【古代】「阿波風土記」が裏付ける“邪馬台国四国説”…卑弥呼を連想させる徳島県の特徴、後継者とも関連が?★2
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前回、日本史の謎の一つである邪馬台国の位置について、実は阿波にあった?という衝撃的な説を書かせて頂いた(https://netallica.yahoo.co.jp/news/20190706-19057772-naigai)。
今回は幾つか残る『阿波風土記』の断片のうち、興味深いものを紹介しよう。その内容は、空から大きな山が阿波国に落ちてきた。その山が砕け散り大和国に落ちて、天香久山になったとされているのだ。これは何の比喩なのか。阿波で成立した国家が奈良に移動したととれないだろうか。
不気味なことはまだある。阿波出身の国学者である池辺真榛は、延喜式の研究を行い、自分の故郷である阿波国が日本のルーツだと確信した。その後、池辺は阿波藩政を非議したという罪を被せられ、文久3年(1863)に身柄を拘束され、阿波藩邸に監禁され、不審な死を遂げている。
また、日本神話において、一番最初に生まれたのが淡路島であり、その次に四国である。この四国は四つの顔を持って生まれたと言われた。讃岐と土佐は男の顔で、阿波と伊予は女の顔であった。つまり、徳島は卑弥呼を連想させる女の顔の国であったのだ。さらに、同じ女の顔とされた地域、伊予が卑弥呼の後継者「いよ(壹與)」と同じ発音なのも気になる。
徳島県阿南市椿町に位置する蒲生田岬には「因幡の白兎」伝説があり、出雲大社の元となった社も、伊勢神宮の元となったとされる社も徳島には存在する。日本神話のルーツは阿波なのであろうか。となると、悪神に殺されたヤマトタケルの御霊が讃岐まで飛んできた上、白鳥になったということは祖霊の地である四国に死後に帰還したという暗示ではないのだろうか。つまり、神武東征とは、邪馬台国が四国から畿内に攻め込み、その後、畿内に定着し大和朝廷となった事実を意味しているのではないだろうか。
それから、邪馬台国の条件の一つに、“柑橘類のある土地であった”というものがある。特別に記述したということは、ただ単に柑橘類が採れたという程度ではないだろう。かなり、柑橘類が豊富な土地であったという意味にとれる。この条件は様々な種類の蜜柑が育つ柑橘王国である徳島は申し分ない。
さらに、魏志倭人伝の記述によると、邪馬台国の山には丹があるとされている。この丹とは水銀のことを指しており、徳島は水銀の産地である。つまり、邪馬台国の候補地には水銀丹(朱)の出る山がないといけないのだ。水銀産出跡地に関しては、徳島以外でも三重や和歌山でも確認できる。だが、どれも小規模なものであり、鉱山と呼ぶには程遠い。だが、我が徳島には、邪馬台国時代から続く水銀鉱山と呼ぶべき大きめの遺跡が阿南市にある。それが若杉山遺跡である。これこそが証拠の一つではないだろうか。
しかも、不気味なことに、この遺跡の周辺には、ヒルコ神社が二十数箇所鎮座しているのだ。ヒルコ(蛭子)という異形の神が守護するこの遺跡には、何か深い意味があるように思えてならない。このように蜜柑、水銀など、状況証拠は十分にある。
そして、邪馬台国の時代から続く「阿波忌部一族」も徳島の特殊性を裏付けている。1800年続くこの一族は、一時期中断してきたが、古代から現在まで天皇家が大嘗祭で着用する麻の衣服を献上してきた。阿波こそが天皇家のルーツ。邪馬台国である証拠ではないだろうか。(山口敏太郎)
2019/7/7 23:00
https://netallica.yahoo.co.jp/news/20190707-87446039-naigai
★1:2019/07/11(木) 22:59:41.95
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1562853581/ >>186
>分銅に水銀朱が付着していたのに他にどう解釈しろとw
その水銀朱、まず間違いなく、河内忌部が持ち込んだ若杉山産だから。 悪しからず。 @阿波 >>199
まあ阿波は戸数で消える、邪馬台国の一部ならあり得るが。
戸数を念頭にするなら邪馬台国とは畿内河内湖周辺だよ。重要なのは矢田丘陵から山之辺。 どんづまり徳島で頭煮えたのかよ。
徳島邪馬台国説なんて
朝鮮半島が全ての文明の始まり主張レベル ヤマトと邪馬台国はもともとは違う勢力で
正統性を保つ為にヤマトが自分達の歴史に組み込んだ取り込んだのかな >>201
若杉山の鉱山周辺は居住というより採取に出かけている形だからな。
どちらにせよ海人の里で一定の居住集落なら河内南部だね、後々物部や蘇我の本拠地になる流れも説明出来る。 >>202
>まあ阿波は戸数で消える
はははははは、碌な弥生後期集落遺跡群もないくせに、よく言うよ。 @阿波 >>205
>若杉山の鉱山周辺は居住というより採取に出かけている形だからな。
はははははは、君も今年発表された「加茂宮ノ前遺跡」、知らないのかね? 恥を知り給え。 わははははは @阿波 >>206
阿波は畿内以上に集落遺跡群や大規模水田跡もないのだが?
畿内だとシキと名前の付くエリアからみても
河内から生駒をはさんで桜井まで及ぶから、
少なくとも元々同一国という解釈が出来る。
巻向からは海魚の骨が出るのだから日常的に
交流も確認されてるしな。 >>205
>どちらにせよ海人の里で一定の居住集落なら河内南部だね
はははははは、碌な弥生後期集落遺跡群もないくせに、よく言うよ。 @阿波 いにしえより四国は死国で、
地の果ての流刑地。
邪馬台国とは関係ないよ。 >>208
知り合いは徳島で考古学やってるよ。
石野氏とも古くから面識もある。
>>209
まあ日本史板でも自演してるの有名だからね、阿波君はw >>212
流刑地になったのは7~8世紀以降の話
流刑地なら国生みはなぜ淡路四国からはじまるの
流刑地ならなぜ三木家が四国にいるの >>210
その時代「水田」など日本のどこにも無い
江戸時代ですら稲は畑で育てていた
水田が本格的に普及したのは戦後の話だ
これを知らない考古学者がいるからお笑いだ
農業の基本も知らないくせに稲作研究とかどの口で言ってんだと 旧唐書だと、代々筑紫に住んでた(なんせ天御中主の時から住んでたとか)
皇族が神武の時代に移動した事になってるが、さてはて 中国人は数字を大きく書く性癖があるので倭人伝に記載のある距離、家屋数、日数を
まともに信用する方がアホと言う事、どうにか信用出来るのは方角だけ。 >>210
>阿波は畿内以上に集落遺跡群や大規模水田跡もないのだが?
で、畿内の集落遺跡群って、どれ? @阿波 中国の日本についての記述を見ると九州説など全く存在いないのが分かる
簡単に書くとこうなる
邪馬台国は台与の後にも滅んで等おらず男性王が立ち継続して晋、宋、斉、梁、隋と使節を送り続けている(梁書、北史)
↓
隋の時に使節を送ってきたアメノタリシヒコ=用明天皇と断定(新唐書)
↓
アメノタリシヒコは筑紫城から大和州に都を移したと記載される神武天皇の後なので都は大和(新唐書)
↓
アメノタリシヒコの都は邪馬台国と同じなので邪馬台国は大和(隋書、新唐書)
↓
アメノタリシヒコは一大卒を各地に派遣して地方を支配している(魏志、旧唐書)
一大卒のいる場所=邪馬台国の被支配地
↓
アメノタリシヒコ(用明天皇)はその後の桓武天皇などにも系譜が連続していると認識されている(旧唐書、新唐書)
白村江の戦いの当事者である唐の記録でこう記載されている
このため、王朝交代など起こってないと確定
倭から日本への変化は定説通り壬申の乱であることが確定
↓
宋の太宗が「日本は小国だが王も貴族も古代から同じ系統が維持されていて素晴らしい」と称賛(宋史)
中国は邪馬台国は大和でそれが継続していると当然のことのように了解している >>217
江戸時代の浮世絵に、田植えが描かれてるが
大概が水田のだし、流石に江戸時代は水田じゃないの >>217
無茶苦茶いうなw
杭や板を使って畔を作り区画整理して水の導線を作る者は水田の解釈だよ。
弥生時代どころか最古は縄文末期でさえその範疇だ。 >>223
「田植え」ってな
「自動刈り入れ機」を通すためにすることなんだぜ 女がリーダーになる土壌があったってことは女系社会
漢民族は男系だから漢民族の遺伝子が多く残ってる地域はアウトだろね >>224
水路いらんのよ
稲はな乾燥に強いけん畑で育つんじぇ >>221
アホの演技はするなよw
同じような質問なら日本史板で散々してきただろ。 >>225
何を言っているのかがわからない
刈り取りなんて鎌使って腰曲げてやるだけやん
コンバインやが無いと稲刈りが出来ないみたいな言い方やな >>229
ほなけんなー手で借り入れるんやったら「田植え」せんでもええでえ
わからんけ? ほんなアホやなあんた >>227
発掘される遺跡では畔や水路の痕跡があって水を引き込んだ物を水田という解釈がされる、それだけの話。 >>217
>その時代「水田」など日本のどこにも無い
いや、徳島にはあるよ。 @阿波
庄・蔵本遺跡は、阿波徳島のランドマーク、眉山の北側山麓に広がる遺跡です。蔵本キャンパスでは、1982 年に体育館器具庫地点の発掘調査を嚆矢とし、これまで30次にわたる発掘調査が実施されています。
その結果、縄文時代晩期から近代までの幅広い時代にわたる、数多くの貴重な文化財が発見されています。その中でも、弥生時代前期のそれは極めて豊富で、初期の農耕集落遺跡として、学界で注目されています。
弥生時代の始まりには、2重の大溝が居住地の周りを巡り、その周辺に墓地や畑・水田が広がっていたようです。そのほか、弥生時代中期の方形周溝墓群、後期の中国鏡、銅鐸片を発見するなどの学術的価値の高い成果をあげています。旧河道や溝などからは、土器・石器などの道具に加え、木製品・炭化種実といった有機質資料も豊富かつ良好な状態で出土しており、弥生人の生活誌の復元にも大きく貢献しています。
http://tokudaimaibun.jp/s_rist.html >>230
ますます訳判らんわ
明治大正昭和に田植えをやってた連中はコンバインを使ってたとでも?
バカじゃねーのか あれは田植えの絵とちゃうんよー
川の氾濫や台風で水の引かん畑に入って
雑草を抜いとる絵なんよー >>199
アマテラスは卑弥呼+トヨで筑紫平野の邪馬台国
ツクヨミは奴国の王
スサノオは邪馬台国目線で出雲勢力を擬人化したもの
こういうこと。
なんも知らんのに
なんぞ考えようとすんなw
考える頭もないんやけん
なんも考えんでええんじゃw >>222
阿毎多利思比孤(あめのたりしひこ)の別名は阿輩鶏彌(あはけみ)
阿波の王という意味 >>237
訳判らんアホには言われたくねえな
なーにが雑草抜きだよ。バカか >>234
>まるで違うわキチガイ
どう違うか言えないキチガイ わははははは @阿波 イザナギの左目からアマテラス、右目からツクヨミ、
鼻からスサノオは
中国の盤古神話と御井の邪馬台国、奴国のツクヨミ、出雲のスサノオの地理的位置から作られた神話。
>>209
関係ない徳島生まれだが阿波弁でレス書いたら中途半端な関西弁みたくなるけどええんか? まあ、伊勢と宇佐の中間点っぽいから
単純に分かりやすいなw >>238
>アマテラスは卑弥呼+トヨで筑紫平野の邪馬台国
「丹」の採れない筑紫平野に、卑弥呼や邪馬台国があるわけがない。 以上。 @阿波 稲は畑で育つのに
なんで水田にするん?
考えてみー
ほんまつまらん話よ
水田やいらんのにな
農家の欲だけで水田にしとんよ >>214
地元民だけどネタ的に遊ぶぶんにはいいがクソ真面目にやられたら恥ずかしさはある
まぁこれはどこの地域の歴史のもしも?を使った街興しでもそうだろうな まぁよく分からんものが割りとあるが邪馬台国だ!って言われたら違う気はするのよねぇ… ここ泡厨の隔離スレみたいなもんか
好きなだけ語っていいぞ
あとこの機会に、九州説信者を丹で完全論破しちゃってください 戦後の公共事業として
田んぼの区画整理と治水がお金の使い道にちょうどよかった
それだけなんよ
「水田」やゆうもんは土木利権のたまものでしかないんよ >>86
磐船神社もちょっとそれっぽいかな
無理無理こじつけたら、もっと海面が高い位置に
あった頃に水害があって、それに備えて
避難場所や船を用意していたけど、
時代が下りにくだって、ついでに海面まで下って、
いまや水害の心配はないってことになるかも
徳島のどの辺なん?
大津波とか来た時大丈夫そうな場所? 三種の神器の鏡、勾玉、剣は
それぞれ筑紫平野(高天原)の卑弥呼(日巫女)、
博多の奴国王=夜の食国=ツクヨミ、
出雲を表す。
勾玉は(本来は違ったのだろうが)邪馬台国の時代では月のことであり、ツクヨミ=奴国王のこと。
因みに、ツクヨミが三貴子でありながら神話ではあまり活躍しないのは、
神武が九州の神話を手土産に近畿日本に招かれて行った時点では
奴国は邪馬台国に抑えつけられてる状態で、
活躍するのはその後だから。
>>216
三木家て確か阿波忌部の出でしょ?だからそのまま荘園と歴史を継いだんじゃないの? >>251
日本最大の黄土生産地は今でもは阿蘇
それを焼くと丹になるんですが・・火山活動で既に丹になっていたものもある
前方後円墳や石棺内に丹塗りたくったのも普通に見つかってる >>244
関西の天気予報って、徳島の天気も
言ったりするもんね
下手したら三重県東部より関西扱いだ >>253
吉野川上流域の人をそう読んだりする
それと津波は沿岸域には割りと頻繁に来る、大神子海岸なんかにも一夜にして波で沈んだ島の伝説があったが調べてみると地震を伴わない海底地滑りで大津波が発生したあとが見つかったりしている >>125
ピミウォの読みも怪しいもんだ
倭人の発音を古代支那人が聞き取って
漢字で万葉仮名のように書いたのに
日本語風の訓仮名読みは排除すべき >>257
近いように見えて徳島市から神戸で1時間強、和歌山でも2時間、大阪でも2時間強と以外と時間かかるのよね…
因みに飛行機使えば東京の方がまだ近かったりするくらいだ、航路もあるし 丹は佐賀、大分から出るし
鉄は岐阜から出る
邪馬台国が何処かなんて決め手がまだなんもないから
阿波でも良いんじゃないか?
どこも衰退地域が町おこししてるだけだろ >>259
カ行音のはず。
翰苑では卑弥娥だから。 >>261
朱は普通に見つかってるよ。
祇園山古墳でも朱が塗ってあった。 「〜なのだろうか」がまんまヒストリーチャンネルの古代の宇宙人やんけw >>257
そら生駒山から西向きにTV電波飛ばしたら香川や徳島まで飛んでいくわ。
昔から大阪から放送する天気予報は香川や徳島もサービス・エリアやで >>258
上流の人たちだと海じゃなくて川の水害かな…
最近ゲリラ豪雨とかあるから怖いよね
今あらためて流域を見たら
徳島って吉野川沿いに都市が多いんだね
東日本大震災以来、伝説とか重要だなと思うわ
100年に1回の大ごとって警戒してられんけど
伝説で子供の頃から覚えてたら、なにかの前兆に
反応して早く逃げられるかもしれんもんね >>255
徳島の水田遺構は、殆ど度重なる川の氾濫によって土の下に埋もれとるけんな。
黒谷川郡頭遺跡なんかは、周り何も無い、田んぼの真ん中から突然できたんで、
もう、びっくりじゃわ。
ほれまでは、遺跡や言うんは古墳や廃寺跡や城跡みたいに、山際や、山の上にあるもんじゃとばっかり思とったけんなあ。
吉野川北岸地域は讃岐山脈から運ばれてきた土砂で、吉野川が南に流路を変えるぐらい、
堆積が進んで居るんで、だいたいの遺跡は土の下に埋もれとって、
みんな、何も知らずにその上に住んどるんだろうな。 宮崎の潮嶽神社
内陸の山の中にある
津波の被害で弱ったところに、山の民に攻められ沿岸部から追い払われたのかもしれない
2世紀半ば同じようなことが阿波で起きた可能性があるな
阿波忌部の祖大麻比古、又の名は津咋見命
ヒコホホデミノミコト(山幸)に追われたホデリノミコト(海幸)がこの地にたどり着き、居を構えたと伝えらています。
神話、海幸彦、山幸彦では山幸彦の影に隠れ、山幸彦ほど有名ではありませんが、海幸彦は隼人(南九州に居住する氏族)の祖といわれております。
隼人の祖は海幸彦。
海幸彦と山幸彦は対立していた。
海幸彦は内陸へ追いやられたとある。 >>265
辰砂の鉱脈は関西から四国、九州へと繋がっているから
国産の朱は決めてにはならないな
魏志倭人伝では魏から大量の朱を貰ったと書かれてるから
中国産の朱を探すべきだね。 >>260
昔は松茂から伊丹までYS-11が飛どって、離陸したら45分で着っきょた、
飛んだと思たら20分で着陸ルートに入るんで、あっという間だったらしんじょ。
明石に橋ができて高速バスに押されてのうなってしもた。
徳島から羽田が1時間ちょっと言うても、羽田から都心まで1時間かかるんで、
トータル3時間はみなきゃいかんのじょ。 >>256
倭人伝の時代の基本的に丹とは稀少価値のある辰砂からとる水銀朱の事。ベンガラは
赤土、代赭等書かれるからあくまで代用品。
倭人伝には鉛丹も出てくるが鉛を加熱して赤くなる粉末状の物をいう。
つまり丹は稀少価値のある仙薬なんで何処にでもあるベンガラは当時は丹扱いはされていない。
また水銀朱の毒性なんて当時は全く認識されてないよ、だから普通に仙薬として飲んだりもする。
勿論一般的に稀少な物だから飲めるのはごく一部の人間だろう。 >>273
だったら遺骨の成分で判明できるね、簡単じゃないか
なんで誰もそれを発表しないのか・・・まあ、そういうことだろ >>218
新唐書だろw
近畿日本の作り話しを嫌々認めたんだろうな。 倭人は身体に直に朱丹を塗っていたとあるから倭人が普段使っていた朱丹は水銀朱ではなくベンガラだろうな。 >>274
四国説の根拠の国産水銀朱を裏付けるには
水銀中毒の倭人の遺骨が沢山出土しないとな。 生きている人にはベンガラ
死んでいる人には辰砂
生きている人は何度も塗り直す必要があるので
安価で毒性のないベンガラを使った。 >>263
娥は鮮卑系李淵の唐代漢音でngɑだけど
客家方言、広東方言、厦門方言、厦門方言の下位方言である
潮州Teochiwなどは皆ngo=ŋɔと発音する
モンゴル人が統治した元王朝では次第に最初のng=日本語で言う
鼻濁音は消滅して現代中国語の元になった北京官話や朝鮮語では漢字音の最初に現われるngは発音されなくなった。
だから日本の漢字音読みでガ行始まりで中国語=北京官話や朝鮮語で頭子音が無い漢字は
客家方言、広東、香港方言でng始まりという法則は99.9%の確率で成立する。
宮廷女官チャングムの誓いの中で「五味子ごみし」をオミジャと発音してた。
ピミウォは朝鮮読みの可能性がある。
朝鮮人のプロパガンダには気をつけよう。 >>265
>祇園山古墳でも朱が塗ってあった。
その朱も、筑紫忌部がもたらした、若杉山産だよ。 悪しからず。 わははははは @阿波 >>276
白粉も直に塗ってるけどな。
そもそも昔は赤チンも水銀使ってたぞw >>268
>徳島って吉野川沿いに都市が多いんだね
縄文・弥生時代から、吉野川流域に集落いっぱいあるよ。
※北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)
【旧吉野川流域北岸勢力 弥生時代集落】
東州津遺跡・大柿遺跡・土取遺跡・昼間遺跡(正力地区)・昼間遺跡(天神前地区)・昼間遺跡(西貝川地区)・足代東原遺跡・薬師遺跡・吉水遺跡・田上I遺跡・拝原東遺跡・椎ヶ丸?芝生遺跡
・西長峰遺跡・北原〜大法寺遺跡・天神山遺跡・金泉寺遺跡・黒谷川宮ノ前遺跡・黒谷川郡頭遺跡・桧はちまき山遺跡・光勝院寺内遺跡・カネガ谷遺跡・桧銅鐸出土地
【旧吉野川流域南岸勢力 弥生時代集落】
ウエノ遺跡・マチ遺跡・須賀遺跡・相知遺跡・井出上遺跡・稲持遺跡・貞光前田遺跡・石井遺跡
こんなところ、どこにもないから。 @阿波 >>285
お前はそれより糞塗ってろよ近畿パーww >>271
>国産の朱は決めてにはならないな
縄文時代から、辰砂採掘してるの、全国で「若杉山辰砂採掘遺跡」だけ。 国産の朱は、若杉山産一択。 以上。 @阿波 >>271
>魏志倭人伝では魏から大量の朱を貰ったと書かれてるから
その魏からもらった朱なら、鳴門の「萩原墳丘墓」と「天河別神社古墳」できっちり使ってるよ。 ご安心を。 @阿波 >>280
>国産の水銀朱を使った遺跡とかあるの?
少なくとも、前方後円墳に使っている水銀朱は、若杉山産だよ。 @阿波 モモソ姫を念頭に置くなら
四国との関係は深いのたろうけど
共立後に都を置いたとは思えんな 神代の書は、各々の絶対的真実を追求し、その上天皇一本化を図ったものばかりである、この書は各家の記録を集め、初めて天下公式文書とし、聖徳太子の成果を付け、加えて解説し、最終文書とする。推古天皇。それが無くなってる。 >>285
昔の人は白粉で水銀中毒を起こしてたんだよ。 >>286
その程度の集落なら西日本各地に散在してるけどな。
和泉の池上曽根遺跡から鍵唐古、河内平野八尾久宝寺周辺から大和川を遡って巻向周辺まで。
二上山、葛城山両麓辺りや馬見丘陵周辺も当然遺跡だらけ。
掘れば何か出るのだから自宅から何か出ると奈良の人は皆そっと埋めて知らないふりをする。
調査が土地所有者持ちだからなw >>295
そうだよ、だが水銀の毒性が認識されたのは少なくとも弥生時代よりずっと後の話だ。 >>293
そもそも倭人伝にある邪馬台国が、卑弥呼が都とするなら国とあるだろ。
これは卑弥呼、女王を産んだ国とも解釈出来る。
また百襲が生まれた周辺は田原本にある保津、都遺跡という。
名前からするとホト、つまり女性器を意味する言葉だからな。
箸墓伝承というのはこういう部分にも掛かっているんだよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています