「飽きちゃった」ですむほど簡単なものではない
週末、公園やレストランは家族連れで混んでいた。そこまでは良かったのだが、K-1の強行開催とか、聖火リレーに5万人の見物客殺到などと聞いて耳を疑った。

さらにこの時期にスペインへ観光旅行に行って感染したり、空港での検査結果を聞かずに飛行機を乗り継いで沖縄に帰った、などという話を聞くと、日本人は清潔好きで自粛ルールを守るまじめな民族なのでコロナ感染も少ない、という説も怪しくなる。

あるいは国民が自粛に疲れたのか。コロナに飽きちゃった、というのもあるのかもしれない。だがこの感染症は飽きちゃった、ですむほど簡単なものではない。

日本の感染死者数は少ない
日本の感染者が他国に比べて少ないのはPCR検査をしないからだと言われるが、確かにその面はある。しかしそれでは死者も少ない事の説明がつかない。肺炎で死亡した場合は原因を調べることが法律で決められている。だから死者が少ないというのは真実なのだ。

死者の少なさについては、CTスキャナーの充実をはじめとする特に日本の高齢者医療の分厚さがその理由の一つだろうが、それにしても絶対的な感染者はやはり少ないのだろうと考えざるを得ない。

ということは日本で欧米のような爆発的な感染を予防するには、今のやり方を踏襲するのが一番。だからK-1開催などもってのほか。なんとしても新たなクラスターを作らせない。できてしまったらすぐつぶす、これをやるしかない。

しかしそれだけでは日本経済というか日本社会そのものがまいってしまうので、再開できるものは再開しないといけない。

「こういう時だからこそ」
こうした中、国会の落語議連の緊急集会が23日開かれた。事務局長の小泉進次郎環境相が開催を強く主張して実現したものだ。会議では柳家さん喬師匠ら重鎮が「寄席はやってるが2割しか席が埋まらない」と窮状を訴え、「催し物をやってもいい基準を作ってほしい」という声も出た。

確かに寄席で間をあけて座って、マスクしてクスクス笑う分には「換気の悪い密閉空間」「多くの人が密集」「近距離での会話」のクラスター3条件は満たさない。議員からは「こういう時だからこそみんなで寄席に行こう」という声が上がった。

進次郎さんも落語議連幹事長として、何かやらねばならぬという強い思いを持っていると聞いた。落語のピンチを救うべくここは頑張ってひと働きしていただきたい。

4月からは小中学校が再開して新学期を迎える。桜も見頃になってきた。社会は新型コロナに身構えており、してはいけないことはもちろんしてはいけない。だが我々は少しずつ普通の生活に戻らなければならないのだ。

3/25(水) 11:40配信
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