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【考古学】ヤマト王権トップ?の木棺、初公開 桜井茶臼山古墳 
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2019/09/10(火) 13:45:11.48ID:WrLulu0I9
ヤマト王権トップ?の木棺、初公開 桜井茶臼山古墳

 古墳時代初めの初期ヤマト王権のトップにあたる大王の墓の可能性が指摘されている奈良県桜井市の大型前方後円墳、桜井茶臼山(ちゃうすやま)古墳(3世紀末〜4世紀初め、国史跡)から出土した木棺が、保存処理を終え、県立橿原(かしはら)考古学研究所(橿考研、同県橿原市)で初公開中だ。
 10月31日まで。

 木棺は、橿考研が2009年の発掘調査で竪穴式石室から取り出したもので、コウヤマキ製で長さ4・89メートル、幅75センチ、厚さ27センチ。
 底の部分が残っていた。橿考研は15年から木棺の保存処理を進め、薬剤の溶液に2年半つけて木材を補強。
 乾燥後に約1年かけて状態を観察してきた。

 同古墳の石室は発掘調査で、大量の水銀朱が塗られていたことが判明。
 水銀朱には赤色が邪気を払うとされたほか、防腐剤の役割もあったとみられる。
 同じ時期の大型前方後円墳の多くは宮内庁の管理する陵墓や陵墓参考地に指定され、原則非公開とされている。
 桜井茶臼山古墳の調査で、大王墓級の古墳の石室の構造が初めて明らかになった。

 橿考研の東影(ひがしかげ)悠(ゆう)・主任研究員は「大王墓級の木棺を近くで見ることができる貴重な機会です。当時の姿を想像してほしい」と話す。

 公開は、橿考研1階アトリウムで平日の午前8時半〜午後5時15分。無料。
 問い合わせは橿考研(電話番号省略、ソースでご確認下さい)へ。

朝日新聞DIGITAL 2019年9月10日13時24分
https://www.asahi.com/articles/ASM954W7YM95POMB003.html
0169名無しさん@1周年
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2019/09/11(水) 00:29:01.40ID:qVwgTeOt0
>>168
ヤマト王権初期は各地の豪族が持ち回りで大王やっていたという説があるので、それと関係しているのかもしれない
0170名無しさん@1周年
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2019/09/11(水) 00:34:26.01ID:Jkb+Htln0
天皇はいうなら文鮮明みたいなもん
安倍自身もその閣僚とかも統一教会系ばっかだろ?
0171名無しさん@1周年
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2019/09/11(水) 01:03:41.96ID:FEtwskml0
弥生時代とは文京区弥生町から縄文土器とはまったく異なった土器が出土したので
名付けられた。要するに弥生時代には東日本にもすでに半島系渡来人(弥生人)が
住んでいたと言う事だ。俺の想像では九州経由では無くて能登半島〜長野〜群馬と
やって来て関東一円に住み着いたと思っている。
0172名無しさん@1周年
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2019/09/11(水) 02:12:24.94ID:vOPde6Iw0
>>3

明治初期にアメリカ人が調査して発掘品はスミソニアン博物館にある。
0173名無しさん@1周年
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2019/09/11(水) 03:53:11.27ID:e7nDmYJH0
もし今の天皇と天智天皇のDNA鑑定して違ってたら
お前誰やねんって事になるのかな?
0174名無しさん@1周年
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2019/09/11(水) 04:45:34.09ID:60UiyBuw0
天皇なら石棺、これは木棺だからせいぜい皇族、姫ならガラス棺、官僚で麻袋、下僕は俵詰め、お前らのご先祖は肥溜めに投棄
0175名無しさん@1周年
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2019/09/11(水) 04:45:34.70ID:2P6B58qN0
>>169
下手すると枕なのかもしれない。
それを卑弥呼が平定したみたいに中国に伝わったのかもしれない。
実際13歳とかで平定は無理だし。
0176名無しさん@1周年
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2019/09/11(水) 04:47:23.61ID:2P6B58qN0
枕営業が結局は神の嫁みたいな謂れになって斎王と言われたのかもしれない。
0177名無しさん@1周年
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2019/09/11(水) 04:53:09.16ID:2P6B58qN0
神の嫁とはいうが、神と言うのは結局のところ地元の豪族の象徴であって
大物主にしろアマテラスにしろ賀茂大神にしろ
0178名無しさん@1周年
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2019/09/11(水) 04:56:08.57ID:2P6B58qN0
持統天皇はプライドが許さなかったんではないだろうか?
だからアマテラスを皇祖神に祭り上げてそのお世話をするということにしてプライドを保ったんではないか?
0180名無しさん@1周年
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2019/09/11(水) 07:39:33.87ID:qVwgTeOt0
女王は西王母信仰なんかと関係があるのかもしれないけど、肥前風土記なんかみると巫女が族長の村はかなり多かったようだ
0182名無しさん@1周年
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2019/09/11(水) 09:37:53.61ID:LmMEIgrn0
卑弥呼 箸墓古墳 夏至の日の出方向から少しずれる
台与   西殿塚古墳 真北
倭姫命 尾上御陵 内宮と外宮の中間あたり 前方後円墳?円墳?

桜井茶臼山古墳は西殿塚古墳同様真北を向いてる
巫女として纏向で納税を受け付けていた台与の後継者じゃないか
0183名無しさん@1周年
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2019/09/11(水) 09:51:21.03ID:LmMEIgrn0
豊鍬入姫命巡歴
大和国 笠縫邑とか33年
丹波国 吉佐宮とか4年
大和国 笠縫邑とか8年
紀伊国 奈久佐浜宮3年
吉備国 名方浜宮とか4年
大和国 高宮神社(大神神社摂社)とか2年

台与はちょいちょい纏向に帰ってくるんだけど
丹波とか和歌山とか吉備に行ってる間
誰かが代わりを務めたはずでそれが
桜井茶臼山古墳被葬者ではないか

倭姫命巡歴
大和国 宇太乃阿貴宮4年とか
伊賀国 隠市守宮2年 伊賀穴穂宮4年 阿閇柘殖宮2年
近江国 甲可日雲宮4年 坂田宮2年
美濃国 伊久良河宮4年
尾張国 中島宮
伊勢国 桑名野代宮4年 藤方片樋宮4年 飯野高宮4年(略)五十鈴宮

倭姫命がついに伊勢神宮内宮に到着
0184名無しさん@1周年
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2019/09/11(水) 11:06:31.31ID:EBHFg8t80
強力な中央集権はもっと後の話だから、女王(斎王)をいただいた豪族が持ち回りで政務を行う感じだったんだろう
男王が立っただけで戦乱になりかけたくらいだし
0185名無しさん@1周年
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2019/09/11(水) 12:19:09.47ID:LmMEIgrn0
晋書 巻3 武帝紀
>泰始2年(266)11月
>倭人、来たりて方物を献ず。
>円丘・方丘を南・北の郊に併せ、
>ニ至の祀りをニ郊に合わせたり。

前方後円墳を思わせる記述だが
266年あたりでは真北にあわせてたんじゃないか
最新のやり方で年代想定やり直すべきやな

台与?西殿塚古墳 真北
桜井茶臼山古墳   真北
↑北

0186名無しさん@1周年
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2019/09/11(水) 14:29:18.44ID:ZO8fm3Ae0
橿原は神武天皇即位の地
日本建国の地
日本という国が始まった地
この辺とか生駒山周辺の神社は
創祀が皇紀前まで遡るから
茶臼山の古墳はワクワクするね
0187名無しさん@1周年
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2019/09/11(水) 20:16:34.03ID:J1teWQnZ0
>>180
>>181
納得
男たちが安曇族として本州を飛び回っている間、故郷ではその妻が女王やっていた
0188名無しさん@1周年
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2019/09/11(水) 21:04:13.98ID:2HMLquuU0
大和朝廷ってのは九州の邪馬台国が畿内を征服して出来た王朝なんだよなぁ
桜井茶臼山古墳にも九州人が眠っている

572 :名無しさん@1周年 :2019/09/10(火) 23:52:09.84 ID:k2WzL2jE0
>>563
古代の九州出自の人々

・神武天皇(初代天皇)
・物部氏(大連:大和朝廷のメインプレーヤーの一角)
・安曇氏(海人の宰:伊都国王の一族、古代の海上交通の支配者)
・尾張氏(尾張国造:東海の支配者、安曇氏とは同祖氏族)
・倭氏(倭国造:大和地方の為政者、安曇氏とは同祖氏族)

これだけのメンバーが九州に揃っちゃってるのに、邪馬台国は畿内ニダ!とか言ってる人たちはきっとオツムがご病気なのだろう
0189名無しさん@1周年
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2019/09/11(水) 23:02:24.21ID:J1teWQnZ0
よく古代の人物に朝鮮半島から来たとか言うけど、
飛鳥京にはペルシャ人がたくさんいたのが定説になってるから、
朝鮮半島から来たとしても朝鮮人とは限らない。通り道ってだけで
0190名無しさん@1周年
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2019/09/11(水) 23:05:16.12ID:J1teWQnZ0
・中国南部からの亡命者が半島南部を経由して来ても、半島から来ただし、
・シルクロード通って来たペルシャ人であっても、半島から来ただし、
・熊本の倭人が有明航路で半島南部に行ってから本州に来ても、半島から来た
0191名無しさん@1周年
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2019/09/11(水) 23:08:16.12ID:qVwgTeOt0
>>188
その人たちルーツは九州でも全員畿内に住んでたんだから畿内説補完してるじゃねーかw
0192名無しさん@1周年
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2019/09/11(水) 23:17:54.35ID:J1teWQnZ0
>>191
卑弥呼は倭国大乱の真っ最中の人物なので、
もし大乱がきっかけでこいつら>>188が新天地へ散っていったなら、しばらくはトップ層の入れ替わり期で朝貢どころじゃないから、
中国側の記録にあるように、トヨ以降に朝貢が途絶えていたことが理解できる

大乱前に行っていたならとも今考えたけど、
古墳が巨大化するのは、朝貢が途絶えていた謎の空白期間だよね?
トップ層が地元民じゃないからこそ、デカい古墳を作らせて地元民の経済力を削いだと考える
0193名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 01:57:50.69ID:0YsjhZXt0
>>191
三世紀までは奈良盆地内には鉄器がほとんど存在しない一方で、北部九州には鉄器が豊富
この頃の本州の鉄鍛冶工房は北部九州の海人族の進出地のみ
http://inoues.net/club6/tetu2.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg

そして四世紀になると奈良盆地内にも鉄器が増えてくる

このことは三世紀までは北部九州の勢力と畿内勢力が別勢力であったことを意味している
そして地理的条件により、畿内の勢力が北部九州を経由せずに魏とやりとりすることは不可能
ゆえに三世紀の魏志倭人伝に書かれた邪馬台国は九州以外にあり得ない

証明終わり
0194名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 02:13:59.90ID:QYJcKlKc0
>>193
四世紀に>>188の人々が畿内を東征して出来たのが大和朝廷ということか
0195名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 02:17:32.77ID:drS6wKSk0
書き込みにもあるように木棺墓だから大した地位の人物では無さそうだ
高位の人物ならば石棺墓を使うはずだし副葬品が鏡だけならショボすぎる
伊都国の平原古墳とは比較にならんな。
0197名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 02:27:31.47ID:nqs7DU0k0
https://researchmap.jp/higashikage/
阪大の院卒で論文や著書もけっこう書いてるな
なにより橿原で主任研究員やってるというのはけっこうすごい

https://name-power.net/fn/%E6%9D%B1%E5%BD%B1.html
東影姓は300名くらいしかいない希少姓で姫路市夢前町新庄が発祥
山に挟まれた南北に伸びる谷間の平地という典型的な中世の荘園で「本庄」も荘園の中心地を意味する地名
東影姓もこの地形に由来する姓だろうから多分中世まで遡る由緒あるものだろうな

前の方で在日認定してるバカはこれくらい調べてから書かないからいらん恥をかくことになるのに
0198名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 02:33:50.52ID:nqs7DU0k0
>>197
本庄じゃなくて新庄だな
そして新庄のすぐ南(夢前川の下流)が「前之庄」で北(上流)が「山ノ内」と下流から上流に向かって荘園開発が進んでいった歴史が名前に残ってるな
0199名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 02:49:31.83ID:xMNMqqA60
>>35
その「ヤマト」は「大和」じゃなくて「日本(やまと)」のこと。
0200名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 02:51:22.83ID:xMNMqqA60
>>39
俺らが中高生の時は大和時代と習った。
古墳時代なんてなかった。
ちなみに、乙巳の変もなかった。
0201名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 02:51:54.40ID:xMNMqqA60
>>40
> 科学的な調査で万世一系の神話が崩れても、天皇の存在は変わらない
そのとおり。
だから、調査をさせてもらいたい。
0202名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 02:57:19.31ID:Mss9JkGQ0
キョンシー(*´-`)
0203名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 03:08:17.50ID:xMNMqqA60
>>197
> 阪大の院卒
0204名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 03:13:21.65ID:IfjMPsZb0
李成桂はモンゴルと女真族の女との間に生まれたハーフ。
しっかりモンゴル人の名前持ってたよ。
0205名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 03:20:38.94ID:xX91Gb+S0
また九州のキチガイがわめいてるのか
出てくるのは畿内ばかり
九州なんか何もないからな
0207名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 03:43:06.95ID:1k/Tn/+V0
あんなに多額の受信料を集めている犬HKが大河ドラマで幕末、戦国ばかりというのは手抜きでなかろうか

東京オリンピックにちなんで江戸城を建てた太田道灌とか
生涯教育人材活用で伊能忠敬とか
承久の乱とか
吉備真備のでる鑑真や恵美押勝の乱
聖徳太子
奈良の大仏建立、行基
神武東征、日本武尊、神功皇后、
継体天皇、四道将軍、

古代や中世、江戸時代、いくらでもネタがあるだろ
0208名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 03:52:05.92ID:3QlEJGDb0
>>193
邪馬台国までは完全に九州だね
4世紀に畿内に移動してきて>>1になったのか
>>33>>131みたいな話もあるし
0209名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 04:00:07.89ID:1k/Tn/+V0
鉄器とか大陸とのコネクションを手土産に九州から畿内に移住して葛城氏にマスオさんして成り上がった
神武さんは実在したような気がしてきた
0210名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 04:21:53.79ID:5LDvDa7x0
古代ジャワ大国はインドネシアで復活する!!!!!!!!!
0211名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 04:55:45.37ID:xX91Gb+S0
移動してきてとか馬鹿か
まったく逆だから
西から東に土器は移動してる
0212名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 04:56:03.63ID:xX91Gb+S0
東から西に
0213名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 04:59:09.99ID:oi/WsS3X0
九州の人が九州にあったって大騒ぎするんだろ 畿内に決まってる
そんな簡単に国の中心が移るわけないだろ
0214名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 07:05:59.72ID:KWdo2+LU0
>>188
> 尾張氏(尾張国造:東海の支配者、安曇氏とは同祖氏族)

尾張氏は物部氏と同祖だよ。
0215名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 07:14:27.21ID:Yqnkp/cF0
結局尾張氏は豊玉彦の子孫なのかアメノホアカリの子孫なのか結論はでないな。
系図からするとアメノホアカリっぽいが
0216名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 07:16:17.18ID:Yqnkp/cF0
九州より東海の方がポリネシア遺伝子濃いから方向逆なのかもしれんし
ようは海人族は東海→九州
0217名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 07:19:13.87ID:Yqnkp/cF0
縄文時代は東の方が栄えてたから、九州とかに開運の拠点があっても不便なだけだから東海にあったかもしれんな
0219名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 08:13:34.57ID:Yqnkp/cF0
ニニギだって伊勢の猿田彦が九州まで連れてったんだよ。
たぶん船で
国や海を照らしてたんだから猿田彦は
0220名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 08:17:59.49ID:Yqnkp/cF0
木曽川長良川は歩いて渡れないからそっから先は海を船で行くしかない。
0221名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 08:22:49.54ID:bZ3hHRki0
クロネコちゃうんかい!
0222名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 08:24:52.98ID:1JukmJSx0
卑弥呼の墓ニダ
0223名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 08:25:49.18ID:1JukmJSx0
>>186
今でも皇紀を信じてる男の人って
0224名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 08:27:30.02ID:zwxCgnph0
>>173
万世一系なんて概念上だけの建前みたいなもんだろう
別に今の天皇が天皇であることには変わりない
0225名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 08:27:44.58ID:1JukmJSx0
>>220
ちなみに古代は伊勢湾が今の大垣市あたりまで入り込んでたらしいぞ
0226名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 08:28:13.31ID:6F/G0dEV0
水銀朱なんてそこらじゅうの古墳に塗られてて
珍しい物ではないけどな
0227名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 08:32:53.83ID:zwxCgnph0
>>226
んだね
うちから徒歩5分の古墳にも
ベンガラに混じって朱が使われていた
0229名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 08:33:33.41ID:1JukmJSx0
>>29
その中身と後世のヤマト王権が別の可能性
0232名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 09:05:45.89ID:KWdo2+LU0
>>218
『日本書紀』には尾張氏の遠祖は「天香山」と書かれているよ。

> 而生児天火明命。次生天津彦根火瓊瓊杵根尊。其天火明命児、天香山、是尾張連等遠祖也。

「振魂命」というのは聞いたことがないけど、ひょっとしたら尾張氏の先祖の一人なのかもしれないね。
ちなみに、熱田神宮の摂社である高座結御子神社では「高倉下命」を尾張氏の祖神として祀っているらしい。
0234名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 09:11:50.21ID:Yqnkp/cF0
天香山の兄弟か子供の天村雲の子孫が伊勢神宮の渡会氏だよ。
0235名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 09:14:02.08ID:Yqnkp/cF0
伊勢神宮はもともとに饒速日系が祀ってたんだと思うが、どちらにしろ祖はアマテルかアマテラスなので同じと言えば同じだが
0236名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 09:18:13.35ID:drS6wKSk0
北部九州の豪勢な出土品が出てきた古墳と比べたら非常に見劣りするから恥ずかしいだろう
さっさと埋め戻した方が良い
0237名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 09:36:20.70ID:1uzuojfT0
しょぼwwwwwwww

さすが土人国家w
0238名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 09:53:40.38ID:cJYIoU560
>>193
渤海あたりから、日本海側へ渡航するルートや、樺太・蝦夷経由で東北へ渡航するルートもある
0240名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 09:58:27.46ID:x33iLvxK0
天皇は最近では孝明天皇と明治天皇に血が繋がってないのは確実だよね
南北朝時代にも血が途絶えてるし、嘘を塗り固めた王族だよ
0241名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 10:06:33.35ID:o5oNev+c0
>>238
ちなみに弥生後期になると丹波など日本海側での製鉄が盛ん
直接ルートもあるかもしれないけど、九州から日本海経由ルートも比較的安全な航路
0242名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 10:10:53.77ID:o5oNev+c0
畿内説最大の謎は、唐古・鍵遺跡あたりでずっと銅鐸つくってたのにいきなり鏡信仰の遺跡が至近距離にドカドカできること。
この茶臼山古墳も唐古・鍵遺跡の近くだし一体何があったんだろう
0243名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 10:40:11.54ID:bhZYX3nQ0
>>236
王朝が奈良であることは疑いようがないからな。
連続性が切れるだけで
0244名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 10:52:24.27ID:uEdCnjFR0
>>150
その頃の倭は古代の地中海諸文明みたいに、汎日本海・東シナ海文明だったんだろ
周辺人口が増えてくると飛び地状態の陸の国境の防衛が困難になり、海洋国家から内陸国家に移行する
0245名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 11:15:01.58ID:mKyBY0ya0
縄文時代東日本産の黒曜石や珠や貝が沿海州から長江付近まで幅広く見つかるからね
統一国家としての大和朝廷建立以前は各地に王がいた連合国家だし広域海洋交易を行っていたわけでどこが中心と論争するのはあまり意味がない
魏と国境を接している半島南部は北部九州の勢力圏だったから朝貢(国交を持ち交易すること)していたのだろうし
0246名無しさん@1周年
垢版 |
2019/09/12(木) 11:16:49.87ID:o5oNev+c0
半島南部からは糸魚川産翡翠の勾玉がたくさん出土しているしな
0247名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 11:28:57.09ID:CyEeLYOW0
>>165
檜原神社が大神神社の境内にある?

ないわ
またウソ吉かよ
0248名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 11:28:57.34ID:o5oNev+c0
>>245
広域海洋交易を行っていた多国籍国家だから、渡来系の神社が多いのも当たり前なんだよな
逆に、任那の記録をみると日本国内に基盤をもつ氏族がずらりと並んでる
0249名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 11:34:42.27ID:iBSU9Trx0
江上の騎馬民族説は空想が土台になっているので
考古学的にも人類学的にも全く実証性がないもので
現在では盲説扱いとなっている


♦♦日本の超一流学者 ♦♦

・田辺昭三
この説はこれが提唱された時代の要請の中で生まれた産物。


・佐原真
かつて騎馬民族征服説という仮説がありました。
騎馬民族の王侯貴族が組織的な騎馬軍団を率いて
日本にやってきて征服王朝をたてるということはなかった。
人びとの心の奥底では、日本が朝鮮半島や中国などに
対して近い過去に行ってきたことの償いの役割を、果たした
のかもしれない。


・岡田英弘
完全なファンタジーであって、なんら史実上の根拠はない。
江上波夫が創作した、 新しい神話。
騎馬民族説には何の根拠もないですよ、あれは全くの空想。
0250名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 11:34:46.76ID:o3cLIU3S0
>>150
新羅の四代王が丹波出身とか邪馬台国関連じゃなくても色々ありそうだけどな
0251名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 11:36:04.03ID:8Sy6KPNx0
安本美典教授 〔1〕

韓国や北朝鮮の方々には、とかく、日本の言語も、文化も、
天皇家なども、ほとんど全てが、朝鮮半島からきたはず
だという、強い『思い込み』があるようにみえる。
しかし、 そうであって欲しいという『願望』は、必ずしも、そうで
あるという客観的事実と一致しない。


※ 『』は原文そのまま
0252名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 11:36:15.42ID:8Sy6KPNx0
安本美典教授 〔2〕

韓国の言語学者でも、ソウル大学の李基文教授は、
『日本語と朝鮮語との比較作業の結果、確実にいえる
ことは非常に少ない』
と述べている(『言語 一九七四年 二月号 )。
0253名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 11:36:28.21ID:8Sy6KPNx0
安本美典教授 〔3〕

さて、さる六月に、私の主催している「邪馬台国の会」が
開かれた。その会で、韓国出身の統韓鮮氏が、「『万葉集
論争』を論評する」というテーマで発表を行なわれた。
その発表のなかで、私の先の文章をとりあげて、統韓鮮
氏はいう。
「安本先生は、ご本のなかで、この文章のように述べて
おられますけれども、日本の古代の文物のなかで、朝鮮
半島を通じてこなかったものには、何があるのでしょう。

私が答える。
「私も、朝鮮半島の古代の文物について、非常にくわし
いというわけではないので、ご存知であれば、この機会
に、教えて頂きたいと思うのですが、ふつう、日本の神社
建築の、高床式建築法、千木、鰹木などは、南方から来た
習俗といわれています。
現在でも、中国の西南部の雲南省などにすむタイ族な
どの住居には、高床式建築法、千木、鰹木などが見られる
といわれます(その写真なども、 よく本にのっています)。
また、下駄なども、中国の南部でみられるといいます。
0254名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 11:36:41.01ID:8Sy6KPNx0
安本美典教授 〔4〕

統韓鮮氏がいう。
「高床式建築法、千木、鰹木などは、日本では何時頃
から見られたものですか」

私がいう。
「弥生時代からあったといわれていますが、……。」
ここで、会場の参加者から発言あり。
「銅鐸の絵画、家屋文鏡の絵からいって、弥生時代から
あったのではないでしょうか。」
ディスカッションが行なわれたが、やはり朝鮮半島には、
高床式建築法、千木、鰹木などは、見られないようである。
0255名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 11:38:24.23ID:zFVz3pIm0
こ汚い木棺が王だと(笑)これだから倭猿(笑)
お前たつの卑しい生まれを呪うがいい、ギヤハw
0259名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 11:47:27.84ID:5ZOwLLay0
在日韓国人はバ◯の一つ覚えのように、兄の国
と言いますが、
韓国人は日本人の祖先でも兄でもありません。
遠い海の向こうの赤の他人の国なのですよ。


【令和考案】

中西進教授
「日本に逃げてきた渡来人、血統で見ると大和人ではなく韓国人だ」


「日本に逃げてきた渡来人、血統で見ると大和人ではなく、韓国人だ」

は、

『日本に逃げてきた渡来人は、血統で見ると縄文D遺伝子のある大和人ではなく、D遺伝子の無い(北部蒙満に蹂躙征服された同系扶余や穢族の)韓国人だ』


という意味だからね。

さすが文系の学者のトップは理系分野の最新の知見を押さえているわけ。
0260名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 11:53:33.06ID:drS6wKSk0
日本列島に来た弥生人は中国南部の風習を強く残していてもそれ以降になって
朝鮮半島から大勢の渡来人が畿内や関東に押しかけて住み着いたから
最初の土着勢力だけの事だけを知っても何の意味も無い。
0261名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 12:11:27.75ID:2NI5Du8K0
本州のおおよその地域で弥生時代の弥生人のはずの人骨が形質レベルでも縄文を残し、DNAレベルで縄文素性だという報告が相次いでるからこれまでの弥生が縄文を圧倒のようなイメージが無くなったとか科博の篠田氏までが言ってるね
0262名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 12:13:16.95ID:x7fO6wAl0
🌟新羅本紀🌟

弥生後期〜古墳時代
 
高句麗が調子乗り出すまで 百済を瀕死にまで虐め抜いた残虐新羅が
当時の日本国にボッコボコにされている様子、朝鮮半島側の記録
戦後長い間、韓国忖度が続いてだれもが議論しなかっただけで
当時の百済人に呪われるほど憎まれた新羅が倭国人からボッコボコ状態


14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。
57年 4代王「脱解尼師今(一云吐解)立。時年六十二。姓昔。妃阿孝夫人。脱解本多婆那國所生。
其國在倭國東北一千里」脱解は多婆那国で生まれ、その国は倭国東北一千里にあり。(注:中国の1里は約400mであるので、一千里は400kmとなる。)
59年 夏の五月に倭国と友好関係を結んで修交し、使者を派遣し合った。

73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角干羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。
121年 夏四月に倭人が東の辺境を攻めた。
123年 春三月に倭国と講和した。
158年 倭人が交際のために訪れた。
173年 倭の女王卑弥呼が使わした使者が訪れた。(「二十年夏五月。倭女王卑彌乎。遣使来聘」)
193年 倭人が大飢饉となり千余人にも及ぶ避難民到来。

208年 夏4月、倭人が国境を侵す。奈解王は将軍昔利音に反撃させた。
232年 夏四月に倭人が金城を包囲。
233年 五月 倭兵が東辺を攻めた。
249年 夏四月に倭人が舒弗邯、昔于老を殺した。
287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。1千人を捕虜にして立ち去った。
289年 夏五月に、倭兵が攻めてくるということを聞いて、戦船を修理し、鎧と武器を修理した。
292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。
294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。

295年
春 王が臣下に向かって
『倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、百姓が安じて生活することができない。
私は百済と共に謀って、一時海を渡って行って、その国(倭)を討ちたいが、皆の意見
はいかがか?」ときいた。

これに対して、舒弗邯、弘権が
「われわれは海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。いわんや百済は偽りが多く、常にわが国を呑み込もうと野心をもっておりますから、かれらと共に謀ることは困難だと思います」と答えた。
王はこれを聞いて「それもそうだ」といった。


これに対して、舒弗邯、弘権が、

▶「われわれは海戦に不慣れでございます。
冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを
恐れます」

※当時から海に不慣れな新羅人が明確。
この後も新羅、百済の両国とも人質を日本に差し出し朝貢する日本の被支配国である。
0263名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 12:14:07.22ID:AH3E5k3l0
猫は、猫わ、埋葬されていなかったの?
0264名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 12:16:21.97ID:nTB+mcJ20
>>3
> そんなに知りないならさっさと仁徳天皇陵を調査すればいいのに

ハングルで書かれた古文書が出てくるかもしれないから、調査できないんだろう
0266名無しさん@1周年
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2019/09/12(木) 12:51:43.46ID:o5oNev+c0
>>263
定説ではぬこは遣唐使船とともに渡ってきたことになってるけど、もっと古かった可能性もある
0268名無しさん@1周年
垢版 |
2019/09/12(木) 13:35:08.34ID:9vIIAqoh0
>>264
続きは新大久保のトンスルホットドック食べながら店前の雑談でどうぞ
0269名無しさん@1周年
垢版 |
2019/09/12(木) 13:56:11.86ID:uVjAiAWu0
>水銀朱には赤色が邪気を払うとされたほか、防腐剤の役割もあったとみられる。

前漢の旧楚地域の棺でも使われていたんで驚いてる。
馬王堆漢墓
第三棺は朱漆塗の上に龍・虎・朱雀・仙人などを彩色して配した瑞祥図が描かれていた
漆、木炭、白膏泥、辰砂(いわゆる朱)、香料が防腐に役立った
遺体が浸っていた液体には辰砂が含まれており、防腐の役割を果たした

副葬品の中に絹に絵を描いた帛画の絵柄が、九州だかの古墳の壁画の題材とよく似ている。
赤い太陽の中には黒い鳥が、左側の三日月の中にはひき蛙が描かれている。これらは『淮南子』の「日中に?烏(しゅんう)有り、而して月中に蟾蜍(せんじょ)有り」をその通りに描いている。
太陽の下にいる竜の傍らには8個の赤い円が描かれている。これは?が9個の太陽を射落とした伝説に関係すると考えられる。
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