アーバンライフメトロ2021年7月18日
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のどかな雰囲気が漂う世田谷区「宇奈根」
東京の23区にも、鉄道の駅から遠く離れた「陸の孤島」と呼ばれるエリアがいくつかあります。世田谷区西南部に位置する宇奈根もそんな町のひとつです。「世田谷の秘境」などと呼ばれることもありますが、実際はどんなところなのでしょうか? 近接する鎌田、岡本と併せて紹介します。

宇奈根の最寄り駅は東急田園都市線と大井町線が接続する二子玉川、小田急線の成城学園前か喜多見、もしくは狛江市の狛江か和泉多摩川になりますが、どの駅からも2kmほど離れており、歩くと20〜30分かかります。

地形的には、南を多摩川、北を野川に挟まれた低地で、西側を東名高速道路が通り、東側には駒沢大学玉川キャンパス(世田谷区宇奈根1)があります。

かつては一面に田園風景が広がる農村地帯でしたが、現在は大部分が住宅地に変わりました。数年前まで人々の目を楽しませていたひまわり畑が宅地化されしまったのは残念ですが、それでも農地や野菜の直売所が散見でき、町全体にはのどかな雰囲気が漂っています。

宇奈根は3丁目までありますが、交通信号機が設けられているのは、町の東西を貫く水道道路の宇奈根地区会館前だけ。それも21世紀になって初めて設置されたといいます。そんなところも「秘境」といわれるゆえんかもしれません。

魅力的な多摩川と巨大ジャンクション工事
見どころといえば、やはり多摩川ということになるでしょう。広々とした河川敷を見下ろしながら、気持ちのいい風に吹かれて散歩やサイクリングを楽しむことができます(ただし日陰がないので熱中症には注意!)。

対岸は神奈川県川崎市高津区ですが、そこの町名も世田谷区と同じ宇奈根です。かつてはひとつの地域でしたが、多摩川の流路の変遷によって分断されたため、両岸に同じ町名が残っているわけです。

2020年に続いて2021年も新型コロナウイルスの影響で開催が見送られてしまいましたが、通常なら世田谷区と川崎市の花火大会の絶好の観覧スポットとなるのも、このあたりです。

町の北部を流れる野川の沿岸も自転車歩行者専用道路が整備されており、散歩にはもってこいの場所です。高い建物が少ないため空が広く感じられ、開放感を味わえます。

ただ、喜多見、大蔵と接する宇奈根北端の野川沿いでは、東名高速と東京外かく環状道路が交わる巨大ジャンクションの工事がおこなわれており、近い将来、周辺の景観は大きく変わりそうです。

玉電が走っていた鎌田
いまでこそ鉄道空白地帯の宇奈根ですが、昔からそうだったわけではありません。厳密には隣町の鎌田までですが、宇奈根のすぐ目の前まで、鉄道が通っていた時期があります。

1924(大正13)年、玉川電気鉄道(通称「玉電」。のちに東京横浜電鉄 = 現・東京急行電鉄に合併)玉川線の支線として、玉川(現・二子玉川)〜砧(きぬた)(のちに砧本村と改称)間に開業した砧線です。

線名の由来は当時、このあたりが砧村だったからです。現在の喜多見、成城、砧、大蔵、砧公園、岡本、宇奈根、鎌田の範囲にほぼ該当し、1936(昭和11)年、世田谷区に編入されました。現在も、これらの町に祖師谷、千歳台、船橋を加えたエリアが世田谷区の砧地域とされています。

砧線は多摩川で採取される砂利を都心に運ぶために敷設された単線の路線ですが、乗客も扱っていました。

しかし1969年、玉川線の廃止に伴って砧線も廃止されてしまいます。本線だった渋谷〜二子玉川園(現・二子玉川)間は1977(昭和52)年、旧線の地下を通る形で新玉川線(現・田園都市線)に生まれ変わりましたが、砧線が復活することはありませんでした。

レトロなデザインの水道施設も
線路は主に道路に転用されましたが、跡地を示す案内板やレリーフ、モニュメントが随所に設けられているので、廃線跡をたどることは難しくありません。

終点の砧本村駅跡は駒沢大学玉川キャンパスの前にあり、ホーム跡は公園に、駅前広場はバスの折り返し場になっています。バス乗り場にある青い屋根の待合所は、砧線の駅のホームから移設したものです。

すぐ真横には、東京都水道局砧下浄水所(世田谷区鎌田)がありますが、ここも興味深い場所です。

1923(大正12)年、渋谷町(現・渋谷区)への給水を目的として開設された水道施設で、大正末期から昭和初期に建てられた歴史的建築物がいまでも数棟残っているのです。敷地内に入ることは禁止されていますが、フェンスの外からレトロなデザインが施された古い建物を垣間見ることができます(以下リンク先で)。