素戔嗚神社 天王祭=2016年6月4日 - 写真=AP/アフロ
https://amd.c.yimg.jp/amd/20200331-00034056-president-000-1-view.jpg

※省略

■「新型コロナウイルス感染症流行鎮静祈願祭執行の件」

 新型コロナウイルスの流行をうけ、江戸時代に熊本に現れたという妖怪アマビエをはじめ、疫病に関わる寺社や伝承が話題になっている。3月4日には、全国の多くの神社を包括する神社本庁が「新型コロナウイルス感染症流行鎮静祈願祭執行の件」という通知を出し、各地の神社で新型コロナ鎮静祈願の神事が行われている。

 都農(つの)神社のある宮崎県では、2010年に口蹄疫が発生し、29万頭以上の家畜の命が奪われた。その惨禍を念頭に起きつつ、2月18日以来、同社では毎朝新型コロナ終息が祈願されている。京都市の上賀茂神社でも、3月3日の桃花神事の際に合わせて祈願が行われた。

 同じく京都市の八坂神社や埼玉県の秩父神社では、通常は夏に置かれる茅(ち)の輪が登場している。八坂神社は、創建時から疫病と深い関わりがあると伝えられる。伝承では、9世紀に流行した疫病を鎮めたことで知られるようになったという。同社が祭神とするのが素戔嗚尊(すさのをのみこと)であり、境内には疫(えき)神社も祀られている。

■疫病除けの伝承と神事は各地に存在する

 疫神社の祭神は、各地で信仰される蘇民将来(そみんしょうらい)である。伝承によると、素戔嗚が旅の途中、兄の蘇民将来と弟の巨旦(こたん)将来に宿を求めた。巨旦は裕福であるにもかかわらず断ったが、貧しい兄はできる限りの歓待をした。素戔嗚は、その礼として茅の輪をつけていれば厄病を免れることを教えた。そしてまもなく、疫病が流行し、蘇民将来の一家だけが助かったというのである。

 地域によって違いもあるが、この伝承に基づいて各地で御守りや家の門扉に「蘇民将来之子孫也」と書く習慣が生まれた。伊勢神宮前の土産店でも、蘇民将来の関連グッズが好評だという。茅の輪のほうは、神社の夏の風物詩として見かけたことがある人も多いだろう。かつては夏に伝染病が多く発生したため、6月30日に各地の神社で疫病除けのために茅の輪くぐりが行われるようになったという。八坂神社の場合、祇園祭の最後の神事として、7月31日に疫神社の夏越祭(なごしさい)が行われる。

 東京にも疫病除けの神社がある。かつての江戸の町の北東端、千住大橋の近くにある素盞雄神社である。江戸時代から、コレラが流行すると参詣者が激増したという。同社でもっとも重要なのが6月に行われる天王祭だ。この祭りでは、神輿振りという珍しい渡御が行われる。担ぎ手が神輿を左右交互に90度近く倒すのだ。神輿をあえて乱暴に扱うことで、神威力をさらに高めようというのである。

■疫病に関する伝承が受け継がれている理由

 筆者が強調したいのは、どこの寺社が疫病除けに効くのかではない。茅の輪くぐりも蘇民将来の護符も非科学的な呪術だ。仮にこれらを目的にした人で寺社に行列ができるようなことがあれば、逆効果でしかない。注目したいのは、疫病除けの寺社が全国各地にあり、さまざまな伝承が受け継がれているという事実そのものだ。

 雨乞いや疫病除けといった呪術は必ず成功する。なぜなら、呪術に頼らざるをえないほど科学が未発達な社会においては、雨乞いであれ疫病除けであれ、それに失敗したコミュニティは滅びてしまうからだ。そのコミュニティの記憶は受け継がれず、呪術ごとなかったことになってしまう。言い換えれば、疫病除けの神社や伝承が各地に存在するのは、これまで何度も疫病を克服してきたからなのである。

■明治期にも同じような事態は起きている

 今回、八坂神社には期間外に茅の輪が設置されたが、これは143年ぶりのことだという。それくらい異常な事態が生じているということだが、しかし、以前にも同じような事態が起きたということでもある。前回は1877年9月末、コレラの流行時である。明治維新以降、江戸時代よりも人の移動がはるかに活発になり、日本はたびたびコレラに苦しんだ。そうした中で、現在と似たような出来事も起きている。

 1877年の読売新聞は、数カ月前から清国で猛威をふるうコレラを不安げに報じている。特に7月にアモイで感染者が大量発生すると、横浜では早くも警戒態勢が敷かれ、感染者が入国した時のための隔離病舎の建設が始まっている。8月には、神戸に入港した英国船にコレラに感染した清国人が多数乗っており、一部は密かに日本に上陸したという噂が広がった。(続きはソース)

3/31(火) 11:16配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200331-00034056-president-soci