【歴史】「義の人」として知られる上杉謙信 敵に塩を送った史料なし ©2ch.net
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誰もが知る歴史上の史実にはドラマチックなものも多いが、中には真偽が怪しいものもあるようだ。
上杉謙信といえば「義の人」として知られ、長年にわたって対立関係にあった武田信玄を助けた「敵に塩を送る」逸話が美談として語られている。
ところが『上杉氏年表』の共著者で新潟県上越市公文書センターの福原圭一氏によれば、同時代の史料を見てもそうしたことは書かれていないという。
「当時、謙信は商人による塩の流通をコントロールできていなかった。そもそも“義に生きた”というイメージも見直されるべきで、謙信の軍隊が、戦地で人身売買をしていたという史料も存在しています。
これは全国の戦場で行なわれていたことです。謙信も戦国時代の価値観やルールにのっとっていたのです」
さらに「生涯不犯」(女性と交わらない)の誓いについても、疑問があるという。
慶應義塾大学文学部非常勤講師で大河ドラマ『真田丸』の時代考証などを手掛けた丸島和洋氏によれば、
「謙信にゆかりのある高野山の清浄心院の過去帳には謙信が結婚していたことを匂わせる記述が出てくる」という。
一方、真田幸村に関しても“疑惑”が存在する。大河ドラマ『真田丸』の主人公・真田幸村。正しくは「信繁」で、生前の史料に「幸村」の名はまったく出てこない。
初出とされるのは、大坂夏の陣が終わって60年近く経ってからまとめられた『難波戦記』だ。
にもかかわらず、昨年の大河でも堺雅人演じる主人公・信繁が、息子にくじを引かせて名を「幸村」に変えることを決めるシーンが、終盤の見せ場の一つとしてはっきりと描かれた。
「真田幸村」の“知名度”の高さは抜群であるにもかかわらず、本当にその名前だったかの真偽のほどは定かではないのだ。
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/13345434/ たけしがフライデー事件で謹慎中に志村けんがたけし軍団の面倒を見ていたとかいうネット発のデマみたいなのが昔から 真田の話は有名だと思うけど
塩は違うんだ
謙信結婚とか。女性説の奴ガッカリしそうだなww >当時、謙信は商人による塩の流通をコントロールできていなかった。
そりゃそうだよなぁ・・・
何で話が作られたのか、そっちの方が興味あるわ これからは「敵に塩を送らない」って格言使わなきゃならないのか・・・ すっげえ今更じゃん、民間の塩販売業者には武田領地での取引を許可してただけ >>3
マスコミじゃなくて
政権側のプロパガンダと思われ >>6
塩の話があやしいというのも、前から言われてる
新田次郎の武田信玄の中でも、著者の考えとして
この話は嘘だろうと、理由を上げて解説している >>12
米沢に転封されるとき謙信の墓を暴いて骨を越後から持ってゆくぐらいだから、景勝の代には既に神格化されていた こんなの一杯あるだろ。
桶狭間の戦いは奇襲ではなかったとか
墨俣一夜城は嘘だとか
鉄砲三段撃ちはなかったとか
武田騎馬軍団は嘘だとか。 敵に塩を送ったことにする。
敵に塩を送った気になる。
敵に塩を送ったこともないでもないでもない。
好きにしたまえ。 米沢藩の人が信じていたのだったら、それはそれで歴史的な事実ではあるだろ そもそも塩が無きゃ生きられないってこと自体がおかしい。
もしもそうなら、塩を作り出す技術のなかった太古の昔の人類はどうしてた。 三河、遠江、駿河、相模が一致して行った経済封鎖に参加しなかっただけで、塩は送っていない。従来とおり塩取引を認めただけ
太平洋側から甲斐に塩が入らなくなったら越後の塩はむしろ高く売れる契機になる
別に義ではなく、利を選んだのみ >>24
土とかからナトリウム分を摂って
30歳くらいまでに死んでた 美談は作るもの
そもそもそういう史料はその時代の権力者が書くから
脚色だらけだし脚色どころか嘘も書いてあるだろう
だからその時代の大まかな流れ意外で信用できる史料など無い 一休さんや水戸黄門、忠臣蔵、話を面白くするのに
尾ひれはひれを付けるのは古今東西変わりなし
Eテレとか放送大学が間違えたんならともかく大河なんか
花の生涯からして創作エピソード三昧だ 熨斗付けて送っても、毒でも入ってるんじゃないかと思われるだけだろ。
上杉領内の商人が流通させるのを黙認した程度の話。 送ったんじゃなくて北条今川と連携せずに流通を止めなかったってだけの話だろ昔から 商人の交易活動を制限できるだけの権力のある大名なんて少数派だよね 完全な塩止めが無理だったから特に制限しなかっただけっつーのはずっと前から言われてた 義どころか略奪者・侵略者・戦狂いの狂人として、上杉周りから総すかんくらってたじゃねーかw 嘘ついたもん勝ちな環境で嘘付く人ばっかしと言うお土地柄を検証せず鵜呑みにしてきた結果の
この、お粗末っぷり。
まぁ、叛史の資料見ることが許可されてる人は、
皆御存知だったと思うけど、公に言うと混乱が起きるので、
と云う理由で皆黙ってただけでしょ。
歴史なんてのは
・政権が揺るがされたか
・人が大量に殺されたか病気で大量死したか
・土地の権利者が変わったか
くらいしか大きな資料はない。
細かい資料では、人身売買の身代金領収証とか、
そうした人の無念にひもづく証明が形見の様に残ってる場合があるだけ。
他は信憑性がない筈なんだけど、出てくると何故か自動的に認定される動きが、
(日本に限らず世界中どの国であっても)何故か、ある。 義の人()
ttp://harada-iory.cocolog-nifty.com/seikoudoku/2011/07/post-5d25.html
永禄九年(1566)の上杉謙信の関東侵略に伴って行われた
人身売買の相場は、驚くべき低価格で行われている。
余程大量の生捕りを行ったとみえて、一人二十文から
三十文で売買された。相場の百分の一という、驚くべき安値であった。
これは、現在のつくば市に在った小田氏治の常陸小田城を落とした時と、
藤岡城を滅ぼした時の例である。謙信は、城下に人身売買の市を開かせ、
小田城攻略の後などは「春中、人を売買」させたというから、
かなりの規模の奴隷売買であった。藤岡城の時は、籠城していた敵は僅か
数十名であり、これを皆殺しにした後、城下では「人馬際限なく取る」という
人の掠奪を繰り広げたのである。
飢えた越後の百姓たちを引き連れた、「義」の武将;上杉謙信
(長尾景虎時代を含む)の攻城戦というのは、
まず村々や城下に放火し、食糧、雑具、牛馬、そして男女を徹底的に掠奪し、
その上で城に籠った敵を皆殺しにするというのがパターンであった。
籠城している武士は数十名からせいぜい二百〜三百名という、
攻城戦そのものはどちらかと言えば小規模なものが多く、
その割には人の掠奪だけは相当の期間市が立つほどの規模となっており、
明らかに人買い商人(奴隷商人)が常に軍に群がっていたことを裏付けている。 なんか聖飢魔Uのライブで「お前たちは蝋人形にしてやらないっ!」って言われた時ぐらいショックだわ・・・ >>27
>>29
岩塩がそこら中にあるわけじゃあるまいし。
猿から分かれて類人猿になったのが700万年前で、ホモサピエンスになったのが25万年前。
膨大な長い時間、塩をイチイチ取らなくても、ちゃんと生きていけたんだよ。
戦国時代のわずかな間、塩が無いからってこまりゃしない。 甲陽軍鑑が嘘だらけってのは知ってる
まあ歴史書自体誰だって自分に都合の良い様に書くだろうけど ヒストリアと大河のタイアップと見せかけたディスり合いはなかなか見ものだぞ 厠で力んでる最中に脳溢血で死んでるから高血圧気味だったのは確か
食に恵まれた分他の大名より塩分過多だったのかもな >>37
おっと高坂弾正へ浮気の言い訳の書状が残ってた武田信玄の悪口はそこまでだ >>45
そもそも動物にしても
肉や血からナトリウムは取れてるわけでな
単に寿命が極端に短くなるだけだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています