【歴史】太平洋戦争での敗戦の原因、インパール作戦のような兵站を軽視した戦いが実行された背景に“石田三成の存在”★5
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日本の太平洋戦争での敗戦の原因、特にインパール作戦のような兵站を軽視した戦いが実行された背景には、石田三成の存在があるのではないか……。
こんなふうに書くと三成の子孫やファンに怒られるかもしれないが、この家人の出来事のあと、歴史上のイメージで真っ先に思い出したのがこの“太平洋戦争三成責任論”だった。
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三成について『戦国武将合戦辞典』(吉川弘文館)は、「武将ではあるが、その本領は軍事よりもむしろ吏務に長じ、五奉行中随一の実力者として政務の処理にあたり、内政面での功績が大きかった」としている。
その一方で三成につきまとうイメージは戦下手。映画にもなった『のぼうの城』(和田竜、小学館)で三成は、水攻めなどを用いて忍城を攻めるも、結局落とすことができず、まさに戦闘では役に立たないような武将として描かれている。
さらに三成のイメージを悪くしている一つに、文禄・慶長の役(秀吉による朝鮮侵略)での軋轢だ。奉行として渡海するなどした三成だったが、前線で戦うことはなく、その役目は食糧の輸送や戦闘状況をチェックしての秀吉への報告だった。報告の中には三成が処分を求めて実際に処罰されてしまった武将もいたものだから、加藤清正や黒田長政ら前線指揮官の武人派からは「ちくり」だと怒りを買ってしまう。
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ではなぜ、三成が太平洋戦争の敗戦に影響しているのかというと、またしても『戦国武将合戦辞典」の記述を拝借したい。戦闘能力が高かったとの記述はないが、「戦陣に臨んでも兵站関係や占領地の処理にその手腕を発揮した』とある。
■文禄・慶長の役でも兵糧が滞ることはなかった
兵站とは、戦闘地帯の後方にあって食糧や軍需品の供給・補給などにあたる活動のことだ。いくら屈強な兵士を集めても腹が減っては力も出ない。どんなに武器の扱いに熟練していても、肝心の銃や戦闘機がなければ最新鋭のアメリカ軍には太刀打ちできない。
三成はこうした兵站、つまりロジに長けていたというのだ。実際に、当時は前代未聞とされた20万以上もの軍勢を動員した九州攻めで兵站の役割をこなし、海を渡った文禄・慶長の役でも兵糧が滞ることはなかったとされる。
■「餓島」とも呼ばれたガダルカナル島
太平洋戦争では多くの日本軍兵士や軍属が太平洋の島々などで餓死したとされる。その事例として挙げられるのが、インパール作戦や、「餓島」とも呼ばれたガダルカナル島での戦いだ。太平洋戦争全体の全餓死者数の公式記録はないものの、ある研究では200万人を超える軍人軍属の戦没者のうち、餓死・戦病死者は140万人にも上るという推察もあるぐらいだ。
この三成と鋭く対立したことで知られる加藤清正は、日清戦争や日露戦争で清正を祀る神社や寺で戦勝祈願が行われるなど「軍神清正」としてあがめられることになったという。清正は朝鮮での虎退治や餓死寸前にまで追い込まれながら起死回生の勝利をあげた蔚山城の戦いなどの武功もあり、猛将と描かれることが多い(実際には熊本城築城や治水など行政手腕にも優れていたのだが……)。
まさか、「清正のように食糧がなくても気力で勝てる」と昭和の日本軍が宣伝したことはないだろうが、現在でも陰湿なキャラ設定が多い文治派武将と比べて、清正のような猛将型武将は豪放磊落とどこかいいイメージで描かれることがしばしばだ。
関ヶ原の戦いを契機として、戦争では勇ましさが好まれ、逆に三成のような兵站の重要性は省みられなくなったのではないだろうか。豊臣政権の五奉行のうち三成を含む三人が敗者となり、五奉行ではないが三成と同様に輸送や兵站で優れ、西軍の主力を構成した大谷吉継や小西行長も三成と運命を共にしたことも、兵站軽視思想に拍車をかけたのかもしれない。
小西行長を描いた『鉄の首枷』(中公文庫)の中で遠藤周作は、「主計(会計)将校の孤独」という章をわざわざ設けて、「輜重(武器、兵糧などの軍需物資)部隊の指揮官であることが前線将校の侮蔑を受ける」と記している。
これは、明治維新以降、軍隊が近代化してからも、陸軍士官学校、海軍兵学校など前線指揮官ことこそが花形であり、遠藤は「主計将校を幼年学校や陸士出将校たちがむしろ軽侮の眼で見たのは日本陸軍の伝統」として兵站を扱う人材は脇役であり続けたことと重ね合わせている。(続きはソース)
2019年5月19日
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/16169
★1:2019/05/19(日) 17:01:28.01
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1558287455/ >>93
それ以前に家康に恭順してるから降伏してる相手は家康 >>84
まあ、江戸時代は極悪人評価の方が多いか
功名が辻の三成は良い奴だったな 清正は朝鮮と結託して自分を暗殺しようとした憎っくき売国奴である
小西の家臣を登用する時点で菩薩レベルだろうな
石田みたいなゴミじゃ絶対あり得ない どの会社でも、
上司がアホやと、部下は死ぬ。
やがて会社も死ぬ。 因みに清正は当時朝鮮でも神として崇められ祠まで建てられる程の偉人だよ
奴らはそれを壊してまたいつも通りの白丁に戻ってしまったがな インドで日本軍兵士を讃える歌はなぜ現在も歌い継がれているのか?
そして、東京裁判のパール判事は何を語ったか。そのことを再教育するべきである。 アホは怖い
世の中で一番怖い
もうね一般常識がブッとんでる
格差社会だから学歴持っててもアホはいっぱいいる
できるだけアホと関わらないように暮らすのが俺の人生のテーマだ とりあえず石田みたいな無能なゴミと違い清正は有能で今でもその功績は高く評価されてる
現実は辛いなぁ石田信者よ 秀吉の挑戦出兵と太平洋戦争の間にも日本は何度か戦争してたと思うんですけど 清正は石田とか小西のような無能な売国奴とは違い
堅実的な功績を多々残してるからそれがあるから今でも信仰されてる
人に対する思慮で清正と石田では神とゴミでレベルが違うんだよ まったく関係ない
いまのジャップの頭の悪さをみれば分かるだろ >>31
インド人に勇気を与えたのが
チャンドラボースだもんな >>105
その話、ほんと? 朝鮮人が祠を建てる? >>105
清正は小西と隣り合った領地だったが
キリシタンの天草国人一揆が起きたとき
キリシタンの小西が何とか丸く治めようとしたところ
無視して皆殺しにした非道な武将だよ 石田三成も地元では名君だぜ
あと明智光秀もな
わかってる? >>61
当時、国のなかった人は
ご遠慮いただきたい >>116
辻政信ですら地元では銅像が建つんだぞ! >>115
寺社仏閣破壊仏教徒弾圧で清正に尻拭いをさせてる現実があるんだが
まともに統治すら出来ない無能程人のせいにしたがるな スレタイだけ読むと石田三成は兵站を重視してなかったかのように思えるが書いてある事は逆じゃねーか
ややこしいな 石田や小西は自分の能無しを棚に上げて人に責任転嫁
こんなゴミは日本にとっては何の利益にもならないから最初から処刑しとくべきなんだよ >>107
俺は弱みを見せた人間と関わるのが好きだな( ̄ー ̄)ニヤリ >>49
若き勇者たちやな
アカい同級生がバカにしてたっけw まあちゃんと指示与えなかった秀吉が悪い。
結果、清正前線はヒャッハー。
石田ら軍務は前線伸び伸びでどうにもならん。
石田の言い分もわかるが、前線部隊の言い分聞かず判断下した秀吉がもう老害化してたんだろう。
で組織が分裂すると。
まんま今の企業にも当てはまって草。 豊臣秀吉の天下統一は敵を遙かに上回る大軍で侵攻することによって損害をあまり出さなかったことで有名だが、その陰にはこういう優れたブレーンがいたんだな
一方、旧日本軍は少ない戦力を精神論で闘わせた結果優秀なスタッフを失いあの体たらく マラリアにかかって死線彷徨ったおかげでインパール作戦参加せずに済んだ
まさに人感万事塞翁が馬 アメリカ軍は、前線で戦う兵士より兵站に従事する人員の方が
多いし戦いが長引けば兵站を軽視する軍に勝ち目は無いわな。 ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニアっていう言葉もあるが、オランダが経済開発したジャワのバタヴィア(ジャカルタ)あたりならたいていの日本の都市より都会で豊かだったし、むしろ大喜びだろw >>1
長久手なにが言いたいかサッパリ分からん悪文。
タイトルと中身が全く逆だろ。 >>121
半島は水軍が強くて小西が無能だったわけじゃない
清正は騎馬が活躍できるような平原での戦闘にはならず短刀の弱兵を槍衾で一掃できて運がよかった 兵站の話は牟田口も分かっていたからな
インパールの強硬は日本組織の上からの命令に
イエスマンの奴が出世する事だろ 石田と小西のゴミが秀吉を騙して明と結託したせいで明に体制を整えさせ
慶長の役が始まったから秀吉はさっさと売国奴の石田と小西を処刑しとくべきだったな >>1
「possible!」
「いっしっだー、いしだー! いしだみつなりなら できますぅー」 >>133
石田と小西がゴミな現実は変わらないし今日まで残る清正の偉業も変わらないから寝言はいい 清正と比べたらゴミ以外の何物でもないのが石田
人を物としか思ってない石田みたいなゴミが上にいると上手くいかないのは歴史を見ても明らか
今こそ清正みたいな人を大切にする人間が出てこないとな >>132
それw
たまに居るよな。池沼糖質の独り言みたいな文章をダラダラ書く奴w >>137
黒田長政や佐々成政や小西行長の偉業が何故か黒田長政の偉業になってたりして
寝言言ってるのはどっちだろうって冷静な判断ができなくなってるんだろうな >>113
イギリスが、ww2後にチャンドラボースを裁判に掛けて死刑にしようとしたんだよね。
その時の、無抵抗主義者と言われていた(今でも信じてる人たちが多い)、ガンジーの対応が面白いよ。
全インドに檄を飛ばして、インド人よ武器を取れ!英国と戦おう!!!
だったのは有名。 書きなおす
>>137
黒田長政や佐々成政や小西行長の偉業が何故か加藤清正の偉業になってたりして
寝言言ってるのはどっちだろうって冷静な判断ができなくなってるんだろうな 石田を崇拝する能無しの馬鹿は何故か石田が全知全能の神で他が無能としてるが
現実では何の功績も残ってないし違和感あり過ぎなんだよ >>132
解説すると
石田三成は兵站を計算して、準備する能力に長けた武将だったが
三成自身が指揮して戦ってみると、戦には弱い武将だった
これをもって日本軍は、いくら兵站を用意周到に準備しても、石田三成は戦では弱かったではないか
つまり兵站を用意周到に準備しても、時間と労力の無駄だ
実戦では役に立たない
と兵站を軽視したってことだな
1が言っている三成のせい、ってのは
もしも三成が兵站に長けていて、さらに戦にも強かったら
後の日本軍も兵站を軽視せずに、戦って、こんな惨敗は喫しなかっただろうという意味のことを言っている >>142
清正の場合は一次資料や現存遺構を見ても明らかな功績があるんだが? >>144
仮に最後の仮定があったとしても、当時の軍部なら派手な戦力の部分だけ抽出して結果は同じだったろうなw >>141
裁判もクソもチャンドラ・ボースが墜落死したのって終戦直後だろ?
何の捏造だよ? 石田信者の頭のおかしさは=脳内で全知全能と思い込んでるからだろうな
そんな全知全能なら逸話や功績の一つぐらい残してもらわないとな 人としても政治家としても軍事家としても全て加藤清正以下のゴミが石田とかいう汚物 >>147
スカパードキュメンタリーchで放送していたんだよ。
インド人にとって、インド独立の父はチャンドラボース。
母はガンジー何だって。
父母を逆に言う人も多いけれど、ボースとガンジーのお陰と、誰もが思っているそうだ。 >>146
というか日本軍が兵站軽視していたのは三成のせいではないからな
日本軍がよく言っていた言葉
「兵は拙速を尊ぶ」の出典は孫子の兵法から
つまり兵站の準備に時間をかけるよりも、実戦では、拙速
準備不足でもさっさと攻撃したほうが戦果が上がると
そればかりやっていたのが日本陸軍
これは敵目標が比較的近くて、戦闘が短期間に終わるのなら
兵は拙速を尊ぶの通りなんだろうけど
何万人という兵力を投入して、長期にわたる大規模な戦闘でも
同じバカの一つ覚えでやっていたのが日本陸軍の敗因だと思う
逆にミッドウェイで敵空母発見の知らせを受けてから
陸上攻撃用の爆弾から魚雷に換装させるような
モタモタしていた南雲中将のほうは
「兵は拙速を尊ぶ」の兵法で陸上爆弾のまま爆撃機を
空母から発進させておけばミッドウェイで敗戦せずに済んだかもしれない 自衛隊が定員割れしてんのに
ネトウヨはなぜ志願しないのか? >>1がブレてるから、スレ内容もブレまくるよなあw
戦国だんぎか、先の戦争かどっちにしたいw この記事書いてる低能の言ってることは「補給ってロジスティクスなんですよ」
しか言ってない。トートロジー。連想して治部出しただけだろ。 石田みたいな現実功績0のたられば評価しかないゴミと比較されて
後世まで残る評価を得てる清正もあの世で苦笑してるだろうなwwww >>34
傭兵じゃなかったら食料供給しなくていいの?
米兵は大半が傭兵ではないが? 三成の駄目な部分は体面重視で戦で好機を逃していることかな。
「犬畜生といわれても勝て」とは対局の位置にいる人。 ほんと読み応えのある文章書ける思考力を日本人は
失ってしまったんだね。上辺だけ装うだけで。
しかもみんながころっと騙されて、意味あるように思っちゃう。 感情で戦うから負ける
同盟と資源と技術
この3つ揃ってれば負けることはない 石田みたいな能無し売国奴を問答無用で処刑出来る人間がいないと結局ジリ貧になるだけ
清正ですら政治力で石田を蟄居させたが処刑までは成し得てないからそれを超えるのは至難の技だろうが >>147
明治維新でいうと
坂本龍馬→チャンドラボース
吉田松陰→ガンジー
伊藤博文→ネルー
みたいな感じかな 満州事変後に満州を20年シコシコ開発してれば、アメリカと夢の同盟も可能性あったのにな。 ミリオタ評論家がさも戦国の指揮官であったら
どうするか?論評を繰り広げる。
リアル→槍持って特攻し無駄死にする係 >>166
盧溝橋、ノモンハンと手を広げまくったバカがいあから… >>151
電撃戦をやりたかったが周りはみんな海という悲劇w そうそう。満州事変まではセーフ。盧溝橋以降はアウトw >>166
そもそもアメリカは、日本がナチに接近するまではそこまで冷たくなかったし
まーそれで日本側がつけ上がった側面はあるんだろうけれどもw ぶっちゃけ石田みたいな全て能無しのゴミより全て有能な清正を引き合いに出した方が議論が活発さそうなんだがな >>166
いや、日本が満州で石油探してるのが気に食わなくて締め付け始めたのはアメリカガバメントだよ
日本政府が米のスタンダードオイルと安定供給の契約してるのに反故にさせたのがアメリカ政府 そもそも日本は三国志の張飛型の豪傑をもてはやす傾向がある
軍師みたいな裏方の仕事は呪術みたいに扱ってその大変さとかは想像もしない
こうした傾向が石田三成の評価にも表れてるってだけで、別に石田三成がこうした傾向作ったわけじゃないでしょ 秀吉は三成の忠義を知っていて
三成を買っていたのなら、せめて
三成に50万石は与えておくべきだったな
19万石、関ケ原での動員兵力が5000人では少なすぎた 満蒙の武力解決を主張した大川周明や石原莞爾は、最終的にアメリカと戦う気だったわけでしょ
満州事変が起きた段階で、対米同盟なんてありうるのかねぇ >>15
これがウヨクガイジホルホル病か 完全に狂ってるな >>35
> みんな勘違いしてるが、インパール作戦なんか成功しようがしまいが日本は戦争に負けてた
まあ日本本土はそうなんだがな。
もしかするとビルマ方面の陸軍は、ビルマの石油をたのんで本土がどうなろうがあのあたりに盤踞してだな、
大陸に王道楽土をつくれるかもしれないと、ちょっと思ったかもしれないな! 清正は明からも日本最強の武将と警戒されてたが石田みたいな能無しのゴミは眼中にない
日本でもそれは同じで石田を評価する資料なんか存在しない そんな昔のことは関係ない
参謀本部って言う口だけ出して責任を取らなくて良い部署を作ったのが間違い 第二次世界大戦まで生きていたのか石田三成
それは確かに掲示板に載せるほどのニュースだな >>176
何で売国奴のゴミに日本の領地を明け渡すんだ? >>126
WW2時の米軍の戦法ってそのまんま豊臣秀吉のやり方なんだよな
毛利配下の武将が守る城が水攻めで毛利氏が闇夜に紛れて
救援物資を送ろるが豊臣方の妨害で船が沈められたり逃げたりするところとかも 関東軍がなんであんなに暴走したのかは正直よくわからない
陸軍が情緒的な組織だったからと言うほかないけど、それにしても参謀本部のコントロールがきかなすぎだ >>1
日露戦争は兵站抜きにしたらあれだけ戦えなかったわけだが。 上級がアホだったから
テロリスト崩れだからアホで当たり前 日本は奴隷マンセーとはざいてるのが売国奴石田で
蔚山城の戦いの逸話のように仮に死んでからも相手を根絶やしにしようと復活するのが加藤清正
これを見ても次元が違う >>187
関東軍も参謀本部も陸軍省も
みんな仲間@同じ穴の狢 >>187
そりゃあ、大陸が変わればもう参謀本部なんて言ってもなにそれ、美味しいの?の世界だろ。今みたいにネットもないし。
大陸で夢見ちゃう気持ちは分からんでもないw >>175
んなこたあねえよw 柔よく剛を制す、寡兵でもって大軍に勝つみたいな話は大好き。
真田や官兵衛半兵衛や諸葛亮は人気あるし、楠正成や義経なんかも決して豪傑タイプじゃないよ 石田は加藤清正と比べて全てがゴミの汚物
比較する事すら烏滸がましい >>187
関東軍は独自の資金源を持っていたから
国から作戦を認可されなくても
独自の資金で作戦遂行できたから
いわば日本から独立した一つの国家のような存在だった
満州国は一応独立国という建前だけど
本当の独立国は満州国ではなくて関東軍だったわけ
独自の資金源とは、東京裁判であきらかにされたように
ケシの栽培をやっていてアヘンを精製して大陸でアヘンを販売して
関東軍の資金源としていた
そのほかにも、これは中華民国を弱体化するための作戦という面もあるのだろうけど
偽札を刷って、中国大陸にばらまいたりとやりたい放題
北朝鮮の麻薬密売とか偽札とか、すべて関東軍から学んだと思えるくらい似ている >>193
やってる方はそれが邪道も邪道、下も下もいいところを分かった上で選択肢がないからやる訳だが、バカは結果だけ見て選択肢あってもアホな戦略を選ぶw >>177
アメリカと戦うのは最終戦争論だろ
東亜共栄圏を完成させてからの話だ >>187
???「満蒙問題を解決するには、戦争しないとどうしようもなくないですか?」 「食料は原則現地調達!」の命令のもとに派兵された兵士は食うモノも無く
名誉の戦死と伝えられた彼らのほとんどが餓死病死だった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています