田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)

 今年4月、東京・池袋で自動車の暴走事故を引き起こした旧通商産業省工業技術院元院長が、書類送検される方針が固まったことが、捜査関係者の話としてマスコミに報じられた。この暴走事故で、はねられた母子2人が死亡し、元院長と同乗していた妻を含む男女8人が重軽傷を負った。誠に悲惨な事件であった。

 事故現場は、筆者も30年ほど利用する生活道路というべき所で、事故当日も現場の近くの都電を利用していた。道路は事故後の対応で、警察によって閉鎖されていて、物々しい雰囲気が漂っていた。

 重軽傷を負われた方の精神的や肉体的な後遺症も深刻だろうし、亡くなられた小さいお子さんとお母さんのことや、残された遺族の心中を思うと、本当にやりきれない気分になってしまう。車の運転を行う者としても、慎重で安全な運転をしなくてはいけないと改めて自戒している。

 また、この事件を契機にして「上級国民」という言葉が注目を浴びた。身柄を拘束されないことや、また「容疑者」ではなく常に「元院長」などの肩書で、テレビや新聞などで呼称されたことも問題視されていた。

 「特権」的な優遇がありはしないか、そう多くの国民が考えていたため、元院長に「上級国民」という言葉が与えられたのだろう。だが、筆者はこの論説であえて「飯塚幸三容疑者」を使わせていただきたい。

 飯塚容疑者は当初「ブレーキをかけたが利かず、またアクセルが戻らなかった」と証言していたという。だが、捜査関係者の話では、事故直後から車に異常は認められなかったことが明らかになっており、飯塚容疑者がブレーキとアクセルを踏み間違えた疑いが極めて強い。

 飯塚容疑者本人も最近では、踏み間違いを認める証言をしているという。書類送検の結果が、飯塚容疑者に対する重い罰則になることを、筆者はやはり願わずにはいられない。なぜなら、飯塚容疑者の現在の発言があまりに無責任で、信じられないくらい人の道を違えたものだからだ。

 あくまで私見であるが、飯塚容疑者の犯した罪は法規にのっとり、厳正に処断されることを期待したい。彼がいわゆる「上級国民」や高齢であろうがなかろうが、法は誰にも等しく適用されるべきだと思う。

東京・池袋で起きた死亡事故で、実況見分に立ち会う旧通産省工業技術院の飯塚幸三元院長(中央)=2019年6月
東京・池袋で起きた死亡事故で、実況見分に立ち会う旧通産省工業技術院の飯塚幸三元院長(中央)=2019年6月
 日本銀行前副総裁で学習院大の岩田規久男名誉教授は、著書『福澤諭吉に学ぶ思考の技術』(東洋経済新報社)の中で、明治の啓蒙(けいもう)思想家、福澤諭吉の議論を借りて、次のように述べている。

 多くの日本人の責任の取り方は、福澤(諭吉)のいうように自己責任を原則とする個人主義とはかなり異なっている。自己責任を原則とすれば、裁くべきは法に照らした罪であり、世間が騒ぐ程度に応じて罪が変わるわけではない。メディアは力士が野球賭博をすると大騒ぎするが、普通の企業の社員がしても記事にもしないであろう。しかし、どちらも法を犯した罪は同じであるから、メディアがとりたてる程度で罪の重さが変わるわけではなく、同じように自己責任をとるべきである。

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