岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原の岐阜関ケ原古戦場記念館で8日、徳川家康の書状の公開が始まった。公開は中部地方では初めてで、天下分け目の戦いを前に岐阜の地に着陣したことや、戦への強い決意が読み取れる。7月18日まで。

 この書状は旧暦慶長5(1600)年9月15日の関ケ原の戦い2日前、9月13日に書かれたとされており、家康が下野国大田原城(栃木県大田原市)の城主大田原晴清に送ったもの。家康の命令で、若松城(福島県会津若松市)の上杉景勝の南下に備えて守備を固めていた晴清が、関東の情勢を報告した書状の返書としてしたためた。兵庫県豊岡市で数年前に見つかり個人が所蔵していたが、岐阜県が昨年度購入、同記念館が所蔵している。

 書状では「本日13日に岐阜に到着し、陣を敷きました」と記述。天下分け目の戦いを目前に控え「早々に凶徒(きょうと)ども(西軍)を討ち果たし、吉報を申し届けることになるでしょう」と、強い心意気を吐露している。家康は14日、美濃国赤坂(大垣市)で東軍側の武将に合流し、15日に関ケ原の決戦に臨んだ。

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https://www.gifu-np.co.jp/news/20210609/20210609-76988.html
2021年6月9日 8時33分