり、4年にわたるオランダとの独立戦争に加わった元日本兵も国家建設に貢献したとして、埋葬されています。

これらの元日本兵は「残留日本兵」と呼ばれ、およそ1000人が独立戦争に参加し、半数が戦死したとされています。

両陛下は墓地の英霊碑の前で黙とうを捧げ、花を供えられました。
苦難の歴史「残留日本兵」の子孫たちは
太平洋戦争後もインドネシアにとどまって、オランダからの独立戦争に加わったいわゆる「残留日本兵」は、およそ1000人に上るとされます。最後の残留日本兵は2014年に亡くなりましたが、子孫たちは天皇皇后両陛下の訪問を心待ちにしてきました。

残留日本兵たちが立ち上げた団体の会長を務めるヘル・サントソさんは、父親の衛藤七男さんが埋葬されている「カリバタ英雄墓地」のツアーを定期的に行うなどして、その歴史を伝えてきました。

ヘルさんたちは、残留日本兵たちが長年発行してきた会報を大切に保管していて「皇族の動向は一番の関心事だったのだろう。両陛下の訪問は日系2世として、誇りと喜びを感じます」と話していました。

一方、残留日本兵は日本側からは逃亡兵や脱走兵とみなされ、1960年代にインドネシア国籍が認められるまで無国籍の状態が続きました。さらに日本がインドネシアを戦時中に統治した歴史から、子孫は「占領者の子ども」などと後ろ指をさされることもあったといいます。

こうした苦難の歴史がある中、父親の上田金雄さんが英雄墓地に埋葬されているハリー・マリヨノさんは「天皇陛下が残留日本兵のことを覚えていてくれて、とても感謝している」と話していました。

また、上田さんのひ孫にあたる24歳のヨガ・クスマ・バラタさんは、10代のときにみずからが日系4世だと知り、日本語の勉強を続けてきました。

将来は、インドネシアと日本のかけ橋となって上田さんの故郷の岡山県で働く夢を持っています。ヨガさんは「天皇陛下の訪問によって日本とインドネシアのさらなる協力の道が開かれるよう願っている」と話していました。
両陛下 ジャカルタの私立大学訪ね 学生と日本語で懇談
このあと、両陛下は日本語教育に力を入れているジャカルタの私立大学を訪ね、10人の学生と日本語で懇談されました。

この大学は日本への留学経験者が中心となって37年前に設立し、1991年には、上皇ご夫妻も視察されています。

懇談では、日本のアニメが好きだという男子学生が、天皇陛下から思い出の作品を聞かれて「『NARUTOーナルトー』です」と答えると、天皇陛下は「私は徳仁です。特に関係ないのですけど」と応じられ、大きな笑いが起きていました。

皇后さまは「こうやって日本語を勉強して、架け橋になってください」と話しかけられていました。

NHK NEWS WEB 2023年6月20日 21時04分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230620/k10014104471000.html