次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國 次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 
次有蘇奴國 次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國 次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國 此女王境界所盡

これは呉か公孫氏の記録に残ってた、北倭の支配下になってる所を通って分裂前の倭国の都へ行くための道程で、
簡単に書くと、
斯馬國=斯馬の関の有るところ=下関から有巳百支國=厚狭、鬼国=岡山、躬臣國=姫路、巴利國=播磨、支惟國=紀伊、烏奴國=安濃津など、瀬戸内海の北岸を通って倭国の都へと向かってるわけで、となると、邪馬台国のというのは東海の可能性が高い

具体的には象鼻山の有る濃尾だった可能性が高いだろうね