旧日本海軍の戦艦で唯一可動状態のまま終戦を迎えながら、75年前の昭和21(1946)年7月29日、南太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で米軍の核実験の標的となり、沈没した戦艦「長門」の慰霊顕彰祭が29日、山口県下関市の住吉神社で催された。旧日本海軍の艦艇には、航行の安全と武運長久を祈り、国内の神社から分霊した「艦内神社」が設けられていた。長門の場合は、艦名にちなみ、旧長門国(現山口県)で最も社格が高かった住吉神社の祭神がまつられていた。

 長門はビキニ環礁の水深50メートル前後に沈んでいる。米軍の一連の核実験では長門のほかにも多数の艦船が標的とされたが、長門は2度の爆発実験でもすぐには沈没せず、4日間も海上に浮かび続けたという。数時間で沈没した他の標的船と比べ長時間耐えたことから、当時、国内では「造船技術の優秀さが証明された」と話題を呼んだ。

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https://www.sankei.com/article/20210729-MJJNVGWAXVLZHFZE2F7DQYYVJQ/
2021年7月29日 20時29分