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2021/06/07(月) 11:34:30.86ID:DPXlkJsu9年表を作ったのは、元教員や郷土史家、主婦らでつくる「身近な杉原千畝を研究する会『千畝を知ろう』」。地元との関わりから杉原氏の足跡を探ろうと2018年から調査を始めた。家系図を頼りに両親の出身地の八百津町北山地区をはじめ町内7人を含む岐阜、愛知県内の親戚や縁故者ら21人から証言を集め、写真、手紙の提供を受けた。
杉原氏は税務官吏だった父親の転勤で住居を転々とし、少なくとも学齢期以降は八百津を離れているが、「(子ども時代の)杉原一家は8月には毎年1カ月も滞在した」(母やつの実家)、「満州(中国東北部)から一時帰省した際に生活した家があった」(遠縁の町民)、「役場前の雑貨店辺りで子どもを連れていた」(別の遠縁の町民)と節目ごとに里帰りを繰り返した様子がうかがえたという。
パネルでは、晩年の勤め先のモスクワから弟に出された「八百津の山山がトテモ懐しくなった」という望郷の念がつづられた手紙のほか、町内の料理旅館「いこい」で開かれた1978年の帰国祝いの宴、丸山ダムを訪れ親戚と収まる写真なども紹介。八百津ゆかりの人たちと生涯続いた交流を伝えている。
…続きはソースで(動画あり)。
https://www.gifu-np.co.jp/news/20210607/20210607-76403.html
2021年6月7日 8時25分