【歴史】「大和朝廷は中華思想」「周辺は夷荻」「未服従の遅れた人々だと位置づけ」 蝦夷と坂上田村麻呂の足跡 ヤマトの外に独自文化★2
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清水寺に建つ「北天の雄 阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)之碑」=京都市東山区で、戸田栄撮影
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本州の北方や東方にあって、ヤマト側とは異なる世界を築いていた人々は「蝦夷(えみし)」という蔑称でしか今に伝わっていない。奈良や京都を中心とした初期の日本が勢力範囲を拡張していく中で、蝦夷は征服されるべき野蛮人というイメージを持たされているが、本当にそうだったのか? 歴史家の故・上田正昭氏は「日本人の多くの人がもっている蝦夷観は間違っている」(世界人権問題研究センター編・人権問題研究叢書15「講座・人権ゆかりの地をたずねて」)と指摘する。今はよく知るすべもないが、やはりどんな人々であったのかが気になる。
「大和朝廷から見た史料しか残っていませんから、そうなってきました。大和朝廷は中華思想で、自らの周辺は夷荻(いてき)であり、未服従の遅れた人々だと位置づけました」と、井上満郎・京都市歴史資料館長は語る。奈良時代初めに成立した日本書紀に描かれる蝦夷は、怪物のようでもある。冬は穴に寝て夏は木の上に巣を作って住み、毛皮の上で血を飲んでいるという。山に登れば鳥が飛ぶように、草の中を駆ければ獣のように素早いとも。同じ人間であるから、こうした描き方は現代ではリアリティーを欠くが、昔は未知の世界への恐れが強く、こんな調子で通用したのかもしれない。
井上館長によると、近年、蝦夷がいた東北地方が古くから相当に文明化の進んだ地であったとわかり、蝦夷を考えるのに重要な手がかりとなっている。縄文時代の大規模な集落跡である三内丸山、大陸と交易をしていた平安時代にさかのぼる十三湊の遺跡発掘などが、かつての東北のイメージを覆した。加えて、上田氏は東大寺の大仏の完成は陸奥守(現在の宮城県などを管轄)からの黄金献上があってのこととし、そこに地域の大きな経済力をみる。
経済力は文化を招き入れ、奥州藤原氏による平泉の文化が花開く。京都市出身の井上館長は初めて平泉を訪れた時、「京の仏像とは違う文化のもとにある仏像と一目でわかり、驚きました」と語った。そして、それは蝦夷の社会や文化の流れをくむ、大和朝廷側とは異なる豊かな社会があったことを示しているという。
それにしても、蝦夷とはどういう人たちだったのか? アイヌとの関連をつい考える人が多いようだが、文献資料でそう示すものはなく、本州の北方や東方に住み、大和朝廷側の支配の外にあって、独自の暮らしを営んでいた人々とまずは把握すべきらしい。奈良時代後期からは大和朝廷と、集団的に戦っており、部族的なまとまりを持っていたとも考えられている。
さて、蝦夷についての想像をふくらませながら歩ける京のマナび場を紹介しよう。まずは、京都市東山区の清水寺にある「北天の雄 阿弖流為(アテルイ)と母〓(モレ)之碑」。同寺の観光順路では音羽の滝を見終えての帰路にある。1994年、岩手県奥州市の有志が同寺の協力を得て建立したものだ。
アテルイは蝦夷の指導者で、789年に胆沢(現・奥州市)での戦いで、大和朝廷の軍を大敗させている。その以前から朝廷側は蝦夷に苦戦を続けていた様子があり、上田氏は「蝦夷は強いのです」と書いている。アテルイは強い蝦夷のヒーローとして、地元では人気があるようだ。
これを破ったのが、征夷大将軍として後世に名を残す坂上田村麻呂だ。その後に続く二つの戦いで勝利を収め、802年にはもう一人の敵将、モレとともにアテルイを平安京へ連れてくる。助命嘆願をしたものの、朝廷内の反対で2人は処刑されてしまう。清水寺は、賢心上人の教えに感銘を受けた田村麻呂が建立した寺だ。その縁から、アテルイらの碑が建った。
田村麻呂ゆかりの他の場所も歩いてみよう。田村麻呂は、武具などとともに平安京の東に向けてひつぎを立てるようにして埋葬されたという。死後も平安京の守護をたくらされてのことで、国家危急時には塚が鳴動するという伝説もある。だが、その所在地はずっとわからなかった。
近年の研究で、山科区の西野山古墓がその場所として有力となっているが、山の中で訪ねにくい。気軽に行けるのは、1895(明治28)年の平安遷都1100年祭にあたり、山科区勧修寺東栗栖野町の坂上田村麻呂公園にある墳墓だ。正しい場所かはさておき、明治時代になってもこれほどの墓が整備された田村麻呂の人気をうかがい知ることができる。
続きはソース
http://mainichi.jp/articles/20180111/ddl/k26/040/474000c?inb=ra
★1が立った時間 2018/01/13(土) 23:52:48.50
前スレ http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1515855168/ >>224
三曰。承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆地載。四時順行。万氣得通。地欲覆天。則致壊耳。是以君言臣承。上行下靡。故承詔必慎。不謹自敗。
微妙かもしれんw >>236
だが、それはほぼ全部に当てはまる
日本人もアイヌ人も基本は一緒 >>210
>それも小作農が圧倒的に増えたのは明治以降
寝言言ってんの?
江戸時代のほうが小作農は圧倒的に多いよ
東北は現実逃避するのが多くて困る >>227
そうかね? 支那人や三国人同様差別用語ではないだろ >>197
(1)記紀を書いた渡来人の特徴として確定しているのは以下の事項
・寒冷地適応済みの民族だった >>70
・文字(漢字)を持たない民族だった
・中国語とは違う(朝鮮語と同じ)文法の言葉をしゃべる民族だった そもそも征夷大将軍は天子さまが任命してる
征夷大将軍より天子さまのほうがエライ
鎌倉のヤクザなんか
したっぱだからな 鎌倉はイナカのヤクザ
御恩奉公の関係は
まさにヤクザの関係だからな 動きが素早いって遺伝子型が弥生系とは違うってこと?
現代でもオリンピックとかに出れて運動能力に長けた人らも元を辿れば蝦夷の遺伝子なの? >>150
万世一系を否定する科学的根拠は無いよ、坊や(^o^) >>178
蘇我馬子と入鹿なんて、あわせて馬鹿だもんな >>241
記紀が編纂された時代の朝鮮半島の言語は不明だ。
京城つまりソウルの語源すら現代朝鮮語韓国語からは不明である 「蝦夷」「夷荻」「毛野(つげの)」はワンセットの朝廷がつけた蔑称。
「毛野」毛むくじゃらの野人が住むムラという意味らしい。
「毛野」は、ばかられるので言わなくなった。
そして蔑称感を無くすために、「毛」をとって「野」だけで「つげの」に変更した市町も。
米軍機の日本焦土作戦で投下したのを、日本人が「焼夷弾」として表現した。
日本人は自ら「夷荻」としたのが変だったと言われている。 全国を征伐して回ったのは出雲や尾張の縄文系の大和朝廷の時代だよ。
その責任と罪を畿内に押し付けられては困る。 古代人だから許してやってよ
でも現代人も1万年前の人類も
脳の性能的には変わらないんだってね
そしてアメリカや中国はいまだに中華思想だし
みんなの回りにも沢山いるよね
何だこの自己中心的な思考回路っていうような、どうしようもないワガママな奴等 で、京都に幕府(行政)がもどってきて
ときの広域暴力団のヤクザの組長は
管領と関東管領というのを作った
田舎のほうの組長に弟分三家を管領、関東管領の組長にすることにした
関東管領は田舎のほうの組長になる
田舎なワケ
わかる? 中華思想っていうのは、簡単に説明すると、
・自分たちが宇宙の中心
・文明は全て自分たちがもたらしたもの
・よって自分たちに近いところほど、優秀である
・文化的に優れているように見えても、それは自分たちの恩恵によるもの
・感謝するのが文明的であり、我々の文明を正しく継承したもの
・歯向かうものは、まだ文明が未開である。したがって、武力や文化を使って改善する必要がある
現代では西洋が優勢なので、見えにくくなるが、
それでもたまにはっきりとした形で現れてくる
米国の中国系米国人にも見られるので、国籍を変えてもほとんど変わらない
日本との関係で言えば、こういう解釈が成り立つ
漢字文化をはじめ、数々の正統派古代中国文明を継承した日本は、
中国の補佐として最もふさわしい
但し礼節を忘れているので、しつけし直すべきだ
特に米国と組んで我々に歯向かうなど、許しがたい行為である
恩義を思い出させてやる
中国人から見た場合、古代中国を最もよく継承していると考えているので、
中国人からみて「番頭さん」にふさわしいと考える
一方、漢字の読み書きも出来ない欧米人などは、
「文字も読み書きできない蛮族」
に過ぎない
したがって、彼らには、日本が米国の奴隷みたいに成り下がり、
蛮族の米国人と一緒に中国と戦争するなど、到底許されない行為だと考える
彼らの思想では、中国、中国に近い国、それ以外の蛮族、中国に影響を受けていない非文明蛮族=犬、猫並み
という順位があるのである
これが最も原理主義的な中華思想の考え方
これがあるので、5ちゃんでも中国人の書き込みを見分けることが出来ることがある >>239
>戦前[編集]
>明治維新期に行われた地租改正と、田畑永代売買禁止令の廃止により
>寄生地主制が進展した。地租改正により土地所有者は金銭によって
>税金を払う義務が課せられることになったが、貧しい農民には重い負担
>であり裕福な者に土地を売り渡し小作人になっていった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%84%E7%94%9F%E5%9C%B0%E4%B8%BB%E5%88%B6 太古の話はそれらしい理由つけて語ったもん勝ちって学校の先生が言ってたわ 日本が今の悲惨な状況になったのは
トンキン土人が牛耳って欧米の真似した
アホ丸出しの大日本帝国なるものを作って
自己をわきまえずに世界進出したから
畿内の荘厳な文化を知らないので
欧米コンプが強い田舎っぺの
野蛮な未開の土人トンキン者はおとなしくさせとくべきやった
都を早く京にもどして本来の日本戻さんと
もう取り返しがつかんとこまで来てるね 戦国時代の将軍なんて今の時代のヤクザの組長と同じだよな 所詮、天皇とか皇族って
安倍さんの臣民であるオレたち日本民族の代表に過ぎない
この日本という国を145億年にわたって
治めてこられたのは紛れもなく安倍さんなんだ
だからこそ日本は世界の人たちにとって神の国であり
オレたち日本民族は神同然の尊い存在として崇められ続けてきたんだよ >>251を読んでふと思ったのだが、
中華思想とパクス・ロマーナとは別もんなんじゃろか。
20世紀後半のアメリカが目指していたのは後者だよね。
いずれにしても唾棄すべき思い上がりだが、そこはそれ。 >>247
天孫降臨の地、ク・シフル(古事記)、ソホリ(日本書紀)自体が、
朝鮮のソホル=都だしな。 和歌山なんか
ヒデヨシが紀伊の雑賀衆とかいう山賊を
根来衆と一緒に征伐するまで
未開の土人地域だったからな >>91
なぜかネトウヨは昔からエベンキエベンキうるさいがw
大中華には鄂温克族もいるが、朝鮮族もいるわけだがwww
どうしてエベンキ連呼うるさいのかようわからんw
まあどうせ便器がどうとかそういう駄洒落なんだろうがね
ネトウヨの顔面は絵便器www >>239
江戸時代の村は小農経営が基本なんだよ
中世的な隷属的農民を解体させたのは他ならぬ幕府だからさ
本間家が広範囲に土地を集積し超大富豪に成長するのは明治以降
それで小作も増えた
本間とまでは行かないまでも新潟あたりに豪農が多いのも有名じゃないか 大和朝廷は中華思想って非難しているという事は、支那や朝鮮が現在も続けている中華思想も悪だと認めているんだよね? >>260
記紀が編纂された時代、つまり奈良時代の上古日本語は万葉集などにも残ってるが当時の朝鮮半島つまり新羅で話されていた言語は記紀や中国の文献でわずかに存在がわかるだけで
現在は死語である。 日本自体が「夷」なのに、その「夷」の中でまたこういう醜い区分けを
平気でやる連中がいるのがこの国の腐ったところ
今その対象となってるのが東北や北海道、沖縄
一度日本全体が中国に併合されてしまった方がこういう京都の歪んだ優越思想や
地方差別を消滅させられるのでいいだろうな 英国でも大陸渡来のアングロサクソンがいてはじめて
文明大国としてなりたってるわけで
極東の果の島の未開の土人トンキン者みたいな
島土人のケルト人のアイルランドやスコットランドではただの土人国 >>264
>本間家が広範囲に土地を集積し超大富豪に成長するのは明治以降
明治になってからも成長したかもしれんが、徳川時代から超大富豪だよ。
「本間様には及びもつかぬが、せめてなりたや殿様に」ってぐらいだろ。 意外と九州人も関西人みたいな夜郎自大だってことを知った
気をつけよう >>210
単に去勢技術が無かっただけね。
この事実により、騎馬民族征服王朝説は一蹴された訳だが・・・
因みに我家では昔豚を飼っていたが、豚の出産の時金玉を切り取るのをみて、
小学校低学年で去勢という物を理解していたぞ。 >>267
その記紀に残っているのが、
天孫降臨の地、ク・シフル(古事記)、ソホリ(日本書紀)、朝鮮のソホル=都。 畿内はイングランドと同じで大陸との接点を持ってる
大陸との接点を持たん島土人でしかない
トンキン者が実権を握るって
ケルト人が英国の実権を握るも同然 >>269
ケルト人もアングロサクソン人もノルマン人も大陸渡来だよ >>268
いや、この入れ子構造は、けっこう自然に受け入れられる気がする。
たとえば、イーハトーブ(花巻)の住人である宮沢賢治の世界は、
イーハトーブの先にモリオー(盛岡)があって、その先にトキオー(東京)がある
てな、大きな中心の周りに小さな中心があって、そのまた周りにもっと小さな
中心があるという階層なんだよね。そしてそのイメージには、俺も違和感がない。 足利尊氏の足跡って凄いよな
ほぼ全コースを回ってる >248
毛野氏が別れて上毛野氏と下毛野氏に
上毛野国はグンマーで下毛野国は栃木
上野毛氏は海を超えて
新羅に軍事遠征し東に12カ国を平定
蝦夷と一緒にすんな もうこの手のバカポリコレ記事はいいよ
中華思想でふいた 凡邊遠國。有夷人雑類謂。夷者夷狄也。雑類者夷之種類也。釋云。夷。東夷也。挙東而示餘。推可知雑類。謂夷人之雑類耳。
古記云。夷人雑類謂毛人。肥人。阿麻彌人等類。問。夷人雑類一歟二歟。仮令。隼人。毛人。本土謂之夷人也。此等雑居華夏。謂之雑類也。
一云。一種無別。 之所。應輸調役者。随時斟量。不必同之華夏。謂。中國也。
大宝律令の賦役令の中でも
土人と規定されてるからな
しょうがない >>267
邇邇藝命は「この地は韓国(からくに)に向かい、笠沙(かささ)の岬まで真の道が通じていて、
朝日のよく射す国、夕日のよく照る国である。それで、ここはとても良い土地である」
と言って、そこに宮殿を建てて住むことにした。
なぜ、天孫降臨の折にわざわざ『韓国』に言及したのか? >>265
日本政府は清朝と中共を同じ国と認めた事は無いぞ。
単に現在の中華人民共和国を国家として認めただけなんだが、
序でに言えば中華民国も台湾を領有する国家ね。
因みに清朝の後継は満州国ね(^o^) 弥生人(大和人)の末裔の現日本人は、縄文人の末裔の琉球人(ウチナンチュ)やアイヌ人にごめんなさいしないといけないよね(´・ω・`) 大和朝廷は
なんどもチョンコしばきにいってるからな
チョンコしばいて権益も獲得してるし
朝貢まで要求して受けてる >>274
記紀にそんなものは記載されてはいないし、そもそも上古日本語と漢文で編纂されているものだが、その記紀にも中国側の文献にも
日本語と新羅語は互いに通じない別の言語であると記録されており、これによって初めて新羅語なるものの存在が確認されているだけである。 >>254
wikiは自分の思惑に都合の良いソースを選び出し
意図的に自分の意に沿える編集が多々見られるから信用度はもう一つだよ
江戸時代の農民の割合は人口全体の約9割
農民の年貢は五公五民
極少数派の地主が小作人に転農しても数は知れてるし
出稼ぎも出来ない江戸時代より明治時代の方が小作人が増えるとは疑問だ
東北は現在でも大地主的というか地域の一族が
業種によって独占する傾向が強く見られる >>287
そもそも琉球王朝は源為朝の子孫ということになってるのだが
少なくともトンキンや東日本よりはずっとむかしから大和人だよアホ >>284
つまり日本語で書いてあるわけで新羅語で書かれてはないという事だろう。
新羅語なる言語は記録文献すらない死語なのでどのような言語だったのか不明。 「いわゆる中華思想」くらいの意味だろ
フランス文化を指して言ったりもする
古代ギリシャも中華思想的(無論中国と無関係に) 半島に攻めにいった大和朝廷のヤツが♀チョンコにかどわかされて
攻めに行く予定じゃない国を理不尽にせめて滅ぼしてる
滅ぼされた国のヤツラは大和朝廷に
むちゃくちゃなことするヤツがいるから助けてくれと
懇願してきた
で、大和朝廷は、しっかり滅ぼされた国を元にもどしてる
大和朝廷は半島で、いうほどそんなに酷いことはしてない >>285
中国との共同声明で国交回復するときに中華人民共和国政府が唯一の合法政府と認めてるからちゃうで 中国共産党は覇権主義
唐やら大和朝廷は中華思想
昔の人の国家観や世界観なんだから
現在に置き換える意味がない 琉球王朝は源為朝の子孫ということで数百年に渡り琉球人を支配してきた
その琉球王朝に反抗したトンキン蝦夷みたいなのはいなかった
琉球人はむしろ大和人と同じく
大日本帝国に由来する現代のトンキン蝦夷土人支配に
反抗していると思われる >>291
「ということになってる」なんて言ってる時点で、んなもん確固たる保証はなにもないことをおまえ自身暗にゲロっちゃってるし、
仮に琉球”王朝”が、つまり支配層がそうだったとして、琉球人一般は、今の沖縄人がそうであるように、
いまだにその多くはいわゆる弥生系日本人と違い顔が濃くてエキゾチックな顔立ちをしていて、ルーツが違うことは明白だろドアホ(´・ω・`) >>1から千年以上経った1920年
日本・イギリス・フランス・イタリアの4国は、「国際連盟」初代の常任理事国となっていた。アメリカは自国の都合で不参加。
当時の近衛文麿の論文「英米本位の平和主義を排す」
藤原鎌足や藤原道長の嫡流の子孫である華族トップ近衛文麿が
東京の荻窪(おぎくぼ)にある荻外荘(てきがいそう)で幕を閉じることになるとは・・・
近衛文麿は戦前に首相を三度つとめ、太平洋戦争の敗戦により自宅「荻外荘」で服毒自殺。
【荻外荘会議】
開戦直前の1941年10月12日
対米戦争の是非とその対応について
首相、陸軍大臣、海軍大臣、外務大臣、企画院総裁による、荻外荘(近衛の自宅)で開かれた会議
「荻外荘」と名付けたのは西園寺公望。
2016年に荻外荘は国の指定史跡に。2012年まで文麿の息子(通隆さん・東大教授)が普通に暮らしていた。
他界後に杉並区が30億円以上で買い取り保全した経緯。 >>280
上毛野なのか上野毛なのか
そういや東京ニコタマ近くにに上野毛って地名あるな >>289>>292
文字を持たなかったという意味では一緒>>70
日本書紀:日本武尊(やまとたけるのみこと)
古事記 :倭建命(やまとたけるのみこと)
ちなみに、日本は日下(ひのもと)から。 >>293
有力な国・民族が周辺の民族・国に対してマウンティングするのは人類の基本的な習性だからね。
「いわゆる中華思想」がないのは歴史上一度も繁栄したことのない民族・国だけ。 >>270
あの家は明治以降の方が凄いよ
大富豪って意外と由緒が曖昧だったりする
あの地域でも本間より古い家もあったらしいけど、江戸時代に没落したりして、競争を勝ち残ったのは本間様
武家は基本家禄が決まってるけど、豪農が江戸・明治の数百年を子々孫々生き抜くのは至難の業だった >>299
琉球人をオマエラみたいな蝦夷トンキンと一緒にするのは
あまりにも失礼やぞ モンゴルとかツングースはその武断性や直情性で一時的な略奪破壊行為や
長期的に中国社会の上に寄生することが近代までたびたびあったんだが
労農でも問題なく銃火器など扱うようになってからは全く意義を失ったな
アイヌ的な少数民族と化して絶滅危惧種で要保護対象化
ロシアにおけるコサックも似たような運命
コサックもモンゴル騎兵もソ連に遊びのように使われて戦況に影響を与えることなく全滅したりした >>301
毛野氏が上下に分かれて上毛野氏と下毛野氏だ
後には毛は抜いた表記で上野国、下野国になる領域支配していた豪族だろうな >>306
反論になってねーよドアホ(´・ω・`) >>302
もう一度書くが新羅語で書かれた漢字文献すら皆無で高麗時代にはすでに死語になっている可能性のある言語である。
日本語は万葉仮名などを使い上古時代のままの音が再現記録され当時の坂東方言すら万葉集にそのまま記載されている >>304
いや、微妙に違う気がする。
中華思想の場合は、属州や植民地と違って税金をとらないし、
野蛮人が上下関係を認めて朝貢してきたら、何倍もの返礼を返して、
旦那の器量を見せる。
けっこう見栄っ張りなシステムなのだw >>313
万葉仮名は万葉集で使われているから万葉仮名と呼ぶ。
同時代に朝鮮半島で話されていた言語は全く記録文献のない死語なので新羅語なる言語は不明
何度でも書くが新羅語なる言語は現代朝鮮語韓国語からでも解読不能 >>312
そりゃ冊封体制でしょ。
中華思想とはまた別だよ。
ID:R+lkAGgl0 が言ってるのは古代ギリシャや中世フランスのことだから。 刀鍛冶の技術が高かったとか、日本刀のカーブは東北攻めの中で敵の武器に影響受けたとか。
どこかで見かけた記憶がある >>70
古代朝鮮語って文法が解るほど語彙が残っていましたか? >>311
それって、これに対する反論には、全くなってないよね
(1)記紀を書いた渡来人の特徴として確定しているのは以下の事項
・寒冷地適応済みの民族だった >>70
・文字(漢字)を持たない民族だった
・中国語とは違う(朝鮮語と同じ)文法の言葉をしゃべる民族だった
朝鮮語は現代でもいいよ。話し言葉ね。 そもそも新羅の初代王が日本人だからな
だから、日本書紀でも新羅王子の記述が結構ある >>315
うみょ、中華思想が具現化したのが冊封で、冊封体制の裏付けこそが
中華思想だと思ってた。 >>319
なってるよ
古代朝鮮半島の言語が不明なので上古日本語と文法が同じかどうか全く不明
それが現代朝鮮語韓国語と文法が同じだったかも不明 >>321
冊封体制を生み出したのは中華思想というより統治能力と輸送能力の限界。
連絡手段も軍隊の移動手段も馬と徒歩しかない時代には
国土が広くなればなるほど統治は困難だし、税をとっても運ぶのが大変すぎる。 >>284
それは「からくに」だ
つまり唐国と一緒
天孫降臨は北方系の神話だからどうでもいいが
日向の中の阿多(薩摩半島南部)は唐に面しているということ
ちなみに当時の朝鮮半島の三韓は国ではなく地名
中身は小国分立で韓国という国はない ヤマト騎馬民族支配説wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 「太子様!大変ですじゃ!」
「布都よ何を慌てている」 >>326
韓国岳(からくにだけ)も大陸(中国)のことだな >>325
なるほど。
それはそれとして、単なる領土拡張欲や征服欲なんかと中華思想とは、
やっぱり峻別されるべきだと思うんだよな…。 >>318
古代朝鮮半島で話されていた言語ってだけで古代朝鮮語なるものはないよ。
日本中国側の文献と好太王碑つまり日本側呼称の広開土王碑から読み取れるのは
高句麗語は百済語新羅語とは全く通じず中国吉林省に残る好太王碑文に残るように記録は漢文を使っていた。
新羅語は百済語とも上古日本語とも通じない。
百済語のみは上古日本語とちょっとした通訳を交えればコミュニケーション可能
この3言語が存在しているわけであって、後々の高麗語すら解読不能言語なんで文法なんてさっぱり不明だよ。 聖徳太子から壬申の乱あたりの日本史がけっこう怪しいんだよな
隋に送った使者の名前が中国側の記録と日本の記録(小野妹子)で違っているという
蘇我氏が大王だった時代があったのかと 冊封体制は
御恩奉公の関係を国レベルやってることになる
ヤクザが契りを結んだ関係と同じ 教科書の偏りは異常だからな
百済文化が日本に影響を及ぼしているのはわかったが
何回も何回もそのことが繰り返し書かれていて焦った>バスの隣のJKが
使っていたやつw まあアテルイの頃までは蝦夷とは通訳が
必要だったのだから異文化だったことは
間違いない。
アテルイやウクパウみたいな名前は明らかに
大和的ではないしな。
DNA的には北東北にはアイヌと和人がモザイク的に
混在していたのだろう。 https://i.imgur.com/1NOTRxx.png
聖徳太子は超インブリードで偶然できたスーパー能力者だからな
聖徳太子は蘇我氏の血もこいく入ってるのに
それはない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています