【地域】ある村で子ども30人以上が無残な死……恐ろしすぎる「岩の坂もらい子殺し」事件とは 板橋区
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
「ワーキングプア」「子どもの貧困」……。格差や貧困が社会に広がっている。
今回の新型コロナウイルス感染拡大による広範な自粛と経済活動の落ち込みで、貧富の差が一段と広がるのは間違いない。
いまからちょうど90年前の東京は現在以上に貧しい人が多かったが、違うのは「貧民窟」あるいはスラムと呼ばれる地域がいくつも存在したことだ。
その一つ、板橋区の「岩の坂」で発覚した事件は世間の度肝を抜いた。
もらった子どもを殺す犯罪が地域ぐるみで行われ、当時の報道では被害者は40人以上ともいわれた。
しかし、そのほとんどはうやむやになり、地域の存在もいつか忘れられた。そこにはメディアの責任を筆頭に、さまざまな理由があった。
今回一つお断りしておかなければならないのは、文中にいわゆる「差別語」や「使用禁止語」が登場する。
聞き慣れない職業名もある。言い換えはできるが、それでは当時の社会の雰囲気や報道の問題点が分かりづらくなる
そのため、あえて当時の用語をそのまま使おうと考えた。ご了解いただきたい。
◆ ◆ ◆
「聞くも身の毛よだつ 府下板橋の殺人鬼村 」
「貧民窟」という言葉を聞かなくなって久しい。「貧民(貧しい人々)の多く集まり住む所。
大都会の恥部」と「新明解国語辞典」にはある。幕末、幕府軍と官軍との戦争を避けて江戸を逃げ出した町民が明治維新で首都となった東京に逆流。
住み着いて集まった街などが貧民窟になったといわれる。
その中でも「4大スラム」と呼ばれたのが(1)四谷鮫ケ橋(2)芝新網町(3)下谷万年町(4)新宿南町(ただ「日本残酷物語5近代の暗黒」中の「東京の奈落」では新宿南町の代わりに「神田橋本町」が入っている)――。
塩見鮮一郎「貧民の帝都」に基づけば、(1)は現在のJR信濃町駅の東側に広がる一帯。
(2)は現JR浜松町駅から南西の一角。(3)は現JR上野駅の東側。
(4)は現JR新宿駅南口から甲州街道を隔てた地区。「
神田橋本町」は現在のJR馬喰町駅の北西の一角とされる。
しかし、それらは1923年の関東大震災でほぼ消滅。
「その代わり、三河島、日暮里、南千住、西新井、吾嬬、板橋などに貧しい者が集まった」(「東京の奈落」)。
その板橋の岩の坂と呼ばれた貧民窟で事件が起きたのは1930年4月。
「聞くも身の毛よだつ 府下板橋の殺人鬼村 こじきや人夫等共謀して もらひ子殺し常習」
「一年間に三十名の変死 全村民の検挙を断行」。こんなおどろおどろしい見出しで報じたのは4月14日付東京朝日朝刊。
もらい子周旋人が世話した11人のうち生きている者はわずか2人
「13日午後6時ごろ、市外板橋町下板橋にある細民村、俗称岩ノ坂2番地、人夫小倉幸次郎の内縁の妻、念仏行者の尼小川きく(34)が、
もらい子である菊次郎(生後1カ月)を乳房で誤って窒息死させたとて、付近の永井医院に手当を受けにきたが、死因に疑いがあるので、
医師は板橋署に届け出たので、原田署長、岡村司法主任及び東京地方裁判所から柴田予審判事、戸沢検事らが出張して検視のすえ、同夫婦を引致、
取り調べの結果、同細民村の恐るべきもらい子殺しの事件が判明するに至った」。これが記事のリード(前書き)だ。
「きくはさる3月12日にも同じくもらい子勇蔵(1歳)を風呂場で取り落としたとて殺害したほか、一昨年以来、女1人、男4人のもらい子を同様過失致死の形で殺していることが分かった」。
記事は以下、多摩川村の無職男性の妻村井こう(32)が板橋町の産院で菊次郎を出産したが、同じく妊娠して入院していた煉瓦商の内妻出谷こよの(37)が
「大家に世話するから」と言い、夫も失職していることから渡りに船と、養育費など18円にたくさんの着物を付けて子どもをやった。
ところが、こよのは細民村のもらい子周旋人の「よいとまけ人夫」福田はつ(40)に子どもを渡し、はつからきくに10円をつけて渡し、残りの金で女ばかり数人集まって酒を飲んで騒いでしまった、という。
「はつは付近でも有名なもらい子周旋人で、大正15年以来11人の子どもを世話しているが、そのうち現在生きている者はわずか2人で、
それも乞食の手引きをしているが、あとはいずれも無残な手にかかったらしいことが分かった」。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200419-00037270-bunshun-soci
4/19(日) 17:00配信
https://nakano3bono.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2018/10/01/cimg0256.jpg
岩の坂(板橋本町
https://pbs.twimg.com/media/DWmY7R_U0AAn7Gf.jpg これ最近完全にクリアランス終わったとこかな、終わったから触れることが出来るようになったか いいねぇ、こういう話大好き。
小塚原の話とか、どんどん聞かせてよ 記事は「嫌疑濃厚な数名を召喚、取調べ中であるが」としたうえでさらにセンセーショナルに。
「同村には子どもを連れて街頭に立つ乞食は70名いるが、いずれもこの種のもらい子ばかりで、1年に30人くらいが悲惨な死に方をしており、
全村ほとんどがもらい子を殺していたらしく」「これを機会に同村全部の総検挙を行うことになった」と続く。
記事で描かれた通り、これが「殺人鬼村」という見出しの“根拠”だろう。
ちなみに、当時の18円、10円は2017年の貨幣価値でそれぞれ約3万5000円と約1万9000円。
「よいとまけ」とは、美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」で知られる、建設工事の地固めのために重い槌を上げ下ろしする作業員のことだ。
裏付けのない報道が目立つ
それにしても、すさまじい“飛ばし記事”だ。同紙は続報の4月15日付(発行は14日)夕刊でも「ますます怪奇的な 殺人鬼村の暗黒面」
「もらひ子が手に入ると 成金気分で浮れる部落 自暴自棄の世を送る二千名 上流婦人の私生児も犠牲に」と見出しも書きたい放題。
本文では「岩ノ坂にある太郎吉長屋、お化けの清さん長屋、北海道長屋、トンネル長屋、木賃宿などの主人や関係者7、8人を取り調べている」とある。
対して同じ夕刊で東京日日は「貰ひ子の死は 布団で圧殺 ほかの三名の死にも疑ひ 板橋の恐ろしい夫婦」とややおとなしい。
しかし、取調べと遺体解剖の結果、「幸次郎、きく両人が共謀し、前夜ふとんで菊次郎の鼻を圧し、窒息死亡させたことを自白した」と本筋の捜査情報を載せている。 「自分の出自が岩の坂にあることを口外したがらない」
「東京の奈落」によれば、岩の坂は中山道の宿駅として栄え、人馬が引きも切らず往来。
明治初年ごろまでは江戸に上下する旅籠屋(馬宿と言った)や雲助小屋があり、遊女屋も軒を並べて板橋宿繁華街の中心だった。
しかし、上野―高崎間に開通した鉄道がここを外れて赤羽に出たので、にわかに火の消えたようにさびれた。
いままで景気のよかった馬力、雲助などは職を失い、その日の糧にも困るようになって、遂に乞食に転落した。
「これが岩の坂の貧民窟の始まりであるが、特に関東大震災以後、都心近くの貧民がここに移動して地区を広げた」という。
西井一夫「新編『昭和二十年』東京地図」には「エンツキエノキから志村清水町へ下って行く坂を岩の坂といい、
『縁が尽きるいやな坂』としゃれたものだったという」と書かれている。そこで生まれ育ったフリージャーナリスト小板橋二郎氏は著書「ふるさとは貧民窟(スラム)なりき」の中で
「私には異父兄弟を含めて5人の兄姉がある。そのうちの誰もが、いまだに自分の出自が岩の坂にあることを口外したがらない」と書いている。
東京朝日夕刊の記事は「岩の坂」の現状と事件の背景を詳しく書いている。「岩の坂部落には木賃宿が、小川きくが泊まっている原田旅館ほか11軒、
長屋は福田はつの太郎吉長屋を筆頭に奇怪な名なのが十数軒ある。
ここに住む人はチンドン屋、遊芸人を上層階級として、よいとまけ人夫、くず屋、念仏修行者(押し掛け乞食)、たわし行商、おなさけ屋(街頭乞食)など70世帯2000余人」
「養育費付きのもらい子があると、たちまち男女が寄ってたかり、成金気分になり、酒、たばこ、食物に数日間もドンチャン騒ぎを続けるという怪奇な光景を呈するありさま」。 >>7
要らない子引き取るよ、14円(今だと14万円)ね。
子供10人引き取れば今だと140万円。
100人引き取れば今だと1400万円。
引き取って殺すだけの簡単なお仕事でウハウハ 愛児を手放すのは「身の不始末によるものが実に8割の多数」
もらい子についてはこう書いている。
「最も多いのは八王子市、桐生など機業地の女工の私生児で、その次は悪産院や周旋人の手を経たり、よいとまけがもらってくる東京市内外の上流社会未亡人や令嬢の子、
中には八王子方面から女教員の子が今年中に3人も来ているが、女給、芸者の子は一人もない。
これらのもらい子は大正13年ごろ17、8名だったのが、近年では年々3、40人に増え、そのうち、生活難から愛児を手放すのは約1割の少数で、家庭の事情や義理に絡むのも約1割。
身の不始末によるものが実に8割の多数に上っている」。養育費周旋料はたいてい50円以上100円ぐらいまでで「周旋人が大部分を取り、部落民には10円ほどしか渡らない」という。
紙面には、生母村井こうの談話も載っている。
「世話してくれた人がまじめとばかり信じきって、いまごろは大家の子として幸福に暮らしていると思いましたのに、
死んだ子どもと、鬼のような尼さんの顔を見比べたときには自分が殺されたような思いで、涙も引っ込むほどの驚きでした」。
これまでも遺体を持ち込まれていた永井医院の医師の発言も。
「いつもいよいよ死に際になってから連れてきますが、もらい子とは言わず実子だと頑張って、もし私がそれを看破すると、この死児をここへ置いていきますと脅迫するありさまです」。
だが、状況からみて、どちらの言葉もそのまま信じるわけにはいかないようだ。 同情を引くために「子を借りて収入を得る」
記事にはもらい子の「運命」も書かれている。
「数日間、形式的に育てたうえ、結局栄養不良、乳房の窒息死、過失などの形式で、巧みに法網をかいくぐって片付けてしまう。
5歳から10歳で死んだものは私立医大の解剖研究用に売り、育て上げたものは乞食の手引きにして、
15、6歳を過ぎると、男なら北海道の監獄部屋に、女なら娼妓に売り飛ばすという、食人種そこのけの言語道断な処分だ」。
「乞食の手引き」といっても分からないかもしれない。
「東京の奈落」には子どもについての恐るべき実態が載っている。
「宮寺の境内や門前、あるいは橋の上で縁日などに大地に座り込んで同情者を待つのを、彼らの仲間では張り店といっている」。
「ことに小さい子どものあるのが一層おもらいが多い。
ところが、この子どもというのが自分の子ではない。
たいてい借りっ子である。彼らの仲間には子どもを貸すのを営業にしているものがある。
『きょうは上を貸しておくれ』『きょうは中でよい』『きょうは銭がないから、下にしておこう』と言って借銭を払って子どもを連れて行く。
上というのはめくらの子どもである。これが一番同情を引いてもらいが多いので上物という。
1日の借銭は80銭(2017年換算で約1500円)である。中というのはピイピイとよく泣く子、よくお辞儀をする子である。
下というのは何も芸のない普通の子である。中は30銭(同約580円)、下は20銭(同約390円)。
この子どもを借りて1日3、4円(同約5800〜7700円)の収入を得て、乞食を唯一の得意として朝から飲み暮らす者があるなどは何人も想像し得ないことであろう」
もらい子の“需要”はここにもあったということだ。
岩の坂の捜査が進んでいたさなか、東京市社会局嘱託だった「浮浪人研究の権威」(東京朝日の記述)草間八十雄は岩の坂を現地調査。
結果などをまとめて1936年に「どん底の人達」を出版した。その中で「明治初年には、隅田川畔で乞食の使う子どもの市が立ったという話です」
「数十人の乞食たちが集まり、『1銭』とか『2銭』とかと言ったように、だんだんとせっていったものだそうです」と書いている。
さらに「子どもを借り出した乞食は、それだけの効果があるかと言いますに、実は驚くほどの効果があるのです。
わけても子どもを失った親御たちにぶつかろうものなら、一人で意外なる収入があるそうです」とも。 >>12
引き取る方が金もらうのかよ
それも意味分からんけど ヨイトマケって男に混じって力仕事をする女の人夫のことじゃなかった? つーかこんなんいくらでもあるでw
たとえば田園調布なんてのは高級住宅地で知られるが
実際はその昔、東急線の鉄道敷設に駆り出された韓国人が当時多く住み着いて
今に至るんやで。実際今でも韓国人が多く済んでる。そもそも大田区やぞ大田区w
町工場が多いことで知られる大田区。下町ロケットのロケ地で知られる大田区www
にも関わらず高級住宅地として知られるのはそういうイメージにしたかった勢力がいたってこと
つまり――あとはわかるな? >>20
一括0円キャッシュバック付き案件
維持費かかるから即解約
スマホか人間かの違い 中国だと物乞いさせるために手足を切り落とすらしいな
その方が同情引いて金をもらいやすいから 日本人は元々子供を譲ったりする習慣が階級を問わずにあった
それは悪いことではなく各家庭の必要性を満たす調整機能として存在してた
坂の上の雲に出てくる秋山兄弟だって他家へ養子に出した兄弟が他に3人ほど居たが
養子に出した以上は完全にその家の子になるから以後兄弟として付き合っていない
その習慣を悪用した事件 >>30
これな
第二次世界大戦後のベビーブームのおり、大量の嬰児が寿産院に預けられていたが、同院では嬰児に対する虐待が常態となっており、
また、凍死、餓死、窒息死などさまざまな死因で亡くなっていた。
寿産院を経営する夫婦は乳幼児を貰い受けるなどとした新聞広告などによって200人以上の乳幼児を集め、親から1人につき4000円から5000円の養育費と東京都からの補助金と配給品を受けとりながら配給品を
闇市に横流しするなどして食事をろくに与えずに100人以上を死亡させた。 つーかこれってアカヒの捏造じゃなかった?w
この売国五流紙は当時からデマばっかし流してたんだな >>31
あっちは凄いぞ
纏足もそうだし、芸者のような職に就かせる女の目を、盲目の方がピュアっぽいからって理由で潰すからな >>38
バカはいいよな
そうやって否定して思考停止できて なんだよ都民って先祖は津山30人殺しクラスの
集まりかよ そういう地域は何十年経っても
なんとも言えぬ気持ちの悪さがあるよ
住民の質とかに出る
引越先探しでいろんな街に行くと分かる >念仏行者の尼小川きく(34)が、もらい子である菊次郎(生後1カ月)を乳房で誤って窒息死させた
ゲームセンター嵐の母ちゃんもビックリの巨乳ちゃんかな? (´・ω・`)? 板橋本町の大和陸橋あたりの裏って確かに陰気くさいんだよな
営業で回った時に思ったわ 戦後、一家全滅焼け野原に親戚ですよか言って縄貼って自分のものにしたのが東京人だからな。朝鮮人は大田区ほとんどかってに住み着いてるし >>29
それなら子供を売り飛ばすまでがデフォじゃん >>35
割りと有名でしょ
横浜は歴史が浅い割りに闇を感じる土地が多い 日本の大量殺人事件でググればすぐに出て来る内容ではある >>48
どうせなら高村光太郎とかの文豪を思い出せよ
野口英世が国から出された留学費を全部吉原遊郭で使ったとかさ 写真にモザイクかけろよw
縁切榎の刃物は撤去されたんだよな
板橋⬅区じゃなくて橋 は桜の名所
これ以上掘ってはいけない
某外国人学校とか 今の板橋駅は、板橋宿自体とは全く違う場所に作られてしまったからなぁ。
家の曾祖父さまは、新撰組の近藤勇が捕まって打ち首になるところを刑場まで見に行ったと言っていたな。
その刑場跡地が○京病院になったんで、爺さんは「彼処の病院は縁起が悪そうだから、行きたくねぇな。」と言っていたわ。 これを見ると漢方向け人体臓器売買は日本でもあったろうね >>1
人権屋などが組織的に犯罪を繰り返してたんだな >>32
俺の一族も横浜川崎辺りにずっと住んでたから今の横浜住民の選民意識が分からない >>27
いや元は沼辺という地名だった田園調布
その中で所謂、高級住宅地としての田園調布は
世田谷区と大田区のほんの一部だけ
これは地元民ならば誰でも知っている
そもそも多摩川沿いの低地の貧相な町並みを見れば誰でもわかる >>30
名古屋のもらい子殺しと大正時代の都内もらい子殺しだけが犯人が死刑になってる
寿産院と岩の坂は無期以下だったような >>1
おもしろかった。
この板でスレ立てすべきソースじゃないけどね。
かわいそうだが、来世は昭恵に生まれ変われますように。 当時の板橋に住んでた<丶`∀´>の悪行だと聞いたことがあるな
それを機に一掃されたとかなんとか
しかしなぜか今こんな都市伝説レベルの古い話が汚鮮ヤフのTOPになるとは
何か裏が有りそう・・・ 俺の祖祖父母も息子が二人いたのに女の子の貰い子を二人育てたらしい
二人とも成人して同じ村の別の家に嫁いでるわ 柳田国男の何の本だったかな都会でも夕暮れ時に隠れんぼすると子さらいに連れていかれるとかあったなそいや。 >>74
これは子供育てられない連中から養育費貰って引き取った子を
育てず殺して処分してたって話だから
人さらいとはまた別の話だと思う 言い換えるとチンコロするようなマトモな連中が多少はいたって感じだよね。
たしか東京大空襲まぬがれてんだよねここいら
アメさんもあの時代にこっちの弱者事情を調べてたかとおもうと脱帽でしかない 新聞に 子供あげます という欄があったの知らないだろ?
昭和の話だよ。
私も売られたもん。 ウトロとか今でもこういう面影あるんじゃね
話変わるけど血と骨のモデルになった家見に行ったら現存してて人も住んでるのな >>67
そそ。川向こうのすぐお隣はうんこマンションで知られる
あの武蔵うん小杉だもんなぁ。推して知るべしだ 俺が幼い頃はまだ物乞い居たな婆ちゃんとか金を入れてたよ >>40
纏足は最近までやっていたよね。
ガードルや圧力スパッツみたいな感覚。 縁切り榎のあたりか
今は三田線が通って慶応大や白金高輪まで一本
高そうなマンションができてるな 生まれも育ちも東京だけど、こんなの知らない
おとぎ話みたいだ 昭和のバブルぐらいまではこういう闇が結構残ってたね子供が近寄っちゃ行けない場所 >>1
砂漠のマスカレードは、まじめなネット工作員
決して、無職ではありません 俺も親父も縁切り榎のあたりの生まれだが
爺さんが軍人で厳しかった曾祖父さんの反対を押しきって
婆さんと駆け落ちして流れ着いた 板橋って変なとこだもんな 外れのクセに農地ってワケでも無いし
何の特徴も無い土地だよ 23区の中ではTOP5くらいに「ない」エリア アメリカ行くといるよね
こういう子供連れて物乞いするひと
すげえ剣幕で親子で1ドルくれいうから出した
アメリカは日本の90年前かなあ 東京って今は清潔な住宅街だったり整然としたビジネス街だったりするけど、歴史を紐解くと闇が深い地域が多いんだろうな。そういう実名を出した街歩き番組とかあったら面白そう。住民からクレームの嵐になるだろうけどw 今は病院で殺して貰って生まないから、貰い子がいない。
中絶は母親から殺されて、この事件は里親から殺された。
今は母親による、病院での殺しが主流だが、殺し方が違うだけ >>77
ちょっと待ってよ
何書いてんのよあんた。 >>81
数年前にその手のサイトで見た覚えがあってググったら出たわw
つーか文面とかほぼ同じ。よほどネタ切れらしい。くだらねー 柏木ハルコの花園メリーゴーランドってマンガが面白かった
昭和末期くらいでも田舎には夜這いとか若者に年長者がセックス指南をしたりする習慣が残ってたという話
マンガの話は創作らしいが、似たような話は実際にあったらしい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています