【歴史】信長切腹「夢にも思わなかった」…本能寺の変、明智軍の武士が述懐 [ばーど★]
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NHK大河ドラマ「麒麟きりんがくる」の主人公、明智光秀が主君の織田信長を討った本能寺の変(1582年)で、明智軍の武士が残した記録が、天理大付属天理参考館(奈良県天理市)で開催中の特別展「大航海時代へ―マルコ・ポーロが開いた世界」(読売新聞社など後援)で公開されている。明智側が残した従軍記録としては唯一の資料。専門家は「本能寺の変に関わった武士の生の声を感じられる貴重な記録」と評価している。(土谷武嗣)
記録は「本城惣右衛門覚書」と呼ばれ、戦国時代から江戸時代初期、丹波国(京都府中央部と兵庫県東部)を拠点としていたとみられる武士・本城惣右衛門が、晩年の1640年、若い頃の戦功を書き残したもの。天理大付属天理図書館が所有している。
「あけちむほんいたし(明智謀反いたし)」から始まり、本能寺の変について、「信長様を切腹させようとは夢にも思わなかった」と述懐。また、当時の本能寺の様子について、「門は開いていて、ねずみさえもいない」「蚊帳がつってあるばかりで、人はいない」と記している。また、首を二つ取った褒美として、槍をもらったと書いている。
この資料は、昭和に収集家が存在を公表する以前の出所が不明だったことや、若い頃の記憶を高齢になってから思い出して書いたことなどから、信憑しんぴょう性が疑われていた。
しかし、近年、研究者の間で再評価する動きが出てきた。
備中(岡山県西部)の羽柴秀吉への援軍に向かおうとしていた明智が京都へ方向を変更したことについて、これまで、惣右衛門が「上洛していた徳川家康を討つ」と理解していたと解釈されていた。明智が徳川を討つ理由がないため、記録に疑いを投げかける一因となってきた。
しかし、改めて記録を検討すると、文脈的に京都へ向かう理由について、惣右衛門が「上洛中の家康への援軍に変更された」と理解していたのが正しいとわかった。
天野忠幸・天理大准教授(中世史)は、筒井順慶も京へ進軍している記録が残されていることから、「織田側の武将が京へ集結してから中国地方へ向かおうとしていた動きからみても、惣右衛門の解釈は理解できる」と指摘。「これまで本能寺の変の研究では重要視されてこなかったが、貴重な明智側の従軍記録であり、改めて意義のある史料として扱われるだろう」と話している。
◇
特別展は12月14日まで。火曜休館(11月3日開館、翌日休館)。
2020/11/02 07:31 読売
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20201101-OYT1T50059/
https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/11/20201101-OYT1I50016-1.jpg >>1
> NHK大河ドラマ「麒麟きりんがくる」の主人公、明智光秀が
主人公は駒ちゃんですよ むしろなんで今まで重要視されてなかったの?
織田方じゃない当事者の記録なんて数えるほどしかないんでしょ すやすや寝てるときに明智軍が本能寺を取り囲んで、無残に殺されるか自分で自害するか選べ
って感じだったの?
俺だったら切腹する元気あるなら戦ったらいいのにと思うけど(´・ω・`) もっくん死んでから面白くない。やはり沢尻帰蝶見たかったな。 >>9
○○に討ち取られたってのが我慢ならないというか、不名誉なんじゃないかな。 即断即決なところは信長とウマが合ったんだろうな
もっとウマウマしちゃったけど きりんきりんがくる?
なんで二回重ねるの?NHKはもとから腐ってた
けどついに耄碌を隠しきれなくなったのかなぁ 明智光秀には元々野心があったか、信長にこき使われて、疲れて人生嫌になってたかのどちらか。いずれにしても、細川が味方しなかった時点で詰んだ。 高齢になってからとはいえ謀反の認識あったんだ
謀反は謀反だもんな この時家康は信長の接待を受けていて、百人ほどの側近や警護を連れていたが兵は居なかった。
ここから毛利攻めに参加するのはおかしいだろ。
警護だとしても安全地帯なのに一万は多すぎるし >>12
自分で腹切った後従者に首斬らせて誰かわからないぐらいぐちゃぐちゃにする
とかいうのならわかるんだけど
周りは明智軍だらけの状態で攻められてるのに、
自分で腹切って死んだあと、明智が斬首して俺が腹を刺して討ち取った!
とかはならないもんなんだろうか
ただの自害の際の本人の満足感?
自害したか討ち取ったか公表するのは相手の裁量によるだろうけど、そこだけはどんなゲス武士でも守るとか・・・? >>19
だよな、普通疑問に思うよな
末端の兵卒だったんじゃないの >>20
生け捕りにされて拷問の挙句殺されるからじゃね あの頃、5ちゃんでは話題だったな
サーバーも何度も落ちていた この人が黒人のこと見かけたとか書いてたらより説得力あったな 首を渡したくないから自害して坊主に首持たせて逃がしたんだろ 結局、麒麟は来たの?2、30年後に徳川の太平の世になったからいいのか。 自分の上司がいきなり謀反したら困るな
配下のものとしては >>20
だから火を付けて、首級を挙げられなくしたんだと思う
実際、明智が信長の首を示せなかったせいで味方集めに苦労したみたいだし 信長公が生きておいでなら日本人は萎縮する民族になんか成らなかったのにね
やってくれたよね、明智くんはさ どっちにしろ、1兵士が戦線離脱する
わけには行かないから、言われた通りに
戦うしかない。
是非に及ばず、運を天に任せる。
226の反乱軍と一緒、ガダルカナル
インパールの兵士も一緒 読み間違えしている考古学者
古文の勉強だけでなく現代文の勉強もしないとな 信長の性格なら討ち死にか切腹だろ
「生きて虜囚の辱めは受けず」だろ 滅ぼした浅井朝倉の頭蓋骨をおもちゃにして宴会に出すみたいなことしたから
自分もそうされたくなかったんだろう >>19
家康の部分は、事情を知らされてねい惣右衛門そう推測したっていう話だろ
100人の一行を殲滅してさらに逃がさないように封鎖とかなったら
1万は妥当じゃないの
このソースで書いてある解釈の毛利攻めのために合流だと
家康が接待から直で自軍いないのにそのまま出陣って言うのは不自然な感じがする 中世史の研究が進んで
どんどん信長の画期性みたいなのが否定されるようになったけど
そうなると実質というかほんとに統一した秀吉の評価が
さらにあがるような気がする
朝鮮出兵だって狂った老人の暴挙じゃなく
大量動員を世界に知らしめて植民地化を防いだという見方もあるし 「本能寺が変」
そのとき京都・本能寺に宿泊していた信長がそう言った。
見るとなんだか傾いているようないないような。
調査を命じられた明智光秀は、その原因がシロアリ被害によることをつきとめた。
「敵は本能寺のアリ」
光秀はそう言うとさっそく駆除に取りかかった。
当時、シロアリ駆除の薬なんて便利なものはないもんだから、
被害にあった柱を片っ端から松明であぶって
シロアリを追い出すという地道な作業を行った。
ところがそのうち柱に火がついて燃えだしてしまった。
「やべっ、信長様ぁ〜!」
本能寺は信長ごと燃えてしまった。
事情を知らない豊臣秀吉が信長様の仇と明智光秀を討ち、
天下を取るきっかけとなったのは言うまでもない。 光秀が有能なのは15000人の軍勢を信長にも信忠にも気づかせずに京に進軍させたこと。 >>38
でも、スペイン、ポルトガルの植民地になっていた可能性もあるよ?
あと、確実に天皇制は崩壊していた。
信長が天魔王を名乗り、カトリックの国になっていたかも。 たぶん「麒麟がくる」では、秀吉の謀略に光秀がダマされて本能寺の変を起こす説になるんだろうな
佐々蔵の秀吉の描き方がそんな感じ 「あけちむほんいたし(明智謀反いたし)」から始まり、本能寺の変について、「駒という女子が信長様を切腹させようとは夢にも思わなかった」と述懐。 >>37
そんなでかい寺でもないぽいし(100m四方ぐらい?)
いきなり爆破させたならわかるけど火つけたぐらいじゃ足速い人が走ってきてラグビーボールみたいに首ゲットしそうだけど
そんなことないんだろうか >>19
末端の兵士が上の事情や状況なんて、噂以上にはわからないからな
上役に説明された通りに信じるしかないわ ちょっとつついただけなのにさ…死んじゃうなんてさ… >>50
他国からみれば信長の周りに護衛1万5千人がいるように見えるけど 信長生きてたら、ぜんぜん違う歴史になってただろうな。でも結局、信長のカリスマ性で持ってた織田家は誰かに滅ぼされてたと思うけど。 本能寺の変の時の本能寺の中の様子って良く映像化されていて、大体同じ様な雰囲気だけどさ
随分と細かな描写もあるけど、死のうとする信長を最後まで近くで見てたの?
それとも想像と脚色? >>52
チョイ役の扱われ方だからそんな大事な役回りは無いだろ
駒にそそのかされて麒麟が来る世のために信長ぶっ殺すだけだよ >>32
信長じゃ天下統一まで時間かかるしその後も家中も日本中にも爆弾抱えて簡単に平穏にはなりそうもないけど >>64
当時の家臣団もそうだし他国もそう思っていた
なんせ裏切りがポンポン出てきたからな 本城惣右衛門覚書
明智が謀反をして、信長様に切腹させたとき、本能寺に我らより一番乗りに侵入したというものがいたらそれはみな嘘です。
その理由は、信長様に腹を切らせるとは夢にも知らなかったからです。
その時は、太閤様が、備中に毛利輝元殿を討ちに侵攻していました。その援軍に明智光秀が行こうとしていました。
ところが山崎の方に行くと思いましたのに、そうではなくて京都へ命じられました。我らはその時は家康様が御上洛しておられるので、家康様を討つとばかりに思っていました。(目的地の)本能寺という所も知りませんでした。
(中略)
本能寺の内へ入りましたが、門は開いていて鼠ほどのものもいませんでした。先ほどの首を持って内へ入りました。
おそらく北の方から入った弥平次殿(明智秀満)と母衣衆の二人が、「首はうち捨てろ」とおっしゃるので従い、堂の下へ投げ入れ、(堂の)正面から入りましたが、広間にも一人も人がいないでした。蚊帳が吊ってあるばかりで人がいません。
庫裏の方より、下げ髪の、白い着物を着た女一人を我らは捕らえましたが侍は一人もおりません。(女は)「上様は白い着物をお召しになっています」と申しましたが、それが信長様を指すものだとは存じませんでした。その女は、斎藤内蔵助殿(斎藤利三)に渡しました。
(信長様の家臣である)御奉公衆は袴に片衣で、股立を取り、二三人が堂の中へ入ってきました。
そこで首を又一つ取りました。その者は、一人奥の間より出てきて、帯もしていませんでした。刀を抜いて浅黄色の帷子を着て出てきました。
その時に、かなりの人数の(我らの)味方が入ってきました。それを見て敵は崩れました。我らは吊ってある蚊帳の陰に入り、この者が出てきて通り過ぎようとしたときに後ろから切りました。
首は二つ取りました。褒美として槍をいただきました。 信長は自決したあと、自分の亡骸を部下に床下に隠させたあと火を放ったと聞いたが。 >>52
たぶん
駒「信長様は嫌いです」
光秀「敵は本能寺にあり!」 >>56
「門は開いていて、ねずみさえもいない」の部分を考えると不思議だね
そんな状態で強襲出来ていたなら火を放っても燃え広がる前に首取れるだろうね エースコンバットゼロの最後の関係者インタビューみたいにやればよろしい。
笑ったるけどなw まあこの通りならドラマや映画は盛り上がらないことは確か。
案外史実はこんなものかも。 >>32
?
別に信長が生きていてもどうなっまからわからん。
家康が埋没したかもしれんし。 >>1
> この資料は、昭和に収集家が存在を公表する以前の出所が不明だったことや、若い頃の記憶を高齢になってから思い出して書いたことなどから、信憑しんぴょう性が疑われていた。
肝心のこの2つは解決してないのね (-_-;)y-~
なだぎ武のミッキーマウスが脳内再生された 部下の先走りが真相だろう。
明智の兵達は信長の命令通りに本能寺に到着したが、
まだ信長は気持ち良く寝てて明智の兵達の物音で信長が目を覚まして
安眠を妨害された信長はブチ切れて明智の兵を殺すと言い出した。
それで明智の兵達が自暴自棄になって
「どうせ信長に殺されるなら俺達が信長を殺して光秀様に天下を治めてもらう!」
と信長に襲いかかったんだろう。 昔の大河で渡哲也が演じる信長の自害が切腹ではなかったな。 >>1
この人の覚書って、ヤンマガのセンゴクにも出てるよな
明智軍はごく一部の最高幹部以外は攻撃目標を全く知らされてなくて、
「相手は毛利だ」とか「家康だろう」とか家臣達が口々に騒いでたって >>5
秀吉自体が朝廷から差し向けられたスパイらしいね
秀吉以外にも居たらしいが 武士はねずみの所在すら知れるほどの知覚力があったのに…
なぜ人間はこうも劣化してしまったのか >>81
大将首を取って瀬戸物一個の時代じゃなかったか >>78
戦国時代は反乱軍にいたからって一族郎党皆殺しとかなるのはレアケース
降伏すれば立場は変われどそれなりに生き残る >>87
明智の部下が家康討伐と思って先走ったとしたら面白いな >>64
信忠は優秀な2代目になれた可能性は高い。しかも秀吉が補佐でいるし。
だから何とも言えない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています