秋の味覚の代表格で、今や希少なマツタケについて掘り下げる企画展「マツタケの時代」が大阪府岸和田市堺町のきしわだ自然資料館で14日から始まる。マツタケの生態や戦前のマツタケ狩りの様子が分かる資料などが紹介される。

 「秋の行楽 松茸(まつたけ)狩御案内」「松茸飯二〇銭 すき焼(やき)六五銭」

 阪和電鉄(現在のJR阪和線を建設)が昭和の初めごろにつくったとみられるマツタケ狩りのパンフレットにはこんな言葉が並ぶ。

 きしわだ自然資料館学芸員の風間美穂さんは「当時は山でマツタケ狩りをしてから、マツタケのご飯やすき焼きを食べるのがスタイルだったようだ」と話す。

 南海電鉄や京阪電鉄、山陽電鉄など関西一円の鉄道会社も、秋には沿線のマツタケ狩りの名所を案内するパンフレットを出していた。かつては栗拾いやミカン狩りと同じように、秋の庶民の楽しみだった。

 マツタケは、適度な日照があって風通しが良く、土壌の痩せたアカマツ林に生える。落ち葉や薪(まき)が燃料だった時代は、人が松林を定期的に手入れしたため、マツタケの生育に適した環境が維持されていた。

 だが高度成長期に、電気やガスが普及すると松林は放置されるように。宅地開発やマツクイムシの被害で松林自体も減っている。

 風間さんは「マツタケがとれなくなったのには、人の生活様式の変化が影響している。マツタケを通じ、生物多様性や自然との関わりについて考えてもらえれば」と話す。

 企画展では、マツタケの近縁種「バカマツタケ」で成功した人工栽培の研究成果なども展示する。

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