経済への影響が東日本大震災やリーマン・ショックと比較され始めたコロナショック。とくに大きなインパクトを受けているのが飲食店だ。外出自粛などで宴会や歓送迎会がなくなり、
客足がぱったり途絶えた各地の飲食店は、さまざまな知恵をこらし、客を呼び寄せようとしている。

「コロナウイルスの影響は、10年前の口蹄疫のときとまったく同じだ」。宮崎県で飲食店や食品加工を手がける村岡浩司さんは、北海道知事が2月28日に緊急事態を宣言したのを見て、まさしく10年前の状態と同じだと感じた。

宮崎県では2010年春に家畜の伝染病である口蹄疫が蔓延し、東国原英夫知事(当時)が5月に非常事態を宣言した。当時の宮崎は東国原知事のトップセールスで観光産業が急成長しており、口蹄疫による反動は一層大きいものとなった。

村岡さんは「家畜の移動制限が課され、知事は連日作業服姿でテレビに出ている。非常事態モードで市の中心部も閑散としてしまった。その後に東日本大震災があり、消費の低迷はそうとう長引いた」と振り返る。

当時、親から引き継いだ寿司屋に加え、タリーズコーヒーのフランチャイズ店舗6店を経営していた村岡さんは、瀕死状態に追い込まれた。「感染症は人の往来を止めて、経済までも殺していると感じた」(村岡さん)。

■地域一丸でコロナショックに立ち向かう

地元の客だけを相手にする飲食業はリスクが大きすぎると思い知った村岡さんは苦心を重ねて、地元産の食材を使ったパンケーキミックス「九州パンケーキ」の製造販売に乗り出した。これは爆発的に当たって息を吹き返した。

ただ今回のコロナショックの影響も、口蹄疫が発生した当時と同じか、それ以上になりそうだ。村岡さんの飲食店は「業態やエリアにもよるが、2〜5割、売り上げが減った。
市役所や県庁に近い寿司屋は、1年前から送別会の予約が入っていたが、それもキャンセルだ」と漏らす。

だが10年前の口蹄疫でどん底と再起の両方を経験した村岡さんは「思考停止している場合ではない」と一念発起。コロナショックの地域への打撃を緩和すべく、
「BUY LOCAL miyazaki #地元を支えよう」と名付けたプロジェクトを立ち上げ、周囲の経営者に連携を呼びかけた。そして3月9日には有志によるオンラインミーティングが開かれ、まずは2つのことに取り組むことにした。

1つ目は弁当販売だ。数店舗が参加し、3月16日に村岡さんが経営するタリーズコーヒーの店頭で弁当の販売を始めた。初日は70食を販売し30分で完売した。
本業が飲食店のため、まとまった数の弁当を作るのに慣れていない店もあるが、それぞれが協力しながら販売している。

もう1つの柱はクラウドファンディングだ。お客さんに支援金額と同額の「食事券」を提供し、新型コロナウイルスが落ち着いてから店を訪問してもらう仕組みだ。
村岡さんはプロジェクトについて「普段通っている店を、地元で支えようという取り組み」と説明する。

村岡さんは「政府は経済対策として無利子の融資をすると言っているが、これではダメ。売り上げが減っているときは利益が減るのに、減った利益からお金を返さないといけない。
目先の運転資金はなんとかなっても、長期戦を乗り切れなくなる。だから、先にお客さんにお金を払ってもらうことで、応援してもらおうと考えた」とも話す。

■宅配専用サービスを拡充させる飲食店も

一方、配送体制の強化に乗り出した飲食店もある。渡邊正都さんは、六本木や新橋など7カ所でレストランやカフェを展開するFine Fast Foodsを経営する。
もともと渡邊さんの店舗ではウーバーイーツでデリバリーを行っていたが、2月末に価格帯や商品ラインナップを変えて、配送専用の飲食サービスを拡充させた。足元では順調に注文が入っているという。

渡邊さんは中国から団体旅行の入国が禁止され、銀座や浅草の観光客が減っていると聞いた2月初めから「やばい」と思っていたが、その頃はまだ自身の店舗は堅調だった。
コロナショックがわが身に降りかかってきたのは、2月下旬、政府が「不要不急の外出やイベント自粛」を呼びかけて以降だ。

大手企業が在宅勤務に入り、懇親会や接待への参加を控えるよう社員に求めるようになると、来店客が半分近くに減った。「通常3、4月は歓送迎会の予約が多く入るが、3月前半はさっぱりだ」と渡邊さんは話す。


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200320-00338270-toyo-bus_all
3/20(金) 5:01配信