【三重】伊勢市の倉庫でオイルショック時に備蓄した大量のトイレットペーパー見つかる…ウタマロ ソフト、ソフトペンギンなど
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伊勢市出身の女性が3月1日、親族がオイルショックの時に購入していた大量のトイレットペーパーの写真をSNSにアップした。(伊勢志摩経済新聞)
同女性によると、SNSに「トイレットペーパーを大量買いしているみなさ〜ん、数十年後、こんなして発掘されますよ。(笑) 母よ、お前もか!」(原文ママ)と書き込み、衣装ケースの中に入ったトイレットペーパーの写真1枚とふたを閉めた衣装ケースの写真1枚をアップしたところ、普段の4倍のいいねとコメントが寄せられたという。
写真のトイレットペーパーは、「ウタマロ ソフト 55メートル」(4ロール入り)が7セットと「ソフトペンギン2枚重ね32.5メートル」(同)1セットの計8セット(計32ロール)。写真には写っていないがほかにも衣装ケースの中にたくさんのトイレットペーパーが見つかったという。
女性に確認すると、実家の倉庫を掃除していたところ、保存状態のいいトイレットペーパーが大量に発掘され驚いたという。「母かと思ったが、実は祖母が1973(昭和48)年のオイルショックの時に購入した物だった。当時の情報源はテレビだけだったため、テレビを見た祖母が心配になって私たちのために買ってくれたのだと思うが、倉庫に片付けたまま忘れてしまったらしい。父から、しばらく本当にトイレットペーパーが売り場から消えてなかなか買えなかったと聞いた」と話す。
このほか、1971(昭和46)年のニクソンショック(ドルショック)の際に大量の生活用品などを購入し、机の上に並べている当時28歳の実母の写真も見つかったという。アルバムのメモ書きには「ドルショックにそなえて買いだめです 歯ブラシ さとう スリッパ クレラップ テューブ たわし 電池 ハシ 等」「ズバーッとお金を使うのって いい気持ちです ストレス解消 約2万円だったかナ」(原文ママ)とある。
女性は「ドルショックの時にはものが値上がりすると言われ、消耗品を買いためたと聞いている。この時は消費税の駆け込み需要のような感覚だったのかもしれない。母のメモ書きから、主婦のストレス発散だったんだと思った。(現在のトイレットペーパー売り切れ現象も)今の政権のさまざまな疑問が解決されない問題や、連日の新型コロナウイルスの報道による不安なども、知らず知らずのうちに主婦たちのストレスとなってたまっているのでは。もしかしたらストレス発散の方法さえあればトイレットペーパーの買いだめも解消されるかもしれない」と話す。
3/5(木) 9:46
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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200304-00000058-minkei-l24
https://lpt.c.yimg.jp/amd/20200304-00000058-minkei-000-view.jpg 一度でいいから見てみたい 女房がクソ紙隠すとこ ウタマロです 5000円札で拭いて洗ってトッポギを食いに行って払う 平成に入ってからでもボットン便所のところはちり紙だったなあ >>98
それはちり紙交換でもらうやつ。
店に売ってるネピアとかは今と同じような包装だった。 汲み取りだった田舎は都会のパニックが理解できなかったな ウォシュレットを発明した方に感謝。
大腸の手術から数年、トイレの問題は切実なのよ…… 定期的に備蓄すればいいのに
数十年前のとか使いたくない >>86
そんな時期だよね
48年くらいにちょうど引っ越したけど新居は水洗だった うちも親が死んだとき、実家からオイルショック時に買いだめしたトイレットペーパーが大量にでてきた。 >>90
さすがに昭和40年代になったらどの家でも水洗だったぞ
うちの実家は30年代中盤に建てたが、まだ珍しい水洗で
姉が怖がっていたときいた。 55mのケチケチシングルは当時からあったのか?
32.5mのダブルの方はさすが昭和やな
最近22.5mのダブル見て、開いた口が塞がらなかったわw >>1
ただのあほやん
備蓄使わずにしまってたあほやん SARSの時のサージカルマスクが段ボール箱で残ってたから近所に配ったわ >>108
アメリカ人に感謝やなw
元たどればフランスのビデだけれども トイレのホルダーに紙がない時の恐怖感はトラウマもの >>1
色んな物にバーコードがついてきたのは昭和の終わり頃 >>113
俺んち転勤家族で秋田とか横手とかにいた頃はくみ取り式のボットンだったw
42年生まれだけど 地域かな こんだけたっても消費しきれないって…忘れるのも頭悪すぎ 10000万円札でクソふき洗ってキムチでも食べてはらう 拭いてみて お尻に感じた 紙のやさしさ
「あぁこれは四十年ものだな・・・」 ウタマロだ! 今も使ってるよ
田舎の実家のボットンは 四角い ちり紙だった
ボットンの💩さんたちは、海へ放流して 養分にでもしてくだされ
海を少し キレイに し過ぎました
ゴメリンコ >>113
日本って最近まで下水道普及率がメチャクチャ低かったんだが あの頃って今の主流の箱入りのティッシュペーパーって無かったか、ほとんど普及していなかったよな。
ビニール袋で梱包されていたちり紙(ティッシュペーパーなんかより遥かに紙質が悪い)を買って、使うときは籠に入れていたと記憶している。 >>113
世田谷だったけど昭和40年代後半でも汲み取り式は沢山あった
まだまだ田舎だったからな もう劣化しまくりでケツなんか拭ける状態じゃないだろうな 当時の2万って結構な金額だろ
ストレス発散にしては買いすぎw いいタイミングで見つかってよかったね。苦しんだ挙げ句にどうでもいいタイミングで発掘さらるとヤリキレナイ 隣の愛知県民だけどウタマロもソフトペンギンも知らんわ
関西で強いメーカーなのか? インディジョーンズ最後のトイペ
トイペを買って 溜めこんだやつは、タメリス族と呼ばせてもらおう なんで、スリッパを買いだめする必要があったのだろうか? うちもオイルショックまではいかないが、販促の中畑清タオルと一緒にトイレットペーパーが出てきた 三重県出身だからか戦中の配給経験のせいかは分からんけど亡くなった祖母もやたら備蓄する人だった
醤油やソースも常に3本位はストックが無いと落ち着かなかったらしくて狭い台所がますます狭くなる
田舎は店が遠いのも一因かなあ これはオークションで売ってもいいだろ
賞味期限過ぎとる 田舎は便所チリシでトイレットペーパーじゃなかった。
1人一個とかでわけわからず並ばされたら子供はダメよーとか
言われた記憶がある、ぼっとんしかない田舎だったのでトイレットペーパーは
売り切れじゃなくて、ばあちゃんが大阪の都会にいる息子、私からだと叔父のために
買って送ってあげてた記憶がある、母の愛はいつの時代も同じ。 >>12
>>100
北海道といえば、尻尾一丁のエゾリス達が、エサを求めて木から木へと飛び交う、
勇壮な在来種として、この地方に知られている。
秋が終わり冬へと向かうと、木々の葉は枯れ始め、寒さに備え始める。
木の実は、次の世代を残すために枝からボロボロ落ちるから、土の上に、野ざらしにされる。
俺はいつもそれが狙いだ。
落ちている木の実の、できるだけ形のよいものを10数個ほど、
こっそりさらって巣に持ち帰る。
そして、深夜、俺一人の祭が始まる。
俺はもう一度部屋中にかっさらってきた木の実をばら撒き、
ウォーッと叫びながら、木の実の海の中を転げ回る。
拾ってきた木の実は、土の臭いがムンムン強烈で、俺の食欲を刺激する。
頬袋の中が、もうすでに痛いほど広がってしまっている。
木の実の中に顔を埋める。臭ぇ。
土臭、青臭さや、どんぐり独特の苦い臭いを、胸一杯に吸い込む。溜まんねえ。
臭ぇぜ、ワッショイ! 木の実ワッショイ!と叫びながら、どんぐりを拾う。
嗅ぎ比べ、一番苦味がキツイやつを主食に選ぶ。
そのどんぐりには、樹液の染みまでくっきりとあり、ツーンと臭って臭って堪らない。
その木の実を付けた木は、森で一番風格のあった樹齢40代の、
クヌギの木だろうと、勝手に想像して、鼻と口に一番臭い部分を押し当て、
思いきり嗅ぎながら、クヌギ野郎臭ぇぜ!俺が食ってやるぜ!と絶叫し、
前歯をいっそう激しく動かす。
そろそろ限界だ。
俺は頬袋からどんぐりを引き出し、自分の腹の中に、思いっきり種付けする。
どうだ!気持良いか!俺も良いぜ!と叫びながら食べ続ける。
クヌギ野郎の木の実は、俺の胃液でベトベトに汚される。
クヌギ野郎、貴様はもう俺のもんだぜ!
俺の祭が済んだあと、他の木の実とまとめて、頬袋に入れたのを土の中にしまい込む。
新たな食料を手に入れられないときに備えて、非常食に使う。
ときどき自分が仕舞ったことを忘れて春に芽を出すこともあるんだぜ なあ、
おそらく溶けないトイレットペーパー
いる? >>57
進化ってw未婚率出生率見れば退化なのは明らかだろ オイルショック当時にストレスという単語は一般的でなかったが >>157
それだけ世の中が明るかったということだな。
辛いことがあってもすぐに回復する。
今は辛いことが延々と続く。
だから世の中も世知辛い。 俺は小屋にマスク置いてるの思い出して今日見つけたわ
ちょっと使っていたので40枚程度しかなかったが、これで残りが400枚くらいに回復した マニアや製造会社の社歴にと高く売れたりする価値あるかな? 1973年ったら、うちはボットン便槽だったからチリ紙だったな
田舎の親戚とこ行くと、グレーの黒チリ紙つかってた ボットン便所でトイレットペーパーを使うところにおしゃれ感を感じていた昭和 >>156
それだとチョン国も退化になってしまうぞゴキブリ在日 時代物を撮影する小道具として映画会社が買い取ってくれそう >>10
今の東邦じゃ無くて、前のウタマロ本舗(宮井産商)時代のもの。
落とし紙のウタマロブランドを生かして石鹸をOEM供給してもらってたけど、
廃業して無くなった後に「作って!」という声に応えたのが、今のウタマロ >>174
うちの実家田舎すぎて今でもボットン
水道引こうとしたんだが、行政に問い合わせたらなんせ山の中の一軒家だから
単独で水道引くことになって200万かかるんだと
仕方ないので今も井戸のまま
(電動ポンプでくみ上げて家に行き渡らせてる)
利点は新聞紙でもケツふけることくらい >>178
NHK連続テレビ小説で、オイルショック風景をこれで撮影 >>155
チリ紙だって溶けたんだからトイレットペーパーだって溶けるようにしてたでしょ カメヤマローソクが写ってるけど
パッケージデザイン変わってないんだな >>48
今の時点で欠品してるのってバカしかいない土地だがなw 使わずに記念にとっておいただけだろ
少量じゃね
今、一年分買い溜めしても一年買わずに生活するだけじゃん
毎月買うのと同じじゃね? ウタマロってトイペ作ってたんだ
これならメルカリで出品しても許す >>16
ゲームとか本とか、買ったことに満足してやらずに積み上がっていく……… >>186
お前んちの周辺なんてコロナが、騒ぎになってること知ってる人間がそもそも居ないだろ 昔、歌麿呂っていう名前のトルコ風呂が多かったような記憶がある 今後も折につれトイレットペーパー不足は生じるだろうな
流通の問題だから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています