https://news.yahoo.co.jp/articles/5206c1689dab7767e57d2bb0941badc32fcf3573

きょう14日は旧暦の1702年(元禄15)、大石内蔵助(くらのすけ)率いる赤穂義士が吉良上野介
(こうずけのすけ)邸に討ち入った日―。兵庫県丹波市の春日町と氷上町を結ぶ天王坂沿いに、
大石の妻「りく」が通った際に激しい腹痛に見舞われ、近くの石清水を口に含むと痛みが治まったと伝わる
ゆかりの地がある。この恩を忘れなかったりくが寄進したと伝わる石碑が、今なお天王坂に立っている。

石碑は天王坂の頂上付近に立つ。車道から斜面を数メートル下ると瓦ぶきの社があり、  
「南無阿弥陀佛」と刻まれた高さ1メートルほどの石碑がたたずんでいる。
「元禄十六癸未」「九月 吉祥」などの文字が彫られ、石碑の手前には水をたたえた石組みの穴がある。

車道沿いの案内看板や、春日町誌(第四巻)の「ふるさとの物語」を要約すると、りくはお供と共に
山科から但馬の実家へ戻る途中、天王坂にさしかかった。その際、腹痛に襲われ、お供が近くの石清水を
りくの口に含ませると、痛みが回復。りくは但馬へ帰ってからもこの出来事が忘れられず、天王坂に謝恩碑を建てた―とある。

車道沿いには、同市の俳人・西山小鼓子さんの「妻りくの 駕籠もたどりし 花の道」の句碑もたたずんでいる。

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1が建った時刻:2020/12/14(月) 12:23:40.52