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【東京】纒向遺跡は邪馬台国か、箸墓は卑弥呼の墓か議論 東京で纒向フォーラム★5
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0001樽悶 ★
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2018/10/19(金) 14:37:32.40ID:CAP_USER9
卑弥呼の墓説がある箸墓古墳について議論するパネリスト(東京都千代田区で)
https://www.yomiuri.co.jp/photo/20181014/20181014-OYTNI50010-L.jpg

 ◇纒向フォーラム

 東京・よみうりホールで14日に開かれた邪馬台国の有力候補地、桜井市の纒向(まきむく)遺跡を巡る7回目のフォーラムでは、卑弥呼の墓との説がある同市の箸墓古墳がテーマとなった。調査成果や全国の事例、中国の文献も参考に専門家4人が議論し、考古学ファンら約850人が熱心に耳を傾けた。(辰巳隆博、大森篤志)

 市纒向学研究センターの福辻淳・主任研究員は、箸墓古墳の調査について説明。レーザーを使った詳細な測量で、地表の高低差や形状を立体化できたことなどを紹介した。

 俳優の苅谷俊介・京都橘大客員教授(考古学)は、纒向遺跡の大型建物跡の南に箸墓古墳が位置することに着目し、「都城の南に祭礼施設を造るという中国の思想が取り入れられており、大型建物跡と箸墓古墳は密接なつながりがあった」との見解を示した。

 また、松木武彦・国立歴史民俗博物館教授(考古学)は前方後円墳の成立過程について解説した。2世紀中頃から、全国で墳丘に突出した部分が設けられ、被葬者も集団から個人になり、形も統一されるとし、箸墓古墳について、「倭国(わこく)初の国家的モニュメント。親魏倭王の墓にふさわしい」と述べた。

 渡辺義浩・早稲田大教授(中国古代思想史)は、魏の文帝が「寿陵(じゅりょう)(生前に造る墓)は自然の山を利用し、樹を植えてはならない」などと定めたことを紹介し、「魏の使者は、卑弥呼の墓を見て中国の墓制にのっとった墓だと思っただろう」などと話した。

 その後、センターの寺沢薫所長の司会で4人が討論。箸墓古墳が卑弥呼の墓だとする見方に対し、寺沢所長は、桜井市のホケノ山古墳など箸墓以前に築造された古墳のいずれかだと主張した。

 テーマとなった中国の歴史書「魏志倭人伝」の記述、「卑弥呼、以(すで)に死し、大いに冢(ちょう)を作る」なら死んだ後に墓を造ったという意味になり、渡辺教授は「死んだために墓を造ったという意味の『死するを以もって』と読むべきだ」と指摘した。

 大学で古代史を専攻したというさいたま市南区の会社員長谷川菜摘さん(29)は「纒向遺跡や箸墓古墳に吉備(現・岡山県)などの影響があったのが興味深かった。遺跡を探訪したくなった」と笑顔。東京都江東区の会社員大迫文次郎さん(53)は「邪馬台国の所在地に関心が集まりがちだが、中国の思想や墓制との関わりを知ることができて勉強になった」と満足そうだった。

読売新聞 2018年10月15日
https://www.yomiuri.co.jp/local/nara/news/20181014-OYTNT50054.html
読売新聞 2018年10月15日
https://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20181015-OYO1T50005.html

★1:2018/10/15(月) 18:49:51.46
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1539796902/
0888名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 15:40:13.60ID:f/w1jbeE0
記紀神話は皇室が九州と同祖であることを強調することで支配を正当化したかったんだと思うがなあ。
朝鮮と同祖であることを強調した(そして支配に利用した)時代もあったわけだし。
0889名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 15:41:06.17ID:GZG/x5fn0
>>887
でも、隼人の祖先が海幸彦で天皇の祖先が山幸彦で、二人は兄弟だったということを大和朝廷自体が認めてるんだが
0890名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 15:43:52.32ID:3AHxosXk0
>>853
使者は九州までしか行ってないから
そこの風物を書いてるだけ
0891名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 15:45:14.42ID:uJm7lSYt0
>>884
そういや一時期の中国の記録には
倭国のやつと日本国のやつが
ふたつ存在する時があるんだってね

こりゃどういうことやねん
0892名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 15:45:14.86ID:Q/WX5O/s0
>>867
新羅本紀

14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。
59年 夏の五月に倭国と友好関係を結んで修交し、使者を派遣し合った。
73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角干羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。
121年 夏四月に倭人が東の辺境を攻めた。
123年 春三月に倭国と講和した。
158年 倭人が交際のために訪れた。
173年 倭の女王卑弥呼が使わした使者が訪れた。(「二十年夏五月。倭女王卑彌乎。遣使来聘」)
193年 倭人が大飢饉となり千余人にも及ぶ避難民到来。
208年 夏4月、倭人が国境を侵す。奈解王は将軍利音に反撃させた。
232年 夏四月に倭人が金城を包囲。
233年 五月 倭兵が東辺を攻めた。
249年 夏四月に倭人が舒弗邯、于老を殺した。
287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。1千人を捕虜にして立ち去った。
289年 夏五月に、倭兵が攻めてくるということを聞いて、戦船を修理し、鎧と武器を修理した。
292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。
294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。
295年 春 王が臣下に向かって「倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、百姓が安じて生活することができない。私は百済と共に謀って、一時海を渡って行って、その国(倭)を討ちたいが、皆の意見はいかがか?」ときいた。
これに対して、舒弗邯、弘権が「われわれは海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。
いわんや百済は偽りが多く、常にわが国を呑み込もうと野心をもっておりますから、かれらと共に謀ることは困難だと思います」と答えた。王はこれを聞いて「それもそうだ」といった。
300年 春正月に、倭国と使者を派遣し合った。
312年 春三月に、倭国の国王が使臣をつかわして、息子のために求婚したので、王は阿飡の急利の娘を倭国に送った。
344年 倭国が使者をつかわして、婚姻を請うたが、すでに以前に女子を嫁がせたことがあるので断った。
345年 二月に倭王が、書を送って国交を断ってきた。
346年 倭兵が風島に来て、進んで金城を包囲して攻めて来た。
364年 倭人は多数をたのんで、そのまま直進して来る所を伏兵が起ってその不意を討つと、倭人は大いに敗れて逃走した。
393年 倭人が来て金城を包囲し、5日も解かなかった。
402年 三月に倭国と通好して、奈勿王の子、未斯欣を人質として倭に送った。
405年 倭兵が明活城を攻める。
407年 春三月 倭人が東辺を侵し、夏六月にまた南辺を攻める。
408年 春二月、王は、倭人が対馬島に軍営を設置し、兵器・武具・資財・食糧を貯え、我が国を襲撃することを企てているとの情報を手に入れた。
倭兵が出動する前に、精兵を選んで兵站をしようと考えたが、舒弗邯の未斯品曰く「兵は凶器であり戦は危険な事です。
ましてや大海を渡って他国を討伐し、万が一に勝つことができなければ、後で悔やんでも仕方ありません」王はこの意見に従った。
0893名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 15:48:25.39ID:Q/WX5O/s0
765名無しさん@1周年2018/08/09(木) 01:56:49.20ID:lzgG6LDg0
>>732
倭人の代表的存在である邪馬台国の卑弥呼以前にも
倭人達は統一した活発な海外行動をとってたんだ知らなかった

「 新羅と百済は、どちらも倭は大国で貴重な物が多いと考え
 
 倭人達を新羅人や百済人は敬い見上げている。」

中国王朝二十四史書 『 隋書倭国伝 』より抜粋

倭人たちより古代から格下民族だったことを朝鮮民族は自ら自覚してたのを
中国人の客観的史書でも明らかにしてる

986日本@名無史さん2018/08/09(木) 02:26:52.44
「 新羅と百済は、どちらも倭は大国で貴重な物が多いと考え
 
 倭人達を新羅人や百済人は敬い見上げている。」

中国王朝二十四史書 『 隋書倭国伝 』より抜粋

倭人たちより古代から格下民族だったことを朝鮮民族は自ら自覚してたのを
中国人の客観的史書でも明らかにしてる
0894名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 15:50:41.33ID:3AHxosXk0
ヤマタイ国なんて存在しないから
ヤマト国だ馬鹿
0895名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 15:50:50.75ID:Y398G5rE0
ヤマタノオロチ伝説は「記紀」では出雲地方の伝説のように語られているが
肝心の「出雲国風土記」にはヤマタノオロチ伝説は書かれていない。
私はこのヤマタノオロチ伝説は神武東征の話が神話化されたものではないかと想っている。
ヤマタノオロチ伝説のスサノウは神武であり、ヤマタノオロチは邪馬台国を示している。
邪馬台の大蛇(ヤマトのオロチ)である。大蛇(オロチ)とは大和の三輪山の神である大物主を示す。
すなわち神武が大和の地にあった邪馬台国を征服した話を神話化したものがヤマタノオロチの伝説である。
では何故出雲のお話になっているのか?
邪馬台国が出雲のオオクニヌスにより作られた国であり、出雲の神々の世界だったからでしょう。
https://blogs.yahoo.co.jp/ysigle/61733995.html

記紀に登場する出雲のヤマタノオロチ伝説を邪馬台国と結びつける説がいくつかあるようだが
この説を採用すると畿内説が有力となろうね
0896名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 15:51:00.69ID:xHLCBGUA0
のちにヤマトから奈良平安の流れがあるから畿内にあったと感じるのはごく自然なこと
0897名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 15:53:31.27ID:3lJJRfUh0
ヤマトとワは別物じゃないのかね

魏志倭人伝では“ヤマト”でも
次に正史に出てくるときは“ワ”の五王なんでしょ?
0898名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 15:53:42.11ID:0fmNwqsJ0
>>848 (自己)
博多の「みなと」に繋がる「やまと」になり得る地形を探すと、
糟屋郡の複数の盆地(扇状地に近い)が浮かぶな。
 (地図: https://goo.gl/maps/3aweHUDLSSk

北部の盆地も、南部の盆地も、ともに山があまり開いておらず、
その開口部の平野部に、出城を築ける小高い丘が残っている。
ここら辺が、「やまと(邪馬台)」があった場所かな。

特に、南部の盆地なら、筑紫平野の物流も握れる出先機関を
大宰府に作れる。
0899名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 15:53:58.97ID:2QArTnFi0
https://i.imgur.com/Ag6qncK.png
また低学歴知恵遅れが
テキトーな意味不明なこといってるわ
0900通りすがりの一言主
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2018/10/20(土) 15:54:12.19ID:ZJZxH0uL0
>>862
古志の八口を平定した出雲の真名井遺跡から最高品質のろうかんの勾玉が出てるのは無視か?
0901名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 15:54:33.44ID:Q/WX5O/s0
「 新羅と百済は、どちらも倭は大国で貴重な物が多いと考え
 
 倭人達を新羅人や百済人は敬い見上げている。」

中国王朝二十四史書 『 隋書倭国伝 』より抜粋

倭人たちより古代から格下民族だったことを朝鮮民族は自ら自覚してたのを
中国人の客観的史書でも明らかにしてる

コレ日本の単一細胞の考古学界考古学者達が盛んに朝鮮から影響力を宣伝するけど
真実はどうも違うんだよなぁ
0902名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 15:54:48.52ID:38QPGWi40
大昔のただのカルトなんだから無視して良いだろう
いるよな必死な部落臭いの
0903名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 15:54:59.71ID:uD5kbNk+0
>>642
確かに三角縁神獣鏡の原料が産出されたのは長江流域であり
三国時代は呉の領土ではあったが
それだけで中国製ではないと断ずるのはどうかと思うが
銅のリサイクルみたいなことも当然、当時も行われていたわけだから
古い銅から新しく鏡を作るような事もあったでしょうし
0904名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 15:55:09.30ID:f/w1jbeE0
「古代史の真相を語る」系の本は最初は面白いから読むが、
記紀を恣意的に読んだ結局は憶測以上のものでないから、すぐ飽きる。
土器がどの地方からどの地方へ流れた、とかの客観的な証拠を示す方がよほど良い。
0907名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 15:57:16.11ID:f/w1jbeE0
溶かして再利用にしてはやたら枚数が出てくるから不自然じゃないの?
0908名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 15:57:41.26ID:2QArTnFi0
皇統と一切関係ない
オマンコ系に入り込んでるだけだけだからな
0910名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 15:57:43.41ID:Q99o+o2M0
東大寺山古墳
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3

中平とは後漢の霊帝の年号で、184〜189年を指し、「倭国乱」(『魏志』倭人伝)「倭国大乱」(宋書)が
終結した時期、2世紀の末である。中平銘紀年刀は「倭国乱」終結後、後漢王朝から下賜されたもの
であると考えられている。この鉄刀がいつどこで入手され、本古墳に副葬されたのかは分からない。
しかし、この地の人たちが中国の後漢と通交があったのではなかろうかと考えることができる。
0911名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 15:59:46.65ID:ORHK2k3e0
だからタイっていうくらいだからダラーの民とかいうやん
絶対そんなんだと思うけどな、人種的にも対朝廷であうんじゃないか
0912名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:00:06.52ID:2QArTnFi0
https://i.imgur.com/Ag6qncK.png
九州土人はこの血統図で
大綿津見神はクマソとかいってるワケ

わらっちゃう

まだ神話の世界だからな
0913名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:01:43.15ID:ORHK2k3e0
だってアメリカいったイギリス系もインド探してんだぜ
イスラムでヒンドゥーに変質したインドと似てるじゃんカーストとカ
0914名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:01:49.91ID:Q/WX5O/s0
>>893
>倭人の代表的存在である邪馬台国の卑弥呼以前にも
倭人達は統一した活発な海外行動をとってたんだ知らなかった

アノ邪馬台国の女王卑弥呼が出てくるまでの
倭人国家の様相存在にも興味が湧くよ
0915名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:02:38.46ID:yRevwjG20
>>909
魏志倭人伝をそのまま読めば九州だろ。

魏志倭人伝を無視するなら畿内になる。
だが、邪馬台国が記されているのは魏志倭人伝なんだから、
それを無視したら存在自体がなくなるぞ。
0917名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:03:47.85ID:2QArTnFi0
ホントな
新羅系信仰のチョンコとかBとか九州土人とか困るわ

コイツラはこの点だけは共通してる
0918名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:04:08.91ID:ORHK2k3e0
で昔の知り合いもやたら、当時部落解放月間でドラマとかやってて中野英雄でてたり
してたら、そいつ詳しいんだよ、牛飼ってたようなやつやろ、みたいな、だいたいそうやん
0919名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:05:35.82ID:uD5kbNk+0
邪馬台国が畿内に存在したとしても、それが後の大和朝廷に繋がるとは限るまい
日本書紀には神功皇后が卑弥呼であることを示唆する記述があるが
神功皇后は実在したとしても四世紀の人物であり
卑弥呼の時代よりかなり離れていることは昔から指摘されている

おそらく日本書紀編纂にあたって魏志に記述された卑弥呼の存在に気付いた日本書紀の編纂者たちは、その扱いに困り
神功皇后ではないかと推測して、記載したのであろう。

卑弥呼についての記録はすでに失われていたが
神功皇后については、おそらく記紀の編纂当時から、伝承や記録が存在したのであろう事も推測できる
だから、同じように神がかったシャーマニズムで統治を行っていた卑弥呼と結びつけたのだ

卑弥呼の有力候補として崇神天皇の叔母ヤマトトモモソ姫があげられるが
記紀の記録だけ見ても、他にもシャーマニズムで国を統治したらしい女性は存在する
0920名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:06:20.77ID:f/w1jbeE0
邪馬台国がヤマト王権の原初なら邪馬台国は近畿だろうし、
そうでないなら違う地域だったかもしれない。
しかし、そうなると邪馬台国は単なる地方政権がたまたまシナの文献に残っただけということになる。
0921名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:08:10.93ID:zmUVi5t90
>>919
そりゃ7世紀末〜8世紀初頃に書いたのものだからなあ
政権内でもまだ文字の使用はなかったと言える時代である3世紀のことなんかわかるわけがない
0922名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:09:13.36ID:NUEJYL2t0
>>920
考え方が逆
たくさんの地方政権の中で中国に文献を残されたものが邪馬台国だったって話よ
0923名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:10:16.04ID:f/w1jbeE0
4世紀にヤマト王権が九州を支配していた、という話がそもそも信じられない。
文字も官僚制も整備されてないのに。
息がかかった現地の豪族が何人かいた、程度でしょう。
0924名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:10:16.70ID:xHLCBGUA0
ただの地方政権なら卑弥呼も邪馬台国も日本国の歴史とは関係ないから別に九州でもいいかな
0925名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:11:18.42ID:3Y2dPUBT0
5ch民はなぜかこの話題が大好きだなw
0926名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:12:00.70ID:Q/WX5O/s0
>>919
でコレだから思考力が鍛えられるよな先天的低IQの人間は知らんけど


>倭地は温暖にして、冬夏生菜を食す。
皆、徒跣。屋室有り。
父母、兄弟は異所に臥息す。
朱丹を以ってその身体に塗る。
中国の紛を用いるが如し。

男子は大小無く、皆、黥面文身す。
古より以来、その使中国に詣(いた)るや、皆、自ら大夫と称す。
夏后少康の子は会稽に封ぜられ、断髪文身して、以って蛟龍の害を避く。
今、倭の水人は沈没して魚、蛤を捕るを好み
文身は、亦、以って大魚、水禽を厭(はら)う。
後、稍に以って飾と為る。諸国の文身は各に異なり
或いは左し、或いは右し、或いは大に、或いは小に。尊卑差有り。
その道里を計るに、まさに会稽東冶(”現中国の浙江省”) の東に在るべし。

女王国より以北は、特に一大率を置き検察し、諸国はこれを畏憚す。
常に伊都国に治す。国中に於ける刺史の如く有り。
王が使を遣わし、京都、帯方郡、諸韓国に詣らす、及び郡が
倭国に使するに、皆、津に臨みて捜露す。
文書、賜遺の物を伝送し女王に詣らすに、差錯するを得ず。

「魏書」第30巻『 魏志倭人伝 』 普平陽侯相 陳寿撰

神々からの日本最古の捏造教科書とされる古事記や日本書紀には記述されてないが
致密かつ高度な中華文明を生み出した古代中華帝国漢人官僚には正確に記述されてた
神々しい伝説の邪馬台国や女王卑弥呼、倭人達の倭国群は日本の何処にあったんだろう?
0927名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:15:34.37ID:rgCF2vsI0
おまいら吉武遺跡はどの国に該当するかわかる?
糸島や飯盛神社、愛宕神社から近くて三種の神器が出てきたりただの地方豪族とかではないように思うのだが
0929名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:19:11.85ID:2QArTnFi0
> 文書、賜遺の物を伝送し女王に詣らすに、差錯するを得ず。

文書と書いてある
チャンコロの記録ではヤマトではすでに文字つかってることになる
0930名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:19:19.08ID:GZG/x5fn0
>>923
好太王碑文によれば、4世紀末には大和朝廷は朝鮮半島に侵攻している
朝鮮半島に大軍で侵攻するなら、九州北部を支配していなきゃ無理だろう
0931名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:20:16.11ID:VQmML4ar0
安全に返す根拠が示せないってどういう事?
盗む気満々って事か?
0932名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:20:48.06ID:2QArTnFi0
その侵攻前からすでに朝廷は
半島にたくさんの権益をつくってる
0933名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:20:50.91ID:f/w1jbeE0
>>930
「朝廷が」とは書いてない「倭が」と書いてあるだけだ。
0934名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:21:00.35ID:ETpbrcA30
>>928

結局、あなたの地元なんでしょ
0935名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:21:48.54ID:2QArTnFi0
すでに大和朝廷が
北九州を版図に治めてたのは明らか

大和朝廷が北九州を版図に治めてないと
朝鮮出兵の説明がつかない

半島では、前方後円墳、日本様式の弥生式土器もみつかってる
それでチョンコどもが発狂してる
0936名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:22:50.31ID:0fmNwqsJ0
>>934
すまん、おれ、関東民w
福岡には、何の縁もない。
0937名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:22:50.51ID:2QArTnFi0
大和朝廷が九州北部を版図に治めてからも
大和朝廷と九州北部の一部の豪族と争いもおきてる

九州北部の豪族(チョンコもどきの土人)は新羅との関係が深かった
大和朝廷のほうは百済に支配地域を広げていた
で、南朝鮮の権益で九州北部の豪族は大和朝廷の朝鮮出兵を時折邪魔したりして争いもあったりした
北九州の豪族が新羅から賄賂をもらってたというのも古事記に記述されてる

なんどもいうがもうコタエはでてるワケ
0939名無しさん@1周年
垢版 |
2018/10/20(土) 16:24:44.37ID:f/w1jbeE0
金印でしょうね。
0940名無しさん@1周年
垢版 |
2018/10/20(土) 16:26:23.53ID:2QArTnFi0
ヤマトは伝統的に百済との付き合いが深かったことは
記紀から簡単によみとれる

後期になると
朝廷は半島の権益を百済にわたしていくとになる

さらにその後百済がほろぼされて
再起をかけるためヤマトに力貸してほしいと
お願いにくる
0941名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:27:43.92ID:QJVj6eoc0
>>935
いくらそんなこと言っても前方後円墳やらの庄内式土器やらの記録はどの史書にも書いてない。

史書をきっちり読めない日本人のために中国のとある機関が立派な動画を作成してくれてるぞ。

https://youtu.be/6Z0avSjgtHo
0942名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:29:37.04ID:jEj0RZO+0
>>848
>( ※ 戸=門(かど)=「くに」の婉曲表現。)
良い獲物が見つかったwwwww
我輩の大好物シメシメ、〆子の白うさぎか因幡の白うさぎちゃんか

万葉集巻三(254)
原文:留火之 明大門尓 入日哉 榜将別 家當不見
訳文:留火(ともしび)の明石(あかし)大門(おほと)に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず
   明石(あかし)大門(おほと)=明石海峡
   東の方から明石海峡近づくと明石海峡に沈む夕日が見える
万葉集巻三 (255)
原文:天離 夷之長道従 戀来者 自明門 倭嶋所見 (一本云 家門當見由)
訳文:天離る鄙の長道(ながぢ)ゆ恋ひ来れば明石の門(と)より大和島見ゆ (一本に云はく、家のあたり見ゆ)
   明石の門(と)=明石海峡
   西国から帰って明石海峡まで来ると大和の山並み=金剛生駒山地が見えてホッとした気分

津門(つと)神社
http://www.hyogo-jinjacho.com/data/6302009.html
「津」は難波津というように「港」を意味する。
0943名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:30:05.04ID:f/w1jbeE0
磐井の乱の時点でヤマト王権は九州を決定的に支配してなかったんだから、磐井の乱の結果、支配したと考えるのが合理的
その前は近畿は日本で一番大きな勢力ではあったのだろうが、群雄割拠状態だったんじゃないかな。
暴力団の勢力図みたいなもので。
半島の前方後円墳も石室に近畿というより九州北部の特徴がよく現れている。
0944名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:30:17.36ID:NUEJYL2t0
>>930
果たしてほんとにそれが大和朝廷だったのかというとこからまず疑う癖をつけたほうがいいな
0945名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:32:12.51ID:f/w1jbeE0
まず後年、我々が朝廷と呼んでいるものからイメージするものが成立していたのかどうか。
それすら疑わしいわけ。
0946名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:32:18.53ID:uu5w5nxk0
>>883
唯一「邪馬台国にしかないもの」と言えるのは、
「親魏倭王」の金印しかない。(漢奴委国王は別物)

それ以外の「全国各地にありそうなもの」をたくさん積み重ねて、
無理やり場所を特定しようという考え方は科学的ではないね。

金印が見つからない以上、物的証拠で場所を特定するのは諦め、
魏志倭人伝の記述に頼らざるを得ない。
0947名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:34:06.67ID:NUEJYL2t0
エジプトにはピラミッドが200もない
あんまり詳しくないが調べた限り王家以外の墓はないはず

さて日本は古墳が10万以上あるが
大和朝廷が支配してるところで
地方豪族なんぞに古墳を作らせるかと
地方で好き勝手させてたら独立や反乱の恐れがあるのに

結論、日本における古墳の乱立は
大和朝廷が支配しきれていないことの証拠だろう
0948名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:34:19.95ID:f/w1jbeE0
倭人伝の記述にたよると海の上に出るわけだから、結局わからんとしか言いようがない。
0949名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:36:52.78ID:DbN7sEWg0
ID:2QArTnFi0はジェジュ出身だから、全角カタカナ表記できないのかなw
0950名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:38:18.25ID:WTdZGI0T0
>>20
いやこの通りだろ
そして卑弥呼は日巫女、あるいは姫巫女
0951名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:39:13.92ID:FzuX5EPC0
>>948
倭人伝の記述通りに進むと不弥国で一旦切れる
倭人伝の記述では不弥国な内陸でありそこから先水行は不可能
水行20日は帯方郡からの再スタート
なので海の上には出ない。
0952名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:39:36.43ID:GZG/x5fn0
>>944
雄略天皇が、先祖が朝鮮半島侵攻したことを上奏していること
5世紀末の雄略天皇の時代には関東から九州までの広い範囲を支配していたことが鉄剣から明らかなこと

ここから、好太王碑文の倭は大和朝廷と見ていいだろうに
0953名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:39:56.69ID:BCZTlp/d0
吉備から何者かの勢力が纏向に移動してるのは確かで、記紀で言えば神武になるんだろうけど現実とは乖離した記録だから相当脚色されて話が混合されてるのかもしれない。
3世紀吉備は邪馬台に属してはいるが、あくまで末端国。独自の行動で開拓に近畿へ移動したが肥沃な大地に人口は潤い後に邪馬台の有力者に昇格した感じじゃねえか
0954名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:40:08.50ID:2QArTnFi0
みこは
神の子の意味

日の本のみこ
尊、命、巫女、皇子、皇女、御子
はみな、神の子のみこ

日の本のみこは大和朝廷の皇女

みこはマツリゴトをしてる
マツリゴトは政でも祀ごとでもある
0955名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:40:31.69ID:FzuX5EPC0
>>937
根拠の無い妄想に過ぎないなw
0956名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:41:26.97ID:0z0IHIXw0
卑弥呼、台与、神功。この流れは支那と半島への交流で一致してる。
神功は海人族出らしいと言うからワニ系。
ワニ系は皇室の母系。天孫降臨の九州でも神武系の三輪でも。
ワニは交易しないとご飯食えないから陸の王権に関与せざるを得んわな。
で、九州と山陰と河内のワニが居たとする。どういう交流をしてたんだろうね。
0957名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:41:30.54ID:FzuX5EPC0
>>954
つまらん、小学校からやり直せ。
0958名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:42:05.20ID:Yv+G7BNu0
>>865
記紀を読めば大移動の神武東征ではなくあちこちと彷徨う神武漂白であることがわかる
ボディーガード兼婿で村長に納まったのだから習慣は嫁の家のものだろう
そして先祖のお話は夫のところから
九州も俺のものという理由なら南方海洋民族の説話が入り込むはずは無いよね

日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う

続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり

木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ

おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる

よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる

なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話

高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925)   智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜)  日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂)
0959名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:42:14.87ID:FzuX5EPC0
>>956
ワニ系www
0960名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:42:58.92ID:f/w1jbeE0
鉄剣から明らかなのはヤマト王権と関わりがある豪族その地域にがいた、というところまでだろ。
磐井の乱の時代にすら九州に巨大勢力がいて近畿と対抗していたわけだから。
0961名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:43:27.88ID:FzuX5EPC0
>>958
想像力が豊か過ぎるねw
0962名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:44:16.18ID:2QArTnFi0
やばんなヤクザですら神事を一番大切なもんとしている

御成敗式目でも一番最初に
神社や神事を大切にしなさいといってる

その後のヤクザたちにもそれは脈々と受け継がれてる

ヤクザたちの権力の裏付けは
天子さまの権威があってのものだからな
0963名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:44:26.17ID:0fmNwqsJ0
>>933
漢の滅亡で朝貢秩序が乱れ、倭国大乱。
それまでの倭国盟主、邪馬台(やまと)は、奈良の支配下に。
4世紀初頭、魏滅亡、朝貢秩序消失。奈良が邪馬台を亡ぼし
倭国盟主の正統を示す「やまと」の名を奪う。大和朝廷成立。
(※半島で、新羅、百済による地域統一も、この時期。)

4世紀末、半島に進出したのは、まさに大和朝廷。
5世紀頭、高句麗に敗れるまで、半島でブイブイ言わす。
東アジアに朝貢秩序が戻るのは、6世紀末の隋による統一。
0964名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:45:10.51ID:FzuX5EPC0
>>960
銘文の解釈次第でどうにでもなる
ヤマト王権と関わりがある豪族その地域に居たかも分からんよ。
0965名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:45:26.98ID:2QArTnFi0
むしろ小学生から日本の歴史をやりなおさないといけないのは
まともな教育を受けてない九州説の低学歴知恵遅れだからな
0966名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:46:17.78ID:f/w1jbeE0
>>964
もちろんそりゃそうよ。
獲加多支鹵大王が雄略天皇かどうかだって絶対的じゃないじゃないの。
0967名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:46:42.63ID:FzuX5EPC0
>>963
妄想するのは自由だな。
0968名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:46:52.23ID:BCZTlp/d0
三国史記で卑弥呼の使者が新羅に来てから20年後
倭国は飢饉になり新羅へ亡命した者が1000人以上いたと言うし、それが台与亡き後なのか存命中なのかは不明だが、同時期位に吉備から纏向へ移動してるんじゃねえか。
恐らくこの時点で邪馬台は消滅してるんだろ
0969名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:47:18.74ID:7Wox4Vou0
卑弥呼ってババァで
娘のとよいよ が萌え対象じゃないの?
0970名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:47:51.81ID:2QArTnFi0
神武東征といっさい関係ない
そもそもまったく時代が違う
0971名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:48:08.74ID:WTdZGI0T0
>>691
このあたりにあるはずだってアタリをつけて発掘やる以外に発見の方法ないだろ
やみくもに探すほうがよっぽど学問からかけ離れとるわ
0972名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:48:27.37ID:NUEJYL2t0
古代ギリシャみたいなもんだろ
ギリシャがやったって記録があったからといって
それがアテネだったのかスパルタだったのかって話
仮に連合だったからと言って
じゃあそれでどっかが確実に支配体制を築いたのかっていう
0973名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:48:56.09ID:2QArTnFi0
まず九州説の低学歴知恵遅れは
時代をすべて無視するからな

22 弥生時代      応神天皇(15)
21 弥生時代      仲哀天皇(14)
20 弥生時代      日本武尊
19 弥生時代      景行天皇(12) ← ヒミコの時代
18 弥生時代      垂仁天皇(11) ← ヒミコの時代
17 弥生時代      崇神天皇(10)
16 弥生時代      開化天皇(9)
15 弥生時代      孝元天皇(8)
14 弥生時代      孝霊天皇(7)
13 弥生時代      孝安天皇(6)
12 縄文〜弥生時代   孝昭天皇(5)
11 縄文時代      懿徳天皇(4)
10 縄文時代      安寧天皇(3)
09 縄文時代      綏靖天皇(2)
08 縄文時代      神武天皇(1)
07           彦波瀲武盧茲草葺不合
06           彦火火出見
05           天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵
04           天忍穂耳
03           天照の勾玉
02           天照
01           伊弉諾

びっくりするぐらい頭悪い

 建武中元二年 ⇒ 西暦57年 ⇒ 垂仁天皇86年(皇紀717年)
0974名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:49:07.07ID:FzuX5EPC0
>>966
獲加多支鹵大王・・・欠字も勝手に補ってるし読み方も解らないのに断定なんて。
0976名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:49:59.52ID:2QArTnFi0
垂仁天皇 ⇒ 「纒向珠城宮」
景行天皇 ⇒ 「纒向日代宮」
0977名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:50:26.86ID:BCZTlp/d0
そもそも天皇の記録も怪しもんだろ。
0978名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:50:44.43ID:FzuX5EPC0
>>968
>同時期位に吉備から纏向へ移動してるんじゃねえか。
>恐らくこの時点で邪馬台は消滅してるんだろ

自分で妄想して妄想を根拠にだろう?
www
0979名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:52:15.75ID:FzuX5EPC0
>>973
神話と歴史の区別が付かない知恵遅れ?
0980名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:52:19.41ID:f/w1jbeE0
>>977
もちろん怪しんだけど、
現実に近畿の勢力が朝廷になって天皇も現代まで続いているわけだから、
邪馬台国がどこだったかってのは本当はそんなに重要じゃない。
ヤマト王権の原初である可能性が高いがよくわからんで十分じゃね?
0983名無しさん@1周年
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2018/10/20(土) 16:53:47.39ID:2QArTnFi0
コレが定説
神話と現実の歴史の区別がついてないのは
むしろ九州説の低学歴知恵遅れだからな

時間と空間の設定―神武東征と即位―  そのカムヤマトイワレヒコは
よき地をもとめて日向から大和へと東征し、磐余宮で即位して初代の神
武天皇となる。これは地上における大和という地理的な特定地点の由来
を説明する物語である。ここで最重要の主題は、 神話から歴史への転換、
つまり、人間としての神武天皇という存在の位置づけである。そして
もう一つが現実的な空間的地理と時間的年代の設定である。時間につい
ては天孫降臨から一七九万二七四〇年余が経過したといい、東征の開始
の年を「是年、太歳甲寅」とし出発の日を「冬十月丁巳朔辛酉(五日) 」
としている。そして、橿原宮に即位した神武天皇元年が、辛酉年の正月
庚辰の朔(西暦への換算では紀元前六六〇年)としているのである。空
間については、出発地を九州の日向として瀬戸内海を通過し浪速、河内
から紀州へと旋回して熊野から大和の東部山中の菟田に出てそこから西
方に向かって大和盆地へ入る、という地理的関係を設定している。

ここで重要なのは大和盆地という現実的な王権発祥の土地であり、出
発地の日向については神話的な構成の産物にすぎないという点である。
先の一七九万二七四〇年余という時間が歴史時間として虚構であるとす
るならば、同時にこの日向という空間と地理も神話的な構成によるもの
である。それは、 『日本書紀』第9段の天孫降臨の一書〔1〕で、天孫
降臨の地が「筑紫の日向の」高千穂のクジフル峯であるといい、 『古事
記』でも同様で、 さらに「此地は韓国に向ひ、 笠沙の御前を真木通りて、
朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり、故、此地は甚吉き地。 」と表現
されていることからも明らかである。 「筑紫の日向の」小戸の橘の檍原
に至りまして、という言い方は、三貴神の誕生を記す『日本書紀』第5
段の一書〔6〕でも、『古事記』でも同じくみられる表現であり、この「筑
紫の日向の」という表現こそが重要な伝承である。その筑紫は地名であ
り日向はその筑紫における太陽信仰に関連する呼称である。それについ
て現実上の日向国という地理的認識を与えたのは、国郡制などが整備さ
れたのちのことであり、記紀編纂の最終段階であった可能性が高い。つ
まり、一七九万二七四〇年余という時間と日向という空間とは現実の時
間と空間ではなくまだ神話の中での伝承情報と考えるべきなのである。


九州説の珍説なんかだれも相手にしてないワケ
0984名無しさん@1周年
垢版 |
2018/10/20(土) 16:55:30.53ID:BCZTlp/d0
>>978
お前も根拠のない妄想だろ。
朝廷が邪馬台の流れだと断定して言える根拠なんてねえだろw
0985名無しさん@1周年
垢版 |
2018/10/20(土) 16:56:00.39ID:f/w1jbeE0
朝廷が滅びて今どこにあったかわからないのなら邪馬台国の場所がどこかは重要だけど、
天皇は現代にまで続いていて血が繋がってるかどうかはわからんけど、古代から連続しているわけだから、
邪馬台国は多分、近畿だろうけど、違う可能性もあるくらいで十分だよ。
0986名無しさん@1周年
垢版 |
2018/10/20(土) 16:56:19.38ID:uD5kbNk+0
邪馬台国論争なんて、決定的な根拠は見つかりっこないのだ
卑弥呼が魏から下賜された金印とか、もう発見される事はないだろう
ただ、畿内の方が邪馬台国を示す根拠となるものが揃っている
それはまちがいないって述べているだけだがね

批判するのは勝手だが
それならば卑弥呼の墓に推定される三世紀の巨大墳墓とか
九州説に欠けている根拠を示してくれない
それなら九州説も畿内説と同じ位置に戻った事を認めるから
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。

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