ダイヤモンドオンライン12.15 4:20
https://diamond.jp/articles/-/314599

●いつものように「一時の流行」だった 旧統一教会に飽きた人々
「反日カルトをつぶせ!」「日本から追い出すまで徹底追及しろ!」と叫んでいた人たちは、いったいどこへ消えてしまったのか――。

マスコミで朝から晩まで大騒ぎをしていた「旧統一教会問題」の報道がまるで「タピオカブーム」のように終焉してしまった。タピオカミルクティー同様、あまりに氾濫したことで消費者に飽きられてしまったのである。

およそ1カ月前、FRIDAYデジタル(『旧統一教会問題「放送大幅減」のウラに訴訟より深刻な視聴率低下』、11月13日)が報じたところによれば、報道の激減は、旧統一教会が専門家や報道機関を次々と訴えたこともあるが、それよりも視聴率が取れなくなったことが大きいという。

手前みそだが、このような状況になることは今年8月時点で本連載の中で以下のように指摘させていただいていた。
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30年前にワイドショーで連日大騒ぎをしていた「統一教会」の被害が、いつの間にやら忘れ去られていたように、日本人は基本的に熱しやすく冷めやすく、しかも「忘れっぽい」からだ。

日本人は「どれだけ叩いてもいい」という対象ができると、お祭りのように盛り上がって、相手を自殺に追い込むくらいのリンチをする。一方で、日頃のストレスが発散されてしまうと途端に興味を失ってしまう傾向がある。そうなると、ワイドショーも視聴率が取れないので扱わなくなり、人々も忘れてしまう。

今回の旧統一教会批判も、そんな「いつものパターン」のにおいが漂う。
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『爆笑問題・太田氏を統一教会「擁護派」と糾弾する日本人に、既視感しかない理由』
30年前から霊感商法や高額献金などの被害が報じられていたにもかかわらず、安倍晋三元首相が殺害されるまで放置され続け、今もなんとなく収束してしまっている。これは、そもそも国民がこの問題を「タピオカブーム」のように「一時の流行」のように消費している部分があるからだ。

●被害者たちが訴えても世論は静か なぜ飽きたのか
…という話を聞くと、「国民の関心が薄れたのは、教団と関係のある大臣の罷免や解散請求への見通し、被害者救済法案など一定の決着を見せたからだ」と反論をする人もいらっしゃるだろう。しかし、この問題に誰よりも真摯に向き合ってきた人々の怒りの声を無視しているのだから、「飽きた」と言われてもしょうがない。

12月10日、全国霊感商法対策弁護士連絡会が会見を開いて、被害者救済法案について次々とこんな苦言を呈した。

「新法では禁止行為や取消権等の対象となる行為の範囲が狭すぎて、“統一教会”被害について言えば、被害救済にほとんど役立たないものとなってしまいました」(日テレNEWS 12月10日)
「今の法案については無いよりましという程度のものであって、これで救済の幅が広がったということは到底言えない」(テレ朝news 12月10日)
被害者の救済にあたっている当事者がここまで不満をあらわにすれば、3カ月前の社会ムードだったら、政府与党に対して「反日カルトを擁護するのか!」なんて怒りが爆発していたはずだ。

しかし、ネットやSNSを見てみると、「あまり厳しいものにすると、信教の自由を弾圧することになってしまうからしょうがない」とか「創価学会に配慮しながら、自民党もよくやった方だろ」なんて感じで擁護をする人たちも少なくない。

「旧統一教会信者の信教の自由も守るべき」という主旨の発言をした爆笑問題の太田光さんのことを「カルト擁護」とボロカスに叩いて、自宅に卵を投げつけたような人たちは、今のムードをどう思っているのだろう。「カルトに怒れる日本人」がわずか1、2カ月の間に別人のように急変してしまったのだ。

では、なぜ我々日本人はここにきて急に旧統一教会問題に飽きてしまったのか。サッカーW杯で盛り上がってスコーンと頭から抜けてしまった、物価高に防衛増税でそれどころじゃない、などさまざまなご意見があるだろうが、個人的には「みそぎが済んだ」と受け取っている日本人が多いからではないかと考えている。

●ある程度のペナルティを受ければ 「水に流す」伝統的倫理観
ご存じのように、日本社会では企業や有名人が何かしらの不祥事をやらかすと、「みそぎ会見」をすることが暗黙のルールとなっている。

謝罪会見を開いて、フラッシュを浴びせられながら頭を深々と下げて、記者から厳しい質問や時に罵声を浴びせられながらじっと我慢をする――。そんな「社会的制裁」を受けないことには、「反省している」と認められず、セカンドチャンスさえ与えられない。
※以下リンク先で
★1:2022/12/15(木) 07:23