2019年3月10日7時54分
都庁に次ぐ高さの群馬県庁 バブル崩壊前の計画そのまま

2020年、群馬県人口は240万人になる――。そんな推計に基づいて、平成初期に建設が計画された群馬県庁舎。人口減少が進む県都にそびえる地下3階、地上33階建てビルは何を象徴するのだろうか。

新庁舎の建設に向けて、県が「県庁舎建設準備研究会調査班」を設置したのは1989(平成元)年。当時の総務部副部長で、その後、総務部長として基本設計の立案などに関わった唐沢太市さん(86)は
「単なる事務所ではなく県民に開かれた庁舎をつくろうと、フロアは100年先を見据えて余裕を持ったものをと話していました」と当時を振り返る。
当時の県庁舎は、業務や職員数の増加に伴い建て増しが重ねられた。県がまとめた建設誌によると、平成初期には行政庁舎だけで9棟、議会庁舎や県警本部庁舎を含めると15棟の分庁舎が乱立。
「不便だし、建て増しで結局高くついていた」と唐沢さん。90年には「県庁舎建設委員会」を設け、具体化が進められた。
将来人口や職員数の推計に基づいて新庁舎のフロア面積を計算。90年10月時点の県人口は約197万人で、推計では95年に200万人を超え、その後も右肩上がり。
嘱託職員や関係機関を含み、議会、警察の職員は除いた本庁職員は20年には400人増の約3千人になると見込んだ。
推計当時、上信越道の開通を控え、北関東道や北陸新幹線の工事、リゾート開発も進行。建設誌は「高速交通網の整備により、本県が北関東の中枢として、その主導的役割を果たして行くことになる」「就業機会も拡大し、(中略)人々の定住傾向も強まる」とバラ色の未来を描いている。
これらの数字に基づき、新庁舎の規模は旧庁舎の2・4倍の6万7千平方メートルで計画。91年の建設案のコンペで現庁舎案が選ばれた。

しかし同年、早くも現実は暗転した。
バブル経済は崩壊し、県への流入人口は減り始め、その後は流出が流入を上回るように。高層県庁舎の計画には批判の声も上がった。
95年知事選では、当時の現職小寺弘之氏の対立候補が「計画はバブル時代の産物。生活実感からかけ離れている」「高い県庁舎に低い福祉」などと批判の的にした。
小寺氏の再選で計画は続行。96年に着工し、建設費は県議会、県警庁舎を含め654億円。
3分の2の約434億円は積立金を充てたが、残る約220億円は起債(借金)や繰入金、国庫補助でまかない、99年に新庁舎は完成した。

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